旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

懐かしかった中学同窓会

2010-10-10 16:54:06 | 時局雑感

 

 私が終戦を迎えたのは、大分県臼杵市で10歳、小学4年生のときであった。昭和23(1948)年小学校を卒業して、その前年にスタートした新制中学、臼杵市立西中学校に入学した。つまり、戦後発足した新制中学の第2期生というわけだ。
 そうして中学を終えた昭和26(1951)年卒業生の同窓会に昨夜出席した。幹事の資料によると卒業生は総勢187名、4組であったので、1学級47~48名。ところが、既に物故者22名、住所不明者31名で、同窓会対象者は134名、その中での参加者は30名であった。
 ちょっと少ないのが残念であったが、集まった連中は元気なものばかりであるので、大いに楽しい同窓会であった。卒業後既に62年、当時のいがぐり頭とお下げ髪は、男性の髪はほとんど形跡を残さず、女性においても「緑の黒髪」というわけにはいかない。常に会う機会の多かった数人を除いては、全く初対面に等しく、しばらく誰が誰か想像もつかない。ところが時間のたつに従い昔の面影が浮かんでくる。
 「ああ、お前ヨッチャン・・・」、「私カズチャン」と、あちこちで呼び交わす。
 
      


 あっという間に2時間が過ぎてお開きとなったが、もう二次会に行こうという元気者はほとんどいない。中学時代から親友であったM君と、Nさんの3人だけでラウンジを訪ね、美声のM君の歌を数曲聞いて分かれた。
 かつては二次会、三次会と続いた同窓会は、最早2時間の定刻をもって終わる年齢になったのだ。何たってほとんど全員75歳の後期高齢者だ。
 幹事のS君は、もうあまり先がないことを察してか「2年後の開催」を約したが、もし開催されたとしても何人集まるだろうか。今回の30名を下まわりこそすれ上まわることはないだろう。
 半世紀をはるかに越える“62年”という年月は、そう生易しい時間でないことを痛感した。

 幹事Sさん
  幹事S君 当時のあだ名(あえて伏す)は想像できない貫禄


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