旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

マラソン監督の資質――尾崎選手の世界陸上銀メダルに因んで

2009-08-25 11:22:27 | スポーツ

  世界陸上ベルリン大会の女子マラソンで、尾崎好美が銀メダルを獲得した。本命だった渋井の欠場後ママさんランナーの赤羽あたりに焦点が集まっていたが、一番地味な選手がメダルに滑り込んだ。
 
尾崎の銀メダルはどんなに賞賛してもし過ぎる事はないが、私はむしろ彼女を育てた山下佐知子監督に注目してきた。

  山下監督は1991年の世界陸上東京大会で銀メダル、翌年のバルセロナオリンピックで4位入賞して、日本の女子マラソンが世界にはばたく先駆けを果たした選手の一人だ。しかし彼女はそのような快挙をさりげなくやってのけて、ライバルの有森やその後の高橋などのようにはしゃぐこともしなかったような選手であった。
 
やがて第一生命の監督になり、ここでも、小出監督監督などのようなはしゃぎやパフォーマンスはないが、確実に良い選手を育ててきた。第一生命の駅伝大会その他の業績を見ればわかる。

  尾崎は山下監督の誕生日に、「カメのようにノロノロした私を育ててくれて有難う」という意味の文章を送ったと言う。レース後山下は「ゆっくりですけど、カメは立派に育ってくれました」と語っている(日経新聞82438面)。
 
レース直後のインタービューに駆けつけた監督は尾崎を抱きしめ祝福した後、「今朝この子に悪いことを言っちゃった。『優勝までは狙わなくてもいいから頑張れ』と言ったのです。言ったとおり素直に2位になっちゃった」と言ってはにかんだ。
 
しかしこの朝の言葉は、監督の“最適な指導”だったのではないか? 若し優勝を狙えなど言えば尾崎は、まさに優勝に絡んだ35キロ以降で堅くなったかもしれない。ほんのちょっと肩に力が入っただけで、メダルはおろか5位にも6位にも落ちるのがマラソンの怖さだ。それを知り尽くした山下の指導であったろう。
 
尾崎は、今月上旬初めて監督が18年前に獲得した銀メダルを見て「自分も欲しいと思った」という(前掲紙)。山下は10年も育ててきた選手に銀メダルを見せることも無かったのだ。そして一番効果的な時期にそれを見せたのではないか?

  山下は、自分に最もよく合う選手を見つけ、それに最も適した指導をほどこしたにちがいない。
                             


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