長い暑い夏がようやく過ぎると急速に秋が深まる。10月に入っても夏日が続いたが、さすがにもう秋である。その深まり行くテンポも早い。この時節にふさわしい歌は『秋の子』であろう。
すすきの中の子 一、二、の三人
はぜつりしてる子 三、四、の五人
どこかで やきぐり やいている
つばきを のむ子は 何人だろな
かきの実みてる子 一、二、の三人
さよならしてる子 三、四、の五人
ごはんに なるまで おもりする
おんぶを する子は 何人だろな
ひぐれに走る子 一、二、の三人
ふろたきしてる子 三、四、の五人
こおろぎ あちこち なきだした
さみしく 聞く子は 何人だろな
作詞者サトウハチローが、やさしい心を持って子供たちのしぐさを何一つ見逃すことなく書き綴った、という気がする。残念ながらこのような子どもの情景は、今の日本にはほとんどない。ただよってくる焼き栗の匂いにつばきを飲み込む。夕食準備の母を手伝って、小さい子ををおんぶする……。
今、はじけた実をつけた栗の木を近くに見ることのできる子はどのくらい居るだろう。少子化も加わって、大きい子が小さい子をおんぶしている姿もあまり見かけない。そもそも、入学前の小さい子から高学年までの子までが一緒に遊ぶ姿も少なくなった。
風呂焚きに至っては皆無といえよう。あれは子供の役で、煙にむせびながら聞くコオロギの鳴き声に、子供心もさみしさを感じるのが秋であった。
この素敵な詩に曲をつけたのが、あの魚博士で有名な末広恭雄。末広は東大農学部水産科を卒業して農林省技官、東大農学部教授などを経て、水族館油壺マリンパークの館長を勤めた魚博士。昭和天皇にも生物学を講義したという。
そのような人が、どうしてこんなきれいな曲を作ることができたのか、失礼にも不思議であったが、末広は単に水産学者というだけでなく、弘田龍太郎や山田耕筰に作曲を学んでおり、このほかにもたくさんの曲を残している。また随筆家としても著名で、さすがに一芸に秀でる人は違うのであろう。私はこの曲を残してくれただけでも感謝している。
家の近く、上北沢の栗林にて(8日撮影)