10月3日はオランダにとって記念すべき日だ。16世紀中葉、スペインとの80年戦争を戦い抜き、最後の砦として守り抜いたライデン市民が勝利した日である。
オランダはこの日(1574年10月3日)を誇り高く世界に発信し続け、勝利したライデン市民が飢えを満たした「ハーリング(にしん)」と「ヒュッツポット(野菜のシチュー)」と白パンを各国に送ってその日を祝っている。ここ10年近くこのパーティには参加を続けているが、今年もオランダ大使からの招待状を受けて参加した。
オランダ大使からの招待状
ハー7リング、ヒュッツポット、白パンとジェネーヴァ
この史実と歴史的意義については、すでに書き続けてきた (07年4月20日、08年10月4日、010年10月4日など) ので詳述はさけるが、久しぶりに会ったT夫人やF夫人と、ライデン市民のあの壮大な気宇は何処から生まれたのだろうと話し合った。
つまり、砦を守り抜いてスペイン軍に勝利したご褒美に、向こう何年間かの税金を免除してやるとの国王の提起にライデン市民は「税金は払います。その代りに大学を作ってほしい」と申し出たくだりである。そうして生まれたライデン大学がその後の世界に果たした業績は大きい。日本になじみのシーボルトもライデン大学の教授であった。
それに比して今の日本はどうなっているのだろうか? というのが一致した意見であった。あのライデン市民の気宇まで行かないとしても、もう少し何とかならないか、と嘆くばかり…。
T夫人もF夫人も国際色豊かな人。「もう日本には住みたくない!」と言い放つのを 「まあ、そう言わずに…、日本を見捨てないでください」となだめるばかりであった。
それにしても日本の未来は暗い。このままつぶれてしまうとも思えないのだが…?