旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

トルコ紀行⑮ ・・・ ブルー・モスク

2009-10-29 18:44:56 | 

 スルタン・メフメットⅡ世は征服王の名をほしいままにし、その版図を北はロシア、南はアフリカ北部、東はペルシャのバグダッドまで広げた。ヨーロッパの国々はその脅威にさらされ続けたのである。

 オスマントルコの全盛は、メフメットⅡ世の3代あとのシュレイマンⅠ世のときに頂点に達し、以降一世紀、17世紀に入ったトルコはペルシャやハンガリーなどの領土を失い、疲れ果てていたと言える。
 
まさにそのような時代の皇帝スルタン・アフメットⅠ世が建てたのが「ブルー・モスク」、正式名を「スルタン・アフメット・モスク」という。彼は“帝国の苦悩”を納めるため、外へ向けてきたエネルギーを内に転換させたようとした。重荷であったオーストリア戦争を終結させ(つまり手を引き)、アナトリア各地の内乱を鎮圧して民心安定に力を尽くす。
 
そして取り組んだのが「新たな建造物の建設の指導」(エルデム・ユジェル著『イスタンブール』37頁)であったのだ。彼はこのモスクの建設に自ら手を染め、「基礎堀りに最初のつるはしが入れられてから、皇帝は疲れ果てるまでその他の作業者と一緒に、作業に励んだ」(同署38頁)と伝えられている。
                     

 壁に明るいブルーのタイルが多用されていることから、ブルー・モスクと呼ばれているが、そしてブルーこそはトルコが最も尊ぶ色ではあるが、私には“最盛期を過ぎた帝国の苦悩”を表す色に思えた。それは、あまりにも広壮で、あまりにも優雅で屹然としているだけに、一層そう見えたのかもしれない。
 
確かに広壮であった。中に入ってドームの天井を見上げたとき、その広大さに驚いた。モスクを出て、私はガイドのフラットさんに訊ねた。「このモスクは、世界で一番大きい聖堂ではないのか?」と。ところがそうでもなかった。彼の答えは、
 
「世界で一番大きいのはヴァチカン宮殿、二番目はロンドンのセント・ポール寺院、三番目はミラノのドゥオーモ(大聖堂)、四番目がこのブルー・モスクだ・・・」
と言うことであった。
   

 私は未だヴァチカンを見ていない。しかしミラノ大聖堂を見たときの驚きを思い起こした。ミラノには四泊し、毎日あの聖堂の前に立ったし、聖堂の屋根の上からアルプスを遠望した。そして何よりも、その建設に費やした五百年の歳月に思いを凝らした。

 しかし、このブルー・モスクには別の思いが残った。私の思いは、実際に回った順序と全く逆に、「アヤ・ソフィア――トプカプ宮殿――ブルー・モスク」と歴史を上向(下向?)したが、そこには、イスタンブール(現在名)という土地に刻まれた千数百年に及ぶ東西両文明の盛衰が息づいていた
                                                       
 
    活気に満ちたイスタンブールの街


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