ラムは明るいニューオルリーンズの雰囲気に合う、と書いた。しかし明るく華やかなものには、必ず暗い話がつきまとうのも世の常である。大英帝国が植民地政策の中で巨万の富を築いた奴隷貿易にも、このラムが介在する。
イギリスはスコッチウィスキーを生み出し蒸留技術には卓抜したものを持っていた。また、ヨーロッパ国民は砂糖を望んでおり、これの輸入だけでも儲かった。イギリスは砂糖とともにその搾りかすの糖蜜などを運んでいくらでも良いラムを造ることができた。
彼らはそのラムを船に満載し西アフリカに運び、その売却代金で奴隷を買い込み、ラムを売って空になった船に奴隷を積み込み西インド諸島に運ぶ。そのサトーキビプランテーションに奴隷を売却し、その代金で砂糖を買って、空になった船に満載し本国へ運ぶ。その砂糖の売却代金で再びラムを買って西アフリカに向かうという繰り返し・・・。
後にアメリカ資本も、「アフリカの黒人を砂糖きび畑の労働者(奴隷)として西インド諸島に運び、空になった船には糖蜜を積んでアメリカのニューイングランドに運ぶ。ここにはラムの工場が多数あって、原料の糖蜜を降ろしたら、これに今度はラムを積みアフリカに戻る。そこでこのラムは黒人を買う代金にあてられ・・・」(小泉武夫「酒の話」75頁)を繰り返して富を挙げた。
これが歴史に名高い三角貿易(奴隷貿易)である。
いずれにせよ、西アフリカからサトウキビプランテーションに運ばれた奴隷たちは、自らの仲間や子孫が奴隷として買われる元手となるサトウキビを、死ぬまで作り続けたのである。
私は、明るく陽気なニューオルリーンズの街でラムを飲み歩きながら、この暗い歴史にも思いをいたさずにはおれなかった。