goo blog サービス終了のお知らせ 

旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

オペラ普及団体ミャゴラトーリに朗報 … 杉並区の補助金交付決定

2016-06-10 15:01:39 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 娘が主宰するオペラ普及団体ミャゴラトーリが、杉並区の補助金交付の対象に選ばれた。資金的な後ろ盾のないこの団体は、心ある少数の支援者(現在2社、20数名)の浄財と、ノー・ギャラに近い出演者たちの協力によりオペラつくりを続けておるが、この度ようやく念願かなって杉並区の補助金対象に合格した。審査の対象となった演目は、オペラ『泣いた赤鬼』。ご存じ、浜田廣介の名作童話をオペラにしようというものだ。

 赤鬼は人間が大好きで、人間の子供たちと遊びたくてしようがない。しかし子供たちは一向に赤鬼の家に来てくれない。悲しんでいる赤鬼に対し、親友の青鬼が一計を案じる。「俺が人間の子供たちの中で暴れてやる。お前がその俺を取り押さえれば、みんなお前がいい鬼だと分かって遊びに来てくれるだろう」……赤鬼は、それでは青鬼に悪いと心配するが、ことはその様に運んで、赤鬼と子供たちは仲良くなる。赤鬼は毎日楽しく暮らすが、それ以来青鬼が姿を見せないことに気づく。青鬼の家を訪ねると、そこに張り紙があり、「俺がお前と仲良くすると再び人間の子供たちが怪しみお前を離れる。俺はこの地を去る」とある。赤鬼はかけがえのない友情を失ったことに泣き伏す。

 実は、青鬼の策がなくとも子供たちは赤鬼が好きで、一緒に遊びたかった。しかしその子供たちに常に言い聞かせていた親の言葉は、「赤鬼はいい鬼かもしれないが、鬼は鬼だからね」、という言葉であった。これが人間の子供と鬼を裂き、ひいては赤鬼と青鬼の友情までも裂くのである。
 差別の根源は、この親たちの「教育」にある。ここに着目して、この演題に取り組むことにしたと娘は言っている。差別という人類的課題は、21世紀に至ってもますます重きを増しているように見える。その本質に、私たちはいつ気が付くのだろうか?
 30万円の補助金交付の決定通知に、娘は大喜びをしているが、同時に、この重いテーマに応える取り組みと、どう節約しても100万円はかかるだろうと思われる費用のねん出に、頭を痛めているようである。

     


弟、淳の遺作展

2016-05-23 15:14:08 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨年11月、75歳の若さで他界した弟淳の遺作展が、臼杵で開かれている(16日~29日間)。
 既に何度も触れたように(2015.11.27付「弟、淳の死」(3回)ほか)、私の3番目の弟淳は、教師をやりながら絵を描き続けた。題材はさまざまあったが、大学時代に秋田国体山岳の部に参加して以来、その魅力に取りつかれた「ブナ」に収斂した。死ぬ一週間前までブナを描き続け、「ブナの画家」と呼ばれるほどであった。
 そのブナの絵を中心に、数十点を掲げた遺作展ということだ。これは弟の遺言でもあったようで、それを受けて、娘の直子と二人の郷土画家の三人が選者となって、淳のアトリエに描き残されたものから選んだという。なかなかの好評を得ているようで、先ほどのトシエ夫人からのメールによれば、一日平均70~80人の方々が来てくれており、一週間を経て来館者は500人に達しようとしているという。淳の、多方面にわたる生前の活動に依るのであろう。

    
      遺作展のポスターと、大分合同新聞の17日付記事
     

 私は本来なら会場に駆けつけるべきであろうが、老体の上に体調ももう一つだ。ここはお許しを願って、わが家にある淳の遺作をいくつか並べて、彼の生前を偲ぶこととする。

  芽吹くブナ
       栗駒山

   
    大分合同新聞連載『硝子戸の中』(漱石)の挿絵2点


「戦争はイヤだ」と叫ぶオペラ … 『カプレーティとモンテッキ』③

2016-05-11 20:54:15 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 カプレーティ家とモンテッキ家は戦争に明け暮れていた。その両家に生まれた二人の恋は、初めから悲劇の運命を背負っており、2人は死によって添い遂げるしか途はなかった…。これがシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の筋書きであった。
 しかし、別の台本もあった。二人は、この相争う世界から逃げようとした。ロメオは「戦争は人が死ぬのでイヤだ」と言い、「二人で戦争のない世界へ逃げよう」とジュリエッタを誘う。世間を知らないジュリエッタは家を離れること自体に躊躇するも、「死を装う」という危険な手段に挑み「家からの離脱」に向かう。
 二人は生きようとしたのだ。策の手違いからロメオは毒薬を飲むことになるが、駆け付けたカプレーティ家の主カペッリオに対し、とり巻く人々は「殺したのはお前だ!」と戦争に明け暮れた様を糾弾する。その場におけるロメオとジュリエッタは、少なくともメロドラマの存在ではない! ベッリーニのこのオペラを、鬼才岩田達宗はどのように描くのだろうか?

 第二次世界大戦から70年が経った。この間、世界の各地に戦争の絶えることはなかったという史実がある。人類は、あの悲劇的な大戦の後も、地上のどこかで何がしかの戦争を続けてきたのだ。その中で日本が、一度も、どこの国とも戦火を交えなかったのは奇跡とさえ言われている。それはまぎれもなく憲法九条のお蔭であったと思う。
 日本国民はこの憲法九条を、戦後70年にわたって育み、自分のものとして身に着けてきた。日本人が闘わなかったのは、単に九条の条文があったからではない。その精神を愛し、慈しみ、自己のものに育て上げてきたからであろう。
 しかし一方に、戦争を好む勢力も存在する。彼らはこの70年間、戦争をやりたくてウズウズして来たのではないか? 憲法九条の解釈改憲を続けてきたが、昨年の集団的自衛権承認の解釈に至って、彼らのウズウズは沸点に到達したかに見える。人はどこまで争おうとするのか? このオペラは、今の日本にどのような一石を投じるだろうか? 

 もちろん、オペラは理屈を言うために見るのではない。ベッリーニの美しい調べと、実力派の歌手たちの歌唱力に、じっくりと浸りたい。きれいなチラシが出来上がった。ミャゴラトーリ常連の、イラストMariさん、デザイン太田さんによるものだ。一面にちりばめられた満天の星は、一体何を表しているのだろうか? これもオペラを見る楽しみだ。

  
 


「戦争はイヤだ」と叫ぶオペラ … 『カプレーティとモンテッキ』②

2016-05-05 16:07:02 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 このオペラにはもう一つ特徴がある。ロメオ役を女性が演じることになっていることだ。あの演劇史上名高いロメオという男役を、なぜ女性が演じなければならないのか? 理由は簡単、作曲者のベッリーニがその楽譜に、「ロメオ:メゾソプラノ」と書き記しているからだ。
 つまりは、ベッリーニは何故ロメオを女性(メゾソプラノ)に歌わせようとしたのかということになるが、その理由を私は知らない。何かベッリーニの書き残しでもあるのかと調べてみたが、私の調べた範囲ではわからない。以降の演奏家たちも、いくつかの例外はあったようだが、作曲者の指示に従いロメオはメゾソプラノで演奏を続けてきているらしい。日本の歌舞伎は、女役もすべて男が演じるが、何か共通点があるのだろうか?あまり考えたこともない。
 人類の歴史を顧みると戦争の歴史であるが、その戦争はほとんど男が闘ってきた。このオペラの舞台も前記したように両家の絶え間ない争いが背景となっているが、その中に咲いた清らかな愛を歌い上げるには、争いを続ける男を超越した存在としてロメオも女性に歌わせようとしたのかもしれない。
 それに対し、制作のミャゴラトーリを主宰する娘は、ズボン役(男装の女性役)は宝塚のイメージが強すぎるので、今回はロメオ役をテノールにやらせたいと提案する。演出の岩田氏は、「本来このロメオ役が必要とする清純さは男では出せない」と言ったが、しかし、そのテノールに寺田宗永の名があがるに至って岩田氏も、「彼ならやれるかもしれないね」と合意に至り、二日公演の初日のロメオを、禁を破って男性にしたという。
 寺田宗永(通称テラッチ)君はミャゴラトーリの常連歌手で、特に『愛の妙薬』のネモリーノが当たり役だ。清純さに於いて比類ない。しかも相手のジュリエッタを演じるのが高橋絵理(ソプラノ)さん。二人は、14年夏の『ラ・ボエーム』(ミャゴラトーリ制作岩田達宗演出)のロドルフォとミミを演じたコンビだ。しかもお二人とも昨年からイタリアに留学して帰国したばかりで、その成果にも期待している。
 いずれにせよ私は、テノールとメゾソプラノが演じる公演を二日とも観なければならないと思っている。皆さんにも、是非とも二日間とも観ることをお薦めする。

   
 『ラ・ボエーム』を演じる寺田宗永、高橋絵理(2014年7月24日)


   


「戦争はイヤだ」と叫ぶオペラ … 『カプレーティとモンテッキ』

2016-04-29 12:03:35 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 「カプレーティとモンテッキ」と言えば、何か聞いたことがあるような気がするがもう一つなじみがない。これを、「キュプレットとモンタギュー」と言い換えるとグッと近くなり、キュプレット家の「ジュリエット」とモンタギュー家の「ロミオ」と言えば、誰もが知っているシェイクスピアの戯曲となる。
 もともとはイタリアのヴェローナ地方に伝わる両家の抗争を題材にした説話を、シェイクスピアが甘いメロドラマに書きあげたのが『ロミオとジュリエット』で、演劇、映画、オペラなどの題材になっており、オペラではグノーの作品が有名である。
 一方、シチリア出身の作曲家ベッリーニは、『カプレーティとモンテッキ』というオペラにした。主人公も、ロミオはロメオであり、ジュリエットもジュリエッタである。イタリア語の響きがあり、イタリア説話の真実味が伝わってくる。
 舞台は13世紀のヴェローナ、そのあらすじは以下の通り。

 教皇派のカプレーティ家と皇帝派のモンテッキ家は、代々の抗争に明け暮れていたが、闘いに疲れたロメオは、自らをロメオの使者に扮してカプレーティ家に和平を申し入れに行く。そして両家の和平の証に「ジュリエッタとロメオを結婚させる」案を提案する。実は、ロメオとジュリエッタはひそかに愛し合っていたのだ。カプレーティ家の家長カッペリオはそれをはねつけ、ジュリエッタは自派のテバルドと結婚させると告げる。悲嘆にくれたロメオはジュリエッタの部屋に忍び込み、「もう戦はイヤだ。闘いのない所に二人で逃げよう」と誘うが、ジュリエッタは「家からは出られない」と逡巡する。
 両家の闘いと混乱が続く中で、二人の理解者ロレンツォがジュリエッタに、「強い睡眠薬を飲んで死を装い、墓場で目覚めるころにロメオが墓に行く」策を示す、不安を抱きながらジュリエッタはそれに従う。…一方、ことの成り行きからロメオとテバルドは決闘に及ぶが、その場をジュリエッタの葬列が行く。悲しみにくれたロメオは墓に入りジュリエッタの死を見て、自らも毒をあおる。直後、目を覚ましたジュリエッタは、ロメオの死を知って悲しみのあまりその場にたおれる。
 駆けつけたジュリエッタの父カッペリオが、「二人とも死んでいる!? だれが殺したのか!」と問うのに対し、人々は、「殺したのはお前だ!」と、戦に明け暮れる罪を断罪する……

 実は、娘が主宰するNPO法人「オペラ普及団体ミャゴラトーリ」がこのオペラに取り組んでいる。娘は当初、このオペラに共感を抱いていなかったらしいが、演出の岩田達宗氏の、「ロメオに『戦争は人が死ぬからイヤだ!』と言わせたいんだ」と言う言葉に惹かれやる気になったと言っている。
 戦争法案にゆれる昨今の日本に、このオペラは何をもたらすのだろうか? (つづく)

  
  指揮柴田真郁、演出岩田達宗と出演者の顔ぶれ    

 


うたごえ居酒屋『家路』の橋本春樹さんを偲ぶ会

2016-03-14 14:31:31 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨夜、橋本春樹さんを偲ぶ会に参加した。
 橋本さんは奥様のピーコさんと、37年にわたり『家路』(新宿三丁目3-9)を経営し続け、歌声を通じて日本文化の発展を底辺から支え続けてきた人と言えよう。ピーコさんは歌声喫茶『ともしび』のピアニストとして活躍してきたが、その顧客の一人であったと聞く橋本さんと結婚、『ともしび』から独立して、「うたとピアノとともだちと」をテーマに『家路』を開店した。橋本さんは、板前として、時にはベース奏者として、またその豊かな人間性を生かした顧客青手を続けながら『家路』を支えてきたのである。この2月14日で37周年を迎えることになっていたが、その直前、2月10日に前立腺がんで逝った。
 『ともそび
』は、戦後の主として若者の新しい音楽を求める要求にこたえてきた。(最近は当時の若者が老齢化し、熟年顧客が多いと聞くが)。『家路』は、サラリーマン、幅広い音楽愛好家、文化人などが集う場所として、落ち着いた雰囲気の「うたごえ居酒屋」と言えるだろう。
 しかし、あの生存競争の激しい新宿三丁目で、そのようなどちらかと言えば地味な店を続けることは大変であったろう。ピーコさんの魅力とともに、橋本春樹さんという人柄は欠かせなかったと思う。絶対に人を押しのけるような人ではなかった。絶えず人を押し上げる人であった。
 それだけに橋本さんを慕う人は多く、昨夜の「偲ぶ会」には百数十名の方々が集まった。会場となった『呑者家銅鑼』は超満員で立錐の余地もなかった。参加者の胸に去来したものは、「また一つ文化の灯(あかり)が消えた」という思いであったろう。
 因みに、「橋本春樹が愛し、もっとも橋本春樹らしい歌」として、昨夜全員合唱した歌は次の6曲であった。いずれもうたごえ史上に残り、かつその底辺を支えた歌と言っていいだろう。

 ・花をおくろう  ・小さな日記  ・あの素晴らしい愛をもう一度
 ・いぬふぐり  ・ほたる  ・Love annd Peace

    

   


充実してきたミャゴラトーリ支援者の集い

2016-02-06 13:11:20 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 1月31日、オペラ普及団体ミャゴラトーリの支援者の集いが開催された。もう数回目となる集いであるが、今回は支援者相互の、また歌手たち出演者と支援者間の交流に重点を置いて、大変質の高い会になったと感じている。
 恒例による約1時間のミニコンサートも、平野雅世(ソプラノ)、青柳素晴(テノール)、大澤恒夫(バスバリトン)の3歌手が、巨瀬励起のピアノで素晴らしい声を聴かせてくれた。原宿のアコスタジオという小さいスタジオで、わずか30人くらいで本物のオペラ歌手の声を楽しむ贅沢なコンサートだ。「オペラ歌手さんって、こんなところでも手を抜かないで全力で歌うので驚いた」という参加者の声もあった。
 続く懇親会は、各地の銘酒(日本酒からイタリアワイン、チリワインに至るまで)を酌み交わしながら、出演歌手も含めたほぼ全員が様々な思いを語り合う会となって、実に楽しかった。かなり高度の文化論も展開されたが、そのすべてを伝えることはできない。せめてコンサートと懇親会のいくコマかを掲げておく。
 もう一つ。席上でミャゴラトーリの今年の上演内容が披露された。岩田達宗演出の第3弾、ベッリーニの『カプレーティ家とモンテッキ家』(つまり「ロミオとジュリエット」のこと)を、8月6,7日に牛込箪笥ホールで公演する。これには後日談がある。岩田氏お気に入りの箪笥ホールの8月予約は6ヶ月前の2月3日に受付が行われたが、娘はその抽選会で、31人参加の中で1番くじを引き当て見事予約を勝ち取った。31人中一番とは神がかり的で、その夜は関係者が集まり、「オペラの神様がやれって言ってくれているのだ!」と泣いて喜び合ったという。

 
     
    『愛の妙薬』より「何という愛!」(平野雅世と大澤恒夫)

       
「今の人たちは幸せだ。私は85歳になるが戦時中はいい音楽など聞けなかった。平和こそ大切だ。シリア難民の有様などを見ていると、ベルディもプッチーニもあったものじゃない」と力説するK氏。
 その他話題は続く…

 
  
     
               
  

「全くの門外漢だった私たち夫婦は、ミャゴラトーリの1回の公演でオペラの虜になった」と語るMさん

   
 歌手の青柳さん(向かって右)と大澤さん(左)の間で微笑むわらび座丸山さん 


今年も終わる … 底光りしてきた日本の文化(特に科学・技術)

2015-12-26 11:06:47 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 政治や経済では最悪の年であったと書いたが、文化の面では底光りするような力を見せてきたのではないか。特に科学・技術面では、過去の蓄積がようやく花開いてきたような感じを受けている。

 はやぶさ2号の打ち上げには、1号の活躍があっただけに大いに期待しているが、驚いたのはあかつきという金星探査機だ。5年前に打ち上げられ軌道に乗ることに失敗して忘れられた存在であったが、事実、既に耐用年数を過ぎているというのに、5年を経て改めて金星の軌道に乗ることに成功した。
 報道などによれば、この5年間、執拗に成功の道を追い求め1万回に及ぶ実験を繰り返しながら、別の目的で積んでいた補助エンジンを活用して成功したというのだから、その技術力もさることながら執念深さに驚く。技術力、根性ともどもノーベル賞ものではないか?
 ノーベル賞といえば、はやぶさ、あかつきが夢を追う宇宙の彼方から降ってくるニュートリノと、こちらは正反対に身近な土壌、ゴルフ場の土の中から採取した微生物にノーベル賞が光を与えてくれた。一方は宇宙の謎を解き明かし、一方は何億人という人々の命を救った。両先生(大村智、梶田隆章両氏)の素敵な人柄ともども、いくら称えても称えきれない。
 宇宙技術とともに日本人宇宙飛行士もたくさん生まれている。みんな立派な方々だ。近年のノーベル賞受賞者の急激な増加ともども、戦後一貫して地道に努力を積み重ねてきた成果が、今花開いてきたのあろう。 これらの分野では、日本はいよいよ地力を発揮していく時代を迎えたといえよう。

 身近なところでは、娘が主宰するオペラ創作集団ミャゴラトーリが、今年は四つのオペラを公演した。「小劇場演劇的オペラ」と「日本語セリフでつなぐ原語公演」という新しいジャンルを追求しつつ頑張っている。75歳になるワイフが属する合唱団「レジーナ11」は、4年ぶりの演奏会を開いた。30年の歴史を持つ合唱団だ。いずれも、継続することの意義を感じている。
 すべて来年もそれぞれの道を追求していくことだろう。

        
          三陸海岸北山崎の日の出(2010年9月10日撮影)


楽しかった「ジャンニ・スキッキ」 … ミャゴラトーリのオペラ公演

2015-07-30 10:59:27 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 ミャゴラトーリのオペラ公演「ジャンニ・スキッキ」が、好評のうちに終わった。今回はエルデ・オペラ管弦楽団との共催で、初めてのオーケストラ付きの公演。「ジャンニ・スキッキ」という格好の演目で華やかに、楽しく演じることができたと思う。気温35度という今夏最高の暑さの中を、400人を超える方々が観賞してくれた。
 何と言っても楽しい演出であった。相続争いというみにくい話を、しかも遺言状を改竄するというけしからん話を、それぞれの人間性を表現しながら底抜けに明るい楽しい話に仕上げた。大澤恒夫演出が冴えわたったのではないか。「とにかく面白かった!」…、ほとんどの人がそう言って帰って行った。
 考えてみれば不思議なオペラだ。相続争いで揉みあうごちゃごちゃ音楽が演じられている中に、突如、世にも美しいアリアが飛び出す。リヌッチョの歌う『フィレンツェは花咲く木のように』とか、ラウレッタが歌う『私のお父さん』など、何か唐突過ぎるような美しさである。しかも、サンタ・クローチェ広場やヴェッキオ橋、アルノ川など、フィレンツェの名所を謳い上げる。
 相続争いという日常どこにもありそうなドタバタ劇と、それにはまったくそぐわないともいえる夢みるような美しいメロディが、対照的に心に残る。これも作曲者プッチーニの仕掛けらしいが、そこに名作の所以があるのであろう。

 うれしいニュースも伝えられている。ミャゴラトーリオペラで歌い続け、今回もリヌッチョ役で美しいテノールを響かせた寺田宗永(通称テラッチ)君が、この度さわかみオペラ芸術振興財団の奨学金を得て、イタリアのボローニャに留学することになった。半年間の本場留学でたくさんたくさん学び、今後の日本オペラ界をリードしていく力を身に着けてきてほしいものである。

  
  リヌッチョ役の寺田宗永君とツィータ役の池田香織さん
        
         寺田君の留学を励ます支援会の方々


オペラ「ジャンニ・スキッキ」で暑気払いはいかが?

2015-07-17 11:39:58 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 娘のオペラ公演が続いている。
 4月、京王電鉄の後援を得て聖蹟桜ヶ丘のホールで「愛の妙薬」。5月は、昨年の「ラ・ボエーム」に続く岩田達宗演出第2弾の「カヴァレリア・ルスティカーナ」、6月は愛知県田原市の二つの小学校からのお招きで再び「愛の妙薬」、…そしてこの7月26日(日)、小金井市民交流センターでの「ジャンニ・スキッキ」。
 例によって手作り公演の準備に追われ、娘は「死ぬ思いだ」と言いながら猛暑の中を頑張っているが、この「ジャンニ・スキッキ」で今年の公演は早くも打ち上げ……。しかも今回は、エルデ・オペラ管弦楽団とのジョイント公演であるのでオ-ケストラ付き公演となり、その楽しみも加わる。

 この「ジャンニ・スキッキ」は、5月の「カヴァレリア・ルスティカーナ」と打って変わって楽しい喜劇。死んだ大富豪に成りすまして公証人に遺言を口述筆記させ、膨大な遺産をだまし取る話だ。
 富豪は、全遺産を修道院に寄付するよう遺言状にしたためいたが、それを知った親戚一同は、「何で坊主だけが肥え太るんだ」と悲しんでいる。そこに現れたのがジャンニ・スキッキ、知恵を働かせて遺言状の改竄に及ぶのだが、周囲の親戚一同を「遺言状の偽造の罪は、片腕切断の上フィレンツェ追放と重い。そうなりたくなかったら私に従い、一切他言は無用」と脅して、資産の大半を自分の名義としてだまし取る。
 面白いのは、このけしからん話の題材が、かのダンテの『神曲』地獄篇第30章であるということだ。だから、このオペラの「時と場所」は、1299年9月1日のフィレンツェとなっている。今から700年以上も前の話だ。大詩人ダンテは、『神曲』を書きながらも、遺産を神の世界をつかさどる人に与えるよりも、現世の人間に与えて楽しんでもらった方がいい、と考えたのかもしれない。
 猛暑が予想される時節、暑気払いには格好のオペラではないか? 大好きなアリア「私のお父さん」(ジャンニ・スキッキの娘ラウレッタが歌う)など、楽しみにしている。

   


   


投票ボタン

blogram投票ボタン