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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

改めて小林多喜二の生涯に感動 … 多喜二祭に参加して

2017-02-26 14:42:04 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 

  2月20日は小林多喜二の命日(正確に言えば官憲の手により殺された日)である。だからこの前後に各地で多喜二をしのぶ会「多喜二祭」が開かれる。21日の「第29回杉並・中野・渋谷多喜二祭」に参加した。多喜二の後輩にあたる小樽商科大学卒の佐々木憲昭氏(元日本共産党参議院議員)が、多喜二の実像に詳しくふれた素晴らしい講演を行った。

 多くの人は小林多喜二を共産党員作家と認識しているだろう。確かに彼は共産党員として官憲の手にかかり虐殺される。しかし彼の29年4か月という短い生涯の中にあってさえも、共産党員として生きたのはわずか1年4か月であった。佐々木氏の年表によれば、28歳を迎えた1931年10月に日本共産党に入党となっている。
 あの全国一斉共産党弾圧事件を描いた『一九二八年三月十五日』(28年8月完成)も、最近になってベストセラーとなった『蟹工船』(1929年3月完成)も、また『東倶知安行』や『不在地主』なども、すべて共産党員となる前の作品である。もちろん彼は、前衛芸術家同盟に参加し、日本プロレタリア作家同盟の中央委員に選ばれたりしているので、波はすでに共産党員に劣らない活動をしていたのであろうが。
 私は、多喜二は、自分を確固としてプロレタリアートの立場に置き、虐げられた人たちの目線を離れずも、一党一派に属さず広く一般人の中に身を置くことによって、人間の普遍的課題を追及しようとしたのではないかと思っている。そこに、『蟹工船』などが一世紀近い時空を超えて若者たちに読まれ、ベストセラーになった理由もあるのではないかと思っている。
 もちろん時代はそれを許さなかった。治安維持法が極刑を死刑とするまでに改悪され、1931年9月満州侵略戦争が開始されるまでに及び、多喜二はその10月、日本共産党に入党し戦争反対はじめ諸活動の先頭に立つ。それは当然のことながら死を覚悟してのことであったであろう。そしてその通り、官憲は、死を賭して戦争反対運動の先頭に立つ多喜二を生かしておくことはできなかったのである。1933年2月20日、スパイの手引きにより多喜二を逮捕した築地警察署は、わずか数時間の拷問により多喜二を抹殺したのである。

 考え方の違い、思想の相違を理由に人間を捕らえまた抹殺する…、この治安維持法という悪法の罪を日本人は未だ裁いていない。しかもそのような悪法により、小林多喜二のような崇高な文学の作り手、かけがえのない作家を抹殺した国家的罪を裁いていない。それどころか、今再びその道を歩もうとする動きさえある。
 折しも、シカゴ大学出版局が日本のプロレタリア文学の短編・評論40作品を英訳し、「尊厳、正義、そして革命のために」と題して『日本プロれtリア文学選集』を刊行したというニュースがある。多喜二の文学ほど、この「尊厳、正義、そして革命のために」という題にふさわしいものがあろうか。日本は、この選集を逆輸入しなければならない遅れをとっているのではないか?


孤と分断の時代の始まり … 1970年代のフォークソングが書き残したもの

2017-01-30 14:00:32 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

  一月も終わろうとしているが、正月番組としてどこかの民放が放映した「フォークソング・ベスト30」という番組が印象に残っている。30位のさだまさし『関白宣言』に始まり延々と歌い継がれたが、そのベスト3は以下の通り。
 一位『なごり雪』、二位『時代』、三位『神田川』…。そして私が断固一位に押す『木綿のハンカチーフ』が七位に入った。ベスト30に選ばれた歌はいずれも素晴らしい歌ばかりであったが、以上の四曲をもって、いわゆる「フォークソングの時代」は言い尽くされているのではないかと思っている。作られた年代は、『神田川』1973年、『なごり雪』1974年、『木綿のハンカチーフ』と『時代』がいずれも1975年である。
 60年安保、70年安保という政治の季節を終えて、若者たちは複雑な挫折感を抱えながら高度成長時代という経済の時代に移ってゆく。住み慣れた故郷を離れ、華やかで喧噪だが同時に孤独が同居する経済戦争の渦中に巻き込まれていった時代であった。

 「また春が来て君はきれいになった」(『なごり雪』)が、その彼女を残して列車に飛び乗り、みんな東京へ出ていく。残された彼女は、「都会の絵の具に染まらないで帰ってきて」(『木綿のハンカチーフ』)とひたすら願いながら彼を待つ。しかし彼は、日を追ってその絵の具に染まっていく。後ろめたさに「指輪を送ろう」とするが、彼女は、「星のダイヤも、海に眠る真珠も、きっとあなたのキッスほどきらめくものはない」と告げる。そしてついに「僕はもう帰れない」と告げる彼に、「さいごのわがまま、贈り物をねだるヮ」と、涙ふく木綿のハンカチーフを要求する…。何もいらないのである。彼が「草むらに寝転ぶ姿だけを待つ」ていたのだから。
 都会に集まる若者たちの生活は、夢と不安に満ちていた。三畳一間に同棲する二人は、「若かったあのころ何も怖くなかった」が、しかしその三畳の間には、「ただあなたの優しが怖かった」という不安も同居していたのである(『神田川』)。

 日本国民は、それぞれの町村にあって、大家族主義の下で自然とともに暮らしてきた。そしてこの1970年代に始まる高度経済成長の下で都市に集められ、「孤と分断」の時代を生きることになる。親子三代、四代が共同して生きる牧歌的生活に終わりを告げたのである。都会での孤の生活は、出会いと別れを繰り返す不安定なものであった。
 その中で中島みゆきは、『時代』を書いて希望だけは失うまいと歌った。「今日は別れた恋人たちは 生まれ変わってめぐり会うよ 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ」
 あれから半世紀近く経ったが、「孤と分断」の様相は増している。これらの歌が、戦後日本を代表する歌として今に残るゆえんであろう。

 


オペラ『泣いた赤鬼』 … 満席の観客、様々な評価の中で終わる

2017-01-18 21:10:35 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 

  ミャゴラトーリ本年最初の公演『泣いた赤鬼』は、去る9日、座・高円寺での2回の公演をいずれも満席で終えることができた。まさに老若男女、幅広い層の人々に来ていただいた。杉並区のNPO支援資金の援助も受けたこの公演は、一般公募の子供合唱団の出演も含め、それなりの任務を果たしたのではなかろうか。
 このオペラは、題材が浜田廣介の童話であるだけに、子供向けの児童劇ではないのか、という見方を含め観客動員もむつかしさを極めた。もちろん、その題材からして児童劇か本格オペラかはむつかしい評価を受けながらの公演であった。主宰した娘は、もちろん子供にも多く見てほしいが、同時に、大人に見てもらいたいというものであった。その大人たちは…、
 多くの人は、「悲しい物語に涙した…」、「大きな問題を投げかけられて、二次会で『鬼とは何なんだ?』、『人はなぜ鬼を作り出したのか?』、『あの後、赤鬼と青鬼は会えたか』などを何時間も話し合った」などの意見を寄せてくれた人も多い。
 一方で、「所詮、子供劇の枠を出なかったのではないか。ワークショップも余分ではなかったのか? どうせ子供劇とすれば『わらび座』などの方がもっと笑わせることもできる…」という感想もあった。
 むつかしい問題だろう。ただ、浜田廣介の原作を読む限り、それは、さびしい、悲しい物語で、子供言葉で書かれているが純文学としての大人の物語というしかない。とても「笑いを取る」ような物語ではない。まさにむつかしい。
 とりあえず、当日の舞台と観客の様子を、いくつかの掲げておく。

  
    
       

 
 終了後、赤鬼と語り合う観客
    
  ワークショップで「鬼って何だろう」と問いかける娘


今年を振り返る … 文化

2016-12-29 16:19:45 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 既述の通り、今年の投稿項目の顕著な変化は、旅と酒の、特に旅の投稿が激減して、、その代わりに文化とスポーツが多くを占めたということであった。特に文化は、全58件中13件を占め、ウェイトは時局雑感を除けばトップとなった。
 その内容は、圧倒的にオペラに関することが多く、つまり、娘の主宰するNPO法人ミャゴラトーリの活動紹介で占められている。前半は、8月に公演したベッリーニ作曲のオペラ『カプレーティとモンテッキ』の記事で、後半は、明けて1月9日に公演する松井和彦作曲『泣いた赤鬼』の紹介だ。
 この二つの物語は、オペラというより別の形で知られている。前者はシェイクスピアの演劇『ロミオとジュリエット』として、後者は浜田廣介童話の代表作として、いわば子供向けの話として。ところが、娘がこのオペラを取り上げた動機は、単なるメロドラマや子供向けの話ということではなく、その原作が奥深く問いかける戦争の愚かさや差別思想の恐ろしさという、人間の問題の根源に触れる内容がその中にあるからだ、ということであった。
 つまり、21世紀にいたってまだ人類が当面している戦争(新たなテロを含む)や差別問題(貧富の格差、難民問題など)を考えるとき、これらのオペラは、きわめて現代的課題を提起しているということだ。過去の一般的演劇や物語としてみるのではなく、現時点の課題に照らして見つめ直そうということだ。したがって娘は、『カプレーティとモンテッキ』を、大人たちの愚かな争いの中で苦悩するロメオとジュリエッタの戦争告発として描こうとし、『泣いた赤鬼』も大人向けの本格的オペラとして取り組んだようだ。その根底には、「大人のわかるものは子供もわかる。大人に差別の根源がどこにあるか見てほしい」という願いがあるようだ。
 私自身としても、この二つのオペラに接する中で、特に『浜田廣介童話集』を何度も読み直す中で、相当に勉強をさせられた。時あたかも「戦争前のめり安倍政権」の暴走が日々の政局を動かしているだけに、絶えることなき人間の愚かさを見せられているようで、うら悲しい思いを続けている。来年はどうなるのだろうか?


不易流行 … ノーベル賞授賞式の服装に思う

2016-12-14 09:34:44 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 職場でネクタイについて話題になった。30年前、某大手企業に入社した時、「スーツにネクタイ以外はダメ、靴下も紺か黒…」と厳しく言われたが、今や、「ネクタイなど〆ていて仕事ができるか!」と言われる時代になった、ということだ。世の中の変化は目まぐるしい。
 それに対し私は、「ラグビーやサッカーの監督はネクタイを締めている。あの戦いの場でネクタイを締め、立派に仕事をしているのではないか。何よりもあのネクタイ姿はカッコいい!」と述べておいた。
 近年の暮の話題の一つにノーベル賞にかかわる話題がある。日本人受賞者が続いていることもあるからだ。そして私は、あの授賞式に臨む受賞者の美しい姿に見惚れる。それを象徴するのはあのタキシード姿である。今年も大隅良典・東京工業大学名誉教授が医学生理学賞を受賞し、その受賞の様子がさまざまに報じられた。大隅氏のひげ面がタキシード姿に映えて、威厳をたたえなんとも美しかった。ネクタイ姿の勝利である。
 一方、ボブ・ディランの文学賞受賞が、その授賞式不参加も含めて話題となった。ボブ・ディランは、「受賞は大変な名誉。音楽は文学か? という問いに明快な答えを出してくれて嬉しい」とメッセージを送ったが、授賞式へは参加しなかった。氏の不参加の理由は、われわれ凡人にはわからぬ様々な理由があるのであろうが、その理由の一つに服装の事もあるのではないか? 彼は、授賞式に参加するとしてもタキシードはもとよりネクタイは締めないだろう。ボブ・ディランは、あのギターを弾きながら汗まみれで歌う姿でなければならない。しかし、スエーデン・科学アカデミーは、その姿での受賞を許さないであろう。
 世の中は絶え間なく移ろいゆく。ボブ・ディランはその先端を行ってるのかもしれない。またスエーデン・アカデミーは伝統と威厳を守り続けているのだろう。不易と流行……芭蕉の説いた俳諧の理念では、この両者は根本において一つであるとされている。

   
    12月11日付毎日新聞夕刊より


『浜田廣介童話集』を読んで③ … 『泣いた赤鬼』

2016-10-14 22:10:38 | 文化(音楽、絵画、映画)



 この『泣いた赤おに』が、「ひろすけ童話」の代表作とされている。何がこの作品をして代表作たらしめているのだろうか?

――村を外れた山かげに、赤鬼が一人で住んでいた。赤鬼は、人間たちと仲良くなりたくてしようがない。そこである日、家の戸口に立札を立てる。「ココロノ ヤサシイ オニノウチデス ドナタデモ オイデ クダサイ オイシイ オカシガ ゴザイマス オチャモワカシテ ゴザイマス」……しかし人間どもはすぐには来ない。赤鬼の家を遠巻きにし、様子をうかがい、「きみが、わるいな」、「さては、だまして、とって食うつもりじゃないかな」と疑う――

 人間の鬼に対する意識は、簡単には変わらない。「なんといったって、鬼は鬼だからな」という意識がある。娘は、ここに「差別問題の根源」があるのではないかと思い、このオペラにとり組んだと言っている。国と国、民族と民族、人間同士の間にこのような意識がある限り、差別はなくならないのではないか、というのだ。

――悩む赤鬼に、友達の青鬼が一策を提案する。「僕が人間の村で暴れてやる。君はそれをとり押さえろ。人間は君をいい鬼だと信じるだろう」。赤鬼はそれを止めるが、「なにかひとつの めぼしいことをやりとげるには だれかが ぎせいにならなくちゃ できないさ」と、ことはそのように運んで、人間たちは毎日赤鬼の家に来るようになる。赤鬼は喜びの日々を送るが、それ以来、青鬼がいなくなったことに気づく。家を訪ねると、戸口に、「ボクガ キミトツキアウト ニンゲンガ キミヲウタガウカモシレナイ ボクハ ナガイ ナガイ タビニデル」とはり紙がある。赤鬼は、何度も読み返し、涙を流し、泣き伏す――

 物語はここで終る。赤鬼は念願の人間との付き合いを得るが、青鬼との貴重な友情を失ったのである。立松和平氏が、巻末のエッセイで二つのことを提起している。一つは、鬼が鬼として人間と付き合うには、「鬼の悪」を示す青おにの犠牲を要する。二つには、この物語の示すことは、底抜けに善良なのは二人の鬼で、ただお茶を飲みお菓子を食べにくる人間のどこが善良と言えるのだろうか、と書いている。鋭い指摘である。
 いずれにせよ、人間が持つ「鬼は鬼だから…」という差別意識が消えたのかどうかは分からない。また、「青鬼はいったいどうなったのだろうか?」、「赤鬼はその後、どうしたのだろうか?」という『つづき』が気になる。まだまだ、たくさんの課題を残す作品であり、それが名作なるゆえんかもしれない。

  
  ミャゴラトーリオペラ公演のチラシ


『浜田廣介童話集』を読んで② … 心に残った『砂山の松』

2016-10-12 16:49:35 | 文化(音楽、絵画、映画)



 いずれの作品にも感動したが、中でも『砂山の松』は心に残った。

 神は二つの種をまき、ひとつは鳥のいすかになり、もう一つは人で木こりになった。そして神は告げる。「どんなことがあっても、けっして、ひとをうらむなよ。けっして、じぶんをすてるなよ。もう一つ、どんなものでも、じぶんのものとなったら、たった一つは、あとにのこしておくがいい」と。
 いすかは砂山の松林に住みつき、松のみを食べながら生きる。その松林は木こりの持ちもので、貧しくなった木こりは、売りに出すため次々と松を切る。最後の一本も売る必要があったが、そこにとまっているいすかを不憫に思い、一本だけを残す。年を経て、やがて死期を迎えたいすかは、食べ続けた松のみの一つを、小山の上の砂に埋めて死んでいく。
 また何年かたって…、三匹のツバメが嵐の海を渡ってきた。岩に降り立つが波しぶきに濡れて休まらない。「どこか休むところがないか」とさがし、ようやく見つけたのが砂山の高いところに立つ一本の松であった。

 「どんなものでも、じぶんのものとなったら、たった一つは、あとにのこしておくがいい」
 このお告げは、人間社会、特に現代社会を痛烈に指弾しているのではないか? 人類は、進歩の名のもとに自然環境を破壊し続け、資源を食いつくしてきた。利潤第一主義をモットーとする資本主義社会は、利益のためには最後の一粒まで食いつくす。「たった一つ」でも「あとにのこす」ことはない。残せば、それは競争相手に食べられ、競争に負けるからだ。
 この作品は、百年近くも前に書かれたものであるが、浜田廣介は、すでに現代社会の行き着く先を見抜いていたのであろうか? 少なくとも、浜田は、「一つはあとにのこす」という哲学を、子供の心に植えつけておく必要があると思ったのであろう。
 この点だけ見ても、浜田が、童話を、万人に向けた高い水準の文学に引き上げたことが分かる


『浜田廣介童話集』を読んで … 人間愛を追求した高い文学性に感動

2016-10-10 13:56:45 | 文化(音楽、絵画、映画)



 なぜこの童話集を読むことになったかといえば、娘が、代表作の一つ「泣いた赤鬼」のオペラ公演にとり組んでいるからだ。この有名な童話については聞いてはいたが深くは知らず、また浜田廣介自体を読んだこともなかったので、娘の部屋から持ち出したのだ。
 ところが、読むうちにグイグイと引き込まれ、結果的には、時を忘れて実に贅沢な読み方をした。つまり、収められた20題を読み終えたのち、末尾の浜田留美氏(廣介の息女)の「編者解説」を読みながら、そこに出てくる題名ごとにページを戻って一つ一つ丹念に読み返した。全20作品を2,3度読み返すこととなったのだ。
 いろいろなジャンルがあるが、その一つに母子(おやこ)の愛をテーマにしたものがある。掲載順に掲げれば、「むく鳥のゆめ」、「よぶこどり」、「アラスカのお母さん」、「町にきたばくの話」、「いもむすめ」などである。そこには、どうしようもなく引き裂かれた母と子の、その母が失った子を慕い続ける、また子が母を求め続ける愛の姿が書き綴られている。
 中でも「むく鳥のゆめ」の、父さん鳥と住むむく鳥の子が、母が帰ってくることを信じ切って夜毎待つすがた、「お母さんはいつ帰ってくるの?」ときかれた父さん鳥の淋しい目つきともども、その仕草のすべてがあまりにも悲しい。また「よぶこどり」は、拾った卵を抱え続け、生まれた雛を自分の子供と信じて育てた栗鼠(りす)が、やがて飛び立った小鳥の帰りを待ち続ける。ついに自ら鳥になって後を追う。その声が森にこだまし続ける姿は,これまた悲しく、切ない。
 前掲「編者解説」によれば、廣介は中学生のころ両親の離婚に遭遇している。引用すると「廣介が米沢中学に入学して寄宿中のある日、帰省したところ、母が弟妹三人を連れていなくなっていた。長男の廣介は残され、父は母に会うことを禁じたのである。廣介は、家では父と二人きりの寂しい暮らしとなった」(211頁)とある。編者も書いている通り、前出の作品群の背景には、このような事情があったのである。
 いずれにせよ『ひろすけ童話』は、単なる童話の域をはるかに超える。人間愛を追求した高い文学性に充ちている。

   


絶賛! オペラ「カプレーティとモンテッキ」

2016-08-07 16:13:37 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 娘とミャゴラトーリの面々が心血を注いで取り組んできたオペラ「カプレーティとモンテッキ」が、好評を得て終わった。二日とも満席となり、少なくとも私の周囲の人たちは絶賛してくれた。
 私は、この聞きなれない題名のオペラが、いわゆる「ロミオとジュリエット」の物語であるが、シェイクスピアの悲恋物語と全くちがう戦争の話だということを多くに人に語り宣伝してきた。そして観賞してくれた人たちが私に語ったのは、「お前の説明より何十倍も素晴らしかった。やはり見なければわからない、ということがよく分かった」という言葉であった。これは嬉しかった。私は、オペラを見たことがない、という人に「並のオペラではないのだ。騙されたと思って一度見てくれ」と言い続けてきたから…。

 戦争の空しさ、殺しあう人の世の空しさ…、このメッセージは十二分に伝わったと思う。その大半は岩田達宗演出のすさまじさにあったようだ。その演出力で、実力派歌手たちが、その能力の限界以上のものを引き出されて、通常の水準をはるかに超える舞台が生み出されるのであろう。

 両家の争いで、人々は次々に死んでいく。いや、全ての人が死に絶え、黒いヴェールをかむり灯篭を携え、星になっていく。生き残ったのは、戦争の張本人、カプレーティ家の家長カペッリオ(ジュリエッタの父)だけだ。彼が、墓場に横たわるロメオとジュリエッタを見て、「誰が二人を殺したんだ」と叫ぶと、かつての部下で今やヴェールをかむり灯篭を携えた亡霊たちが、「殺したのはお前だ! 人間ども!」と叫び詰め寄る。
 ここで物語は終わる。暗転したあと舞台上にジュリエッタがすっくと立つ姿を映してオペラは終わる。そういえば、ジュリエッタが死ぬ場面は描かれていない。そしてもう一人、重要な役を演じるロレンツォの生死も描かれていない。もしかしたら二人は生きたのかもしれない。少なくともジュリエッタは、「お前は生き抜け!」というロメオの最後の言葉を頼りに生きたのではないか? そして、二人を生かすすために周囲と闘い続けたロレンツォも、また新たな役どころを求めて生きたに違いない。そう見るのは甘いのかもしれないが…。

 以下、初日のゲネプロの舞台の写真をいくつか。

        
 
           
  
  


オペラ『カプレーティとモンテッキ』の公演(8月5,6日)迫る

2016-07-27 16:34:03 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

  ミャゴラトーリのオペラ公演『カプレーティとモンテッキ』が、8月5日(19時)と6日(15時)と迫ってきた。開演に合わせ、練習も佳境に入ったようである。ミャゴラトーリは、岩田達宗(演出)、柴田真郁(指揮)両氏の支援を受け、小劇場演劇的オペラという新しいジャンルに取り組んできた。一昨年の『ラ・ボエーム』、昨年の『カヴァレリア・ルスティカーナ』に続く第3弾が、この『カプレーティとモンテッキ』である。
 常に独自の解釈による演出で、オペラ界の鬼才と呼ばれている岩田氏の演出は、今年も冴えわたって、熱い練習会場は一層の熱気に包まれているようだ。大量の舞台道具を抱えて毎晩深夜に帰宅してくる娘は、疲れ果てているようであるが、同時に新たなエネルギーを受けているようで、そのエネルギーが生み出す練習成果に目を輝かせている。
 カプレーティ家とモンテッキ家の争いで、多くの人たちが死んでいく…。その中で、若いロメオとジュリエッタも「戦争はイヤだ!」と叫び、苦しみ続けながら死に向かう…。単なる悲恋物語ではないこの戦争の物語を、鬼才岩田氏はどのように演出するのであろうか?
 以下、その練習風景のいくつかを。 (写真は熊谷香保里さん提供)

   

 左が初日、右が2日目のロメオとジュリエッタ。作曲者のベッリーニは、ロメオ役をメゾソプラノと指定しているので当然女性。しかし今度は、初日公演でこの役をテノールの寺田宗永が演じる。正に禁を破った演出である。2日目は原作通りメゾソプラノの森山京子が演じるので、これは双方を観る必要があろう。ジュリエッタは、初日高橋絵理、2日目平野雅代とこれまた実力派である。

         
         初日ジュリエッタ役の高橋絵理

           
       指揮 柴田真郁            演出 岩田達宗

                             

           

  


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