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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の舞台

2015-06-29 15:47:20 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 ミャゴラトーリ制作、岩田達宗演出の「カヴァレリア・ルスティカーナ」公演(5月30日、牛込箪笥区民ホール)を終えて一か月になるが、ようやく出来合上がったビデオを見て、改めてその迫力ある演奏に感動した。岩田氏の斬新な解釈による演出と、それに応えた出演者たちの演技と歌唱力は素晴らしかった。
 何よりも、小劇場演劇的オペラという趣旨を生かした、観衆を巻き込んだ舞台づくりは圧巻であった。牛込箪笥ホールはわずか300名の客席しか持たないが、その最前列部分の平坦部はすべて椅子を取り払い、そこを主要舞台とした。ピアノ演奏がされた本舞台と、2段舞台となるが、ほとんどの演技はその平坦部で行われ、しかもその周囲も客席が取り囲み、舞台はギリシャ・ローマの円形劇場を思わせるものがあった。

   
 
       

 驚いたのは、その平坦舞台を取り囲む観客の中に合唱隊の一部が配置されており、最初の合唱でそれらの人たちが立ち上がり歌い始めたことにより、一気に観客をオペラの中に引きこんだ。残る合唱隊員は観客席の最後部に配置されていたので、全ての観客は最初の合唱で包み込まれたのである。小劇場という特性を、見事な演劇的手法で生かしたと言えよう。
 とらえようによっては、どうしようもない男が人妻に手を出して、挙句の果てに決闘となり殺されたという、単なる色恋沙汰になりかねない話を、関わる3人の女性の「女の物語」に仕上げた岩田演出は、上述の舞台回しとあいまって強い感動を与えた。
 先ずは、歌手たちの熱唱場面のいくつかを並べておく。

 
    サントゥッツァ(ソプラノ並河寿美)
       
         トゥリッドゥ(テノール青柳素晴)
            
             アルフィオ(バリトン大沼徹)
 
  
    ロ-ラ(メゾソプラノ 向野由美子)                      
         
          ルチア(メゾソプラノ巖淵真理)
  
           


岩田達宗オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」好評裡に終る

2015-06-01 13:35:37 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 娘が心血を注いで取り組んできたオペラ公演が、ようやく、しかも好評を得て終わった。昨年の「ボエーム」に続く岩田達宗氏演出の「小劇場演劇的オペラ」の第2弾で、娘とそのスタッフ(オペラ普及団体ミャゴラトーリ)は、文字通り心血を注ぎ込んで取り組んできた。その姿を日夜見てきた私は、果たしてオペラは出来上がるのだろうか?…と不安を抱く日々が続いた。
 財力のないミャゴラトーリとしては、制作趣旨に賛同してくれる出演者のキャスティング交渉から、舞台衣装や大道具小道具作りまで、全て手仕事だ。我が家の駐車場は、使用する大小さまざまな十字架を作る作業場と化していた。昼間は道具類を造り、夜は練習に出かけていた。しかもその練習場も、費用の関係から転々と場所が変わる。娘は毎夜、疲れ果てて深夜に帰ってきた。

 しかし、その公演は見事に成功したのではないか!? わずか300席未満の牛込箪笥ホールではあるが、舞台、客席、通路を目いっぱいに使った演出は、出演者と観客が文字通り一体となった「小劇場演劇的オペラ」の真髄を見せつけたのではないか? 
 並河寿美(サントゥッツァ)、青柳素晴(トゥリッドゥ)、大沼徹(アルフィオ)ほかソリストたちの抜群の歌唱力は観客を魅了した。日本一の歌手たち、と言っていいのではないか。また舞台から客席後部まで広がった30人の合唱隊も素晴らしかった。娘が一人ひとりお願いして集めた合唱隊だ。うちプロは4人というからアマチュア合唱隊と言っていいほどであるが、私はその素晴らしさに感動した。恐らく岩田氏のカリスマ性がその素晴らしい統一力とハーモニーを引き出したのであろう。
 終わった後、会場を埋め尽くした観客の拍手は鳴り止まなかった。私もずいぶんたくさんの公演を見てきたが、久しく経験しなかったほど強く、長くつづく拍手であった。
 娘の努力は報われたのであろう。私は専門家ではないので分からないが、オペラ史に新しいジャンルを切り開きつつあるのではないか?
 

    
  いつもながら素敵な Mariさん原画、太田さんデザインのチラシ


海に生きる人々 … 映画『赤浜ロックンロール』を観て

2015-05-09 16:14:15 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 東日本大震災から立ち上がろうとする、岩手県大槌町赤浜の人々を追ったドキュメンタリー映画を観てきた。小西晴子監督作品の『赤浜ロックンロール』という映画だ。
 2011年3月11日、最大22メートルの高さで襲った津波は、町の85%を奪い去り、1280余人の死者・不明者を出した。国と県は、その復興策として、高さ14.5メートルの巨大な防潮堤で海岸線を囲う案を提示するが、赤浜の漁師たちは、この案をキッパリと拒絶する。理由は一言、

 「海が見えねじゃねえか! バカヤロー」

彼らは続けて言う。

 「海が見えねえで、どうやって海から身を守るんだ!」
 「人間の作ったものは壊れる。防潮堤には頼らねえ」
 「自然と闘えるのは、人間の知識と知恵しかねえ」

 14.5メートルといえばビル5階の高さ、それで海岸をふさがれたのでは海は全く見えない。彼らは、そうではなく、毎日海と向き合いながら、経験と知識と人間の叡智をもって海とともに生きる道を選んだのである。
 この地は背後に豊かな森をかかえ、そこで育まれる良水が人々の生活を支えるだけでなく、その水は海中に湧き出て、牡蠣、ほや、わかめなど海の幸を育てる。山も森も海も、一体となって豊かな自然を育んでいるのである。その中に生きる人々にとって、その自然を遮る人工物は考えられない異物でしかないのであろう。
 舟べりに引き上げられる豊かに生育したわかめを見ながら、漁師はつぶやく、

 「良く育った。海はよみがえった。海を汚すのは自然ではなく人間だけだ」

 この漁師は津波のことを聞かれて、「おっかなかった」と本当に怖そうに語ったが、それでもなお、「あの津波も、人が汚した海をきれいに洗い流してくれて、再びこんなにきれいな海に育ててくれた」と言っているかに見えた。
 海とともに生きるということが、どんなことであるかを教えてくれる映画であった。

    


オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」について

2015-02-11 18:04:33 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 ビデオであるが「カヴァレリア・ルスティカーナ」を観た。何故かと言えば、娘のオペラ創作集団「ミャゴラトーリ」が、これを公演することになったからだ。
 娘たちは昨年、小劇場演劇的オペラとして「ラ・ボエーム」を公演し、クラシック専門誌『MOSTLY・CLASSIC』の「副編集長の選ぶ今年の催しベスト5」の2位に選ばれるなど好評を得た。それは、オペラ界の鬼才と呼ばれる岩田達宗氏の演出を頂いたことによるが、その岩田氏から「今年も何かやろう」と言うお声がかりを頂いて、急遽とり組むことになったのだ。5月30日(土)、牛込箪笥ホールで上演する。

 1時間もののこの物語は、そこらあたりにたくさんある三角関係の色恋沙汰に見える。舞台となるシチリアなどでは日常的にありそうな物語だ。
 美しい女ローラはトゥリッドゥの恋人であったが、ローラは彼の兵役中に馬車屋のアルフィオと結婚してしまった。除隊後帰郷したトゥリッドゥは、ローラを忘れるべく村娘のサントゥッツァ(サンタ)と婚約したが、留守がちなアルフィオの目を盗んでローラと逢引を重ねる仲に戻る。それを知ったサンタは怒りのあまりそのことをアルフィオに告げる。アルフィオは復讐を誓い、観念したトゥリッドゥは決闘を申し込んでアルフィオに殺される。これだけ聞けば普通の物語だ。
 しかし、シーリアスな場面がいくつかある。サンタは既にトゥリッドゥの子を宿していた。結婚前、つまり神の許しを得てない妊婦は神の館、つまり教会にも入れない。教会の入り口の手すりに触れながら悩み苦しむ中を、トゥリッドゥとローらは教会に入っていく。サンタのアルフィオに対する“激情のつげ口”を招く場面だ。
 彼女はこのつげ口を後悔して苦しむ。そしてそれは神の怒りに触れたのか、愛するトゥリッドゥを死に導く。しかし、キリスト教の社会にあって教会に行けないということはその村には住めないということではないか? その苦しみはいかばかりかと思う。
 あの美しい間奏曲の後、死を覚悟したトゥリッドゥは、母ルチアに「私が死んだらサンタを頼む」と歌ってアルフィオとの決闘に赴く。美しいローラに惹かれながらも、最後に思いを賭けたのはサンタであった。そこには、教会へも行けないサンタへの救いが歌われているのだろうか?
 それぞれの登場人物の心のひだを、鬼才岩田達宗氏はどのように表現するのだろうか? 楽しみだ。


恒例の「高田エージ・クリスマスコンサート」

2014-12-24 14:31:47 | 文化(音楽、絵画、映画)


 吉祥寺の『曼荼羅』で毎年12月23日に開かれるこのコンサートに、もう10年近く通っている。息子夫妻がギターとピアノで出演すこともあるが、高田エージさんの不思議な魅力にひかれての要因が大きい。
 毎年ほぼ同じ歌を歌っている。そのマンネリズムがたまらなくいいのだ。このブログにも数回書いたが(2008. 1.13と12.27付、2010.12.25付、2012.12.31付など)、読み返すとほとんど同じことを書いている。中でも「そのままでいいよ」と「永遠だったらいいなあ」の2曲が好きで、とくに最後に「永遠…」を歌うと安心して家路につける。マンネリズムの力というしかない。

 今回エージさんが専ら話題にしたのが、大橋恵(ピアノ、息子の嫁)の懐妊のことだ。妊娠5か月で大きくなったお腹をかかえて弾くピアノを、エージさんは、「何か違うなあ…」、「音がやさしい…」、「一人ではなく二人で弾いてるんだなあ…」などと、曲の合間に何度も語った。そして息子に向って、「首藤君、…人生だなあ。君はこの間、大学に入り、卒業し、結婚してパパになろうとしている…、人生だなあ…」と、これも何度も語った。
 高田エージさんは、同じ歌を歌い続けながら、それに人生の変化を重ね合わせている。マンネリズムと言ったのは失礼になるかもしれない。しかし変化を見ながら、「そのままでいいよ」と言い続ける。なにもしないそのままが一番美しいことを知っているのだ。偉大なマンネリズム、と言うべきか。

 
 左から、ボーカル高田エージ、ピアノ大橋恵、ギター首藤潤
             
       
                

 
 演奏後「恵チャンの安産を願って」と声を合わせるメンバー


ミャゴラトーリに朗報相次ぐ

2014-12-21 15:31:00 | 文化(音楽、絵画、映画)


 娘の主宰するオペラ普及団体ミャゴラトーリに、うれしいニュースが二つ続いた。
 一つは、『MOSTLY・CLASSIC』というクラシック音楽雑誌の「2014年回顧」という番組で、「副編集長の選ぶ今年の催しベスト5」に、7月に座・高円寺で公演した『ラ・ボエーム』が2位に選ばれたことだ。オペラ界の鬼才岩田達宗氏の演出を得て、娘をはじめミャゴメンバーが心血を注いで取り組んだ公演であっただけに、その喜びは一入だ。
 なにせ金のない団体で、演出家はじめ指揮者(柴田真郁氏)、ピアノ(古藤田みゆきさん)ほか歌手たちにも満足な出演料も払えない中、「小劇場演劇的オペラ」という新しい試みと趣旨に賛同してくれた人たちが、猛暑の中を真剣にとり組んでいた様を見てきた私にとっても、涙の出るほどうれしいニュースであった。
 しかも、1位が「サイトウキネン・フェスティバル松本」で、3位が「大野和士リヨン管弦楽団演奏会」であるので、「名も知れない小団体が小澤征爾と大野和士の間に入った」と大喜びをしたわけだ。選者の批評も、「柴田の『ボエーム』で久々にオペラで泣かされた」とあり、規模とか資力ではなく、思い、理念を真剣に貫き通せば意は通じるのだろう。

 もう一つは、自治労共済本部の取材を受けて、機関誌『きょうさい通信』にミャゴラトーリの活動が見開き2ページにわたって取り上げられたことだ。こちらは、「子供を含め初めての人に本物のオペラを」という理念に沿って「日本語セリフでつなぐ原語公演」という形式を続けているが、その趣旨と活動を大変いい記事で紹介してくれた。
 この形式による公演は、来年既に二つが予定されており、自治労の方々にこの記事を読んでいただき、一人でも二人でも関心を持っていただければと願っている。
 


柳家小三治の会に行ってきました

2014-11-05 11:11:38 | 文化(音楽、絵画、映画)


 文化の秋に相応しく落語の会に出向いた。府中の森芸術劇場の「錦秋柳家小三治の会」で、昨年から続けている娘との「日本の古典芸能に触れよう」計画の一環だ。
 小三治も落語協会会長を降りて顧問となり、同時に人間国宝の指定も受けたようで、だんだん先が短くなり、いつ「落語などやめた」と言い出すかわからない雰囲気もあるので,機会があれば聴いておこうと思っている。隣り町のような府中でやるというので娘と出かけた。
 若手の入船亭小辰に始まり、今年真打に昇進した桂やまと、古今亭志ん好、上方からの桂吉坊と続き、トリが柳家小三治の『百川(ももかわ)』であった。ただ、何と言っても前の若手と小三治の差が大きすぎる。比較する方が悪いのかもしれないが、間の取り方、絶妙な口調…、全てにおいて別ものという感があった。(他の4人がヘタというわけでは決してないので念のため)
 小三治75歳…、いよいよ枯淡の境地に入ってきたと言えるのであろう。

             

    


上条恒彦コンサートで戦後史を振り返る

2014-10-15 12:31:40 | 文化(音楽、絵画、映画)


 一昨日、神宮外苑の日本青年館で上条恒彦コンサートが開かれた。今回取り壊されることとなった日本青年館を惜しんでのコンサートである。
 日本青年館は1925(大正14)年に日本青年団のために建てられたという。その後1979(昭和54)年に改築され、地上9階、地下3階の堂々たる2代目青年館となった。ホテル、結構式場、ホールなど総合的な催し場で、私も何回この会館に通ったことか数えきれない。
 この度、隣接する国立競技場の2020オリンピックに備える拡張で、その周辺用地となるため90年の歴史を閉じる。南寄りの地に再建される計画ということであるが、詳細は未定のようだ。だからこのコンサートのテーマは、
 「90年間のご愛顧に感謝をこめて…
  二代目日本青年館に感謝し三代目を待ち望む」
となっていた。

 それはさておき、上条恒彦の歌う歌は懐かしかった。老齢(74歳?)の所為か風邪の所為か喉を痛めていたようだが、相変わらず重量感のある声で、わが青春期から壮年期を辿ってくれた。「いぬふぐり」に始まり「さとうきび畑」や、あの「木枯らし紋次郎」や「たびだち(出発)の歌」など……
 一貫して反戦、平和、民衆の歌を歌い続けた上条恒彦に敬意をささげる。日本青年館の歴史を偲ぶ意味からしても、最適の歌手のコンサートであったであろう。
 


LED開発でノーベル物理学賞受賞の快挙 … 赤崎、天野、中村の3氏

2014-10-08 15:31:44 | 文化(音楽、絵画、映画)


 実用的な青色発光ダイオード(LED)の開発で、日本の物理学者3氏がノーベル賞を受賞した。赤崎勇名城大教授(85歳)と天野浩名古屋大教授はその開発の面で、中村修二米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授はその実用化が評価され、3人同時の受賞となったようだ。
 トーマス・エディソンの白熱電球の開発・実用化により世界は日常生活に光を得たが、それから百数十年、人類は「白色電球よりはるかに消費電力が少なく、耐久性も高く、また環境破壊を及ぼすことの少ない白色照明」を得ることができたのである。
 正に光の革命であり、電球だけでなくあらゆる電気機器のディスプレーや交通信号など広く生活分野に使用されてきている。世界の白色照明は、すべてLEDに切り替わっていくだろう。その先鞭を日本人がつけたことを誇らしく思う。しかも、一昨年の山中教授の研究結果と同様に、日常生活に直結した恵みを与えてくれたことをうれしく思う。

 それにしても、その研究態度、すさまじい探究心には頭が下がる。青色ダイオードの開発は不可能と、多くの研究者が次々とやめていく中で、ひたすら続けた研究の結果であったようだ。赤崎教授は、「ひとり荒野を行く感じだった」、「やめていく人もいたが、ちっともそういうことは考えなかった。ただ自分がやりたいことをやってきた」と述懐している。また天野教授は「実験で3000回は失敗した」と振り返っている。それでも諦めなかったのだ。
 ノーベル賞という賞が、単なる天才とか幸運とかによって与えられるものでないことだけは確かなようだ。


みんな楽しんでくれたミャゴラトーリ支援者の会

2014-09-24 21:07:52 | 文化(音楽、絵画、映画)


 昨日、目白のレストラン『マックスキャロット』で、恒例の「ミャゴラトーリ支援者の集い」を開催した。今回は、7月に受けたNPO法人認証の祝賀会も兼ねて大変盛り上がった楽しい会となった。
 何よりも集まってくれた支援者や関係者が、ミュゴラトーリの成長を喜んでくれ、将来を期待して祝福してくれたことがうれしい。出演の歌手たちは熱唱してくれたし、参加者の皆さんは心温まる励ましの言葉を与えてくれた。
 先ずは歌手たちの熱演と会場風景のいくつかを。

  
  薮内俊弥(バリトン)と里中トヨコ(ソプラノ)
      
      バスバリトンの大澤恒夫
   
        テノール青柳基晴

    
            
 『ラ・ボエーム』のチラシを手掛けてくれたお二人も駆けつけてくれた。
 (上)朝倉真理さん(イラストレーター)、(下)太田公士さん(デザイナー)。

                
   
    みんなお目当ての歌手と懇談して記念撮影

  


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