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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「レット・イット・ビー」(ビートルズ)、「そのままでいいよ」(高田エージ)…

2019-01-11 15:20:13 | 文化(音楽、絵画、映画)


 前回、今年最初の投稿を「無為に過ごす」と題して書いた。しかし、これは大変なテーマである。。つきつめれば、老子・荘子の教えだ。中国哲学の中でも高位に位置する哲学で、とても私など俗人が身に着け得る境地ではない。
 老子や荘子は、特に無為と言う言葉を使ってむつかしい説明をしているのではなく、「『空っぽ』の大切さ」(老子)とか、「『あるがまま』ということ」、「『役に立たない』ことの意味」(いずれも荘子)などと、身近な出来事を例にとりながら「人の生き方」を説明している。そしてその共通するところが「無為」ということになるらしい。
 辞書などによれば、無為とは、「自然のままに任せて」とか、「手を加えないこと」、「作為のないこと」などとなっている。とすれば、前回の私の投稿などは、正月三が日何もしなかったことの弁明に過ぎず、自己弁護のため「手を加えた」という「作為」が見え見えで、全く「自然のまま」とは言えない。


 嘆かわしい自分を見つめなおしていると、『レット・イット・ビー』という歌を思い出した。あるがままに、とでも訳すのだろうか? 「素直に生きなさい」と言う邦訳がある。まさに、老荘哲学そのものではないか?
 また、暮れの投稿にも掲げた高田エージの『そのままでいいよ』という歌も思い出した。「そのままでいいよ、そのままのお前が一番いい……」という歌で、『永遠だったらいいなあ』と並ぶ高田のヒット曲だ。
 『レット・イット・ビー』も『そのままでいいよ』も、それこそ永遠に歌い継がれるのではないか? ビートルズも高田エージも、音楽という芸を極めていく中で、一つの無為の境地に到達したのかもしれない。

 (注)『そのままでいいよ』については、2008.12.27と、2010.12.23の投稿をご参照。
 


好評だったライブハウスオペラ『ドン・パスクアーレ』(ミャゴラトーリ制作)

2018-05-18 17:07:30 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 オペラ普及団体ミャゴラトーリの企画制作になる「ライブハウスオペラ『ドン・パスクアーレ』」が、今月上旬、四日間(556910日)にわたって吉祥寺の「スターパインズカフェ」で公演された。
 ライブハウスでの本格的オペラ公演は、わが国では初めてではないかと思われるが、わずか100人の観客を前に、客席通路まで舞台とした公演は、新たな迫力を生み好評であった。
 このオペラは、一般的には「老人をたぶらかして財産をかすめ取る、老人いじめ物語」とされてきたが、「騙されたとはいえ、年寄りも恋もできるし、新しい生き方を求めることもできるのだ!」という新たな解釈(いや、これこそ最晩年のドニゼッティの真の思いではなかったか?)に基づく演出は、スマホなどの現代的な小道具などを含め観衆に寄り添った。そしてそれは、「スマホを捨てて街に出よう!」という最後の大合唱に繋がった。

 私の友人の一人は、「世のなか暗いニュースばかりで、私自身も夫を亡くし暗い生活を送っていたが、全てが消えて、パッと明るくなった感じ!」と評してくれた。また義妹がお連れしてくれたスイスの音楽家(オペラの指揮もやっている)は、「ミャゴラトーリの企画に感心した。何よりも出演歌手たちの質の高い力量に驚いた」と絶賛してくれた。
 ライブハウスオペラ、というジャンルがあるのかどうか私は知らない。しかし、何か新しい動きが、吉祥寺で産声を上げたのではないか? 車中も歩行中もスマホを手放せない世界、金銭や物欲に追われるせせこましい世界を捨てて、薫風かおる5月の街に出ようではないか!

 
   出演者とともに

      
      絶賛してくれたスイスの音楽家(右)と義妹
       

 

  

 

 


多喜二祭(杉並・中野・渋谷、第30回)に参加して

2018-02-14 15:11:05 | 文化(音楽、絵画、映画)


 昨年に引き続き、今年も多喜二祭に参加した。近年の日本の情勢が、多喜二の再来を求めているのだろうか? 今回は、杉並ゼロホールに1200名が参加するという盛況で、30回記念ということもあってか、弁士も多く、作品(『当生活者』の朗読やバス歌手の歌曲の時間もあり、盛りだくさんの日程であった。もっとも、この歌手は老齢でもあり、もう一つ迫力に欠け、私にとっては頂けなかったが。
 記念講演は、小林多喜二の在学した小樽商大教授の荻野富士夫氏。多喜二の一般的な評価「典型的な、理想的な左翼の闘士」(大矢壮一の評言)とは異なる、日常的、人間的多喜二像の紹介などを含め、参考になることも多々あった。ただ、時間の割に盛りだくさんの内容で、もう一つこなしきれなかった感を免れない。
 その点、副題に掲げた「小林多喜二の生きた時代と現代」というテーマに相応しい内容で、現代の課題に適格に応えた話は、香山リカ氏のミニ講演「多喜二と私と若者と」と、小池晃氏の「連帯の挨拶」の二つであった。
 香山氏は、「多喜二の時代は、一般国民は言いたいことも言えなかった。今は何でも言えるいい時代になったのに、みんな周囲の多数意見の陰に隠れて自分の主張をしない風潮がある。昨年はやった忖度(そんたく)などはその典型だ。これはいけない。これでは、命を懸けて戦争反対を主張して殺された多喜二に申し訳ない。もっともっと声を出そう」と呼びかけた。
 小池氏は、「多喜二の時代と現代の決定的な違いは、一つは日本共産党が公然と活動しているばかりか、国会や各地の議会に多くの議席を占めて、その見解を主張していること、もう一つは、多喜二が命を懸けて追及した、反権力の民主勢力の統一戦線が結成されようとしていることだ。多喜二が今生きていたら、この情勢をどのように生き生きと小説に書き、社会変革の活動に邁進したことだろうか?」と、話しかけた。
 いずれも、多喜二が追求し続けた社会の民主的変革とそれを生み出す統一戦線の結成は、多喜二の死後85年の時空を超えて実現しつつある、今こそ「多喜二のように生きよう」と、変革に踏み出すことを呼びかけた講演であった。


愉しかった、ミャゴラトーリ支援者の会(第6回)

2018-02-04 16:40:35 | 文化(音楽、絵画、映画)


 オペラ普及団体ミャゴラトーリの支援者の集いも、早くも第6回を迎えた。年1回開いているので、活動を始めて6年目になるのだ。昨日2月3日(土)、広尾の「南麻布セントレホール」に、40名をこえる方々のご参集を頂き、実に楽しい会を持たせていただいた。恒例により、オペラ歌手3人による約1時間のミニコンサートに続き、その歌手たちも交えて、おいしいお酒を飲みながら歓談するというものであったが、ご参加者も含め、肩の力の抜けた集まりになってきた、という感じを受けた。
 6月に、ドニゼッティの『ドン・パスクァーレ』の公演を予定しており、しかも、これまでの小劇場演劇的オペラを一歩進めて、ライブハウスにおける4日公演という新しいジャンルに挑戦するので、支援者の会の皆さんを始め、いっそう幅広い方々のご支援を期待するところ大である。
 ミニコンサートは、そのドニゼッティの曲を始め、国光ともこ(ソプラノ)、寺田宗永(テノール)、大澤恒夫(バスバリトン)の三歌手が、美しいアリアやデュエットを繰り広げた。

 『ドン・ジョバンニ』より「手を取り合って」を歌う 国光ともこさんと大澤恒夫氏

  
        
             

 『愛の妙薬』より、「ええと、つまり…」を歌い演じる寺田宗永、大澤恒夫氏

 
       

 『ドン・パスクァーレ』より「愛していると言いに」を歌う国光ともこさんと寺田宗永氏

  
        
               



 楽しんでくれた支援者の方々。

 
       
             

 因みに、飲み交わした日本酒は以下の銘柄でした。
 ・日本最古の酒蔵須藤本家(創業平安末期の1140年)の『郷乃誉』3銘柄
   「山桜桃(ゆすら)」純米大吟醸。「花あわせ」生もと純米大吟醸生貯蔵酒。
   「雪の舞」純米大吟醸にごり酒生生
 ・『福禄寿酒造』純米吟醸「浦城」赤ラベル
 ・『天の戸』特別純米酒「美稲(うましね)」

 いやあ、いずれも大変美味しい酒でした。



 


  


はばたけミャゴラトーリ!

2018-01-18 14:35:51 | 文化(音楽、絵画、映画)



 年が明けて、娘のオペラ普及団体ミャゴラトーリも動き始めている。
 5日には、主力メンバーが我が家の音楽室に集まり、新年会を開いて気勢を上げた。高橋(ソプラノ)、岩淵(メゾソプラノ)、寺田(テノール)、須藤(バリトン)、大沼(バリトン)、大澤(バスバリトン)、それに、舞台監督の荒牧の各氏だ。いずれも声量は日本一だが、酒量もそれに負けない。名前は伏すが、内2名は翌朝5時まで飲んでいた。私たちも加えてもらったので提供した、獺祭スパークリング、泡盛久米仙、バローロのグラッパは喜ばれた。中でもバローロのグラッパは友人のイタリア土産であったが、飲み残しを提供すると、さすがにオペラ歌手としてイタリア生活を経験する人たちだけあって、大変な珍重ぶりであった。
 14日は府中の森芸術劇場に出かけ、オーケストラ「☆の王子様」の第45回定期演奏会を聴いた。演奏したのが「カヴァレリア・ルスティカーナ」…、見るとその歌手たちは青柳素晴、須藤慎吾、岩淵真理というミャゴラトーリの常連歌手たちが主演していた。3年前のミャゴ公演を再現するありさまだった。
 2月3日には恒例の「支援者の会」を広尾で開く。昨夜は我が家で歌合せをやったようだ。私は、これまた恒例の酒担当であるので、どんな酒を選ぶか頭を巡らせている。5月には、岩田達宗演出の第5弾として「ドン・パスクアーレ」を公演うる。これは、従来の「小劇場演劇的オペラ」を一歩進めて、より小劇場のライブハウスで4日公演、つまり「ライブハウスオペラ」ともいえる新しいジャンルに挑戦するようで、その準備も大変らしい。場所は吉祥寺のスターパインズカフェ。
 楽しみなことである。

                
                 
     2018年1月5日のミャゴ (テラッチさんのフェイスブックより)
      



文化の秋の始まり

2017-09-07 10:26:49 | 文化(音楽、絵画、映画)



 早くも9月を迎えた。文化の秋、の匂いがしてくる。その最初の行事が、昨日の「杉並区敬老会〝日本フィル演奏会″」であった。
 日本フィル演奏会といっても10数人による弦楽合奏であるが、コンサートマスターの木野雅之氏のソロ演奏あり、ソプラノ歌手坂井田真美子さんのアリアありで多彩であった。坂井田さんのアリアのメインは、『椿姫』の「乾杯の歌」であったが、そもそもテノールとのデュエットである歌をソプラノ一人で歌う違和感もあり、その点では迫力に欠けた。むしろ「見上げてごらん夜の星を」と「ふるさと」という日本歌曲の方がなじんだ感じ。
 「乾杯の歌」と言えば、娘の主宰するオペラ普及団体「ミャゴラトーリ」に、私の昔の同僚が社長をやっている某社より、「パーティの始まりの乾杯に続いて歌ってくれないか」という依頼が入った。しかもそのパーティは「綱町三井倶楽部」で催されるという。
 綱町三井倶楽部は、大正2年にイギリス人建築家ジョサイア・コンドルにより、三井家の迎賓館として建てられた由緒ある建物。あるイタリア人旅行業者を一度案内したことがあるが、その建物を一目見るなり、「ミラノスカラ座の雰囲気だ!」と感動して叫んだことを思い出す。まさに、『椿姫』を歌うにぴったりの場所だ。
 娘は早速、ソプラノとテノール探しをはじめ、短時間ではあるが本格的なオペラの雰囲気を出したいと取り組んでいる。先日下見に綱町三井倶楽部を訪れ、「舞台装置も何にもいらない。そのまま『椿姫』を演じられそうな館だ」と感心して帰ってきた。そして、「こんな施設が、もっと気軽に利用できたらどんなにいいだろう」と言っていた。遺産の保存と、一般庶民への公開というむつかしい問題が含まれている。

 今月は、9日「文京シビック合唱団」の定期演奏会、16日は文学座アトリエの「冒した者」(三好十郎作)、その後経済勉強会などが続く。またK先輩からは、11月の「奈良・京都の旅」(日本史と古跡めぐり)の案内が早くも届いた。
 秋の訪れとともに文化の匂いが漂ってきた。


感動を呼び続ける小劇場演劇的オペラ『リゴレット』 … 特に舞台装置、小道具について

2017-06-12 11:11:50 | 文化(音楽、絵画、映画)



 ミャゴラトーリ公演オペラ『リゴレット』が、観客者の中で話題になっている。牛込箪笥ホールを満席にしたとはいえわずか290名、ほんの一握りの観客数であるが、顔を合わせると『リゴレット』の話が出てくる。そして、これまでの常連ながら今回参加できなかった連中から、「なぜ1日公演だったのか、もう1回公演できないか」という声まで上がってくる。
 聞くところによれば、多忙な演出家岩田達宗氏の日程の関係から、1回公演しかできなかったらしい。まあしかし、1回公演だからこそ強烈な印象を残し、また出演者のエネルギーも凝縮して発揮されたのかもしれない。290名の観客には無上の幸せであったというしかない。
 これほどの感動を残したこのオペラは、実に素朴な舞台装置、小道具、衣装のもとに行われた。舞台装置といえるものは何もなかった。小道具は、4個の白木椅子と、ちょっと豪華に見える大椅子、それに小さな細長いテーブルだけであった。白木の椅子は、椅子取り合戦の椅子にもなれば、組み立てられて門や入り口の役をした。低い長テーブルも、必要な都度出演者が運びながら現れた。衣装も全く素朴なもので、目を引いたのは大男のバリトン歌手(大沼徹)が演じたチェプラーノ夫人のドレスぐらいのものであった。
 それだけに、出演者の歌唱力と演技力のすばらしさが映えた。まさに演劇的オペラの演技力に観衆は引き付けられた。一般にオペラといえば、華麗な舞台と衣装がまず目に浮かぶ。日本の歌舞伎も全くそうだ。それはそれで楽しみでもあろうが、しかしその前の『能』の世界は、極めて簡単な舞台装置で、小道具などほとんどなく、専ら演技者たちの動と静の演技で観客を引き付ける。今回の公演は、その境地に似ていたといえるのかもしれない。

 ミャゴラトーリも、これまでのオペラではそれなりの装置と小道具を使っていたので、いつもその製作場となっていた我が家は、最後の廃棄作業まで含めて大変であったが、今回はすべて音楽室に収まっている。その一つ、マントヴァ公がふんぞり返っていた椅子を、私が時々使用させてもらっている。



 


絶賛! 岩田『リゴレット』のミャゴラトーリ公演

2017-06-05 16:25:51 | 文化(音楽、絵画、映画)



 岩田達宗氏の演出による「小劇場演劇的オペラ」として取り組んできたミャゴラトーリ公演『リゴレット』が、好評のうちに終わった。この公演は、すでに書いてきたように『ラ・ボエーム』、『カヴァリエラ・ルスティカーナ』、『カプレーティとモンテッキ』に続く第4弾で、私は昨夜の公演を観て、小劇場演劇的オペラとしての岩田オペラが、一つの完成の域に達したのではないかと思った。
 もちろん、彼らに「完成の域」なんてあるわけはなく、絶えず向上を目指していくのであろうが、そう思わせるほどの迫力と感動を与えるものが昨夜の公演にはあった。客席の一部と通路をフルに使った舞台と観客の一体感、臨場感、それを生み出す出演者の高質の歌唱力と演技力…、これらは、いわゆる通常の舞台オペラとは異質のものであった。久しぶりに感動で胸が打ち震える思いがした。
 それを生み出したのは、独特の解釈による岩田演出と、それに応える歌手たち(含むピアニスト)の高い力量であったのだろう。これほどの実力者たちをよくぞ集めたものだと思った。中でもリゴレットを演じた須藤慎吾(バリトン)の歌唱力には驚いた。演技力も含め鬼気迫る迫力を感じた。ほか、全ての出演者がその持ち味を十二分に発揮した結果がこの感動を与えてくれたのであろう。
 今後各方面のご批評をお聞きしたいと思う。何よりも既存のオペラ界の方々が、このシリーズをどう見ているのかを知りたいものだ。とりあえず、ゲネプロの写真をいくつか。

  
           
         

    

 

 

 

 


ミャゴラトーリの『リゴレット』公演迫る … 岩田達宗演出第4弾

2017-05-18 13:42:34 | 文化(音楽、絵画、映画)



 娘の主宰するオペラ普及団体ミャゴラトーリの『リゴレット』公演が半月後に迫った。6月4日(日)、新宿区の牛込箪笥区民ホールで15時の開演である。小劇場演劇的オペラとして、シリーズ的に岩田達宗氏の演出になるもので、『ラ・ボエーム』(2014年)、『カヴァレリア・ルスティカーナ』(2015年)、『カプレーティとモンテッキ』(2016年)に続く第4弾である。
 『リゴレット』というのはどんなオペラか?
 原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲で、その題名『王は愉しむ』が示すように、主人公のテノール・マントヴァ公爵の放蕩物語(女たらし物語)がまず頭に浮かぶ。代表的なアリア「女心の歌」(♪風の中の羽根のように いつも変わる女心・・・)がそれを示している。
 一方、オペラの題名でもあるリゴレットに焦点を当てると、心も凍るような悲劇が浮かぶ。リゴレットはマントヴァ公に仕える背むしの道化師で、辛辣な発言や立ち居振る舞いで宮廷人に嫌われる存在だ。そのリゴレットが宝物のように育てたのが娘のジルダ。家からも出さず大事に育てた16歳のジルダは、マントヴァ公の巧みな誘いに堕ちる。それを知ったリゴレットは、殺し屋に大金を払ってマントヴァ公の殺害を計画、しかし、すでにマントヴァ公を慕うジルダは、その身代わりになって殺し屋の手に罹る。リゴレットが「してやったり」と殺し屋から受け取った袋から出てきたのは、マントヴァこうではなく、シルダであった。彼は大金を払って自分の娘を殺すことになったのだ。
 この複雑な物語を、全く別の視点から見ることもできるかもしれない。
 このオペラには、二人の重要な女性が登場する。一人はジルダで、動機はともあれ深窓で育てられたこの女性の純愛を受けたマントヴァ公爵は、彼女の中に、それまでの女性と全く別のものを見たかもしれない。言葉は平凡だが「掃きだめの鶴」であっただろう。
 もう一人、こちらは掃きだめをこそ住処(すみか)とする、夜ごとはした金で体を売る売春婦マッダレーナという女性がいる。彼女の兄が前述の殺し屋で、つまり彼女は、「殺し屋の兄を持つ売春婦」という、社会の最下層に生きる女性である。しかし彼女にも愛は芽生える。マントヴァ公の暗殺を知るマッダレーナは、「何とか命だけは助けて」と兄に願う。その結果身代わりとして殺されるのがジルダとなったのだ。マントヴァ公は、このマッダレーナの愛をどう受け止めたのだろうか? 因みにマッダレーナとは、イタリア語で、「マグダラのマリア」の意、キリストが娼婦の中で唯一許した女性である。

 これらのことを、オペラ界の鬼才岩田達宗氏がどう描く出すのであろうか?

     






 

 

 

 


年々質を高めていくミャゴラトーリ支援者の集い

2017-04-24 15:40:11 | 文化(音楽、絵画、映画)



 一昨日(22日)、今年度のミャゴラトーリ支援者の集いが開かれた。渋谷区幡ヶ谷の「KMアートホール」に、約40名の支援者の方々のご参集を得て、非常に質の高い会が持たれたと思う。質が高いというのは二重の意味で、一つは約1時間のミニコンサートの素晴らしさである。国光ともこさん(ソプラノ)、薮内俊弥さん(バリトン)、大澤恒夫さん(バスバリトン)のお三方が、ミャゴラトーリを支え続けてきたピアニスト神保道子さんのピアノで、実に高質な歌唱力を披露してくれたことによる。40名の方だけに聞かせるのではもったいないコンサートであったと思った。
 もう一つは、その後のパーティでほとんど全員に発言してもらったが、その内容が実に質の高いものであったことによる。それぞれ素晴らしいご体験をお持ちの方ばかりで、その内容あるご体験をもとに、ミャゴラトーリに貴重なご提言をいただいた。資力も後ろ盾もないミャゴラトーリであるが、このような素晴らしい方々のご支援こそ、最大の後ろ盾だと思っている。
 私は、恒例によりパーティ用のお酒の担当で、今回は、秋田の「新政」、熊本県小国町河津酒造の「花雪」、福島県会津若松の鶴乃江酒造の「ゆり」などを準備、参加者の中から、秋田の銘酒「まんさくの花純米大吟醸」、菊水酒造の「KAYOIGURA」、熊本県人吉市の高橋酒造の本格焼酎「しろ」などの差し入れがあり、実に多彩なs酒盛りとなった。これら銘酒も、参加者の質の高い発言に一役買ったと自負している。
 以下にミニコンサート写真をいくつか掲げておく。

        
       ビゼー 「カルメン」より『闘牛士の歌』を歌う薮内俊弥さん(バリトン)

  
            
    プッチーニ「つばめ」より『ドレッタの夢』を歌う国光ともこさん(ソプラノ)

   
     モーツァルト「ドン・ジョバンニ」より『カタログの歌』を歌う大澤恒夫さん(バスバリトン)
 
     
      チマローザ「秘密の結婚」より2重唱『もし息をしているなら』(薮内、大澤さん)

  
     ピアノ神保道子さん、司会の首藤史織を含めて出演者のご挨拶
  

  


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