goo blog サービス終了のお知らせ 

旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

三浦按針(ウィリアム・アダムス)400回忌法要に参加

2019-10-29 16:38:41 | 文化(音楽、絵画、映画)


 このところいろいろな行事が重なった。三浦按針の法要、孫の運動会、「龍力」本田会長を偲ぶ会……。
 先ずは、三浦按針の400回忌から。なぜこの法要に参加することになったか? この法要は按針が領主であった横須賀市逸見で行われたが、実は三浦按針ことウィリアム・アダムスは、私のふるさと大分県臼杵市の佐志生という漁村に流れ着いたのである。
 時に西暦1600年のこと。爾来、アダムスは徳川家康に抱えられ、三浦半島逸見村の領主となり、合わせて家康の外交顧問として約20年にわたり日本のために働いたのである。臼杵との縁が深いことから、逸見出身の友人が法要に誘ってくれたのである。
 まず驚いたことは、この法要が逸見挙げての、いや横須賀市挙げての、大変盛大な行事として行われていたことである。400回忌ともなれば最早お祭りで、出店が打ち続きステージが構えられて、ジャズ演奏家らフラダンスまで行われていた。法要には、徳川本家18代ご夫妻から横須賀市長始め、有力者の参列の下に厳粛に行われていたし、その様相は、ウィリアム・アダムスという青い目の領主が、いかに地元の人々に慕われていたかを示していた。
 ウィリアム・アダムスとしては、故国イギリスへの望郷の念断ちがたかったと言われながらも、三浦按針として領民のために残る生涯を投げ打ったのであろう。その生涯を、「家康とアダムス」として大河ドラマ化する運動が起こっている。何とかこれを実現したいものである。

   
   キャラクター人形「按針さま」


孫遥人に囲碁の手ほどきをする

2019-10-05 10:48:40 | 文化(音楽、絵画、映画)


 孫の遥人が、4歳と4か月を過ぎた。我が家に来ても走り回っているのを見ると、どうも体育会系のようであるが、そろそろもの心もついてきたようなので、囲碁、将棋や百人一首等、日本文化の香りも嗅がせたい、と思っていた。息子夫婦もそのようなことを感じていたようなので、早速日本棋院に出かけ、9路盤と13路盤の裏表囲碁セットを買ってきた。
 女房の誕生祝に我が家に来たので、早速見せると、興味ありげに碁石をいじくる。五つの囲碁ルールの第一の碁石を「打つ位置」と第二の「交互に打つ」ことを教えると、大方は分かったようだ。次に何を争うのかを理解しなければならない。白黒交互に打ちながら場所を取り合う…、そしてその場所の広い方が勝ちなのだと石を並べながら教えるが、これは簡単には分からない。
 10分もすると飽きてきて、他の遊びに移ったが(と言っても、殆どはウルトラマンの真似事だが)、ただ、石を打つ構えだけは相当なものだった。写真の通り斜(はす)に構えて、左手を腰に当てて右手を伸ばして打ち込んできた。この精神なら、いつの日か興味をもって囲碁のとりこになるかもしれない。
 ただ、本来の囲碁を打つ姿勢は、正座して、互いに一礼して打ち始めなければならない。私の姿勢も猫背であり、背筋を伸ばして正座することから始める碁の精神を教えるのは、もう少し時間がかかりそうである。

     
      遥人のこの構えは迫力あるなあ~
     


ミャゴラトーリ公演 オペラ『愛の妙薬』(つづき)

2019-06-21 14:03:16 | 文化(音楽、絵画、映画)


 15,16日の後半をもって、全四日の公演を終えた。四日間とも満席で、大方の好評を得たようだ。前回も書いたように、岩田・ミャゴラトーリオペラも6回目を迎え、観客の層も広がり、しかも各層にそれなりの高評価を頂いているようだ。最終日の盛り上がりもすごく、カーテンコールはいつまでも続き、拍手は鳴りやまなかった。
 私は四日間とも見たが、実に面白かった。主役の四人は二日ずつ交互に演じたが、特にアディーナとネモリーノについていうと、一組が高橋絵理さんと寺田宗永さん、二組目が吉原圭子さんと所谷直生さん。同じソプラノでも、高橋さんは強いソプラノ、吉原さんは繊細なソプラノに、私には聞こえる。またテノールでも所谷さんは強いテノール、寺田さんは繊細なテノールと思える。言わば剛と柔である。そしてこの剛と柔を組み合わせ「二組のアディーナとネモリーノ」で演じられたのだ。
 その結果は、同じ原作、同じ楽譜により、同じ演出家と同じ指揮者が演じたのも関わらず、別の『愛の妙薬』を聴く思いがした。剛と剛、柔と柔の組み合わせはなかったが、もしやればまた違う『愛の妙薬』が生まれるのだろうか? 前回書いたように、大オペラハウスのものと小劇場演劇的オペラでは、同じ演題でも大いに違う。演出の仕方でかくも違うところに芸術の奥深さを感じた。

 私の関係のお客さんもたくさん来てくれた。毎晩終了後、遅くまでいろいろと語り合った。またその後もお手紙やいろいろな贈り物を頂いたりしている。30年前に共に働いた古い仲間のToさんは、このところ仲間と共に毎年来てくれているが、すっかりテラッチ(寺田宗永)さんのファンらしく、その出演日に狙いを定めてきた模様。終了後、妙薬をかざしたネモリーノ(テラッチさん)と写真に納まると大変に喜んでくれた。
 様々な形でオペラ愛好家が広まっていくことを願ってやまない。

   
 テラッチさん掲げる愛の妙薬が、この3婦人に効きますように!


好評だったミャゴラトーリ公演 オペラ『愛の妙薬』

2019-06-17 15:04:16 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 岩田達宗氏の演出によるミャゴラトーリ公演「小劇場演劇的オペラ」は、『ラ・ボエーム』以来今年で6回目になる。演目は、ミャゴラトーリが発足時に取り組んだ『愛の妙薬』。しかも、岩田氏の新解釈が至る所に取り入れられた、実に楽しい日本版『愛の妙薬』として登場した。
 先ず、原作は農村が舞台と思われるが、ここでは都会が舞台で登場人物たちはバンドマンたち。指揮者の柴田真郁氏はバンドマスター役を演じながら指揮を執る。そこに現れる妙薬を売る薬売りドゥルカマーラが、『男なつらいよ』の寅さん役ときた。寅さんのセリフそのままに日本語で登場したのには驚いたが、思えば、寅さんという男は、いつもマドンナに惚れる男として登場するが、最後は、そのマドンナの恋の成就を助ける男として終わる。つまり、『愛の妙薬』を売る男としてはピッタリなのかもしれない。これにより、この世界的オペラが、その原型を失うことなく、実に自然に、身近な日本版オペラになった。
 ネモリーノは、うだつの上がらないバンドマン(原作は下層農民)、可哀そうないじめられっ子として登場する。それが、こともあろうに花形歌手(原作は地主の娘)アディーナに恋をする。そもそも成就するはずのない恋だ。そこを可能にするには、寅さん流の神がかり的妙薬が必要だった…、しかしそれは「
薬}ではなく、ネモリーノのひたむきな愛を知るアディーナの「心」であった
 また、その妙薬がコーラというのも驚いた。これまで見た『愛の妙薬』ではワインであった。ワインはヨーロッパでは普通の飲物だろうが、日本人には高級感がある。コーラという最も普通の飲物が、不可能と思える二人を結び付けようとするところに面白さがあった。

 これらの手法を取り入れたことにより、平凡な喜劇に堕したのではないかと言えば決してそうではない。ドニゼッティオペラの高い品格を維持し、その芸術性、音楽性を格調高く謳い上げている。それは、岩田氏と柴田氏に指導された、出演者たちの高い力量が生み出したのだろう。特に、主演者はもとより、わき役、合唱隊を含めた歌唱力が素晴らしい。オーケストラ役を一人でこなす浅野菜生子さんのピアノともども、日本最高の水準にあるのではないかといつも思う。 実に楽しく、且つ、音楽的欲求を十二分に充たしてくれるオペラであった。


  
     
  カーテンコールで観客に応える出演者たち(上が初日6月6日、下が二日目(同7日)


ミャゴラトーリ6月公演『愛の妙薬』練習風景

2019-05-13 11:03:54 | 文化(音楽、絵画、映画)


 ミャゴラトーリの本年公演(6月6,7,15,16日)は、ドニゼッティの『愛の妙薬』である。娘はこのオペラに随分かかわってきた。昭和音大卒業公演始め何度か出演して歌ってきたし、ミャゴラトーリを設立して最初に取り組んだのもこのオペラであった。だから私にとってもなじみ深い。ただ今回は、岩田達宗氏の演出で、しかもライブハウスで演ずる小劇場オペラであるので、従来のものとは全く違う新しい『愛の妙薬』を観ることができるのではないかと期待している。そこで、特別にお願いして練習風景を見せてもらった。

 実にエネルギッシュな練習現場を観て驚いた。岩田氏は自ら演技しながら稽古をつけ、実に細かいところまで指示をし続けていた。指揮をしながらも大声が鳴り響いていた。その様相を観て、私は「オペラは芝居だ」ということを実感した。単にテノールやソプラノが美しい声で歌うだけのものではない。その物語りが伝える何か普遍的なものを、高い演技で表現しようとしているようだ。何を伝えようとしているのだろうか?
 農民ネモリーノは地主の娘アディーナを恋い慕うが、アディーナは応えてくれない。そこに現れた薬屋の、「これを飲めばお前の思う人がお前を愛してくれる」というふれこみに騙されて、その妙薬なるものを飲み続ける。妙薬は効果を発揮したのか? 発揮するはずがない。しかし、飲み続けるための金の調達のために軍隊にまで入る、つまり、「命まで懸けた心」にアディーナの心は動く。金でも地位でもない。心なのだ。
 惚れ薬の話を、楽しく、大らかに演じながら、愛の普遍性を観衆の中に落とさなければならないのだろう。しかもそれを、歌唱力を通じて伝える芸をオペラというのだろうか? 私にはわからないが、何か崇高なものを表現しようと一丸となっているように見えた。

 
    
  
   エネルギッシュな練習風景

  
 メモを取り、大声で指示を続ける岩田氏

   
     
     自ら演じながら稽古をつける岩田氏


パーティの評価は何が決めるか … ミャゴラトーリ支援者の会を終えて

2019-03-22 15:23:10 | 文化(音楽、絵画、映画)


 世には、様々な集会とかパーティがある。参加して楽しいものや、何とも物足りなく、不満の残るものもある。 娘が主宰するオペラ普及団体ミャゴラトーリは、年に一回、支援者に活動報告を兼ねた感謝の気持ちを贈る会を催している。約一時間のミニコンサートと、それに続く12時間の交歓パーティである。そこには当然、お酒と軽い食事が不可欠であるが。

 去る17日、西新宿のガルバホールで、約40名のご参加を得て支援者の集いを催した。結果は、ご参加いただいた方々に大変喜んでいただき、高い評価を頂いた(と思っている)。
 まず、歌手の力量が高く評価された。歌唱力、演技力とも年々高まって、日々の努力、精進の跡が見えるという声もあった。コンサートに続くパーティも楽しく、質の高い内容だったと評価してくれる人もいた。ドニゼッティ、プッチーニ、モーツアルトなどのオペラから、歴史に残るアリアや重唱を聞いた後は、それに負けない、少なくともその雰囲気を維持する会話が続くことが求められる。
 その役割を担うものの一つに、私は酒食の力もあると信じている。お酒担当の私は、現在日本の最高級の質を誇る酒を選び抜いた。曰く、昨年の純米酒大賞グランプリの「陸奥八仙」(青森)、特別金賞を続けている「作(ざく)」(三重県)、弟の協力を得て秋田県横手市の名酒「夏田冬蔵」と「まんさくのはな愛山酒」などである。これに、参加者の一人が差し入れてくれた千葉の「梅一輪」なども加わり、これらの酒は好評を呼んだ。
 良い音楽を、良い酒を酌み交わしながら語り合うとき、そこに最高の会話が生まれる。パーティを構成するすべての要素の、どれ一つにも手を抜いてはいけないのである。

  
  シュトラウスの「春の声」を歌う  ソプラノ森真奈美さん
     
     「ある晴れた日に」を歌う ソプラノ平野雅世さん
        
        「愛の妙薬」のドゥルカマーラを演じるバスバリトン大澤恒夫さん

   
     ピアノ巨瀬励起さん


田沼武能写真展「東京わが残像1948-1964」を観て

2019-03-16 11:23:37 | 文化(音楽、絵画、映画)


 砧の世田谷美術館で開催中の田沼武能写真展を観てきた。田沼はすでに90歳でありながら現役活動を続けている写真家であるが、そこには、若き田沼の目(6,70年前)がとらえた東京下町の姿が、生き生きと並んでいた。昭和20年代から30年代前半は、高度成長時代に入る前の時代で、まだ戦後の匂いが漂い、貧しさが残っていた。
 展示は3章に分かれ、第1章「子供は時代の鏡」、第2章「下町百景」、第3章「忘れえぬ街の貌」と題されて、それぞれ60点、合計180点が展示されていた。いずれも見ごたえがあり、観終わって時計を見ると二時間を要していた。
 中でも第1章の「子供…」は圧巻で、そこには、何もないがひたすら何かを求めて生きていく子供たちの姿が活写されていた。貧しそうな路地裏で将棋に夢中になる子供たち(「路地裏の縁台将棋)、遊びの延長に必ず起こるケンカ(「ままごとあそびからケンカへ」や「ケンカは遊びにつきもの」など)、また、数少ない楽しみの一つだった紙芝居に惹きつけられる全員の真剣な瞳(「紙芝居に夢中になる子供たち」)など、すべて懐かしい。
 思えば、ここに映し出されている子度たちは、後に言う団塊の世代の子供時代の姿だ。彼らが大きくなって、日本の高度成長を支え、良くも悪くも団塊の世代として一世代を築くのだ。その世代は、戦後の焼け野が原に生れ落ちて、何もないところから何かを求め、将来を夢見て、日本を高度成長に導く一翼を担ったのだ。
 その子供たちの活動力の源を、何かを求める夢見るような瞳の中に感じた。

  
   世田谷美術館

     
     美術館の庭に立つ大クヌギ


うたごえ居酒屋『家路』の40周年を祝う会 … P子さんおめでとう!

2019-02-21 16:08:21 | 文化(音楽、絵画、映画)


 新宿3丁目に、『家路』といううたごえ居酒屋がある。うたごえ喫茶『ともしび』の中心メンバーだった橋本安子さん(通称P子さん)が、ご主人の春樹さんと『ともしび』から独立し、続けてきた店だ。
 かん板には「うたとピアノとともだちと」と書かれてある。文字通り、戦後うたごえ運動の中で生まれた「うた」を、P子さんの温かい「ピアノ」に合わせて、たくさんの「ともだち」が歌い継いできた店だ。その「ともだち」の絆は固く、あの盛衰の激しい新宿の飲み屋街で40年の営業を続けてきたのだ。
 3年ほど前に残念ながらご主人の春樹さんが他界したが、周囲の支えで40周年を迎えた。P子さんは、確か85歳を迎えるお年と思われるが、『家路』を支える体制は強固で、この祝う会には170人が集まった。それは「店を絶対にやめさせない」というメッセージと受け取った。素晴らしいことだ。
 『ともしび』時代を加えれば、P子さんは、戦後70年をうたごえ運動に捧げつくしたと言っていいだろう。私も、組合運動を通じて歌唱指導や演劇指導を受け、大変なお世話になった。戦後史に一つの文化的足跡を残した人といえるだろう。

 ただ、参加者の高齢ぶりが気になった。おそらく平均年齢70歳前後だろう。『rともしび』に行ってもそうだし、私は、団塊世代がいなくなったらうたごえ運動は消えるのではないかと危惧している。
 しかしそれでいいのかもしれない。たくさんの素晴らしい歌を残した。歌手上条恒彦や作曲家いずみたくなどを生んだ。この大きな文化運動は、必ずや歴史に痕跡を残すだろうから。


『王将』(1948年、坂東妻三郎主演)を観て

2019-01-30 14:45:37 | 文化(音楽、絵画、映画)

 
 映画『マリア・カラス』を観て、その芸人根性に感動していると、マリア・カラスとは似ても似つかないが、将棋一筋に生きた阪田三吉の話が、娘との話題になった。早速、かの坂妻が三吉を演じる『王将』のビデオを借りてきて観た。

 大阪は天王寺のドヤ街に住む阪田三吉は、ぞうり作り以外は読み書きもできない男であるが、将棋にだけは異常な才覚と情熱を持っていた。やがて、東京に君臨する名人関根八段と対等に競い合うようになる。そして迎えたのが、あの「泣き銀」で有名な運命の一局である。
 時は大正2年4月6日、この一番は翌7日にかけて30数時間打ち継がれたと聞くが、勝負所に差し掛かった阪田は、いわゆる「2五銀」を放つ。ところがこの銀は阪田のミスで、やがて攻め立てられ、方々の体で自陣に逃げ帰る。いわゆる「銀が泣きよる」場面である。
 阪田は、自分のミスで銀を泣かせたことが悔やまれたどころか、そのような手を放った自分が許せない。何としてもこの将棋に勝って、銀の不名誉を救わなければならない。つまり「何としても勝負に勝つ」ことが運命づけられたのである。
 そして、長考の末に打った手が、角を捨て香を取る「6六角」であった。戸惑った関根八段の「金による角とり」から、形勢は一挙に逆転して三吉は勝利を収める。
 しかしこの手は彼の娘に見破られる。「お父さんは、ハッタリの手で関根さんに勝った」と娘になじられ、三吉は、実質的な敗北を認めて、名人を関根に委ねる。この勝負師も、芸の道にごまかしは許されない、という心情だけは貫いたのである。
 阪田三吉は、その後も長く生きる。実力的には日本一であったと思うが、晴れて名人位を手にすることはなかった。彼は自分の人生をどのように評価していたのであろうか? 何よりも、彼は幸せであったのだろうか?


映画『私は、マリア・カラス』を観て

2019-01-26 14:21:25 | 文化(音楽、絵画、映画)


 マリア・カラスの映画やドラマは、これまでにいくつか見た。しかし、この映画は、全く異なる感動を私に与えてくれた。新しく発見された手紙などの資料に基づくドキュメンタリー映画で、従来のドラマ化されたマリア・カラスと違った、まさに実像に触れたという気がした。
 何といっても、その素晴らしい歌唱力に今更ながら驚いた。天才マリア・カラスとか、不世出の歌姫とか、最高の形容詞がついたカラスを何度も見せられたが、、初めて、その本当の力を観たという思いだった。
 「こんなに美しい声だったのか1」、「こんなに力強い声だったのか!」と何度も思った。娘に言わせると、「完璧な発声による、最高の歌唱」ということだ。マリアの天性に気づいた母の容赦なき教育と、それに応えた不屈の努力が生み出したものらしい。 しかし、多くの天才が味わう世間やマスコミとの深い溝からくる悩みは、当然のことながらマリアを襲う。ローマ公演であったか、ベッリーニの『ノルマ』の途中、気管支炎で体調を崩す。彼女は、「こんな体調で歌うのはベッリーニ(作曲家)に対し失礼に当たる」と公演をキャンセルする。しかし聴衆やマスコミは一斉にブーイングで、「傲慢な女」と彼女を非難する。孤高の天才が受けなければならない、不可避的な悩みともいうべきか?
 ギリシャの富豪オナシスとの愛も、彼女の生き様を示している。オナシスは彼女の愛を裏切りジャクリーヌ・ケネディと結婚する。しかし、マリアの愛は変わらない。53歳という短い人生であったが、死ぬまでオナシスに対する愛は変わらなかったようだ。
 マリア・カラスが幸福であったか不幸であったか、それはわからない。しかし彼女が、歌にしても愛にしても、自分の信じる最高のものを求め続けていたことだけは確かであろう。
 

  


投票ボタン

blogram投票ボタン