蕎麦やら、酒やら、料理やら・・・ピアノやら・・・それにしても、ドーナンダ?たむらん

趣味の蕎麦打ち、元来の酒好き、そして料理作りと仲間と一緒にわいわい、と
たまに思いつくあれこれと・・・趣味も

卯月3

2013年04月21日 23時17分28秒 | Weblog


物ごころついてから小学生までは、音楽は、テレビで流れてくる曲が耳に入る程度で、能動的に聞くというほどのもんじゃなかった。
中学生になって、当時流行りの洋モノに同級生から影響を受けて親しむ、というかのめり込むようになった。
そして、楽器に自分から手を出したのも中学生になってから。
どういう発想でそう思ったのか、トランペットが欲しくて、親に買ってもらった。
しかし、3本のピストンシリンダーと息の強弱で音程を出す奏法に早々と限界を感じ、乗り換えたのは定番中の定番、
フォークギター、、、世の中はフォークソングや青春ポップスのブームだったし。
押さえるコードや奏法によって、けっこう演奏にバリエーションを感じるギターにのめり込んだ。
その延長で、高校生になって、その昔は不良学生の象徴だったエレキギターにも手を伸ばした。
これは電気を使うぶん、更に音や演奏法の幅が広がってて、けっこう夢中になった。
でも、「腕」のほうはというと人様の前で弾けるほどの腕前にもならず、
レコードを聴いて耳コピするほどの音感もなく、なんとなーく弾いていただけだった。
言い訳になるが、小学校低学年の頃に、左手人差し指を折り畳みベッドの脚に挟んで怪我した後遺症からか、
左手人差し指の第一関節が自在に曲がらなくなっていて、おそらく骨も変形したまま固着したのだろう、
人差し指全体で6本の弦を押さえるコードを完全に押さえきれず音がビビるのと、
第一関節が曲がらないので、弦を押さえるときに指板に人差し指が立たない、のである。
ま、そういうことに限界を感じたということもあるが、就職してしばらくして以降は楽器から遠ざかっていた。
20代の終わりごろ一時期、これも何を思ったか「フルート」を買い求めて、ヒューヒュー吹いていたこともあった。
が、放課後の時間帯なら様になろうが、夜中に集合住宅で下手な笛の音は、気味悪いし家族にも近所にも…
ってんは後付けの理由、やっぱりやる気が続かんかったのである。

それから、かれこれ10数年たって始めたピアノは、不思議なことに4年以上経つが飽きてないし限界も今んとこ感じてない。
ピアノを習い始めてから徐々に弾けるよになって、なんだか、ずいぶんと回り道をしてきたような気もしている。
そして、ピアノ演奏家をテレビで見たりコンサートで辻井さんを聴いたりして、上手くは言えんけど魂が震えるように感じたりするから、
いろいろと演奏家や作曲家を紹介するテレビ番組を見たりするようになった。
そうした中で、佐村河内 守さんという広島出身で今は全聾の作曲家を知った。
単に耳が聞こえないだけでなく、頭の中で轟音が響くような耳鳴りに苦闘しながら素晴らしい交響曲を作りあげた人、
彼はバイオリンを演奏する少女のために練習曲の作曲もして彼女を応援する。
その少女は、バイオリンの弦を持つ右手が手首までしかなく、義手を嵌めて弦を固定してバイオリンを弾く。

どのスポーツをしてた人なのか、スポーツじゃなかったかもしれんし、誰が言ったのかも定かに記憶してないが、
「限界は自分で作ってしまっている」
辻井さん、佐村河内さん、バイオリンの少女、それだけじゃない、パラリンピックの選手たち、そして世には名は出てなくとも、
ハンデを背負いながら日々それぞれの道をガンバッてる人たちに思いを馳せると、
自分だって、始めた歳が遅いというハンデだけじゃないか、まだまだ上手くなれるはずだ、と思う。
そう、「限界は自分が作ってしまうもの」ならば、まだまだ限界どころじゃない、スタートラインだ、と思う。
そんな勇気、というか、やる気、というか、、、ってなところです。

 

ちょい悪さま:トマト、いいですね~、最近はいろんな種類があるようだし、
        手間をかければかけるほど育ちや実入りなどよくなるようです。
        ちょい悪さんのことですから、きっと良いトマトが収穫できると思います。

コメント (2)
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