桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

60年目の後遺症

2020-09-07 | Weblog
昨夜、3時前にトイに起きた後、なぜか左足太股の外側か痛かった。凍みるようなジンジン、押されるようなズーンとした痛みを感じた。この痛みは後遺症かも知らない。
あれは16歳のときだったか、俺は交通事故を起こした。
同級生の50CCのバイクに乗って近所の家の周囲を回っていたらばスビードが出過ぎて道路に飛び出してしまった。そこにタイミング悪く乗用車が来て撥ね飛ばされたのだ。
当時は車は多くない時代で運が悪いとしか良いようがないが、高下駄を履いていたせいでブレーキが踏めなかったのだから、その運は自分で招いたことになる。
車に撥ね飛ばされる寸前に考えたのは怖さでも何でもなくて「あっ金が掛かる❗️」という思いだった。貧乏だった我が家の家計を心配したんだよな。
撥ね飛ばされた痛みは感じ無かった。見ていた同級生や竹馬の友たちは「すぐに起き上がって車に寄って行ったよ」と言っていたが、余り覚えていない。
どこにも傷はなかったし、痛みもない。
オロオロする姉、冷然とした電話の母の声。
たまたま親戚の知り合いの車だったことで警察沙汰にもならず、その日は病院にも行かないで寝たが、翌日、左脇腹が痛んで起き上がれなかった。
肋骨の下から3本が亀裂骨折。大木な絆創膏をに貼られて1週間ほどの入院だった。
それから冬や刑務所暮らしでジンジンした痛みやズーンとした痛みを感じるときがあったが、いつの間にか忘れていた。
癌になっての治療で痩せ、筋肉がなくなり、左足に痛みを感じるようになって数ヶ月。この痛みが60年前の交通事故とは結び付かなかったが、この左足の痛みは後遺症かも知らないな。
車に何メートルも撥ね飛ばされて肋骨3本の亀裂骨折で済んだのは奇跡的だったろうが、今ごろになって後遺症って、あるかな❓️
でもいいや、後遺症ってことにしとこ‼️