桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

小田山の桜

2018-04-23 | Weblog
幕末戦争のときに官軍が大砲を据えて会津若松城に砲撃を加えたのが小田山だ。小田山には、その昔に会津地域を支配した芦名家の歴史遺構があるが、それも「あった」と記載された表札が多くて、その歴史を感じさせるものは、幾つかの再現物のみだ。
その小田山に桜を植える活動は、もう終了したが、俺たち夫婦も2010年に植えて貰った。
同じ時期に水戸の仲間たちも植えたが、植えた種類、植えた場所などと違いだろうか、樹勢は、全く違う。
俺たち夫婦の桜は、毎年、見に行っている。今年は行く時期が良かったせいか、満開の花が迎えてくれた。
しかも、昨年とは見違えるくらいに木に勢いがあり、歳を重ねるほどに面白くなる俺の人生みたいだと感じたなぁ。

斉藤清美術館

2018-04-23 | Weblog



会津行きで宿泊したのは、会津坂下の只見川を見下ろす地にある町営温泉だった。
もう桜は終わり、ツツジも咲いてる日本各地だが、会津坂下には、まだ桜が咲いていたし、残雪まで、あった。
斉藤清美術館というのがあり、見学したらば、版画家の作品も素晴らしかったし、美術館の窓を借景とした風景が、実に綺麗だった。

会津へ

2018-04-23 | Weblog

この週末は、水戸の仲間たちと会津へ行った。
この1月、まだ40歳過ぎの今瀨多実ちゃんが急逝した。その多実ちゃんが会津の小田山に植えた桜を見に行き、その桜の元で供養しようとしての会津行きだった。
小田山に桜を植える計画に加わり、俺たち夫婦を含めて、何本かの桜を植えた。それぞれに種類の違う樹木だが、多実ちゃんの桜の話を聞いてビックリ。多実ちゃんは同じようにくも膜下出血で急逝した弟さんを偲ぶために植えたものだという。
たぶん、聞いていたはずなに意識に残さないでいた俺の薄情にも呆れたが、弟さんが逝って4年にもならない今年、この世を去るしかなかった多実ちゃんを想ったらば、改めて涙が出た。
多実ちゃんの上司だった大名さんの作詞作曲した、多実ちゃんの歌を唄い、みんなで多実ちゃんを偲んだ会津行きだった。

動燃

2018-04-23 | Weblog
一昨日は動燃で差別裁判を闘う人たちを支え会の総会に招かれて話をした。原発を生業とする会社で安全のために声を上げた人は差別された。
金で飼い慣らされてしまう人の多い世の中で、あえて声を上げたり、行動することは偉いことだと思うし、俺は、その人たちを尊敬する。
これまでにも東電や日立など、幾つもの大企業で思想差別された人たちが闘い、その差別を糾弾して来た。闘いがあればこそ、金儲け第1に奔走する資本主義社会で労働者は立場が守られているのだが、俺が感じて想うことを話して来た。
未完成の技術である原発。事故を起こせば、総てを破壊する原発。そのような存在を受け入れて許す人たちは人間社会の歴史に裁かれる。