桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

日比谷野外音楽堂

2017-05-16 | Weblog
座り込みに続いて日比谷野外音楽堂での共謀罪反対集会に参加した。
法案に付いて満足に答弁していないのに、明日にも採決を強行する話まで、あるらしい。
時代の共犯者にならないためにも、俺は反対の行動を続けて行く。

腐ってる

2017-05-16 | Weblog
大阪から戻り、国会前での共謀罪反対の座り込みに参加した。
僅か30分強の参加だったが、 発言した国会議員の話を聞いて、猛烈に創価学会に腹が立つた。
今日は法務委員会で参加人質問が行われたそうだが、公明党の議員は、配布されているビラに難癖を付けるなど、まともに法律に付いての質問をしなかったそうだ。
創価学会は過去に組織的な言論弾圧を行った。池田大作会長の醜聞や暴力団との繋がりなどを含めて、創価学会に纏わる闇は、数多の書物で取り上げられているが、今、日本を監視社会にする、最悪の法律が作られようとしているとき、創価学会・公明党が法律制定の先頭に立つのは、ゆえに当然ではある。創価学会が者監視の法律制定に動くのは、ある意味、必然なのだ。
創価学会は、自分たちの思想を絶対視して、他宗教を弾圧・攻撃するのを行動指針とする。そこから他の批判を許さない独善の言動が生まれる訳だが、創価学会がある信濃町を歩いてみれば、創価学会の本質が理解出来る。街には監視カメラが溢れ、創価学会批判を監視している。もし、そのような姿勢を示そうものならば、たちまち警備員が飛んで来るし、パトカーまでもが飛んで来るかもしれない。
創価学会・公明党は、自分たちが監視する立場として、共謀罪の生み出す監視社会では、却って自分たちの存在が安泰であると考えているのだ。だから先頭で旗を振る。
安倍晋三も許し難いが、創価学会も同じだ。絶対に許されないし、歴史の審判を受けるだろう。日蓮の法難に重ねて、自分たちが非難されることを団結の手法とする、実に厄介な疑似日蓮宗であり、宗教団体だが、歴史の審判では日蓮にはなれない。稀代の邪宗として断罪される。
創価学会の宗祖戸田氏が弾圧された治安維持法と同じ共謀罪だ。真面目に創価学会を信じている信者の声を聞きたいものだ。

釜ヶ崎ライブステージ

2017-05-16 | Weblog
釜ヶ崎に難波屋という飲み屋がある。その店の奥はライブコンサートを開くスペースになっていて、毎月15日辺りに、西成女医事件と呼ばれる事件の家族が中心のコンサートが開かれている。
釜ヶ崎の労働者を親切に診察していた矢島祥子さんが殺された事件は、最初は自殺として警察は捜査しなかった。多分、釜ヶ崎などは面倒、さっさと処理したい、そんな警察の考えだったのだろう。警察は大阪の釜ヶ崎や東京の山谷に暮らす労働者に対して偏見を持っているし、蔑視している。だから、監視する対象としか考えていない。何かあっても守ったり、保護すべき存在と思っていないから、その労働者の味方として医療行為を行う矢島先生のことも同類の監視対象と考えていたのではないだろうか。釜ヶ崎には、矢島先生の死を自殺と主張する人たちもいるようだから、その主張に乗ってさっさと処理したのだ。
でも、自殺ではない。川の中で水死体のように発見されたのに、矢島先生の遺体は硬直していた。死後硬直、布川事件でも問題になったから、俺も多少の知識がある。水死体は死後硬直しない。水の中にある死体は、常に波や流れに動かされるために筋肉の硬直が起きないのだ。
俺でさえも判ることを見逃しては、そのまま終わる訳がない。矢島先生の部屋は不自然に綺麗でチリや埃がないなどもあり、誰かの指紋抹消工作が疑われることなから
遺族は捜査を求め続けて、今は、一応、事件として捜査対象になっている。
毎月、遺族は釜ヶ崎に通ってビラ配りなどをして事件を風化させないように頑張っているが、その一環としてライブステージも開かれている。
昨夜は、ゲストとして俺に声を掛けて頂いたことから出演して来た。
矢島先生に診て貰った人たちは、今でも先生の恩義を忘れていなくて、昨夜も30名くらいの人たちが来た。
14日の集まりに続いて来てくれた人たちもいて、釜ヶ崎にもファンが生まれた感じだが、久しぶりに生演奏付きでの歌は、凄く気持ち良く唄えた。
満ち足りた釜ヶ崎の2日間だった。