スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

海と宝石②&メロス

2016-09-17 19:04:35 | 歌・小説
 海と宝石①の続きの部分の歌詞は次のようになっています。
                                     

     だから 愛してくれますか
     私の頬が 染まるまで
     だから 愛してくれますか
     季節を染める風よりも 甘やかに
     でも もしもあなたが 困るなら
     海にでも 聴かせる話だけど


 このフレーズは2番にも出てきます。同じようなことを僕は感じるので,まとめての説明だと思ってください。
 この部分が女の独白であることは,最初に聴いたときから僕には分かっていました。だから①の最初の部分をそれとは違って解釈したことを,今の僕は不思議に感じるのです。そしてこの独白からするとおそらく女が独白している時点は季節の変わり目なのでしょう。夏から秋への移行期であるように僕には感じられます。それでいえば秋風が季節を染め上げるより甘やかに私の頬を染めてほしいという願いを叶えてくれますかと尋ねたいのだけれども,そんなことを言えば相手は困るだろうから海に向かって独白しているのだと思われます。
 ですからその意味は判然としています。ただ分からないのはこの部分の冒頭の「だから」がどこから出てくるのかということです。
 論理的にいうとふたつ考えられます。歌詞をテクストと見た場合,その直前,すなわち女の独白を聞いたカモメが振り返り,身につけている宝石を見たから,愛してくれますか,です。女の独白だけ抽出するなら,抱き締めてほしいし温めてほしいから,愛してくれますか,です。前者は意味が通じません。後者も前者ほどではないけれど僕には意味が分かりません。というのは,女は愛してくれますかと尋ねているのであって,愛してくださいとお願いしているのではないからです。だからと続けるなら,お願いでなければ不自然で,疑問形は妙に感じられるのです。
 たぶん女の精神のうちには「だから」という接続詞を用いることができる確たる根拠があるのです。でも僕にはそれが何かが分からないのです。

 メロスが暴君への義憤にかられるのはいいでしょう。だからディオニスを生かしておいてはいけないと思い暗殺しようとするのは短絡的だといえますが,このような表象の推移は時代背景に影響を受けるでしょうから,僕はこの点も問題視しません。
 暗殺を決行するためにメロスが短刀を懐にのこのこと城に出掛けてあっさりと警吏に捕えられるのは,その行為としては愚かといわざるを得ないでしょう。ただこのプロットが実際に意味したいのは,メロスという人間が愚かしいほど正義を愛する純粋さをもっているということだと僕は解します。たぶんその愚かさは小説全体の中で重要な意味をもつと僕は考えますから,ここまでのプロットは僕にも納得はできます。
 しかし捕えられたメロスが処刑までの猶予を得るために,いくら親友であるからといって相手の同意もないままにセリヌンティウスを猶予期間の人質にすることをディオニスに提案するのは,いくらなんでもひどいだろうと僕は思うのです。メロスは自身が帰ってくることを当然の前提としているのでこのような提案をすることが可能になったわけですが,ディオニスが暴君であるということをメロスはこの時点で知っているのですから,ディオニスがセリヌンティウスを危機に晒す可能性があることくらいは分かっていなければなりません。さらに状況からすれば,メロスは処刑を免れるために逃げてしまうことも可能なのですから,これは親友を売ったというように解されかねません。たとえメロスが戻ることを当然と考えていても,これはあまりに自己中心的すぎると僕は思います。
 ですがこの自己中心性も物語全体の中では必要な要素ではあります。それは身勝手な約束をしてしまったメロスが,たとえどんな困難があろうとも猶予の期間内に城へ帰ることの動機になっているからです。そしてこの動機がまた物語全体の肝になるのです。ディオニスが改心するのは,処刑を免れることができたメロスが,親友の処刑を回避するために城に帰ってくるということが理由になっているからです。
 これでみれば分かるように,セリヌンティウスはこの小説の中では一種の道具にすぎないのです。

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