驚愕の末脚で皐月賞を勝ったドゥラメンテの母は2004年のJRA賞で最優秀4歳以上牝馬に選出されたアドマイヤグルーヴです。
パロクサイド系を代表するエアグルーヴの初産駒ですから,産まれながらに期待を集めていたといっていいでしょう。
2歳11月にデビュー。新馬と翌月の特別戦を連勝して翌シーズンに備えました。
3歳初戦は皐月賞トライアルの若葉ステークスを選択。牡馬を相手にハナ差で3連勝を達成し,異例のローテーションで桜花賞へ。競走歴で最低の体重に減らしてしまい3着。オークスでは馬体は回復していたものの7着。母も3歳春は順調さを欠いていた面があり,まだ体質的な弱さを抱えていたのかもしれません。
復帰戦はロースステークスで重賞初制覇。しかし秋華賞は2着。続くエリザベス女王杯で三冠レースで後塵を拝し続けていたスティルインラブを降して大レース制覇を達成しました。
4歳春は大阪杯から。ここはネオユニヴァースの7着。続く金鯱賞も5着。強力な牡馬とは未対戦でしたから止むを得ない結果だったかもしれません。牝馬同士に戻ったマーメイドステークスは3馬身差の快勝で重賞3勝目。
秋は京都大賞典で4着の後,天皇賞でゼンノロブロイの3着。中1週でエリザベス女王杯に出走し連覇を達成。この年の最優秀4歳以上牝馬に。
翌年も現役続行。大阪杯で4着の後,天皇賞に出走しましたがスズカマンボの11着。金鯱賞が4着,宝塚記念が8着と,牡馬相手に結果を残すことはできませんでした。
秋はぶっつけで天皇賞に出走するもヘヴンリーロマンスの17着。ですが牝馬同士のエリザベス女王杯では3着に巻き返し,続く阪神牝馬ステークスで重賞5勝目をあげ,競走生活から引退しました。
6つ下の半弟に2009年のステイヤーズステークスと2010年のダイヤモンドステークスを勝ったフォゲッタブル,そのひとつ下の半弟が2012年のクイーンエリザベスⅡ世カップを含め重賞5勝のルーラーシップと近親に活躍馬多数。ドゥラメンテが最後の産駒ですが,上に牝馬も3頭いますから,さらに一族の枝葉が広がる可能性も残されています。
それを神Deusの本性essentiaと規定するか,あるいは本性から帰結する特質proprietasと規定するかは別に,哲学の体系において神が出現するなら,それが最高に完全な存在existentiaでなければならないということは,一般的な意味において正しいといって差し支えないだろうと思います。ライプニッツ主義の場合,善意は神の本性に属するわけではありません。むしろ神の外部にあるとみられる,ひとつの規準です。ですが実在するすべてのモナドMonadeと共通点を有するのはモナドの中のモナドである神だけですから,その規準によって現実世界を選択することが可能な存在は神だけです。なのでたとえ神が自身の本性には属さない事柄によって何らかの決定をするdeterminareのであったとしても,神が最高に完全な存在であると主張することは可能だと思います。ですから僕はこの方面では,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが規定している神が,最高に完全ではあり得ないとはいいません。少なくとも完全性perfectioを絶対的なものとしてではなく,相対的なものとして把握する限り,それは守られているとしかいいようがないと思うからです。また,ライプニッツ自身も,意図的に神の完全性を否定するようなことは主張しないだろうと確信しています。
しかし,ある事柄に関しては無知であるという存在について,それを最高に完全であると規定してよいかどうかは別です。確かに神以上に事物を十全に認識するcognoscereことが可能な存在が皆無であったとしても,自然Naturaのうちに真理veritasとして存在するような事柄のすべてを十全に認識することができないような存在が,最高に完全であるというのは,一般的な意味において神が最高に完全であるといわれなければならない場合の規範を逸脱しているのではないかという疑念が生じるからです。
スチュアートMatthew Stewartが,もしもライプニッツが神とモナドの関係で,神はモナドであるという選択をした場合には,神は神でなくなり,したがってライプニッツは無神論者になるといっているのは,このような意味においてであるといえます。そしてスチュアートの見解opinioの主旨をこのように把握する限り,僕はスチュアートはここでも正しい指摘をしていると考えるのです。いい換えれば,僕もその見解に同意するのです。
パロクサイド系を代表するエアグルーヴの初産駒ですから,産まれながらに期待を集めていたといっていいでしょう。
2歳11月にデビュー。新馬と翌月の特別戦を連勝して翌シーズンに備えました。
3歳初戦は皐月賞トライアルの若葉ステークスを選択。牡馬を相手にハナ差で3連勝を達成し,異例のローテーションで桜花賞へ。競走歴で最低の体重に減らしてしまい3着。オークスでは馬体は回復していたものの7着。母も3歳春は順調さを欠いていた面があり,まだ体質的な弱さを抱えていたのかもしれません。
復帰戦はロースステークスで重賞初制覇。しかし秋華賞は2着。続くエリザベス女王杯で三冠レースで後塵を拝し続けていたスティルインラブを降して大レース制覇を達成しました。
4歳春は大阪杯から。ここはネオユニヴァースの7着。続く金鯱賞も5着。強力な牡馬とは未対戦でしたから止むを得ない結果だったかもしれません。牝馬同士に戻ったマーメイドステークスは3馬身差の快勝で重賞3勝目。
秋は京都大賞典で4着の後,天皇賞でゼンノロブロイの3着。中1週でエリザベス女王杯に出走し連覇を達成。この年の最優秀4歳以上牝馬に。
翌年も現役続行。大阪杯で4着の後,天皇賞に出走しましたがスズカマンボの11着。金鯱賞が4着,宝塚記念が8着と,牡馬相手に結果を残すことはできませんでした。
秋はぶっつけで天皇賞に出走するもヘヴンリーロマンスの17着。ですが牝馬同士のエリザベス女王杯では3着に巻き返し,続く阪神牝馬ステークスで重賞5勝目をあげ,競走生活から引退しました。
6つ下の半弟に2009年のステイヤーズステークスと2010年のダイヤモンドステークスを勝ったフォゲッタブル,そのひとつ下の半弟が2012年のクイーンエリザベスⅡ世カップを含め重賞5勝のルーラーシップと近親に活躍馬多数。ドゥラメンテが最後の産駒ですが,上に牝馬も3頭いますから,さらに一族の枝葉が広がる可能性も残されています。
それを神Deusの本性essentiaと規定するか,あるいは本性から帰結する特質proprietasと規定するかは別に,哲学の体系において神が出現するなら,それが最高に完全な存在existentiaでなければならないということは,一般的な意味において正しいといって差し支えないだろうと思います。ライプニッツ主義の場合,善意は神の本性に属するわけではありません。むしろ神の外部にあるとみられる,ひとつの規準です。ですが実在するすべてのモナドMonadeと共通点を有するのはモナドの中のモナドである神だけですから,その規準によって現実世界を選択することが可能な存在は神だけです。なのでたとえ神が自身の本性には属さない事柄によって何らかの決定をするdeterminareのであったとしても,神が最高に完全な存在であると主張することは可能だと思います。ですから僕はこの方面では,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizが規定している神が,最高に完全ではあり得ないとはいいません。少なくとも完全性perfectioを絶対的なものとしてではなく,相対的なものとして把握する限り,それは守られているとしかいいようがないと思うからです。また,ライプニッツ自身も,意図的に神の完全性を否定するようなことは主張しないだろうと確信しています。
しかし,ある事柄に関しては無知であるという存在について,それを最高に完全であると規定してよいかどうかは別です。確かに神以上に事物を十全に認識するcognoscereことが可能な存在が皆無であったとしても,自然Naturaのうちに真理veritasとして存在するような事柄のすべてを十全に認識することができないような存在が,最高に完全であるというのは,一般的な意味において神が最高に完全であるといわれなければならない場合の規範を逸脱しているのではないかという疑念が生じるからです。
スチュアートMatthew Stewartが,もしもライプニッツが神とモナドの関係で,神はモナドであるという選択をした場合には,神は神でなくなり,したがってライプニッツは無神論者になるといっているのは,このような意味においてであるといえます。そしてスチュアートの見解opinioの主旨をこのように把握する限り,僕はスチュアートはここでも正しい指摘をしていると考えるのです。いい換えれば,僕もその見解に同意するのです。
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