スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

平安賞&観念と意志

2019-09-30 18:51:13 | 競輪
 昨日の向日町記念の決勝。並びは菅田-佐藤-阿部-鈴木の北日本,郡司-田中の南関東,松浦-岩津の中国で井上は単騎。
 鈴木がスタートを取って菅田の前受け。5番手に郡司,7番手に松浦,最後尾に井上で周回。残り3周のバックの出口から松浦が上昇。井上も続きました。しかしホームで菅田に並び掛けたところで菅田が突っ張り,誘導は退避。松浦は引いて5番手に内で郡司,外に松浦の併走。スローペースのまま打鐘。ホームの入口から菅田が発進しました。松浦は郡司を内に封じ込めるような形で発進。しかし最終コーナーで佐藤に牽制されて失速。踏むところがなかった郡司が内を突いて菅田と佐藤の間に割り込もうとしましたが,これも佐藤が阻止。佐藤はそこから踏み込ましたが,佐藤マークの阿部が佐藤の外から鋭く伸び,佐藤を差して優勝。佐藤が4分の3車輪差で2着となり,北日本のワンツー。佐藤に阻止された郡司が1車身差で3着。
 優勝した宮城の阿部力也選手は記念競輪初優勝。FⅠでも一昨年に2度の優勝があるだけの選手ですから,このメンバーの中では伏兵。このレースは郡司と松浦の脚力が上位ですが,北日本勢が4人で結束しましたので,その展開の利を生かして佐藤の優勝はあり得るとみていました。しかし阿部が突き抜けての優勝は予測できませんでした。郡司と松浦が牽制し合うようなレースになったのは,北日本の作戦が上手だったからで,そういう展開に持ち込んだところで北日本には有利な展開に。佐藤の優勝かと思いましたが,直線の阿部の伸びが素晴らしかったです。

 ここでは翼のある馬のことをペガサスということにします。
                                   
 第二部定理四九備考がいっているのは,ペガサスを知覚するということと,馬に対して翼を肯定するのは同じことであるということです。これは,ペガサスの観念ideaと,馬に対して翼を肯定する意志作用volitioは同じだという意味です。他面からいうと,馬に対して翼を肯定する意志作用があるのでなければ,ペガサスの観念がある知性intellectusのうちにあることはできず,逆にペガサスの観念がある知性のうちにあるのであれば,この知性は馬に対して翼を肯定しているのでなければならないという意味です。よってこれは,ペガサスの観念は馬に対して翼を肯定する意志作用なしにはあることはできないし,馬に対して翼を肯定する意志作用はペガサスの観念があるのでなければあることができないという関係にあることを意味することになります。第二部定義二から分かるように,ペガサスの観念と馬に対して翼を肯定する意志作用は,事物と本性essentiaの間の関係に類する関係にあるとスピノザはいっているのです。
 十全な観念idea adaequataの場合,観念とそれを肯定する意志作用が,事物と本性の間にあるのに類する関係にあるということはもっと分かりやすいでしょう。十全adaequatumなるものを十全なるものとして肯定する意志作用が,十全な観念なしにはあることができないのは当然であり,そうであるなら十全な観念が十全なるものを十全なるものとして肯定する意志作用なしにあることはできないということも帰結するからです。そしてスピノザは,こうした関係は十全な観念だけに特有にいえるような性質であるわけではなく,混乱した観念idea inadaequataの場合にも同じように妥当するとみていることになります。つまり混乱した観念にも意志作用が含まれているのであって,その意志作用という力potentiaの性質は,十全な観念に含まれてる意志作用が有する力の性質と同等であるといっていることになるのです。
 これによって,意志作用が観念を,一般的にいえば意志voluntasが知性を超越し得ないという結論は導き出せます。ところが,このように,十全な観念であれ混乱した観念であれ,それを肯定する意志作用という力を同等の力とみなすと,今度は別の疑問が生じます。

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