スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヤンググランプリ&佐藤拓司の論考

2013-01-01 18:27:13 | 競輪
 12月29日に京王閣競輪場で戦われたヤンググランプリ。並びは竹内ー松岡の岐阜と原田ー増原の瀬戸内で,小松崎,馬場,井上,窓場,稲毛は単騎。
 スタートを取ったのは増原で,原田の前受けに。ここに続いたのは窓場と小松崎。5番手が竹内で松岡の後ろに稲毛,井上,馬場で周回。残り3周のバックで稲毛が上昇。井上,馬場が続いて竹内も上がっていきました。残り2周で稲毛は原田を叩き,これをさらに竹内が叩いて打鐘。松岡の後ろには小松崎が入り,その後ろが稲毛になりました。そのまま竹内は発進。一列棒状から引いた原田,井上,さらには稲毛も発進。最も前にいた稲毛のスピードがよく,一旦は捲りきったのですが,竹内の番手から松岡がこじ開けるように出てくると,内から稲毛を抜き返し,最後は1車身という大きな差をつけて優勝。稲毛が2着。松岡マークとなった小松崎が4分の1車輪まで迫って3着。
 優勝した岐阜の松岡篤哉選手はこれがグレードレース初優勝。といってもここはグレードレースを優勝したことがないメンバーでの争いでした。97期とはいえもう30歳と若いといえる選手ではありませんから,これから数年が選手としての勝負どころになるでしょう。ここは弟弟子の竹内の存在も大きかったように思います。

 『堕天使の倫理』における佐藤拓司の探求は,実は第二部定理一二の意味で考えた方が,容易に理解できるようになっていると僕には感じられます。ただしこれは,佐藤が第二部定理一二の新しい意味を認めていないということを意味するものではありません。
                         
 佐藤は第二部定理一二そのものを論考の対象としているわけではなくて,スピノザの合理主義の体系の中で精神と観念との関係を考察するときに,ひとつの難題として第二部定理一二を取り上げています。この影響でこの考察過程において,人間が認識する十全な観念と混乱した観念が,単にそれを第二部定理一二についての考察であるとみなした場合には,わりに錯綜して出てくるのです。この論考がかつての第二部定理一二の意味の方で考えた方が理解しやすいというのは,こうした理由からであるにすぎません。僕はあくまでもニュアンスとしていっていますので,お読みになっていない方には分からないかもしれませんが,ここで佐藤が第二部定理一二について言及している事柄は,第二部定理一二の意味,すなわち人間が自分の身体の中に起こることを十全に認識すると仮定しても,あるいは第二部定理一二の新しい意味,すなわち人間が自分の身体の中に起こることを混乱して認識すると仮定してみたとしても,どちらの場合にも成立するようになっています。いい換えればここで佐藤が論じている事柄は,第二部定理一二でいわれている観念が,十全な観念であるのか混乱した観念であるのかということとは関係なく妥当するのです。
 これから始める僕自身の考察も,この佐藤の論考を参考にした上で進めていくものですから,同じことが妥当はします。ただし僕はせっかく第二部定理一二の新しい意味を今回の考察において見出したのですから,こちらの方をこれからの考察の前提としていくことにします。つまり人間が自分の身体の中に起こることを混乱して認識するという場合に,その中に何かが起こるといわれている身体とは,『エチカ』においてどのような意味を有しているのか,あるいはどのような物体として位置付けられているのかということが,ここでの問いになるということです。

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