日本時間で昨晩から今日の未明にかけてUAEのメイダン競馬場で開催されたドバイワールドカップミーティング。今年は計6レースに14頭の日本調教馬が出走しました。
ゴドルフィンマイルGⅡダート1600m。アディラートは2番手集団の内,発馬後に躓いたアキトクレッセントは後方2番手を追走。アディラートはコーナーから直線に掛けても内を回って一旦は2番手。外から1頭に抜かれ勝ち馬から2馬身半差の3着。アキトクレッセントは4コーナー手前から離され出し,1頭だけ大きく遅れての最下位。アディラートはまだ準オープンの身。出世を阻んでいるのはレースで騎手に対して従順な面を欠くからで,能力は高いものがあります。ここは騎手の思うようなレースができての結果。安定性は欠くでしょうが,重賞を勝つだけの力はある馬です。アキトクレッセントは能力を十全に発揮できても苦しかったでしょうが,馬場が合わなかったとしかいいようがない内容でした。
UAEダービーGⅡダート1900m。ルッジェーロは前に行く気はあったようですがついていかれずに後方3番手。タイキフェルヴールはその後ろを押してついていくのがやっと。向正面で2頭とも外に持ち出してやや追い上げました。このレースは逃げた勝ち馬が2着を18馬身半も離したのですが,3コーナーを回ってから勝ち馬が後ろを離し始めると遅れ出しました。ただ最後まで力を出すレースはしたタイキフェルヴールが2着馬から9馬身半差の6着。ルッジェーロはそこから15馬身4分の3差で8着。このレースは勝ち馬が強すぎ,このようなケースはそれ以下の着順や着差に能力が正確に反映されるケースは少ないです。
ドバイゴールデンシャヒーンGⅠダート1200m。マテラスカイは3,4番手の内を追走。直線で一旦は3着争いの叩き合いに参加するシーンはありましたがそこで一杯。勝ち馬からおよそ5馬身差の5着。この馬は今年に入って1000万と1600万を連勝した上がり馬。強敵との対戦がなかったことを考えれば内容的には大健闘でしょう。
ドバイターフGⅠ芝1800m。ネオリアリズムは掛かり気味に2番手集団の直中,クロコスミアはその外でリアルスティールが直後。ディアドラが後方3番手でヴィブロスが後方2番手を追走。直線に入って抜け出した勝ち馬を追ってリアルスティールが2番手に上がると追ってきたディアドラがその外,後方から大外に出したヴィブロスがその外から迫って3頭による激しい2着争い。ヴィブロスが3馬身半差の2着でクビ差でリアルスティールとディアドラが3着同着。そこから約6馬身半差の7着にクロコスミア。さらに1馬身4分の1差の8着にネオリアリズム。芝の状態が先行馬に有利だったようで,2着争いの3頭が勝ち馬に離されたのはその影響もあったでしょう。ネオリアリズムはコーナーが少なく直線が長いというコースには適性を欠くようです。クロコスミアは能力的にこのくらいの差はあるかもしれませんが,もっと積極的に乗る手はあったと思います。
ドバイシーマクラシックGⅠ芝2410m。サトノクラウンが枠内で左の馬が立ち上がったのにつられて立ち上がり,一旦は枠から出されましたがそのまま出走。モズカッチャンが6番手でレイデオロがその外。サトノクラウンはこの2頭の間を半馬身ほど離れて追走。このレースは超スローペースの瞬発力勝負となり,3頭の伸び脚に差はありましたが優勝争いには加われず,流れ込んだだけというレースになりました。レイデオロが勝ち馬から約5馬身差の4着。そこから約1馬身差でモズカッチャンが6着。さらに1馬身半差でサトノクラウンは7着。位置取りで結果が決まってしまったレース。外国馬も含めて,能力差が反映された内容とはいい難かったと思います。
ドバイワールドカップGⅠダート2000m。アウォーディーは好発でしたがそれ以上の行き脚はなく7番手。向正面で外に出しました。3コーナーで手が動き出し,コーナーの途中で前の7頭から離され始めましたが,直線に入るとやや盛り返すところをみせ,勝ち馬からは約9馬身半差の6着。能力面に陰りがあるのかなと思わせている現状。2着馬からは大きく離されているわけではなく,妥当に能力を出した結果だったかもしれません。
排他的思想を有する人が憎しみodiumの虜になっていることはすでに説明したことですが,とりわけ憤慨indignatioという憎しみを人が感じるとき,その人は憤慨の虜になりやすい事情があります。というのは,第三部諸感情の定義七からして,僕たちはある人が自分に悲しみtristitiaを与えたならその人のことを憎みます。これはその人が外部の原因の観念idea cause externaeとして伴った悲しみにほかならないからです。この定義Definitioに比していうなら,憤慨というのは,愛する者の悲しみとその原因の観念を伴った悲しみといえます。しかるに第三部定理二一により,単に愛する者が悲しんでいる観念だけで僕たちは悲しむことになります。よって第三部定理二二によって僕たちは愛する者に悲しみを与えた人のことを憎むようになるのですが,憤慨の場合は単に自分が悲しんでいるということに加えて,愛する者が悲しんでいるという表象imaginatioがありますから,実は単に自分が悲しみを与えられた,いい換えれば害悪を受けたという場合より,悲しみの度合が強くなってしまうのです。つまり憎しみが自分の悲しみを感じた感情affectusであるとするなら,憤慨は自分の悲しみと愛する者の悲しみの両方を感じた感情であるといえるのです。
さらにいうと,それが愛する者の悲しみの表象を伴っているということは,憤慨を正当化しやすい要因のひとつを形成しているともいえます。というのは,自分の悲しみのために人を憎むのは,自分のためだけに憎んでいるのですが,愛する者の悲しみのために憤慨する場合には,自分の悲しみのためだけではなく,愛する者の悲しみのためにも憤慨していることになるからです。憎んでいる人が双方を意識するなら,つまりその感情の観念を有するなら,前者の場合はもしかしたら自分勝手に自分の都合だけで人のことを憎んでいると思うかもしれません。もしこのように認識されるなら,その憎しみは不当と判断されることがないわけではないでしょう。ところが愛する者のために憤慨しているという場合には,このような意識は生じ得ません。いい換えれば,自分のために憎んでいるのではなく愛する者のために憎んでいるのだから,この憎しみは正当な憎しみであると判断されやすくなるのです。
ゴドルフィンマイルGⅡダート1600m。アディラートは2番手集団の内,発馬後に躓いたアキトクレッセントは後方2番手を追走。アディラートはコーナーから直線に掛けても内を回って一旦は2番手。外から1頭に抜かれ勝ち馬から2馬身半差の3着。アキトクレッセントは4コーナー手前から離され出し,1頭だけ大きく遅れての最下位。アディラートはまだ準オープンの身。出世を阻んでいるのはレースで騎手に対して従順な面を欠くからで,能力は高いものがあります。ここは騎手の思うようなレースができての結果。安定性は欠くでしょうが,重賞を勝つだけの力はある馬です。アキトクレッセントは能力を十全に発揮できても苦しかったでしょうが,馬場が合わなかったとしかいいようがない内容でした。
UAEダービーGⅡダート1900m。ルッジェーロは前に行く気はあったようですがついていかれずに後方3番手。タイキフェルヴールはその後ろを押してついていくのがやっと。向正面で2頭とも外に持ち出してやや追い上げました。このレースは逃げた勝ち馬が2着を18馬身半も離したのですが,3コーナーを回ってから勝ち馬が後ろを離し始めると遅れ出しました。ただ最後まで力を出すレースはしたタイキフェルヴールが2着馬から9馬身半差の6着。ルッジェーロはそこから15馬身4分の3差で8着。このレースは勝ち馬が強すぎ,このようなケースはそれ以下の着順や着差に能力が正確に反映されるケースは少ないです。
ドバイゴールデンシャヒーンGⅠダート1200m。マテラスカイは3,4番手の内を追走。直線で一旦は3着争いの叩き合いに参加するシーンはありましたがそこで一杯。勝ち馬からおよそ5馬身差の5着。この馬は今年に入って1000万と1600万を連勝した上がり馬。強敵との対戦がなかったことを考えれば内容的には大健闘でしょう。
ドバイターフGⅠ芝1800m。ネオリアリズムは掛かり気味に2番手集団の直中,クロコスミアはその外でリアルスティールが直後。ディアドラが後方3番手でヴィブロスが後方2番手を追走。直線に入って抜け出した勝ち馬を追ってリアルスティールが2番手に上がると追ってきたディアドラがその外,後方から大外に出したヴィブロスがその外から迫って3頭による激しい2着争い。ヴィブロスが3馬身半差の2着でクビ差でリアルスティールとディアドラが3着同着。そこから約6馬身半差の7着にクロコスミア。さらに1馬身4分の1差の8着にネオリアリズム。芝の状態が先行馬に有利だったようで,2着争いの3頭が勝ち馬に離されたのはその影響もあったでしょう。ネオリアリズムはコーナーが少なく直線が長いというコースには適性を欠くようです。クロコスミアは能力的にこのくらいの差はあるかもしれませんが,もっと積極的に乗る手はあったと思います。
ドバイシーマクラシックGⅠ芝2410m。サトノクラウンが枠内で左の馬が立ち上がったのにつられて立ち上がり,一旦は枠から出されましたがそのまま出走。モズカッチャンが6番手でレイデオロがその外。サトノクラウンはこの2頭の間を半馬身ほど離れて追走。このレースは超スローペースの瞬発力勝負となり,3頭の伸び脚に差はありましたが優勝争いには加われず,流れ込んだだけというレースになりました。レイデオロが勝ち馬から約5馬身差の4着。そこから約1馬身差でモズカッチャンが6着。さらに1馬身半差でサトノクラウンは7着。位置取りで結果が決まってしまったレース。外国馬も含めて,能力差が反映された内容とはいい難かったと思います。
ドバイワールドカップGⅠダート2000m。アウォーディーは好発でしたがそれ以上の行き脚はなく7番手。向正面で外に出しました。3コーナーで手が動き出し,コーナーの途中で前の7頭から離され始めましたが,直線に入るとやや盛り返すところをみせ,勝ち馬からは約9馬身半差の6着。能力面に陰りがあるのかなと思わせている現状。2着馬からは大きく離されているわけではなく,妥当に能力を出した結果だったかもしれません。
排他的思想を有する人が憎しみodiumの虜になっていることはすでに説明したことですが,とりわけ憤慨indignatioという憎しみを人が感じるとき,その人は憤慨の虜になりやすい事情があります。というのは,第三部諸感情の定義七からして,僕たちはある人が自分に悲しみtristitiaを与えたならその人のことを憎みます。これはその人が外部の原因の観念idea cause externaeとして伴った悲しみにほかならないからです。この定義Definitioに比していうなら,憤慨というのは,愛する者の悲しみとその原因の観念を伴った悲しみといえます。しかるに第三部定理二一により,単に愛する者が悲しんでいる観念だけで僕たちは悲しむことになります。よって第三部定理二二によって僕たちは愛する者に悲しみを与えた人のことを憎むようになるのですが,憤慨の場合は単に自分が悲しんでいるということに加えて,愛する者が悲しんでいるという表象imaginatioがありますから,実は単に自分が悲しみを与えられた,いい換えれば害悪を受けたという場合より,悲しみの度合が強くなってしまうのです。つまり憎しみが自分の悲しみを感じた感情affectusであるとするなら,憤慨は自分の悲しみと愛する者の悲しみの両方を感じた感情であるといえるのです。
さらにいうと,それが愛する者の悲しみの表象を伴っているということは,憤慨を正当化しやすい要因のひとつを形成しているともいえます。というのは,自分の悲しみのために人を憎むのは,自分のためだけに憎んでいるのですが,愛する者の悲しみのために憤慨する場合には,自分の悲しみのためだけではなく,愛する者の悲しみのためにも憤慨していることになるからです。憎んでいる人が双方を意識するなら,つまりその感情の観念を有するなら,前者の場合はもしかしたら自分勝手に自分の都合だけで人のことを憎んでいると思うかもしれません。もしこのように認識されるなら,その憎しみは不当と判断されることがないわけではないでしょう。ところが愛する者のために憤慨しているという場合には,このような意識は生じ得ません。いい換えれば,自分のために憎んでいるのではなく愛する者のために憎んでいるのだから,この憎しみは正当な憎しみであると判断されやすくなるのです。
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