9日に決勝が行われた共同通信社杯。スタートで手島選手が出て山崎選手を受けました。中団が市田選手で後方が岡部選手。残り2周から岡部選手が上昇して前に出ると,これにつけた市田選手が打鐘で先頭に。ここで満を持していた山崎選手がかますような形で先行しました。市田選手が飛びつきを狙いましたがやや踏み遅れた感じで3番手の手島選手の内に。手島選手は番手を上げて金成選手の外に行きましたがこれは金成選手にあっさりと捌かれ後退。この前団の動きを後方で見ていた岡部選手が2コーナー過ぎから発進。番手の金成選手,そして先行した山崎選手自身も抵抗しましたが捲りきることに成功。ただこの抵抗にやや力を使ったか,直線では岡部選手の後ろを選択した合志選手が差しきっての優勝となりました。2着は岡部選手,3着に山崎選手でした。優勝した熊本の合志正臣選手は,プロフィールによると162センチ,60キロと競輪選手としてはかなり小柄。持ち味はシャープな差し脚で,番手戦も含めて自在に戦えますが,この日のように追い込みに徹した方がその武器が生かせる感じ。その意味では,岡部選手の後ろを選んだことがこの好結果に結びついたと思います。ビッグはこれが初優勝。グレードレースは2004年の一宮記念以来だと思います。オールスターの井上選手から,青森記念の島田選手,向日町記念の小野選手と,九州勢が好調です。岡部選手は自力を選んで正解。最後は差されましたがいいレースをしました。山崎選手は金成選手のことも考えての作戦だったと思いますが,自分の勝ちだけに徹すれば別の方法もあったと思え,ちょっと残念です。
明日からは観音寺記念です。
意志と自由が直結している限り,人間には自由,なかんずく自由意志というものはないということは,その当時に意志について考えたときに,僕には明らかなことであるように思えました。というのも,現実的に人間が意志する場合というのを考えてみれば,ある状況に応じてその状況に適合するように意志するとしか考えられなかったからです。したがって,自由というのが自分自身が自分自身の作為(行為)の十全な原因であるという意味であるのだとすれば,人間がある特定の意志をする状況(スピノザ哲学的に正確を期せば,その状況の観念)というのは,その意志をする人間自身(の精神)とともにその意志の部分的原因の一角をなし,したがって,人間が意志をする場合には,自分自身がその意志の十全な原因であるということは不可能だと考えられるからです。この点はすでにここでのテーマとも深く関係してきていますから,僕の考えをもう少し詳しく説明することにします。
明日からは観音寺記念です。
意志と自由が直結している限り,人間には自由,なかんずく自由意志というものはないということは,その当時に意志について考えたときに,僕には明らかなことであるように思えました。というのも,現実的に人間が意志する場合というのを考えてみれば,ある状況に応じてその状況に適合するように意志するとしか考えられなかったからです。したがって,自由というのが自分自身が自分自身の作為(行為)の十全な原因であるという意味であるのだとすれば,人間がある特定の意志をする状況(スピノザ哲学的に正確を期せば,その状況の観念)というのは,その意志をする人間自身(の精神)とともにその意志の部分的原因の一角をなし,したがって,人間が意志をする場合には,自分自身がその意志の十全な原因であるということは不可能だと考えられるからです。この点はすでにここでのテーマとも深く関係してきていますから,僕の考えをもう少し詳しく説明することにします。