挑戦者・石橋幸緒女流四段の2勝1敗で迎えた今日の女流王位戦五番勝負第四局。
その石橋四段の先手で相矢倉模様に。15手目に先手が早くも▲2六歩と突いたのは,後手の清水市代女流王位が,この形から右四間飛車にして急戦を目指す指し方を得意としているので,それを牽制する狙いがあったのではないかと思われます。先手がここで飛車先の歩を突いたので後手も急戦にはせず囲い,昔の24手組になりました。そして38手目の△9四歩で先後同型に。
先手から仕掛けるのは当然で,41手目に▲3五歩でしたが,44手目にすぐ△3六歩と打たれてみると,この開戦の仕方はまずかったように思われます。先に▲5五歩だったのかもしれません(渡辺竜王の解説ですと,この後,55手目の▲5四銀が疑問手で,▲4六角△3七歩成▲同角と進めなければならなかったそうです。これは桂損ですが後手が歩切れなので勝負になるということなのでしょう。すぐに△3七歩成とせずに△3四銀と立つのは,さすがに無理なのでしょうか)。実戦は60手目の△3七歩成で後手が桂得。さらにここから▲4六角に,△6四桂とおそらく好手で取ったばかりの桂馬を打ち,▲同角△同角で後手の角得になりました。さらに3七にはと金がいるわけですから,普通に考えてここは後手が優勢でしょう(ただし石橋四段自身ははっきり悪いとは感じていなかったようで,67手目の△5四歩を反省しています。74手目の△3六との局面では劣勢と思われたようです)。
こうなれば先手としては攻めるよりないのですが,攻めは細くあまり続く形ではありません。75手目の▲4六歩はもしも△同となら▲2三歩成~▲3五桂とする狙いだったと思われますが,後手はあっさり△5六角▲同金と飛車角交換して△2八飛。この局面は後手の勝勢と思われます。以下,88手目の△7七角成からは長手順ですが即詰み。後手の勝ちに終っています。
第三局まで,清水王位はらしくない将棋でしたが,ここはその流れからすれば考えられないような快勝でした。これですべて後手が勝っての2勝2敗。決戦となる第五局は11月5日に指されます。
第二部定義三で,観念が,精神が形成する精神の概念といわれていることが,なぜひとつの疑問を呈するといい得るのかを詳しく説明するために,ここで第二部定理一一を検討しておくことにします。
「人間精神の現実的有を構成する最初のものは,現実に存在するある個物の観念にほかならない」。
この定理を証明する前に,現在のテーマと関連して,この定理をどのように理解するのかということを先に説明しておきます。
一見して分かるように,この定理の趣旨というのは,人間の精神を構成する第一のものが,ある個物の観念であるという点にあります。そしてこのブログではすでに何度も紹介しているこの定理の系,すなわち第二部定理一一系から考えて,この定理でスピノザが本当に意図したかったことは,人間の精神の本性を構成するところのものが,無限なものではなく,個物つまり有限なものであるということであるだろうと思います。
しかしここでは,この趣旨から離れ,人間の精神の本性を構成する最初のものが,ある観念であるという点に注目することにします。そしてこれをいうことにより,すべて人間と同じ性質を有するもの,すなわち,あらゆる個物について,その個物の精神の本性を構成する最初のものが,ある観念であるということがいえるということになります。
さらに,もしも無限な精神というものが考えられると仮定した場合には,個物の精神の本性を構成する第一のものがある個物の観念であるということから,無限である精神の本性を構成する最初のものが,ある無限なもの,すなわち無限様態の観念であるということも明らかであるというように理解します。
これは本来の第二部定理一一からはいささか外れた理解になるとは思いますが,少なくともこうしたことが,この定理から生じてくるということに関しては,僕は問題がないものと考えます。
その石橋四段の先手で相矢倉模様に。15手目に先手が早くも▲2六歩と突いたのは,後手の清水市代女流王位が,この形から右四間飛車にして急戦を目指す指し方を得意としているので,それを牽制する狙いがあったのではないかと思われます。先手がここで飛車先の歩を突いたので後手も急戦にはせず囲い,昔の24手組になりました。そして38手目の△9四歩で先後同型に。
先手から仕掛けるのは当然で,41手目に▲3五歩でしたが,44手目にすぐ△3六歩と打たれてみると,この開戦の仕方はまずかったように思われます。先に▲5五歩だったのかもしれません(渡辺竜王の解説ですと,この後,55手目の▲5四銀が疑問手で,▲4六角△3七歩成▲同角と進めなければならなかったそうです。これは桂損ですが後手が歩切れなので勝負になるということなのでしょう。すぐに△3七歩成とせずに△3四銀と立つのは,さすがに無理なのでしょうか)。実戦は60手目の△3七歩成で後手が桂得。さらにここから▲4六角に,△6四桂とおそらく好手で取ったばかりの桂馬を打ち,▲同角△同角で後手の角得になりました。さらに3七にはと金がいるわけですから,普通に考えてここは後手が優勢でしょう(ただし石橋四段自身ははっきり悪いとは感じていなかったようで,67手目の△5四歩を反省しています。74手目の△3六との局面では劣勢と思われたようです)。
こうなれば先手としては攻めるよりないのですが,攻めは細くあまり続く形ではありません。75手目の▲4六歩はもしも△同となら▲2三歩成~▲3五桂とする狙いだったと思われますが,後手はあっさり△5六角▲同金と飛車角交換して△2八飛。この局面は後手の勝勢と思われます。以下,88手目の△7七角成からは長手順ですが即詰み。後手の勝ちに終っています。
第三局まで,清水王位はらしくない将棋でしたが,ここはその流れからすれば考えられないような快勝でした。これですべて後手が勝っての2勝2敗。決戦となる第五局は11月5日に指されます。
第二部定義三で,観念が,精神が形成する精神の概念といわれていることが,なぜひとつの疑問を呈するといい得るのかを詳しく説明するために,ここで第二部定理一一を検討しておくことにします。
「人間精神の現実的有を構成する最初のものは,現実に存在するある個物の観念にほかならない」。
この定理を証明する前に,現在のテーマと関連して,この定理をどのように理解するのかということを先に説明しておきます。
一見して分かるように,この定理の趣旨というのは,人間の精神を構成する第一のものが,ある個物の観念であるという点にあります。そしてこのブログではすでに何度も紹介しているこの定理の系,すなわち第二部定理一一系から考えて,この定理でスピノザが本当に意図したかったことは,人間の精神の本性を構成するところのものが,無限なものではなく,個物つまり有限なものであるということであるだろうと思います。
しかしここでは,この趣旨から離れ,人間の精神の本性を構成する最初のものが,ある観念であるという点に注目することにします。そしてこれをいうことにより,すべて人間と同じ性質を有するもの,すなわち,あらゆる個物について,その個物の精神の本性を構成する最初のものが,ある観念であるということがいえるということになります。
さらに,もしも無限な精神というものが考えられると仮定した場合には,個物の精神の本性を構成する第一のものがある個物の観念であるということから,無限である精神の本性を構成する最初のものが,ある無限なもの,すなわち無限様態の観念であるということも明らかであるというように理解します。
これは本来の第二部定理一一からはいささか外れた理解になるとは思いますが,少なくともこうしたことが,この定理から生じてくるということに関しては,僕は問題がないものと考えます。
なかなか将棋に関して詳しい解説をされていますね。
私もこの度将棋に関するブログ記事を書きたいと思い、今日からはじめたところです。
書いた記事が女流王位戦だったので、よろしければ私のブログも覗いて見て下さい。
http://wrq06995.blog98.fc2.com/blog-entry-56.html
僕は棋力はそうも高くありませんので
内奥の方はあまりあてにはなさらないでください。
手の解説をされる将棋ファンのブログを3つ紹介します。
Logical Spaceさんの将棋の日記。
http://blog.goo.ne.jp/mathshogi/
kuroumaさんのkuroumaのブログ。
http://blog.goo.ne.jp/kurouma_2006
ものぐささんのものぐさ将棋観戦ブログ。
http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/
すでにご存知かもしれませんが,ご覧になってください。