読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

あなごめし うえの

2018-09-29 17:38:37 | グルメ


7月22日と30日、広島県廿日市(はつかいち)市の宮島口駅近くにある「あなごめし うえの」に行きました。
このお店はかなり人気があり行列になっていることが多く、さらに夕方のうちに閉まるので前回山陽に住んでいた時は寄れませんでした。
7月22日は日曜日で、夕方に宮島(世界遺産厳島神社のある島)から戻ってきた時についに寄ることができました。



この時はあなご飯の上を頼みました。
ご飯は二膳弱で、穴子が二尾くらい入ります。



こちらは7月30日に寄った時に頼んだあなご飯の特上です。
特上はご飯の量は同じですがあなごの量が増えます。

食べてみてあなごの焼き方がかなり上手いと思いました。
炭火焼きでカリッと焼いていて、炭火の風味が強く出ています。
そしてあなごはさっぱりとした食べ心地になっています。
私はうなぎよりもあなごのほうが食べやすくて好きです。

ご飯はタレを絡めて炊いていて茶飯のようになっています。
漬け物も美味しく、しそ風味の漬け物、たくあん、菜っぱの塩漬けどれも美味しかったです。
さらにしょうがも美味しく、酸味の後に辛さがスーッと広がりました。
付け合わせまで美味しいのは嬉しいです。

これは大人気のお店になるわけだと思いました。
地域一帯で一番美味しいとも言われる評判どおりの美味しさでした。
あなご飯はお好み焼きや牡蠣とともに広島の名物でもあり、またいずれ食べに行ければと思います
コメント (8)
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「毛利元就 第十四回 巨人とひよっこ」

2018-09-28 17:55:51 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第十四回 巨人とひよっこ」です。

-----内容&感想-----
毛利家は山陰の覇者になった尼子経久(つねひさ)の度重なる圧力に屈して尼子軍に与することになりました。
安芸の国(広島県)の鏡山城攻めを行う経久の本陣で、経久は幸松丸(こうまつまる)に尼子軍への合流が遅れた代わりにそれなりの働きをしてもらうと言い、毛利軍に先陣を務めてもらうと言います。
元就が自身に言ってくれと言うと、経久は「そなたは読みが浅く、決断が遅く、戦下手だ。9つの殿に申し上げたほうがまだマシと思うての」と馬鹿にしたことを言い、尼子軍からは笑い声が上がります。

1523年(大永3年)6月13日、戦いが始まりますが鏡山城の守りは堅く、毛利軍は何度攻めても落とすことができません。
軍議で元綱が元就にこれでは毛利の信用を無くすと批判します。
さらに元綱は全軍で一気にぶつかって敵の防御を突破するしかないと言いますが、元就は「それは兵を消耗させるだけで下手な手であろう」と言います。
元綱は批判ばかりで戦い方もいざという時にあまり良い策を考えられないと思いました。
何か策があるはずだと言う元就に元綱は「元就殿はいつもそうじゃ。いたずらに時をかせぎ、嵐が通り過ぎるを願い、かえって大きな嵐を招く!こたびもただちに尼子に付けば、経久殿とて病弱な殿を大将にせよとは申されなかったはずじゃ!」と食ってかかります。

大内方も厳島で謀反が起きすぐには鏡山城に援軍を送り出せない状況です。
義興(よしおき)は義隆に初陣の話をしようとしますがまたも遊び呆けていて激怒します。
「この大内がいかなる家であるか分かっておろう。我等が京都を発った今、幕府すら立ち行かなくなっておる。天下を動かすのはこの大内じゃと言うのに、朝から晩まで遊びばかりとは何じゃ!」
すると義隆は自身は天下を動かす家に好んで生まれてきたわけではないと言い、戦よりも書を読み、舞を舞い、歌を詠み、多くの者と遊び語らうのが好きで、そんな自身に天下を担えと言われても荷が重いと言います。
義興は義隆を殴り、「息子一人導けぬわしが、厳島で謀反が起きても道理じゃな」と言っていて寂しく聞こえる言葉でした。
義隆は立派に初陣を飾って見せると言いますが、涙を流しながらこのような家に生まれたくなかったとも言い、望んでいないのに大内のような家に生まれるのも大変なのだと思いました。

鏡山城の秘密の間道(かんどう、抜け道のこと)でも突き止めない限り城を落とせないと見た元就は重臣の井上元兼(もとかね)から鏡山城主の蔵田房信(ふさのぶ)と叔父の蔵田直信(なおのぶ)のことを聞きます。
元兼は房信は忠義者で戦上手でいかなる手も通用せず、直信は小心者で欲深く、落ち着きのない男だと言います。
これを聞いた元就は策が閃いて忍の小三太(こさんた)を呼び、蔵田軍に大内は厳島の謀反で手こずり合力(ごうりき、援軍のこと)が出せないという噂を流すのと、直信の側近に元就が会えるように手はずを整えてくれと言います。

数日後、小三太は元就のもとに直信の側近、湯浅信行を連れてきます。
元就は信行に、直信の手により房信の首を獲れば余計な血を流さずに戦を終わらせることができ、蔵田家も断絶せずに残ると言い、さらに房信の所領は全て直信に渡すと言います。
大内の本隊は謀反で援軍には来れず、元兼によって大内との縁が切れてはいない毛利の言葉だから信じられるだろうと言い信行を信じさせます。
直信は元就の条件を飲み鏡山城への間道を教え、元就率いる毛利全軍はその間道を進み鏡山城に攻め込みます。
直信は自身の家臣達とともに房信に刃を向け、切腹すれば妻子と家臣の命は助けると言い鏡山城は開城に向かいます。

元兼が経久のもとに行き、鏡山城開城の手はずが完了したことと、ただちに房信を切腹させるから妻子と家臣の命は助けて良いかと言います。
重臣の亀井秀綱はそのような条件は前もって経久に相談すべきことだと怒り、重臣の宇山久兼(ひさかね)は何も言わずに進めたのは元就が手柄を独り占めしたかったからではないかと言います。
経久は微笑みながら「元就、やってくれたのう」と言い妻子と家臣の命を助けると言います。
しかし元兼が帰ると表情が険しくなり、低い声で「元就、やってくれたな」と言い怒っているのが分かりました。

翌日房信が切腹して鏡山城は尼子の手に落ちます。
房信の首検分が行われ、病弱な幸松丸を心配した元就が首は自身が見ると言うと、幸松丸は「馬鹿にするでない!」と言い討ち取られた首を見ますが気持ちが悪くなり倒れてしまいます。

元就が直信を経久に引き会わせると経久は妻子と家臣の命は助けると言いますが、直後に刀を抜いて直信を殺してしまいます。
「このような裏切り者、次はわしを裏切る」という言葉が印象的でした。
しかし経久も武田元繁(もとしげ)を裏切っているので人のことは言えない気がしました。


毛利元就(画像はネットより)

経久は元就に「そなたもわしを裏切っておったようだな。大内と繋がっていたゆえ、こたびの調略が叶うた」と言います。
元就が必死の顔で「つながってはおりませぬ!」と言っても経久は信じず元就の首に刀を向けます。
殺しはしませんでしたが「斬って捨てるにも値しない。直信以下だ」と言い元就は打ちひしがれてとても悔しそうな顔をしていました。

猿掛(さるかけ)城に元就が帰ってきます。
勝ち戦だったのに茫然自失の顔の元就を見て出迎えた美伊(みい)、杉、美伊の侍女の藤野、杉の侍女の久(ひさ)は不審に思います。
みんなで祝い酒を飲んでいる時も表情が晴れない元就に、留守を守っていた祖父の福原広俊が幸松丸がまた倒れたことを知らせ、元就は郡山城に行きます。
美伊と杉は家臣に元就の身に何があったのかを聞きます。

美伊、杉、藤野、久で話をし、美伊は直信が殺されては元就の面目は丸潰れでそれでは喜べるわけがないと言います。
元就の調略を杉が人を騙すのは良くないと言うと、美伊は調略によって味方の犠牲を最小限に抑えることができたのだと言い、藤野も戦って手勢を失うのも戦なら舌先三寸で丸め込むのも戦で、調略は武器だと言います。
調略について意見が割れたのが興味深く、私は家が生き残るには必要だと思います。
杉が自身は仏の道を極めているから元就が地獄に落ちないか案じられると言うと、美伊と藤野がいなくなった後で久が「されど杉様。仏の道はもう飽きたと、3日ばかりで投げ出されましたよな」と突っ込んでいるのが面白かったです。

元就は美伊に「わしゃあ、半端な人間じゃ。経久殿のように冷酷な調略も使えぬし、何をやっても半端で道が定まらぬ」と苦しい胸中を明かします。
すると美伊が次のように言い励まします。
「半端な人間が、一番楽しみでござります。道の定まった人間は、もはやそれしかないということ。半端な人間は、どれもこれも可能になるということ。半端な人間ほど、勝ったようなものにござります」
「殿、美伊に何でも愚痴を言うて下さりませ。そして一歩外に出たら、凛々しい武将に変わり、帰ったらまた、美伊に愚痴をこぼされませ」

これを見て何て器の大きな素晴らしい奥方なのかと思いました。

出雲の杵築(きずき)大社(出雲大社のこと)に居る経久のもとに裏で経久と通じる毛利家重臣の桂広澄(ひろずみ)から火急の文が届きます。
そこには幸松丸の命が今日明日までしか持たないと書かれていて、経久は「元就を決して当主にしてはならん」と言います。
久兼が「鏡山城の蔵田直信の調略、実は元就を買っておられますな?」と言うと経久はにんまり笑いながら「元就は困る」と言い、その力を認めているのが分かりました。

毛利家の重臣が郡山城に集められます。
幸松丸と二人にしてもらった雪が「幸松丸、丈夫な体に生んでやれず、すまなかったのう。もう楽におなり。元気に父上のもとに走っておいき」と言っていたのがとても悲しかったです。
幸松丸が亡くなり、「時が止まったような静けさは、毛利家の波乱を暗示するものでした」というナレーションが印象的でした。


郡山城の毛利本家は跡継ぎがいなくなります。
元就か元綱が後を継ぐことになり、いよいよ元就が毛利を背負って立つ日が近づいてきました。
しかしその前には元綱との跡目争いがあり、経久が元就を当主にするのを阻止するために動くことも予想され、元就が毛利を背負って立つ前の山場を見届けたいと思います。


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋
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「毛利元就 第十三回 戦乱の子誕生」

2018-09-26 18:07:58 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第十三回 戦乱の子誕生」です。

-----内容&感想-----
安芸の国(広島県)を舞台に大内と尼子の直接対決が始まろうとしている時、美伊(みい)の兄で吉川家当主の元経(もとつね)が壬生城攻めで討ち死にします。
冒頭から波乱の展開で驚きました。
元就の異母弟の相合(あいおう)元綱の妹、松姫との間にできた嫡子、千法師(せんぼうし)はまだ5歳でした。

吉川家に山陰の覇者となった尼子家重臣の宇山久兼(ひさかね)と亀井秀綱、さらに毛利家の元就、元綱、重臣の桂広澄(ひろずみ)が集まって今後の話し合いをします。
久兼は吉川家を支えるのは尼子経久(つねひさ)を始めとする親戚縁者達で、今こそ親戚縁者が固く手を取り合わねばならないと言います。
さらに経久は大内方の鏡山城を攻めようとしているので、その時が来たら毛利家は吉川家とともに尼子方に付いて大内方と戦うように言います。
元就が毛利は父祖の代から大内に与していると反発すると、久兼は大内と手を切り尼子に与することを約束するように迫りその場を去ります。

元綱は元就に尼子に与するべきだと言います。
元就が経久はいざとなれば信義も何もないと言うと、元綱は武将は力を持たねば価値がないと言い、元就がそのためなら何をしても良いのかと反発すると次のように言います。
「裏切り、調略、それは悪ではござらぬ。戦の世には当然のこと」
まるで中国地方10ヶ国の覇者、120万石の大名に上り詰める時の元就のようなことを言っているのが印象的でした。
元就が元綱の言葉に「信義なきは悪だ」と言っていたのも印象的です。

それから間もなく元就、元綱、広澄、重臣の井上元兼(もとかね)、重臣の渡辺勝(すぐる)は大内家重臣の陶興房(すえおきふさ)に呼び出され鏡山城に行きます。
興房は次のように言います。
「わしらが京都におる間に、武将の有りようがすっかり変わってしもうた。いかなる手を使っても力を蓄え、裏切りに次ぐ裏切りを恥とも思わず、上に立とうとする。武将の信義など、どこにもござらぬ」
これは経久のことを言っていて、ここにも信義という言葉が出てきます。
さらに9歳の幼き毛利の殿、幸松丸(こうまつまる)と大内家の重臣、杉重清の娘の菊姫との縁組を考えてほしいと言います。
興房は微笑みながら「縁組など結ぼうが結ぶまいが毛利家が大内に対して信義を尽くしてくれることは、御屋形様(大内義興(よしおき))もよう存じておる」と言いますが、信義を尽くすとは限らないから縁組で関係を強化しようとしているのは明らかでした。
毛利は尼子からも大内からも戦になったら与するように言われ苦しい状況になります。

亡き毛利興元(おきもと)の正室、雪は大内と尼子どちらに付くか、元就に一任すると言います。
裏で尼子に通じる広澄は元綱、勝と話し合いをします。
元綱は信義などと言っている元就は甘く、今は力で他国をねじ伏せる時代、尼子の時代だと言います。
広澄は鏡山城の戦を機に大内と手を切り尼子に付くべきだと言います。
しかし勝は経久の調略の切れ味に惚れ込み広澄と手を結んだのに、今の経久は切れ味どころか力で弱き者を威圧してくると言い、経久に付くのに疑問を持ち始めているのが分かりました。

猿掛(さるかけ)城では美伊が元就にややができたと言います。
しかし元就は大して喜ぶ素振りも見せず、鬼吉川と恐れられた吉川家は元経が亡くなりわずか5歳の千法師が当主になったのに対し、いつ潰されてもおかしくなかった毛利家が生き残りその上ややができた運命の巡り合わせを不思議がります。
これには美伊も不機嫌になり、そこは素直に喜べと思いました。
1523年(大永3年)4月、美伊は元気な男の子(幼名は千代寿丸(ちよじゅまる)、後の毛利隆元)を出産します。
杉や杉の侍女の久(ひさ)、美伊の侍女の藤野が次々と千代寿丸を抱き上げて楽しそうにしていましたが、大内と尼子の戦が迫る中つかの間の平穏だと思いました。

美伊は元就に経久の正室、萩(美伊の叔母)から尼子と大内が戦になったら尼子に付くように元就を説得してほしいという手紙が来たと言い、説得などする気はなく元就が思うように決めれば良いと言います。
ただし死んでほしくないので手柄など無用だから危ないと思ったら逃げてくれと言い、孫子(そんし)も兵法という書物で兵力が劣っている時は逃げろと言っていると言います。
「生きてさえいれば、人間勝ったようなもの」という言葉が胸に迫りました。

大内家では亀童丸(きどうまる)が元服して義隆となり、女子達と遊び呆けていて義興が怒ります。
「義隆!大内は今西国一の大名じゃ。京都にさえ力を及ばしておる。されど!今一度言う。財も力も、必ず衰える時が来る。そうならないようにするのが、そちの務めであろう!」
これは印象的な言葉で、義興は大内がずっと安泰とは限らないのをよく分かっているのだと思います。
後に大内を滅亡させることになる義隆にこの言葉が届かなかったのが寂しいです。
「義隆、戦や政(まつりごと)しかできぬ男も恥じゃが、遊びしかできぬ男も恥じゃ」も印象的な言葉でした。

重臣の内藤興盛(おきもり)が義興に厳島で大内への謀反が起こったと伝えます。
厳島は安芸攻略への海の砦で、謀反が起きて鏡山城が孤立してしまいます。
義興はすぐに毛利に使いを出して尼子が鏡山城を攻める時は必ず大内に与するように言えと興盛に言います。

出雲の月山富田城(がっさんとだじょう)では久兼が厳島謀反が殿の調略とはさすがの大内も気付いていないと言い、経久が裏で動いていたことが明らかになります。
経久は久兼にすぐに毛利に使いを出し、大内方の鏡山城を攻め落とすから尼子に与するように言えと言います。
「鏡山城を落とし、大内に深手を負わすは、天下を手に入れる第一歩だ」という言葉が印象的でした。

尼子軍はすぐに安芸の鏡山城に向けて出陣します。
毛利家では評定(ひょうじょう)が開かれ、広澄、元綱、勝、元就の祖父の福原広俊が尼子に付くべきだと言い、元兼だけが大内に付くべきだと言います。
勝が周辺の国人衆はほとんど尼子に付いていて、今大内に付くのは死ぬことに等しいと言い、広俊も厳島で謀反が起きて鏡山城の背後が脅かされては大内に勝ち目はないと言います。
元就は鏡山城の戦だけを見れば尼子に付くのが得策だが長い目で見た時に尼子に付いて安心か、経久を信じられるのかと言います。
元就は経久の狙いが安芸に留まらず天下を手に入れることだと見抜いています。

元就は美伊に次のように言い無念の気持ちを露にします。
「この世は力だけか。強き者にひれ伏し、強き者をうかがい、強き者に取り込まれるのか。信義はないのか。経久などに取り込まれとうはない。されどわしには、はね返す力がないのじゃ」
美伊は「命さえあれば、人の世はどう転ぶか分かりませぬ。生きて生きて生きて、殿が信義の世をお作りなされませ。今、力がないゆえ、先が面白いのでござりましょう。力がある者は、後は転がり落ちるばかりにござります」と言い励まします。

元就はついに尼子に付くことを決断し、郡山城にやって来た久兼に毛利は尼子に付くと言います。
すると久兼が経久の言葉として尼子に付くならわずか9歳の幸松丸を大将にして先陣を務めるように言い毛利家を驚愕させます。
早く尼子に与しなかったことへの経久の嫌がらせでした。


尼子経久(画像はネットより)

1523年(大永3年)6月、幸松丸を大将にして毛利軍は尼子方として鏡山城を攻めることになります。
元就と幸松丸が経久の本陣に行くと経久は「毛利元就、今頃やってきて恥ずかしくないか」と元就を冷たく見据えながら言います。


今回は信義という言葉が何度も出てきたのと最後にはその思いが尼子という強大な力にねじ伏せられたのが印象的でした。
そして元就を励ます美伊の姿も印象的で、かける言葉は自愛に満ちていました。
今回元就が直面した辛い経験も、やがて中国地方の覇者に上り詰めることにつながるのだと思います。


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋
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「三人の大叔母と幽霊屋敷」堀川アサコ

2018-09-24 20:59:51 | 小説


今回ご紹介するのは「三人の大叔母と幽霊屋敷」(著:堀川アサコ)です。

-----内容-----
不思議なモノ、コトが生息するこよみ村。
村長の娘・湯木奈央とボーイフレンドの溝江麒麟は今日も怪事件に首を突っ込む。
こよみ村中学の女王・麗華の陥落、「予言暦」盗難事件、湯木家の天敵・三人の大叔母が村の古屋敷で暮し始めるお話。
怖いけれど愛しい、そんな「予言村」の世界にようこそ。
シリーズ第三弾。

-----感想-----
※「予言村の転校生」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「予言村の同窓会」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

「第一話 混戦、収穫祭」
こよみ村中学校三年生の皆川麗華はクラスの頂点に立つ女王で、取り巻きの友達三人を「コバンザメABC」と呼んで馬鹿にしています。
考え方が傲慢で、バスケットボール部の彼氏のことも
「コバンザメABCと同等の存在で、生活必需品みたいなものだった。」とあり友達も彼氏も見下しすぎだろうと思います。
そんな中、歌手を目指す土岐果生莉(ときかおり)という子は麗華を崇めずスクールカーストにも所属しておらず、麗華は密かに果生莉と仲良くなりたいと思っています。

こよみ村中学校では文化祭のことを収穫祭と呼び、明後日の10月31日に迫っています。
校内では一週間前から「収穫祭の間に生徒が一人いなくなる」という貼り紙が何度剥がしても貼られ、誰が貼っているのか気になりました。

こよみ村には村内で起こることが全て記された「予言暦」があります。
そこには未来の天候やこれから起こる事件、事故も記されています。
昔から「こよみ講」という秘密組織を通して予言暦の内容は村に伝えられ村政をも左右してきました。
現在予言暦は村でたった一人の予言暦が読める巫女、よろず屋の妻の藍子が保管していて、奈央や溝江麒麟(きりん)など一部の人間が知っています。

収穫祭には若手農家の有志や村の商工会も参加していて、生徒達の催しは校内で開かれ大人達は校庭で店開きします。
一年生はお化け屋敷、二年生は喫茶室、三年生は「こよ中出会い物語」を開催します。
こよ中出会い物語は恋人を求める同数の男女が向き合い集団見合いのようなことをするイベントです。

麗華の取り巻き二人が溝江アンナというアイドルの子で見た目も格好良い麒麟をこよ中出会い物語に参加させようとします。
奈央、麒麟と同じクラスの大谷沙彩は麒麟のことが好きで、二人が付き合っていると知っていてもよく麒麟に話しかけます。
麒麟は民俗学部で、収穫祭で展示するために家でこよみ村に言い伝わる話を模造紙に書くのを奈央に手伝ってもらいます。
その時麒麟が奈央に清書を頼んだ文章に「地主皆川家」が登場し麗華の家だと分かりました。
その話の中で着物の種類が「手猫友禅」「総絞り」「江戸更紗」と三つ登場していてそれぞれどんな着物か気になりました。
また話の中で麗華の祖先の登志(とし)という女の人が麗華と同じ傲慢さが災いして酷い死に方をしていました。

よろず屋夫人の藍子は浮気相手と駆け落ちして村を出て行きましたが、病気にかかり長く生きられないのを機に店主に戻って来いと言われ戻ってきました。
奈央と麒麟が藍子に聞くと予言暦には収穫祭の間に生徒が一人いなくなるとは書かれていないと言い、誰かのいたずらという見方が強まります。

こよみ郵便局には切手マニアが切手を買いに来て、そのマニアぶりが凄くて驚きました。
そして郵便局で何か事件が起きるのが予想されました。

麗華が小学四年生の時、楠美博士という老人の霊が話しかけてきました。
その頃の麗華は男子にいじめられていましたが楠美博士は麗華に君は本当は人気者なんだよと言います。
「たった今、皆川麗華の存在に、きみのこころが追いついたんだ」という言葉が印象的でこの日から麗華は女王になりました。

収穫祭の前日、奈央と麒麟が三年生の教室に行くと果生莉の怒りの声が聞こえます。
麗華が果生莉と仲良くなりたい思いから果生莉に東京からスカウトが来たなどの嘘の情報を流していることに激怒しています。
この事件で麗華は女王から転落してクラス中から除け者にされます。

収穫祭が始まり奈央はお化け屋敷で一年生の女子五人に麒麟と別れるように迫られます。
「湯木先輩は、村長のお父さんの権力で麒麟先輩に無理やり迫ったって本当ですか!」が面白かったです。
そんな奈央を皆川秀人という麗華の弟の一年生が助けてくれ、奈央を見込んで頼みがあると言い、麗華がクラスでハブられているから助けてやってくれと言います。

奈央は村のあちこちで麗華と同じ「angel's path」という洋服ブランドの服を着た子を見かけ、それが登志の物語と同じなことに気づき嫌な予感がします。
「収穫祭の間に生徒が一人居なくなる」の貼り紙のこともあり麗華が死ぬのかなと思いました。

「つるべ落としの秋の夕暮れ時」という言葉があり、意味を調べたら「釣瓶を井戸の中へ落とすときのように、まっすぐにはやく落ちること」とありました。
他にも分限者(お金持ちのこと)のようにこの作品には古風な言葉がよく出てきます。
そしてミステリー、ホラー、ファンタジーの三つが合わさる堀川アサコさんの作品はやはり面白いと思いました。


「第二話 予言暦盗難事件」
藍子が亡くなりお葬式が行われます。
喪主挨拶で感極まったよろず屋が藍子がこの先50年分もの未来の出来事を誰にでも分かるように書き写したこと、さらにそれを村長に託したと言ってしまい、湯木家はお葬式に来ている人達から注目されます。

11月のある日、湯木家の金庫に入れていた予言暦が盗まれる事件が起きます。
学校からの帰り道、奈央は麒麟と盗まれた予言暦の話をして犯人を捕まえてやろうと気合いを入れます。
またこの帰り道では政治信念の演説をしていた福村孝司に睨まれます。
福村は村の実力者の十文字丈太郎と同じ開発促進派です。

十文字が予言暦を見せろと言い、「予言暦など信じない」と言っている十文字が見せろと言ってきたのを奈央は意外に思います。
十文字は開発促進派の悲願の「竜胆南バイパス道路」がこよみ村を迂回する案が出てきて焦っています。
札束を出して予言暦を見せろと言う十文字に奈央の母の多喜子が激怒していると、奈央の祖父湯木勘助の盟友で自然保護派の重鎮、神田幸甚(こうじん)が訪ねてきます。
神田はとても怒りやすい人で湯木家に来てずっと怒鳴り散らしていました。
奈央が「怒りというものは、その場だけなら、表明したもん勝ちである。」と胸中で語っていたのが面白かったです。
神田は育雄にお前ごときに予言暦を持つ資格はないからわしが預かると言いますが予言暦は盗まれてないため湯木家は困ります。

さらに福村も予言暦をよこせと言ってきて、福村は予言暦を消滅させようとしています。
福村の娘の七瀬と神田の孫の豊は秘密で付き合っています。
しかし福村孝司は開発促進派の過激派、神田幸甚は自然保護派のボスキャラで二人の恋は成就できそうにないです。

七瀬と豊も予言暦が見たいと言いますが育雄と多喜子で諭します。
さらに江藤玲子という人が訪ねてきます。
江藤は息子の司法試験のことを語り、30歳まで落ち続けていましたが諦めずに試験を受けていました。
しかしある日息子が司法試験を諦めてハローワークでフルタイムの仕事を探してみようかと言います。
何としても司法試験を諦めないでほしい江藤は予言暦で息子が司法試験に受かると分かれば希望を持たせられるから見せてくれと言います。
「ご迷惑だろうことは、重々承知で参りました」「無理なお願いとは、重々承知しております」といった言葉を言っていたのが印象的で、これは実際には大して申し訳ないとも無理なお願いとも思っていないから押し掛けてきて要求するのだと思います。
無理なお願いと重々承知していると言っている割りに多喜子が断っても食い下がっていて、「無理なお願いと重々承知」の後に続くのは「ただし断ることは許さない」という酷い発想なのだと思います。
江藤を追い払うために奈央が風邪が悪化して倒れそうという大根演技をしていたのが面白かったです。

奈央が江藤と多喜子の話を盗み聞きしながらプリンを食べていた時の「お腹が空いていたから、五臓六腑にしみわたる。」という表現も印象的で、まだ中学二年生なのに古風な言い回しです。
またこの表現は第二話の序盤にもあり、その時は麒麟と二人でアンナの作ってくれた美味しい料理を食べていて「溶けあった食材のうまみが、五臓六腑にしみわたる」とありました。
これらは第一話で奈央が麒麟の家でこよみ村に言い伝わる話を模造紙に書くのを手伝った時、「得意」という字が二回続けて出てきているが良いのかと麒麟に聞いた場面を意識しているのだと思います。
麒麟は「二人が得意になるレベルが違うことで、片方の立場の悲惨さや健気さを表現したい」と言っていて、同じように五臓六腑の微妙な意味合いの違いを表現したいのだと思います。
一回目がとても美味しいものを食べて五臓六腑に染み渡るのに対して、二回目はお腹が空いていたから染み渡っています。

予言暦盗難の容疑者は何人もいます。
そんな中、こよみ村産直センターで奈央と育雄が買い物をしていると十文字が因縁をつけてきて、かなり予言暦を見たがっているのが分かりました。
そこを木崎というこよみ村出身者で仕事休みの日に故郷に帰って来た男が助けてくれます。
次々と予言暦を見たがる人が現れるのを見て奈央が「運命のカンニングができるかも……ってなると、人間っておかしくなるんだね。せいぜい、朝のラジオの星占いで満足しとくべきだね」と言っていたのが印象的でした。

後半はどんどん犯人の絞り込みが進んでいくのがミステリー調で面白いです。
奈央と麒麟が福村のアリバイ調査のために竜胆市の時計屋に行った時、福村の写真を見た店主が「この人って、どっかの八墓村(やつはかむら)みたいなところから来てるんでしょ?」と言っていたのも面白かったです。
終盤、奈央がある人物に拉致監禁され、育雄が指定の場所に予言暦を持ってこいと言われ緊迫した展開になります。


「第三話 三人の大叔母と幽霊屋敷」
11月が終わる頃、27歳の木村留綺(るき)は竜胆市のオープンカフェで前川昴と猪田美帆に会います。
昴と美帆は婚約していますが留綺が昴を奪おうとし不倫関係になっていました。
昴に別れを告げられ留綺は怒りますが自身が悪いと分かっています。
留綺は「人生は穏やかなのが一番いい。大きな幸せなんて、なくていい。その分、大きな不幸が来るのだから。」と胸中で語ります。
この言葉は第三話の冒頭にも留綺の祖母の木村薫の口癖として登場し、二度登場して留綺にとってかなりこだわりのある言葉なのが分かりました。

薫は死の間際に留綺に自身がこよみ村で育ったことを話します。
薫は水上家の生まれでかつてこよみ村でも一、二を争う名家でした。
不幸なことがあって皆死に薫だけが助かったとあり、何があったのか気になりました。

湯木勘助の三人の妹達の長女、繁子が長男の一郎と遺産相続で対立して家を出て湯木家にやって来ます。
次々と文句を言う繁子に多喜子が激怒すると、繁子は妹の竹子と花子も呼び三位一体で多喜子を攻撃します。
繁子は74歳、竹子は72歳、花子は70歳です。
少し前まで大叔母達はこよみ村の夜を恐れ夜になる前に必ず竜胆市に帰っていたのに今回は三人揃って泊まることを奈央は不思議に思います。

大叔母三人がこよみ村に家を借りて住むことになったと言って出て行きます。
すると繁子の長男の一郎がやって来て自身が繁子を家から追い出したのは棚に上げてなぜ繁子を湯木家から追い出したと因縁をつけます。
育雄の家にならいくらでも居て良いが、家を借りられると自身が母親を追い出したことになり会社への心証が悪くなるから困ると言っていてかなり身勝手だと思いました。

滑坂にある三人の大叔母の家に行って帰る時、奈央は廊下の突き当たりの開け放ったドアの前に若い女の人がいるように見えます。
家に住み着く幽霊かなと思いました。

育雄が大叔母三人がこよみ村の夜を怖がっていたのは三人揃って娘時代に怖い目に遭ったからと言います。
まだ楠美博士が居た頃の話とあり、第一話に登場した楠美博士の名前が出てきて気になりました。
さらに奈央の曾祖父の湯木進は楠美博士の弟子で、二人とも別荘の井戸に落ちて亡くなったことが明らかになります。

三人の大叔母の家に留綺が居て、奈央が幽霊と思ったのは留綺だったことが分かります。
ただし奈央は留綺に不穏な気配を感じます。
留綺も大叔母達の借りた家を借りようとしたものの先に借りられていて、大叔母達に頼んで居候させてもらっています。

その夜湯木家の玄関を何者かが激しく叩きます。
不審者かと思い育雄が玄関に向かい多喜子も孫の手を両手で持って続きます。
堀川アサコさんの笑いの感性が面白く、奈央が「孫の手で掻かれても、痛くもかゆくもないでしょ」と胸中で語っていました。
やって来たのは竹子の連れ合いの村井博文で、奈央が博文に聞くと三人の大叔母は子供の頃に怖いものを見たと言っていた気がすると言います。
さらにその夜は花子が奈央に電話をしてきて育雄と三人で会えないかと言い、翌日の夕方に会うことにします。

翌日奈央が竜胆市にある博文の家で竹子が若い頃のアルバムを見ると、滑坂の幽霊屋敷が出てきてさらに留綺そっくりの人が写っていました。
その帰り道、花子から繁子が肺炎で入院したと電話があり奈央は嫌な予感がします。

その夜に花子から奈央に電話があり水上の家には花子より5歳年上で薫という人がいたことが語られます。
昭和27年10月5日、花子は薫も招待して自身の誕生日会を行い、終わった後に湯木進の自動車で薫を送って行くと水上家の人達が倒れていました。
その後楠美博士が大叔母三人を一人ずつ部屋に呼んで話を聞き、楠美博士も何かを話しましたが花子は全く覚えていないです。
読んでいて催眠術を研究していた楠美博士が大叔母達に催眠術をかけて事件のことを忘れさせたのが分かりました。
やがて恐ろしい真実が明らかになります。


シリーズ三作目の今作も楽しく読めました。
堀川アサコさんの作品はミステリー、ホラー、ファンタジーの三つが合わさった独特な面白さがあります。
序盤から中盤にかけては笑える展開もあり、終盤になると驚きの展開になったり恐ろしい真実が語られたりしてとても引きつけられます。
面白いシリーズなので続編が読めたら嬉しいです


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

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COFFEE HOUSE 亜珈 特製ビーフカレーのセット

2018-09-23 23:05:01 | グルメ


出光興産徳山事業所と遠石八幡宮に行った時、徳山駅近くにある「亜珈(あこ)」というコーヒー喫茶店に行きました。
店の前で入ろうか迷っていたら看板娘らしき人がドアを開けて微笑んで「どうぞー」と言ってきたので流石に立ち去るのも気まずく入ることにしました。

※「出光興産徳山事業所 「海賊と呼ばれた男」ゆかりの地」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「遠石八幡宮 整った綺麗な神社」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

亜珈という店名は亜細亜(アジア)にあるコーヒー喫茶店なので亜珈なのかなと思います。
他には徳山が毛利氏に縁の深い地域なので毛利元就の三男、小早川隆景(たかかげ)の正室、阿古(あこ)姫の名前も思い浮かびました。
特製ビーフカレーがお勧めとあり、プラス200円でサラダ、アイスコーヒーとのセットにできるのでそれを頼みました。



ビーフカレーはまったりした味でよく煮込まれていて美味しかったです。
ヨーグルトか牛乳を入れているのではと思います。
牛肉の他にきのこのような具材が入っていて、最初はきのこだと思いましたが、きのこにはあまりないコリッとした食感なのが印象的でした。
もしかしたら小さいブロッコリーかも知れないと思いました。
とても印象的な具材でこのカレーの特徴だと思います。



アイスコーヒーはさっぱりとしていて飲みやすかったです。
私は苦味がありながらもスーッと飲める喉越しの良いアイスコーヒーが好きです。

ほのぼのとした雰囲気の喫茶店で、のどかな地域によく合っていると思います。
寄った時は出光興産徳山事業所を見に行こうとしていたのであまり滞在しませんでしたが、コーヒーなどを飲みながらゆっくり過ごすのも良いと思います
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秋の雨

2018-09-22 20:12:59 | ウェブ日記
9月になり、雨の降る日がとても多くなっています。
「秋の長雨」の言葉のとおり、何日も雨が降り続くこともあります。

夏の雨と秋の雨は大きく違います。
夏の雨は晴れの日が続き入道雲が広がると雷雨になるという降り方が多いのに対し、秋の雨は周期的に降ります。
そしてしとしとと降ることが多いです。
しとしとと降る日が何日か続いて久しぶりに晴れるとすっかり秋になったのを感じます。
夏の名残を遠ざからせるのと秋を呼び込む雨だと思います。

周期的に雨が降るため、土日に雨が降ることもよくあります。
9月は夏とは違い土日に頻繁には出掛けられなくなります。
なので雨の土日は遠くには出掛けず書店に行ったりカフェや家で読書をしたりしています。
雨の降りやすい秋の天気の中でも休みの日を楽しんで行ければと思います
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秋の帰省

2018-09-20 22:40:17 | ウェブ日記
今日から来週の月曜日まで五連休になりました。
埼玉の実家に帰省することにし、今日は朝4時に起きて始発近い電車に乗って広島駅に行き、新幹線に乗りました。
5時頃に家を出た時、外がまだ真っ暗だったのが印象的でした。
どんどん日が長くなっていたゴールデンウィークに帰省した時は5時頃は既に明るくなっていて、その頃に比べるとかなり夜が長くなったと思います。

今回の帰省でもたくさん歩こうと思いましたが、今日と明日は雨です。
9月は秋雨の時期で「秋の長雨」とも言われ、何日も降ることがよくあります。
それでも22日と23日は晴れ間が見られそうなので歩ければと思います。
秋の日差しを楽しみながら歩きたいです

一日ずっと雨が降る明日は読書をして過ごそうと思います。
明日のうちに一冊読み終わりそうなので、連休のうちにもう一冊読めたら良いなと思います。
頻繁に雨が降るうちにすっかり秋らしくなってきたので読書の秋も楽しんでいきたいです
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百貨店の朝一番の挨拶

2018-09-18 22:22:37 | ウェブ日記


写真は広島駅前にある百貨店「福屋」の1階で開店してすぐに撮ったものです。
広島は町全体でプロ野球の広島東洋カープを凄く熱く応援していて、福屋にはセリーグ優勝へのカウントダウンボードがあります。
また福屋には「かがみの孤城」(著:辻村深月、2018年第15回本屋大賞受賞)の感想記事でご紹介した辻村深月さんのサインがあるジュンク堂書店と、コーヒー抽出の技と接客スキルを競う全国大会で優勝した喫茶店「尾道浪漫珈琲」があるので寄ることがあります。

福屋は普段朝10時に開店します。
そして開店直後の5分くらいの間、それぞれのお店の店員さんがお店の前やエスカレーターの前に出てきて「おはようございます」と挨拶をしてくれます。
その様子がとても清々しくてこちらも澄んだ気持ちになります



こちらはエスカレーターからの眺めです。
時刻は10時4分で、挨拶のためにお店の前やエスカレーターの前に出てきている店員さんが数人写っています。
私はこういった挨拶はとても良いと思います
控え目でいてきりっとした雰囲気もあり、自然と「良い百貨店だな」という気持ちが湧いてきて心が弾みます。
百貨店が持つ良さだと思うのでぜひ大事にしていってほしいです
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終わりのないノスタルジア、山陰

2018-09-17 19:31:36 | ウェブ日記
初夏の頃、JR山陽本線の駅で透き通るような凄く綺麗な海を凄く綺麗な女性が眺める、凄く良いポスターが目に留まりました。
ポスターには「終わりのないノスタルジア、山陰」という興味深い言葉も添えてありとても印象的でした。
そしてポスターの女性は誰だろうと思い調べてみたらモデルと女優をしている中条あやみさんだと分かりました。

ノスタルジアは「異郷から故郷を懐かしむこと(郷愁)」、「過ぎ去った時代を懐かしむこと(懐古)」といった意味です。
ポスターがきっかけで「山陰ディスティネーションキャンペーン」が2018年7月1日~9月30日まで行われることを知りました。
JR西日本がJRで山陰に観光しに行ってもらおうとして行っているキャンペーンです。



私が心を引かれたポスターがこれで、場所は鳥取県の東浜です。
中条あやみさんの表情と海の雰囲気がかなり合っていると思います
「#透明な絶景」というハッシュタグ(ツイッターやインスタグラムなどで、そのハッシュタグをつけて発信すると同じハッシュタグの他の人の発信も見られる機能)が添えられていました。
そして竹内まりやさんの2001年の楽曲「ノスタルジア」の歌詞も添えてありました。

「海辺には名も知らぬ
花が咲いてた
あの頃の私に
戻れるのなら」

ポスターの風景と「ノスタルジア」の言葉の意味と歌詞が上手く合っていると思います。



こちらは島根県の出雲大社のポスターです。
ハッシュタグは「#神秘の美」とありまさにそのとおりだと思います。
歌詞は次のものが添えられていました。

「遥かなる月日に
よせるときめきは
終わりのない
ノスタルジア」

私は再び山陽に住むのを機に1997年の大河ドラマ「毛利元就(中国地方が舞台)」を第一回から見ていて、先日見た「第十二回 元就暗殺指令」で出雲の尼子経久(つねひさ)という戦国大名が出雲大社を造営したとあり驚きました。
その時は1500年台前半の戦国時代で、500年の月日に思いを馳せるのは歌詞のとおり終わりのないノスタルジアだと思います。



こちらのポスターは島根県の松江水燈路(まつえすいとうろ)で松江城周辺をライトアップする光のイベントです。
着物姿で後ろを振り向いているのと落ち着いた雰囲気の光が印象的です。
ハッシュタグは「#灯し火」とあり、歌詞は次のものが添えられていました。

「時だけが無情に
通り過ぎたあと
残る愛の幻」

愛の幻の「幻」に、落ち着いていてどこか幻想的な雰囲気もある光を重ねているのだと思います。



こちらのポスターは鳥取県の鳥取砂丘です。
まさに「ノスタルジア」な夕陽が印象的で、ハッシュタグは「#黄金の大地」とあり、歌詞は次のものが添えられていました。

「夕暮れ色に染まる
頬には
いつも涙
光ってた」

夕暮れ時は気持ちもたそがれやすく、何か思い出して涙を流すこともあると思います。


「山陰ディスティネーションキャンペーン」のポスターを見たことで、私は島根県の出雲大社に行きたい思いが強くなりました。
山陰で最初に行くならぜひ出雲大社にしたいです。
この秋に行けたら良いなと思います
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「この世界の片隅に」原作:こうの史代 著:蒔田陽平

2018-09-16 16:19:38 | 小説


今回ご紹介するのは「この世界の片隅に」(原作:こうの史代 著:蒔田陽平)です。

-----内容-----
すずは広島の江波で生まれた絵が得意な少女。
昭和19年、18歳で呉に嫁いだすずは、戦争が世の中の空気を変えていく中、ひとりの主婦として前を向いて生きていく。
だが、戦争は進み、呉はたびたび空襲に見舞われる。
そして昭和20年の夏がやってきた――。
数々の漫画賞を受賞した原作コミック、待望の劇場アニメ化。
戦時下の広島・呉を生きるすずの日常と軌跡を描く物語、ノベライズ版。

-----感想-----
冒頭は昭和8年で、7歳の浦野すずが広島の中島本町(ほんまち)におつかいに行き、妹のすみへのお土産を食べ物とおもちゃのどちらにするかで迷います。
この頃はまだ太平洋戦争(大東亜戦争)が始まっておらずおもちゃと迷えたのだなと思いました。
戦争末期になると食べ物もろくに無くなりおもちゃと迷う余裕もなくなると思います。

この時すずは産業奨励館という建物を目にしていて、後の原爆ドームだとすぐに気づきました。
すずは人さらいの大男にさらわれます。
大きなかごの中に押し込められるとそこには同じようにさらわれた男の子がいました。
しかしすずの機転で二人とも大男から逃げることができます。

すずの家は広島の江波(えば)にあり、父の十郎、母のキセノ、兄の要一、妹のすみと暮らしています。
兄はすぐに怒り出す人ですずは心の中で「鬼いちゃん」と呼んでいます。
大潮の朝、遠浅の広島湾はすずの家のある江波から叔父、叔母のマリナ、祖母のイトが暮らす草津まで陸続きとなり徒歩で訪ねて行けるとあり、そんな場所があるとは知らず驚きました。

叔父、叔母、祖母が暮らす家で昼食を食べた時「わけぎのぬた」というメニューがありました。
どんな料理なのか調べてみたらわけぎ(分葱)はねぎに似た野菜で「ぬた」は酢味噌和えのことです。
料理名は知りませんでしたが食べたことはあると思います。
子供達三人が昼寝をしている時、すずは天井から女の子が降りてきてすず達が食べたスイカの皮をかじっているのに気づきます。
すずは思い切って女の子に声をかけ、切ったスイカを新しくもらってきてあげます。
しかしすずが戻って来ると女の子の姿はなくなっていて、誰なのか気になりました。

昭和13年2月、小学6年生のすずは教室で水原哲という活発な子が暴れて大事な鉛筆を教室の壁際にある削りカスを捨てる穴に落とされてしまいます。
すずは「水原を見たら全速力で逃げえいう女子の掟を忘れとったわい」と言います。
帰宅したすずが江波山に行って焚きつけの松葉を拾っていると崖に哲がいます。
すずは母の「哲くんに親切にせんといけんよ(家庭環境が悪く不憫に思っているため)」という言葉を守って態度の大きい哲に話しかけていて、とてもまじめで優しい子だと思いました。
そして哲がどんな子なのかも気になりました。
哲はすずに新品の鉛筆を渡していて心の優しい面もあるのかも知れないと思いました。
哲が「浦野の兄ちゃん見たら全力で逃げえいう男子の掟があるけえの」と言う場面がありすずの言葉と対になっていて面白かったです。
哲は松葉を集めてすずに渡してもくれ、そこには椿の花が1輪挿してありすずのことが好きなのだと思いました。



昭和18年12月、すずは18歳になりこの年の春に要一が軍に召集されました。
太平洋戦争(大東亜戦争)が始まっていて、すず達一般国民には知らされていませんがこの時既に戦況は大きく悪化しています。
昭和17年5月のミッドウェー海戦と昭和17年8月~18年2月のガダルカナル島の戦いで日本軍は陸軍、海軍ともに壊滅的な打撃を受けています。
※百田尚樹さんの「永遠の0」で詳しく描かれているので感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
すず達の食べ物が雑炊になったのを見ても戦況の悪化が分かりました。

呉からすずを嫁に欲しいという人が来ます。
草津の叔父の家に手伝いに来ていたすずは実家に戻る時に海軍上等水兵になった哲に再会します。
すずが妹のすみのほうが綺麗なのですずを嫁に欲しいという人はすみと間違っているのではと言うと、哲は「……ほうでもないと思うがの」と言い、やはりすずのことが好きなのだと思いました。

昭和19年2月、すずは嫁に欲しいと言ってきた呉の北條周作の家に嫁ぎます。
かつて大男にさらわれそうになった時の男の子です。
浦野家一行が江波から呉に向かう時に山陽本線が登場し、私もよく乗るのでこんなに昔から走っていたのかと思いました。

周作の伯母の小林が仲人をしてくれますがすずには結婚の実感がまるで湧かず、「うちはぼーっとしとるけえ、こうなってしもうたんじゃろうか……。」と胸中で語っていました。
北條家で周作、父の円太郎、母のサンと一緒に暮らしていくことになります。
周作には黒村径子という結婚している姉がいて、すずはサンに見せてもらった径子の洋服を見て「モガ」と評していました。
どんな意味なのか調べてみたら「モダンガール」の略で、西洋文化の影響を受けたファッションの女性とありました。

「空の彼方から零戦(ぜろせん)の爆音が響いてくる。」という描写があり零戦(零式艦上戦闘機)の名前が登場しました。
この時は昭和19年3月で海軍が防空演習を行っていました。
また配給所に行く径子にすずが配給切符を渡す場面があり、既に米などが配給になっているのが分かりました。

径子は婚家と上手く行っていないようで娘の晴美とともに北條家に居続けます。
ちまちまと台所で作業するすずを見かねた径子が私がやると言っててきぱきと料理を作ります。
径子はさつまいものかて飯を作り、これは米に他の穀物や野菜・海藻などの食品を混ぜて炊いたご飯のことです。
食卓の場で径子がすずに里帰りを勧めると円太郎、サン、周作も「それはいい」と賛成します。
ただし径子は実は本気で実家に帰そうとしていたので、ただの里帰りとして話が進んで気まずそうにしていました。
里帰りしたすずは広島の繁華街で丸いドームを載せた産業奨励館、市電が走る紙屋町の交差点、塗装工事中の福屋百貨店新館をスケッチブックに描きます。
広島によく行く私はどれも知っているので印象的でした。
すずは絵が上手く作中で何度も描いています。

4月、呉の軍港に航空母艦(空母)が二隻停泊している場面がありました。
既に大半の空母が沈められた時期でまだ生きている空母がいたのかと思いました。
戦艦大和(やまと)も居ました。
「呉の軍港で生れた世界一の軍艦」とあり呉が日本軍の重要な場所なのが分かる場面でした。

「誰も口にはしないが、戦況がかんばしくないことは配給の減り具合からも察せられた。」とありました。
すずは頭にはげができ、すずのことを邪険にしがちな径子との暮らしが影響している気がしました。
しかし径子は突然晴美を連れて婚家に戻ります。

6月15日、初めて空襲警報が発令されます。
円太郎は「まあ、敵の予想航続力からすりゃあ、初回は九州がええとこげな」と言っていました。
この時点では爆撃機B-29は中国成都から飛び立っていて距離的に九州までしか爆撃できませんでした。
しかし6月はサイパンの戦いが始まった月でもあり、サイパンが奪われやがてサイパンから飛び立つB-29が呉を爆撃しに来るのが予想されました。
この頃から建物疎開と言って防火のために密集した地域や重要施設周辺の建物を間引いて空き地を作ることが行われます。
径子の家も取り壊しになり、晴美を連れて北條家に戻ってきた径子が良い機会だから離縁してきたと言います。

7月、北條家は防空壕を作ります。
晴美とすずが段々畑から港を見る場面で晴美が「戦艦はようけおってのに航空母艦はおらんねえ」と言います。
6月のサイパンの戦いと同じ時期に海ではマリアナ沖海戦があり、4月に晴美が見た二隻の空母のうち飛鷹(ひよう)は沈没、隼鷹(じゅんよう)は損傷して修理中でした。

周作は海軍軍法会議所で録事(ろくじ)をし円太郎は海軍工廠(こうしょう)で働いています。
すずが周作は6時に帰るから録事だと思っていたというのが面白かったです。

8月、来月から砂糖の配給が隔月になるとありました。
さらにスイカが畑で禁止になっているとあり、これは食糧が足りないからもっと栄養価のある穀物を作れということだと思います。

闇市で砂糖を買ったすずは朝日町の朝日遊郭に迷い込みます。
道が分からなくて困っているすずを二葉館という遊郭の白木リンという若い女が助けてくれます。
すずは気づいていませんでしたがリンはかつてすず達が食べ終わったスイカの皮をかじっていた子です。
リンの「この世界に居場所はそうそうなくなりゃせんのよ」という言葉は印象的でした。
言動から親に売られて遊女になりそんな境遇でも何とか居場所を見つけて生きようとしているのが分かりました。

9月、すずは国防訓練で使う竹槍を作ります。
竹槍訓練が始まるのを見て日本軍が追い詰められているのが分かりました。

すずは周作とリンそれぞれの言動と、周作が持っていたりんどう柄の茶碗とリンが着ているりんどう柄の着物をきっかけに周作とリンのつながりに気づきます。
周作はすずと結婚する前は遊郭でリンと知り会い遊郭から救い出そうとしていました。

12月、重巡洋艦「青葉」の乗組員をしている哲が入湯上陸という名の自由時間を得て北條家を訪れます。
哲がすずが普通の日常を過ごしているのを羨ましがっているのが印象的でした。
「お前だけは最後までこの世界で普通でまともでおってくれ……」とすずに言い、心が疲れているのが分かりました。

昭和20年2月、要一が戦死しついに身内に犠牲者が出ます。
3月、呉に空襲が来ます。
3月は硫黄島が奪われた月でもあり、ここからはB-29だけでなく零戦を遥かに上回る高性能戦闘機のP51も護衛としてやってくるようになり、爆撃機と戦闘機の大編隊を前に日本はなすすべがなくなります。

4月、北條家は二河(にこう)公園に花見に行きすずはリンに会います。
りんはB29が夜ごと熱心に機雷をまき、呉の港も広島の海も身動きできない海になってしまったと海軍のお客から聞いたと言います。

5月、円太郎が働く広(ひろ)工廠にもB29の爆撃が来ます。
周作は法務の一等兵曹になり、軍人として海兵団で訓練されるため三ヶ月は戻って来られないとすずに言います。
広工廠の爆撃から1ヶ月半後、円太郎が海軍病院に入院している知らせが届きます。
すずは晴美と一緒に海軍病院を訪れ円太郎から大和が沈んだことを知らされます。
その帰り道、爆弾が爆発して晴美が亡くなりすずは右手の先がちぎれます。

7月、一発の焼夷弾が北條家の板の間に落ちて燃え、すずは叫びながら掛け布団を持って炎に覆いかぶさり消そうとします。
普段はおっとりとしてマイペースなすずの家を守る執念を感じました。
焼夷弾による市街地攻撃で呉市の大部分が焼け野原になります。
久しぶりに周作が北條家に戻ってきますが頭に包帯を巻き右手は吊っていて、すずは右手の先が吹き飛び円太郎も入院の重傷を負い晴美は亡くなり、どんどん犠牲が広がっているのが痛ましいです。

見舞いに来たすみがすずに江波に帰って来いと言います。
「来月の六日は江波のお祭りじゃけえ。早う帰っておいでね」と言うのを見て、その日は原子爆弾が投下された日なのがとても印象的でした。

昭和20年8月6日、この日すずは江波の実家に帰ろうとしていました。
径子に手伝ってもらいながら支度をしていると庭のほうが明るく輝き、鳥のさえずりもセミの鳴き声も絶え辺りが静寂に包まれます。
そして突然物凄い地響きとともに家全体が揺れます。
外に出てみると広島市の方角で桃色がかった巨大な入道雲がみるみる盛り上がっていくのが見えました。
夕食の席で円太郎が「どうも広島に新型爆弾(原子爆弾のこと)が落とされたらしい」と言いすずは青ざめます。

昭和20年8月15日、北條家は玉音放送を聞いて敗戦を知ります。
9月、すずはすみが生きていることを知ります。
11月、すずは小林の伯父も近所に住む主婦の知多も広島から戻ってから体調が悪いと言っているのが気になります。
これは原爆投下後すぐに広島に救援活動に行った時に放射線を浴びたのだと思います。

昭和21年1月、すずは草津の祖母の家を訪れ、すみから母は原爆投下日にお祭りの支度で広島市街におつかいに行っていて父とすみで探したものの見つからず、父は10月に倒れてすぐに亡くなったと聞きます。
父が倒れたのは原爆投下のすぐ後に母を探して放射線を浴びたからだと思います。
さらにすみは青白い顔をして寝込んでいて左手首には黒い染みが二つあり、放射線の影響の深刻さを感じました。

すずは周作との待ち合わせのために産業奨励館の前に行きます。
産業奨励館は半壊し、特徴的だった帽子のようなドームは骨組みだけになっていた。周囲にはそれ以外の建物は一切ない。
これが後の世界文化遺産、原爆ドームです。


昭和20年8月15日の夜に「うちらの暮らしは続いていく。」とあり、さらに物語の一番最後に「この世界の片隅で、わたしたちの生活は続いていく――。」とあったのがとても印象的でした。
戦争が終わった後も気持ちを整理する間もないまま日々の生活は続いていきます。
生き残ったすずが北條家や草津の祖母の家の人達、近所の人達と助け合いながら生きていってくれていたら嬉しいです。


参考フォトギャラリー
「広島駅から平和記念公園へ」(すずがスケッチしていた百貨店の福屋、路面電車、産業奨励館(原爆ドーム)が登場
「平和記念公園を散策」
「オバマ大統領訪問翌日の平和記念公園」
「平和記念式典前日の平和記念公園」

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