読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「毛利元就 第三回 城主失格」

2018-04-26 23:05:25 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第三回 城主失格」です。

-----内容&感想-----
急逝した父、毛利弘元の後を継ぎ、松寿丸(しょうじゅまる)が10歳の若さで猿掛城主になります。
毛利本家の郡山(こおりやま)城主の兄、幸千代丸(こうちよまる)は元服の日を待っていますが、烏帽子親を依頼した大内義興からは未だに返事が来ないです。

弘元の遺言により重臣の井上元兼(もとかね)が松寿丸の後見人になります。
松寿丸は元兼とともに猿掛城主になった挨拶をしに郡山城に行きます。
義興から返事が来ないことから、裏で尼子と通じている桂広澄(ひろずみ)が大内との関係を見直し尼子に付くべきだと言います。

その夜、幸千代丸と松寿丸が二人で話をしていて、幸千代丸が次のように言います。
「父上は酒も浴びたし、杉や相合(あいおう)にうつつも抜かした。けれど、不思議なものよ。頑張っている父上の姿ばかりを思い出す」
これは私も祖父母が亡くなり同じように感じています。
故人を思い出す時、自然と良かった部分のほうがたくさん思い出されます。

弘元が亡くなり傷心している杉に久(ひさ)が「少しでも良い殿御(とのご)のところへ側室に上がりませ」と言います。
杉が「亡き大殿が良い。他の男は嫌じゃ」と言うと、久が凄いことを言います。
「よろしいか。大殿に死なれたお方様など、家中の邪魔者、穀つぶし、目障り、はよ死ねの女でございまするぞ!」
杉も「お黙り!ようそこまで言えるわ」と言い、この二人の掛け合いは面白いです。
久はさらに「そのような女が、家中の者を見返すには、大殿より何十倍も良い殿御のもとへ上がる、これしかござりませぬ。よろしいか、お方様を追い出しては聞こえが悪いゆえ、誰もがしぶしぶ置いておるだけ。そのような屈辱に耐えられる女は、単に頭が悪いだけでござります」と言います。
これは杉の頭が悪いと言っているように見えます
しかし杉はなおも「他の男は嫌じゃ。大殿に、もう一度、会いたい」と涙を流しながら言っていて、よほど弘元のことが好きだったのだなと思いました。

松寿丸は元兼と毛利の領地を見て回ります。
すると第二回で一緒に奇抜な格好をして遊んでいた子達に再会し、松寿丸は焼き芋を食べさせてもらいます。
一緒に遊んでいた子達が「昔と変わんねえな」「おいら達と悪さしてた頃と同じだ」と言うと元兼が「変わられましたぞ。松寿丸様は今、おのれのことより領民のことを考えるようになられた」と言います。

1507年(永正4年)、当時の京都は親子、兄弟が殺し合う権力争いが続いていました。
混乱を極める京都で足利義澄(よしずみ)は将軍職にありましたがその力は揺らいでいました。

義澄に京都を追われた先の将軍足利義稙(よしたね)は大内義興を頼り山口(周防の国)に留まっています。
義興は「この義興、八方の国人領主に上洛を命じましたところ、次々と受諾の返事が届いております。御所様が再び将軍になられることは、もはや火を見るよりも明らかにござります」と言います。
義稙は「そおか、やっと義澄に仕返しができるのう」と悪そうな顔で言っていました。
義興の正室の綾の方が「御所様が京都に上られる頃には、ややが生まれまする」と言うと義稙は縁起が良いと喜び、「この戦、勝ちが見えたの」と高笑いします。
義興は穏やかに微笑みますが、実際には将軍職に戻りたい義稙の野心を利用し、大内家のさらなる勢力拡大を狙っていると思います。

出雲の尼子経久(つねひさ)にも義興から上洛の命が下ります。
尼子は大内にも脅威を与える大名ですが、あくまで西国一の大名は大内だという意識が感じられて興味深かったです。
家臣が京都の件をどうするかと言うと経久は何と「行く」と言います。
経久には大内と戦う日のために、「大内義興が捨て身で勝ちを狙う戦ぶり、しかと見せてもらおう」という狙いがあります。
将来の戦いに備えこの場では大内に従う決断をしていてしたたかだと思いました。

幸千代丸の元服について大内家重臣の内藤興盛(おきもり)が、義興が烏帽子親を引き受けることを伝えに来ます。
それとともに、「御屋形様はこの暮れには京都に上られます。足利義稙公を再び将軍職にお就せするための戦にござる。京都が混乱しておる今こそが、義澄を倒す二度とない好機。お分かりでしょうな」と、毛利も大内と一緒に戦うように言います。
毛利家は一緒に京都に行くかどうかで多いに荒れますが、筆頭重臣の志道広良(しじひろよし)が今さら義興の申し出を断れるわけがないと言い毛利家も京都に行くことにします。
山口の大内の館で幸千代丸の元服の儀が執り行われ、大内義興から一字を与えられ、この日から毛利興元(おきもと)と名乗ります。

大内家重臣の陶興房(すえおきふさ)と内藤興盛から強引に頼まれ、毛利家は全兵力九百のうち七百を出すように言われます。
しかし七百も兵を出せば留守が危なくなるため何とか三百にしてもらうように頼むと、残りの四百の代わりにお金を出すように言われます。
毛利家にそんなお金はないため興元と重臣達が途方に暮れていると、元兼がお金を用立ててくれます。
さらに毛利の領民への臨時の税と金のある商人に借りる役目も引き受けてくれます。
しかし元兼は裏で自身の領民に圧政をし、税を厳しく取り立てていました。
元兼の「世の中大抵のことは金で黙るもの」という言葉は勢いがあった頃のホリエモンこと堀江貴文氏を思わせるものがありました。

広澄が相合の館を訪ねます。
第一回と第二回では野心に満ちていた相合は月夜丸(つきよまる)を城主にすることをすっかり諦めていました。
「この子も大殿のお子ゆえ、つい大きな夢を見た、私が間違うておりました」という言葉に意気消沈した寂しげな雰囲気がありました。
さらに「私には、誰も寄りかかれる人がいない。そう思いましたら、心が寒うて、致し方ございませぬ」と言い涙を流します。
すると広澄が「それがしに寄りかかってくだされ」と言います。

興元が京都に行く日が近づきます。
「死ぬやもしれぬ」と言う興元に松寿丸は「死ぬなどと口にしないで下さい。私は本当に一人ぼっちになってしまいます」と言います。
興元が「もしわしが死んだら、そちが毛利を継ぐのじゃ」と言っていたのがとても印象的で、やがて毛利元就になり毛利本家を継ぐ姿が思い浮かびました。

興元が毛利の軍勢を連れて京都に出発します。
重臣の中では福原広俊が一緒に行きます。
大内義興とともに、諸国の大名や国人領主達が続々と京都に向かいます。

松寿丸のもとを武造(奇抜な格好をして一緒に遊んでいた子達の一人)が訪れ、飲まず食わずで働いても臨時の税が払えないことを聞かされ、元兼が領民から過酷な取立てをしていることを知ります。
武造の家は夜逃げをすると言い松寿丸は衝撃を受けます。
元兼を問い詰めると、何と自身の部下のせいにして部下を切り殺します。
松寿丸は「十分調べもせず、正式な手続きも踏まずに家臣を責めた」という理由で元兼によって城主失格の烙印を押され猿掛城を追い出され納屋に閉じ込められてしまいます。
「この時の過ちは、後の元就に大きな影響を与えることになる」というナレーションがありました。
そして元兼はかなりのくせ者で手に負えない厄介な家臣という印象を持ちました。


毛利元就の子供時代は酷い目に遭ってばかりだなと思います。
5歳で母を亡くし、酒の害で正気を失った父に切り殺されそうになり、10歳で父を亡くし、酷すぎる重臣の元兼に城を追い出されます。
しかし酷い目に遭ってばかりの元就が後の中国地方の覇者になるので人生は分からないものだと思います。
早く元服して毛利元就になった姿が見たくなってきました


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 太陽の光 | トップ | 「あつあつを召し上がれ」小川糸 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿