読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「関ヶ原」

2017-09-23 21:43:51 | 音楽・映画


今回ご紹介するのは映画「関ヶ原」です。

-----内容-----
関ヶ原の戦い――
それは、戦乱の世に終止符を打ち、後の日本の在りようを決定づけた。
幼くして豊臣秀吉(滝藤賢一)に才を認められ、秀吉の小姓となった石田三成(岡田准一)。
成長し大名にとりたてられた三成は自分の石高の半分をもって、猛将として名を馳せた牢人・島左近(平岳大)を家来に乞う。
秀吉に忠誠を誓いながらも、利害によって天下を治めることに疑問を感じ正義で世の中を変えようとする三成の姿に、左近は「天下悉く利に走るとき、ひとり逆しまに走るのは男として面白い」と配下に入る。
伊賀の忍び・初芽(有村架純)も、“犬”として三成に仕えることになる。
秀吉の体調が思わしくない。
天下取りの野望を抱く徳川家康(役所広司)は、秀吉の不興を買う小早川秀秋(東出昌大)や他の秀吉恩顧の武将たちに、言葉巧みに取り入っていく。
三成は、そんな家康が気にくわない。
1598年8月、秀吉逝去。
翌1599年閏3月、大老・前田利家(西岡德馬)も亡くなると、先の朝鮮出兵時から三成に恨みを持つ福島正則、加藤清正ら秀吉子飼いの七人党が、三成の屋敷を襲撃する。
三成は家康の屋敷に逃げ込み難を逃れるが、このことで佐和山城に蟄居。
家康の影響力が増していく。
1600年6月、家康が上杉討伐に向かう。
上杉家家臣・直江兼続(松山ケンイチ)と家康の挟み撃ちを図っていた三成は、盟友・大谷刑部らを引き込み、毛利輝元を総大将に立て挙兵。
三成の西軍、家康の東軍が、覇権をかけて動き出す。
1600年9月15日。
決戦の地は関ヶ原。
三成は、いかにして家康と世紀の合戦を戦うのか?
そして、命を懸けて三成を守る初芽との、密やかな“愛”の行方は……。
権謀渦巻く中、「愛」と「正義」を貫き通す“純粋すぎる武将”三成と野望に燃える家康の戦いが今、幕を開ける!!

-----感想-----
今日は映画「関ヶ原」を見に行きました。
関ヶ原の戦いは戦国時代最大の戦い、天下分け目の大戦(おおいくさ)として知られています。
太閤豊臣秀吉の死後、天下取りへの野望を露にする徳川家康に対し、秀吉の忠実な部下、石田三成が兵を挙げ戦いを挑みます。
石田三成の西軍8万人は総大将に中国地方120万石(豊臣、徳川に次ぐ領地の広さ)の大名、毛利輝元を据え、徳川家康の東軍10万人は江戸250万石(豊臣に次ぐ第2位の領地の広さ)の大名、家康が総大将を務め、両軍は関ヶ原で激突します。
戦いの結果は徳川家康率いる東軍の勝利で、何日にも及ぶ長い戦いになるという予想に反し6時間で勝負がついたことでも知られています。
どちらが勝つかは大抵の人が知っているのでそれをどう見応えたっぷりに描くかが注目でした。

まず徳川家康の権謀術数に長けた腹黒タヌキぶりがよく描かれていました。
役所広司さんの演技力が抜群に高く、腹黒い上に器の大きさも漂う良い家康になっていました。
家康は序盤で豊臣秀吉が亡くなる前から、小早川秀秋を言葉巧みに自身に好意を持つように仕向けていました。

小早川秀秋といえば名前を聞けばすぐに「関ヶ原で西軍を裏切った人」と思い浮かぶくらい、日本史における明智光秀と並ぶ代表的な裏切り人物という印象があります。
この映画では関ヶ原の戦いが始まると西軍と東軍どちらに味方するか髪をかきむしるくらいの勢いで混乱しながら迷っているのが印象的でした。
最後は裏切るのですが、裏切り方が今までの映像作品で見てきた小早川秀秋とは少し違っていたのが印象的でした。
そして最後のほうで「小早川家は長い年月をかけて徳川家康に飲み込まれてしまった」ということを言っていたのも印象的でした。
小早川秀秋一人だけ石田三成の西軍に味方しようという気があったとしても、家全体が親徳川にまとまってしまってはどうにもならないのだと思います。

私は小早川秀秋の迷いぶりを見ると、もし小早川隆景(たかかげ)が生きていればと思います。
小早川隆景は秀秋の養父で、一代で中国地方120万石の領地を築き上げた名将毛利元就の息子(三男)です。
隆景は関ヶ原の戦いの三年前に亡くなっています。
長男の毛利隆元、次男の吉川元春とともに元就が頼りにした「毛利三兄弟」として有名です。
隆景であれば、秀秋のように物凄く迷って混乱するようなことにはならず、毛利、小早川、吉川にとって一番良い方法を考え出していたと思います。
西軍の総大将、毛利輝元も叔父である隆景が生きていれば西軍の総大将に担がれることもなく、関ヶ原の戦いの後に家康によって領地を120万国から36万石に減らされることもなかったと思います。
しかし隆景は亡くなり、毛利家跡取りの輝元と小早川家跡取りの秀秋はどちらも頼りなく、元春亡き後の吉川家は裏で家康に内通するようになっていて、時代は家康に味方していました。
五大老(徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元)の中で唯一家康に負けない存在感のあった前田利家が秀吉の死の一年後に亡くなってしまったのもまた家康に味方しました。

家康は加藤清正、福島正則ら豊臣恩顧の大名も調略します。
言葉巧みに石田三成を憎み家康の陣営に味方するように仕向けていました。
「自分は豊臣の天下が続くことを願う、ただし三成が私利私欲に走り悪政をし、傍若無人な振る舞いをしている」というような話をし、加藤清正や福島正則が「そうだそうだ!」となり三成をどんどん憎むようにしていました。
ただし三成にも問題があり、愛想やお世辞ができずさらに言葉も相手の感情を無視した物言いをするため、敵を作りやすいです。
三成がもう少し相手の心情に配慮することができていれば、加藤清正や福島正則と決定的に対立することはなかったと思います。
岡田准一さんは三成の不器用さ、愚直さを上手く演じていたと思います。
V6というアイドルグループのメンバーなのですが演技力も高いと思います。

家康は北政所(きたのまんどころ)も調略します。
北政所は秀吉の正室で、子供の頃から北政所に育てられた加藤清正、福島正則ら豊臣恩顧の大名は北政所のことを「おかか様」と呼び、絶大な影響力を持っています。
ナレーションで「北政所が諸大名に”家康を討て”と命じれば、歴史は大きく変わっていた」と言っていたのが印象的でした。
ただし秀吉の死後、家康は北政所に近づき親密に話をするようになり、北政所も三成より家康を信用するようになります。
北政所が三成と家康の対立について「先々のことを考えると三成が負けたほうが良い」と言っていたのは、三成は豊臣のために汚れ仕事も一手に引き受けていたのに報われないなと思います。
これは不器用で愚直に邁進するだけでなく、周りの人の心情にも配慮し、愛想良く接したりお世辞も言えるようにならないと政(まつりごと)を円滑に行うのは難しいということだと思います。
家康はこの点に優れていて、豊臣方の人物を次々と調略していきました。

三成の家来、島左近も凄く存在感があったのが印象的です。
平岳大さんの演技力が際立っていました。
武芸に秀で、不器用な三成を静かでありながら厳かな雰囲気の話し方で支えていた姿がとても良かったです。

有村架純さんが演じた史実には登場しない架空の人物、初芽(はつめ)も良かったです。
初芽は伊賀の忍びで、冒頭で起きた事件がきっかけで三成に仕えるようになります。
そして仕えるうちに次第に三成のことを想うようになっていきました。
有村架純さんも演技力が高く、忍びとしての立ち居振る舞いを上手く演じていました。

映画は関ヶ原の戦いで最高潮を迎えます。
戦いが始まるまで、日本中から戦国武将たちが行軍して集まってくる様子や陣地を築く様子、そして三成と家康のいつ戦いを始めるかの駆け引きが印象的でした。
戦いは天下分け目の大戦と呼ばれるように大規模に描かれていました。
西軍がやや優勢に戦いますが、毛利秀元(大阪城に居た輝元の代わりに毛利を率いた人物)や小早川秀秋は動こうとしません。
三成が馬に乗って戦場を奔走し、秀元や秀秋のところに行って「動いてくれ!」と頼む姿は印象的でした。
やがて戦いの開始から3時間後、ついに小早川秀秋の裏切る時がやってきます。
戦局が大きく変わり、三成は敗戦を悟ることになります。


三成は「義が不義に負けることがあってはならない」と言っていました。
また小早川秀秋は「義が不義に飲み込まれた」と言っていました。
三成(義)と家康(不義)の戦いは忠義を尽くしたほうが勝つとは限らないという結末になっていて、なかなか辛いものがあります。
私は映画を見ていて、石田三成の不器用さと愚直さ、小早川秀秋の迷い、徳川家康の腹黒さ、どれも人間らしいと思いました。
そして義を貫き勝利を収めるには、愚直に突き進むだけではなく味方の数を増やす政治力も重要だということを感じました。

「つぼみ」宮下奈都

2017-09-17 21:18:22 | 小説


今回ご紹介するのは「つぼみ」(著:宮下奈都)です。

-----内容-----
まだ何者でもない、何者になるのかもわからない、わたしの、あなたの、世界のはじまり。
『スコーレNo.4』の女たちはひたむきに花と向き合う。
凛として、たおやかに、6つのこれからの物語。

-----感想-----
※「スコーレNo.4」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「スコーレNo.4 -再読-」 の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

この作品は書店員さん達から大きな支持を集めた「スコーレNo.4」の番外編が収録されている短編集です。
とても静かで瑞々しくて印象的な作品だったので、今回この短編集が出ているのを見つけてさっそく読んでみました。
最初の三話が「スコーレNo.4」の番外編です。

「手を挙げて」
語り手は麻子と七葉と紗英の母、里子の妹の和歌子です。
「姉には小学生になった娘たちがいる。」とあったので、「スコーレNo.4」の「No.1」よりも少し前の物語のようです。
二人の母は亡くなり、父は病でベッドに臥しているとありました。

父親を見舞った病院からの帰り道、二人は住宅展示場に寄ります。
その時の「玄関のドアを開けたところに男が立っていた。簡単に覗いて帰れるわけじゃなかった。面白半分で立ち寄ってみたら、床に粘着テープが仕掛けられていたような感じ。」という表現は面白い表現だと思いました。
すぐに引き返そうとしてもその粘着テープを振り払うのに時間がかかってしまうのだと思います。

和歌子のアパートのすぐ近くに史生(ふみお)という人が引っ越してきて、二人は付き合うようになります。
すると史生の母親が偵察にやってきます。
和歌子の部屋に史生と史生の母親が寄るのですが、そこでの母親と和歌子の会話を見ると、この母親は嫌な性格をしているなと思いました。
そして母親と和歌子の会話には穏やかでありながら緊迫感のある独特な雰囲気がありました。

里子は何でもよくできる凄い人です。
そんな里子に対して和歌子は姉のような力はないですが、何かに打ち込むことがない分自由だと思っていました。
ただ、後にその思いを改めることになります。
力がなければ自由だと、何もない自分から逃げていた。私には投げ出したり失ったりするものがない。私でなければならないことなんて何もないのだ。地道に華道を続け、曲がりなりにも師範の免状をもらったのは姉への謝罪のつもりもあったような気がする。
「私でなければならないことなんて何もないのだ。」は重い言葉で、これを受け止めるとしんみりした気持ちになるかと思います。
そして受け止めたことによって和歌子は華道の講師として活躍していて、何かの節目に自分自身のことを見つめるのは大事だと思います。


「あのひとの娘」
語り手は美奈子という45、6歳くらいの女性で、冒頭、高校一年生になった紗英が美奈子の活け花教室に入るところから物語が始まります。
美奈子はかつて紗英の父親、津川泰郎に恋をしていました。

高校一年生の5月、美奈子は同じクラスの森山太郎という男友達から同じく同じクラスの泰郎のことを聞き、泰郎に興味を持つようになります。
やがて美奈子は泰郎と話をするようになります。
そして付き合うのですが徐々にずれを感じるようになり、高校三年生の夏に別れます。
ただ美奈子はいずれ二人はまたよりを戻せると漠然と信じていました。

大学を卒業して何年か経った頃、森山太郎から泰郎が婚約したと聞きます。
さらにその後、森山太郎から今度は子供が生まれそうだと聞いた時、美奈子は初めてもう取り返しがつかないことを悟ります。
まだ間に合う、まだ間に合う、と思おうとしてきた。ほんとうはもうずっと前に終わっていたのだ。私はそれを知っていた。ただ、それでもどこかに細い糸が繋がっていると思いたかったのだ。
もう終わっていることに気づいていてもまだ大丈夫だと思っていたいのは、気持ちに整理がつけられず、未練を引きずっているということです。
気持ちに整理をつけるのはそう簡単なことではなく、何年も引きずってしまうこともあると思います。
そしてある時、何かのきっかけでついに整理をつけられるのだと思います。

美奈子は紗英について「かわいらしいお嬢さんだが、あのひとの娘だといわれると物足りない。」と胸中で語っていました。
また、紗英が泰郎と似ていないことに安堵し「あのひとを彷彿とさせる娘と毎週顔を合わせることになったら、心乱れることもあるんじゃないか。」とも語っていて、どうやら泰郎への思いが完全に無くなったわけではないようです。
しかし紗英の屈託のない笑顔と言葉に美奈子も未練が浄化されたすっきりとした気持ちになりました。
この話は終わり方がとても良くて、読んでいて心が明るくなりました。


「まだまだ、」
紗英が語り手です。
紗英は活け花教室で中学の同級生だった朝倉君がいるのを見かけ、帰りに声をかけます。
紗英が「朝倉くんの花、すごくよかった」と言うと、朝倉君は「いや、まだまだだよ」と言っていたのですが、紗英はまだまだという言葉が凄く気になっていました。
次の活け花教室で紗英が凄い勢いで「どうしてまだまだだと分かるのか」と問い詰めると、紗英を活け花教室に誘ってくれた友達の紺野千尋にたしなめられていました。
「スコーレNo.4」では家族から「紗英はお豆さんだからね」と言われ小さな可愛い子供扱いでしたが、高校生になる頃にはかなり活発になっていたようです。

紗英と朝倉君が並んで歩きながら帰る時、朝倉君が「せっかくなんだから、やめるなよ」と声をかけてきます。
紗英はこの言葉の深い意味を考え、「せっかく始めたんだから、やめるなよ。せっかく面白くなってきたんだから、やめるなよ。せっかく会えるんだから、やめるなよ。」と考えていき、一番自身に都合の良い「せっかく会えるんだから、やめるなよ。」を選んでいたのが面白かったです。

紗英は朝倉君の「まだまだ」という言葉を意識して自身ももっと良い活け花をしようと試行錯誤するのですが、型がかなり乱れてしまったため美奈子先生からきつく注意されます。
そしてどうすればもっと良い活け花ができるのか行き詰まってしまいます。

「型」のとおりにやることを嫌う紗英ですが、家で母、祖母、姉の七葉と話している時に「型」の大事さを知ることになります。
中でも祖母の言った言葉は印象的でした。
「型があるから自由になれるんだ」
「型があんたを助けてくれるんだよ」
「いちばんを突き詰めていくと、これしかない、というところに行きあたる。それが型というものだと私は思ってるよ」

これらの言葉を見て、「型どおり」は決してつまらなくはないと思いました。
型を身につけているからそれが寄る辺となり、そこからアレンジを加えたりができるようになるのだと思います。

朝倉君と紗英が歩いていると七葉に遭遇する場面があります。
「朝倉くん、姉の七葉」
振り向いてびっくりした。朝倉くんが顔を真っ赤にしている。ああ。こういうことは何度もあった。まったく、なのちゃんはこれだからだめだ。いや、だめなのは朝倉くんだ。

5歳年上の七葉は物凄い美人で常に人々の中心にいるような人で、いつも見とれてしまう人が多いです。
朝倉君もそうなっていることに紗英が不機嫌になり、姉の駄目なところを次々挙げていたのが面白かったです。


「晴れた日に生まれたこども」
語り手は晴子という24歳の女性です。
晴彦という二つ年下の弟がいて、二人とも晴れた日に生まれてきたため名前に「晴」の字が入っています。
お互いのことは晴の字を除いて「コー」「彦」と呼び合っています。
晴彦は高校を辞め、勤めた会社もすぐ辞めて、アルバイトもいくつか変わり、その後もずっとふらふらしているとありました。
晴子のほうは大学を出て薬の卸問屋に就職して事務の仕事をしています。

ある日晴彦は自身にお客を呼ぶ能力があることに気づき、そのことを晴子に打ち明けます。
今までどんなアルバイトでも晴彦が入ると途端に忙しくなり、自身がいると人が来ることに気づいたと言うのです。
晴子も晴彦と一緒にいると行く先々で空いていても途端に人が増えて混雑することに思い至ります。
本当かどうかは分かりませんが晴彦は自身の持つこの力を使ってスワンというレストランでアルバイトを始めます。

晴子は昔からよく晴彦の世話を焼き、今回も妙な力を語りアルバイトを始めた晴彦を心配していました。
二人の母親は「コーが彦の話を聞いてくれるうちは安心」と言い、晴子をとても信頼しています。
晴子は晴彦の不甲斐なさに憤ることもあれば心配になってアルバイト先に様子を見に行ったりもし、かなり振り回されている印象があります。

晴彦が父親が母親に話しているのを聞いたという言葉は印象的でした。
どっちに進んでいいのかわからなくなったときは、後悔しないようにって考えるから選べなくなる。ほんとうに迷って切羽詰まったら、少しでも心地いいほうへ進め。
この言葉のとおりに生きてきた結果が今の晴彦のため、晴子は不服な思いでこの言葉を聞いていました。
ただし常に後悔しないように慎重に生きてきた晴子はこの言葉を少し眩しく感じてもいました。
たしかになかなか選べなくて困った時は少しでも心地よく生きられそうなほうを選ぶのが良さそうです。


「なつかしいひと」
語り手は園田太一という中学生です。
東京で暮らしていたのですが母親が亡くなったため、残された父親、太一、妹の菜月は九州にある母親の両親の家に身を寄せます。

母親が亡くなって悲嘆している太一は新しい中学校では周りに話しかけようとも思わず、一人で過ごしています。
ある日太一が本屋に行くと女の子に遭遇します。
園田が通っている中学校とは違う制服を着ていて、園田のことを気にしているようでした。
この女の子は中村と名乗り、お薦めの本を教えてくれ太一もそれを読んでいき、二人は仲良くなります。

クラスで上別府という活発な男子が太一に話しかけてきます。
上別府は太一が本屋で本を買っているのを見ていて、太一は中村と一緒に居るところを見られたと思い気まずくなりますが、買っていた本の話がきっかけで上別府と仲良くなります。
太一の新しい中学校で初めてできた友達です。

やがて中村という女の子の正体が分かります。
予想どおりだったのですが、中村の太一に対する温かみのある対応と言葉には物凄い包容力を感じました。


「ヒロミの旦那のやさおとこ」
美波という女性が語り手です。
冒頭、美波が夜に岡村ヒロミの家の前を通りかかると、古い白い車が家の前に停まっていました。
誰もいないかと思いきや助手席で優男が煙草を吸いながらくつろいでいて、美波が家に帰って母親にあの男は誰だろうと聞くと、どうやらヒロミの旦那らしいことが分かります。

美波は三好知花(みよっちゃん)という小学校の同級生に電話をします。
三人は小学校六年間同じクラスでした。
二人の会話ではヒロミはドラと呼ばれていて、声がドラ声だからか、態度がドラ猫然としているからか、ドラと呼ばれるようになりました。

中学校時代の回想で、「人の悪口はいう必要がなかった。気に入らない子がいればほとんどその場でけりをつけたからだ(なにしろヒロミはめっぽう喧嘩が強かった)。」とありました。
中学校内ではヒロミについて様々な物騒な噂が流れ、物凄く危険な人物なのではという気がしました。
ただしヒロミ、美波、知花の三人は変わらず仲良しで三人でいつも一緒にいました。

ヒロミは20歳の時に家を出て、それきり音沙汰がなくなっていました。
そして今回10年ぶりに帰ってきたので、美波達は30歳のようです。

雨の降るある日、美波は駅前のロータリーでヒロミの旦那の優男に声をかけられます。
優男は何と「ヒロミがいなくなってしまったから探すのを手伝ってほしい」と言ってきます。
豪胆なヒロミらしくもなく置き手紙を残し、ヒロミはどこかに行ってしまいました。
美波は知花と一緒に優男に協力してヒロミを探すことにします。
美波は優男の話を聞いているうちに不信感を持ち、そして優男は何かを隠していると思うようになります。
そもそもヒロミなら、自分が消えるよりも相手に消えてもらうほうが手っ取り早いと考えただろう。
美波のこの考えはヒロミをとことん物騒な人物と扱っていて面白かったです。
ただし豪胆なヒロミにも深刻に悩むことがあるのが読んでいくとよく分かります。


この短編集は今まで読んできた宮下奈都さんの作品とは雰囲気が違っていて、会話と文章の軽妙さが印象的でした。
特に最後の「ヒロミの旦那のやさおとこ」は笑ってしまうような会話と文章がたくさんあり、普段の宮下奈都さんとは違う一面が見られて新鮮でした。
短編は2006年から2012年に書かれたもので、宮下奈都さんといえば静謐で澄んだ文章が特徴なのですが、違う文章を書くこともあるのだなと思いました。
またどこかでそんな文章を読むことがあれば楽しくなりながら読みたいと思います。


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

※図書ランキングはこちらをどうぞ。

「私にふさわしいホテル」柚木麻子

2017-09-16 19:45:05 | 小説


今回ご紹介するのは「私にふさわしいホテル」(著:柚木麻子)です。

-----内容-----
文学新人賞を受賞した加代子は、憧れの〈小説家〉になれる……はずだったが、同時受賞者は元・人気アイドル。
すべての注目をかっさらわれて二年半、依頼もないのに「山の上ホテル」に自腹でカンヅメになった加代子を、大学時代の先輩・遠藤が訪ねてくる。
大手出版社に勤める遠藤から、上の階で大御所作家・東十条宗典が執筆中と聞きーー。
文学史上最も不遇な新人作家の激闘開始!

-----感想-----
「第一話 私にふさわしいホテル」
語り手は中島加代子という30歳の女性です。
加代子は東京の神保町の近くにある山の上ホテルに宿泊しに行きます。
山の上ホテルは実在するホテルで私も通りかかったことがあり、かつて作家の山口瞳さんはこのホテルを「小説家のためのホテル」と称したとありました。
加代子はこのホテルの力を借りて初の長編小説を書き始めようとしています。

加代子の泊まる部屋に青教(せいきょう)大学時代の先輩、遠藤道雄がやってきます。
加代子より3歳年上のようです。
この大学は立教大学と青山学院大学がモデルだと思います。
遠藤は大手出版社の文鋭社で働いています。

「日本の文学史上、もっともついていない新人。それが私だ。」とありました。
加代子は三年前の冬に実用書専門の中堅出版社が主催する文学新人賞に応募し大賞を受賞しました。
しかし同時受賞したのがかつて人気だったアイドル女優だったためマスコミの注目はこのアイドル女優だけで、加代子は虫けら以下の存在として扱われました。
担当の女性編集者は「いい作品だから時期を見て必ず出版しよう」と言っていますが形だけで、実現に動く様子はないです。

加代子は遠藤から60代のベテラン作家、東十条宗典(むねのり)が真上の階に缶詰になっていると聞きます。
東十条は明日の朝9時までに文鋭社の文芸誌に載せる原稿を仕上げなければならず、担当編集者の遠藤は東十条に差し入れを持ってきていました。
東十条は「直林賞」受賞者とありこれは直木賞がモデルだと思います。
遠藤の話を聞いた加代子は明日の朝9時までに東十条の原稿が上がらなければ、変わりに自身が遠藤の指導を受けて書いていた原稿が掲載されることに思い至ります。
新人賞を受賞した出版社から一向に本を出してもらえない加代子は文鋭社の遠藤に泣きついていずれ文鋭社の文芸誌に載せるための原稿を書いていました。
加代子は東十条の執筆を妨害して原稿を落とさせようと企みます。

そこからの展開はかなり面白かったです。
加代子はルームサービスのふりをして東十条の部屋に乗り込みます。
断る東十条を強引に押し切って部屋に乗り込み、矢継ぎ早な話術で自身のペースに持っていく様子が面白かったです。
そして東十条は加代子の話に興味を持ちます。
東十条は「文壇最後のドンファン(プレイボーイのこと)」とも呼ばれていて、メイド服に身を包み可憐な話し方をする加代子のペースにあっさり引き込まれていきました。

加代子のペンネームは相田大樹(あいだたいじゅ)です。
「あ」で始まる若手の作家は少ないこと、どこかに「木」が入ると売れること、性別が曖昧な名前は幅広い層にアピールすることが加代子がペンネームをつける時に重視することとありました。
これは興味深く、たしかに書店で何か小説を探す時は「あ」行の作家から見ていきます。
そして私が今まで読んできた小説の中では「あ」行と「ま」行に強力な作家が何人もいるのも興味深いです。

遠藤の言葉で印象的なものがありました。
平成の小説家に圧倒的に欠けているのは執念とハッタリではないだろうか。
これは昭和に比べて平成はガツガツしなくなったということだと思います。
これを書くとすぐに「最近の若い者は~」と言いたがる人もいると思いますが、家族環境の変化、社会の豊かさや雰囲気の変化、親の教育方針の変化など、時代背景がかなり違うため、一方的に平成は駄目とするのはどうかと思います。
そして遠藤は加代子の自身がのし上がっていくための執念とハッタリを高く買っています。
私も加代子の東十条を妨害するための執念とハッタリによる作戦を読んでいてかなり面白くなり、次はどんな物語が見られるのか楽しみになりました。


「第二話 私にふさわしいデビュー」
加代子は遠藤に誘われて帝国ホテルで開催される文鋭社が主催する小説ばるす新人賞の授賞式にやってきます。
この会場では島本理生さんなどの実在の作家さんも登場していました。

加代子が料理を次々と食べながら心の中で語っていた編集者への考えが面白かったです。
担当作家が売れればお手柄、売れなければ作家本人のせい。企業に守られ「作家と飲むのが仕事とうそぶき、なんの疑いも抱かずに会社の金で贅(ぜい)と美食の限りを尽くす。そのくせ「普通の勤め人とは違ってクリエイティブな仕事をしております」と言わんばかりの、スノッブで妙に人を見下した態度。
他の作家さんの小説でも編集者について似たことが書かれているのを見たことがあります。
有名な作家さん達と付き合っていくのがお仕事内容であり華やかなパーティーにもたくさん出席するため、その悪い面に取り憑かれると人を見下したような態度が身についてしまうのではと思います。

第一話から一年経っていて、加代子は文鋭社の文芸誌『小説ばるす』で何回も作品を掲載するようになっていて、単行本デビューも間近です。
ところが単行本を出せることになった途端、加代子が文学新人賞を受賞したプーアール社の女性担当編集者から連絡がきて、「あなたはプーアール社の文学新人賞でデビューした作家なのだから、うちから本を出すのが筋だ」と言ってきて妨害に遭います。
文学新人賞を受賞してから今まで加代子の作品には見向きもせず単行本を出す気もなかったのに、他の出版社から単行本を出せることになった途端に「うちから単行本を出すのが筋だ」と言っていて、勝手な人達だなと思いました。

加代子とともに文学新人賞を受賞した元アイドル女優の名前は島田かれんだと分かりました。
島田かれんは現在34歳で、加代子とは対照的に文学新人賞の受賞後すぐに「恋愛夜曲」という単行本を出版し30万部のベストセラーになります。
そしてもうすぐ二作目を出そうとしています。
ただし島田かれんの文学新人賞受賞は話題を作りたかったプーアール社の策略であり、作家としての実力は加代子のほうが圧倒的に上です。
プーアール社が突然加代子の文鋭社からの単行本出版を妨害してきたのは、島田かれんと同じ時期に作品が出されて二人の作品が比較され、島田かれんの実力のなさが露見するのを避けたいという思惑があります。

小説ばるす新人賞授賞式の会場で加代子は東十条に遭遇します。
東十条は山の上ホテルでの一件に激怒していて、「お前の作家生命は今日で終わりだ。書ける媒体もゼロになるぞ。どこからも本を出せなくしてやる!」と言っていました。
この言葉を聞いて加代子も激怒し、「単行本デビューは少女の頃からの夢なのだ。男尊女卑の団塊ジジイに邪魔されてなるものか。」と胸中で語ります。
ここからまたしても加代子と東十条の戦いが始まって面白かったです。
大学時代演劇部だった加代子はとにかく演技が上手く、白々しく別人のふりをして東十条の追撃をかわしていきます。

一年後、加代子はペンネームを有森樹李(じゅり)に変え、『氷をめぐる物語』という作品で小説ばるす新人賞を受賞します。
「木」の数はさらに増え5本になっています。
そして加代子の躍進に東十条が地団駄を踏んでいるのが面白かったです。
「あの女をこのままのさばらせておくか!今に見てろ!勝負はまだついちゃいないんだ!有森樹李は私が必ず潰す。必ずだ!」
まだまだ東十条との戦いが続いていくことが予想されました。


「第三話 私にふさわしいワイン」
加代子は32歳になり、冒頭、ホテルニューオータニのプールでセレブのような雰囲気を醸し出してくつろいでいます。
小説バルス新人賞受賞のおかげで加代子は11社もの出版社から声をかけられるようになりました。
さらに大手酒造メーカーの株式会社モレシャンの跡取り息子、錦織聡一郎と付き合っていて人生が絶好調になっています。

辛辣に語っていた編集者への見方も変わりました。
単行本を出版する前は大手の出版社なんて冷血人間としか思えず、一様に憎悪していたことを、私はひどく恥じた。本を作るために身を削っている彼らに対して申し訳ない思いでいっぱいになる。
この態度の変わりぶりが面白かったです。

加代子は秀茗社(しゅうめいしゃ)のベテラン編集者、門川響子によく会うようになり、あちこち連れていってもらって贅沢をさせてもらっています。
ただし遠藤は「門川響子はバブル時代のマスコミ黄金期が忘れられない、タチの悪い高慢ちきだから騙されないように注意しろ」と諭します。
しかし加代子は遠藤の言葉を聞き入れず、遠藤に苦々しい思いを持ちます。
この後加代子が凋落していくことが予想されました。

東十条はこの頃無気力になっています。
誰かが自身にもう一度火をともしてくれないかと思っています。
そんな時に麻布の会員制フレンチレストランで加代子に遭遇します。
東十条は愛人の女優と、加代子は彼氏と一緒にここに来ていました。
いつの間にかかつての闘志を無くして東十条にお行儀良くお世辞まで言うようになってしまった加代子を見て、東十条は加代子にもう一度火をつけようと考えます。
この東十条宗典を奮い立たせることができるのは、編集者でも読者でも美女でもなく、もはや、有森樹季ただ一人なのかもしれない。彼女が図々しく目障りだからこそ、東十条は東十条らしく居られるのだ。
ここから東十条の逆襲が始まります。


「第四話 私にふさわしい聖夜」
加代子は実在する作家の宮木あや子、南綾子と友達になります。
冒頭、加代子は書評家の大和田浪江(なみえ)に二作目となる長編小説『おばあちゃんをリツイート』を罵倒されて落ち込み、この二人に慰められていました。
大和田浪江は「小手先で書いているのが見え見え、てっとり早く売れようという魂胆が透けて見えるわ」と言っていました。
『おばあちゃんをリツイート』はテレビドラマ化もされ大人気になりますが、加代子自身もこの作品には心のどこかに引っ掛かるものがあります。

さらに遠藤の興味が加代子から離れていきます。
遠藤は有森光来(みく)という今年(加代子の受賞から一年後)の小説ばるす新人賞を受賞した北海道の高校に通う18歳の少女の担当になります。
抜けるような白い肌、長い黒髪、大きな瞳というアイドル級の美少女で、デビュー作『六月のピストル』では圧倒的な実力と才能を見せているとあり、何となく綿矢りささんが思い浮かびました。
そしてこのタイトルから「平成マシンガンズ」の三並夏さんも思い浮かびました。
遠藤は光来にかかりきりになり、加代子が原稿を送っても以前のような熱のこもった添削はせず薄い感想をメールで送ってくるだけになりました。

加代子と宮木あや子さんと南綾子さんがいるカフェに同じく実在する作家の朝井リョウさんが登場します。
朝井リョウさんは加代子のことを驚くほど詳しく知っています。
そしてとてもキザな話し方をする人物として描かれていたのが印象的でした。

東十条はバーで加代子を見かけて声を掛けます。
するとこのバーに遠藤と光来もやってきたため、二人は隠れて会話を盗み聞きしようとします。
遠藤は光来のことを誉める一方で加代子と東十条を引き合いに出して酷いことを言っていました。
加代子も東十条も激怒し、何と二人で手を組んで遠藤をやっつけようとします。
この二人は宿敵同士ですがどこか通じるものもあり、ルパン三世と銭形警部のような印象があります。


「第五話 私にふさわしいトロフィー」
冒頭、加代子と遠藤がカラオケをしています。
34歳になった加代子は『魔女だと思えばいい』という作品で全国の書店員が選ぶ業界注目の文学賞「書店員大賞」を受賞します。
これは「本屋大賞」がモデルだと思います。

書店員大賞を受賞する前の回想がありました。
加代子はサイン本と手書きのポップを持って隣々堂書店恵比寿店に営業に来ていました。
このお店は有隣堂書店がモデルだと思います。
出版業界では知らない者はいない超有名書店員の須藤純一という人が出てきて応対しますがあまり愛想は良くないです。
そして加代子が物凄くへこへこしているのを見て驚きました。
「書店員や編集者のネットワークをなめるととんでもない目に遭う。傲慢な勘違い新人だと吹聴されたらおしまいである。」と胸中で語っていて、本を売るために苦心していました。
さらに隣々堂書店恵比寿店で事件が起き、解決した加代子はお礼に自身の書籍の棚を作ってもらえることになります。

『魔女だと思えばいい』が鮫島賞の候補になります。
鮫島賞は直林賞に直結する文鋭社主催の権威あるエンタメ文学賞とあり、これは山本周五郎賞がモデルだと思います。
書店員大賞に続いて賞受賞のチャンスが来ますが選考委員の一人が東十条で、他の選考委員に絶大な影響力を持っているため宿敵である加代子が受賞するのは不可能な状況です。
しかし加代子は東十条をはね除けて鮫島賞を受賞しようと考えます。
久しぶりの東十条との一騎討ちを想像すると、体中にどくどくと血液が行き渡る気がした。もしかして、私が本音でぶつかれるのは、世界中で東十条宗典ただ一人なのかもしれない。
加代子も東十条と同じようなことを思っています。
どの話にも必ず東十条が出てくるため、今度はどんな戦いになるのかが毎回楽しみです。

ある日東十条が松濤(しょうとう)の自宅に帰宅すると、奥さんの千恵子の横に着物姿の加代子がいて絶句します。
加代子は呉服屋のパーティーで千恵子と知り合い取り入っていました。
加代子の白々しい芝居が面白かったです。
「お疲れのところ、申し訳ありません。中島加代子と申します。わあ……。東十条宗典先生とこうして直にお目にかかれる日が来るなんて……。私、ずっと先生の作品のファンで……。ああ、感激です」

加代子の狙いが鮫島賞の受賞であることは東十条も勘づいています。
加代子は「奥さんに秘密をばらそうかな」と脅迫をちらつかせていました。
さらに娘の美和子も手なずけていて、就職活動中の美和子に作文の書き方を教えてあげたりしています。
千恵子と美和子を味方につけた加代子はそのまま居座り、東十条を疲れさせていきます。
まさかここまでやるとは思わなかった。賞にかける執念ときたら、第一回の芥川賞で選考委員に「賞が欲しい」と手紙を書いた太宰治顔負けではないか。
果たして加代子は東十条をはね除けて鮫島賞を受賞できるのかとても興味深かったです。
そしててっきり脅して鮫島賞をもぎ取るのかと思いきや、予想外な方法を使っていたのが印象的でした。
加代子の戦術の幅広さを感じました。

『魔女だと思えばいい』を出版する時、遠藤が手掛けた本の装丁の出来映えに不信感を持った加代子はすっかり遠藤に心を閉ざすようになっていました。
この話の終盤は加代子と遠藤の作家と編集者としての関係がどうなるのかも興味深かったです。


「第六話 私にふさわしいダンス」
島田かれんが語り手で、かれんは山の上ホテルに来ています。
プーアール社の文学新人賞から9年経ち、第一話からは6年経っています。
プロフィールでは39歳ですが実際には43歳とありました。

かれんはオーディションを受けに来ていて、相手は作家の有森樹李、なんと加代子です。
第五話から二年後、加代子は当代きっての大作家へと上り詰めていました。
オーディションは加代子が原作を提供する映画『柏の家』のヒロイン、美弥子役に抜擢するかを判断するためのものです。
しかも内容が「かれんが今いる部屋の真上、501号室に小説家の東十条宗典が宿泊していて、明日の朝9時までに文鋭社の『小説ばるす』に載せる原稿を仕上げないといけないが、それを何としても阻止しろ」というものです。
第一話の加代子の話と同じで笑ってしまいました。
こうしてかれんの東十条の原稿を落とすための戦いが始まります。
いったいどんな展開になるのか興味深かったです。


柚月麻子さんの作品を読むのは「あまからカルテット」以来二作目で、今作は笑いの要素が豊富にあってかなり楽しくなりながら読みました。
良い作家さんだと思うのでまた機会があればほかの作品を読んでみようと思います


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

※図書ランキングはこちらをどうぞ。

「劇場」又吉直樹

2017-09-09 21:31:31 | 小説


今回ご紹介するのは「劇場」(著:又吉直樹)です。

-----内容-----
一番会いたい人に会いに行く。
こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。
かけがえのない大切な誰かを想う、切なくも胸にせまる恋愛小説。

-----感想-----
第153回芥川賞受賞作の「火花」以来となる又吉直樹さんの二作目の小説です。
最初は恋愛小説を読む気分ではなかったため読まないでおこうと思ったのですが、ブログ友達が感想記事を書いているのを見て内容に興味を持ち、読んでみようと思いました。

語り手は永田という20代前半の男で、永田は東京の三鷹に住んでいます。
8月、永田が新宿から徒歩で原宿までさ迷い歩いているところから物語が始まります。
私は「火花」を読んだ時、凄く哲学的で理論立てた文章に驚きました。
今回も冒頭からその特徴が出ていて、やはり又吉直樹さんの文章は哲学と理論のイメージがあるなと思います。
読み始めて2ページ目に「空の青さと何の形にも見立てることができない雲の比率がほとんど偽物のようだった。」という文章があり、比率という言葉を見て「火花」を読んだ時に思ったその特徴が思い出されました。
今回小説を読み始めた時が凄く疲れていて、哲学的で理論的な文章を読む気力が出ず、二週間くらい読まずにいました。
ようやく読む気力が戻ったので読んでみたら面白い文章で、やはり小説は疲れている時には無理には読まず、気持ちが向いた時に読むのが良いと思います

さ迷い歩いていた永田は代々木体育館の少し先にある古着屋に寄った時、店員の女性達が永田の動きを敏感に追っているように感じていました。
そこの描写を読むと、永田は周りの視線にかなりびくびくしているようでした。
これは元々の性格が周りの視線を気にしやすいタイプか、今まで歩んできた人生経験が永田をその性格にさせたかのどちらかではと思いました。

古着屋を出て再び歩き出した永田は画廊に行き当たります。
永田のほかにも若い女の人が一人、外から画廊の様子を見ていました。
その女の人の存在に気づいた時の描写で、「本当は随分と前から僕の視界に入っていたのだけれど、ようやくその存在が意識の表面に昇ってきたのだ。」とありました。
「意識の表面に昇る」も理論的な言葉だなと思います。
これは家でくつろいでいる時を思い浮かべると想像しやすいと思います。
例えば居間でおやつを食べながら家族と話している時、その視界にはおやつと家族のほかにも居間にある電話や窓ガラスなど、ほかのものも映り込んでいるはずです。
しかしおやつを食べながら家族と話している時は視界に映り込んではいてもその存在を特に意識はしていないです。
これを「あれは電話だ、あれは窓ガラスだ」というように、存在を意識することが「意識の表面に昇る」という状態だと思います。

永田はこの女の人に声をかけます。
しかし声のかけ方が明らかに異様で、永田を不審者と思い逃げるように去っていった女の人を追いかけて最後は走って追いついて声をかけていて、まるでストーカーのようでした。
怖がる女の人に永田はたどたどしい言葉でナンパをしていました。
冒頭からの描写を見る限り普段はナンパなどしない性格の人なのにこの時は声をかけていて、それだけ気になる人だったようです。

永田と女の人は近くのカフェに寄ることになりますが、永田はお金をあまり持っていなかったので女の人におごってもらっていました。
女の人は青森県の出身で沙希と言い、女優を目指して上京し、服飾の大学にも通っているとありました。
また、永田は無名の劇団で脚本を書いているとありました。
読み進んでいくと沙希はこの時大学四年生の22歳、永田は24歳だということが分かります。

二人は連絡先を交換しますが、永田は沙希に再会したいと言えないまま時間が流れていきます。
永田は『おろか』という結成して三年になる小さな劇団で脚本家として活動していて、『おろか』は演劇の街の下北沢にある「下北ファインホール」という凄く小さな舞台で公演をすることがほとんどです。
資金もほとんどないため大劇場で公演をするのは不可能な状況です。
そして劇団『おろか』から戸田、辻という男と青山という女の三人が脱退し、残っているのは永田と中学校以来の長い付き合いの野原と永田の二人だけになってしまいます。

永田は勇気を出して沙希にデートの誘いのメールを送り、二人は渋谷でデートをすることになります。
この時の二人の会話が軽妙でした。
「サキね、ゆっくり話してくれる人の方が、言葉の意味を考えられるから嬉しいよ」
「沙希ちゃんはアホなん?」
「アホじゃないよ、かしこいよ」
アホじゃないよ、かしこいよの切り返しが面白かったです。
デートの誘いにも嬉しそうに応じていて、沙希のほうも永田に好意を持ってくれたようでした。

永田は沙希に次の劇への出演を頼み、沙希も引き受けてくれます。
中学生の頃から演劇部に所属していて演技力もあるようです。
また永田は沙希より二歳年上とありました。
そして公演は成功し、劇団『おろか』の注目度が少しだけ上がることになります。
これまでよりも大きな定員80名の「下北沢オフオフシアター」で定期的に公演を開催できるようになりますが収入は変わらず、稽古日が増えた分日雇いのアルバイトができる日も減り、アパートの家賃を払うのも苦しくなってきます。
永田は沙希の下北沢のアパートに転がり込むことにします。

沙希と暮らすことになった永田は沙希がよく聴くヒップホップ音楽に興味を持ちます。
永田はヒップホップについて「表現者の自己救済だけではなく、その根幹に遊戯として楽しもうとする大衆性が備わっていることは、創作する動機として理想だと思った。」と胸中で語っていました。
この言葉を見るとやはり哲学書を読んでいるような気がしてきて、永田は何かを見たり聴いたりするとすかさず「分析」する傾向が強いことも作品を読んでいて感じました。
分析の言葉ばかり言っている人が彼氏だと、彼女のほうも同じタイプでない限りはとても疲れるのではと思います。

ある日沙希が「お母さんが、小包送っても半分は知らない男に食べられると思ったら嫌だって言ってたよ」と冗談を言います。
この冗談に永田は「俺が送る立場やったら、そんな嫌味わざわざ言わんけどな」などと言って苛立っていました。
執拗に沙希に突っかかっていて、いくら何でも苛立ち過ぎだと思いました。
ただたしかに冗談で言った言葉が予想外に誰かを苛立たせることはあるので注意が必要です。

沙希は凄く優しい人で、大抵の場面で永田に優しさを向けてくれます。
しかし永田は沙希の優しさを素直に受け取ることができず、卑屈な気持ちになりひねくれた反応をよくしています。
また沙希が大学の男子から原付を貰ってくるとその男子に嫉妬して原付を壊したりもしていて、永田は器が小さいと思いました。

やがて沙希が服飾の大学を卒業します。
沙希は朝から洋服屋で働き、夜は近所の居酒屋でアルバイトをする生活を始めます。
大学卒業により仕送りがなくなったため、永田は沙希から今後のことも考えて光熱費だけでも払ってもらえないかと相談されますが、苦しい言い訳をして断っていました。
部屋に転がり込んでずっと世話になっているのにこれは酷いと思いました。
この時沙希はとても悲しかったと思います。

そこからまた月日が流れたある日、永田は野原と『まだ死んでないよ』という劇団の公演を観に行きます。
この劇団名について永田は「脱力させる意識的な劇団名が苦手」と胸中で語っていました。
ただし永田と野原の劇団名は『おろか』で、私はどちらも変にこだわりすぎた名前だと思いました。

永田と沙希が話している時、永田が印象的なことを思っていました。
僕が笑ったことに気づくと沙希は得意気に勢いづいて楽しそうに話す。その表情を見て、そうだ、と気づく。この純粋な心の動きに触れると、沙希だけではなく二人の生活そのものが居た堪れなくなるのだ。
これを見て、永田も心の底では沙希に申し訳なく思っているのだなと思いました。
ただしその思いを沙希に伝えられていないのはまずいです。

沙希がたまに見せる繊細な表情を見るのが怖くて、いつからか僕は沙希の前で積極的にふざけるようになった。
永田のこの言葉を見て、二人の破局が近いことが予感されました。

永田は高円寺にアパートを借り沙希の部屋以外でも暮らし始めるようになります。
そこからまた永田が器の小ささを見せて沙希に突っかかって気まずくなる場面があったりして、段々と二人の間に溝が生まれます。
そして沙希はもうすぐ27歳になります。
ついに沙希の不満が爆発する場面があり、私は今までよく永田の勝手な振る舞いを我慢していたと思いました。

かつて『おろか』を出て行った青山と永田がメールで戦う場面があり、長文メールの応酬が凄まじかったです。
永田は青山の性格の醜さを追求する理論を積み上げた長文メールを連発して青山を打ち砕こうとするのですが、青山も女の人とは思えない恐ろしく好戦的な文章で永田のろくでなしぶりを追求する長文メールを送り返してきます。
この二人のメールでの喧嘩を見ると、どちらも相手をやっつけようという思いが強すぎてとても醜く見えました。

永田は沙希との関係に決定的な亀裂が入ってから自身のこれまでの行いを後悔していました。
今ごろ沙希の気持ちと向き合わなかったことを後悔しているのかと思いました。
ただ精神的に弱ってしまった沙希を気遣って、沙希の負担を減らすために沙希の気持ちに逆らわずに寄り添うようにしていて、これは今までの永田にはなかった態度です。
しかしようやく相手の気持ちと向き合った時には既に出会って最初の頃の楽しく軽妙な会話はなくなっていました。


物語を通して、永田の駄目さと沙希の優しさが際立っていました。
沙希の優しさが永田の駄目さを心が限界になるまで受け止められたことがとても可哀想でした。
それでも最後、沙希は気持ちを整理して区切りをつけることができたようなので良かったです。
永田には相手と気持ちがすれ違った時などに話術で誤魔化すのではなく、相手がどれくらい辛い気持ちになっているのかをしっかりと考えられる人になってほしいと思います。


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

※図書ランキングはこちらをどうぞ。

加憲での憲法九条改正

2017-09-02 23:52:07 | 政治
今年の憲法記念日の5月3日、安倍晋三首相から日本国民に、日本国憲法第九条の改正について一つの案が示されました。
現行の憲法九条の一項、二項はそのまま残しつつ、新たに九条の中に自衛隊の存在を明文化するというものです。
これは現行の憲法の文章はそのままに新たな文章を追加する「加憲」という手法で、加憲の立場を取る公明党への配慮として、どこかでこの改正案が出るのは予想していた人も多かったのではと思います。
「具体的にどんなことを書き加えるか」の案が示されたことから、今回は加憲での憲法九条改正について考えてみます。
まず今の憲法九条は次のようになっています。

------------------------------
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
------------------------------

自衛隊の存在を憲法に明文化する場合、九条三項を新設するのではと思います。
まず一番簡単な例として、単純に自衛隊の存在を書いた場合を考えてみます。

3.我が国は、諸外国の武力による威嚇又は武力の行使から我が国を自衛するため、自衛隊を有する。

単純に自衛隊の存在を明記するだけでも利点はあると思います。
憲法に明記することによって、国内で自衛隊を「違憲のもの」として敵視し、潰そうとする反日左翼活動をしている政党や団体を完封できるようになります。
例えば日本共産党の場合、党の綱領に「自衛隊の解散(廃止させて潰すということです)」を書いています。
党の綱領に書かれていることはその政党が目指す政治の姿であり、日本共産党は自衛隊を日本から無くすことを目指しているということです。
さらに「日米安保条約の破棄」も党の綱領に書いていて、これらが実現した場合自衛隊も在日アメリカ軍も無くなり、日本を守るものが何も無くなってしまいます。
これは中国に「尖閣諸島のみならず、沖縄本島、その先も、全て侵略してください」と言っているのと同じです。
中国による侵略を実現するために活動しているようにしか見えず、反日左翼政党の恐ろしさが現れていると思います。

しかし憲法に自衛隊の存在が明記されていれば、日本共産党のような自衛隊を「違憲のもの」として日本から無くし日本を弱体化させる活動ができなくなります。
少なくとも国内からの日本を弱体化させる活動を防ぎ、防衛における国内の地盤を今より強化することができます。
ただしこの加憲では単純に自衛隊の存在を明記するだけなため、「抑止力」の向上は不充分だと思います。
抑止力とは相手が「この国に攻撃を仕掛ければこちらもただでは済まない」と考え、侵略を思い止まることです。
中国のように、日本の領土を侵略しようとしている国から戦争を仕掛けられずに済むためには、この抑止力が重要になります。
抑止力が大きく向上するのは自民党が元々一つの案として提示している憲法九条の改正案で、次のようになります。

------------------------------
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2.前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
------------------------------

二項が大きく改正されているのが注目で、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」が「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」になっています。
この改正案は自衛権と自衛のための交戦権を持っていると読み取ることができます。
自衛権を持っていると明記したこと、さらに交戦権を認めないという文章を撤廃したことにより、今までの憲法にはなかった抑止力が備わっています。
防衛白書によると交戦権とは「相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むもの」とのことです。
自衛権が外敵が武力で領土を侵略してきた場合に初めて追い払える「守り」の権利なのに対し、交戦権は守りだけでなく相手国領土の軍事設備等に攻撃できるという意味を持っています。
ただし憲法九条の1項で「日本から戦争を仕掛けること(侵略戦争)」については明確に否定しているので、この場合の交戦権とは相手国からの侵略を自衛する中で、日本を守るために必要な場合には相手国の領土の軍事設備等に反撃したり、日本の領土内に侵略してくる前の時点で迎え撃つこともあり得るという意味と解釈されます。
この抑止力向上により、中国のように日本の領土侵略を狙う国は今までよりも領土侵略がしずらくなり、日本としては侵略されずに済む可能性を上げることができます。

次の例は、加憲の手法で自民党の憲法改正案のような抑止力の向上を意識した文章にしてみます。

3.我が国は、諸外国の武力による威嚇又は武力の行使から我が国を自衛するため、自衛隊を有する。また2項の交戦権の規程は、我が国に武力による威嚇又は武力の行使を行う国に対し自衛する場合はこの限りではない。

この場合の論理構成は次のようになります。
まず今の憲法九条の平和の理想は良いものです。
ただし理想だけでは中国や北朝鮮のような現実にある驚異から日本を守ることはできないため、守るために自衛隊を保有します。
そして日本国憲法では自衛権はあるが交戦権はないとしています。
ただし日本に対して武力による威嚇や武力の行使を行い驚異を与えてくる国に対してはこの限りではないです。

これなら中国や北朝鮮のような現実に日本に驚異を与えている国に対して抑止力を向上させることができます。
今の憲法九条の一項と二項をそのまま残すという憲法九条護憲派の意見と、戦争を仕掛けられないために抑止力を向上させるという憲法九条改正派の意見を両方取り入れた形になります。
私は憲法九条の文章を改正するのが良いと思うのですが、憲法改正の発議に衆議院と参議院の両方で3分の2以上の賛成が必要な以上、加憲の立場を取る公明党の協力が必要です。
場合によっては加憲での憲法九条改正になっても仕方ないと思います。
そして政治は意見の異なる政党同士による妥協の産物でもあるので、憲法九条の改正について加憲案でまとまるような気もしています。

今回加憲で憲法九条を改正する場合を考えてみて、どんな文章を書き加えるかが凄く重要で、抑止力を左右すると思いました。
私は中国の尖閣諸島侵略が目の前に迫っている現実を見据え、なるべく抑止力を向上させてほしいと思います。
「目の前に迫っている驚異を見据え、憲法九条を今よりまともにすること」が大事だと思うので、ぜひ意見を取りまとめて憲法改正の発議をし、国民に直接九条改正について意見を聞く「国民投票」を実施してほしいです。


関連記事
「東京新聞8月17日掲載の若者の声」
「東京新聞5月4日の一面」
「平和記念公園の折鶴から見る戦争と平和」