読書日和

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「毛利元就 第十四回 巨人とひよっこ」

2018-09-28 17:55:51 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第十四回 巨人とひよっこ」です。

-----内容&感想-----
毛利家は山陰の覇者になった尼子経久(つねひさ)の度重なる圧力に屈して尼子軍に与することになりました。
安芸の国(広島県)の鏡山城攻めを行う経久の本陣で、経久は幸松丸(こうまつまる)に尼子軍への合流が遅れた代わりにそれなりの働きをしてもらうと言い、毛利軍に先陣を務めてもらうと言います。
元就が自身に言ってくれと言うと、経久は「そなたは読みが浅く、決断が遅く、戦下手だ。9つの殿に申し上げたほうがまだマシと思うての」と馬鹿にしたことを言い、尼子軍からは笑い声が上がります。

1523年(大永3年)6月13日、戦いが始まりますが鏡山城の守りは堅く、毛利軍は何度攻めても落とすことができません。
軍議で元綱が元就にこれでは毛利の信用を無くすと批判します。
さらに元綱は全軍で一気にぶつかって敵の防御を突破するしかないと言いますが、元就は「それは兵を消耗させるだけで下手な手であろう」と言います。
元綱は批判ばかりで戦い方もいざという時にあまり良い策を考えられないと思いました。
何か策があるはずだと言う元就に元綱は「元就殿はいつもそうじゃ。いたずらに時をかせぎ、嵐が通り過ぎるを願い、かえって大きな嵐を招く!こたびもただちに尼子に付けば、経久殿とて病弱な殿を大将にせよとは申されなかったはずじゃ!」と食ってかかります。

大内方も厳島で謀反が起きすぐには鏡山城に援軍を送り出せない状況です。
義興(よしおき)は義隆に初陣の話をしようとしますがまたも遊び呆けていて激怒します。
「この大内がいかなる家であるか分かっておろう。我等が京都を発った今、幕府すら立ち行かなくなっておる。天下を動かすのはこの大内じゃと言うのに、朝から晩まで遊びばかりとは何じゃ!」
すると義隆は自身は天下を動かす家に好んで生まれてきたわけではないと言い、戦よりも書を読み、舞を舞い、歌を詠み、多くの者と遊び語らうのが好きで、そんな自身に天下を担えと言われても荷が重いと言います。
義興は義隆を殴り、「息子一人導けぬわしが、厳島で謀反が起きても道理じゃな」と言っていて寂しく聞こえる言葉でした。
義隆は立派に初陣を飾って見せると言いますが、涙を流しながらこのような家に生まれたくなかったとも言い、望んでいないのに大内のような家に生まれるのも大変なのだと思いました。

鏡山城の秘密の間道(かんどう、抜け道のこと)でも突き止めない限り城を落とせないと見た元就は重臣の井上元兼(もとかね)から鏡山城主の蔵田房信(ふさのぶ)と叔父の蔵田直信(なおのぶ)のことを聞きます。
元兼は房信は忠義者で戦上手でいかなる手も通用せず、直信は小心者で欲深く、落ち着きのない男だと言います。
これを聞いた元就は策が閃いて忍の小三太(こさんた)を呼び、蔵田軍に大内は厳島の謀反で手こずり合力(ごうりき、援軍のこと)が出せないという噂を流すのと、直信の側近に元就が会えるように手はずを整えてくれと言います。

数日後、小三太は元就のもとに直信の側近、湯浅信行を連れてきます。
元就は信行に、直信の手により房信の首を獲れば余計な血を流さずに戦を終わらせることができ、蔵田家も断絶せずに残ると言い、さらに房信の所領は全て直信に渡すと言います。
大内の本隊は謀反で援軍には来れず、元兼によって大内との縁が切れてはいない毛利の言葉だから信じられるだろうと言い信行を信じさせます。
直信は元就の条件を飲み鏡山城への間道を教え、元就率いる毛利全軍はその間道を進み鏡山城に攻め込みます。
直信は自身の家臣達とともに房信に刃を向け、切腹すれば妻子と家臣の命は助けると言い鏡山城は開城に向かいます。

元兼が経久のもとに行き、鏡山城開城の手はずが完了したことと、ただちに房信を切腹させるから妻子と家臣の命は助けて良いかと言います。
重臣の亀井秀綱はそのような条件は前もって経久に相談すべきことだと怒り、重臣の宇山久兼(ひさかね)は何も言わずに進めたのは元就が手柄を独り占めしたかったからではないかと言います。
経久は微笑みながら「元就、やってくれたのう」と言い妻子と家臣の命を助けると言います。
しかし元兼が帰ると表情が険しくなり、低い声で「元就、やってくれたな」と言い怒っているのが分かりました。

翌日房信が切腹して鏡山城は尼子の手に落ちます。
房信の首検分が行われ、病弱な幸松丸を心配した元就が首は自身が見ると言うと、幸松丸は「馬鹿にするでない!」と言い討ち取られた首を見ますが気持ちが悪くなり倒れてしまいます。

元就が直信を経久に引き会わせると経久は妻子と家臣の命は助けると言いますが、直後に刀を抜いて直信を殺してしまいます。
「このような裏切り者、次はわしを裏切る」という言葉が印象的でした。
しかし経久も武田元繁(もとしげ)を裏切っているので人のことは言えない気がしました。


毛利元就(画像はネットより)

経久は元就に「そなたもわしを裏切っておったようだな。大内と繋がっていたゆえ、こたびの調略が叶うた」と言います。
元就が必死の顔で「つながってはおりませぬ!」と言っても経久は信じず元就の首に刀を向けます。
殺しはしませんでしたが「斬って捨てるにも値しない。直信以下だ」と言い元就は打ちひしがれてとても悔しそうな顔をしていました。

猿掛(さるかけ)城に元就が帰ってきます。
勝ち戦だったのに茫然自失の顔の元就を見て出迎えた美伊(みい)、杉、美伊の侍女の藤野、杉の侍女の久(ひさ)は不審に思います。
みんなで祝い酒を飲んでいる時も表情が晴れない元就に、留守を守っていた祖父の福原広俊が幸松丸がまた倒れたことを知らせ、元就は郡山城に行きます。
美伊と杉は家臣に元就の身に何があったのかを聞きます。

美伊、杉、藤野、久で話をし、美伊は直信が殺されては元就の面目は丸潰れでそれでは喜べるわけがないと言います。
元就の調略を杉が人を騙すのは良くないと言うと、美伊は調略によって味方の犠牲を最小限に抑えることができたのだと言い、藤野も戦って手勢を失うのも戦なら舌先三寸で丸め込むのも戦で、調略は武器だと言います。
調略について意見が割れたのが興味深く、私は家が生き残るには必要だと思います。
杉が自身は仏の道を極めているから元就が地獄に落ちないか案じられると言うと、美伊と藤野がいなくなった後で久が「されど杉様。仏の道はもう飽きたと、3日ばかりで投げ出されましたよな」と突っ込んでいるのが面白かったです。

元就は美伊に「わしゃあ、半端な人間じゃ。経久殿のように冷酷な調略も使えぬし、何をやっても半端で道が定まらぬ」と苦しい胸中を明かします。
すると美伊が次のように言い励まします。
「半端な人間が、一番楽しみでござります。道の定まった人間は、もはやそれしかないということ。半端な人間は、どれもこれも可能になるということ。半端な人間ほど、勝ったようなものにござります」
「殿、美伊に何でも愚痴を言うて下さりませ。そして一歩外に出たら、凛々しい武将に変わり、帰ったらまた、美伊に愚痴をこぼされませ」

これを見て何て器の大きな素晴らしい奥方なのかと思いました。

出雲の杵築(きずき)大社(出雲大社のこと)に居る経久のもとに裏で経久と通じる毛利家重臣の桂広澄(ひろずみ)から火急の文が届きます。
そこには幸松丸の命が今日明日までしか持たないと書かれていて、経久は「元就を決して当主にしてはならん」と言います。
久兼が「鏡山城の蔵田直信の調略、実は元就を買っておられますな?」と言うと経久はにんまり笑いながら「元就は困る」と言い、その力を認めているのが分かりました。

毛利家の重臣が郡山城に集められます。
幸松丸と二人にしてもらった雪が「幸松丸、丈夫な体に生んでやれず、すまなかったのう。もう楽におなり。元気に父上のもとに走っておいき」と言っていたのがとても悲しかったです。
幸松丸が亡くなり、「時が止まったような静けさは、毛利家の波乱を暗示するものでした」というナレーションが印象的でした。


郡山城の毛利本家は跡継ぎがいなくなります。
元就か元綱が後を継ぐことになり、いよいよ元就が毛利を背負って立つ日が近づいてきました。
しかしその前には元綱との跡目争いがあり、経久が元就を当主にするのを阻止するために動くことも予想され、元就が毛利を背負って立つ前の山場を見届けたいと思います。


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

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