今回ご紹介するのは「蜜蜂と遠雷」(著:恩田陸)です。
-----内容-----
3年毎に開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。
「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」というジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽会の事件となっていた。
養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。
かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで妻子もおりコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ・アナトール19歳。
彼らをはじめとした数多の天才たちが繰り広げる競争(コンペティション)という名の自らとの闘い。
第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。
著者渾身、文句なしの最高傑作!
第156回直木賞、第14回本屋大賞受賞作。
-----感想-----
この作品は史上初めて直木賞と本屋大賞をダブル受賞して二冠制覇を達成した作品です。
さらに恩田陸さんは2005年に
「夜のピクニック」で第2回本屋大賞を受賞していて、同じ作家さんによる二度目の本屋大賞受賞も史上初となります。
気になっていたこの作品をついに読んでみました。
冒頭で二回「蜜蜂」という言葉が出てきました。
今、改めてこの時の光景を見ることができたならば、きっとこう言ったことだろう。
明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符であると。
蜜蜂の羽音。
子供の頃から耳に馴染んだ、決して聞き間違えることのない音だ。
一人の少年についての描写で「蜜蜂」という言葉が出ていて、少年は幼い頃から蜜蜂の音とともにありました。
世界五ヶ所の大都市、モスクワ、パリ、ミラノ、ニューヨーク、そして日本の芳ヶ江でピアノのオーディションが行われています。
嵯峨(さが)三枝子はアラン・シモン、セルゲイ・スミノフとともに三人でパリのオーディションの審査員をしています。
このオーディションには芳ヶ江国際ピアノコンクールへの出場権がかかっています。
芳ヶ江国際ピアノコンクールは三年毎の開催で今年で六回目を迎え、ここで優勝した者はその後著名コンクールで優勝するパターンが続いていて、新しい才能が現れるコンクールとして注目を集めています。
書類選考を通過した人が芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場できるのですが、書類選考だけでは分からない才能を取りこぼしているかもしれないことから、第1回から書類選考の落選者を対象にしたオーディションも行われています。
三枝子が手元の書類をめくると「ジン カザマ」という名前がありました。
年齢は16歳で履歴書はほとんど真っ白の状態で学歴もコンクール歴もなく、日本の小学校を出て渡仏したことくらいしか書かれていないです。
しかし隅にある「師事した人」の欄に
「ユウジ・フォン=ホフマンに五歳より師事」と書かれているのを見て三枝子は驚きます。
今年の2月に亡くなったホフマンの名は伝説的で、世界中の音楽家や音楽愛好者達に尊敬されていました。
驚きなことにカザマジンにはホフマンによる推薦状までありました。
演奏が始まると三人ともカザマジンのピアノに衝撃を受けます。
そして演奏が終わるとシモンもスミノフも信じられないものを見たかのように大興奮してその演奏を絶賛していました。
ただし三枝子だけがカザマジンの演奏に怒り、彼の演奏はホフマンへの冒涜でありこのオーディションで合格させるのは反対と言っていました。
実は三枝子のようにカザマジンの演奏を拒絶する人がいるであろうことがホフマンの推薦状に予言されていました。
推薦状の中には次の言葉があります。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵(おんちょう)などではない。
彼は劇薬なのだ。
中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。
しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
まさにホフマンの推薦状通りの反応を三枝子がしたのが興味深かったです。
シモンとスミノフが大興奮して絶賛、三枝子が激怒して嫌悪というように両極端の反応になっていて、満場一致で絶賛される音楽ではないようです。
それでもカザマジンは無事にこのオーディションに合格し芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場します。
次に栄伝(えいでん)亜夜が登場します。
亜夜は20歳の大学生で、最初部屋で雨の音を聴いていました。
家の裏にある物置小屋のトタン屋根に雨が当たる音は、亜夜には
「雨の馬が走ってる」ように聞こえます。
この感性は「蜜蜂」のカザマジンと似ていると思いました。
亜夜はかつて天才少女と呼ばれ内外のジュニアのコンクールを制覇しCDデビューも果たし、そのCDが伝統ある賞を獲るなど大活躍していました。
しかし亜夜が13歳の時、亜夜を護り励まし指導してくれていた母が急死してしまいます。
母の死によって亜夜はピアノを弾く理由を失ってしまいました。
亜夜は母の死後最初のコンサートでステージをドタキャンします。
ドタキャンをしたことによって周りの人達は亜夜から離れていきました。
「かつてはいろいろな思惑を持った取り巻きがいて、「天才少女・栄伝亜夜」からいろいろなものを巻きあげようとしていた」という言葉が印象的でした。
有名になると近づいてきて、何らかの原因で勢いがなくなると離れていくような人に私は良い印象は持たないです。
意外にも亜夜は周りから誰もいなくなってショックを受けるようなことはなくせいせいしていました。
これからは自分の人生を生きようと思った亜夜は高校は地元の進学校の普通科に行きます。
そろそろ大学進学を考えなければという時期、浜崎という男が亜夜を訪ねてきます。
浜崎は母親が生前、亜夜の無理にピアノを弾かなくとも世界に音楽が「存在」していてくれるだけで充分楽しめるという、放っておくとピアノの演奏から離れてしまう性格について相談していた人物でした。
浜崎に聴かせてくれと頼まれピアノを演奏すると絶賛していました。
浜崎は日本で三本の指に入る名門私立音大の学長であり、演奏を聴いた後「ぜひうちの大学を受けてもらえないでしょうか?」とスカウトし、亜夜はその大学に入ります。
その次に高島明石が登場します。
明石は28歳で妻と子供がいて、楽器店の店員をしています。
芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場する明石に対し、コンクールのドキュメンタリーを撮りたいので撮影させてほしいという申し出がありました。
その担当者は高校時代の同級生、仁科雅美で、このテレビの企画も明石が出場すると知った雅美が出したものでした。
芳ヶ江は日本有数の企業城下町とありました。
海沿いの街ともあり、実在はしないですが静岡県の浜松市をモデルにしているようです。
そして芳ヶ江国際ピアノコンクールは「浜松国際ピアノコンクール」がモデルのようです。
芳ヶ江国際ピアノコンクール出場者の多くが裕福な家庭なのに対し、明石の家はごく平均的なサラリーマン家庭です。
明石は自身のことをピアノの天才ではないと考えていて、このコンクール出場が自身の音楽家としてのキャリアの最後になると考えています。
長年明石のピアノを調律してくれている調律師の花田にコンクール出場を打ち明けると、花田は次のように言っていました。
「嬉しいよ。嬉しいなあ。僕は、昔から明石君のピアノのファンだからね。
ピアノは天才少年や天才少女のためだけのものじゃないんだから。」
たしかにピアノコンクールは天才少年と天才少女の独壇場のイメージがありますが、年齢制限の許す範囲なら明石のような人にも開かれているべきです。
そして明石は心の中でいつも「孤高の音楽家だけが正しいのか?音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?」と疑問を持っていました。
さらに「生活者の音楽は音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか」とも考えていて、社会人として働きながら練習してきた自身のピアノで天才少年や天才少女たちのピアノと渡り合いたいと思っているようでした。
また明石はピアノの業界とその周辺の一部の人々が持つ歪んだ選民思想に違和感を持っていて、やはりエリート志向とは合わないようです。
晩秋に行われる芳ヶ江国際ピアノコンクールは二週間にも渡ります。
オープニングコンサートの場で、菱沼(ひしぬま)忠明という作曲家が三枝子に話しかけていました。
芳ヶ江国際ピアノコンクールでは毎回課題曲に日本人作曲家の作った新曲が入るのですが、今回その作曲を委嘱されたのが菱沼です。
菱沼は風間塵の前評判が凄まじいことになっていると言っていて、ここでついにカザマジンの書き方が「風間塵」と分かります。
三枝子も言っていたのですが塵はホコリのことであり、名前にこの字を使うのはかなり珍しいと思います。
また塵は養蜂家の子供であることから「蜜蜂王子」と呼ばれているとのことです。
三枝子と菱沼が話しているとオリガ・スルツカヤという芳ヶ江国際ピアノコンクールで何度も審査委員長を務めているロシア人女性が登場しました。
女帝と呼ばれていて貫禄のある人です。
私は苗字のスルツカヤを見てフィギュアスケートのイリーナ・スルツカヤさんが思い浮かびました。
さらにナサニエル・シルヴァーバーグという人気・実力ともに高くアメリカのジュリアード音楽院で教授も務めるイギリス人が登場しました。
三枝子はかつてこのナサニエルと結婚していたことがあり、二人とももうすぐ50歳くらいの年齢です。
三枝子はその後銀行員と結婚し真哉という息子がいるのですが、またもや離婚しました。
ナサニエルも再婚した相手と現在離婚訴訟中で、二人とも波瀾の私生活になっています。
ナサニエルは三枝子達がパリのオーディションで風間塵を合格させたことに怒っています。
ナサニエルは数少ないホフマンの弟子の一人でした。
ただし塵の場合はホフマンの方がわざわざ出向いて行って教えていたのに対し、ナサニエルはイギリスから週に一度飛行機でホフマンの家に通って教えを請うていました。
また塵以外には今まで推薦状を書いたことなどありませんでした。
なのでナサニエルは塵に対して嫉妬しているように見えました。
三枝子とナサニエルが話しているところにマサルという19歳の青年がやってきます。
マサルも芳ヶ江国際ピアノコンクールの出場者でナサニエルに師事しています。
風間塵、栄伝亜夜、高島明石、マサルの四人は小説の最初に名前が記されていて、四人それぞれ各予選ごとの演奏曲目が紹介されていて中心人物であることが分かります。
四人が出揃ったことでここから本選に向けての戦いが始まります。
亜夜は浜崎学長の次女、奏(かなで)と演奏の衣装を選びます。
しかし亜夜はコンクールに気乗りしません。
亜夜のコンクール参加には浜崎学長の意向もあったため、自身を大学にスカウトしてくれた浜崎学長の面目を潰さないために仕方なく
参加していました。
その日の夜、亜夜は大学の練習室で塵がピアノを弾いているのに遭遇します。
自由奔放なところのある塵は勝手に不法侵入してピアノを弾いていて、亜夜はその演奏の上手さに衝撃を受けていました。
マサルの本名はマサル・カルロス・レヴィ・アナトールと言います。
5歳から7歳までの三年間日本に住んでいて、母のミチコは日系三世のペルー人で父はフランス人です。
マサルは担当教授のナサニエルが驚くほど他の人の演奏をよく聴きます。
ナサニエルから「君はスターだ。華がある。」と非常に大きな期待を寄せられています。
また、マサルがピアノに出会ったのは日本に住んでいた時で、一つか二つ年上の近所に住む少女に連れられてピアノのレッスンに行っていました。
お互いにマーくん、アーちゃんと呼び合っていたとあり、少女のピアノのセンスが神がかっていることからこのアーちゃんは「亜夜」ではと思いました。
やがてマサルは両親の仕事の都合でフランスに戻ることになり、少女は自身の持っていたト音記号の刺繍の付いた楽譜入れのカバンをくれました。
マサルは今でもそのカバンをお守りとして持っています。
このアーちゃんはやはり亜夜のことで、物語の早い段階で明らかになります。
マサルが亜夜を放っておくとまたピアノから離れていってしまうのではと本能的に感じ取って心配していたのが印象的でした。
「第一次予選」
一次予選は90人が演奏し二次予選に進めるのは24人だけです。
物語の最初に四人の一次予選から本選までに弾く曲名が記されているので、四人とも本選まで行くのかなと思いました。
ホールの観客席でマサルが初日の演奏を聴いていると、前に座っている人の会話の中で「ジェニファ・チャン」というコンクール出場者の名前が出てきます。
マサルも心の中でこの名前に言及していたことがあり、かなり高飛車な人物のようです。
また、「蜜蜂王子」の名前も出てきました。
ここでマサルは初めて蜜蜂王子と呼ばれている風間塵の名前を耳にし、塵に興味を持ちます。
奏と亜夜がホールに来て、塵は大学で勝手にピアノを弾いているところを見られた亜夜の姿を見てぎょっとします。
段々四人がそれぞれの存在を意識するようになっていきます。
また塵の家にはピアノがなく、それはピアニストとしては異常なことです。
塵は養蜂家の父親の仕事を手伝いながら移動生活をしています。
明石の妻、満智子も明石の演奏を聴きにホールに来ています。
「大変でしょう、音楽家の奥さんって。」などと嫌がらせのように言ってくる人がいるらしく、満智子は余計なお世話だと怒っていました。
明石が
「練習を一日休むと本人に分かり、二日休むと批評家に分かり、三日休むと客に分かる」という有名な格言があると言っていたのは興味深かったです。
コンクールに出て優勝を狙うためにはほぼ休みなしで練習していないと厳しいのだろうと思います。
ナサニエルが三枝子との夕食で「蜂蜜王子だか蜜蜂王子だかの話を聞かせてもらいたいね」と言っていたのは面白かったです。
私も最初「蜂蜜王子」に見えました。
蜜蜂と蜂蜜は似ていると思います。
ちなみにマサルは外見が抜群であることから「ジュリアードの王子様」と呼ばれています。
マサルの演奏が始まると明石はその凄さに打ちのめされていました。
また明石は栄伝亜夜に注目していて、かつて天才ピアニストとして活動していた頃の亜夜のファンでした。
塵は小学校卒業までは日本に住んでいたので日本語が話せます。
ついに塵が一次予選の曲を弾きます。
塵の演奏が終わると会場は大興奮になり、一次予選ではアンコールはないのに会場全体がアンコールを求めていました。
ただしマサルの演奏と違い塵の演奏への審査員の評価は真っ二つに割れます。
それはパリのオーディションで三枝子が塵を合格させるのに反対したのと同じ反応でした。
亜夜は塵の演奏を聴いて
「この子は、音楽の神様に愛されてるんだ。」と感じます。
塵の演奏を聴いたことでコンクールに乗り気でなかった亜夜の気持ちが大きく変わります。
亜夜も神がかった演奏をし、ナサニエルが
「音楽に、侵しがたい気高さがある。マサルの強敵になるのは、カザマ・ジンではなくこの子のほうだ。」と心の中で語っていました。
「第二次予選」
一次予選結果発表の次の日から三日間の二次予選が始まります。
二次予選からはアンコールが許されます。
社会人の明石はとにかく睡眠時間を削って練習するしかなかったとありました。
二次予選では「春と修羅」という菱沼忠明が作曲した曲が課題曲になっているのですが、明石は妻に聴いてもらいながら「春と修羅」を完成させました。
28歳はピアノコンクールでは完全に年寄り扱いとのことですが、年長者にも良い面はあります。
少年少女より人生経験が豊富な分、助けになってくれる奥さんがいたり、少ない時間の中で工夫して練習することができます。
「春と修羅」には菱沼賞という賞があり、明石は本番で普段とは違う感覚でピアノを弾くことになり、天才達にも負けない凄く良い演奏をしていたので受賞できるかもしれないと思いました。
塵は生前のホフマンに「塵はそのままでいい、そのままの塵に価値があるんだ、誰になんと言われても気にすることはない、好きに弾いておいで」と言われていました。
またホフマンは塵に、「人々の意識に閉じ込められている音楽を外に連れ出してやれ」と言っていました。
さらに
「塵は私の置き土産だ。世にも美しい、ギフトなんだ。」と言っていて、塵に対する絶大な期待がよく分かりました。
菱沼がナサニエルと三枝子との夕食で「再現芸術だからこそ、いつも新しくなければならないというのがユウジ・フォン=ホフマンの口癖だった」と言っていました。
たしかにベートーヴェンやショパンなどのクラシック音楽を単に再現して弾くだけではなく、そこに弾き手がもたらす新しさもなければ新たな魅力を引き出せないと思います。
二次予選二日目の夜、塵がピアノを弾きに行く亜夜の後をつけてきて亜夜に頼み込んで一緒にピアノを弾かせてもらっていました。
塵は亜夜を「一緒に音を外に連れ出してくれる人」だと感じています。
二次予選でも亜夜は一次予選の時と同じく気乗りしなくなっていたのですが、塵と一緒にピアノを弾いているうちに気持ちが大きく変わりました。
亜夜が弾く二次予選最終日の朝、奏は亜夜が変わったことに気づきます。
二次予選でも塵の演奏は素晴らしく、聴いていた奏は「この子の演奏は、どの曲も、今このステージで、彼自身が即興で紡ぎ出したフレーズのように聞こえる」と評していました。
課題曲の「春と修羅」では「修羅」のほうを強調した凄まじい演奏をしていました。
私はその後に登場した亜夜の演奏した「春と修羅」がとても印象的でした。
亜夜の「春と修羅」は聴いている人が「母なる大地」を思い浮かべるようなおおらかで温かな演奏で、それは文字通り「修羅」のような演奏を見せた塵とは正反対の演奏でした。
「第三次予選」
第三次予選は12人により二日間で行われます。
マサルはフランツ・リストの大曲「ピアノ・ソナタロ短調」を演奏した時にある土地に君臨する一族の悲劇を描いた壮大なドラマを心の中で語っていました。
ピアノの演奏でこんな小説のようなドラマを語るとは凄いです。
譜面を見てその音楽からマサルが読み取った情景であり、この感性もピアニストには大事だと思います。
奏は亜夜がまた気乗りしなくなりコンクールで演奏する側から観客席で聴く側に戻るつもりになっているのを敏感に察知します。
亜夜は毎回その心境になっていて、元来コンクールで優勝を狙うようなことには向かないようです。
そして一次予選でも二次予選でも、気乗りしなくなってこれではとても予選を通過できないのではと思った時、亜夜の前に弾いた塵の演奏を聴いて気持ちが乗るようになりました。
亜夜は塵なら亜夜をピアノを弾く側に引き戻してくれるかも知れないと感じています。
塵の登場する三次予選二日目、三枝子は審査員のほとんどが次のように感じているのではと思います。
風間塵が本選に残れるか否か。
いや、正確に言おう―風間塵を本選に残せるか否か。
ホフマンの推薦状には「試されているのは彼ではなく、私であり、審査員の皆さんなのだ。」という一文があり、まさにそのとおり、風間塵を本選に残せるかどうか審査員の方が試されています。
この三次予選で塵は規定違反で失格になりかねない異例の演奏をします。
その時、最初は塵への嫉妬を露にしていたナサニエルが規定違反になりかねないことは気にせず、演奏に聴き入っているのが印象的でした。
塵は三次予選のプログラムの最後に「アフリカ幻想曲」という曲を弾くのですが、作曲者の欄が「サン=サーンス/風間塵」となっています。
編曲をしたのが風間塵本人ということであり、これが世界初演ということになります。
どんな評価になるかも分からない未知数の曲をコンクールで入れてくるのが凄いと思います。
三次予選最終演奏者の亜夜はステージの袖で出番を待っている時、水にたゆたうようでいながら凄く研ぎ澄まされた境地になります。
亜夜は目を閉じた。
ああ、本当に、この世界は音楽に満ちている。
ホフマン、そして塵と同じことを亜夜も感じていました。
ついに亜夜が本気になる時がきます。
何人もの視点で語られる亜夜の演奏は読んでいて亜夜の人生が乗り移ったかのような演奏であることが伝わってきて、私は亜夜に芳ヶ江国際ピアノコンクールで優勝してほしいと思いました。
「本選」
本選で演奏するのは入賞する六名だけです。
そして本選はオーケストラとの演奏になります。
さらに三次予選までは客席千人規模の中ホールで行われていたのですが、本選は最も広い二千三百人を収容できるコンサートホールで行われます。
会場は三次予選までの張り詰めた緊張感からは解放され、フィギュアスケートのエキシビジョンを思わせる華やいだ雰囲気になるようです。
本選の描写は三次予選までに比べるとだいぶ短めで、最後は6人のピアニストがのびのびと演奏できているようで良かったです。
芳ヶ江国際ピアノコンクールの始まりから終わりまでを丁寧に描いていて、読んでいてどんどん面白くなっていきました。
演奏しながらピアニストが語る心境や、聴いている人が語る心境が胸に染みるものがあり、そういった場面を読んでいると自分自身もホールにいてピアノの音色を聴いているような気がしました。
史上初の直木賞と本屋大賞の二冠制覇を成し遂げた名声どおりの面白さでした。
この小説を読むことができて良かったです
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