読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

徳川園 新緑を散策

2017-05-31 21:32:19 | フォトギャラリー
5月28日、名古屋にある「徳川園」に行きました。
大きな池を中心とした日本庭園で、徳川御三家筆頭の尾張藩第二代藩主、徳川光友が元禄8年(1695年)に自らの隠居所として大曽根屋敷を造営したのが「徳川園」の始まりです。
その後通常の公園になっていた時期もありますが現在は日本庭園として再整備されています。
天気も良かったので庭園を散策しに行ってみました


-------------------- 徳川園 新緑を散策 --------------------


徳川園にやってきました。


素晴らしい快晴と新緑です


この大きな池は龍仙湖(りゅうせんこ)と言います。


「菖蒲田」。


花菖蒲が咲いています。




小さな川もあります。


もみじの新緑が太陽の光を浴びて凄く綺麗です


「観仙楼」という建物。
結婚式場にもなっています


「龍門の瀧」。
この時はあまり水が流れていませんでしたが、たくさん流れることもあるようです。






池のほとりに大きな石が敷かれていて歩けるようになっています。
子どもが勢いよく歩いていて落ちないか心配でした






日本庭園といえばほぼ必ず松の木があります。
松の木があると景色の風格がより一層増す気がします。


橋を渡ります。


左手を見ると茶室のような建物が見えます。
後でそちらにも行ってみます。


鮮やかな黄緑色のもみじ。


ツツジが咲いていました。




オレンジ色のもみじ。
たまに新緑の時期に紅葉しているようなもみじや、紅葉の時期に新緑のようなもみじを見かけることがあります。


この先に行くと、


先ほど見た建物への入り口があります。


建物は「瑞龍亭(ずいりゅうてい)」という茶室です。
大河ドラマ「真田丸」にも登場していた織田有楽斎を始祖としているとのことです。


大きな池の周りを一周してきました。


今度は写真奥に見える階段を上って生い茂る木々の中に入っていきます。




四睡庵(しすいあん)という休み処。
パンフレットに「隠れ里のような風景の中にぽつりと立っています」とあり、まさにそのとおりの雰囲気でした


梅の木かなと思います。


新緑の生命力溢れる姿は凄く好きです。
見ていると気持が明るくなります


この陽の気に満ちた雰囲気は山口県岩国市の吉香公園を歩いた時と通じるものがあります。


新緑に太陽の光が降り注ぎ、歩くと凄く良い森林浴になります。


大曽根の瀧。




苔のむす岩のそばで静かに咲く花。
何という名前なのか気になるところです。


木々の生い茂る場所から戻ってきたら結婚式の写真撮影に遭遇しました。
前日は「ノリタケの森」でも結婚式に遭遇していて、二日連続で遭遇するとは驚きです。
ご結婚おめでとうございます

というわけで徳川園の新緑、とても瑞々しかったです。
天気も快晴で吹く風も心地よく、青空に映える新緑を見ながら歩いていると気持ちが明るくなりました。
またいずれ散策しに行きたいと思います


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髪を切ると

2017-05-30 18:23:41 | ウェブ日記
5月20日に美容室に髪を切りに行きました。
初夏の陽気が続く中、髪をさっぱりすることができて良かったです

美容室に行って髪を切ると、しばらくの間髪に櫛を入れたりお風呂上がりにドライヤーをかけたりすると細かな髪がパラパラと落ちてくるようになります。
これはカットした髪が一度シャンプーをしたくらいでは落ち切らずに埋もれているのだと思います。
このパラパラと髪が落ちてくるのは日ごとに少なくなっていきますが一週間くらいは続きます。
なので櫛を入れたりドライヤーをかけたりする時は落ちてきた細かな髪があちこちに飛んでいかないように気をつけています。
一週間くらいもの間そんな状態が続くとは、頭髪に埋もれた細かな髪はかなりの数に上っているのだなと思います。
今日はカットしてから10日目で、ようやく落ちてこなくなったところです。

髪を切るとそんなこともありますが、やはりさっぱりするのは良いものです。
これから夏になるので普段よりも切りに行く間隔を少し短くして、早めにさっぱりするようにしようと思います。
さっぱりした状態で猛暑になる予報の今年の夏を過ごしていきたいです

ノリタケの森

2017-05-28 20:05:58 | フォトギャラリー
昨日名古屋にある「ノリタケの森」に行きました。
元は食器(陶磁器)の生産をしていた工場だった跡地に「ノリタケの森」を造っています。
天気にも恵まれ、赤レンガの建物と新緑を楽しみながら歩いていきました。


-------------------- ノリタケの森 --------------------


ノリタケの森にやってきました。
入場料は無料で、名古屋駅から徒歩で15分くらいの歩いて行ける距離にあります。


「株式会社ノリタケカンパニーリミテド」によって造られ、現在は「株式会社ノリタケの森」によって運営されています。


新緑のメタセコイア並木が凄く瑞々しいです


赤レンガ棟。
この棟は「株式会社ノリタケカンパニーリミテド」の前身の「日本陶器合名会社」が1904年に建てた工場で、その時の工場で現存する唯一のものです。
経済産業省によって「近代化産業遺産」に指定されています。




赤レンガの建物を見ると、横浜の「赤レンガ倉庫」が思い浮かびます。




噴水もあります。


結婚式のウエディング姿の新郎新婦さんがいました
ノリタケの森では結婚式をすることもできるとのことです。
結婚おめでとうございます


クラフトセンター。
1・2Fは工場見学、3・4Fはミュージアムになっていて明治から昭和初期までに製造されたノリタケ製品(オールドノリタケ)を鑑賞したりできます。


ウェルカムセンター。
ノリタケの歴史や事業、ノリタケの森を紹介するビデオの放送などをしています。


緑豊かな小道。


この赤レンガ建物の中には、


ライフスタイルショップとカフェがあります。


中に入ってみると、ノリタケ製の食器がたくさん販売されていました。




この建物にあるカフェと別の建物にあるレストランでは、ノリタケ製の食器を使って料理や飲み物を提供しているとのことです。


両サイドに赤レンガ建物がある道。
モダンな雰囲気になっています




新緑が太陽の光によく映えます


鯉のぼり。
写真左側にある煙突は「6本煙突モニュメント」の一つで、1933年の工場大改造時に建造された陶磁器焼成用トンネル窯の煙突の跡です。


風が強めに吹いていたので鯉のぼりも風によくたなびいていました


「鉄のオブジェ」。
愛知万博「愛・地球博」の時に会場に設置されていた鉄のオブジェ20体がノリタケの森に移設されました。
この鉄のオブジェは国内外から約3万点の子ども達の絵が応募された中から優秀作品20点を選定し、絵の一部を鉄板で忠実に再現してオブジェにしています。


芝生の広場もあります。


日本のメタセコイア。
新緑の黄緑色と青空がよく合っています


窯壁(ようへき)。


この壁は初期の工場の基礎(土台)に使われたレンガで造られています。
また、ノリタケの森を造る時の「ノリタケの森基金」に賛同してくれた方々の名前を陶器の皿に焼き付け、この窯壁に掲示しています。


「単独窯」。
ノリタケの窯の歴史は1904年に愛知県の則武(のりたけ)の地に創業の窯として丸窯の上に煙突を立てた第一号窯から始まっています。
そこから様々な改良が加えられて現在の窯になっているのですが、その中の比較的小さな古い単窯の一つをモニュメントにしたとのことです。


ここに陶磁器を置いて焼いていたようです。


名古屋駅から近い場所に緑が豊富で落ち着いた雰囲気の場所があるのは良いなと思います。

というわけで赤レンガの建物と新緑を楽しみ、さらにノリタケの歴史を知ることができました。
名古屋駅に来た時に気軽に散策しに行けるのが良いと思います。
もし今度散策しに行ったらノリタケ製食器を使っているレストランやカフェに寄ってみたいと思います


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休日の朝

2017-05-27 23:59:55 | ウェブ日記
今日の朝は土曜日なので休日の朝となりました
平日の朝だと目覚まし時計が鳴れば速やかに起き上がって目覚まし時計を止め、そのまま起床できます。
ところが休日の朝だとそうはいかないことが多いです。
目覚まし時計を止めた後、また寝てしまうことがよくあります。

今日の朝がまさにその状況になり、二度寝してしまいました。
目覚まし時計を止めた時にそのまま一気に起床する力が出ず、起きようとも寝ようとも特に意識しないまま、そのまま倒れこむようにまた寝てしまいました。
目が覚めたら一時間くらい経っていて、「しまった、二度寝してしまったな」と思いました

同じ朝でも平日と休日では目覚まし時計が鳴った時の反応が大きく違います。
休日は一気に起床するだけの気力が出なくなっています。
目覚まし時計が鳴って目を覚ますのは同じなのに休日になるとこんなに起床がしずらくなるのは興味深いです。
金曜日の夜に寝る瞬間から「明日は休みだ」という気持ちが働き、寝ている間もすっかり気が休まって心身ともに休日モードになっているのだと思います。
休日なので無理はせず二度寝をしてしまった時はそれも良いかという心境で行こうと思います。

プレミアムフライデー

2017-05-26 21:24:20 | ウェブ日記
今年の2月から、「プレミアムフライデー」という取り組みが始まりました。
プレミアムフライデーとは「毎月末の金曜日に普段よりもプレミアムな生活を推奨する個人消費喚起キャンペーン」のことです。
働き方改革の一環でもあり、プレミアムフライデーの日は15時に仕事を終えることを奨励しています。
そして月末の金曜日は給与支給日の直後に該当しやすいことから、15時で早めに仕事を終え夕方を買い物や旅行などに充ててもらい、月に一度くらい早く仕事の終わる日を作るのと経済を活性化するのが狙いのようです。

まず、取り組みとしてはとても良いと思います。
月に一度くらい早く帰れる日を作ろうという考え自体は何ら悪くはないからです。
この取り組みには「そんな取り組みをしても意味はない」「どうせ私は15時では帰れないのだから関係ない」などの声もありますが、ひがんだり批判だけしていたのでは労働者の労働の負担を軽くすることはできないですし、具体案(この場合はプレミアムフライデー)を出して取り組んでいくのは大事なことです。
少なくとも「労働者の労働の負担を減らすための動きがある」という意識が社会に広まることになります。
「労働者は長時間残業のブラック労働をするのが当たり前」という意識が蔓延するような社会よりはだいぶ良いと思います。

次にこの取り組みが順調に日本の多くの企業に広がっていくかというと、そう簡単にはいかないと思います。
連日長時間残業を強いているような企業が多くある中で定時よりもさらに勤務時間の短い日を作るのは難しいと思います。
大企業が率先してプレミアムフライデーを実施して、「それならばうちも」と後に続く企業を徐々に増やしていくしかなさそうです。

また15時で早めに仕事を終え夕方を買い物や旅行などに充ててもらうのは良いのですが、それを迎える側のサービス業の人達は忙しくなるのではと思います。
収益アップの恩恵は受けるかも知れませんが、月に一度くらい早く帰れる日を作ろうという方の恩恵を受けることはできないです。
プレミアムフライデーは少しでも労働者の労働の負担を減らすのを意図して始まっているはずなので、サービス業の人達にも何かしらの労働負担軽減策があれば良いのになと思います。

私個人としては、プレミアムフライデーの日はいつもより少しだけ奮発したものを食べる日くらいの位置付けになるかなと思います。
今後15時で仕事を終えて帰る流れが波及してくればそれは嬉しいです。
毎月末、普段の平日より早く帰れる日があるのは良いものだと思うので、いつかそんな働き方が浸透する日が来るのを願います。

「蜜蜂と遠雷」恩田陸

2017-05-25 21:42:11 | 小説


今回ご紹介するのは「蜜蜂と遠雷」(著:恩田陸)です。

-----内容-----
3年毎に開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。
「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」というジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽会の事件となっていた。
養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。
かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンで妻子もおりコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ・アナトール19歳。
彼らをはじめとした数多の天才たちが繰り広げる競争(コンペティション)という名の自らとの闘い。
第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。
著者渾身、文句なしの最高傑作!
第156回直木賞、第14回本屋大賞受賞作。

-----感想-----
この作品は史上初めて直木賞と本屋大賞をダブル受賞して二冠制覇を達成した作品です。
さらに恩田陸さんは2005年に「夜のピクニック」で第2回本屋大賞を受賞していて、同じ作家さんによる二度目の本屋大賞受賞も史上初となります。
気になっていたこの作品をついに読んでみました。

冒頭で二回「蜜蜂」という言葉が出てきました。
今、改めてこの時の光景を見ることができたならば、きっとこう言ったことだろう。
明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符であると。


蜜蜂の羽音。
子供の頃から耳に馴染んだ、決して聞き間違えることのない音だ。

一人の少年についての描写で「蜜蜂」という言葉が出ていて、少年は幼い頃から蜜蜂の音とともにありました。

世界五ヶ所の大都市、モスクワ、パリ、ミラノ、ニューヨーク、そして日本の芳ヶ江でピアノのオーディションが行われています。
嵯峨(さが)三枝子はアラン・シモン、セルゲイ・スミノフとともに三人でパリのオーディションの審査員をしています。
このオーディションには芳ヶ江国際ピアノコンクールへの出場権がかかっています。
芳ヶ江国際ピアノコンクールは三年毎の開催で今年で六回目を迎え、ここで優勝した者はその後著名コンクールで優勝するパターンが続いていて、新しい才能が現れるコンクールとして注目を集めています。
書類選考を通過した人が芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場できるのですが、書類選考だけでは分からない才能を取りこぼしているかもしれないことから、第1回から書類選考の落選者を対象にしたオーディションも行われています。

三枝子が手元の書類をめくると「ジン カザマ」という名前がありました。
年齢は16歳で履歴書はほとんど真っ白の状態で学歴もコンクール歴もなく、日本の小学校を出て渡仏したことくらいしか書かれていないです。
しかし隅にある「師事した人」の欄に「ユウジ・フォン=ホフマンに五歳より師事」と書かれているのを見て三枝子は驚きます。
今年の2月に亡くなったホフマンの名は伝説的で、世界中の音楽家や音楽愛好者達に尊敬されていました。
驚きなことにカザマジンにはホフマンによる推薦状までありました。

演奏が始まると三人ともカザマジンのピアノに衝撃を受けます。
そして演奏が終わるとシモンもスミノフも信じられないものを見たかのように大興奮してその演奏を絶賛していました。
ただし三枝子だけがカザマジンの演奏に怒り、彼の演奏はホフマンへの冒涜でありこのオーディションで合格させるのは反対と言っていました。
実は三枝子のようにカザマジンの演奏を拒絶する人がいるであろうことがホフマンの推薦状に予言されていました。
推薦状の中には次の言葉があります。

彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵(おんちょう)などではない。
彼は劇薬なのだ。
中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。
しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。


まさにホフマンの推薦状通りの反応を三枝子がしたのが興味深かったです。
シモンとスミノフが大興奮して絶賛、三枝子が激怒して嫌悪というように両極端の反応になっていて、満場一致で絶賛される音楽ではないようです。
それでもカザマジンは無事にこのオーディションに合格し芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場します。


次に栄伝(えいでん)亜夜が登場します。
亜夜は20歳の大学生で、最初部屋で雨の音を聴いていました。
家の裏にある物置小屋のトタン屋根に雨が当たる音は、亜夜には「雨の馬が走ってる」ように聞こえます。
この感性は「蜜蜂」のカザマジンと似ていると思いました。
亜夜はかつて天才少女と呼ばれ内外のジュニアのコンクールを制覇しCDデビューも果たし、そのCDが伝統ある賞を獲るなど大活躍していました。
しかし亜夜が13歳の時、亜夜を護り励まし指導してくれていた母が急死してしまいます。
母の死によって亜夜はピアノを弾く理由を失ってしまいました。
亜夜は母の死後最初のコンサートでステージをドタキャンします。
ドタキャンをしたことによって周りの人達は亜夜から離れていきました。
「かつてはいろいろな思惑を持った取り巻きがいて、「天才少女・栄伝亜夜」からいろいろなものを巻きあげようとしていた」という言葉が印象的でした。
有名になると近づいてきて、何らかの原因で勢いがなくなると離れていくような人に私は良い印象は持たないです。

意外にも亜夜は周りから誰もいなくなってショックを受けるようなことはなくせいせいしていました。
これからは自分の人生を生きようと思った亜夜は高校は地元の進学校の普通科に行きます。

そろそろ大学進学を考えなければという時期、浜崎という男が亜夜を訪ねてきます。
浜崎は母親が生前、亜夜の無理にピアノを弾かなくとも世界に音楽が「存在」していてくれるだけで充分楽しめるという、放っておくとピアノの演奏から離れてしまう性格について相談していた人物でした。
浜崎に聴かせてくれと頼まれピアノを演奏すると絶賛していました。
浜崎は日本で三本の指に入る名門私立音大の学長であり、演奏を聴いた後「ぜひうちの大学を受けてもらえないでしょうか?」とスカウトし、亜夜はその大学に入ります。


その次に高島明石が登場します。
明石は28歳で妻と子供がいて、楽器店の店員をしています。
芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場する明石に対し、コンクールのドキュメンタリーを撮りたいので撮影させてほしいという申し出がありました。
その担当者は高校時代の同級生、仁科雅美で、このテレビの企画も明石が出場すると知った雅美が出したものでした。

芳ヶ江は日本有数の企業城下町とありました。
海沿いの街ともあり、実在はしないですが静岡県の浜松市をモデルにしているようです。
そして芳ヶ江国際ピアノコンクールは「浜松国際ピアノコンクール」がモデルのようです。

芳ヶ江国際ピアノコンクール出場者の多くが裕福な家庭なのに対し、明石の家はごく平均的なサラリーマン家庭です。
明石は自身のことをピアノの天才ではないと考えていて、このコンクール出場が自身の音楽家としてのキャリアの最後になると考えています。
長年明石のピアノを調律してくれている調律師の花田にコンクール出場を打ち明けると、花田は次のように言っていました。

「嬉しいよ。嬉しいなあ。僕は、昔から明石君のピアノのファンだからね。ピアノは天才少年や天才少女のためだけのものじゃないんだから。

たしかにピアノコンクールは天才少年と天才少女の独壇場のイメージがありますが、年齢制限の許す範囲なら明石のような人にも開かれているべきです。
そして明石は心の中でいつも「孤高の音楽家だけが正しいのか?音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?」と疑問を持っていました。
さらに「生活者の音楽は音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか」とも考えていて、社会人として働きながら練習してきた自身のピアノで天才少年や天才少女たちのピアノと渡り合いたいと思っているようでした。
また明石はピアノの業界とその周辺の一部の人々が持つ歪んだ選民思想に違和感を持っていて、やはりエリート志向とは合わないようです。


晩秋に行われる芳ヶ江国際ピアノコンクールは二週間にも渡ります。
オープニングコンサートの場で、菱沼(ひしぬま)忠明という作曲家が三枝子に話しかけていました。
芳ヶ江国際ピアノコンクールでは毎回課題曲に日本人作曲家の作った新曲が入るのですが、今回その作曲を委嘱されたのが菱沼です。
菱沼は風間塵の前評判が凄まじいことになっていると言っていて、ここでついにカザマジンの書き方が「風間塵」と分かります。
三枝子も言っていたのですが塵はホコリのことであり、名前にこの字を使うのはかなり珍しいと思います。
また塵は養蜂家の子供であることから「蜜蜂王子」と呼ばれているとのことです。

三枝子と菱沼が話しているとオリガ・スルツカヤという芳ヶ江国際ピアノコンクールで何度も審査委員長を務めているロシア人女性が登場しました。
女帝と呼ばれていて貫禄のある人です。
私は苗字のスルツカヤを見てフィギュアスケートのイリーナ・スルツカヤさんが思い浮かびました。

さらにナサニエル・シルヴァーバーグという人気・実力ともに高くアメリカのジュリアード音楽院で教授も務めるイギリス人が登場しました。
三枝子はかつてこのナサニエルと結婚していたことがあり、二人とももうすぐ50歳くらいの年齢です。
三枝子はその後銀行員と結婚し真哉という息子がいるのですが、またもや離婚しました。
ナサニエルも再婚した相手と現在離婚訴訟中で、二人とも波瀾の私生活になっています。

ナサニエルは三枝子達がパリのオーディションで風間塵を合格させたことに怒っています。
ナサニエルは数少ないホフマンの弟子の一人でした。
ただし塵の場合はホフマンの方がわざわざ出向いて行って教えていたのに対し、ナサニエルはイギリスから週に一度飛行機でホフマンの家に通って教えを請うていました。
また塵以外には今まで推薦状を書いたことなどありませんでした。
なのでナサニエルは塵に対して嫉妬しているように見えました。

三枝子とナサニエルが話しているところにマサルという19歳の青年がやってきます。
マサルも芳ヶ江国際ピアノコンクールの出場者でナサニエルに師事しています。

風間塵、栄伝亜夜、高島明石、マサルの四人は小説の最初に名前が記されていて、四人それぞれ各予選ごとの演奏曲目が紹介されていて中心人物であることが分かります。
四人が出揃ったことでここから本選に向けての戦いが始まります。

亜夜は浜崎学長の次女、奏(かなで)と演奏の衣装を選びます。
しかし亜夜はコンクールに気乗りしません。
亜夜のコンクール参加には浜崎学長の意向もあったため、自身を大学にスカウトしてくれた浜崎学長の面目を潰さないために仕方なく
参加していました。
その日の夜、亜夜は大学の練習室で塵がピアノを弾いているのに遭遇します。
自由奔放なところのある塵は勝手に不法侵入してピアノを弾いていて、亜夜はその演奏の上手さに衝撃を受けていました。


マサルの本名はマサル・カルロス・レヴィ・アナトールと言います。
5歳から7歳までの三年間日本に住んでいて、母のミチコは日系三世のペルー人で父はフランス人です。
マサルは担当教授のナサニエルが驚くほど他の人の演奏をよく聴きます。
ナサニエルから「君はスターだ。華がある。」と非常に大きな期待を寄せられています。
また、マサルがピアノに出会ったのは日本に住んでいた時で、一つか二つ年上の近所に住む少女に連れられてピアノのレッスンに行っていました。
お互いにマーくん、アーちゃんと呼び合っていたとあり、少女のピアノのセンスが神がかっていることからこのアーちゃんは「亜夜」ではと思いました。
やがてマサルは両親の仕事の都合でフランスに戻ることになり、少女は自身の持っていたト音記号の刺繍の付いた楽譜入れのカバンをくれました。
マサルは今でもそのカバンをお守りとして持っています。
このアーちゃんはやはり亜夜のことで、物語の早い段階で明らかになります。
マサルが亜夜を放っておくとまたピアノから離れていってしまうのではと本能的に感じ取って心配していたのが印象的でした。


「第一次予選」
一次予選は90人が演奏し二次予選に進めるのは24人だけです。
物語の最初に四人の一次予選から本選までに弾く曲名が記されているので、四人とも本選まで行くのかなと思いました。

ホールの観客席でマサルが初日の演奏を聴いていると、前に座っている人の会話の中で「ジェニファ・チャン」というコンクール出場者の名前が出てきます。
マサルも心の中でこの名前に言及していたことがあり、かなり高飛車な人物のようです。
また、「蜜蜂王子」の名前も出てきました。
ここでマサルは初めて蜜蜂王子と呼ばれている風間塵の名前を耳にし、塵に興味を持ちます。

奏と亜夜がホールに来て、塵は大学で勝手にピアノを弾いているところを見られた亜夜の姿を見てぎょっとします。
段々四人がそれぞれの存在を意識するようになっていきます。
また塵の家にはピアノがなく、それはピアニストとしては異常なことです。
塵は養蜂家の父親の仕事を手伝いながら移動生活をしています。

明石の妻、満智子も明石の演奏を聴きにホールに来ています。
「大変でしょう、音楽家の奥さんって。」などと嫌がらせのように言ってくる人がいるらしく、満智子は余計なお世話だと怒っていました。
明石が「練習を一日休むと本人に分かり、二日休むと批評家に分かり、三日休むと客に分かる」という有名な格言があると言っていたのは興味深かったです。
コンクールに出て優勝を狙うためにはほぼ休みなしで練習していないと厳しいのだろうと思います。

ナサニエルが三枝子との夕食で「蜂蜜王子だか蜜蜂王子だかの話を聞かせてもらいたいね」と言っていたのは面白かったです。
私も最初「蜂蜜王子」に見えました。
蜜蜂と蜂蜜は似ていると思います。
ちなみにマサルは外見が抜群であることから「ジュリアードの王子様」と呼ばれています。

マサルの演奏が始まると明石はその凄さに打ちのめされていました。
また明石は栄伝亜夜に注目していて、かつて天才ピアニストとして活動していた頃の亜夜のファンでした。

塵は小学校卒業までは日本に住んでいたので日本語が話せます。
ついに塵が一次予選の曲を弾きます。
塵の演奏が終わると会場は大興奮になり、一次予選ではアンコールはないのに会場全体がアンコールを求めていました。
ただしマサルの演奏と違い塵の演奏への審査員の評価は真っ二つに割れます。
それはパリのオーディションで三枝子が塵を合格させるのに反対したのと同じ反応でした。

亜夜は塵の演奏を聴いて「この子は、音楽の神様に愛されてるんだ。」と感じます。
塵の演奏を聴いたことでコンクールに乗り気でなかった亜夜の気持ちが大きく変わります。
亜夜も神がかった演奏をし、ナサニエルが「音楽に、侵しがたい気高さがある。マサルの強敵になるのは、カザマ・ジンではなくこの子のほうだ。」と心の中で語っていました。


「第二次予選」
一次予選結果発表の次の日から三日間の二次予選が始まります。
二次予選からはアンコールが許されます。

社会人の明石はとにかく睡眠時間を削って練習するしかなかったとありました。
二次予選では「春と修羅」という菱沼忠明が作曲した曲が課題曲になっているのですが、明石は妻に聴いてもらいながら「春と修羅」を完成させました。
28歳はピアノコンクールでは完全に年寄り扱いとのことですが、年長者にも良い面はあります。
少年少女より人生経験が豊富な分、助けになってくれる奥さんがいたり、少ない時間の中で工夫して練習することができます。
「春と修羅」には菱沼賞という賞があり、明石は本番で普段とは違う感覚でピアノを弾くことになり、天才達にも負けない凄く良い演奏をしていたので受賞できるかもしれないと思いました。

塵は生前のホフマンに「塵はそのままでいい、そのままの塵に価値があるんだ、誰になんと言われても気にすることはない、好きに弾いておいで」と言われていました。
またホフマンは塵に、「人々の意識に閉じ込められている音楽を外に連れ出してやれ」と言っていました。
さらに「塵は私の置き土産だ。世にも美しい、ギフトなんだ。」と言っていて、塵に対する絶大な期待がよく分かりました。

菱沼がナサニエルと三枝子との夕食で「再現芸術だからこそ、いつも新しくなければならないというのがユウジ・フォン=ホフマンの口癖だった」と言っていました。
たしかにベートーヴェンやショパンなどのクラシック音楽を単に再現して弾くだけではなく、そこに弾き手がもたらす新しさもなければ新たな魅力を引き出せないと思います。

二次予選二日目の夜、塵がピアノを弾きに行く亜夜の後をつけてきて亜夜に頼み込んで一緒にピアノを弾かせてもらっていました。
塵は亜夜を「一緒に音を外に連れ出してくれる人」だと感じています。
二次予選でも亜夜は一次予選の時と同じく気乗りしなくなっていたのですが、塵と一緒にピアノを弾いているうちに気持ちが大きく変わりました。
亜夜が弾く二次予選最終日の朝、奏は亜夜が変わったことに気づきます。

二次予選でも塵の演奏は素晴らしく、聴いていた奏は「この子の演奏は、どの曲も、今このステージで、彼自身が即興で紡ぎ出したフレーズのように聞こえる」と評していました。
課題曲の「春と修羅」では「修羅」のほうを強調した凄まじい演奏をしていました。

私はその後に登場した亜夜の演奏した「春と修羅」がとても印象的でした。
亜夜の「春と修羅」は聴いている人が「母なる大地」を思い浮かべるようなおおらかで温かな演奏で、それは文字通り「修羅」のような演奏を見せた塵とは正反対の演奏でした。


「第三次予選」
第三次予選は12人により二日間で行われます。
マサルはフランツ・リストの大曲「ピアノ・ソナタロ短調」を演奏した時にある土地に君臨する一族の悲劇を描いた壮大なドラマを心の中で語っていました。
ピアノの演奏でこんな小説のようなドラマを語るとは凄いです。
譜面を見てその音楽からマサルが読み取った情景であり、この感性もピアニストには大事だと思います。

奏は亜夜がまた気乗りしなくなりコンクールで演奏する側から観客席で聴く側に戻るつもりになっているのを敏感に察知します。
亜夜は毎回その心境になっていて、元来コンクールで優勝を狙うようなことには向かないようです。
そして一次予選でも二次予選でも、気乗りしなくなってこれではとても予選を通過できないのではと思った時、亜夜の前に弾いた塵の演奏を聴いて気持ちが乗るようになりました。
亜夜は塵なら亜夜をピアノを弾く側に引き戻してくれるかも知れないと感じています。

塵の登場する三次予選二日目、三枝子は審査員のほとんどが次のように感じているのではと思います。
風間塵が本選に残れるか否か。
いや、正確に言おう―風間塵を本選に残せるか否か。

ホフマンの推薦状には「試されているのは彼ではなく、私であり、審査員の皆さんなのだ。」という一文があり、まさにそのとおり、風間塵を本選に残せるかどうか審査員の方が試されています。

この三次予選で塵は規定違反で失格になりかねない異例の演奏をします。
その時、最初は塵への嫉妬を露にしていたナサニエルが規定違反になりかねないことは気にせず、演奏に聴き入っているのが印象的でした。

塵は三次予選のプログラムの最後に「アフリカ幻想曲」という曲を弾くのですが、作曲者の欄が「サン=サーンス/風間塵」となっています。
編曲をしたのが風間塵本人ということであり、これが世界初演ということになります。
どんな評価になるかも分からない未知数の曲をコンクールで入れてくるのが凄いと思います。

三次予選最終演奏者の亜夜はステージの袖で出番を待っている時、水にたゆたうようでいながら凄く研ぎ澄まされた境地になります。
亜夜は目を閉じた。
ああ、本当に、この世界は音楽に満ちている。

ホフマン、そして塵と同じことを亜夜も感じていました。
ついに亜夜が本気になる時がきます。
何人もの視点で語られる亜夜の演奏は読んでいて亜夜の人生が乗り移ったかのような演奏であることが伝わってきて、私は亜夜に芳ヶ江国際ピアノコンクールで優勝してほしいと思いました。


「本選」
本選で演奏するのは入賞する六名だけです。
そして本選はオーケストラとの演奏になります。
さらに三次予選までは客席千人規模の中ホールで行われていたのですが、本選は最も広い二千三百人を収容できるコンサートホールで行われます。
会場は三次予選までの張り詰めた緊張感からは解放され、フィギュアスケートのエキシビジョンを思わせる華やいだ雰囲気になるようです。
本選の描写は三次予選までに比べるとだいぶ短めで、最後は6人のピアニストがのびのびと演奏できているようで良かったです。


芳ヶ江国際ピアノコンクールの始まりから終わりまでを丁寧に描いていて、読んでいてどんどん面白くなっていきました。
演奏しながらピアニストが語る心境や、聴いている人が語る心境が胸に染みるものがあり、そういった場面を読んでいると自分自身もホールにいてピアノの音色を聴いているような気がしました。
史上初の直木賞と本屋大賞の二冠制覇を成し遂げた名声どおりの面白さでした。
この小説を読むことができて良かったです


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真夏日の日々

2017-05-23 19:41:51 | ウェブ日記
この土日はよく晴れてかなり暑くなりました
どちらも最高気温が32~33度くらいまで上がり真夏日になりました。
昨日もよく晴れ約30度くらいまで気温が上がり、三日連続で夏を思わせる暑さでした。

今日の最高気温は28度くらいだったのですが、昨日天気予報を見た時にこの気温なら多少は涼しくなると思いました。
この気温でそう感じるところに夏の近づきを感じました。
5月の前半は20度台前半の気温の日が多くたまに20度台後半の日があるかというくらいだったのですが、5月後半を迎えた今は20度台後半の日が多く30度を超える日も出てきています。
同じ初夏でもより夏に近づいたのを実感します。

そして夏に近づいたということは、梅雨入りも近づいたということです。
あと二週間後には梅雨入りしていてもおかしくないです。
5月後半に真夏のような暑さの日が現れてから一気に真夏になるのではなく、間に梅雨が入るのが日本の季節の奥深いところです。
梅雨入りすると雨の日が多くなるので、今のうちにすっきりと晴れる日を楽しんでおこうと思います

健康診断の採血

2017-05-21 19:28:51 | ウェブ日記
先日今年の健康診断を受けました。
以前書いたように、私は採血との相性が悪いです。
昔は大丈夫だったのですが数年前から突然相性が悪くなりました
採血をすると次第に胸がムカムカしてきて気持ち悪くなります。
なので問診票にもそのことを書き、数年前から採血はベッドに寝て行うようになりました。

しかし今年の健康診断は久しぶりに普通の状態で採血をすることになりました。
不安はよぎりながらも静かにしていれば大丈夫かなと思いました。
ところが採血して次の診断の順番を待っていると次第に気持ち悪くなってきました。
イスに座って静かにしていても気持ち悪くなってくるのでやはりかなり相性が悪いようです。
このままでは吐きそうなくらい気持ち悪くなるのも時間の問題だと思いました。

その時、次の診断「心電図検査」で名前が呼ばれました。
大丈夫かなと思いながら検査室に入り、心電図検査はベッドに寝て行うので指示に従って横になりました。
すると驚いたことにすぐに気持ち悪さがなくなっていきました。
胸の苦しさがなくなり呼吸も楽になりました。
ベッドに横になるとこんなに変わるものなのかと思いました。
そしてこの時なぜ採血をすると気持ち悪くなるのか分かった気がして、椅子に座っている状態だと頭が心臓より高い位置にありますが、ベッドに横になっていると同じ高さになります。
私の場合はこれが関係している気がしました。
採血でいきなり血を取られた時に頭が心臓より高い位置にあると気分が悪くなりやすいのだと思います。

今回は採血の次が心電図検査で運良くベッドに横になる検査だったので気持ち悪さが解消されました。
しかし違う検査だったらそのまま気持ち悪さが増していき、気持ちが悪いのを話してしばらく休ませてもらうことになっていたと思います。
採血は私にとって完全に宿敵になっています
気持ち悪くならないためにもできるだけベッドに横になって採血するようにしようと思います。

名古屋城の桜

2017-05-20 21:16:12 | フォトギャラリー
4月2日と9日に名古屋城に桜を見に行きました。
2日はソメイヨシノはまだあまり咲いていませんでしたが9日は既に満開を迎えていました。
美しい桜に見入りながら歩きました


-------------------- 名古屋城の桜 --------------------


4月2日、名古屋城の入場門を入ってすぐの場所です。
この日は凄く天気が良かったです


ソメイヨシノ以外の桜はかなり咲いているものもありました




写真のお城が名古屋城です。
手前の桜はソメイヨシノで、この日はまだあまり咲いていませんでした。


この辺りの枝垂れ桜はよく咲いていてお花見客で賑わっていました


第7代尾張藩主、徳川宗春(むねはる)も歩いていました。


結婚式の着物衣装で写真撮影をしている人もいました。
天気にも恵まれ良い写真が撮れたのではと思います。


ここから4月9日の写真になります。
枝垂れ桜もソメイヨシノも満開になっていました。


かなりパワフルに咲いている枝垂れ桜もありました


ソメイヨシノと名古屋城。
ここから名古屋城の周りをぐるりと回っていきます。


この日は当初雨の予報だったのですが、毎日晴れてくれと願っていたら当日は曇りのち晴れの予報に変わってくれました。
願ってみるものだと思います。




枝垂れ桜と名古屋城。


天守礎石。
1945年に焼失した旧国宝天守の礎石(そせき)で、この礎石たちが巨大な天守を支えていました。




ソメイヨシノと名古屋城。
お城に近い位置から見上げているので迫力があります。


この辺りのソメイヨシノは散り始めていました。
強い風が吹いていたので花びらがどんどん散っていき、その儚さをしばし眺めていました。
「桜は散り際が美しい」の言葉が思い浮かぶ光景でした。


そしてこの頃からついに晴れてきました


やはり晴れてくれると嬉しいです
このソメイヨシノはちょうど満開で太陽の光に照らされ良い雰囲気でした。


そして満開のソメイヨシノが名古屋城を彩っていました。


お城と桜は良い組み合わせだと思います。
お城の厳かな雰囲気と桜のしなやかな雰囲気が上手く合わさり、代表的な日本の和の雰囲気になっています。

というわけで名古屋城の桜、楽しませてもらいました
満開の桜を楽しむことができて良かったです


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高校生の遅い帰宅

2017-05-18 19:41:50 | ウェブ日記
遅い時間の電車に乗った時、高校生が乗っていて驚くことがあります。
例えば21時30分くらいの電車に乗ると、車内に高校生が数人いたりします。
部活動の帰りや制服のまま塾に直行した帰りだと思います。
私も弓道部に入っていましたが遅い場合でも20時過ぎには帰宅できていました。
21時30分頃でまだ電車に乗っているのはだいぶ疲れる一日になると思います。

私は高校一年生の時は22時には寝ることが多かったです。
その後高校二年生で徐々に寝る時間が23時に近づき、高校三年生では安定して23時頃でした。

21時30分の時点でまだ電車に乗っているとなると、家に着いてご飯を食べお風呂に入り、出てきてから一休みしていると、たぶん23時は過ぎると思います。
24時や25時に寝るような日が続くと睡眠不足になり、若々しさのある高校生といえど体に疲れが溜まってくるはずです。

成長期では寝ている時の22時~2時の間に体が成長すると聞いたことがあります
この時にきちんと寝ずに深夜まで起きている日が続くと体の成長にとっては良くないと思います。
高校生はまだ成長期で年齢が若いほどその傾向があるので、体の成長のためにもなるべく早く寝たほうが良さそうです。

なので部活や塾などであまり帰宅が遅くなりすぎるのは体にとっては良くないのだと思います。
ただ部活で大事な大会があり遅くまで練習していたり、大学受験を目指して遅くまで勉強するような場合もあるため、それらときちんと寝ることとどう折り合いをつけるかが問題です。
帰宅が遅くなるのが避けられない場合は帰宅後にいち早く寝るための流れを考えておいたりして、上手く工夫して寝る時間を確保してほしいと思います。