読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
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「アレグロ・ラガッツァ」あさのあつこ

2022-07-05 17:09:15 | 小説


今回ご紹介するのは「アレグロ・ラガッツァ」(著:あさのあつこ)です。

-----内容-----
中学でフルートに挫折した相野美由。
高校の入学式で、大人びた久喜さん、人懐こい菰池くんに出会い、頑なな美由の気持ちも徐々に変化が……。
不揃いな三人が吹奏楽部の春から夏までを素速く(アレグロ)駆け抜ける!
揺れ動く15歳の心を丁寧に綴る、はじける青春小説。

-----感想-----
桜蘭学園高校の入学式で物語が始まります。
主人公は新入生の相野美由で、冒頭美由は別の高校に進学した伊藤愛沙から「卒業しなくてはいけない」と思っていて、中学校時代に何かがあったのが分かりました。
両親は美由が小さい頃に離婚して父の陶介とは離れ、母の有希子に育てられました。
美由は母の良さを次のように言っていました。
相手が誰でも徹底して憎んだり、怨んだりしない。その手前で立ち止まることができる。悪口や愚痴をまったく口にしないわけじゃないけれど、口にしたことを恥じる気概を持っている。
口にしたことを恥じる気概を持っているの部分が凄いなと思いました。
人間よほどの聖人でもない限り、うんざりする人物への悪口や、うんざりする出来事への愚痴をこぼすことがあるかと思います。
今の悪口や愚痴はこぼすべきではなかったかもと感じた時に、恥じてもう言わないようにしようと意識出来るのは偉いと思います。

楽器の「フルート」について、次のようにありました。
フルートの音色は柔らかく清らかで品位がある。”銀色の貴婦人”とは言い得て妙な形容だ。
”銀色の貴婦人”は良い形容だなと私も思いました。
クラシックのコンサートや演奏会でフルートの演奏を何度も聴いてきましたが、まさに清らかで上品な音色をしています。

美由は6歳歳上の従姉妹、朱音の影響でフルートを始めました。
朱音と美由の会話で吹奏楽コンクールの流れについて書かれていました。
8月に県吹奏楽コンクールがあり、そこで選ばれると9月の支部大会に行き、そこで金賞を取ると10月に普門館で行われる全国大会の舞台に立てるとのことでした。
現在の全国大会の舞台は普門館ではなくなっていますが、作品世界の中ではまだ普門館なのが分かりました。
朱音は「そこの舞台に立つのが吹奏楽部員の憧れなんだ。高校野球の甲子園球場、サッカーの国立競技場みたいなものかな」と言っていて、かなり特別な場所なのだと思いました。
美由は中学校時代に愛沙とともに吹奏楽部に入りましたが二年で途切れたとあり、何があったのか気になりました。
美由が愛沙との会話で「差し障りのない、すらりと答えられるような質問が良い」と胸中で語っていて、相手の内側の迂闊に聞くとまずい部分に踏み込まないようにしていました。
これはよく分かり、無遠慮に聞いてほしくない部分を多かれ少なかれ持っている人は多いのではと思います。

美由は中学の吹奏楽部に入って半年経った時、顧問の岸川先生から次のように言われます。
「相野さん、吹奏楽ってね、人が楽器を選ぶんじゃなくて、楽器が人を選ぶのよ」
美由はフルートに選ばれる人になっていないのではということを言っていて、非常に印象的でした。
「楽器が人を選ぶ」は特に印象的で、人間が「この楽器にしよう」と思っても楽器側が選んでくれない場合があるのだと思います。

岸川先生は次のようにも言っていました。
「フルートって、人気の楽器だから希望者は多いの。でも、ものすごく人を選ぶ楽器なのよ」
クラシックのコンサートや演奏会に出掛けた時も、フルートの音色はきらびやかで良いなと思います。
しかし「ものすごく人を選ぶ楽器」と意識したことはなかったです。
コンサートや演奏会に登場する人達は、フルートを選んだだけでなくフルートからも認めてもらっているのだなと思いました。

ユーフォニアム奏者の愛沙が3年生の先輩のように音を出せないのを凄く悔しがっていた場面がありました。
「ユーフォニアムに申し訳なくて、悔しくてたまんないの」と言っていて、愛沙がユーフォニアムと真摯に向き合っているのがよく分かる言葉でした。
「自身達は1年なのだから、先輩の方が上手いのは当たり前」と言う美由とは意見が合っておらず、その後の決裂が予感されました。
美由は中学校の吹奏楽部でのことを「ささやかな挫折」と語り、「ささやかだけれど痛かった」とも語っていました。

高校で美由は同じクラスの菰池咲哉(さくや)、久樹友里香と話をするようになります。
久樹は言葉がぶっきらぼうで美由を戸惑わせることもありますが悪い人ではないようで、言い方が悪かったと謝っている場面もありました。

菰池が美由の家を訪れて話をします。
菰池も中学校時代に吹奏楽部に入っていて、小学生の時に見た久樹の天才的なパーカッションに憧れて最初はパーカッションをやろうとしていました。
しかし顧問の先生に向いていないと言われ、ユーフォニアムに転向したことを明かします。

美由、菰池、久樹の在籍する1年2組の様子の描写で印象的なものがありました。
開け放された窓から吹き込んでくる風は、微かに熱と湿り気を孕んでいる。これから、夏になろうかという風だ。
「これから、夏になろうかという風」が良い描写だと思いました。
春と夏の間にはそんな風が吹く時期があります。
特に5月にその風が吹くことがよくあり、夏の近付きを感じます。

菰池は久樹を吹奏楽部に誘うと言います。
3人で屋上でお弁当を食べながら話すことになり、屋上から見た空の描写がとても印象的でした。ドアの向こうには、空があった。屋上じゃなくて、空が視界いっぱいに広がる。それは、春のように霞んでいない。濃く青く、光を存分に含んでいる。ぎらつくほどじゃないけど、これから猛々しく育っていく光だ。空は地上よりも一足早く、夏を迎え入れようとしている。
これもその通りで、やはり5月頃に空が力強くなったなと感じることがあります。
それまでの春の雰囲気と違い、夏を感じる空です。

菰池の吹奏楽部入部への誘いを拒否した久樹は自身をトラブルメーカーだと言い、何かがあって楽器の演奏が嫌になっているのが分かりました。
さらに菰池は美由も吹奏楽を一緒にやるよねと言ってきて、美由は戸惑います。
またそれまで久樹に様々なことを問いかけていた美由が、反対に問いかけられた時の考えは印象的でした。
それまで、さんざん問いかけてきた身とすれば、突っぱねるわけにはいかなかった。高校生には高校生の仁義ってものがある。
美由の考えは非常に良いと思いました。
やはりさんざん問いかけておいて、自身が問いかけ返されたら答えないのでは義理を通せず、対等なお付き合いとは呼べないと思います。

吹奏楽部の部長は3年の藤原香音(かおん)で、物語冒頭の入学式の日に美由と母親の並んだ写真を撮ってくれた人でもありました。
美由は香音から吹奏楽部の練習を見に来ないかと言われます。
やがて美由も久樹ももう一度吹奏楽をやる決意をし、菰池と3人揃って入部となります。

中学校でフルートに挫折した美由はどの楽器をやるかなかなか決められずにいましたが、藤原から「軽やかで小気味良い雰囲気が相野さんにピッタリのイメージ」とピッコロを勧められ、ピッコロ奏者になることを決意します。
久しぶりに楽器を吹いた美由は次のような心境になります。
あたしが出した音だ。久しぶりに楽器に触れた。音を出した。ピッコロに受け入れられた気がした。少し泣きそうになった。
「ピッコロに受け入れられた気がした」とあり、中学校時代の岸川先生の場面との対比になっていて、少し自信を取り戻したのではと思いました。

美由が調和の本当の意味に気付いた場面も印象的でした。
調和って、とても美しい。自分を囲い込むのではなく、広げること。広がり結びつくこと。
さまざまな楽器が調和してこそ、本物の吹奏楽だ。それぞれの個性を消し、融け合うのではなく、個々の音がリズムが特性が生きて繋がり、一つの曲になる。
個性を殺してはならない。むしろ際だたせながら、纏まっていく。


中学校時代の美由は、同調や協調、調和といった言葉を無遠慮に押し付けてくる者を嫌悪していました。
その時は個性を消して無理に周りに合わせるという意味合いだったのが、真の調和は個性を消すようなことはせずに纏まると知り、大きな飛躍の時を迎えたように思いました。


この作品は読書のはかどらない時期に読み始めたので、読み終わるのにかなりの時間がかかりました。
しかし読んで良かったと思う素敵な作品でした。
作品内に登場する景色などへの素敵な文章表現も、美由の目線で語られる印象的な言葉や心理も、読書をする時に楽しみにしていることです。
そういったものがたくさん登場する作品に巡り会えて良かったと思い、これを機にまた読書して行きたい気持ちになりました


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「トラペジウム」高山一実

2021-09-26 15:48:56 | 小説


今回ご紹介するのは「トラペジウム」(著:高山一実)です。

-----内容-----
高校1年生の東ゆうは「絶対にアイドルになる」ため、己に4箇条を課して高校生活を送っていた。
「SNSはやらない」「学校では目立たない」「彼氏は作らない」「東西南北の美少女を仲間にする」……?
努力の末、”輝く星たち”を仲間にした東が、高校生活をかけて追いかけた夢の結末とは。
人気アイドルグループ・乃木坂46から初の小説家デビュー作。
現役トップアイドルが、アイドルを目指すある女の子の10年間を描いた感動の青春小説。

-----感想-----
乃木坂46の高山一実さんはアイドルであるとともに、文才もあるようです。
私が手にした「トラペジウム」の文庫本は本編の文章が約250ページあり、アイドルとして多忙な中で書くデビュー作をこの規模の作品にするのは大変なことではと思います。
真に文章が好きで、文才も持っていないとやれないことだと思います。




(乃木坂46の高山一実さん)

冒頭、主人公の東ゆうが「半島」の南端にある西南テネリタス女学院という私立の高校を訪れるところから物語が始まります。
どこの半島かは書かれておらず、高山一実さんの出身地でもある千葉県の、房総半島かなと思いました。
ゆうを不審に思った女子生徒が声をかけてくる場面で、「まるで穴の開いた靴下を見るかのような酷い目つきでこちらを見据えてくる。」という比喩表現がありました。
珍しい表現だと思い、「駄目だこりゃ、使い物にならない」ということかなと思いました。

女子生徒との場面においてゆうの言葉や行動には不遜さが出ていて、負けん気の強い性格の印象を持ちました。
次の文章が特に印象的でした。
テネリタスの意味がラテン語で”優しさ”というのが本当なのであれば、あのお嬢様は退学処分にした方が良い。アイロニー女学園を設立し、早急に転校手続きをさせよう。
アイロニーとは皮肉という意味で、意地の悪い皮肉を言ってきた女子生徒へのこの文章は面白いと思い、センスの良さを感じました。

文章の軽妙さには史上最年少芥川賞作家綿矢りささんのデビュー作「インストール」が思い浮かびました。
また文章表現の特徴は芥川賞(純文学小説)よりも直木賞(エンターテインメント小説)に向いていると思いました。
この先経験を積めばノミネートの可能性があるのではと思います。

ゆうはひょんなことから、テニス部の華鳥蘭子という「わたくし」や「~ですわ」口調が印象的なお嬢様と友達になります。
家に帰ったゆうが地図を広げる場面で「伊能忠敬顔負けのお手製地図」と言っていて、なかなかの自信家だと思いました。
また携帯電話に華鳥蘭子を「南」という名前で登録したのを見て、東西南北の方角に友達を作ろうとしているのが分かりました。

序盤を読んで、サクサク読んで行ける印象を持ちました。
文章にはどこかギャグの雰囲気もあり、楽しく読める文章は良いなと思いました

ゆうは次に西の方角にある”西テクノ工業高等専門学校”に行きます。
この高専には大河くるみというNHKロボコン(ロボットコンテスト)で有名になった人が居て、その子に会いに来ました。
ゆうは工藤真司という男子の好意でくるみの元まで案内してもらいます。
しかし友達になりたいと思いあれこれ話しかけるゆうに戸惑ったくるみはその場を立ち去ってしまいます。
思い通りに行かなかったゆうは次のように胸中で語ります。
「理想は一人で描くもので、期待は他者に向けてするものだ。もう期待をすることはやめよう。」
印象的な言葉で、他者が期待のとおりに動くとは限らないと思いました。
他者には他者の考えや事情があり、ゆうに合わせて動くわけではないです。

くるみは地元では有名人ですが自身の存在が知れ渡っていることを喜んではおらず、その思いは終盤まで尾を引くことになりました。
僻見(びゃっけん。ゆがんだ考えのこと)という普段身の回りで目にしない言葉が登場しました。
「トラペジウム」を執筆時の高山一実さんは22~24歳の時期で、その年齢でこんな言葉を使えるのが凄いなと思いました。
幸いシンジの取りなしもあってくるみと仲良くなることが出来ます。

ゆうは”喫茶室BON”という喫茶店でシンジと会い、城州の東西南北から一人ずつ集めてアイドルグループを作りたいという思いを語ります。
作品タイトルの「トラペジウム」はオリオン座の中にある四重星の名前のことで、東西南北の4人を指しているのだと思います。
さらにゆうは、可愛い子を見るたびにアイドルになれば良いのにと思うもののきっかけがないと思われ、自身がそのきっかけを作ってあげると語っていました。
私は相手が本当にアイドルになりたいのかを見ていなくて独善的だと思いました。

新年になります。
城州地方は北に行くほど街が栄えているとあり、やはり北部にディズニーランドを持つ千葉県がモデルかなと思いました。
ゆう、蘭子、くるみの3人で本屋に行くと、かつて小学生の時にゆうと同じクラスだった亀井美嘉が居て、ゆうは顔を見ても誰か分かりませんでしたが美嘉の方は覚えていて話しかけてきます。
美嘉は心の問題を抱えていて、昼間は中高一貫の城州北高校に通いながら、放課後にババハウスという何らかの問題を持つ子を支援するボランティア施設に通っています。
「嫌われる才能を持って生まれてしまった」とあったのが印象的でした。

ゆうの高校での場面があり、クラスの話好きの女子によって他校のくるみや蘭子と会っていたことが広められていました。
ゆうはクラス内での人間関係を「最低限嫌われないように立ち振る舞ってきたつもり」と語っていましたが、気の遣い方が持ち前の傲慢さで少しずれているように見え、「美人だけどいけ好かない奴」くらいに思われていそうな気がしました。

ゆう、くるみ、美嘉の3人でパンケーキを食べに行きます。
美嘉からボランティア活動に興味はないかと言われ、ゆうは美嘉がボランティアをしている話を聞いて、「北」に住んでもいる彼女が最後の一人に相応しいと思います。

ゆうはさっそくババハウスで子供達に英語の勉強を教えるボランティアをします。
小学4年生から約5年間カナダに住んでいたとあり、それで英語が得意とのことでした。
乃木坂46には生田絵梨花さんという帰国子女がおり、もしかすると身近にあるそういった例から着想を得たのかなと思いました。

ゆうは”にこきっず”というババハウスのボランティア団体の活動を利用し、”にこきっず”のブログに4人全員で載って注目を集めることを計画します。
ゆうの計画は打算的であるとともに「地道」で、漠然と有名になろうとはしておらず段階を踏んで世に出ることを狙っていて、現実は簡単には行かないのをよく分かっているのだと思いました。

春を迎えゆうと美嘉は高二、蘭子とくるみは高三になります。
ボランティア団体のイベントに参加し、車イスの人を支えながら山登りをします。
ゆうは事前に蘭子とくるみを連れてくると聞かされていなかった代表の馬場に苦言されて気が重くなります。
突然2人が来たので山登りの段取りにも狂いが生じ、ゆうは2人から白い目で見られて気まずくなります。
それでも山頂で2人が許してくれているのが分かると、それまで喉を通らなかったご飯が突然美味しくなっていて、「わだかまりがなくなるとご飯も美味しくなる」という心境はよく分かりました。

また山頂でサチという車イスの少女と蘭子、くるみ、美嘉が仲良く話しているのを見て、ゆうは次のように思います。
この時、西南北はサチを中心としていた。やっと動いた歯車に石が詰まったようでいい気はしない。
この心情には二つのことを思いました。
一つは自己中心的だなと思い、3人をサチに取られる嫉妬が滲んでいると思いました。
もう一つはそれまでのわだかまりからやっと立ち直ったのだから、水を差されたくない思いがあるように見えました。
そして共通しているのは「東西南北の4人」へのこだわりが強いことだと思いました。

くるみから誘われ、3人は西テクノ工業高等専門学校の文化祭「工業祭」に行きます。
サチも工業祭に来ていて、ゆうがサチを見つけて機嫌が悪くなっていたのが面白かったです。
しかしサチに無邪気にお礼を言われた場面で心境の変化があったようで、作品全体を通して腹黒い印象の強いゆうにも心根の優しさはあるのだと思いました。

地元の翁琉城(おうりゅうじょう)がテレビに出ることになり、ゆうは翁琉城でボランティアをしてテレビに映ろうと考えます。
ボランティアの話を聞くために翁琉城に行った時、「指定された時刻よりきっかり5分早く着くことができた。ひときわ日本人レベルの高い行為といえるであろう。」と語っていました。
「ひときわ日本人レベルの高い行為といえるであろう」の言い回しはよく出てきたなと思いました。
ゆうのキャラともよく合っていて秀逸だと思います。

城内にある日本刀は名前が「蛍丸国俊(ほたるまるくにとし)」とありました。
人の名前が刀に付けられることはあり、私は新選組副長、土方歳三の愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」が思い浮かびました。
調べてみると鎌倉時代後期の刀工・来(らい)国俊が実際に「蛍丸国俊」という刀を作っていて、太平洋戦争終戦後の混乱で行方不明になった幻の刀であることが分かりました。
そこに注目して作品内に登場させるのはセンスがあると思います。

ゆうは伊丹という77歳のボランティア男性から、スペイン人に「加賀まりこ」とは言わないほうが良いと教えてもらいます。
なぜ人の名前が禁句なのか調べてみると、スペイン語ではとんでもない意味になるのが分かり、高山一実さんはよくそんなことまで知っているなと驚きました。
頭の良い人だと思いました。

後日、東西南北とシンジの5人でボランティアをします。
そこにテレビ局の取材が来ると聞かされ、AD(アシスタントディレクター)の古賀という24歳の女性がやって来ます。

番組が放送されるとゆうは一時的に周囲から注目されますが、一週間経つと代わり映えのしない日々に戻っていて、そのことに憤りを感じていました。
「夢というものはどうすれば叶うのか本気で考えた。」とあり、真剣に有名になりたいと思っているのが伝わってきました。
ゆうは翁琉城でのボランティアがこれ以上役に立たないと見るや、伊丹と疎遠になりボランティアにも行かなくなり、計算高さがよく分かる場面でした。

作中で計算高さを描いているのは、私は良いと思います。
「綺麗事」で自動的に注目を集めて世に出て行けるとは思えないです。
ただしアイドルは本来清純さを売りにしているので、それとは真逆の計算高さ、腹黒さはネタでもない限り決して人前で見せてはいけないのだと思います。
演じきることもまたアイドルに必要な資質なのかも知れないと読んでいて思いました。

転機が訪れ、東西南北の4人は古賀が新たに受け持つ番組の1つのコーナーに出演することになります。
放送が始まると4人は世間からほんの少し需要を得ます。
やがてゆうは古賀のツテでマルサクトという芸能事務所の遠藤というお偉いさんと話をして貰えることになります。

物語終盤は一気にアイドルらしくなって行きました。
シンジがゆうに「翁琉城をまんまと踏み台にして」テレビに出るようになったなと冗談めかして言っていたのが印象的で、的を得ていました。
腹黒さをやんわりと教えてくれる友達の存在は貴重な気もしました。

ゆうが「必死なのはいつも自分だけ」と憤る場面がありました。
私はそれを見て、他の3人はゆうに巻き込まれていて心持ちが違うからだと思いました。
計算高く常に成功するための策を考えているゆうと違い、のし上がって行くという覚悟がないのだと思います。
「アイドルの使命は自分のパーソナルプロデューサーを担い続けることだった。」というゆうの言葉は、高山一実さんのアイドル経験による実感ではと思いました。


作品を手に取った当初は、東西南北の4人でもっと大々的にアイドルとして活躍していく物語をイメージしていました。
しかし読み始めてみるとゆうの仲間集めから始まり、策を練って地道に存在を知ってもらおうとしていて、そう簡単にはスターダムにのし上がれないのだと思いました。
高山一実さんの「アイドルとして成功するのは簡単ではない」というメッセージのようにも思いました。
私は2作目もアイドル関連のお話になっても問題ないと思うので、また高山一実さんの書いた小説を読んでみたいです


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「推し、燃ゆ」宇佐見りん

2021-05-16 16:51:06 | 小説


今回ご紹介するのは「推し、燃ゆ」(著:宇佐見りん)です。

-----内容-----
推しが、炎上した。
デビュー作『かか』で文藝賞&三島由紀夫賞、第二作となる本作で芥川賞を受賞。
21歳、驚異の才能、現る。
2021年1月第164回芥川賞受賞作。

-----感想-----
今年1月の芥川賞発表の時期に書店でこの小説を見かけ、第164回芥川賞受賞を知りました。
宇佐見りんさんのことは初めて知り、21歳という年齢の若さがまず印象的でした。
私に大きな影響を与えた綿矢りささんの「蹴りたい背中」という作品が2004年1月に史上最年少19歳で第130回芥川賞を受賞した時のことを思い出しました。
21歳での受賞は19歳綿矢りささん、20歳金原ひとみさん(綿矢りささんと同時受賞)に次ぐ史上3番目の若さです

もう一つ印象的だったのが「推し」という言葉でした。
推しとはアイドルグループのファンもしくはオタクの人が、特定の人物を特に応援する時に「この人を推す」という意味で使われる言葉です。
2010年代の初頭、アイドルグループAKB48が全盛時代を迎えて国民の間に広く知られた頃から「推し」という言葉をよく聞くようになったと思います。
その「推し」という言葉がタイトルに入り、アイドルを推す人を主人公にした作品が芥川賞を受賞したところに時代の流れを感じました。
史上3番目の若さでの受賞とともに興味を引き読んでみようと思いました

語り手は上野真幸(まさき)というアイドルを推す高校二年生の山下あかりです。
冒頭、「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」という言葉で物語が始まります。
「燃える」とはネットでの「炎上」のことで、アイドルや企業などの不祥事の際に非難が殺到すると炎上状態になります。

あかりと同じくアイドルを推す友達の成美との会話で「チェキ」という言葉が登場し、アイドルと一緒に撮る写真のことをチェキと言います。
これもAKB48によって広まった言葉だと思います。
しかし言葉を聞いても一般層には分からない人も多いと思われ、文脈から写真のことだと分かるようになっていました。

成美はメンズ地下アイドルにはまっていて「あかりも来なって、はまるよ、認知もらえたり裏で繫がれたり、もしかしたら付き合えるかもしれないんだよ」と誘っていました。
「裏で繫がれる」というアイドルとの関係には嫌悪感を持ちました。
現実世界では2018年末、新潟県を中心に活動するアイドルグループの特定メンバーと裏で繫がりのあるオタク達が、そのメンバーとは別のメンバーを待ち伏せして襲撃する事件も起き、全国ニュースで連日報道される大事件に発展したことがあります。
そのこともあり「繫がり」には非常にダーティな、犯罪を誘発しかねないというイメージがあります。
作者の宇佐見りんさんも事件のことを知っているのかも知れないなと思いました。
私は特定のファンもしくはオタクの人と裏で繫がっているような人は、他のファンやオタクの人全てを裏切っているのでアイドルとは呼べないと思います。

冒頭の季節は夏です。
あかりが「寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。」と語り、これは良い表現だと思いました。
誰かと喋ったり、お風呂に入ったり、爪を切ったりといった身の回りの些細なことがあかりにとっては負担が重いようでした。
病院の受診で二つ診断名が付いたとあり、あかりは精神面で何かの病気を患っているようです。

あかりが4歳の時、12歳だった推しがピーターパンの舞台でピーターパン役をしているのを観た時に思ったことは印象的でした。
重さを背負って大人になることを、つらいと思ってもいいのだと、誰かに強く言われている気がする。
このことからあかりは大人になっていくのを辛いと思っていることが分かりました。
「重さ」とは身の回りのことを自身でしながら生きて行くことだと思います。

あかりはラジオ、テレビなどでの推しのあらゆる発言を書いて20冊を超えるファイルに綴じて部屋に置いてあり、かなりのオタクだと思いました。
私はファンとオタクの違いを「ファンはライトに応援」「オタクはディープに応援」と解釈しています。

あかりの「アイドルとの関わり方」への考えは印象的でした。
アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人、お金を使うことに集中する人、ファン同士の交流が好きな人。
あかりはアイドルの応援には様々なスタンスがあると考えていて、それ自体はそのとおりだと思います。
そして私の場合はあかりが挙げた例のほとんどはそれで良いのではと思いますが、唯一「推しのすべての行動を信奉」には「宗教を狂信的に崇拝」と似た怖さを感じます。
あかり自身のスタンスは「作品も人もまるごと解釈し続けること」とありました。
またあかりが偉いのは「自身のスタンスこそが優れていて他は劣等」とは考えていないことだと思います。
私が実際に見た例では、自身のスタンスと周りのスタンスを比べて「周りは劣等」のようにマウンティングしたり、「そのスタンスはなってないから私のスタンスに従え」のように仕切ろうとするタイプの人もいました。
そのように考えるようになったらお終いだと私は思います。

あかりは上野真幸の「ガチ勢」として他の人からも有名とのことです。
またあかりは推しがファンを殴ったことを事実と認め、さらにまだ本人も事務所もまともな記者会見での説明をしていない状態で「これからも推し続けることだけが決まっていた。」と語っていました。
この心境がコアなオタクの人らしいなという気がしました。
一般層の人は不祥事に際してはまず不信の目で見るようになり、記者会見での説明が行われるならそれを見て判断し、まともに説明しないともなればずっとイメージが悪いままになります。
そこがコアなオタクの人と一般層の人で大きく違うと思いました。

あかりは高校では保健室の常連とあり、登校はするものの教室で勉学をするのは難しいようでした。
学内での場面の情景描写で、「廊下窓から差し込む日差しが一段と濃くなり、西日に変わっていく。頬の肉が灼かれる。」とありました。
これは芥川賞系の「純文学小説」らしい良い表現だと思いました
最後の一言があるのが大きく、短い文章の中で厚みのある表現になっていると思います。

上野真幸は「まざま座」という男女混合アイドルグループに所属していて、2021年度で29歳になります。
他には斎藤明仁、立花みふゆ、岡野美奈、瀬名徹(とおる)というメンバーがいます。
このグループでは人気投票があり、CDを一枚買うごとに投票券が一枚付いていて好きなメンバーに投票出来ます。
結果次第で次のアルバムの歌割りや立ち位置が決まるとあり、これは明らかにAKB48など48グループの「選抜総選挙」をモデルにしているのではと思いました。

あかりは「未来永劫、あたしの推しは上野真幸だけだった。」と語っていて物凄い執着だと思いました。
推しのメンバーカラーが青色だからカーテンなど身の周りの物を徹底的に青く染め上げたとも語っていて、これも並々ならぬ入れ込みようだと思いました。
夏休みについては「推しを推すだけの夏休み」と語り、綿矢りささんの「蹴りたい背中」で主人公が夏休みを「どこまでも続く暇の砂漠」と表現したのと似たものを感じました。
今回は推しを推す楽しみがあるという点は違うもののどちらも高校のクラス内で孤立しているのは同じです。

「まざま座」のオフィシャルサイトで、予定していたライブに上野真幸を予定通り出演させると発表があった時、SNSは非難囂々(ごうごう)とありました。
これは責任を取らせずに活動だけしようとすれば実際にそうなると思います。

あかりは推しを推す資金を稼ぐために「定食なかっこ」というお店でアルバイトをしています。
そしてお客さんがたくさん来て忙しく動くのはかなり苦手なようで、上手く動けていない描写がありました。
印象的だったのが常連のお客さんから「ハイボールをちょっと濃いめに作ってくれない?」と頼まれた時で、そのお客さんは有料にならない範囲で多少濃いめにしてくれないか(おまけしてくれないか)という意味合いで言っていました。
しかしあかりは「普通だとこの値段、濃いめだとこの値段、大ジョッキだとこの値段」のように事務的な切り返しをし、お客さんは興醒めしたようでした。
例えば「仕方ないですね~」と愛憎良く応じ、実際のおまけの量はほんの少しにしたり、店長の指示を仰いでも良かったと思います。
ただしそういう立ち回りは苦手な人は本当に苦手だと思うので、この場面はあかりを可哀想に思いました。

あかりの漢数字の書き方への感性は面白かったです。
「一は一画、二は二画、三は三画で書けるのに、四は五画。逆に、五は四画だ。」とあり、今までこう考えたことはなかったので興味を引きました。

あかりの姉はひかりと言い、あかりが母親からちゃんと勉強をしろと叱られて「頑張ってるよ」と適当に返事をした時、頑張っているという言葉を使ったことにひかりが激怒する場面がありました。
適当な返事での「頑張っている」という言葉を本気で頑張っている人が聞くと頭にくるのだと思います。

上野真幸は投票のシステムを「このシステムはあまり良心的じゃない、ファンの子に投票してもらえるのは本当にありがたいけど無理はしないでほしい」とラジオでこぼしたりもしていて、これは良いと思いました。
アイドルがこの感性を忘れて「一枚でも良いから多くCDを買って投票してくれ」と、懐具合を考えずに催促するようになったら一般層からは白い目で見られることになるのではと思います。
あかりは前回1位だった推しが不祥事が原因で転落しないようにCDを50枚も買って投票していて、私はこの行為は不健全だと思いました。
記者会見でのまともな説明もせずに活動だけを再開した場合、一般層のみならずコアなオタク以外のファン層からも反発を受けるのは必至で、当然投票してくれる人の数も減り、そこから目を背けるわけには行かないのではと思います。
仮にあかりのようにコアなオタクの人が1人で大量に投票する戦法で順位を守ることが出来たとしても、その順位は実態とかけ離れたものになっていて信用もされないと思います。

夏休みが終わって新学期になると、あかりの体調が目に見えて悪くなります。
にきびが顔中から噴き出し、母親がそのにきびを汚いと言ったのは酷いなと思いました。
年頃の娘さんの、本人が一番気にしているであろうことをそのように言うとは、この母親は娘を愛していないのだなと思いました。
精神面の病気を患うあかりにとってこの母親の存在は不幸だと思います。

やがて冒頭の炎上事件から1年以上が経ちます。
アイドルグループ「まざま座」にも転機が訪れ、やはりそうなるだろうと思いました。
この頃になるとあかりの日常生活を送るのが困難な状態が一層酷くなっているように見えました。
あかりは「まざま座」の転機を見て決意を新たにしていて、「推すことはあたしの生きる手立てだった。業(ごう)だった。」とまで語っていて壮絶さを感じました。
最後は一体どうなってしまうのかと思いました。


あかりというオタクの「本人としては至極真面目に一生懸命推しているが、傍から見ると完全に狂気じみている」という状態が上手く描かれていました。
あかりがオタク活動について淡々と語っているのを読む時、その淡々とした雰囲気とは真逆の狂気を感じ、事件が起きるわけでもないのに独特の緊張感がありました。
本人が「推しのいない人生は余生だった。」と語っているように、精神面に病気を抱え普通の日常生活を送るのが難しいあかりにとって、推しを推すことだけが生きる希望なのだと思います。
それでも物語の最後、もしかしたら推しに頼らなくても生きていけるのではという予感がしたので、ぜひ推しを推す時のパワーを少しでも日常生活を送るほうに向けられるようになって行ってくれたらと思いました。


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「響け!ユーフォニアム2 北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏」武田綾乃

2021-05-09 12:53:39 | 小説


今回ご紹介するのは「響け!ユーフォニアム2 北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏」(著:武田綾乃)です。

-----内容-----
新しく赴任した滝昇の指導のもと、めきめきと力をつけ関西大会への出場を決めた北宇治高校吹奏楽部。
全国大会を目指し、日々練習に励む部員のもとへ突然、部を辞めた希美が復帰したいとやってくる。
しかし副部長のあすかは頑なにその申し出を拒む。
昨年、大量の部員が辞めた際にいったい何があったのか……。
”吹部”ならではの悩みと喜びをリアリティたっぷりに描く傑作吹部小説シリーズ第2弾。

-----感想-----
この作品は「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ」の続編となります。
プロローグは中学校時代の鎧塚みぞれと傘木希美が話す場面で始まります。
みぞれ達の通っていた南中学校は京都でそこそこ有名な吹奏楽部の強豪校で、関西大会には通算6回出場していますが全国大会にはまだ行ったことがないです。
希美が部長となり臨んだ最後の大会は全国大会に行くために猛練習しましたがまさかの京都府大会銀賞で、関西大会にも行けずに終わってしまいます。

全日本吹奏楽コンクールの京都府大会を終えた8月8日から物語が始まります。
京都府立北宇治高校は関西大会に出場出来ることになりました。

ユーフォニアムの特徴は深い響きを持つ柔らかな音色とありました。
私は以前聴いた演奏会で「ユーフォニアムは人間の声に最も近い音域の楽器」とユーフォニアム奏者が言っていたのが思い浮かびました。

北宇治高校はかつて吹奏楽の強豪校で、関西大会の常連で全国大会にも出場したことがあります。
しかし当時の顧問が別の学校に移ってから一気に弱体化し、ここ10年は大した結果を残せていませんでした。
それが今年、音楽教師の滝昇(のぼる)がやって来て吹奏楽部の顧問に就任し、優しい雰囲気ながらも口の悪いスパルタ指導で反発を受けましたが力を付け、見事に関西大会出場権を得たのでした。

関西大会で立ちはだかることになる「三強」の名前が3年生でユーフォニアム奏者の副部長田中あすかから語られます。
部長は3年生でバリトンサックス奏者の小笠原晴香ですが、あすかは変人ではあるものの天才でありカリスマ的な存在感があります。
三強は全て大阪の高校で、明静(みょうじょう)工科高校、大阪東照高校、秀塔(しゅうとう)大学附属高校とありました。
大阪東照高校は野球部の甲子園でもよく演奏しているとあったのでモデルは大阪桐蔭高校ではと思いました。
三校とも関西大会どころか全国大会でも金賞を取るレベルの超強豪校とあり、関西大会から全国大会に行けるのは二十三校中三校だけなので、三強のうちどれかを倒す必要があり北宇治高校が全国に行くのは非現実的と言わざるを得ないとあすかは語ります。
するとコントラバス奏者の1年生川島緑輝(サファイア。いわゆるキラキラネームで本人は嫌がって緑と呼ばせている)が明静工科高校の顧問が引退し、今年は弱くなっているかも知れないと語り三強に割って入るならそこしかないという雰囲気になります。

1年生でトランペット奏者の麗奈が同じく1年生でユーフォニアム奏者、そして主人公の久美子に一緒に帰らないかと誘ってきて同じ電車に乗ります。
麗奈は花火大会に一緒に行かないかと言い久美子と仲良くなりたそうでした。
久美子は部活にも一緒に行こうと言いますが、麗奈が毎日6時に学校に着いていると聞いて驚愕します。
麗奈は1年生にしてトランペットのソロ演奏を任される実力者で、やはり上手い人は人一倍努力しているのだと思いました。
そして麗奈よりさらに先に練習を始めている先輩が一人いて、2年生でオーボエ奏者の鎧塚みぞれだと語られます。

麗奈と別れると同じ電車に乗っていた秀一が話しかけてきます。
久美子は秀一を見ると息苦しくなるとあり、前作で秀一のお祭りへの誘いを断ってから気まずくなったのを引きずっているようでした。
二人で宇治橋を渡る場面で高欄という言葉が登場し、初めて聞く言葉だったので調べてみたら欄干のことと分かりました。
北宇治高校が全国大会に行けるかどうかの話になり、秀一が「ま、でも滝先生はめちゃくちゃ優秀やし。もし関西で負けても、それは俺ら部員側の問題やと思う」と言います。
人のせいにしない姿勢が素晴らしいと思いました。
吹奏楽における指導者の役割は大変重要で、指導者が別の学校に移って弱体化した学校はたくさんあり、反対に弱小校が新たな指導者を迎えて強豪校になることもあるようです。

久美子が麗奈のことを「そういえば麗奈は滝のことが好きなのだ。もちろん、恋愛的な意味で。」と語っていて、この言い回しが高校生らしくて良いなと思いました。
久美子と麗奈二人で音楽室に行く時、音楽室からオーボエの音色が聴こえてきて、「オーボエ特有のしっとりとした音色」とありました。
クラシックを聴くようになってしばらくはオーボエの音色は蛇使いの音色のようなイメージを持っていましたが、モーツァルトのオーボエ協奏曲を聴いてから私もそのイメージになってきました。
また久美子と麗奈は音楽室に向かいながら聞こえてきた音色に「何か物足りない」という印象を持ちました。
オーボエを演奏していたのは鎧塚みぞれで、みぞれは会話に独特な神秘さがあります。
オーボエは構造上その場でぱっと音を変えるのが無理なので、オーケストラではオーボエを基準に音を合わせるとあり、実際の演奏会でのチューニング(音合わせ)で一番最初にオーボエが音を出し、それから他の楽器も音を出して行くのが思い浮かびました。

滝から8月16日~18日に夏合宿を行うと伝えられます。
滝は今の北宇治高校では関西大会の壁は越えられないと言い、夏合宿の間に府大会で出来なかったことを出来るようになろうと言います。
また夏休みの間は金管楽器が専門の滝に加え、木管楽器とパーカッション(打楽器)のために外部の指導者を呼ぶことになります。
まず橋本真博という北宇治高校OBのプロのパーカッション奏者がやって来ます。
橋本は陽気な性格をしていて一日でパーカッションの部員たちの人気者になっていました。

「低音は音楽の土台であり骨組み」という言葉が登場し、まさにそうだと思いました。
演奏会でも低音が「底」から支えて厚みのある音になるのを何度も聴きました。

「胡乱(うろん)げな視線」という言葉も登場し、どんな視線なのか気になりました。
調べてみると「胡乱げ」は正体が怪しく疑わしいという意味とのことで、この作品はたまに普段使わない言葉が登場するのが興味深いです。

ある日、2年生で久美子と同じユーフォニアム奏者の中川夏紀が昨年吹奏楽部を退部した傘木希美を連れて来ます。
希美は副部長のあすかに吹奏楽部に戻りたいと言いますが、あすかは冷たく断ります。
あすかはどうしても戻りたいなら顧問の滝に許可してもらえと言いますが、希美はあすかの許可が欲しいと言い、二人の間には何かがあるようでした。

久美子が緑のことを「他人の心情をおもんぱかることに長けている彼女は、まるで好きなようにやっていますといわんばかりの顔をして、さりげなく他人をフォローする」と評していました。
天真爛漫に振る舞う緑の本当の姿をよく分かっていて、他の人のことをよく見ているのは久美子の良いところだと思います。

みぞれ、久美子、麗奈が朝早い音楽室で練習をしていると、その次に2年生のトランペット奏者、吉川優子がやって来たことがありました。
優子は麗奈が1年生にしてソロ演奏者に選ばれた時、3年生の中世古香織を推して麗奈と敵対していました。
みぞれが物凄くストレートに優子は2人と仲が悪いのかと聞き、久美子はあまりにストレート過ぎて緊迫した気持ちになります。

秀一が久美子に宇治川花火大会は誰と行くのかと聞く場面があり、やはり久美子のことが気になっているようでした。
花火大会の当日、久美子は練習が終わって帰る前に忘れ物を取りに行った時、みぞれが階段でうずくまっているのに遭遇します。
その様子は尋常ではありませんでした。
さらに階段の上からフルートの音色が聴こえてきて、久美子は北宇治高校のフルートソリスト(ソロ演奏者)より上手いと感じます。
演奏していたのは希美でした。
いったいこの二人には何があるのかとても気になりました。

久美子、麗奈、緑、チューバ奏者の加藤葉月の1年生四人で出掛けたプールで、久美子は一人で歩いている時に希美に遭遇します。
そして思い切ってなぜ吹奏楽部を辞めたのか聞きます。
なぜ希美が顧問の滝よりあすかの許可を得ることにこだわっているのかが分かりました。
また、希美は昨年まで平気で練習なんてせんでええやんと言っていた子が今になってケロッとした顔で関西大会に出ていることに凄く怒っていて、この怒りは分かる気がしました。
滝が顧問になって吹奏楽部の雰囲気が変わりはしたものの、その前の雰囲気に絶望して辞めた希美にはやり切れないものがあると思います。
麗奈は部活を辞めるのは逃げるということだと言っていましたが、久美子は希美が辞めたのはその時の彼女にとってベストの選択をしたのであり、逃げたわけではないと見ています。
私は思いやりがあって良い見方だと思います。
久美子はなぜ希美が復帰してはいけないのかを調べ、必ず復帰させると言います。

ついに合宿が始まります。
木管楽器の指導をする新山聡美という優しく穏やかな雰囲気のフルート奏者が新たにやって来て、滝の彼女ではという話もあり、麗奈が動揺していて面白かったです。
しかし指導を受けた緑は、新山は決して怒りませんが指導の中身は滝並に凄いと言っていました。
読んでいると滝と橋本は20代後半の印象があり、新山は二人の後輩とのことでもう何年か若いようです。

みぞれは久美子に、音楽の芸術性の部分は審査員の好みになってしまうので技術が重要だと言います。
みぞれと話した後、久美子は夜遅いのに3年生の部長や各パートのリーダー達が集まって行うリーダー会議が行われているのを目撃します。
そして自身の部屋への帰り道、久美子の足取りは軽くなっていて、その心境は先輩達から良い影響を受けたのが分かり良いなと思いました

各パートでの練習から全体での合わせになった時、橋本がみぞれの演奏はロボットが演奏しているようだと言います。
橋本は北宇治高校は技術では強豪校に引けを取らないようになったが表現力が足りていないと言い、みぞれの考えと逆のことを言っているのが印象的でした。

久美子はあすかとみぞれが話し合っているのを盗み聞きしてしまいます。
その様子からみぞれは希美を怖がっているようでした。
そしてついに、なぜ希美が吹奏楽部に戻るのをあすかが許可しないかが明らかになります。

新山が差し入れてくれた花火をみんなでする場面があります。
久美子が花火の光を「まるで夜を追い払っているみたい。」と形容していて良い表現だと思いました。
辺り一面に広がる夜の闇の中にあって、花火が光っている間だけはそこに明るさがあります。

久美子は今度は夜の自販機の前で優子に遭遇していて、主人公だけあって色々な人に遭遇するなと思いました。
優子が意外にも麗奈の実力を認める場面があり、憎まれ口を叩いていてもきちんと見る人なのだと思いました。

夏合宿が終わりを迎えます。
新山のみぞれへの言葉が印象的で、次のように言っていました。
「楽器を吹くのはね、義務じゃないの。あなたの技術はとても素晴らしいけれど、なぜだか聞いていると苦しくなる。もっとね、楽しんでいいのよ。オーボエを好きになってあげて。そうすればきっと、ソロだって上手くいくと思うわ」
やはり楽しく吹くのと義務のように気乗りせずに吹くのでは音色に差が出るだろうなと思います。

麗奈が久美子にコンクールでの審査員の評価について、「もし圧倒的な上手さがあれば、コンクールで評価されへんなんてことはありえへんと思う。」と言います。
みぞれの「芸術性の部分は審査員の好みになる」と違い、圧倒的に上手ければ有無を言わさず評価されると見ています。
同じ「コンクール」についての考え方でも人によって全然違うなと思いました。

いよいよ関西大会の演奏の順番が発表されます。
滝が部員達に「思う存分我々の演奏を見せつけてやりましょう」と言っていたのが夏合宿の自信が窺えて良いなと思いました。

しかし関西大会直前、みぞれが大きく取り乱す事件が起きます。
その中で「吐息がうっそりと漏れる。」という表現があり、「ぼんやりと」という意味のようで、これも珍しい表現だと思いました。
そして事件を経て常に塞ぎ込んでいるようだったみぞれの心がついに解き放たれる時が来ます。
夏紀の「綺麗な音やね。あの子、こんなふうに吹けたんや」という言葉が関西大会での善戦を予感させました。
関西大会でこの年の戦いが終わるのか、それとも全国大会に行けるのか、最後の盛り上がり方が凄く良かったです


今作では京都府大会を終えてから関西大会まで、短い時間の中で凄く濃密な物語になっていたと思います。
続編も出ていて、今作を通して物語の中心に居た鎧塚みぞれと傘木希美はかなりの実力者でもあり次作以降も活躍が予感されました。
北宇治高校吹奏楽部の演奏力もさらに上がり、関西大会の強豪達相手に引けを取らないまでになりました。
素敵な実力者達に囲まれた主人公久美子がユーフォニアム奏者としてどうなっていくのか、秀一との関係はどうなるのか、続編もぜひ読んでみたいと思います


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「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅱ ~扉子と空白の時~」三上延

2021-04-30 21:22:53 | 小説


今回ご紹介するのは「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅱ ~扉子と空白の時~」(著:三上延)です。

-----内容-----
ビブリア古書堂に舞い込んだ新たな相談事。
それは、この世に存在していないはずの本ーー横溝正史の幻の作品が何者かに盗まれたという奇妙なものだった。
どこか様子がおかしい女店主と訪れたのは、元華族に連なる旧家の邸宅。
老いた女主の死をきっかけに忽然と消えた古書。
その謎に迫るうち、半世紀以上絡み合う一家の因縁が浮かび上がる。
深まる疑念と迷宮入りする事件。
ほどけなかった糸は、長い時を超え、やがて事の真相を紡ぎ始めるーー。

-----感想-----
北鎌倉にある古書堂の店主篠川栞子が古書にまつわる事件を解決していく「ビブリア古書堂の事件手帖」の、栞子と五浦大輔が結婚して娘の扉子が登場するようになって2作目の作品です。
読書をしたい思いはありながらもなかなか読めない中で少しずつ読み進めて行きました。

プロローグはブックカフェの臨時店番をする戸山圭とそこに現れる篠川扉子の場面で始まります。
二人は友達で、高校生なのが分かりました。
圭も扉子と同じで両親が古い本を扱う仕事をしているので幼い頃から本に囲まれて育ち本が好きですが、本の詳しさについてはとても控え目な考えを持っています。
「自分が本に詳しいとか、人より知識があるなどと思ったことはない。世の中には何事も上には上がいるものだからだ。」とあり、驕りがなくて良い考えだと思いました。
圭から見た扉子の本好き度合いの描写が「扉子は本が好きーーいや、好きというレベルではない。息をするように読んでいる。」とあり表現が面白かったです

扉子の前には2012年と2021年の「マイブック(新潮文庫が発行する日記帳のようなもの)」が置いてあります。
マイブックの中身は大輔が栞子とともに遭遇した事件について書いた「ビブリア古書堂の事件手帖」で、扉子は祖母の篠川智恵子と会うことになっていました。
智恵子は2012年と2021年に起きた横溝正史の「雪割草」事件について確認したいことがあると言い、2021年が過去のことになっていて、シリーズ1作目の「ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~」から作中でもかなり時間が経ったのを感じました。
扉子は智恵子が来るまでなら良いだろうと思い事件手帖を読み始め、そこから本格的に今回の物語が始まります。


「第一話 横溝正史『雪割草』Ⅰ」
栞子と大輔が結婚する前の時代に戻るので語り手は大輔になり、2012年の4月とあり二人は既に結婚しています。
栞子の妹の文香(あやか)はこの春高校を卒業し八王子にある大学の近くで一人暮らしを始めたとありました。
文香は栞子のことを「奴は息を吸うように本を読む」と言っていて、ここにもこの言葉が出てきて面白かったです。
そして活発な性格でムードメーカーの文香がビブリア古書堂から居なくなってしまったのは寂しく思いました。

井浦清美という人がトラブルの相談をしにビブリア古書堂にやって来ることになっていて、栞子はその相談内容に不安を感じています。
現れた清美は盗まれた本を取り返してほしいと依頼し、その本は「雪割草」という幻の作品です。
「この世に存在していないはずの本が盗まれ、それを探してほしい」という奇妙な依頼です。
気になったので調べてみると、横溝正史の『雪割草』は実際に近年発見されて刊行されたばかりの作品で、2012年当時はまだ発見されていませんでした。
その出来事を上手く作品に盛り込む構成が良いなと思いました

話の中心になるのは元華族に連なる「上島家」で、三姉妹の長女である上島秋世は「雪割草」を持っていました。
次女は井浦初子、三女は上島春子で、初子と春子は双子です。
また清美は初子の娘で、かつては結婚していましたが現在は離婚し息子の創太を引き取っています。
秋世が亡くなり、遺産となった「雪割草」が何者かによって盗まれてしまいます。
初子と春子は犬猿の仲で、お互いのことを雪割草を盗んだ犯人だと主張しています。

栞子は清美の依頼に対し、「調査費用はいらないから、雪割草が実在していて取り返せたら読ませてほしい」と言って引き受けます。
本が大好きな栞子は幻の作品が実在していそうなことに興味を持ちました。
また、栞子と大輔は今回の件には「元華族の一族」「複雑な家族関係」「いがみあう双子の姉妹」など、横溝正史の代表作でもある金田一探偵シリーズを連想させる事柄が妙に多いことが気になり、本当に全て偶然なのかと思います。

後日栞子と大輔が上島家の邸宅に行くと、仕事を抜けて来た清美と家政婦の小柳が出迎えます。
小柳に話を聞くと雪割草を見たことがあるのが分かり、美しい装釘の自装本(出版社からは刊行されておらず、個人で装釘した本)とのことでした。
また会話の中で道行(みちゆき)という言葉が登場し、和服用のコートだと初めて知りました。

やがて初子が現れ、日本の探偵小説は嫌いと言われて栞子が怒る場面があり、普段は物静かで控えめでもやはり本のことになると熱いなと思いました。
春子の息子の乙彦(おとひこ)は横溝正史の大ファンで、「雪割草」を盗む動機があることも分かります。
さらに春子も登場し、帰る間際の初子と口論になります。

栞子と大輔が上島家の邸宅を後にした時、今度は乙彦が現れます。
乙彦、清美ともに「雪割草」を盗んだ犯人は自身の母親だと言っているのが印象的で、親のことを信用出来ないのは寂しいものだと思いました。


「第二話 横溝正史『獄門島』」
2021年10月の話で、今回この作品を読んだ2021年3~4月より未来になりました。
もぐら堂という古書店の2階のブックカフェで大輔と扉子が過ごしているところから物語が始まります。
大輔は扉子の付き添いで来ていて、扉子は1階で取り置きしてもらっていた古書を買うつもりでした。
しかしアルバイトの店員は置き場所を知らず、店長は宅買いに出掛けていたため、2階のブックカフェで時間を潰しています。
古書の売買が昔より難しくなり、飲食スペースを併設する古書店が増えたとあり、時代の流れを感じました。

栞子はロンドンに出張して母親の経営する古書店を手伝いに行っています。
扉子の通う小学校のクラス担任から電話がかかってきて、扉子が読書感想文に横溝正史の「獄門島」を選んだことを問題視します。
殺人事件が起き怖い表現もあるので、子供に読ませるのはどうかという見方をする人もいるようです。
「決して横溝正史が悪いわけではありません」と言いながらも電話をかけてきたことを大輔は不審に思っていて、私もこういったやり方は嫌だなと思います。
最終的に担任は「本当に「獄門島」でいいのか、扉子さんに聞いてみて下さい」と言って電話を切り、あくまで自身が強制して読ませるのを止めたのではなく、親が止めたという形を作りたいのかなと思いました。
大輔は扉子の意思を尊重して「獄門島」を読むのを止めない方針で、私は意思を尊重するのは良いことだと思いました。

大輔がイギリスに居る栞子とパソコンでビデオ通話をすると、栞子は扉子の買う獄門島の値段が3000円と聞いてどの版なのか検討が付かず気にしていました。
物凄く本に詳しい栞子にも分からないのが興味深かったです。

取り置きしてもらっていたはずの「獄門島」がなくなってしまう事件が起きます。
扉子は栞子を思わせる鋭さで本が消えた謎を追って行きますが、大輔は出来れば扉子に古い本の事件と関わらないで欲しいと思っていて、「時として本を求める人の心には悪意があるのだ。」とあったのが印象的でした。
あまりに希少価値の高い古書は時として人の心を狂わせ、手に入れるためなら手段を選ばない狂気じみた人にしてしまうことがあります。

もぐら堂の店主は戸山吉信と言いプロローグに登場した戸山圭の父親でもあります。
吉信が帰ってきてそこから意外な展開を経てやっと「獄門島」を見つけ出すことができます。
事件は解決しましたが大輔はこの一件で、扉子が本の持ち主達の秘められた物語を読み解く喜びに目覚めていないかと心配します。
扉子の祖母にして栞子の母、智恵子は特に本の持ち主達の秘められた物語を暴くのを好むようなところがあり、篠川家の血統の宿命のようにも思います。

また、本を読むばかりで誰も友達のいなかった扉子はこの一件で戸山圭と友達になることが出来ました。
大輔が「本一冊で壊れる関係もあれば、本一冊で生まれる関係もある。」と語っていて、印象的な言葉でした。


「第三話 横溝正史『雪割草』Ⅱ」
2021年11月の物語で、第一話で解決出来なかった謎に9年経ってもう一度挑むことになります。
「横溝正史の幻の新聞連載小説 発表から77年を経て初の単行本化!」という帯の付いた「雪割草」の単行本が登場し、既に発売された描写がありました。
近代小説の研究者によって掲載紙が突き止められ本文も全て発見されました。
栞子達のように古書店で働く人にとって横溝正史の幻の作品が発見されるのは物凄い大ニュースなのではと思います。

井浦清美からメールで連絡が来て、初子が亡くなったので遺言に従いビブリア古書堂に蔵書を買い取ってほしいと依頼されます。
第一話での因縁もあり、初子はビブリア古書堂をよく思っていないはずなのになぜそんな遺言を残したのか、何か裏があると大輔は警戒します。
栞子は9年前に事件を解決出来なかった悔しさを晴らすために決意新たに臨み、大輔もまたそんな栞子を支えようと決意します。

栞子と大輔が蔵書を買い取るために整理をしていると、横溝正史の全く同じ文章の「雪割草」の直筆原稿が7枚も出てきます。
ヒトリ書房の井上太一郎に鑑定してもらうと7枚は全て偽物と分かり、栞子も気付いていました。
そして本物の直筆原稿を見ながら模写した可能性があり、本物がどこにあるのか探していくことになります。
いよいよ9年前の事件とともに全ての謎を解く時が来ます。


久しぶりにビブリア古書堂シリーズの作品を読み、やはりこのシリーズは面白いと思いました
プロローグとエピローグでは扉子がもう高校生になっていたのも印象的で、一気に時間が流れたのを感じました。
智恵子が扉子の洞察力を気に入った様子だったのも気になり、またいずれ扉子の前に現れると言っていたので、もしかすると智恵子と接する中で扉子も古書を巡る事件を解決していく人になることが予感されました。
高校生、あるいは大人になった扉子をはっきりと主役にした作品、栞子と大輔が活躍する作品、どちらも読みたい思いが強くなり、続編を楽しみにしています



ビブリア古書堂シリーズの感想記事
「ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~」
「ビブリア古書堂の事件手帖2 ~栞子さんと謎めく日常~」
「ビブリア古書堂の事件手帖3 ~栞子さんと消えない絆~」
「ビブリア古書堂の事件手帖4 ~栞子さんと二つの顔~」
「ビブリア古書堂の事件手帖5 ~栞子さんと繋がりの時~」
「ビブリア古書堂の事件手帖6 ~栞子さんと巡るさだめ~」
「ビブリア古書堂の事件手帖7 ~栞子さんと果てない舞台~」
「ビブリア古書堂の事件手帖 ~扉子と不思議な客人たち~」


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「戸村飯店 青春100連発」瀬尾まいこ

2021-02-07 18:12:51 | 小説


今回ご紹介するのは「戸村飯店 青春100連発」(著:瀬尾まいこ)です。

-----内容-----
大阪の超庶民的中華料理店、戸村飯店の二人息子。
要領も見た目もいい兄、ヘイスケと、ボケがうまく単純な性格の弟、コウスケ。
家族や兄弟でも、折り合いが悪かったり波長が違ったり。
ヘイスケは高校卒業後、東京に行く。
大阪と東京で兄弟が自分をみつめ直す、温かな笑いに満ちた傑作青春小説。
坪田譲治文学賞受賞作。

-----感想-----
大阪の庶民的な中華料理店の二人の息子が主人公ということで、大阪弁がたくさん登場するのはもちろんのこと、会話にも大阪的なノリがたくさん見られました
ヘイスケとコウスケの父が店主を務める戸村飯店はラーメンやチャーハンが主なメニューの庶民的なお店で、安くて美味しいのでそこそこ繁盛しているとありました。
物語は第1章から第6章まであり、それぞれコウスケの視点とヘイスケの視点の物語が交代で進んで行きます。


第1章の語り手は高校2年生のコウスケで、高校の学年末テストが終わってもうすぐ卒業式の時期に物語は始まります。
コウスケはクラスメイトの岡野から兄のヘイスケへのラブレターの代筆を頼まれます。
コウスケはヘイスケと仲が悪いですが、岡野の頼みを断れずにラブレターを手伝うことになり、岡野のことが好きと胸中で語っていました。

ヘイスケは4月から東京の専門学校に行きます。
小説のことを学び小説家になると言っていますが、コウスケは本当に小説家になる気があるのか疑っています。
ヘイスケのことを「最低な人間」と評していて、要領の良い立ち回りを嫌悪していました。
第1章を読んだ時点では私もヘイスケは最低な人だなと思いましたが、読み進めて行くうちにヘイスケが抱えてきた悩み、そしてヘイスケが持つ良さが見えてきます。

季節が「春」になる時の空の描写が良いと思いました。
ついこの間まで殺風景だった空も、少しずつ淡い色に変わっている。
もう完全に冬が終わるのだ。
いい季節だな。
情緒なんてものを持ち合わせてない俺でもそう思う。

晴れた日の冬の空は澄んだ青色になり、色のグラデーションがあまりないのに対し、春の青空は淡い色合いをしています。
またコウスケは冬の澄んだ青空を「殺風景」と表現していて、冬は雲のほとんどない日がよくあるので見方によっては殺風景とも言えるなと思いました。
コウスケは自身を「情緒なんてものを持ち合わせてない」と言っていますが、この場面を見てそんなことはないと思いました。

戸村飯店は出前もしていて、コウスケが出前を届けに行くと飴やチョコをくれる人が多いです。
これは大阪らしい雰囲気だと思いました。
私が昔大阪に住んでいた時も、ある駅の前で露店を出してたこ焼きを売っていた人は、買いに行くとお願いしなくても気前良くおまけしてくれることがよくありました。

コウスケは手伝える時はお店を手伝っています。
そういうものだと昔から思っていたとあり、全く手伝わないヘイスケとは大きく違います。
ヘイスケは常連客からもお店を放って用もないのに東京に行くボンボンだと思われていて、ある日広瀬のおっさんという常連客に「お前はなってない」という具合に詰め寄られていました。
誰が相手でものらりくらりとかわして行くヘイスケですが、お店の常連客からも目を付けられていたら居たたまれないなと思いました。

コウスケは一緒に住んでいても本当の兄がどんな人間なのか分からずにいます。 
ある時ふとヘイスケがこの夏、コウスケのふりをして書いてくれた太宰治の「人間失格」に書かれていた言葉を思い出します。
「僕も主人公と一緒だ。僕だって、生まれてきてすみませんと思っている。人間失格とまではいかないけど、この家の、この町の人間としては、失格なのかもしれない」
これはヘイスケ自身の思いなのかも知れないと思いました。


第2章の語り手はヘイスケになります。
4月になり、ヘイスケは東京にある花園総合クリエータースクールという専門学校のノベルズ学科に入りました。
「今まで、その場所に順応していると感じたことは一度もない」と語っていて、大阪の住んでいた町の雰囲気にも馴染めず息苦しさを感じていたことが明らかになります。
またヘイスケが花園総合クリエータースクールに入ったのは、1ヶ月経って自身に合わなかったら入学金返金で辞めることが可能だったからとありました。
「俺は小説家を目指したことはなかった」とはっきり語っていて、コウスケの予想が当たっていました。
「ただ家を出られさえすれば、なんでもよかったのだ。」とあり、そうまでして出たかったのかと驚きました
コウスケからヘイスケに語り手が変わるとコウスケの視点とは全く違うヘイスケの姿が見えてきて興味深かったです。

ヘイスケは大阪の人ではありますが、会話にオチを付けたり周りを笑わせるのは苦手にしています。
「キャラクター構成発想講座」で講師の岸川先生から自分で作ったキャラクターで履歴書を埋めてという課題を出され、周りが奇抜な履歴書を作る中、ヘイスケは自身の生い立ちをモデルにしたごく普通の履歴書を書いてしまいます。
ところが岸川先生がそれを読み上げると他の人達からは大ウケしてヘイスケは戸惑います。
「ここで、こういう普通の履歴書持って来るあたり、やるよね」と、狙ったわけではないですがみんなにウケていました。

ヘイスケは家城(いえき)さんというクラスメイトの女子に連れられて来た「カフェレストランRAKU」で戸村飯店のほうが良い食材を使っていると気付きます。
その様子は料理を的確に分析していて、コウスケが語り手の第1章ではちゃらんぽらんで駄目な兄として描かれていましたが、やはり料理店の息子だなと思いました。
ヘイスケはRAKUでアルバイトをしたいと言い、店長の品村も乗り気になり採用されアルバイトが始まります。
一週間ですっかり要領を得ていて流石に器用な人だと思いました。

RAKUのバイト仲間のマキちゃんに「気取ってないね」と言われてヘイスケは喜びます。
「戸村飯店で、俺はしょっちゅう「気取ってる」「ええ格好しい」「すましとる」と、言われた。」とあり、ヘイスケの無理のない自然な形での立ち居振る舞いは、大阪よりも東京向きなのだろうなと思いました。
「馬鹿笑いをして阪神タイガースを心底愛してないと、戸村飯店ではええ格好しいなのだ。」とあるのも印象的で、大阪的なノリの良さがないとそう言われるようです。

花園総合クリエータースクールをすぐに辞めるつもりでいたヘイスケですが、何と岸川先生から告白されて付き合うことになります。
岸川先生は今までほとんど話したこともないのにヘイスケが早々に学校を辞めるつもりでいることも見抜いていて、鋭い人だと思いました。


第3章の語り手はコウスケです。
戸村飯店の常連客達がヘイスケがいないのを寂しがっていて、これは意外でした。
「主役ではないがあいつがいないと場が締まらない」といった言葉があったのが印象的で、今まではいけ好かないと思っていたのが、いなくなってみると存在の大きさを感じたようでした。

「七時を過ぎてるのにあほみたいに明るい空。時間の猶予がまだたくさんある気がする。夏が真ん中に向かっていく。俺が一番好きな季節。」
7月の夏休み直前の頃と思われ、「夏が真ん中に向かっていく」は良い表現だと思いました。
「真ん中」は気候の面でも気持ちの面でも特に夏らしくなる時期で、そこに向かっていく時期はワクワクします

合唱祭でコウスケのクラスは「大地讃頌」を歌うことになり、コウスケが指揮を務めます。
最近気になっていた曲なのでこれは印象的でした。

コウスケは「大地讃頌」でピアノを弾く北島と仲良くなり、家に泊まりに行った時にヘイスケとも毎日同じように寝ていたことを思い出します。
北島はお坊ちゃん的雰囲気を持つ爽やかな好青年で、夕飯にビーフストロガノフが出てきて食べたことのないコウスケは面食らっていました。
コウスケの家にも行きたいと言う北島にコウスケは次のように言います。
「家中、中華のにおいやし、家族中あほみたいなことしゃべっとるし、ガラの悪いおっさんらが入り浸ってるし。だいたい、ストロガノフもゴルバチョフも一生食卓に並ばんような家やねん」
すると北島は「おもろそうやん」と言い、コウスケにとってはとても自慢出来ないと思っているような家でも、全く違うタイプの北島からは魅力的に見えるのだと思います。

一学期終業式の日、北島が戸村飯店に泊まりに来ます。
北島がコウスケが岡野を好きなのは全校生徒みんな知ってるんちゃうん?と言うとコウスケは動揺していて、この会話が面白かったです。
またコウスケ達が通っている高校の名前は野川高校と分かりました。


第四章の語り手はヘイスケです。
ヘイスケは岸川先生と付き合いアリさんと呼ぶようになりました。
アリは8歳年上とあるので27歳だと思います。
専門学校を辞めてカフェRAKUでのアルバイトに専念し、すっかり板に付いていました。
「ヘイスケがアルバイトをしてからRAKUに来る女性客が増えた」とありましたが、当のヘイスケは「女の人にしか人気ないんはあかんなあ。しかも、若い女の人だけっていただけんね」と言い、「老若男女に好かれないとあかんやん」と言っていました。
最初はちゃらんぽらんなイメージのあったヘイスケですが、お店を繁盛させるためには特定の層だけでなく様々な層から好かれないといけないという真摯な思いを持っていることが分かりました。

東京では関西のノリが大いにウケるから「おおきに」や「毎度」などを積極的に使うようになったとあり、ヘイスケが順応性の高さを見せていました。
店長の品村はアルバイトの意見でも素直に聞き入れて「ありがとう」と言う人で、これは意外と凄いことではと思います。
世の中には自身より職位が下の人の意見を軽く扱う人も居る中で、品村は「誰の意見か」よりも「どんな意見か」で物を考えられる人なのだと思います。

小学校一年生の時の回想があり、ある日ヘイスケとコウスケが二人揃って父親から包丁を渡されジャガイモを切ることになりました。
長男でもありさらにコウスケと違って父親に似て手先が器用なヘイスケは期待に応えたいと思っていました。
ところが気負いからか指を切ってしまい、後日もう一度二人揃ってジャガイモを切ることになった時も指を切ってしまい、以来ヘイスケは戸村飯店の厨房に入らなくなりました。

10月半ば、戸村飯店常連の竹下の兄ちゃんがいきなり東京にやって来て今日一日付き合ってくれと言います。
今度の土曜と日曜に東京に家族旅行に行き、ディズニーランドに行くのでヘイスケに案内してもらって先に下見をしようとしていました。
第1章では竹下の兄ちゃんもヘイスケを良く思っていないように見えたので、親しげに訪ねて来たのはとても意外でした。

竹下の兄ちゃんはヘイスケが自身を苦手にしているのを見抜いていました。
さらにヘイスケをのことを「軽そうに見えるがほんまは慎重派」と言い、よく見ているなと思いました。
二人の会話が弾んでいるのが印象的で、こんなに弾むのかと驚きました。

ヘイスケは悪い意味で理論的で、この人にはこうして、あの人にはこうして、と一人で頭の中であれこれ考えて先読みして動いていて、「一人よがり」に見えました。
ただし第4章の最後、関係がぎくしゃくしてしまっていたアリとの場面で変化が見られたのは良かったです


第5章の語り手はコウスケです。
二学期終盤に行われた最後の三者面談でコウスケが店を継ぐと言うと父親が激怒します。
コウスケが「俺の考え方の何があかんねん。店継ぐって言うとるやろ」と反発すると父親は「誰が店継いでええって言うた?」と言い、これは父親に腕を認められてからにしろということだと思いました。
さらに事前相談なしで突然「継ぐ」と言っても良い気はしないと思われ、物事には順序があるのだと思います。
教師にも父親にも大学進学を勧められコウスケは戸惑います。

コウスケは進路の相談をしにヘイスケに会いに行きます。
大嫌いなはずのヘイスケに頼ったのが印象的で、土壇場で進路が暗礁に乗り上げそれだけ困っていたのだと思います。
東京に行ってヘイスケと話す中で「兄貴がすってたのはごまばかりではなかったのかもしれない」と胸中で語る場面があり、ヘイスケを見る目がそれまでとは変わりました。


第6章の語り手はヘイスケです。
ヘイスケは品村からRAKUの正社員にならないかと誘われます。
そんな中、春休みの終わりの頃ラジオから流れてきた曲がきっかけで突然大阪に帰りたい気持ちになります。
かつて嫌っていた場所を懐かしんで帰りたくなる心境の変化が印象的でした。
「戸村飯店に集まる人の素晴らしいところ。~」と苦手にしていた人達の良さを語っていたのも印象的で、この心境になったのが嬉しかったです。


第1章から第6章まで、1年の時間が流れました。
その中でヘイスケ、コウスケそれぞれが序盤とは大きく違う心境になって行ったのがとても印象的でした。
ヘイスケは念願叶って戸村飯店を出て行ったことで、コウスケも念願叶ってヘイスケがいなくなったことで、それぞれが新たな日常を過ごす中で、かつて嫌いだった物の見えていなかった良さを見出していました。
二人とも門出を迎えていて、ぜひその先が良い人生になっていってほしいなと思う素敵な終わり方でした


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「四畳半タイムマシンブルース」森見登美彦

2020-10-04 18:13:02 | 小説


今回ご紹介するのは「四畳半タイムマシンブルース」(原案:上田誠、著:森見登美彦)です。

-----内容-----
炎熱地獄と化した真夏の京都で、学生アパートに唯一のエアコンが動かなくなった。
妖怪のごとき悪友・小津が昨夜リモコンを水没させたのだ。
残りの夏をどうやって過ごせというのか?
「私」がひそかに想いを寄せるクールビューティ・明石さんと対策を協議しているとき、なんともモッサリした風貌の男子学生が現れた。
なんと彼は25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたという。
そのとき「私」に天才的なひらめきが訪れた。
このタイムマシンで昨日に戻って、壊れる前のリモコンを持ってくればいい!
小津たちが昨日の世界を勝手気ままに改変するのを目の当たりにした「私」は、世界消滅の危機を予感する。
史上最も迂闊な時間旅行者(タイムトラベラー)たちが繰り広げる冒険喜劇!
「宇宙のみなさま、ごめんなさい…」

-----感想-----
この作品は「サマータイムマシン・ブルース」という演劇作品を原案にしています。
森見登美彦さんの小説でタイトルに「四畳半」が付くのは「四畳半神話大系」「四畳半王国見聞録」に続いて3作目となります。
作品の舞台は京都、主人公は大学3回生の「私」で、「四畳半神話大系」の時と同じ主人公のようです。
「京都に住む大学生」が主人公なのは森見登美彦さんの作品の王道だと思います

物語の最初の2文に「ここに断言する。いまだかつて有意義な夏を過ごしたことがない、と。」とあり、自信満々な雰囲気で悲観的なことを言っているのが森見登美彦さんらしいと思いました。
あまりの暑さで今年も有意義な夏を過ごせない無念さを「嗚呼、夢破れて四畳半あり。」と言っていて、「国破れて山河あり(国が滅びても山や川は変わらずにある)」のパロディにしていたのが面白かったです。

「私」が住んでいるのは下鴨幽水荘という四畳半アパートで、森見登美彦さんの作品に何度も登場しています。
森見登美彦さんは正方形の「四畳半」にかなりのこだわりがあるようで、何らかのアパートの部屋が登場する時は大抵四畳半です。
「私」の隣の部屋には樋口清太郎というおおらかで世の中を達観した雰囲気の人物が住んでいて、他の作品にも登場することがあります。
「四畳半にウッカリ墜落した天狗」「樋口氏のごとき天狗的人物」といった描写もあり超人のように見られています。

「私」には小津という悪友がいて、小津も他の作品に登場することがあります。
小津の不気味さの描写が面白く、次のようにありました。
「夜道で出会えば、十人中八人が妖怪と間違う。残りの二人は妖怪である。弱者に鞭打ち、強者にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、天の邪鬼であり、勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。およそ誉めるべきところが一つもない。」
「残りの二人は妖怪である」が面白く、そして全部が酷い言われようだなと思いました

下鴨幽水荘には「私」の住む209号室にだけ先住民が大家に無断で設置したクーラーがあります。
ところが真夏の8月11日、小津がクーラーのリモコンにコーラをこぼして壊してしまい、部屋が物凄く暑くなります。
物語の冒頭はその翌日の8月12日で、「私」が部屋で小津に文句を言い、小津が反論して二人でじゃれ合いのような言い争いになっているところに、明石さんという二人の一年後輩の女子がやって来ます。
登場シーンが面白く、言い争う二人を見て「仲良きことは阿呆らしきかな」とクールに言っていました。
明石さんと小津は学内映画サークル「みそぎ」に所属していて、明石さんはクールな佇まいとは裏腹に全くクールではないポンコツ映画を作ることで知られています。
そして二人とも樋口の弟子を名乗っていて、特に小津はよくアパートの樋口を訪ねて来るのでそのついでに「私」を訪ねることがあります。

映画サークル「みそぎ」は城ケ崎という男がボスをしていて、「私」は尊大な態度で振る舞うこの男が嫌いです。
また、近所の歯科医院に務める羽貫さんという陽気な女性も登場し、樋口、城ケ崎、羽貫の三人は古くからの友人とのことです。

森見登美彦さんの文章には「偉そうでありながら滑稽」の他に「古風」という特徴もあります。
隣の部屋の樋口を「隣室の怪人」と表現していたのは面白かったです。
「怪人」表現は他の作品にも登場することがあり、私が読む作家さんでは変わった人のことを怪人と表現するのは森見登美彦さんだけです。
さらに他の作品にも登場する「先刻ご承知」という言い回しがこの作品にも登場していました。
また京都についての印象的な言葉もよく登場していて、今作では「下鴨神社糺(ただす)ノ森」や「五山送り火」などが登場しました。

明石さんが誰かと五山送り火見物に行くことを知り「私」と小津は驚きます。
「私」は明石さんから見た自身を「路傍の石ころ的存在」と思っていて、明石さんのことが好きでそこからの脱却を目指しています。
「路傍の石ころ的存在」も「夜は短し歩けよ乙女」という森見登美彦さんの作品で初めて見た面白い表現です。

アパートに全体的にモッサリした雰囲気の若い男が現れます。
モッサリ君はアパートの住人ではないのになぜか樋口のことを知っていて、しかし樋口はモッサリ君のことを知らず不思議がっていました。

「私」、小津、樋口、城ケ崎が近所の銭湯「オアシス」に行った時に次の言葉がありました。
我々は広い湯船につかってポカンとした。
短い文章の中に森見登美彦さんの特徴がよく出ていて、「我々は」の部分は少し偉そうにも見えますが「ポカンとした」で途端に間抜けな雰囲気になり、独特な文章を形作っています。

やがてアパートの物置きにタイムマシンのようなものが現れます。
その段落の終わりの文章が良く、次のようにありました。
やがて明石さんがぽつんと言った。
「タイムマシンだったりして」
恥じらうように小さな声だった。
物干し台の風鈴がちりんと鳴った。夏であった。

以前も段落の終わりに似たような、線香花火が消えていくような雰囲気の文章を見たことがあり、森見登美彦さんは段落の区切り方も上手いと思います。

小津が試しにタイムマシンを操作してみると「私」達の前から姿が消え、やがて戻って来てタイムマシンが本物だと分かります。
そして「私」達はタイムマシンで昨日に行き、リモコンを持ってくればまたクーラーを使えるようになると思い立ちます。
樋口、羽貫、小津の三人がまず先発で昨日に行くことになりましたが、「思いつくかぎり最悪の人選だった」とあり波乱が予感されました。

再びモッサリ君が現れ、タイムマシンに乗って25年後の未来から来たことを明かします。
モッサリ君は田村と言い、下鴨幽水荘のみんなでタイムマシンを作ったとのことです。
田村の父親も「私」達と同じ時代に京都に居て銭湯オアシスに通っていたとあり、父親が現在での誰なのかが気になりました。

「私」達は田村と話すうちに、リモコンを昨日から持って来るとリモコンにコーラがこぼれた結果としての「今日」が存在しなくなり、「私」達が消滅してしまうのではという懸念を抱きます。
そして「今日」の消滅はそのまま全宇宙の消滅になるのではという考えになります。
タイムマシンは帰って来ますが樋口達が乗っておらず、昨日が変われば全宇宙が消滅する危機を感じた「私」と明石さんも昨日に行くことになります。

昨日にタイムトラベルしてクーラーのリモコンで騒動になるのはくだらないことですが、宇宙が滅びかねない危機があるので「滑稽な緊張感」のような面白い雰囲気になっていました。
この作品では「今日」の中で謎の部分がありますが、タイムマシンで行った「昨日」で謎が解けていくのが面白かったです。
昨日と今日をタイムトラベルするので全く同じ文章が繰り返される構成になっていた場面は「既視感」が印象的でした。

「私」が大嫌いなはずの城ケ崎に共感した場面も印象的でした。
ともに逆境に立ち向かう仲間というものは、立場や性格の違いを超えて強い絆で結ばれるものである。
これは逆境に立ち向かっている間は共通の目的があるので、立場や性格が違っても共感する場合があるのだと思います。
そして逆境を切り抜けると共通の目的はなくなり、再び立場や性格の違いが顕著になるのではと思います。

終盤では田村の正体が明らかになり、「未来は自分で掴み取るべきもの」という良いことを言っていました。
この作品は終わり方が美しく、「成就した恋ほど語るに値しないものはない。」という言葉がとても印象的でした。
言葉自体が森見登美彦さんらしい偉そうな雰囲気が出ていますが、時空を越えた言葉でもあり、タイムトラベルを題材にしたこの作品を象徴していると思いました。


森見登美彦さんは好きな作家ですが1年近く読書が思うように出来なかった時期もあり、作品を読むのはかなり久しぶりになりました。
久しぶりに読む作品が森見登美彦さんの王道的な作品だったのは良かったです。
楽しく読むことができ、独特の文章を読んでいるうちに小説を読む楽しさを感じました
しばらく森見登美彦さんの作品を読めなかったうちに発売された作品が他にもあるのでいずれ読んでみたいと思います


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「むらさきのスカートの女」今村夏子

2020-08-10 17:05:31 | 小説


今回ご紹介するのは「むらさきのスカートの女」(著:今村夏子)です。

-----内容-----
近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し、その生活を観察し続ける。
狂気と紙一重の滑稽さ。
変わりえぬ日常。
〈わたし〉が望むものとは?
デビュー作「こちらあみ子」で三島由紀夫賞受賞。
第二作「あひる」が芥川賞候補となり、河合隼雄物語賞を受賞。
第三作「星の子」でも芥川賞候補となり、野間文芸新人賞を受賞。
唯一無二の視点で描かれる世界観によって熱狂的な読者が増え続けている著者の代表作。
2019年7月期、第161回芥川賞受賞作。

-----感想-----
今村夏子さんの小説を読むのは今回が初めてでした。
昨年の夏、書店でこの作品が芥川賞受賞作として平積みされているのが目に留まり、作者が中国地方の広島県出身ということもあり興味を持ち購入しました。
しかし当時は小説を読む気力がなくなっていた時期で、その後もなかなか気力が戻らず一年後の今やっと読むことが出来ました。
デビュー作から次々と文学賞を受賞し、ついに芥川賞受賞まで上り詰め、小説界のサラブレッドのような人だと思います

作者名の「今村」と「夏子」はとても印象的でした。
昨年の1~5月にかけて世間の注目を集めた、新潟県を中心に活動するアイドルグループNGT48で起きた暴行事件に敵方で登場した人達の名前です。
なので一瞬「えっ」と思いましたが、さすがに名前に罪はないなと思い読み始めました。

冒頭、主人公の家の近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれる人が居ることが語られます。
いつ見かけても紫色のスカートを穿いているとのことで、「むらさきのスカートの女」という呼ばれ方からも不気味な人であることが伺われました。
主人公は女性で、常にむらさきのスカートの女を観察していて自身のことは「黄色いカーディガンの女」と称しています。

むらさきのスカートの女は近所でかなり有名な存在で、この人が現れるとみんな色々な反応をするとありました。
知らんふりをする者、サッと道を空ける者、良いことあるかもとガッツポーズをする者、反対に嘆き悲しむ者(一日に二回見ると良いことがあり、三回見ると不幸になるというジンクスがある)の四つに大別されるようです。

むらさきのスカートの女にはどんなに人通りの多い時間帯でも決して誰にもぶつからずスイスイ人込みをすり抜けていく得意技のようなものがあります。
中にはわざとぶつかりに行く人もいますが成功した人は誰もいないとのことで、幽霊みたいな人だなと思いました。
また子供達の間では、ジャンケンをして負けた子がむらさきのスカートの女の肩にタッチして逃げるという遊びが流行っていて、老若男女問わず普通ではない存在と見られているのが分かりました。

主人公は毎日むらさきのスカートの女のことを観察していて、「友達になりたいと思っている」と胸中で語っていました。
私はそれを見て、さすがにただ興味があるだけで一日中観察するのは異常だと思うので、そういった思いがあって少しだけホッとしました。
しかし害を加える気がなくても友達になりたいだけで毎日観察するのはやはりまともではない気がし、そういうのは監視と言うのではと思いました。
エスカレートするとストーカーになりかねないとも思いました。

主人公の近所の公園には、「むらさきのスカートの女専用シート」と呼ばれる座る場所があります。
そして主人公は日頃の観察によってむらさきのスカートの女がどんな日にそこに座るかも分かっています。
間もなくそこに座るのが分かっていたある日、専用シートのことを知らないスーツ姿の男がそこに座りましたが、主人公は事情を話してどいてもらおうとしていました。
私はそれを見て狂気じみているなと思いました。
公園は公共の設備なので、どのシートに座るかはその人の自由です。

むらさきのスカートの女が専用シートに座って食べたクリームパンは描写を見て美味しそうだなと思いました
少し固めのカスタードクリームと薄いパン生地が特徴で、上には焦げたスライスアーモンドがたっぷり載っているとありました。
アーモンドの部分は口に入れるとパリパリと良い音がするとあり、クリームパンのしなやかな食感との良いアクセントになると思います。
そしてパン生地が薄いと自然とカスタードクリームが多めになるはずで、カスタードクリーム好きな私には嬉しいです。

主人公は何と、資金繰りが苦しくなって家賃が払えなくなっています。
むらさきのスカートの女の観察をしている場合ではないのではと思いました。
この辺りまで読んでいるうちに主人公の異様さが面白いなと思い、いったいむらさきのスカートの女への思いはどうなっていくのか気になりました。

主人公は仕事を探すむらさきのスカートの女のために求人情報紙を取って来て専用シートに置いておいてあげたりもします。
やがてむらさきのスカートの女が面接に受かって働くことになりますが、事務所に入って制服を渡される様子などが詳しく描写されていて、主人公の働く職場だと分かりました。
ホテルの部屋の清掃の仕事で、自己紹介でむらさきのスカートの女の名前が日野まゆ子だと分かりました。
それまで不気味に描かれていたのでどうなるのかと思いましたが、まゆ子は意外にも先輩達から気に入られます。
チーフ陣と呼ばれるリーダー的な人達とまゆ子が話している時に権藤チーフという人が居て、この人が主人公でした。

勤務初日の夕方、公園に行ったまゆ子は何と今まで馬鹿にされていた子供達と一緒に鬼ごっこをして遊んで仲良くなります。
その様子を観察していた権藤の「見学していただけなのに、のどがからからに渇いていた」という言葉は印象的でした。
今までは観察するとともにどこかで「行動パターンは予測出来る」と思っていたまゆ子が手の届かない遠い場所に行ったように感じたのではと思いました。

事務所の所長がまゆ子に話しかけ、チーフ陣の名前を次々と挙げ全員個性が強烈と言っている中に権藤の名前が出てこないのは印象的で、あまり存在感がないのかも知れないと思いました。
チーフ陣の中でも特に個性と発言力が強い塚田チーフがまゆ子のことを凄く信頼したのも印象的で、まゆ子が順調に働いて行けるのを決定付けました。
一方の権藤は他のチーフ達の話の輪に入れてもらえず邪険にされているのが分かりました。

所長はまゆ子の姿勢を買い、いずれチーフにしたいと思っていることを告げ、冒頭の不気味さからは考えられないようなことなのでこれには驚きました。
まゆ子がこの仕事をずっと続けたいと考えてくれているのが嬉しかったとありました。
ある人の思いが他の人に良い影響を与えるのは素晴らしいことだと思います。
権藤は変わらずまゆ子と友達になりたいと思っていますが、読んでいてその画策ぶりに狂気を感じました。
まともに話しかけてお話をしながら仲良くなっていくことが出来ず、画策をして無理やり友達になろうとするのは歪んでいると思います。

まゆ子が異例の早さでトレーニング期間を終了し、一人で部屋の清掃が出来るようになります。
休みの日の過ごし方も今までより出歩く回数が増えて活動的になり、公園の子供達からはまゆさんと呼ばれ親しまれるようになります。
働き始めて2ヶ月が過ぎようとしていて、不気味なむらさきのスカートの女は今や優秀な清掃スタッフとして一目置かれ、子供達からも親しまれ、まさに絶頂期を迎えたように見えました。
しかし栄光は長くは続かず転落が待っていました。

まゆ子が所長と付き合っているという噂が立ち、これも最初の頃のまゆ子のイメージからは考え付かないことで驚きました。
権藤は噂が本当なのか確かめようと尾行していて、凄い執着だと思いました。
この作品は最初はむらさきのスカートの女の異様さを描いた小説だと思いましたが、実際には権藤の異様さが描かれていると思いました。

やがてまゆ子が所長の愛人になり時給も不当に高くしてもらっているという噂が広まり、チーフ陣から無視されるようになります。
そしてまゆ子はきつい香水を付け爪にはマニキュアを塗るようになり、私はそれを見て外見が派手になったのとは対照的に破滅が近いと思いました。
終盤の展開は衝撃的で、まさかこんなことになるとはと驚きました。


今村夏子さんは同じ芥川賞作家でも綿矢りささんなどに見られるような秀逸な比喩表現をするタイプとは違い、作品全体の世界観で魅せるタイプの作家さんという印象を持ちました。
私は今村夏子さんの世界観なら扱う題材によってはいずれ直木賞も狙えるのではと思いました。
芥川賞は純文学小説、直木賞はエンターテイメント小説で求められるものは違いますが、両方を手に出来る可能性を秘めた作家さんな気がします。
本屋大賞もいずれ受賞しても不思議はないと思うので、これからの益々の活躍を楽しみにしています


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「強運の持ち主」瀬尾まいこ

2020-07-27 18:58:57 | 小説


今回ご紹介するのは「強運の持ち主」(著:瀬尾まいこ)です。

-----内容-----
元OLが営業の仕事で鍛えた話術を活かし、ルイーズ吉田という名前の占い師に転身。
ショッピングセンターの片隅で、悩みを抱える人の背中を押す。
父と母のどちらを選ぶべき?という小学生男子や、占いが何度外れても訪れる女子高生、物事のおしまいが見えるという青年……。
じんわり優しく温かい著者の世界が詰まった一冊。

-----感想-----
昨年8月の「そして、バトンは渡された」(著:瀬尾まいこ)以来11ヶ月ぶりという、久しぶりの小説感想記事になりました。
なかなか小説を読む気力が出ずにいましたが、やっと読むことが出来て良かったです
瀬尾まいこさんの作品は文章が穏やかで優しいので、久しぶりに読むならこの人の作品が良いなと思いました。
「強運の持ち主」は占い師を題材にしていて、「ニベア」「ファミリーセンター」「おしまい予言」「強運の持ち主」の4つのお話があります。


「ニベア」
ルイーズ吉田がお客さんを占っているところから物語が始まります。
彼氏ができるかという質問に「素敵な人が出てくる暗示がある」と言い、さらに「気付くかどうかはあなた次第」と言っているのが興味深かったです。
その言い方なら占いが外れても問題ないのが上手いなと思いました

ルイーズ吉田は本名を吉田幸子と言い、3年前に「ジュリエ数術研究所」という占いのお店に入りました。
短大を出て事務用品を扱う会社で営業の仕事を半年してから占い師になったとあるので、「ニベア」の時点ではまだ24歳くらいのようです。
「ジュリエ数術研究所」のドアを叩いた日、所長のジュリエ青柳という50歳過ぎの女性が「結局適当なことを言って、来た人の背中を押してあげるのが仕事なのよ」と言い、吉田幸子はそれを「いかさまのようないかしたことを言う人物」と評し、気に入ります。
ルイーズ吉田という名前も、吉田幸子という一般的な名前の人の言う占いはあまり信憑性がないため付けられたとあり、たしかにそうだなと思いました。
ミステリアスな名前の方がいかにも占いをする人という雰囲気は出ます。
ルイーズ吉田の占いは当たると評判になり、一年前に独立してショッピングセンターの二階奥のスペースを借りて一人で占いをするようになります。

2月の終わり、8歳の一ノ瀬堅二という男の子が占ってほしいと言ってきます。
占いは1回3000円なのでルイーズ吉田は心配しますが、堅二はおばあちゃんに貰った5000円があるから大丈夫だと言います。
堅二はスーパー丸栄とサトヤのどちらで買い物をしたら良いか占ってと言い、ルイーズ吉田はそんなくだらないことに3000円も使うのかと呆れます。
特に占いの知識を発揮することもなく、今朝の新聞チラシに入っていた両方のスーパーのチラシを思い浮かべながらサトヤにしておけと言い、私はインチキ占いだなと思いました。

後日また堅二がやって来て、父親と母親のどちらに付くのが良いか占ってほしいと言い、ルイーズ吉田は離婚の相談だなと見て戸惑います。
もうすぐ小学四年生になり、四年生になる時には父親か母親かを決めておきたいとのことでした。
ルイーズ吉田は断ろうとしますが堅二が食い下がり、その場は引き取ってもらって四年生になるまでには占うと言います。

ルイーズ吉田は堅二の家の近くで張り込みをし、父親と母親のことを調べ始めます。
しかし数日張り込んでも母親の姿はなく、代わりに不思議な光景を目撃することになり戸惑います。
やがて堅二がどちらに付けば良いのかの答えを尋ねに来る日が近付きます。



「ファミリーセンター」
冒頭、ルイーズ吉田が「正論を言うより、星だ運命だと言えば、納得してもらえる」と胸中で語っていて、見も蓋もないですがそれが占いなのかも知れないと思いました。
1ヶ月ほど前に地元情報紙の「よく当たる占いの店」の特集に載って若い子がよく来るようになりました。
占いに来る女の子は持ち物や服装など何か変化を起こせることを提案すると納得するとあり、これもそうかも知れないと思いました。
そして一話目と同じで最初は占いが楽勝のように書かれているのが印象的で、これはこの後問題が起きるのだろうと思いました。

9月、墨田まゆみという17歳の女子高生が「気を引きたい人がいるんですけど、どうしたらいいですか?」と言ってきて、ルイーズ吉田は占いをします。
すると後日、まゆみが占いが外れたと文句を言いにやって来ます。
謝ると次の手を教えてくれと言うので、ルイーズ吉田はまゆみの誕生日から考えられることを元に「とにかくきちんと挨拶をしてみたら」と助言します。

後日またまゆみがやって来て、駄目だったがもう一度占ってくれと言い、意中の人の気を引けるまで延々と来そうな雰囲気でした。
しかし意中の人の特徴を聞くとなぜか曖昧な答えしか返って来ず、ルイーズ吉田は不思議に思います。
今度は「髪を切って印象を変えたらどうか」と提案し、さすがにそれでも駄目ならもうお店には来ないだろうと思っていました。

またもやまゆみがお店にやって来て、やはり駄目だったが次はどうすれば良いと言い、まだ続けることにルイーズ吉田は驚愕します。
諦めることを勧めても引きませんでした。
私は「あの人とうまくやりたい」という言葉が気になり、恋愛ではないのかも知れないと思いました。
ルイーズ吉田は覚悟してまゆみととことん付き合うことにします。
私がここまで彼女を動かしてしまったのだ。きちんと向き合う義務があると言っていて、プロとして誇りがあるなと思いました。
そして雑誌に載っていた、ルイーズ吉田自身は全然信じていなかった人の気を引くための技をしれっと提案していたのが面白かったです。
「どうせやるなら、もっと気楽に楽しく彼の気を引くほうが良い」と胸中で語っていて、本気で向き合いながらも肩の力を抜くのは意外と良いかも知れないと思いました。



「おしまい予言」
11月がもうすぐ終わり冬になろうとしています。
冬前になると気力が出ない、楽しいことが起こらない、物事がうまく行かないという相談が増えるとあり、季節によって相談内容が変わるのが面白いなと思いました。
ルイーズ吉田は「冬はオフシーズンで、本来ならこんな時期は人間だってひっそり冬眠すべきだ」と持論を語っていました。
ただ私は冬にしか見られないもの、冬ならでは催し事もあるので、冬眠ではもったいない気がしました

若い男がやって来て、占いの様子を見て「あんなん、当たり前のことやん」と言い、ルイーズ吉田はムッとします。
男は武田平助という22歳の大学四年生です。

平助には「物事のおしまいが見える」という変わった体質があります。
そしておしまいが見えるのをどうすれば良いかを占えと言いますが、ルイーズ吉田はあまり相手にしません。
しかし平助におしまいが見える能力をどう生かすか勉強するために、給料はいらないからここで働かせてくれと言われ押し切られてしまいます。
平助は関西弁で調子が良く、「まあ、いいからいいから」のように押し切られていました。
ルイーズ吉田が帰宅して同棲している通彦に平助のことを言うと、毎日その子はおしまいの予感だらけで気が休まらないだろうなと言っていて、これは鋭い視点だと思いました。

翌朝、平助は本当にお店に来ていて、しばらくの間ルイーズ吉田の横に座って占いの様子を見ることになります。
その日の昼食は二人でショッピングセンターの社員食堂できつねうどんを食べたのですが、平助は「あげ」が不味いと言っていました。
すると翌日、同じ場所で今度は二人で素うどんを食べる時、平助が家で炊いたあげを持ってきて入れてくれ、ルイーズ吉田は凄く美味しくて驚きます。
この場面も「まあ、いいからいいから」のように話が進んでいて、押しが強いわりにあまり不快にならない雰囲気はいかにも関西らしいなと思いました。

やがてルイーズ吉田が、お客さんに「ましな終わり方」が見えた時はそれを告げてみたらと言い、平助も気乗りしなそうでしたが頷きます。
あなたは間もなく何かが終わりますよと言えば相手は当然戸惑うので、言うのはやはり気乗りしないだろうなと思います。

ある日平助が何とルイーズ吉田に終わりが見えると言い、ルイーズ吉田は同棲相手の通彦との仲が終わると見て動揺します。
どうにかして終わるのを回避しようと手を尽くすルイーズ吉田に対して、通彦の方は一体どうしたんだろうと不思議に見ていて、その差が面白かったです。

この話ではルイーズ吉田が考える占い師の役割が書いてありました。
「その人がさ、よりよくなれるように、踏みとどまってる足を進められるように、ちょっと背中を押すだけ。占いの役割って、そういうことなんだね」
この考えは良いなと思いました。
妙に「こうしなければ駄目です」という態度より、「ちょっと背中を押すだけ」の方が信用できる気がします。



「強運の持ち主」
ルイーズ吉田は竹子というアシスタントを取ります。
その竹子が冒頭、自身が占ったお客さんに絶望的な結果が出たと言い動揺していて、お客さんも動揺していました。
占い師があまり動揺すると、お客さんも「私の未来はどうなってしまうのか」と不安になるのではと思います。

竹子は24歳で4歳の子供が居て離婚をしていて、1ヶ月ほど前にお店で働き始め、2週間前から一人で占いを始めるようになりましたがそれがさっぱりとのことです。
ルイーズ吉田は「誰かと一緒に働くのなんて、百害あって一利なしだ」と胸中で語っていて、アシスタントを取ろうとしていた前話とは言っていることがガラッと変わっていたのが面白かったです。
竹子は占い結果をストレートに伝えたがる特徴があり、対してルイーズ吉田は相手に希望を持たせ背中を押すことを考えていて、そこに差があります。
ルイーズ吉田は竹子とは合わないと感じています。

新年度が近付いたある日、平助がお店にやって来ます。
今でもたまに来ていて、もうすぐ大学を卒業して社会人になるとありました。
この時平助が「回転焼き」という食べ物を持って来ていて、どんな食べ物なのか調べてみたら「今川焼き」のことだと分かりました。
地域によって呼び方が違うのが興味深いです。
そして平助がまたルイーズ吉田に何かが見えると言っていて、何が起こるのか気になりました。

竹子が占いをすると人の不幸ばかり見て落ち込むと言うので、ルイーズ吉田は「強運の持ち主」である通彦を占わせてあげようとします。
かつてルイーズ吉田はお客さんとしてやって来た市役所勤めの通彦を占った時、とてつもない強運の持ち主であることに驚き何としてもこの人と一緒になろうと思い、当時付き合っていた女性とは別れたほうが良いなどとインチキ占いをうそぶいたりして、策略を駆使して付き合うことに成功した経緯があります。
ところが、竹子が占うと通彦に暗闇が迫っていてルイーズ吉田は驚きます。

ルイーズ吉田が通彦に最近何かなかったかを聞くと、もうすぐ市町村合併があることに悩んでいることが分かります。
そして通彦は大きな決断をしようとしていて、どうしたら良いかと聞かれてルイーズ吉田は戸惑います。

竹子が私の人生は息子の健太郎次第と語っていた場面は印象的でした。
言葉が重く聞こえましたが、同時に母親として息子を第一に考えているのが分かり、立派だと思いました。

ルイーズ吉田が通彦のしようとしている「大きな決断」について占うと、決断しても成功しそうだという結果が出ていました。
しかしルイーズ吉田はその占い結果がしっくり来ず違和感を持っていましたが、やがてどうしてそう感じたかの理由が分かります。
占いの結果が絶対ではないことが示されていたのが興味深く、自身の予感を信じた方が良い場合もあるのだと思います。


この作品には食べ物を食べている場面が何度も登場したのが印象的です。
占い師も私達一般の人間と同じで、決して超人的な存在ではないのを暗示しているように見えました。
そしてルイーズ吉田の「背中を押す」という考えは相手と対等な立場に立っている気がして好感が持てました。
もしルイーズ吉田のような人がいれば、占いをして貰うのも良いかも知れないと思いました


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「そして、バトンは渡された」瀬尾まいこ

2019-08-24 20:53:25 | 小説


今回ご紹介するのは「そして、バトンは渡された」(著:瀬尾まいこ)です。

-----内容-----
血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。
だが、彼女はいつも愛されていた。
身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。
2019年第16回本屋大賞受賞作。

-----感想-----
主人公の森宮優子の高校二年生最後の進路面談で物語が始まります。
これまでの人生で何度も家族が変わった優子は昔から「何でも話すように」と先生達に言われてきましたが、家庭のことで特に悩んではいないです。
平凡に生活していることに引け目を感じなくてはいけないなんて、それこそ不幸だ。とあったのは印象的でした。
「優子は不幸な境遇なのだから本人も不幸だと思っているに違いない」と思われていることに違和感があるようです。
優子は近場で栄養士の資格が取れる園田短期大学への進学を考えています。

優子は今の父を「森宮さん」と呼んでいて、二人で暮らしています。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。とありこれには驚きました。
森宮壮介は37歳で、優子の母親の一人のことを「梨花」と呼んでいる場面があり知り合いなのかも知れないと思いました。

高校三年生の始業式を迎えます。
物語は第1章と第2章があり、第1章では高校三年生の一年間を描く中で次第に今までの親のことが分かっていきます。
優子には田所萌絵と佐伯史奈という友達がいます。
優子は今まで家庭環境が変わるたびにそれぞれの家で違うタイプの朝食を食べてきたとあったのが興味深かったです。
整った和食の朝ご飯の時もあればパンだけで済ませていた時もあり、やはり家によって朝食をどうするかは大きく違います。
これまでに保護者が替わったのはいつも春で、春が来るたび私は落ち着かなくなるという言葉がありました。
冒頭で悩み事はないと言っていた優子ですがやはり家族が変わる影響はあるのだと思います。
優子は母親が一度、父親が二度替わっていて、物語が進むにつれてどう替わっていったかが明らかになります。
血のつながった母親とは生まれてから最初の3年間過ごしましたがどんな人か記憶はないです。

小学校に入学する時の話になります。
優子は二年生の時に母親がトラックに轢かれて亡くなったことを知ります。

森宮との話に戻ります。
優子の二番目の母親である梨花が「すごく賢い同級生がいる。優子ちゃんの父親にピッタリだ」と森宮を連れてきたことが明らかになります。
森宮の言動はどこかずれていて面白いです。
また小学校高学年の頃から優子は告白されることが多く、お洒落な梨花の影響とありました。

梨花が最初に現れたのは優子が小学二年生の夏休みの時で、実の母親以外の四人の親にはつながりがあることも明らかになっていきます。
優子の前に現れた梨花は優子の父を「しゅうちゃん」と呼び、しゅうちゃんは優子の実の父親で水戸秀平と言います。
梨花は27歳で秀平より8歳年下です。
小学三年生になると梨花が母親になります。
梨花から「楽しいときは思いっきり、しんどいときもそれなりに笑っておかなきゃ」と笑うことの大事さを教わった時の優子の心境は印象的でした。
きっと、こんなふうに楽しいことだけの毎日なんて続かない。笑っていないとだめなことが、いつかやってくる。どこかでそんな予感がしていた。
この後に波乱があることが予感されました。

優子が歴代で一番長く一緒に居たのは梨花です。
高校三年生の今は梨花がいなくなって二年になり、現在の高校三年生の話と過去の親達の話が交互に進んでいきます。

5月最終週の球技大会の実行委員を決めるホームルームで、優子は浜坂という優子のことが好きな男子に誘われて一緒に実行委員になります。
6月の球技大会の後、優子はグランドで一人でトンボを引く浜坂を見て、他の子達がトンボ引きをさぼろうとしている中でグランドに戻ります。
心の優しさがあるなと思いました。

梅雨に入り、萌絵が浜坂を好きになったから優子に浜坂との仲を取り持ってほしいと言います。
浜坂を呼び出して話をしようとした優子ですが、優子のことを好きだと言う浜坂に他の女子と付き合うのを勧めるのは忍びないという考えから萌絵のことは言わずに終わります。
すると萌絵が激怒します。
ただし萌絵は自身では告白できず優子に言わせようとしていたので、優子に怒りをぶつけるのはおかしいと思いました。

恐ろしいことに優子は翌日からクラスの大多数の女子に無視されます。
しかし優子は一番優先すべきものは友達ではないと考えていて意外と冷静です。
これは友達を優先するあまり自身を見失いかねないという点では正しい気もしますが、優子のように迷いなくそう考えられるのは凄いと思います。

小学五年生になる直前の春休みの話で、五年生からは英語の授業があるとありました。
私の小学生時代に英語の授業はなくて、昔と今の教育で変わったところだと思います。
秀平が優子に、梨花と別れてブラジルに行くからどちらと暮らすか選んでと言い、悩みながら優子は日本で梨花と暮らすことを選びます。
のちの優子は今の暮らしに不満はないとしながらも次のように胸中で語っていました。
友達は、またできる。だけど、私と血のつながった、赤ん坊だった私を抱いてくれた父親を手に入れることは、二度とできない。
「一番優先すべきものは友達ではない」という今の優子の考えにつながっていると思います。

高校三年生の二学期の始業式の日、萌絵は既に怒りが収まっていますが同じクラスの矢橋と墨田という意地の悪い女子が優子に嫌がらせをしてきて萌絵は気まずそうにします。
担任の向井先生が心配して大丈夫か聞いてきますが、優子は困ってはおらず「集団で生活していればこういうこともあると、どこか客観的に考えてもいる。」と胸中で語っていてそれも凄いなと思いました。
何度も家族が変わるのを経験した優子ならではの落ち着きだと思います。
矢橋と墨田が優子が血のつながっていない若い父親と二人で暮らしていることを揶揄しますが、優子は何度も家族が変わった自身の生い立ちを平然と話し、二人は面食らいます。
そして優子の強さに教室が驚きます。

小学五年生の時の梨花との暮らしの回想になり、梨花が優子のお洒落にお金をたくさん使うことで金欠気味になっていました。
秋の終わり、優子が「もう夕焼けだ。まだ五時を過ぎたばかりなのに」と言う場面があり、季節による日の長さの移り変わりに注目していて優子は小学五年生にしてかなり良い感性を持っていると思いました。

高校三年生の話に戻り、優子の強さを見た人達が話しかけてきたり、萌絵も話しかけてきたりして少しずつクラスの雰囲気が変わります。
優子が一番優先すべきものについての考えを語った場面は印象的でした。
優先順位の一位は友達じゃない。何が一番かわからないのなら、正しいことを優先すればいい。だけど、何が正しいかを決められるほど、私は立派ではない。
これを見て優子は既に大人の域と思うようなかなりしっかりした考えを持っていると思いました。

10月になり、11月20日に行われる合唱祭に向けて優子がクラスのピアノの伴奏に選ばれ、優子がいる二組は「ひとつの朝」という曲を歌うことになります。
合唱祭に向けた各組合同の伴奏練習で五組の早瀬という男子が「大地讃頌」を弾いた時、凄い上手さで優子は驚きます。
通っていた音楽教室で途中で先生より上手くなり、現在は電車で一時間かけて別の音楽教室に通っているとありました。

小学六年生になり、優子はピアノを習いたいと梨花に言います。
そして小学校の卒業式の日、梨花が卒業祝いにピアノをプレゼントすると言いますが、家とピアノと新しい父親を手に入れたとも言い優子を驚かせます。
梨花は泉ヶ原茂雄という大きな家に住みピアノを持つ男と籍を入れていて、この行動には驚くとともに梨花らしいと思いました。
この時泉ヶ原は49歳、梨花は32歳でした。

会ったこともない人が父親になることに納得がいかない優子は次のように思います。
だけど、私はまだ子どもなのだ。お父さんと日本で暮らすことがかなわなかったように、ただ受け入れるしかない。親が決めたことに従うしかない。子どもというのはそういうものなのだ。それを思い知った気がした。
自身が子どもであることをよく分かっている優子は内面がしっかりしていて偉いと思います。

9月になると梨花が退屈すぎて死にそうと言います。
吉見さんというお手伝いさんがいて何もしなくて良い生活は楽ですが梨花には息苦しくて苦痛でした。
やがて梨花がいなくなります。
不安になる優子にとって、ピアノを弾くことが心を平穏でいさせてくれる唯一のものでした。

高校三年生の話に戻り、早瀬が優子のピアノを好きと言い、優子はどきどきした気持ちになります。
早瀬に恋心を抱いているのが分かりました。

ある日の夕飯で優子がふとグランドピアノが欲しいなと言ったのがきっかけで、優子と森宮がぎくしゃくします。
俺の稼ぎが良かったら三つでも四つでも買ってあげられるのにと言う森宮に気を遣い、優子は今持っている電子ピアノで十分だと言いますが、森宮はどうしてそんなに遠慮するんだと言い不機嫌になります。
普段は気にしないようにしていても、そんな時優子は森宮と血のつながった親子でないことを意識してしまうようです。

早瀬が優子のピアノが乱れていると言い、二人で話します。
優子が父親ともめていることを言うと早瀬は親ともめるなんて日常茶飯事だろうと驚きながら言います。
担任の向井先生にも様子がおかしいのを見抜かれて呼び出され、父親ともめていることを言うと「森宮さん、いつもどこか一歩引いているところがあるけど、何かを真剣に考えたり、誰かと真剣に付き合ったりしたら、ごたごたするのはつきものよ」と言われます。
生きていく上で、何かと真剣に向き合う時は何もかも上手くいくなどということはないという考えはそのとおりだと思います。

森宮がピアノと防音設備のしっかりしているマンションを買うと言い優子を驚かせます。
引っ越しをしなければいけなくなるため優子がピアノの代わりにコートを買ってと言いますが、森宮は「ピアノは健全な感じがするけど、コートをねだられるのは何か違う気がする」と言い断ります。
優子はふくれ森宮は勝ち誇り、やっと気まずさがなくなります。
また森宮は「父親なら娘が合唱祭で歌う曲くらい歌えて当然」というずれた考えのもと、「ひとつの朝」の練習をしていました。
何と優子も森宮が高校三年生の合唱祭で歌った歌を問い合わせて練習していました。
中島みゆきの「糸」という曲で、演奏会で聴いたことがあるので印象的でした。

優子は脇田という同級生と付き合い始めます。
合唱祭の日、優子は早瀬に音楽大学二年生の彼女がいることを知りショックを受け、その二日後に脇田に告白され寂しい気持ちを紛らわすかのように付き合い始めます。

梨花は森宮とも結婚していました。
また泉ヶ原の家を出て行って一年以上経っても優子の様子を見に訪れていて、泉ヶ原もお手伝いの吉見さんも特に文句も言わずみんな変わっているなと思いました。
また梨花はそれだけ優子のことが気になっているのだと思いました。

中学三年生の三学期になってすぐ、梨花が中学の同級生の森宮と結婚すると言います。
梨花が森宮と結婚するから優子を引き取りたいと言うと泉ヶ原が分かったと言い優子は驚きます。
泉ヶ原と優子は三年一緒に暮らし、泉ヶ原は梨花よりも良い親だと言い切る自信がないと言っていました。
この作品の冒頭で優子は悩んでいないように見えましたが、物語が進んでいくと親が変わる時に悩んでいるのがよく分かります。

高校三年生の三学期になります。
脇田と行ったショッピングモールで早瀬がピアノを弾いているのを見かけます。
優子は脇田よりも早瀬と話す時のほうが嬉しそうで、本当の気持ちは早瀬のことが好きなのがよく分かります。

梨花が連れてきた森宮と三人での一緒の暮らしが始まる場面で、優子が次のように胸中で語る場面がありました。
みんないい人なのはわかっている。けれど、恨みや怒りが沸いてしまいそうになることもあった。別れた人がたくさんいるのだ。懐かしさや恋しさは簡単に募った。
やはり恨みや怒りが沸くことがあるのだと思います。
それでもその思いと向き合い、今日のように立派に育った優子は偉いです。

優子は園田短期大学に合格し、やがて卒業式を迎えます。
回想で、三人で暮らし始めてから梨花が出て行ったとありました。
今までの梨花なら出て行っても優子には会いに来ていたのが今回はそれもなく、しばらくすると森宮に離婚届が送られてきます。
結婚相手が連れてきた子供を押し付けられることになる森宮を気の毒に思う優子ですが、森宮は離婚届を出せば結婚相手の子どもではなく正真正銘の優子の父親になれるとウキウキしていました。
そして優子は森宮を誰よりも大事な父親と思うようになります。


第2章で優子は22歳になり早瀬賢人と結婚することになり、二人で森宮に挨拶に行きます。
脇田と付き合ってはいましたが結婚相手が早瀬なのが嬉しかったです。
しかし二人が挨拶すると森宮が猛反対します。
森宮は早瀬を「風来坊」と呼び、早瀬がピザの修行をしたいとイタリアに行ったり、通っていた音楽大学を中退してハンバーグの修行をしたいとアメリカに行ったりと飛び回っているのが気に入らないです。

優子は園田短期大学を卒業後、山本食堂という高齢者用の宅配弁当も行う小さな家庭料理の店に就職しました。
就職して8ヶ月経った冬のある日の夜、早瀬がやって来ます。
早瀬はつい最近イタリアから帰国したばかりで、再会した二人は付き合うことになります。
翌年の秋、早瀬が今度はハンバーグを学びにあと5ヶ月で卒業の音楽大学を中退してアメリカに行きます。
森宮はこういった、音楽、ピザ、ハンバーグとフラフラしていて一貫性がないところが気に入らないのだと思います。
三ヶ月後、アメリカから帰国した早瀬はファミリーレストランを作ると言い、優子に結婚してくれと言います。

その後、フランス料理屋で働き始めた早瀬がアルバイトから正社員になります。そして挨拶に行ったら森宮の猛反対に遭いました。
優子は森宮を後回しにして歴代の他の親から説得することにします。
森宮が優子に、森宮は紅白で言えば北島三郎や石川さゆりのようなトリだとおだてられてその気になっているのが面白かったです。

泉ヶ原は結婚を喜んでくれます。
泉ヶ原の家で早瀬はアンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」という曲を弾いていて、どんな曲なのか気になりました。
そして泉ヶ原は梨花の場所を知っていました。
梨花と再会するとなぜ森宮と離婚してから一度も姿を現さなかったのかが明らかになります。
思えば梨花は優子の歴代の父親全員と一緒に暮らしたことがあり、見方によって次々と再婚して優子を振り回したとも見え、血のつながりのない優子を大事にしてくれたとも見えます。
梨花はある事情によって森宮を自身の後継者にしていました。
そして梨花は最初に一緒に暮らした相手、水戸秀平の居場所を知っていました。

梨花と会った後、優子は早瀬が「羊は安らかに草を食み」という曲を弾いているのを聴き、これもどんな曲か気になりました。
早瀬の圧倒的才能のピアノを聴いた優子は、ハンバーグやピザを焼いている場合ではないと言い、やはりピアノを弾くべきだと言います。

6月、優子達は結婚式場を見て回ります。
しかしまだ森宮の説得が残っています。
当初優子は他の親に賛成してもらえば森宮の反対を押し切れると考えましたが、やはり森宮が心から「いいよ」と言ってくれなければ意味はないと考えるようになります。
早瀬も同じことを考えていて、森宮に「僕は自分の父のことは親父と呼んでいます。だから僕が、お父さんと呼ぶのは、その筋合いがあるのは、お父さんだけです」と言っていたのが印象的でした。


優子の高校生の時点で父親が三人、母親が二人いて家族の形態が何回も変わった人生はかなり特異なものだと思います。
人生が嫌になり性格が歪まなかったのが幸いで、何度も変わりはしたものの親には恵まれたと思います。
歴代の親達がみんな優子を本当の娘のように可愛がり接したことで、優子は時に親が変わることへの怒りを抱くことはあっても誠実でさらには芯のある子へと育ちました。
特異な人生を歩んだ優子がこの先の人生は穏やかに歩めることを願います。


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