今回ご紹介するのは「七緒のために」(著:島本理生)です。
-----内容-----
転校した中学で、クラスメイトとは距離をおく多感な少女・七緒と出会った雪子。
両親の離婚危機に不安を抱える雪子は、奔放な七緒の言動に振りまわされつつ、そこに居場所を見つけていた。
恋よりも特別で濃密な友情が、人生のすべてを染めていた「あの頃」を描く、清冽な救いの物語。
他に「水の花火」収録。
-----感想-----
「七緒のために」
冒頭は七緒との思い出を思い出す形で始まり、そこから中学校時代の物語になりました。
春、桜が咲き終わって若葉が出る頃、只野雪子は東京の中学校に編入します。
編入初日の昼休み、七緒が話しかけてきます。
雪子が名前を訪ねると七緒は「私、名簿の名前で呼ばれるのが嫌いなの」と言っていて、名前に何かあるのかなと思いました。
雪子は転校前の女子校の女の子同士の付き合いが嫌でした。
女子校の女子について次のようにありました。
彼女たちは、扱いづらい綿菓子だった。乱暴に扱えば、あっという間に潰れてしまう。水に濡れれば溶けて消える。ひとたび受け入れれば、喉を焼くほどに甘く、中途半端に触れたなら、べたつく感触を肌に残す。
溶けて消えるような存在なのに喉を焼くような甘さとべたつきがあるとのことで、女の子同士の付き合いの厄介さが上手く表現されていると思います。
そして七緒にはその雰囲気がないため雪子は七緒に興味を持ちます。
雪子は七緒にせがまれて美術部に入部します。
美術部の顧問は塩谷先生という女性教師で、雰囲気が妖しいことから七緒が「魔女」とあだ名をつけます。
7月になります。
七緒は夏になってもカーディガンを羽織っていて、雪子がなぜ真夏でも上着を着ているのかと聞くと、「撮影のときに困るから」と言っていました。
雑誌の読者モデルをやっていると聞いて雪子は驚きます。
七緒は原宿を歩いている時に読者モデルにスカウトされたとのことで、七緒の口ぶりにはスカウトされるのが当然という雰囲気があり、そのことに雪子は苛立ちます。
七緒は美術部の今井先輩に気があり、マドレーヌを焼いてプレゼントします。
その時、魔女こと塩谷先生が美術室にやってきます。
塩谷先生はマドレーヌに目を留め、「美味しそうね。手作り?」と聞きます。
七緒が慌てながら「もうないんです」と言うと、今井先輩が「じゃあ、俺の分はいいから」とマドレーヌを塩谷先生にあげようとします。
その時に塩谷先生が
「女の子からもらったものを横流ししたらだめよ。合田さんは、今度みんなの分も作ってきてね」と言っていました。
「女の子からもらったものを横流ししたらだめよ」という言葉がとても印象的でした。
自身のあげたプレゼントを目の前で他の人に横流しされたら「そのくらいにしか思われていない」ということなので悲しくなると思います。
ショックを受けた七緒に雪子は「魔女、けっこういい奴だね」と言い、七緒は「魔女から王女に昇格させようか」と言っていました。
新しい学校生活にすっかり慣れた頃、雪子はクラスメイトたちが七緒にあからさまに距離を置いていることに気づきます。
夏休みが明けると七緒は休んだり午後になってから登校することが増え、雪子が聞くと、石田さんという人が経営しているライブハウスに泊まっていたとか、原君という大学生の研究室で論文をまとめる手伝いをしていたなどと言っていました。
雪子は七緒がどんどんかけ離れた存在になっていくように感じます。
ホームルームで文化祭の役割分担を決める時、黒板に装飾の絵を描く係に雪子が手を挙げ、学校を休んでいる七緒も一緒にと頼むと、黒板には「黒板の絵係 羊飼いとその友達」と書かれ、クラス中から笑い声が巻き起こりました。
羊飼いの話は嘘ばかりついていたため誰からも発言を信じてもらえなくなるというもので、七緒の発言は既にクラス中からそのように見られていました。
聞こえよがしに「清々しいー。あのうざい喋りが聞こえなくて」と言っている人もいました。
そして七緒と一緒にいる雪子も蔑みの対象になっていて、学校での日々が危うくなります。
文化祭で展示する絵を描きに美術部で大きな公園に行った時、塩谷先生が『「今が一番良い日差しよ。早く行きなさい」と広く浅く呟いた』とありました。
広く浅く呟いたという表現は初めて見ました。
誰にともなく全体に向かって言ったという意味で、面白い表現だと思います。
七緒の言葉について雪子が胸中で語っていました。
たしかに七緒は話の筋が時々通ってないし、いちいちわざとらしいし、相手の心を引っ掻くようなことばかり言うけれど、少なくともその言動は、目を閉じた後も真夏の日差しのように焼き付いて、強い影を残す。
七緒の言動はイラつくとともに心の中で大きな存在となっているようです。
これは雪子が七緒のことを友達と思っているからだと思います。
クラスメイトたちは七緒の言動を蔑んで馬鹿にできさえすれば良いので、そこまで心の中で大きな存在にはなっていないと思います。
七緒の行動は本当に突拍子もなく、雪子が七緒と喧嘩している時も喧嘩しているのを忘れるほどです。
中学校には夏休み明けから来栖先生というスクールカウンセラーが来ています。
雪子は七緒のことを来栖先生に相談します。
ある日、塩谷先生の身に衝撃的なことが起こります。
そのことについて七緒が「べつに、可哀想なんかじゃない」「可哀想とか馬鹿みたい」と問題発言をし、非難の集中砲火を浴びることになります。
下駄箱に罵詈雑言を綴った紙くずを大量に入れられたりしていました。
雪子は
「たしかに七緒の言ったことは非常識だ。けどこの子たちに非難される筋合いは一ミリもない。」と胸中で語っていて、これはたしかにそのとおりだと思いました。
「自分達が七緒の下駄箱に罵詈雑言を綴った紙くずを入れたりするのは良いが、七緒が問題発言をするのは許さない」ではダブルスタンダードです。
七緒にそのような嫌がらせをした時点で七緒のことを非難する資格はなくなっています。
冬になりクラスで四日間のスキー旅行に行きます。
七緒も雪子も夜に無断でホテルを抜け出して二人で雪景色の中で話をした時、雪子が七緒に「なんで嘘つくの」と詰め寄ります。
七緒の母親も七緒のことを信じていなくて、雪子は「嘘ばかりつかれるから信じなくなったんだよ。私も、もう限界だよ」と言っていました。
七緒は嘘ばかりつきますが鋭いところもあり、雪子の七緒に対する思いが「うんざり」だけではなく「友達でいたい」もあることを見抜いています。
二人の言い争いはやがて事件になります。
雪子の
「私はもう七緒に疲れ切っていた。」という胸中での吐露が印象的で、うんざりさと虚しさが混ざった雰囲気がありました。
七緒が嘘をつき続けることについて雪子と来栖先生が話し合います。
その中で来栖先生の次の言葉は印象的でした。
「もし彼女から嘘を奪ったとしたら、そこにある世界は果たして生きるに値する魅力的なものなのだろうか」
これはカウンセラーならではの考え方だと思います。
七緒にとって嘘は生きる糧であり、嘘の中で生きているということです。
そのような状況を前に、七緒のことは理解しようとして理解できるものではないのだと思います。
正面から理解しようとした雪子はとても疲れてしまいました。
それでも雪子は雪子で七緒のことをクラスでただ一人の友達として必要としていて、そこが学校生活の大変なところだと思います。
「水の花火」
草野君と「わたし」が話しているところから物語が始まります。
草野君とは高校最後の春の体育祭後、打ち上げの居酒屋でたまたま草野君が隣の席に座ったことで話すようになったとありました。
打ち上げの居酒屋という言葉を見ておや?と思いました。
そうしたらすぐに「居酒屋での打ち上げと飲酒が学年主任に見つかってしまいクラス全員が翌日から一週間の停学処分になった」とあり、やはりと思いました。
草野君は猫を飼っていて子猫も三匹生んでいて、そのうちの一匹を「わたし」がもらうことになります。
草野君の本名は草野睦生(むつお)と言い、「わたし」は川本珠紀(たまき)という人を通じて草野君のことを知ります。
「川本珠紀はわたしが誰よりも好きだった友人だった」とあり、既に友人ではなくなっていることが分かり気になりました。
珠紀とは中学校二年のときに出会い高校も同じで、二人とも一年生の時だけ草野君と同じクラスになります。
珠紀は草野君のことが好きで同じクラスの時はよく草野君のことを見ていて、「わたし」にもそのことを話していました。
そんな珠紀を通して「わたし」も草野君のことを見るようになりました。
珠紀は一年後にいなくなってしまうとあり、やはり何か起きるのだなと思いました。
そして珠紀の身に恐ろしいことが起きます。
「七緒のために」でも魔女こと塩谷先生の身に恐ろしいことが起き、島本理生さんの作品では女性が恐ろしい目に遭うことがよくあります。
事件の後、珠紀はひっそりと転校していきます。
珠紀がずっと見ていた草野君と「わたし」は今話をするようになっています。
両親が共働きで帰ってくるのが遅い草野君の家に行ってご飯まで作ってあげています。
付き合ってはいないのですが見た目上は付き合っているように見えます。
珠紀がいなくなってからは、「わたし」は自分を外側とをつなげるものが何も無くなってしまったように感じていました。
そんな空虚さが草野君と話すことによって埋まっているように見えます。
夏休みに入ってからも「わたし」はほとんどの時間を草野くんの家で過ごします。
草野くんはトランペットをやっていて大学では音楽をやりたいとのことです。
ライブハウスで友達のバンドのライブに出演することになり、「わたし」はそのライブを見に行きます。
はたから見ると彼氏の応援に行く彼女のようにも見えます。
しかし二人の間には珠紀という大きな存在があり、珠紀のことを思い出しながら物語は進んで行きます。
草野君が「わたし」に
「珠紀がオレのことを好きじゃなくても、今、ここにオレと一緒にいた?」と聞く場面があります。
「わたし」は草野君に想いを寄せる珠紀を通して草野君のことを知ったので、もし珠紀が草野君に興味を持たなければ「わたし」が草野君と親しくなったかは分からないです。
一方の「わたし」は
「ごめんね。珠紀じゃなくて」と言う場面があります。
本当は草野君と一緒にいるのは珠紀のはずだったということに引け目を感じているように見えます。
また、草野君が「わたし」を通して珠紀の面影を感じているように見えているのかも知れないです。
珠紀は「わたし」に引っ越すことを告げた時、泣き出しそうな「わたし」に元気を出すように言って笑ってくれていました。
最後を笑って締めくくったところに珠紀の良さを感じました。
おかげで「わたし」は珠紀との最後の場面を思い出す時に笑顔を思い出すことができます。
「わたし」と草野君もいずれは珠紀とのことをそれぞれ気持ちに整理をつけることができるのではと思います。
何より珠紀が、二人が珠紀のことにとらわれて立ち往生することを望んでいるとは思えず、いつか記憶の中の珠紀が二人にそのことを気づかせてくれるのではと思います。
記憶の中の珠紀を大事にしながらも、「わたし」は草野君を、草野君は「わたし」を、正面から見るようになっていってほしいです。
あとがきを見ると「水の花火」は島本理生さんが高校生で作家デビューした直後、初めて作家として文芸誌に書いた小説とありました。
そこから10年後に書いたのが「七緒のために」です。
両方読んでみて、島本理生さんの文章の静かに流れていくような雰囲気は変わっていないと思いました。
これは島本理生さんの良いところだと思うので、これからもこの良さを大事にしながら新たな作品を書いていってほしいと思います。
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