読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「大きな熊が来る前に、おやすみ。」島本理生

2018-03-31 21:12:19 | 小説


今回ご紹介するのは「大きな熊が来る前に、おやすみ。」(著:島本理生)です。

-----内容-----
私と彼の中にある、確かなもので、悲しみを越えて行こうー
新しい恋を始めた3人の女性を主人公に、人を好きになること、誰かと暮らすことの、危うさと幸福感を、みずみずしく描き上げる感動の小説集。
切なくて、とても真剣な恋愛小説。

-----感想-----
島本理生さんはこれまでに四度芥川賞の候補になっています。
「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」「夏の裁断」は読んでいて、今回残る一つの「大きな熊が来る前に、おやすみ。」を読んでみました。

「大きな熊が来る前に、おやすみ。」
語り手は短大卒業後に保育士をしている珠実(たまみ)です。
珠実は会社員の徹平と暮らし始めてもうすぐ半年になります。

珠実は子供の頃から眠りが浅く、父からは「早く寝ないと、大きな熊が食べに来る」と言われていました。
父の母(珠実の祖母)が北海道の田舎で育ち、そこは頻繁に熊が出て人が死んだりもしていたため、悪い子供は熊が来て食べられると脅されたとのことで、父はその話を父の母から聞いていました。
そして珠実は徹平の雰囲気に父を重ねています。

短大時代の先輩の吉永という女性と会って徹平とのことを話していた時、胸中で「徹平のことは好きだが、エネルギーのある愛情ではなく、自分から真っ暗な深い穴に潜っていくような気持ちで毎日を過ごしている」と語っていました。
毎日不安を感じながら過ごしているのだなと思いました。
また次のようにも語っていました。
彼と私は基本的に考え方や性格がすべて微妙に二十度ぐらいずれていて、だから日常会話の細かいところで突っかかることも多く、石だらけの舗装されていない道を歩いているみたいで、二人でいることはまるで我慢比べのようだとたまに思う。
二十度ぐらいというのが印象的で、これがまるで正反対な性格ならお互いを珍しがって上手くいくか、きっぱり別れるかになると思います。
しかし二十度ぐらいのずれは不快だったとしても我慢できなくはないため、毎日のように考えのずれを感じながら我慢して過ごしているのだと思います。

珠実は徹平と初めて会った日に考えの違いが原因で暴力を振るわれました。
それ以降暴力はないですが、珠実は突然暴力を振るった徹平のことをずっと考えています。
島本理生さんの作品では女性が暴力を受けることがよくあり、こだわりがあるのだと思います。

珠実は母からの電話に出た時、「お父さんは元気?」と言います。
しかし父は既に亡くなっていて、何と父が亡くなってからも母から電話が来ると毎回これを聞いています。
珠実は子供の頃父に暴力を振るわれていて、母がそのことを知っていて知らないふりをしていたのではと思っています。
なので本人は「父が入院していた時、母に電話で父のことを訊いていたからクセになっている」と言っていますが、母を戸惑わせたい思いがあるのかも知れないです。
しかし「父を否定する自分にとって、母を信頼することは命綱のようなものだ。それを失いたくない私は、母に対する疑問を圧し殺す。」と語っていて、母まで否定したくはないため「知らないふりをしていたのか」とは聞けずにいるようです。

珠実が「せっかくの休みだし、公園でも行こうか」と言うと徹平は「行ってどうするの」と言い、これは話の腰を折る酷い言葉だと思いました。
よく「どうもしないけど、気分がのんびりするかと思って」と言ったと思います。

珠実が日常の忙しなさについて興味深いことを語っていました。
私は時々、意図的に徹平や自分の時間の速度を落とさなきゃいけないと感じる。日常の忙しなさは無意識のうちに体内の速度も上げていくので、気が付かないうちに、疲れているのだ。
これはそのとおりで、たまには気を休めたほうが良いです。

珠実が熱っぽいので病院に行くと、もう少しで妊娠三ヵ月ですと言われます。
しかし徹平が喜ばないことを確信し絶望的な気持ちになります。
家に戻り一度休もうと思い寝ると夢を見ます。
夢の中で珠実が徹平に似た雰囲気の男性に子供ができたことを言うと男性は凄く喜んでくれ、珠実はああ良かった、幸せで良かったと胸をなで下ろします。

これは珠実の願望が夢に現れています。
徹平が喜ばないことを確信し絶望していましたが、喜ぶ姿が見たいとも思っていて、その願望が叶う光景が夢に現れました。
この夢の話は臨床心理学者のジークムント・フロイト(精神分析学の創始者)やカール・グスタフ・ユング(分析心理学の創始者)の「夢分析」に登場します。
「夏の裁断」を読んだ時に島本理生さんは特にフロイトの本をたくさん読んでいるのではと思いました。

子供ができたと言うと徹平は寝室に行って鍵をかけてしまいます。
珠実はその姿に愕然として家を出て行きます。
しかしふと徹平が「珠実に会ってから子供の頃のことをよく思い出すようになった」と言っていたことを思い出します。
徹平はその記憶を思い出したくなくて蓋をしていますが、珠実は蓋を開けるようなことをよく聞きます。
そして珠実があまりにまっすぐに徹平を見て語りかけてくるため、今からでも記憶と向き合わないといけない気になると語っていました。

珠実が思い直して家に帰ると、徹平も子供が好きなことが分かります。
しかし小さい時に知的障害者の弟が肺炎で亡くなり、徹平は弟を力で押さえつけて冷たく接していたため、そんな自分が子供を好きになって良いのかと苦悩していました。
徹平の本当の気持ちが分かり、生まれてくる子供を大事にしてくれる予感がして良かったです。


「クロコダイルの午睡」
語り手は霧島という大学の電子工学科の女性で、霧島のアパートに男友達が集まって後期試験の打ち上げを行います。
そこに都築新(つづきあらた)も来ることになり霧島は不機嫌になります。

男友達が集まると都築は「ユニットバスが狭い。もっと良い部屋を借りたほうが良いのでは」と言い霧島を不機嫌にさせます。
都築の家はお金持ちで、節約の感覚がないようです。

部屋での打ち上げの翌日、ずっと寝ていた都築はお昼頃みんなが帰ってからやっと起きます。
霧島に作ってもらった親子丼を食べながら、都築は部屋がぼろい、服装が適当だなどと失礼なことを言います。
そして霧島の料理が美味いからまた食べに来ても言いかと言います。

内向的で生真面目な子供だった霧島は小学校時代、クラスに女の子の友達はほとんどいませんでしたが、近所の男の子とはたまに遊んでいました。
両親の不仲で霧島はどことなく暗い雰囲気を持つ子になっていました。
夏に近所の男の子と遊んでいた時の夏の雰囲気の描写がとても良かったです。
近付いてはまた遠ざかっていくような蝉の声。雑草が揺れるたび、光が一方からもう一方へ水のように流れていく庭。
これを見て蝉の鳴き声が幾重にも折り重なり、ある蝉が鳴き終わると一瞬全体の鳴き声が遠ざかったように感じ、別の蝉が鳴き始めるとまた全体の鳴き声が近付くように感じるのが思い浮かびました。

都築が頻繁に夕飯を食べに来るようになります。
どうして頻繁に来るのかと聞くと「一人で家にいても暇なんだもん」と悪びれもせずに言います。
都築には恋人がいて、恋人がいるのに霧島のところに来るのはいかがなものかと思いました。

都築は昔家族で伊豆のワニ園に行きワニを見て、ワニが好きになりました。
そして自身のことをワニに似ていると言う人がいれば惚れると言います。

都築が自身の彼女、打ち上げの時にも居た櫻井、霧島の四人で原宿でご飯を食べようと言います。
いつも黒いセーターを着ていて服が適当と言われたのが気になっていた霧島は、待ち合わせ時間よりも早めに原宿に行き新しい服を買います。
しかし多少派手にはなったものの今回も黒色のニットで、都築にまた似たような服を着ていると言われ、かつての恋人にも同じようなことを言われていたのを思い出します。
中でも軽蔑しながら言った「本当に君は化石みたいな子だね」は印象的で、当時の恋人の言葉は霧島の心に重い傷を残したのではと思います。

四人でご飯を食べている時、霧島は都築の彼女の山本遥の爪が長く伸び綺麗にマニキュアが塗られているのが目に留まります。
霧島はこういった爪が嫌いで料理に支障があり非実用的と考えています。
遥が親のことを「同窓会で遅くなって終電を乗り過ごしたら、カラオケボックスまで迎えに来たんだよ。本当に、ウザい」と言うと霧島は次のように思います。
私は、この子のことが嫌いだ。それも彼女だけが嫌いなんじゃなく、彼女に代表されるような、苦労もせずに与えられた平和の中で平気で文句を言える、そういう育ちの子たち、すべてが憎いのだ。
遥は親が心配して迎えに来てくれるのがどれだけありがたいことか分かっていないのだと思います。
そして霧島は両親の不仲で高校生の時から一人暮らしをしているため、ありがたいことを理解できずに文句を言う遥のような人が嫌いなのだと思います。

櫻井が霧島に、都築が彼女がいるのに霧島の部屋にご飯を食べに行くのはおかしいと言います。
これがまともな感覚だと思いました。

霧島は心の底では遥のような美しく手入れされた爪やお洒落な服を着こなすことを羨ましいと思っています。
そして都築を通して、そういった自分には決して手に入らない世界を垣間見てしまうのを怖がっていたことに気付きます。

都築が一緒に水族館に行かないかと言います。
一緒に行くことにした霧島は爪にマニキュアを塗り、さらに服を買いに出掛けます。
自転車で洋服屋に向かっている時の描写が印象的でした。
必死でペダルをこいだせいか、頬の内側が渇いてきて、夜空にくっきりと浮かんだ三日月は切り絵のようだった。
最後に「夜空にくっきりと浮かんだ三日月は切り絵のようだった。」とあるのが純文学の作家さんだなと思いました
これは必死でペダルをこいでいて夜空を見ると月だけに目が行き、浮かび上がって切り絵のように見えたのだと思います。
霧島はホットカーラーを買って髪の毛も巻きます。
明らかに自身を美しく見せようとしていて、都築のことが好きになってきたのではと思いました。

水族館の中のレストランでお昼ご飯を食べている時、都築が「自分は相手のことを思いやるのが苦手だから、気付かずに無神経なことを言っていたらごめん」と言います。
単に無神経なだけの人ではないのだと思いました。

水族館の帰り、霧島は都築にご飯を作ってあげることにします。
しかし「無神経なことを言っていたらごめん」と言っていた霧島がまたしても無神経なことを言い、今度は霧島の怒りが限界になります。
まさかあんな恐ろしい展開になるとは思わなかったので驚きました。
無神経過ぎる発言は時として命に関わるのだと思いました。


「猫と君のとなり」
語り手は大学四年生の志麻(しま)です。
中学校のバスケ部の顧問だった先生が亡くなり、通夜で後輩の荻原(おぎわら)と再会します。
二人は別々の大学で、荻原は獣医学部の三年生です。
志麻は就職が決まっていて、荻原は獣医になろうとしています。

通夜の後に元部員達は居酒屋に行き、そこで荻原が酔い潰れたので志麻が助けて部屋に連れてきます。
志麻はバスケ部時代の荻原を気の弱い子と見ていましたが、翌朝目を覚ました今の荻原はとても明るく話します。
そして荻原は昨日志麻に好きだと告白していました。

志麻が外を歩いた時の景色の描写が良かったです。
見慣れた街は雨で視界が霞んで、雨に濡れた桜の枝の先から花びらが落ちて、ちぎり絵のように歩道に張り付いていた。
「ちぎり絵のように」がまさにそのとおりで、雨で桜の花びらが散るとそんな雰囲気になります。

志麻は大学の一年先輩の春野という女性に荻原のことを相談します。
話の中で昨年の志麻は身の危険を感じていたとあり、何があったのか気になりました。

荻原は明るく朗らかに話しますが朗らかに失礼なことも言います。
そして頻繁に連絡してくるようになります。

荻原が志麻の夢を見たと言います。
「今朝、ひさしぶりに部活の夢を見ましたよ。僕がシュート外して叱られてると、大人になった志麻先輩が、なぜかおしるこを作ってもってきてくれました」
これを聞いた志麻は「分かりやすいにも程がある。フロイトもがっかりだ。」と語っていました。
この言葉を見てやはり島本理生さんはフロイトの本と縁が深いのだと思いました。

荻原はバスケ部時代に志麻が仔猫を助けたのを見て好きになり、さらに実家の動物病院を継ごうと思いました。
また志麻が前に付き合っていた人は猫が嫌いで、ある日志麻が帰宅すると飼い猫のまだらが虐待されていました。
さらに志麻にも暴力を振るい、志麻はまだらを連れて友達の家に逃げます。
このことがあったため荻原にはまだらを愛してあげてほしいと思っています。
「猫と君のとなり」は現在の彼氏から暴力を振るわれたり、怒りで恐ろしい展開になることはなく、穏やかな物語でした。


三つの作品には語り手の女性が暴力か暴言を受ける、現在の彼氏もしくは気になっている人とのことを相談する相手がいるなどの共通点があります。
過去にあった恐ろしい出来事は忘れることができず、三人とも記憶が蘇ると胸が苦しそうでした。
心理学の夢の話が二度登場したのも印象的で、「夏の裁断」とともに島本理生さんのこだわりや培ってきたものがよく現された作品のような気がします。
そして純文学の作家さんらしくこれはという文章表現が見られたのも良かったです


※「島本理生さんと芥川賞と直木賞 激闘六番勝負」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

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作家と本とツイッター

2018-03-28 22:23:05 | ウェブ日記
私はツイッターを始めてから、ブログを書いた時はツイッターでも「ブログを更新しました」という内容のツイート(つぶやき)をしています。
何年か前から、小説の感想記事を書いた時の「ブログ更新。今回は○○の小説の感想記事です」のツイートを、その小説の作家さんや出版社のアカウントが「リツイート(ツイートを自身のツイッターに広める情報拡散のこと)」や「いいね」をすることがあります。
作家さんによってはその作家さんの小説のツイートをすると毎回必ずリツイートする人もいます。

今は昔と違って紙の本が売れない時代です。
趣味の種類が豊富になり、読書をするのは後回しになっている気がします。
特に2000年代初頭に携帯電話が広く普及してからは、室内での趣味は携帯電話に関係したものが圧倒的な地位を確立していきました。

書店も年々減少の一途を辿っています。
近年は電子書籍の登場でますます紙の本を買う人が減り、売るのが難しくなってきています。
そして書店が少なくなれば作家と出版社は本を売ってもらえる場所自体が少なくなります。
これらによって紙の本を扱う業界は衰退しています。

こうした中にあって、今までのようなやり方では本が売れないため、ツイッターに打って出るようになったのだと思います。
今はブログ、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどのSNSが広く普及し、特にツイッターは情報拡散力に優れています。

ツイッターで個人がつぶやいた本に関するツイートを作家さんや出版社がリツイートするには、その本に関するキーワード(本の題名など)を毎日のように検索してつぶやきの状況を見ている必要があります。
これはそれだけ作家さんも出版社も本を売ろうと尽力しているということです。
特に作家さんの場合は自身の本が売れなくなればすぐに収入が無くなるため、少しでも売りたい気持ちが強いのだと思います。

以前ツイッターで作家さんが「自著の宣伝をしたら「必死だな!」とからかわれましたが、食べていくためにそれは必死になりますよ」といったことを語っていて、そのとおりだと思いました。
私は必死に自身の本を売ろうとする作家さんを馬鹿にする気にはならないです。
その上で私は趣味の一つが読書なので、縁があって読んだ本の感想記事を書くことで、その本の存在の普及にわずかばかり貢献できればと思います。
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「幸福な食卓」瀬尾まいこ

2018-03-27 22:23:11 | 小説


今回ご紹介するのは「幸福な食卓」(著:瀬尾まいこ)です。

-----内容-----
どんなに落ち込んだ夜でも、朝は必ずやってくる……。
「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」
泣きたくなるのはなぜだろう?
優しすぎるストーリー。

-----感想-----
語り手は中学生の中原佐和子です。
春休み最後の日の朝の食卓で「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」という言葉で物語が始まります。
母親は家を出て行き、今は父と直という6歳上の兄と三人で暮らしています。

父は中学校の教師で社会を教えて今年で21年目になりますが、その仕事を辞めると言います。
さらに「今日からは父さんじゃなく、弘さんとでも呼んでくれたらいいよ」とも言います。
父が「いいかな?」と訊いた時の佐和子の胸中が印象的でした。
父さんはいつも私の反応を気にかける。私に多くのことをゆだねている。もうあれから五年も経つのに……。
五年前にどんなことがあったのか気になりました。

春休みが終わり二年生になった佐和子は始業式の帰りに母の家に寄ります。
母はどこか遠くに行ったのかと思いましたが歩いて行ける距離にいるのが意外でした。
父は几帳面でやや堅い話し方をしますが母は朗らかに話すのが印象的です。

直は早くも父のことを「弘さん」と言うようになり、佐和子はそんな直を「順応性抜群」と語っていました。
直は小さい頃から天才児で中学でも高校でも成績は学年1位でしたが、大学には行かないと言って家族を驚かせました。
「僕はどれだけ頭を使っても、満足しない。僕はもっと分かりやすいことをしたい」という考えで、高校卒業後は「青葉の会」という無農薬野菜を作る農業団体で働いています。

「家を出てからも、夕飯はほとんど母さんが届けてくれる。」とあり、これは珍しいと思いました。
父が嫌いになって家を出たわけではないのかなと思いました。

父が大学の薬学部に行きたいと言います。
薬剤師になって製薬会社で薬を作りたいと言い、この日から父は「浪人生」となり勉強を始めます。

梅雨が始まります。
梅雨は佐和子に五年前の出来事を思い出させるとあり、体調が悪くなりご飯も食べられなくなります。
また、直と自身の違いを次のように語っていました。
直ちゃんは自分の中でさっさと物事を片づけてしまえる能力を持っている。 だから、十日も経てばどんな強烈なことだって直ちゃんには過去の出来事になっていく。私だって、それなりに時間を費やして、ちゃんと記憶を薄れさせているはずなのに、梅雨になると一気によみがえる。
これはすぱっと気持ちを切り替えられる直に対して佐和子は引きずりやすいということで、私も引きずりやすいので佐和子の気持ちがよく分かります。
さらに佐和子の場合、起きた出来事がその当時の「梅雨」と結びつき、毎年梅雨になると記憶が溢れかえって手に負えないのだと思います。
ただし引きずりやすいのは感性が豊かということでもあり、佐和子が直の性格を羨ましく思っているように、直もまた佐和子の性格に何らかの羨ましさを感じているような気がします。

五年前の梅雨のある日、佐和子が帰宅すると父が風呂場で自殺を図り血まみれで倒れていました。
母は風呂場のドアを開けたまま座り込み「どうして」とだけつぶやき、正気ではなくなっていました。
佐和子が救急車を呼び、幸い父は助かり二日後に退院します。
当時直も家に居たのですが父が自殺を図ったことを知ると父の部屋で遺書を探して読んでいました。
死んでしまうこと自体よりもなぜ死んでしまうのかが直には引っ掛かったとあり、父が自殺を図ったのを前にそんなに淡々とできるのかと驚きました。

佐和子の次の言葉も印象的でした。
父さんが退院した後は、またみんなで朝食を食べた。母さんも父さんも何も言わなかったので、この出来事を私はどう解釈していいか掴めなかった。
「何も言わなかった」という言葉が印象的で、父は気まずさから、母は恐ろしさと日常を取り戻したいという思いから何も言わなかったのだと思います。
そして表面上は日常に戻ったように見えても、起こった出来事は強烈に記憶に残るので大変だと思います。

母は父と居ると緊張し、突然謝ったり私が救急車を呼ぶべきだったのにと泣き出したりし心の病気になります。
そして四年後、母は家を出ると言います。

佐和子は家族の食卓を次のように言います。
全員がそろう朝食。バランスと栄養の整ったメニュー。
誰も破らない決まった席順。
私たちの食卓は、きっと、私たちを守りすぎている。

これは父の自殺未遂の後、一見家族の日常を取り戻す役割を果たしてくれたはずの食卓が、実は家族を壊滅させてしまったということだと思います。
例えば思いきって気晴らしに外食に行くようにし、父が心境を吐露しやすいようにしたほうが良かったのかも知れないです。


父が教師を辞めて一年経ちます。
受験に失敗し浪人生のままで、予備校のアルバイトも始めています。
三年生になった佐和子は塾に行き始め、「西高に行ってた中原直の妹だろ?」と話しかけてきた大浦勉学と仲良くなります。

直が小林ヨシコという非常に派手な見た目の彼女を家に連れてきます。
この人は何とお土産にサラダ油の六本セットの詰め合わせを持ってきて、呆気に取られた佐和子の心境が面白かったです。
私は絶句した。これは百パーセント回し物だ。お歳暮かお中元でもらった物を流用したのだ。どこの誰が、人の家に遊びに行く時に、油の詰め合わせなんてかさばるものを持っていくのだ。
佐和子は小林ヨシコの派手な見た目も気に入らないようで「けばい」と酷評し、甘くてきつい香水をつけていることから心の中で「香水女」と呼んでいました。

母は一人暮らしを続けていて、父は自殺未遂、佐和子は梅雨に体調を崩すようになったため、「何も起こっていないのは、のんきな直ちゃんだけだ。」とありました。
ただ直の様子を見ていると何か起きているような気がしました。

ある日の塾の帰り、車で迎えに来てもらっている大浦が送っていくと言いますが佐和子は自転車で帰るからいいと断ります。
すると次の塾の日に大浦が自転車で来て、明らかに佐和子のことが好きなのが分かりました。

5月、佐和子は父と一緒に母が一度行ったことがある「誠心会」という人生を前向きに考えたい人達が集まる施設に行きます。
そこで父が「直もさ、こういうところに来ればいいかもしれないな」と言っていて、やはり直にも何かあるのだと思いました。

佐和子は塾の模試で3位になりますが、32位だった大浦に気を使い自身も同じくらいの順位と言ったのが原因で「もう絶交だからな」と言われます。
絶交で勉強が手に付かなかった佐和子は6月の模試では57位に順位が下がります。
そんな時、参考書を借りようとして直の部屋に入った佐和子は父の遺書を見つけます。
直は遺書に書かれていた「真剣ささえ捨てることができたら、困難は軽減できたのに」という言葉を見て、自身も父と同じような心境にあったため真剣さを捨てて生きることにしたと言っていました。
やはり直にも問題が起きていたのだと思いました。

次の塾では大浦の方から話しかけてきて仲直りします。
小学生や中学生くらいの子は気軽に「絶交」と言いますが、気軽に言っているだけに仲直りするのも早いです。


佐和子は高校一年生になります。
いつも飄々としていた直が長い眠りから目を覚まし、今の家族はおかしいので元に戻すために兄妹で手を結ぼうと言います。

佐和子と大浦は西高に入学し別々のクラスになります。
二人は付き合い始めています。
佐和子がくじ引きで学級委員になったと知り大浦も学級委員に立候補します。
憂鬱になっている佐和子に対して大浦は「俺、こういうの大好き」と言っていて、これはやはり性格の違いだなと思います。

直が父を親父と呼び、母をお袋と呼ぶと言います。
さらに佐和子には自身のことをお兄ちゃんと呼ぶように言います。
家族を正すのにはまずは形を整えていくのが一番手っ取り早いと言っていて、親父、お袋、そしてお兄ちゃんという呼び方のほうが親しみが持てて良いと見たのだと思います。

佐和子は担任の前田先生からたるんでいるクラスをどうすれば改善できるかを学級で話し合って生徒会に提出するように言われます。
しかし佐和子が「意見はないですか?」と言っても誰も何も言わず、時間がなくなります。
仕方ないので佐和子がありきたりな意見を言いチャイムが鳴ると、休み時間に西田という女子のグループが佐和子の悪口を言っているのが聞こえてきます。
学級の話し合いでは何も発言しないのに後で悪口だけは言うのは、一番やってはいけないことだと思います。

6月9日に近所の老人ホームとの交流会があり、各クラスから歌のプレゼントをするため練習をしますが、佐和子のクラスでは多くの人が歌おうとしないです。
佐和子はみんなが歌わないのは声を出すのが嫌で張り切って歌うことへの抵抗があるのと、自身に敵意のある人もいるからだと語っていました。
ある日佐和子が「ちゃんと歌ってください」と言うと、西田さんのグループが佐和子に聞こえるように文句を言います。
「なんか、中原さんって言うことが、いちいちさむいよねえ」
「ほんと、まじでうざい。いつも、良い子ぶってさあ」
「そうそう、お前が仕切るなって感じだよね」
お前が仕切るなとありますが、佐和子が学級委員になったのは誰も立候補しなくてくじ引きになったからでした。
学級委員にはならず、歌も歌わず文句だけは言うというのは、やはり一番やってはいけないことだと思います。

佐和子はなぜ自身のクラスだけこんな風なのかと悩みます。
直の助言を受け、朝の練習で前に行かずに何もしないでいると、「みんながやらないから拗ねてるんじゃないの」「無責任よね」と文句の声が上がります。
仕切れば文句を言い、やらなくても文句を言う。みんなはいったい私にどうしてほしいのだろうか。
みんなが歌わないため佐和子は前に行かなくなったのですが、歌っていないにも関わらず文句を言うとは驚きました。
これは「佐和子が前に行かなくなったのは歌っていないからだ」となり自身達が批判されるのを避けるため、歌っていないのを棚に上げて「毎朝学級委員が前に出て練習する決まりになっているのに、それをしないとは酷い学級委員だ」としようとしているように見えます。

悩む佐和子に大浦が佐和子は正面から挑みすぎだと言います。
クラスの人達は、自身は学級委員にはなりたくないが、なった人には適度にふざけを許容して面白おかしくみんなをまとめてほしいと身勝手に願っていると思います。
大浦から助言を貰って佐和子は吉沢というスポーツ万能で西田達のような女子にも人気のある男子を味方につけます。

家族を元に戻すと張り切っていた直が元に戻ります。
佐和子にもお兄ちゃんという呼び方はやめるように言っていて、変に張り切るよりはそのほうが無理がなくて良いと思います。

直はヨシコと別れるかも知れない状態になっていたのですが、佐和子が直の落ち込んで弱りきった姿の写真を送ると、ヨシコがサラダ油ではなく手作りのシュークリームを持って家に来てくれます。
普段の飄々として何もかも達観しているような雰囲気とは違う弱い姿を見せたことでヨシコの心が動いていて、佐和子が吉沢に弱い姿を見せて味方につけたのと似ていると思いました。
完璧さばかりが人を動かすとは限らないということだと思います。


高校二年生の11月、大浦が佐和子にクリスマスプレゼントをするためにアルバイトをすると言います。
佐和子は大浦のためにマフラーを編むことにします。

佐和子のヨシコへの呼び方が香水女、小林ヨシコ、ヨシコと変わっていて、段々ヨシコに親しんできたのが分かりました。
父の大学受験は三年連続失敗していて、今度は絶対合格したいようで予備校のアルバイトをしながら例年以上に勉強しています。

12月24日に向けて全てが順風満帆に進んでいき、やけに順風満帆だったので何か起きるかもと思ったら恐ろしいことが起きました。
佐和子はすっかり塞ぎ込んで冬休みを過ごします。

佐和子を心配した母が五年ぶりに食卓で家族と一緒に夕飯を食べます。
母は「母さん、ここへ帰ってこようかなって思うんだけど」と言いますが、佐和子は「別にいいよ。母さんが帰ってきても、どうしようもないから」と言ってしまいます。
母は佐和子のやつれた心境を慮って「そっか。そうだね」と言っていて偉いと思いました。

1月2日、佐和子を元気づけるために友達の智恵とマキコがやってきて一緒に遊んだ時の心境は印象的でした。
こんなところで、ぐだぐだしてたら友達に悪い。マキコも智恵もたぶん親友だけど、正直に不機嫌な態度をとって許されるほど、深くない。大事にしないとだめだ。
これはやつれた心境でよく冷静に見たと思います。
佐和子は気を使ってくれた友達に応えていて、その応えを見て友達も来て良かったと思ってくれたのではと思います。

お正月が明けると、父が予備校のアルバイトから正職員になります。
佐和子が「受験は?」と聞くと「まあ、そんなことはどうでもいい」と言っていて、自殺未遂から長く続いた心の重さから解き放たれたように見えて嬉しかったです。

ヨシコがやってきて佐和子を元気づけようとします。
ヨシコの言葉はかなりぶっきらぼうですがヨシコなりに言葉を紡いでいて、温かさを感じました。

佐和子は父に自殺が未遂に終わって良かったと言います。
五年経ち、ようやく言えた言葉なのだと思います。

私は大きなものをなくしてしまったけど、完全に全てを失ったわけじゃない。私の周りにはまだ大切なものがいくつかあって、ちゃんとつながっていくものがある。
これは良い言葉で、やつれた気持ちからもう一度生きる希望を取り戻したことが感じられました。


父が心の重さから解き放たれるのにも、母が食卓で家族と一緒にご飯を食べるのにも、佐和子が父に自殺が未遂に終わって良かったと言うのにも、五年かかっています。
恐ろしい出来事があった時、気持ちに区切りをつけるのには長い年月がかかるのだと思います。
しかし長い年月をかければ区切りをつけられるということでもあり、佐和子の家族それぞれが生きる希望の持てる終わり方になって良かったと思います


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ブログの得意季節

2018-03-25 12:21:16 | ウェブ日記


私は季節の中で夏が一番好きです。
好きな順に夏、春、秋、冬となります。
同じようにブログにも長く続けていると得意な季節が現れます。

以前書いたことがありますが、私のブログは夏が一番得意でアクセス数が増えます。
小説の感想記事をよく書いているので、夏になると中学生や高校生などの学生さんが読書感想文の参考にしようとたくさんアクセスするためです。
偶然にもブログ主の一番好きな季節とブログの一番得意な季節が同じになりました

近年は春もブログの得意季節になっています。
これは桜のフォトギャラリーにアクセスしてくる人が増えるためです。
冒頭の写真は昨日撮影したソメイヨシノで、かなり開花が進んでいました。
桜の開花の時期になると、行ってみようかなと思っている桜の名所をネットで調べる人が多いと思います。
フォトギャラリーへのアクセスが増えているのを見ると、やはり日本人は桜が好きで、春と言えば桜なのだなと感じています

なので私のブログは春夏が得意という特徴を持つブログになっています。
同じように秋や冬が好きでその季節の記事をたくさん書いている人は秋冬が得意なブログになり、また人によってはどの季節も得意なブログになるかも知れないです。
自身のブログの特徴を楽しみながらブログを続けていきたいと思います
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「村上海賊の娘 下巻」和田竜

2018-03-22 19:50:05 | 小説


今回ご紹介するのは「村上海賊の娘 下巻」(著:和田竜)です。

-----内容-----
人ひとりの性根を見くびるな。
織田方の猛攻を雑賀衆の火縄が食い止め、本願寺門徒の反転攻勢を京より急襲した信長が粉砕する。
村上・毛利の連合軍もついに難波海へ。
村上海賊は毛利も知らぬ禁じ手と秘策を携えていた。
第11回本屋大賞受賞作。

-----感想-----
※「村上海賊の娘 上巻」感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

織田信長の登場によって門徒は大坂本願寺と木津砦に敗走し、信長率いる三千の兵が追撃します。
その中で源爺は一人、南無阿弥陀仏と呟きながら天王寺砦に向かいます。
源爺を見て景は「逃げろ」と言いますが、源爺は極楽往生だけを考えてひたすら前に進んで行きます。
義清が「先を急ぐ。射殺せ」と命じたため、景は矢で源爺を殺そうとする又右衛門と安太夫を止めようと暴れます。
その姿を見て七五三兵衛は心底呆れ、「おどれみたいな者(もん)を泉州でどない言うか教(おせ)ちゃら」「面白(おもしゃ)ない奴ちゅうんじゃ」と言い、源爺に銛(もり)を投げつけて串刺しにします。
「面白くない奴」は泉州者にとって最大の侮辱の言葉で、それまでは景に惚れていた七五三兵衛が愛想を尽かしたのが分かる場面でした。

景は天王寺砦を出て源爺の最期を看取ります。
「見てくださったか。わしは一歩も退きませなんだぞ」
「ああ」
「見てたぞ。見事だった。これでお望みの往生も叶うってもんだ」

傍若無人な振る舞いが目立つ景ですが、死に行く源爺を褒め称えてあげていて、心の優しい面もあるのだと思いました。

信長の軍勢の後から七五三兵衛達天王寺砦の軍勢三千も続き、七五三兵衛は孫市の存在が気になります。
孫市は大坂本願寺の門前で反転して雑賀党を一斉射撃の陣形にし、撃った後はそれぞれ逃げ、大坂本願寺の南西約30キロにある貝塚御坊に集うように言います。
一斉射撃で信長の軍勢を止めると孫市は雑賀党に散るように言い、大坂本願寺の門を閉めろと言います。

孫市は信長だけは討つつもりでいて、すぐには逃げずに大地に身を隠しながら種子島(鉄砲のこと)で信長を狙撃します。
しかし七五三兵衛が咄嗟に信長に飛びかかり、弾は急所には当たらず脚に当たり信長は助かります。
信長は自身を狙撃したのは雑賀党の首領、鈴木孫市に違いないと気づき、七五三兵衛に捕らえるように命じます。
さらに「七五三兵衛よ、おのれの武勇を示すはここではない」と言い、どういう意味か気になりました。

景は「進者(すすまば)往生極楽 退者無間地獄(ひかばむけんじごく)」の旗で門徒達を大量に死なせた頼龍に激怒して、亡くなった源爺を連れて木津砦に向かいます。
頼龍を呼び出すと「源爺が極楽往生した証を見せろ」と無茶を言います。
そのようなものは見せられるわけがないため、一向宗に因縁をつける言葉に激怒した頼龍が景を殺そうかと考えていると、留吉が「阿弥陀樣の教えに文句を付ける気か」と激怒します。
景は「留吉、お前は騙されておる。戦をやめ、砦を引き揚げても、地獄に堕ちることなどない。砦を出るんだ」と言いますが留吉はさらに激怒します。
「見損なうな!わしは地獄行きが恐ろしゅうて言うてるんじゃないわ。何のために砦におると思うのじゃ。法敵を倒すためじゃないかっ」
そして「帰れ」と言い、景は寂しそうに木津砦を去ります。

景は七五三兵衛と留吉を両方とも怒らせてしまいます。
向かってくる敵を相手に戦っている人達に水を差すことばかりしているからだと思いました。
景は酷く落ちこみ、景親に「能島に帰ろう」と言います。
二人が歩いていると孫市に遭遇し、能島村上なら織田方も遠慮があるため、織田方の関所を通るために一緒に行くように言われます。
すると今度は孫市を追う七五三兵衛が現れ、景が「なぜ源爺を討ち殺した」と言うと七五三兵衛は呆れて次のように言います。
「討ち殺したんはな、敵やからや」

景は己の甘い考えと振る舞いは七五三兵衛を呆れさせ、留吉を傷つけただけだったと悟り気持ちが挫折します。
上巻での強気で奔放な振る舞いからはこんな姿になるとは思わなかったので驚きました。
七五三兵衛が去り関所を通った後、孫市は「しばらくは泉州の貝塚御坊にいるつもりだ。役に立てることがあれば、力を貸そう」と言い去っていきます。
しかし「この一言が、後に自身はおろか雑賀党全体をも窮地に追い込むとは思いも寄らなかった。」とあり、どうなるのか気になりました。

信長から「毛利家が大坂本願寺に兵糧入れをするという風聞があるため、泉州の侍衆は住吉の浜に砦を築き、木津川河口から入る船をことごとく沈めよ。ただちに住吉へと赴き、河口の封鎖にかかれ」と下知(げち)が出ます。
さらに「海上では泉州侍は七五三兵衛が支配すること」と下知が出て、信長が「おのれの武勇を示すはここではない」と言っていたのはこのことでした。
七五三兵衛は毛利家と三島村上が来れば泉州随一の海賊衆、眞鍋家でも軍船の数、兵力ともに敵わないと警戒します。
また他の泉州侍は船戦(ふないくさ)の経験がなく頼りにはならないです。
村上海賊と眞鍋海賊が戦うのは海賊同士の戦いで興味深かったです。

景の身を案じて引き返してきていた家臣達の船に乗って景と景親は能島に帰ります。
その後すぐ真鍋家の船が木津川の河口を封鎖します。


能島に到着すると景と景親は元吉の部屋に呼ばれ、景が次のように神妙なことを言って元吉を驚かせます。
「これまで私の至らぬ振る舞いにより、ご心痛をお掛けし、まことに申し訳なく、ここにお詫び申し上げまする」
「以後、戦はもとより海賊働きにも一切加わらぬと肝に銘じておりますれば、縁組のことよろしくお世話下さいますよう、お願い致しまする」
この言葉を見て景が心底打ちひしがれてしまったのが分かりました。

景と景親は元吉から能島村上も毛利家に味方することになったのと、児玉就英が景をもらっても良いと言ってきたことを聞きます。
能島村上も毛利家に味方したことで毛利家はすぐに織田家と断交し、大坂本願寺に兵糧を入れるべく準備に掛かっていました。

しかし三島村上の中で武吉だけが軍船を集合場所の賀儀(かぎ)城にやらず、何日も大三島(おおみしま)で連歌をしています。
連歌は多人数で短歌を詠み継ぐもので、五七五の「発句(ほつく)」を始めの者が詠み、次の者が発句にちなんだ七七の「脇句(わきく)」を付けます。
村上海賊が出陣する時は必ずこの連歌を行うとのことです。

武吉は上杉謙信が立つのを待つべきという小早川隆景の考えを読み、自身も同じ考えのため時間をかせぐために連歌を続けています。
いつまで続けるのだと言う来島村上の吉継と因島村上の吉充に武吉は「万句」ができたら元吉が率いて能島村上も難波に行くと言い、それにはかなりの時間がかかるため愕然とします。

景は能島城の本丸屋形から出ようとはせず、着物を楽しんで過ごすようになります。
着物姿の景を見た琴姫(景の幼馴染)が、それまで醜女と言われてきた景が実は美しいと悟る場面があります。
着物姿を笑いに来たはずが美しさに圧倒されすぐに帰っていき、なぜすぐ帰ったか分かっていない景に武吉が「ようやった」と言っていたのが面白かったです。

やがて武吉のもとに家臣から「上杉謙信、門徒と和議に至り、織田方の分国に攻め入るとの風聞あり」と知らせが来ます。
武吉はついに重い腰を上げ、元吉に能島の三百艘の軍勢を率いて賀儀城に行くように言います。
そして賀儀城から一千の大船団が出航します。

大船団が毛利家が借りている岩屋城のある淡路島に着岸すると、その数を見た七五三兵衛達が驚愕します。
しかし一千艘のうち七百艘は兵糧船で、兵船は三百艘で真鍋家と同じ数です。
さらに淡路島を領する安宅(あたぎ)信康は何をしてくるか分からない人物のため、淡路島に待機する兵糧船の守備兵として百艘残さないといけず、戦える船は二百艘で織田方より少なくなります。
一方の織田方の弱点は三百艘のうち真鍋家のものは百五十艘しかなく、あとの半分は船戦をしたことがない人達が乗っていて頼りにならないことです。

宗勝が自身の主である隆景の「毛利方は上杉謙信出陣の報を岩屋城で待ち、その知らせがあるまでは敵には一切手出ししない」という考えを伝えます。
さらにあと二週間(兵糧攻めを受ける大坂本願寺がぎりぎり持ちこたえられる日)待って謙信が出陣しなければ毛利家は引き返すと言い、一同が騒然とします。
隆景の考えは「全ては毛利家存続のため」で、謙信が出陣しなければ大坂本願寺を目の前にしながら見殺しにし、醜態をさらし、評判を落とすのも仕方なしと考えています。
これは非情ですが、それくらい織田家という巨大な敵を相手に毛利家と大坂本願寺だけで戦うのは危険ということなのだと思います。

景は隆景の考えを読んでいる武吉から戦にはならないこと、門徒を見捨てることを聞くと絶叫し、もう一度難波に行く決心をします。
「瀬戸内を出たとき、あいつらは極楽往生がすでに決まっていると信じていた。それでも、弥陀(みだ)の御恩に報いるために、行かぬでもいい戦に行って命を捧げたんだ。戦場では退けば地獄だと脅され、話が違うと知っても、あいつらは仏の恩義を忘れようとはしなかった。オレは見事だと思った。立派だと思った。オレはそういう立派な奴らを助けてやりたい。オレはあいつらのために戦ってやりたい」

景の乗る船が出発するのを見送る武吉に兵が「御屋形樣はお発ちになりませぬので」と聞くと、武吉は次のように言います。
「三十年ぶりに鬼手(きしゅ)が出るのだ」
「我が娘が戦に赴けば、当方の勝利疑いなし」
鬼手という言葉は以前にも登場していて、どんなものなのか気になりました。

景が淡路島に到着し、七五三兵衛のところに行って掛け合い木津川の封鎖を解くと言い、無謀だと言う元吉に「七五三兵衛に侮られている自身だからこそできる」と言います。
しかし景の「こちらの軍勢は淡路島で兵糧船の米俵と兵を積み替え、兵船一千艘の船団になっている。そちらに勝ち目はない」というはったりを七五三兵衛は信じますがそれでも戦うと言い、掛け合いは決裂します。
淡路島に戻った景はすぐに織田方へ攻め掛かるよう説きますが一同の謙信が出陣しなければ引き返すという考えは変わらないです。
何としても留吉達門徒を助けたい景は最後の一手として密かに一人で貝塚御坊に行くことを決断します。


二週間経っても上杉謙信は出陣せず、その夜に毛利家は帰りますが直後に景が雑賀党五十艘の船団を率いて七五三兵衛達の前に現れ、戦いが始まります。
毛利家が帰ってから二時間経った頃、景親が姉を見捨てられずに景が戦っていることを話します。
すると村上海賊の兵達が次々と雄叫びを上げ三島村上が全て難波海に戻って行きます。
これを見て就英も宗勝も戻る決断をします。

「死兵」という言葉がここで登場したのがとても印象的でした。
上巻で七五三兵衛が「南無阿弥陀仏」とだけ言いながら槍で突いてくる門徒の大軍を前に次のように思う場面がありました。
戦場の兵が、心の隅に押しやりながらも必ず意識する死への恐怖心を、目の前の門徒たちは持っていない。
決して敵に廻してはならぬ者。それが、死兵や。

雄叫びを上げ凄まじい勢いで戻っていく村上海賊に「死兵」という言葉が使われていて、七五三兵衛が再び「決して敵に廻してはならぬ者」を敵に廻したのが分かりました。

眞鍋海賊に追い詰められ窮地になっている景達のもとに毛利村上の船団が戻ってきます。
元吉が指揮する毛利方の船団は鶴翼(かくよく)の陣を敷き敵を包囲しようとしますが、七五三兵衛は魚鱗(ぎょりん)の陣を敷いて密集陣形になって包囲網を一点突破しようとします。
これを元吉が難波海の潮流を読んだ策で打ち破ると、村上海賊は焙烙玉(ほうろくだま)という秘術の爆弾を次々と投げ込み眞鍋海賊の船を爆破炎上させていきます。
義清達の船団百五十艘は何もせずに七五三兵衛達を見捨てるつもりでしたが、窮地を見て義清は参戦を決意します。

義清率いる新手の百五十艘がやってきます。
元吉が新手に向い、七五三兵衛には景親の船が相手をします。
しかし七五三兵衛達が景親の船に乗り込んできて七五三兵衛の圧倒的な強さによって船を乗っ取られそうになります。
景親は自身の船を大量の焙烙玉で爆破して七五三兵衛を討ち取ろうとします。
景は腕、脇腹、脚に矢が刺さり満身創痍になりますが、七五三兵衛の船に乗り込み敵を次々と倒していきます。

義清達の船はわざと村上海賊に船に乗り込んで来させ待ち構える戦法に出ます。
しかし吉充も吉継も罠と分かっていて乗り込んで行きます。
敵に「罠ですわ」と言われ大人数に待ち構えられ吉継の肩からみるみる力が抜けていった場面が印象的で、てっきりこれは勝てないと思ったのかと思いましたがそうではなかったです。

七五三兵衛が景の前に現れます。
「おう、能島の姫、何やわし間違うちゃったみたいやの」
「ようやっと分かったわ、おのれは面白い奴っちゃ」

一度は景を面白くない奴と言った七五三兵衛が再び面白い奴と認めたこの場面は良かったです。
しかし面白さに応えるのは七五三兵衛が持つ三尺五寸の大太刀で、景と七五三兵衛の激闘になります。
七五三兵衛の執念は凄まじく、景が勝ったかと思っても最後まで勝負の行方が分かりませんでした。


景が雑賀党を率いて現れてから始まった戦いは200ページ以上も続き、凄く大規模に描かれていました。
史実のとおり、木津川合戦は毛利家の勝利で終わります。
公式な資料にはわずかに1ヶ所しか書かれていない「能島村上の景姫」を見出だし、この史実で大活躍させた構成が凄いと思います。
一度は挫折した村上海賊の娘がもう一度立ち上がり、毛利村上の船団をも動かして木津川河口を封鎖する敵に向かっていくのはとても面白かったです。


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「ちはやふる 結び」

2018-03-18 23:24:50 | 音楽・映画


今回ご紹介するのは映画「ちはやふる 結び」です。

-----内容-----
いつも一緒に遊んでいた、幼なじみの千早・太一・新。
家の事情で新が引っ越してしまい、離ればなれになってしまうが、高校生になった千早は、新にもう一度会いたい一心で、太一とともに仲間を集め、瑞沢高校かるた部を作った。
「新に会いたい。会って『強くなったな』と言われたい。」
創部一年目にして、全国大会に出場した瑞沢かるた部だったが、千早は個人戦で史上最強のクイーンに敗れ、さらに強くなることを部員たちと誓った。
あれから二年―、かるたから離れていた新だったが、千早たちの情熱に触れ、自分も高校でかるた部を作って、全国大会で千早と戦うことを決意する。
一方、新入部員が入り、高校三年最後の全国大会を目指す瑞沢かるた部だったが、予選を前に突然、部長の太一が辞めてしまう。
動揺と悲しみを隠せない千早…。
千早、太一、新は、再びかるたで繋がることができるのか?
今、一生忘れることのない最後の夏が始まる。


-----感想-----
※「ちはやふる 上の句」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「ちはやふる 下の句」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

3月17日に上映が始まった映画「ちはやふる 結び」を観に行きました。
気持ちが沸き立つ物凄く良い青春映画で衝撃的な完成度の高さでした

「お願い、誰も息をしないで」という千早の心の中の言葉で映画が始まります。
この一言で一気に気持ちが澄み渡り、強烈にスクリーンに引きつけられました
高校二年生のお正月、綾瀬千早(広瀬すず)は若宮詩暢(松岡茉優)と我妻伊織(清原果耶)によるクイーン戦の札ガールをします。
札ガールは対戦の様子が分かるように、掲示板上で対戦の進みに合わせて札を移動させていく人のことです。
千早はクイーン戦挑戦者決定戦で伊織に惜しくも敗れていました。
詩暢が伊織を倒しクイーン戦三連覇を達成します。



名人戦は周防久志(賀来賢人)が原田秀雄先生(國村隼)に勝ち五連覇を達成し、永世名人になります。
「もうやることはない」と言い引退を宣言する周防に観戦していた綿谷新(新田真剣佑)が「まだ辞めないでくれ!」と頼み、周防はあと一年だけ現役を続けると言います。
周防は賀来賢人さんによって小さい声でボソッと話すのと超然とした仙人のような雰囲気が上手く表現されていました。
そして千早は名人戦、クイーン戦の後、新に「好きや、千早」と告白されて放心状態になります。



瑞沢高校かるた部は千早達が三年生の春を迎え、前年に一人も部員が入らなかったため気合を入れて新入部員を勧誘しますが、入部したのは筑波秋博(佐野勇斗)と花野菫(優希美青)の二人でした。
筑波は新入部員勧誘時の体験かるたで千早と対戦した時にいきなり凄い速さで札を取り千早を驚愕させ、千早も本気になって取り物凄い速さでの取り合いになり、見に来た新入生のほとんどはドン引きして帰ってしまいます。
菫は太一が目当てで入部しました。
体育館での各部活紹介の時に望遠鏡を使って各部活の男子達を見ていて、隣にいた女子から「ガチ勢だ」と言われていたのが面白かったです。



福井県の藤岡東高校の新も全国大会で千早と戦いたくてかるた部を作ります。
かなりの精鋭メンバーが集まり、中でも新を「あにい」と慕う新入生の我妻伊織は千早を破りクイーン戦に出場した人です。
新が「頼みがある」と言うと伊織は「言いたいことは分かる」と言い新が頼む前から入部してくれると言います。
すると伊織も「ところであにい、私も頼みがあるんよ」と言い、何と「私と付き合ってくれんか」と言います。
新に全く迷わずに「ごめん好きな人いるんよ」と言われ、淡々と「秒殺か」と言っているのが面白かったです。
この掛け合いは何度もあり、「ところであにい」が出ると即座に「ごめん好きな人いるんよ」が出るのが分かり、次第に言葉を出すタイミングが早くなっているのも面白かったです。

名人戦、クイーン戦の日に千早が新に告白されたことはかるた関係者によってどんどん広まっていました。
大江奏(上白石萌音)と千早がそのことを話していたのを聞いた菫は太一と付き合いたいばかりに、新が千早に告白したことを太一に話します。
そうすれば太一が千早を諦め、自身が付き合えるかも知れないと思ったようです。
太一は「俺、関係ないから」と言っていましたが実は動揺していました。

全国大会出場をかけた東京都大会の日、太一が退部したことが明らかになり衝撃が走ります。
動揺しながらも千早達は何とか戦っていきます。
しかし重要な北央学園戦で、高慢で周りを見下しチームプレイを無視していた筑波が致命的なミスをしてしまい、あと一歩のところで敗れてしまいます。
部長の太一不在で戦った瑞沢高校は苦しみながら何とか全国大会の出場権を得ます。
新のチームも全国行きが決定します。



東京都大会の後、「どうして辞めるのよ!どうして!」と詰め寄る千早に太一は「千早のためにかるたをやってきたけど、もう無理だ」と言い去っていきます。
「千早のことが好きだが恋は敗れた。こんな精神状態ではもうかるたはできない」とは言えず、何とか絞り出すように言ったのがその言葉だったのだと思います。

太一は東京大学かるた部の周防名人に弟子入りします。
「もう無理」と言ってはいましたが、かるたと一切関わらないくらい嫌いにはなっていませんでした。
周防と太一が中華料理屋でご飯を食べ、会計の時にお金を出そうとする太一を手で制して周防が全額払うと格好をつけたものの、いざ財布を開けたら中身が全く入っていなかったのが面白かったです。

千早が原田先生に太一のことを相談すると、原田先生が印象的なことを言います。
「それがまつげ君なんだよ。自分のことは構わず、他の人のために尽くす。自分がボロボロになってでも」
この言葉を聞いて、千早は太一が千早のために、かるた部のために、どれだけ尽くしてくれていたかを思い返したのではないかと思います。
太一が力強くかるた部を支えてくれていた時の幻影を見て「その太一が今はいない…」と切なくなっている場面が何度もありました。



それでもかるた部は千早を中心に再びまとまり、全国大会目指して特訓します。
高慢だった筑波もチームプレイの重要さが分かり、チームに馴染んでいきます。
自身より弱い奴の言うことは聞かないという態度だったのが、西田優征(矢本悠馬)、駒野勉(森永悠希)、奏の言葉も尊重するようになります。
菫も当初は太一目当ての入部だったのが、次第にかるたと向き合うようになっていきました。

そして高校最後の全国大会の行われる夏の近江神宮に行きます。
瑞沢高校も藤岡東高校もどんどん勝ち上がり、ついに決勝で激突します。
新の「ごめん好きな人いるんよ」が千早のことだと気づいている伊織にとって千早は今や新を取り合う恋敵で、決勝の前に千早を意識して「負けられんな」と言っていました。



全国大会決勝ではネット中継の解説の人がぎっくり腰になってしまい、居合わせた詩暢が代わりに解説を頼まれます。
丁重に断ろうとする詩暢に解説の人が「あの方との競演でもか」と言った場面が面白かったです。
まさかの人物の登場に詩暢が大興奮していました。

周防が太一に凄く印象的なことを言います。
「君を見ていて分かったことがある。周りの人のために頑張る人は、誰よりも強い」
これは原田先生が言っていた言葉とつながっていると思います。
自身のことで手一杯な中で、周りの人のために自身のこと以上に尽くすのはとてつもなく疲れると思います。
それをやっていた太一こそ誰よりも強いと、周防は見極めていました。
この言葉に心を動かされ、背中を押された太一は新率いる藤岡東高校との全国大会決勝に駆け付けます。



頭を下げ謝る太一に千早が何も言わずに自身がかけていたたすきを外して太一に渡す場面が良かったです
たすきは顧問の宮内妙子先生(松田美由紀)が作ったもので、千早は太一のたすきをかけて戦っていて、自身のたすきは懐に持っていました。
去って行った太一のことを「去ってもかるた部に存在している」という思いで一緒に戦っていたのが分かる場面でした。
太一が戻った布陣で藤岡東高校と激突します


瑞沢高校かるた部最後の夏を素晴らしく爽やかに描き切っていたと思います。
終わり方が凄く良く、明るく沸き立つ気持ちで観終わりました
なかなか決められずにいた千早の進路も最後の最後に最高の形で答えを見せてもらい、エンドロールの和風の絵にも描かれていたとおり、まさに「結び」な最後だと思います。
こんなに終わり方の素晴らしい映画は初めて観て、これはぜひ多くの人に観て頂きたいです
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「村上海賊の娘 上巻」和田竜

2018-03-16 19:22:31 | 小説


今回ご紹介するのは「村上海賊の娘 上巻」(著:和田竜)です。

-----内容-----
難波(なにわ)の海に立ちはだかるのは、戦国最強の信長軍。
和睦が崩れ、信長に攻め立てられる大坂本願寺。
海路からの支援を乞われた毛利家は、「海賊王」こと村上武吉を頼ろうとした。
その娘、景(きょう)は海賊働きに明け暮れ、地元では嫁のもらい手のない悍婦(かんぷ)で醜女(しこめ)だった……。
木津川合戦の史実に基づく歴史巨篇。
第11回本屋大賞受賞作。

-----感想-----
※「村上海賊の娘 下巻」感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

冒頭、一向宗(現在の浄土真宗あるいは真宗)本願寺派の本山、大坂本願寺が窮地に陥ります。
顕如(けんにょ)という人が十一世門主(トップ)を務める大坂本願寺は織田信長と6年前から和睦を繰り返しながら戦っていました。
僧侶が信長と戦えるのかとも思いますが、この時代の僧侶は武装しています。
また、鉄砲傭兵集団雑賀(さいか)党の首領、鈴木孫市(まごいち)が坊官(門主の側近)の下間頼龍(しもつまらいりゅう)に頼まれて雑賀衆1千を率いて大坂本願寺に入っています。

信長は大坂本願寺の地を西国の押さえになる重要な場所と見ていて、そこに城を築くために場所を明け渡すように求めますが本願寺は断わります。
頼龍がまずい対応をして信長に「本願寺側から和議を破棄した」という口実を与えてしまい、周りに次々と砦を築かれます。
唯一砦のなかった南にも天王寺砦を築かれ、大坂本願寺は孤立して兵糧攻めに遭います。

頼龍が顕如に「門徒一万五千の兵で天王寺砦を攻め潰しましょう」と言う場面があり、そんなに兵力があるとは驚きました。
宗教が武装すると戦国大名級の勢力になるのだなと思います。

頼龍の天王寺砦を攻め落とすという言葉に孫市は反対します。
兵法書の古典「孫子」には城を落とすには10倍の兵力が必要とあり、天王寺砦には少なくとも五千以上の兵がいます。
これを落とすには10倍の五万の兵力が必要で、一万五千では落とせずに戦が長引き、兵糧攻めもされている大坂本願寺側が不利と孫市は見ています。

孫市の大坂本願寺を明け渡したほうが良いのではという言葉に、顕如は代々受け継いできた土地を捨てることはできないと言います。
孫市は「ならば海しかない」と言い、毛利家を頼ろうと言います。


小早川家の当主で43歳の小早川隆景(たかかげ)は毛利家の当主、毛利輝元に呼ばれて大坂本願寺の使者が来ている安芸郡山城(あきこおりやまじょう)に向かいます。
吉川家の当主、吉川元春は隆景より三つ上の兄で、二人は安芸の小領主から中国地方10ヵ国の覇者になった亡き毛利元就の次男と三男です。
元就は5年前に他界し、嫡男の隆元は13年前に早世していて、隆元の嫡男で23歳の輝元が当主です。
元春は武勇、隆景は知略で天下に名を轟かせ、頼りない輝元を強力に補佐するこの二人は「毛利の両川(りょうせん)」と呼ばれています。

郡山城で大坂本願寺の使者の話を聞くと、十万石(一万五千トン)の兵糧の提供を頼まれます。
毛利家はこれまで織田家とも大坂本願寺とも良好な関係でしたが、「これほどの兵糧を大坂本願寺に入れれば、信長から敵視されること確実」とありました。

毛利家の10ヵ国領有に対し信長はこの時20ヵ国近くを領有していて、隆景は毛利家と大坂本願寺が組むだけでは勝てないと見ます。
信長と戦うには信長が恐れる越後の上杉謙信がどう動くかが重要で、一向宗と確執のある謙信が和睦して大坂本願寺と組んで信長と戦うこともあり得るとありました。
もし謙信と大坂本願寺が信長を倒した場合、何もせずにいた毛利家は天下の笑い者になり威信は地に堕ちるとあり、10ヵ国の領地を持つ大々名の毛利家でも安泰ではないのが戦国時代なのだと思います。

また信長は毛利家と仲良くしながら裏では領地を切り崩すべく暗躍してもいます。
元春は信長は天下を狙い、大坂本願寺は狙っていないため、毛利家が山陰山陽の主であり続けるためには大坂本願寺に味方するほかないと言います。

隆景の家臣で警固衆(けごしゅう、水軍のこと)の古強者の乃美宗勝が十万石の兵糧を運ぶために村上海賊を頼ろうと言います。
村上海賊は「因島(いんのしま)村上」「能島(のしま)村上」「来島(くるしま)村上」の三家から成り、三家を総称して三島(さんとう)村上と呼ばれ、瀬戸内海を往来する船から帆別銭(ほべちせん)という通行料を徴収しています。
三島村上の中で能島村上が最大の勢力で「海賊の王」と呼ばれています。
毛利家は因島村上と来島村上は意のままに動かせますが唯一能島村上だけは動かせず、兵糧を運ぶには能島村上の当主、村上武吉(たけよし)の説得が必要です。
乃美宗勝と毛利家直属の警固衆の長、児玉就英が能島に向かいます。

武吉の娘の景(きょう)は20歳で、この字は小早川隆景から「景」を貰っています。
醜女の悍婦(気の強い女の人)として有名な景はかなり腕の立つ海賊で、悪党達の乗る船を一人で制圧してしまいます。
この船は大坂本願寺に向かう門徒達が乗った船で、悪党達に乗っ取られていたところを景に不審船として制圧されます。
景の頭は凄く単純で、悪党達の頭領の言い分を一時はそのまま信じてしまいますが、武勇に秀でているので悪党達の正体を見抜いて片っ端から倒します。
海賊の兵が景を「姫様」と呼んだ時の、源爺(げんじい)という門徒の孫の留吉(とめきち)の言葉が面白かったです。
姫様といえば、この世の者とは思えぬ淑やかさだと聞くが、目の前の女はこの世の者とは思えぬ荒々しさである。こんな女が姫であっていいものか。

景の暴れぶりは能島に向かう乃美宗勝と児玉就英も船上から見ていて、景は美形の就英の姿を見て途端に好きになります。
しかし就英の方は景の暴れぶりを見て「何という醜女、何という悍婦か」と不快感を募らせます。

能島に戻った景が来島の吉継(よしつぐ)伯父がまるで女子として扱ってくれないことに文句を言う場面も面白かったです。
「オレだって姫なんだぞ」
「お前のような姫御前がいるか!」

気の強い景ですがこの吉継伯父と、景を見れば説教をする23歳の兄の元吉を苦手としています。
元吉に女子が海賊働きをしたことがばれ説教になり、景が適当に聞き流していた場面も面白かったです。
景が登場すると笑ってしまうような展開が何度もありました。

元吉が景に、父の武吉が景と児玉家との婚儀を望んでいると言います。
景にとっては大歓迎なのですが「どうしようかな~」ともったいぶったことを言うと元吉が激怒していて面白かったです。

能島城で児玉就英、乃美宗勝、因島の村上吉充(よしみつ)、来島の村上吉継、能島の村上武吉が集まって大坂本願寺に兵糧を運び入れるかの話し合いが行われます。
武吉は隆景がどう考えているかを聞きます。
これは知略を天下に轟かせる隆景の考えは気になるのだと思います。
武吉は毛利家に味方すると言いますが、娘の景を児玉就英に輿入れさせるのが条件と言います。
しかし就英は「あのような醜女の悍婦を誰がもらえるものか」と激怒して出て行ってしまいます。

源爺や留吉達は大坂本願寺に兵糧を入れ、自らも兵になろうとしています。
源爺は景に上乗せ(海賊が乗ることで通行証の代わりになること)してもらって大坂本願寺に行こうとしますが断られたため、おだてることにします。
景の顔は南蛮人に似ていると言い、堺という国際港都を有する泉州(現在の大阪府の南西部)の人は南蛮人に慣れているため、景の顔を美しいと思う人も多くいると言います。
景はそれを聞いてすっかり舞い上がり、源爺達を送り届けてから泉州に行くことにします。
景の乗せられやすい性格も面白いです。

就英と宗勝が郡山城に戻ると評定(ひょうじょう)が開かれ、元春が就英に「おのれは嫁を貰うに美醜を問うか」と聞きます。
元春は戦を見据えた政略で嫁を貰うのに美醜を問わなかった人で、その本人を前に「問います」とは言えないため、「美醜など、問いませぬ」と言います。
すると元春は「なら、能島の景姫を嫁にもらえるな」と言い、武勇を天下に轟かせる元春らしい豪快なやり方で一気に話をまとめてしまいます。


源爺達と一緒に景も乗った船は順調に進み、ついに海の遥か先に大坂本願寺が見えてきます。
すると織田家家臣の太田兵馬が乗った巨大船に行く手を阻まれ、その船には泉州の海賊も乗っていました。
織田家家臣と聞いて源爺達一向宗の門徒は震え上がりますが、景は早くもお目当ての泉州の海賊に会って胸が躍ります。
続々と姿を現す海賊達は景を見て美人だと歓声を上げ、景は嬉しくなります。
しかし太田兵馬が景を殺そうとしてきたため討ち取ります。
これに呑気に寝ていた泉州淡輪(たんのわ)の海賊衆、眞鍋家の当主、眞鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)は大慌てします。
「太田の阿呆、首級(くび、討ち取った首のこと)になってもうてるやんけ」といったいかにも大坂な言葉が面白かったです。

真鍋家は信長に従っていて、七五三兵衛達は大坂本願寺の包囲戦に動員されようとしていました。
太田は織田家の使者として眞鍋家に来ていたため、それが首級になって帰るのはかなりまずいです。
すると景は、ちょうど船で景を追ってきた弟の景親(かげちか)を人質として差し出し、自ら天王寺砦に行き申し開きをすると言います。
大坂本願寺方の木津砦に行く源爺達を送り届けてから天王寺砦に向かいます。

泉州には「半国の触頭(ふれがしら)」というものがあり、上下二つに割った泉州を「沼間(ぬま)家」「松浦(まつら)家」の二つの家がそれぞれ代表しています。
泉州侍達は触頭を中心にまとまっていましたが、真鍋家がどちらにも属さない勢力として台頭してきたため警戒されています。

天王寺砦で動員された人達が集まる広間に大坂本願寺攻めの総大将、原田直政が登場します。
直政は織田家の重臣で、武官としても文官としても秀でた文武両道を地で行く人です。

天王寺砦に景が来て原田直政に申し開きをしようとしますが、何と泉州の侍達と原田直政による大宴会になっています。
直政は景が海賊の王の能島村上の姫であることから、見逃すべしと判断していました。
酒席で景は「べっぴんの姫」として熱烈に歓待され、泉州の男にすっかり大満足します。
泉州の男は話しぶりが面白く、読んでいて笑う場面が何度もありました。


信長方と大坂本願寺方の合戦が始まります。
天王寺砦から突出した軍勢三千八百の狙いは海に近い木津砦を潰し、本願寺最後の補給線を断つことです。
景と景親は天王寺砦から戦を見ています。

大坂本願寺に居る孫市は木津砦を指揮する頼龍に、砦の周りに堀を作り徹底して砦に籠って戦う軍略を伝えていました。
木津砦の兵力は二千で、砦に籠って防戦する限り織田方に充分対抗できます。
しかし木津砦の兵力は農民達が中心で戦の経験がなく、さらに頼龍は喚き散らすばかりで指揮官に不適格なため戦局は押され気味になります。

孫市は雑賀党一千も参戦することを決断します。
原田直政が自身の手勢だけで雑賀党に向かいますが七五三兵衛は雑賀党の恐ろしさを知っているため、真鍋家の兵を連れて援護しに行きます。

雑賀党と対峙した直政は鉄砲の三段撃ち(一段目、二段目、三段目の順に撃つ戦法)で勝てると思いましたが、一瞬で鉄砲隊が全滅してしまいます。
孫市は三段撃ちをさらに進化させた撃ち方を使ってきました。
さらに直政が孫市の狙撃に遭い亡くなります。

直政の手勢は敗走しますが眞鍋家だけは雑賀党に向かっていきます。
一時雑賀党を圧倒しますが、孫市が奥の手の陣貝を吹き、それを合図に大坂本願寺から1万2千の軍勢が押し寄せます。
真鍋家の兵は三百でとても勝ち目はないです。
これを見た半国の触頭の沼間任世(ただよ)の嫡男、義清(よしはる)は砦攻めをやめて七五三兵衛を助けに行きます。

七五三兵衛は門徒達が死への恐怖を持っていないことに驚愕します。
眼前の門徒はひたとこちらを見つめ返し、一歩一歩進んでくる。その口元から繰り返し発せられるのは、「南無阿弥陀仏」の名号だ。
これは想像するとかなり怖いなと思います。
全員が「南無阿弥陀仏」とだけ言いながら槍で突いてくる光景は恐怖です。

義清の「殿(しんがり)は沼間家が務めるから真鍋家は先に逃げろ」という意見に最初は反発する七五三兵衛ですが、次第に義清の意見に理があることを認め、逃げる決断をします。
命を助けられた七五三兵衛が義清に礼を言う場面が面白かったです。
「余計な手出ししよってからに。いらんかったのによお、おどれなんぞ」
私にはとても礼を言っているようには見えなくて、直後に「これでも礼を言っている」とあったのが面白かったです。

織田方は天王寺砦に逃げ込みますが周辺を大軍に囲まれ、今度は天王寺砦の籠城戦になります。
するともう一人の触頭、松浦安太夫(やすだゆう)とその兄の寺田又右衛門が自分達だけ圧倒的に早い段階で天王寺砦に逃げ帰っていたことが明らかになります。
義清は激怒しそうになりますが七五三兵衛は二人を「お前ら、どんなけ逃げ足早いんじゃ」と笑い飛ばします。
そこに義清は七五三兵衛の器の大きさを見ます。
さらに七五三兵衛が泉州侍達の前でこれからは義清に従うと宣言したことで、義清は「この男が危地に陥れば、何度でも救い出してやる」と決意します。

門徒達は織田方の侵攻を阻み、天王寺砦を包囲し、緒戦に勝利します。
孫市は織田方に天王寺砦に籠城されたため、大坂本願寺と木津砦に戻って毛利家からの兵糧入れを待とうとします。

ところが頼龍が猛反対し、「進者(すすまば)往生極楽 退者無間地獄(ひかばむけんじごく)」と書かれた旗を掲げ戦えと言います。
これを見た門徒達は退けば地獄行きだが進めば極楽行きと考えて天王寺砦に向かっていきます。
一向宗は信心さえあれば極楽に行けるはずですが旗の文言は条件付き極楽になっていて、天王寺砦からこの旗を見た景は源爺も留吉も騙されていたんだと激怒します。
頼龍は指揮官として酷過ぎで、これでは勝てる戦も勝てないと思います。

信長はこの時41歳で、織田方が敗走し総大将の直政が討たれたと聞くと自ら出陣します。
信長は大坂本願寺を兵糧攻めにするつもりでしたが攻め潰す方針を固め、自ら自軍の兵達に加わり先鋒として戦います。
信長の姿を見た景は作中で初めて戦慄し、身がすくんでいました。


大坂本願寺の窮地から始まり、毛利家と村上海賊の動きが興味深く、後半は合戦になりどうなるのか気になりどんどん読んでいきました。
登場人物も多く天下の行く末にも関わる壮大な物語です。
笑える場面もあれば緊迫する場面もあり、面白い作品なので下巻を読むのが楽しみです


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右脚の痛み

2018-03-13 20:27:57 | ウェブ日記
今年の1月の始め頃から右脚の疼く痛みに悩まされました。
最初は膝の少し上の外側がやや痛いくらいだったのが、次第に外側の腿全体に痛みが広がっていきました。
1月の終わり頃になると布団に横になっている時も痛みがあり、夜寝る時も朝起きた時も脚の痛みを意識するほどでした。
脚を動かさずにいても内側からズキンと疼いてきました。
2月の前半頃に痛みが一番酷くなり、歩いていて右脚が痛みで思うように前に出なくなりました。

この痛みには今年の冬の寒さが関係していました。
2月の半ば頃に暖かい日が現れるようになると、やや脚の痛みが引いたのを感じました。
そして春の陽気になっている最近はまだ痛みはありますがかなり和らいでいて、脚も問題なく前に出るようになっています。

思えば今年の冬の寒さは凄まじかったです。
今まで寒さで脚が痛くなるようなことはなかったのですが、あまりに寒い日が続くとそういうこともあるというのが分かりました。
今年は今まで生きてきた中で一番、寒い冬が終わって春になってくれて良かったと思いました
まだ少し残っている痛みも春の陽気で早く良くなってほしいと思います。
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「食堂かたつむり」小川糸

2018-03-11 19:25:29 | 小説


今回ご紹介するのは「食堂かたつむり」(著:小川糸)です。

-----内容-----
失ったもの:恋、家財道具一式、声
残ったもの:ぬか床
ふるさとに戻り、メニューのない食堂をはじめた倫子。
お客は一日一組だけ。
そこでの出会いが、徐々にすべてを変えていく。

-----感想-----
語り手の倫子(りんこ)は25歳でトルコ料理店で料理作りのアルバイトをしています。
ある日倫子がアルバイトを終えて部屋に帰ると、お金も家財道具も台所道具も何もかもがなくなっていて衝撃を受けます。
一緒に住んでいるインド人の恋人が全てを持ち去り姿をくらましました。
そして唯一、祖母の形見のぬか床だけは残っていました。
恋人の裏切りに遭い、失意の中でぬか床を持って深夜高速バスに乗って故郷に帰ります。

深夜高速バスが終点に着き、乗り継ぎのバス停に10年ぶりに降り立った時の描写が良かったです。
家を出たのがつい昨日のことだったような気がしそうなほど、風景は少しも変わっていない。ただ色彩だけが、色鉛筆で描いた風景画を上から消しゴムで消したみたいに、全体的に白っぽく色褪せていた。
街が10年分歳をとったのがよく分かる描写でした。
10年経てばこのような淡い色彩になります。
乗り継ぎのマイクロバスを待つ間、倫子はコンビニに寄って単語カードと黒のマジックペンを買います。
精神的なショックで声を喪失してしまったため、これから必要になりそうな日常の単語を一枚に一語ずつ書いていました。

バスが故郷に着く頃、「都会では夏の終わりだったけれど、こっちではすでに本格的な秋が訪れている。」とあったので故郷は山あいにあるようです。
人口五千人弱の村とありました。
倫子は15歳で家を出てから10年間一度も故郷に帰っていませんでした。

倫子は母親を「おかん」と呼んでいて、本名はルリコです。
おかんは「スナック・アムール」を経営していて実家は大きく、村の人達からは「ルリコ御殿」と呼ばれています。
おかんの愛人に「ネオコン」という人がいて、地元の企業の根岸恒夫コンクリート建設(略すとネオコンになります)の社長です。
倫子はおかんの私生児で生まれた時から父親を知らず、ネオコンを嫌っているため「絶対にネオコンだけは父親でないと思いたい」とありました。

おかんに会うと、「実家で飼っている豚のエルメスの世話係を引き受けること」という条件で倫子が家に戻るのを承諾してくれます。
倫子はおかんのことも嫌いですが恋人に財産も全て持ち去られたため頼るしかないです。
そして倫子は実家の物置小屋を改装して小さな食堂をオープンさせることを考えます。

家財道具も調理器具も財産も、持っていたものはすべて失くした。けれど、私にはこの体が残っている。
この言葉は印象的で、「働くには健康が第一」という言葉が思い浮かびました。
何もかも失ってもまだ倫子には活発に動ける体が残されていました。
倫子にとってお店を持つのは長年の夢でした。
全てを失った代わりにお店を持つことができ、「人生が大きく一歩前進した」と語っていて、この気持ちの切り替えは凄いと思いました。
ただ精神的なショックで声を喪失していることから、このように考えることでこれ以上気持ちが沈むのを避けたのではと思います。

倫子はエルメスの世話をしながら食堂をオープンさせる準備をしていきます。
倫子が小学校時代に臨時の職員をやっていた熊吉(熊さん)が親身に手伝ってくれます。
ソファベッドも作り、食後に眠くなったお客がいれば横になれるようにし、おかんと喧嘩をして母屋を追い出されても食堂に泊まれるようにしました。
「これからゆっくりと前に進んでいく」という思いで、食堂の名前は「かたつむり」になります。

食堂かたつむりが料理を作るのは一日一組だけです。
前日までにお客とやり取りし、何が食べたいかや家族構成、将来の夢、予算などを細かく調査して当日のメニューを考えます。
倫子はお店のオープンを手伝ってもらったお礼に熊さんの食べたいものを作ることにし、熊さんはカレーを食べたいと言います。

倫子が摘んできた山ブドウを使ってバルサミコ酢を作る場面があります。
「完成するのは、十二年後。」とあり、そんなにかかるとは驚きました。
倫子はバルサミコ酢がどんな味になるかに思いを馳せます。
もしかしたら途中で失敗してしまうかもしれない。けれど、十二年後も、こうして私は同じように新鮮な心で、厨房に立っていたい。
バルサミコ酢が辿る12年に自身の人生を重ねているようでした。
何かあったとしても12年後も厨房に立っていられれば良い人生と言えるのではと思います。

食堂かたつむりのオープン当日は熊さんがお客です。
倫子はカレーが食べたいという熊さんのために「ザクロカレー」を作ることにしました。
このカレーは食べたことがなくてどんな味なのか気になります。

ザクロカレーは、いつか恋人と二人でお店をオープンさせたら、絶対にこれだけはメニューに入れて日本の人達にも紹介したいねと決めていたメニューでした。
倫子はザクロカレーを作っている時、恋人が消えてから初めて涙を流します。
やはり一番思い出深い料理をすると恋人との記憶が甦るのだと思います。
完成したザクロカレーを熊さんは喜んでくれます。
そしてカレーを食べた後に奇跡が起こり、娘を連れて家を出て行ったかつての奥さんがわずかな間でしたが戻ってきます。

数日後、熊さんが今度は隣の家に住む「お妾さん」を連れてきます。
お妾さんは地元の有力者の妾だった人で現在は70歳を超え、男性の死後寡黙になり喪服しか着ないようになり、長い間ずっと喪に服しています。
倫子は男性の死後世界が終わったかのような雰囲気になっているお妾さんに「この世にはまだまだ知らない世界が無限に広がっている」というのを料理で伝えたいと思い、物凄い豪華フルコースを作ります。
最初は食べてくれませんでしたが時間が経つと食べてくれ、やがて魂が開放されたようになります。
するとお妾さんにも奇跡が起き、長い間喪服しか着ていなかったのが喪服以外の服を着て外出するようになります。

「食堂かたつむりの料理を食べると恋や願い事が叶う」という噂が村や近くの町に暮らす人達に広まっていきます。
桃ちゃんという高校生の「サトル君と両想いにしてほい」という願いを叶えるために作った季節野菜のスープ「ジュテームスープ」は食堂かたつむりの看板メニューになります。
またスナック・アムールのお客の中に名うてのお見合いおばさんがいて、おかんを通して強引に依頼をしてきてお見合いの料理を頼ることになり、それも大成功します。
しかしお店が繁栄するとひがむ人が現れ、嫌がらせをする人もいました。
私は嫌がらせをしても自身のお店の味が上がるわけではないのになと思います。

冬になると雪で交通手段が制限され、村以外の地域に暮らすお客は来たくても来られなくなります。
冬からはおかんとの物語になります。

おかんだけは、どうしても心から好きにはなれないとありました。
しかし熊さんが、倫子が故郷に帰ってきた日におかんが倫子のことを心配していたのを教えてくれます。

2月半ばのある日、おかんが倫子をスナック・アムールで行うパーティに招待してくれます。
そのパーティで倫子がおかんのことを考えている時、「おかんをおかんと呼んでいる」という言葉があり、これは「お母さん」とは呼びたくないということかなと思います。
宴会が終わるとネオコンが倫子に何か作れと偉そうに言います。
削り節と昆布でダシを取ったお茶漬けを作ると、ネオコンは「うまかった。ありがとう」と言い、偉そうではない口調を初めて見たので驚きました。

倫子はおかん、ネオコンとの関係が改善してみんなでほほ笑むような日が来るのではという期待を抱きますが、おかんから自身が重病で余命数ヶ月だと話され愕然とします。
さらに担当医はおかんの初恋の相手で、そのことを「ハッピーでラッキー」と言っていました。
倫子はこのことをお風呂に一緒に入る形で話されたのですが、おかんは自身が長くないことを知り、一度も一緒にお風呂に入っていなかった倫子と動けるうちに入りたくなったのかも知れないと思います。

数日後、おかんが担当医の修一と一緒に食堂かたつむりに現れます。
おかんと修一は結婚することになり、結婚式は5月の初めに行います。
おかんは披露宴のプロデュースを倫子に頼み、さらに「エルメスを食べてしまおう」と言います。

熊さんと、熊さんの同級生で親友の酪農家の力を借りエルメスのと殺と解体が始まります。
解体が細かく描写されていてゾッとしながら読みました。
倫子はエルメスの体を血の一滴まで無駄にしたくないと思い、目玉とひづめ以外は全て料理にしようと決めていました。
そしておかんに料理での世界一周の旅をプレゼントしようと考えます。
おかんの衰弱が激しくなり、新婚旅行には行けなくなっていました。

地元の牧場でついに披露宴が行われます。
バイキング形式になっていて、豚料理の数々がずらりと並びます。
倫子はエルメスのことを次のように語っていました。
エルメスが、姿を変えて、また新たなステージの第一歩を歩み出す。今度は人間の体に入って、中からその人を元気づけてくれる。エルメスの命が、継承され、慈しまれる。
私はこの言葉を見てご飯を食べる時の「頂きます」が思い浮かびました。
様々な命に助けてもらって人間はご飯を食べられるのだから「頂きます」になります。

物語の序盤で倫子は自身の名前の由来を不倫相手の子供だから倫子と語っていて、これは酷すぎる由来だと思いました。
しかし最後、倫子の倫は不倫の倫ではないことが明らかになります。


食堂かたつむりは「料理を作るのは一日一組だけ」というのが特徴的で、お客の要望に親身に寄り添うことになります。
寄り添ってもらった人はまた来てくれることもあり、徐々に人気になっているのが分かりました。
このゆっくりとした日々は倫子によく合っていると思うので、地域の人達に愛され長く続いていくお店になってほしいと思います。


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「桜風堂ものがたり」村山早紀

2018-03-09 19:20:51 | 小説


今回ご紹介するのは「桜風堂ものがたり」(著:村山早紀)です。

-----内容-----
涙は流れるかもしれない。
けれど悲しい涙ではありません。
万引き事件がきっかけで、長年勤めた書店を辞めることになった青年。
しかしある町で訪れた書店で、彼に思いがけない出会いが……。
田舎町の書店の心温まる奇跡。

-----感想-----
月原一整(いつせい)は風早(かざはや)駅前の星野百貨店の6階にある銀河堂書店に勤めています。
物語の始まりは3月の春休み頃で書店も子供達の姿が多く見られるようになります。
冒頭で一整が「親によっては児童書売り場を託児所扱いして、子供を置いてどこかに行ってしまう」と語っていて、とんでもない非常識さだと思いました。

一整の住むアパートの隣の部屋には元船乗りの老人が住んでいて、二人は比較的仲が良いです。
ある日老人が一整の部屋を訪ね、遠くの海に行く航海に呼ばれたからと言って飼っていたオウムを一整に預けます。
老人の残したオウムは齢数十年は過ぎていて、「アリガトウヨ。ワカイノ。オンニキルゼ」と人間みたいに話すのが印象的で面白いです。
またオウムは90年も生きるとあり、そんなに長生きとは知らなかったので驚きました。

春休みの学校が休みの時期は万引きが増えるとのことです。
この春も本が棚からごっそり万引きされる事件がたまに起きていて一整達は憤っています。

この作品は読点(、)の打ち方に特徴があり、一つの文章を意図して細かく区切ってゆっくり語るような打ち方をしています。
例として児童書担当の卯佐美苑絵(そのえ)が万引き犯と思われる気になる中学生を見かけた時の描写は次のようになっています。
緊張した様子で、足早に店内を歩く様子と、妙に大きなスポーツバッグを持っている様子が気になって、苑絵は児童書の棚の方から、少年の様子を目で追った。

これは私的には点の数が多すぎて不自然に見えました。
一つの描写を細切れにしているため不自然さを感じるのだと思います。
例えば「緊張した様子で、足早に店内を歩く様子」は本来は一つの描写なので無理に点を打って細切れにする必要はないです。
私は細切れにしない次の文章の方が違和感なく読めます。
緊張した様子で足早に店内を歩く様子と、妙に大きなスポーツバッグを持っている様子が気になって、苑絵は児童書の棚の方から少年の様子を目で追った。
また作家によっては三並夏さんの「平成マシンガンズ」のように読点を全く打たない凄い勢いの文章もあり、村山早紀さんはその対極だと思いました。

一整は6月に福和出版社から刊行予定の、団重彦の「四月の魚」という文庫書き下ろし小説が売れる予感がしています。
団重彦は20~30年前に数々のヒット作を生み出した有名なテレビドラマの脚本家で、大病を患い現在は一線を退いています。
小説家としては無名ですが一整の勘は売れると確信していて、銀河堂書店に営業に来ていた福和出版社の大野悟は一整が無名の作家の小説を売り出そうとしていることに驚きとありがたさを感じていました。
店長の柳田六朗太(やなぎたろくろうた)は一整が無名の作品の中から思わぬ宝物を探し当ててヒットさせる才能を持っていることから「宝探しの月原」と呼んでいます。

一整は7歳まで団地で暮らしていましたがそこから高校を卒業するまでは静かな豪邸で暮らしました。
その豪邸は学者の家で図書室もあり、一整は図書室の本を読んで過ごしました。
早くに母が亡くなりその後父や姉とも永遠に別れたとあり、何があったのか気になりました。

書店に置いてある本はある一定の時期までは取次に返品することができますが、サイン本は返品ができないのは知りませんでした。
売れても売れなくても店の買い取りになるためサイン本を置くのは冒険でもあり、著者を応援したい気持ちと自分の店で売り切るという意思表示でもあるとのことです。

蓬野(よもぎの)純也という若手の人気作家の名前が出てきます。
風早の街の出身で、育ちが良く柔和で人好きのする性格で、都内の大学でフランス文学の講師を務めテレビや雑誌にもよく登場する美男子です。
ただ一整は蓬野純也に苦手意識があるようです。
顔が似ているためよく「蓬野純也に似ていませんか?」と言われるのですが、社交的で会話が面白い蓬野純也に対して一整は人付き合いを避けているため、当初そこに引け目を感じているのかなと思いました。
物語が進むと蓬野純也の意外な正体が明らかになります。

一整は万引きをしようとしている少年に気づきます。
その少年は苑絵が万引き犯ではと警戒したものの隙を突かれて万引きされた時の中学生でした。
またしても万引きをし、一整は万引きの瞬間を目撃します。
一整と同じく万引きの瞬間を見ていた苑絵が声をかけると中学生は逃走します。
一整が追いかけますが中学生は百貨店の外にまで逃走し、車道に飛び出して車にはねられてしまいます。
入院になりますが幸い致命傷は負いませんでした。

また少年はクラスのいじめっ子達に脅され、言われるままに万引きを繰り返していたことが明らかになります。
するとインターネットでもテレビでも銀河堂書店がバッシングされます。

「万引きは悪いことだったかも知れない。でも、中学生を、車道に飛び出したくなるほどに追いかけなくても良かったんじゃないか」
「その本屋も、たかだか本と中学生の命と、いったいどっちが大切だと思っているんだ」

これは明らかにおかしな話で、まずこの中学生は窃盗という犯罪を犯し、しかも犯行がばれたら大人しく捕まることもせずに逃走を図りました。
この時点では中学生がいじめっ子達に脅されていたことを一整が知るはずもなく、逃走する犯人を追い掛けるのは正当性があります。
そして中学生は逃走中に車にはねられて入院になりました。
これのどこに書店員を責める要素があるのかと思います。

また中学生はクラスのいじめっ子達に脅されていたのだから悪くないという主張に対しては、犯罪を強要していたいじめっ子達に逮捕できる年齢なら逮捕状を出し、無理なら補導という話になります。
この場合も「逃走する中学生を追い掛けるほうが悪い」という主張は明らかにおかしいです。
私は意味不明な主張で書店員責めをする人にはこれらを徹底的に言うべきだと思います。
そしてこの逃走する犯人を追い掛けた書店員と書店の方が非難されるという話は、川崎で実際に起きた同じような事件をモデルにしているのではと思いました。

中学生を追い掛けたことで自身とお店が全国からバッシングされ、一整は精神的に弱っていきます。
罵倒の電話が次々とかかってきて、投函した人の名前のない葉書に「人殺し」とだけ書かれたものが送り付けられたりもしました。
銀河堂書店と一整を罵倒する電話は星野百貨店の方にまで及びます。

桜の花が満開になった頃、一整は学生アルバイト時代から10年勤めた銀河堂書店を辞めます。
大学の学生課の廊下でアルバイト募集を見たとあるので一整は29歳になる歳かなと思います。
銀河堂書店にも星野百貨店にもこれ以上負担をかけたくないと思った一整は、自身が辞めることで元通りの静かな日々が訪れてくれればと思い自らお店を去りました。

銀河堂書店を辞めた一整は桜野町(さくらのまち)の桜風堂書店に行って店主に会ってみようと考えます。
一整は「胡蝶亭」という書評ブログを書いていて、仲の良いブログ主達の中で一番長く、また頻繁に交流していたのが「桜風堂ブログ」を書いている桜風堂書店の店主です。
桜野町は山間にある小さな町とありました。

苑絵と文芸担当の三神渚砂は小学校四年生からの幼馴染で、二人とも2年前の春に銀河堂書店に採用されたとあるので25歳になる歳かなと思います。
苑絵はゲラの「四月の魚」を読み終わってから本の帯やポスターに使えればと思い家で絵を描いています。

苑絵にとって一整は「王子様」で、一整のことが好きです。
かつて痴漢被害から助けてもらったことがあり、さらに一整は苑絵が小さい頃に読んでいた絵本の氷の国の王子様にそっくりとのことです。
苑絵は最初に中学生の怪しい雰囲気に気づきながら隙を突かれて取り逃がしてしまっていたため、自身のせいで一整が辞めてしまったと思っています。

苑絵の母の茉莉也(まりや)は10代の頃はアイドル歌手として活動していた人で、同期のアイドル歌手で現在は有名女優の柏葉鳴海とは今も仲が良いです。
柏葉鳴海は団重彦が脚本を書き大ヒットしたホームドラマでテレビドラマデビューをしていて、団重彦と縁があります。
さらに読書好きとしても知られ新聞の書評委員にも加わっているような発信力のある女優です。
苑絵は柏葉鳴海に頼んで「四月の魚」を読んでもらい、銀河堂書店でPOP(ポップ)に使えるような言葉を貰えないかと考えます。
私は一整が辞めてからは銀河堂書店の話はなくなり桜風堂書店の話になるのかと思いましたが、続いているのが意外でした。

渚砂は自身と同世代の若い男性の書店員という架空の人物で「星のカケス」というSNSのアカウントを作り活動しています。
星のカケスは胡蝶亭と仲が良く、お互いに相手の本名は知らずに長く交流してきました。
好きな本の傾向が全く同じで性格も相性が良く、渚砂は次第に胡蝶亭が好きになり、現実世界で会って恋人になりたいと思うようになります。
しかし万引き事件で一整が憔悴し胡蝶亭の活動がしばらく止まったのをきっかけに、渚砂は胡蝶亭の正体が一整なのを知り愕然とします。
一整は苑絵の好きな人でもあり、渚砂にとって苑絵は世界の誰よりも守りたい大切な親友です。
わたしは、誰かの大切なものを奪うことはしない
心の中でこのように語り、一整への恋を諦め身を引く決断をした渚砂は格好良かったです。

一整が山道を歩きながら桜風堂書店を目指している時、あまりに田舎過ぎる土地を目の当たりにし、よくそんな人の少ない場所で営業を続けてこられたなと思いながら胸中で次のように語っていました。
書店を経営するには、本を買い、読み続けるだけの知的レベルを持つひとびとの数がその店の近くに、ある程度の数、必要だ。
「知的レベル」とあり、本が売れないのを周辺に住む人のせいにするこの考えはいかがなものかと思いました。
ただ実際に書店を経営する人はお店を閉店にしたくはないので、できるだけ有利な場所に出店するために近くに住む人達の傾向をよく見ているとは思います。

なおも歩き続ける一整が子供時代のことを回想し、7歳の時に父と姉が車の事故で亡くなったことが分かりました。
一整のスマートフォンに桜風堂の店主から町営さざんか病院に入院しているとメールが来て、桜野町に着いてから病院に行き店主に会います。
店主がお茶を出してくれようとした時に国産の葉の紅茶が登場しました。
最近ブログ友達の記事でも見たことがありどんな味なのか興味深いです。

店主は手術をしないといけないのですが長年の無理が祟り体の状態が悪すぎて今は手術に耐えられる状態ではないため、耐えられる体調になるまで養生するように院長から言われています。
桜風堂は既に二週間休業していて、店主は一整に桜風堂を預かってくれないかと言います。
桜風堂は桜野町の最後の本屋で、近所の町や村からも本屋は全て消えてしまっています。

その頃、星のカケス(渚砂)からメールが来ます。
一整は万引き事件でお店を辞めた時、自身が銀河堂書店の文庫担当だと明かしていたので、渚は星のカケスが銀河堂書店に行ってみたことにして、一整が売ろうとしていた本のために店長が一世一代のPOPを作っていることを教えてくれます。
さらに副店長の塚本保(たもつ)も、自身も執筆をしている雑誌の新刊紹介で「四月の魚」を紹介してくれようとします。

一整は店主と会った後桜風堂に行って小学生の孫の透に会います。
透にお店のことを聞くと、桜風堂書店は一整が思っていたよりも町の人に必要とされていることが分かります。
そして一整は休業状態になっている桜風堂を立て直す決意をし、お店を再開させます。
5月になると、体調が持ち直した店主の手術が無事に終わり近く退院できるようになります。

一整が桜風堂がどんな書店かを悟った時の言葉は印象的でした。
桜風堂は自らお客様を、町を育てる書店だった。
都会から遠い、この地に文化を育て、よりよい生活や幸せな暮らしを故郷のひとびとにもたらそうと、そういう願いを持って存在し続けてきた書店なのだった。

これは一整が桜野町の田舎過ぎる雰囲気を見て「知的レベル~」と語っていたことへの答えだと思います。
都会の書店が地域に住む人達の特徴を見てお店を出すのに対し、田舎にある桜風堂は自ら地域の人達が読書好きになるように努めてきたということだと思います。
一整もそのやり方を受け継ぎ、さらなる経営安定を求めてカフェスペースを作ることを考えます。
素材を桜野町から調達することで地元を応援できるとあり、良い考えだと思いました。
桜風堂の経営の考え方ともピタリと合い、より地域に愛される書店になると思います。

桜風堂に福和出版の大野が来て完成したばかりの「四月の魚」の見本を届けてくれ、苑絵がオリジナルの帯とポスターを作ってくれたことを教えてくれます。
また星野百貨店が銀河堂書店を応援するために、一番目立つ一階の駅前ショーウインドウで1ヶ月間「四月の魚」の宣伝をしてくれることになります。
万引き事件で一整が星野百貨店にまで及んだクレームを配慮して自ら辞めたことを知り胸を打たれ、せめて一整が売ろうとしていた本を全館挙げて応援しようと決意していました。

渚砂はカリスマ書店員としても知られ、地元のFM局FM風早で「三日月の本棚」という番組に出演しています。
その番組でも「四月の魚」の特集をすることになります。
どんどん応援が広がり、物凄い勢いになっているのを感じました
そして6月になり「四月の魚」の発売日を迎えます。


「桜風堂ものがたり」の帯には「涙は流れるかもしれない。けれど悲しい涙ではありません」という言葉があり、最初はこの作品への言葉だと思いましたが、物語の中に登場する言葉でもありました。
私は「桜風堂ものがたり」という題名から桜風堂での日々を中心にした物語だと思いましたが読んでいくと「四月の魚」という本を巡る物語な気がします。
そして一整の失意からの立ち直りと、一整が売りたかった本を全力で売ろうとする銀河堂書店の人達の物語だと思います。
それぞれの人物の情景がとても丁寧に描かれていて「四月の魚」に懸ける思いがよく分かり、無名だった本がやがて大ヒット作へと駆け上がっていく静かで綺麗な勢いが面白かったです


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コメント (4)
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