読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「偶然の祝福」小川洋子

2017-11-25 10:58:17 | 小説


今回ご紹介するのは「偶然の祝福」(著:小川洋子)です。

-----内容-----
キリコさんはなくし物を取り戻す名人だった。
息も荒らげず、恩着せがましくもなくずっとーー。
伯母は、実に従順で正統的な失踪者になった。
前ぶれもなく理由もなくきっぱりとーー。
リコーダー、万年筆、弟、伯母、そして恋人ーー失ったものへの愛と祈りが、哀しみを貫き、偶然の幸せを連れてきた。
息子と犬のアポロと暮らす私の孤独な日々に。
美しく、切なく運命のからくりが響き合う傑作連作小説。

-----感想-----
この作品は七つの短編による連作になっていました。
語り手は小説家の「私」で、小さな息子と犬のアポロと暮らしています。

冒頭、「これが私の、失踪者との最初の出会いだった。」という言葉がありました。
「私」は今までに何人もの失踪者を見てきました。
「私」が19歳の時にはついに自身の身内である父方の伯母まで失踪しました。
自身の前から失踪する人が多いことについて、「私」は次のように語っていました。
もしかしたら自分は、特別に選ばれた人間なのかもしれないと思うことがある。失踪者たちのためにある役割を果たすよう、神様に任じられた人間ではないかと。
それぞれの短編ごとに、私の前に現れそして消えていった人達とのことが描かれています。


「私」は小説で生計を立てていますが、初めて文芸誌に採用された小説は盗作で書いたものだったとあり驚きました。
「私」の弟は21歳で亡くなっています。
弟が亡くなってから、「私」には次々と悪いことが起きます。
最後には交通事故に遭い、全治三ヶ月の重傷を負います。
退院してからもリハビリの専門病院に通うことになります。
そこに向かう電車の中で「私」は同じく専門病院に通う女性と知り合います。
女性は弟が入院しているため毎週火曜日に面会に行っています。
「私」も毎週火曜日がリハビリのため、二人は病院に着くまでの間話をするようになります。
女性との当たり障りのない話はそれまで悪いことが次々と起こっていた「私」を元気づけてくれました。

ある日「私」が女性に弟のことを訪ねると、女性の弟は左腕を耳の横につけるような形で真っ直ぐ上に伸ばしたまま、元に戻らなくなって精神科病棟に入院していることが分かります。
読んでいくと「母親の期待に応えよう」という思いがプレッシャーとなり心を蝕み、それが「左腕を真っ直ぐ上に伸ばしたまま元に戻らない」という身体的症状となって現れているのは明らかでした。

女性から弟の話を聞いた日、「私」は小説を書き始めます。
それは女性から聞いた弟の話そのままの内容でした。
女性とは弟の話を聞いて以来一度も会っておらず、「私」の前から消えていきました。


「私」の家には昔、キリコさんというお手伝いさんがいました。
「私」が11歳から12歳になるまでの一年足らずの間しかいなかったとあり、なぜ短期間で姿を消してしまったのか気になりました。
「私」はリコーダーを吹くのが上手く、小学校の学芸会で100人の5年生の中からただ一人選ばれ、メヌエットのソロを吹くことになります。
ところが学芸会前日にリコーダーがなくなりどこを捜しても見つからなく、「私」は愕然とします。
これは「私」が選ばれたことに嫉妬した誰かが隠したのではと思いました。
「私」の母親は「新しいのは買いませんからね」が口癖の人で、リコーダーがなくなったことを言っても買ってはくれませんでした。
この事態を助けてくれたのがキリコさんで、一晩のうちに新たなリコーダーを調達してきてくれました。
「私」はお礼にと、ノートに書きためた物語から一番のお気に入りを色画用紙に清書し、リボンで綴じてキリコさんにプレゼントします。
キリコさんは物語を読んで喜んでくれ、「私」は「生まれて初めて人を喜ばせた、私の物語」と語っていました。

ある日キリコさんの自転車の籠に、買い物をしているうちに紙袋に包まれた三個のジャムパンが入っている事件が起きます。
「私」の母親は気味が悪いから捨てなさいと言いますが、二人は母親に内緒で食べることにします。
これはよく食べたなと思いました。
私は知らないうちに籠に入っているようなパンは怖くて食べられないです。
そしてパンを誰がキリコさんの自転車の籠に入れたのか気になりました。

「私」から見てキリコさんを形容するのにふさわしい表現は、「なくし物を取り戻す名人だった」とありました。
「私」が何かをなくして困った時、必ずキリコさんが助けてくれます。
しかしこの短編の題名は「キリコさんの失敗」とあり、そんな頼りになる人が何を失敗したのか気になりました。
キリコさんもまた「私」の前から姿を消すことになります。


「私」は公園で小説を読んでいる男に話しかけます。
男が読んでいるのは「私」 が書いた小説で、普段見知らぬ人に用もないのに話しかけることなどない「私」もその時は興味を引かれて話しかけました。
話しかけると男は読んでいる小説が自身にとっていかに大事なものかというのを力説し始めます。
さらに「私」が書いた小説をデビュー作から全部揃えていて、その全部をどこでも読めるよう、ポケットのたくさんついたコートを着てそれぞれのポケットに小説を入れています。
この時点でこの男は尋常ではないなと思いました。
男は小説の作者が「私」であることも知っていて、「僕はあなたの弟だ」と名乗ります。
しかし「私」の弟は既に亡くなっていて、この男は何を言っているのだろうと思いました。
そして男はどこにでもついてくるようになり、「私」がつきまとわないでくれと言っても「どうぞ怒らないで。ご迷惑はお掛けしません」と言っていて話が通じないです。
男はストーカーのように見えました。
こんな失踪しそうにない男でも最後には「私」の前から消えていったのが意外でした。


「私」が飼っている犬のアポロが病気になります。
どしゃ降りの雨の中、ベビーカーに乗った息子とアポロとで隣町のペット病院を目指しますが、途中でアポロが力尽きて歩けなくなってしまいます。
そんな時、偶然車で通りかかった獣医師の男が助けてくれます。
まれに、その場にいてくれると助かる人が現れる偶然が起こることはあるなと思います。
男とはこの時一度会ったきり、二度と会うことはありませんでした。


息子がまだお腹の中にいた頃、「私」は南の島に行きます。
雑誌社から旅行記を頼まれていたのと、それとは別に南の島で小説を執筆しようとしていました。
さらに物語が進んでいくとこの島には「私」の不倫相手の指揮者の男がいることが明らかになります。
男は妻子持ちで、「私」が妊娠した途端に逃げていきました。
「私」は旅行記と小説の執筆だけでなく、逃げた男の姿を見にこの島に来たのだなと思いました。
「私」がかなり淡々と胸中を語っているところに、既にこの男とは二度と会うことがなくなるのを悟っている様子が現れていました。


最後の短編で「私」は一時的に言葉が出せなくなります。
きっかけになる病気はありましたが、逃げていった男のことなど、これまでに起きた出来事が精神状態に少しずつ影響を与えている気もしました。
やがて「私」がもう一度言葉を話せるようになった時、今まで「私」の前から消えていった人達とのことを受け止め、息子とアポロとの「今」を楽しく生きていけるようになった気がします。


この作品は淡々とした語りで進んでいきましたが、その淡々とした中にも起伏がありました。
静かな雰囲気の「私」の中にも当然感情があり、ワクワクする時もあれば失望する時もあるというのが物語全体を通して現れていた気がします。
そして生きていく中では消えていく人だけでなく新たに現れる人もいるので、「私」には新たに現れる人達との縁をぜひ大事にしてほしいと思います。


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nori蔵 COFFEE店

2017-11-23 12:07:12 | グルメ


先日「nori蔵 COFFEE店」というカフェに行きました。
名古屋駅から一駅隣の栄生(さこう)駅の近くにあります。

このカフェはランチが充実していて、特に「めんたいご飯」がカフェの名物とありました。
私は「から・カニめんたいご飯」をランチセットにして頼みました。



めんたいご飯の上に唐揚げとカニクリームコロッケが載っています。
めんたいご飯はフライパンにバターを載せ、ご飯とともに特製明太子ソースを入れて炒めています。
ご飯は雑穀米で、赤飯と似た色合いです。
バターとめんたいソースがそれぞれご飯によく合っています。
ほんのりバターのコクがあり、そこにめんたいソースのつぶつぶが加わり、パクパクと箸の進む美味しいご飯でした。

ランチセットにすると無料でスープ、サラダ、デザートがつきます。
スープはコンソメとカレーを合わせたような風味がありました。
もやしと玉子とキャベツが入っています。
サラダはじゃがいもとベーコンのクリームソースで、きざみパセリをふりかけています。
デザートはチョコのシフォンケーキです。
ホイップクリームが載り、ココアパウダーがかかっています。



食後にnori蔵ブレンドコーヒーを飲みました。
器が大きめで量がたくさんあるのが印象的でした。
深い味わいで、湯気とともに立ち上ってくるコーヒーの香りがホッとした気持ちにさせてくれます。
しっかりとした苦味がありますが喉越しがさっぱりとしていて飲みやすいコーヒーでした。

店内は木の暖色系の造りでリラックスして過ごせる空間でした。
ご飯もコーヒーも美味しかったのでまた機会があれば行ってみたいと思います
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「最果てアーケード」小川洋子

2017-11-19 19:28:07 | 小説


今回ご紹介するのは「最果てアーケード」(著:小川洋子)です。

-----内容-----
使用済みの絵葉書、義眼、徽章(きしょう)、発条(バネ)、玩具の楽器、人形専用の帽子、ドアノブ、化石……。
「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店ばかりが集まっている、世界で一番小さなアーケード。
それを必要としているのが、たとえたった一人だとしても、その一人がたどり着くまで辛抱強く待ち続けるーー。

-----感想-----
「そこは世界で一番小さなアーケードだった。」という語り出しから物語が始まりました。
小さくてひっそりとしたアーケードで、「もしかするとアーケードというより、誰にも気づかれないまま、何かの拍子にできた世界の窪み、と表現した方がいいのかもしれない。」とありました。
語り手の「私」はそのアーケードで生まれ、アーケードとともに人生を歩んできました。
父がアーケードの大家だったとのことです。

とても不思議なアーケードで、「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店ばかりが集まっています。
しかしアーケードには数は少ないですがお客さんがやってきます。
物語は「私」の視点で描かれる10編の短編による連作になっています。

最初の短編で「私」はアーケードの突き当たりにある中庭から、アーチ形のアーケード入口に立つ人影を見ています。
「私にはそのシルエットが、本当にアーケードを必要としていて、長い彷徨の末に行き着いた人なのか、あるいは単なる冷やかしなのか、区別がつく。」とありました。

レースのお店を訪れた、周りから「衣装係さん」と呼ばれる老女が店主と話している時の笑い声の表現が印象的でした。
笑い声はステンドグラスのあちこちにぶつかり、弾けるようにして響き渡った。
これは良い表現だなと思いました。
芥川賞系の作家さんはこういった笑い声のような日常によくあることの描写で印象的な表現をすることがよくあります。

レースのお店は使い古しのレースだけを扱っていて、衣装係さんは気に入ったレースをいくつも買っていきます。
そして「私」が衣装係さんのもとへ購入したレースを配達しに行きます。
「私」はアーケードの中庭から訪れる人を眺めているだけではなく、配達の役割がありました。

「私」は衣装係さんの家に何度か配達をするうちにすっかり仲良くなります。
そのまま静かに物語が流れていくのかと思いましたが、ある時それまでの静かな物語とは少し違う雰囲気になり、「私」は衣装係さんのレースに秘めた想いを知ることになります。


アーケードの一番奥には「読書休憩室」があります。
百冊ほどの本と魔法瓶に入ったレモネードが用意され、アーケードのお店のレシートを見せれば誰でも好きなだけ利用できます。
「私」が11歳の頃、父が事務所兼倉庫兼住宅の一階倉庫部分に手を加えて作りました。

唯一、Rちゃんという子だけはレシートなしで読書休憩室に入れます。
許可したわけではないですが「当然な顔をして、大胆に、彼女はそこに座っていた」とありました。
ある日「私」が本を読んでいるとRちゃんが「どうしてあなた、嘘のお話ばかり読んでるの?」と話しかけてきます。
Rちゃんは「私」が読む本の全てを既に読んでいて、「私」が物語にうっとりすると「ご都合主義」「甘ったるい」「軽薄」「気負いすぎ」などと読んだ本の内容に手厳しい言葉を浴びせてきます。
「私が”嘘のお話”を好むのに対し、Rちゃんが求めるのは”本当のお話”だった。」とありました。
この時二人はまだ12歳の小学生で、小学生のうちからハッピーエンドの物語より現実の人間を描くような話を好むとは珍しいなと思います。
そしてRちゃんが最も愛したのは百科事典だったとあり、これには驚きました。
Rちゃんは百科事典を第一巻「あいう」から読み始め、最後の「ん」がどんなふうになっているかを読むのを楽しみにしていました。
しかしRちゃんのその楽しみが叶うことはなく、亡くなってしまいます。

やがて「私」が「紳士おじさん」と心の中で呼ぶ、Rちゃんの父親が現れ、Rちゃんと同じように百科事典を読み始めていきます。
そこには娘が果たせなかったことを代わりに果たしたいという父親の姿がありました。
そして娘が読み進めていた百科事典を読むことで、そこに娘の面影を見つけたい思いもあったのではと思います。

10編の短編は「私」の視点での連作なので、以前の話で登場した人物のことが別の話で再び描かれることがあります。
10年前の子ども時代の「私」は12歳で、現在は22歳になっています。
物語を読み進めていくと、「私」がアーケードの中で様々な人を見てきたことがよく分かります。


「遺髪レース」の話には驚きました。
依頼によって遺髪でレースを編む女性職人が登場し、そんな仕事もあるのかと思いました。
そして「私」も自身のかつて切った髪でレースを編んでほしいと頼みます。
「私」は生きているので遺髪レース職人は「遺髪しか編まないのよ、私は」と言います。
しかし「私」も「はい、分かってます」と言って引き下がらないです。
やがて遺髪レース職人は「よろしいでしょう」「編みましょう、遺髪レースを」と言って引き受けてくれます。
その髪は三つ編みで、当初この場面を読んだ時は病気で亡くなった母親がよく三つ編みを編んでくれたので、「私」にとって母の面影を感じる大事な遺髪なのだと思いました。
しかし読み進んでいくと一番最後の短編で、この遺髪には二重の意味があることが分かります。
「亡くなった母の面影を感じる遺髪」だけでなく、「亡くなった父の面影を感じる遺髪」でもありました。

「私」が16歳の時、父に訪れる突然の死が描かれた短編では、父の死の直前まで「私」にはそれまでの短編にはない活力や勢いの良さがありました。
父の死後、最初の短編でアーケードの突き当たりにある中庭から、アーチ形のアーケード入口に立つ人影を静かに見ているような「私」になったのだなと思います。


どの短編も「私」が小学生の頃から見てきたアーケードでの日常が静かに描かれています。
そしてどの短編でも短めの話の中で何らかの出来事が起こります。
中には狂気を感じるものや人が死んでしまうものもありますが、そういった出来事を読んでいて辛くはならないような穏やかで静かな書き方をしていて、この穏やかさや静かさは小川洋子さんの良さだと思います。


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「イシマル書房編集部」平岡陽明

2017-11-18 18:08:39 | 小説


今回ご紹介するのは「イシマル書房編集部」(著:平岡陽明)です。

-----内容-----
満島絢子は念願かなって神保町の小さな出版社にインターンとして採用された。
しかし、当のイシマル書房は親会社から「半年で経営が改善されなければ他社に株を売却する」と最後通告を受けるー
会社存続の危機に、石丸社長を中心に、理由(わけ)あり作家、引退していた編集者、活版職人で絢子の祖父、元ヤンキーの営業マン、全国の書店員……など「小説」を愛する人々が立ち上がった。
果たして起死回生のベストセラー小説は生まれるのか?
書き下ろし長篇。

-----感想-----
平岡陽明(ようめい)さんの作品は今回初めて読みました。
知らない作家さんだったのですが小説の舞台が馴染みのある神保町で、内容にも興味を持ったので読んでみました。

冒頭、満島絢子は神保町にある「イシマル書房」という出版社に面接を受けにきます。
社長の石丸周二と専務の石丸美代が迎えてくれて、面接が始まります。
石丸は33歳、美代は一つ上の34歳とありました。
絢子は25歳で、1ヶ月前にOA機器(オフィスオートメーション、企業用の情報機器)の会社を辞め、憧れだった出版社で仕事をしたいと考えています。
しかしイシマル書房は危機を迎えていて、周二は「来年のうちのスローガンは、”生き延びる”です」と言います。
周二が語っていたインターネットと出版社の関係は興味深かったです。

「かつてクルマがうまれ、人力車夫は失業しました。石油革命で、鉱山は日本から姿を消しました。ではインターネットも、出版業を押し潰してしまうほどの革命なのだろうか?いまのところ、答えはイエスでありノーです。最終的な答えはまだ出ていません。だから僕らにできるのは、生き延びること。生き延びていれば、その先に何かがあるかもしれない。ないかもしれない。かりに何もなかったとしても、悔いはない」

私はインターネットの発達によって紙媒体に頼らなくても書籍が読めるようになったことから、出版業の衰退は今後も続いていくと思います。
ただし書籍の場合は「紙媒体の本で読みたい」という人もそれなりに存在するので、出版業界自体が消滅するほどにはならないと思います。

絢子はネットで「あやたんぬ」という名前で「読書メーター」をやっています。
読書メーターは読んだ本を記録して読書量を管理したり、日本中の読書家さんと本の話ができるサービスです。
イシマル書房では二週間前に「里山の多様性(ダイバーシティ)」という本を発売していていますが、あまり売れていないです。
絢子は美代から「里山の多様性」を貰い、さっそく読んで読書メーターに感想を書いていました。
絢子は天性の速読の才能があり本を読むのが凄く速く、読書メーターでの読んだ本の数が7216冊とあり驚きました。
「あやたんぬ」は読書メーターきっての強豪として知られ、感想を書くことで「里山の多様性」の売り上げアップに貢献しようと考えていました。

私は「多様性」自体は人それぞれの生き方があるということで大事なことだと思います。
ところがこの「多様性」という言葉を悪用し、自分達側の主張を相手に押し付けるために使う人達がいるため、「多様性」という言葉をやたらと使いたがる人には不信感を持っています。
そして「多様性」という言葉に抱く印象も悪くなりました。
ある人達の悪用によって言葉の印象が悪くなるのは残念なことだと思います。

絢子は本郷のアパートに住んでいます。
そのアパートの近所の描写が興味深かったです。

ごみごみした水道橋の学生街をぬけ、東京ドームシティの観覧車を横目でにらみつつ、右に折れて坂をのぼる。
すると昭和どころか、大正を偲ばせる路地に入り込む。古民家の住人たちが手塩にかけて育てた植木鉢が、打ち水された小路にひしめいている。まるで昔の小説誌の挿絵を見るようだ。


東京の都心に近い地域でも昔を感じさせる雰囲気の場所があります。
打ち水された小路に植木鉢が並ぶような場所なら静かで落ち着け、さらに都心にもすぐに行けて良いなと思います。

イシマル書房はとても小さな出版社で、社長の周二、専務の美代、新しく入った絢子の他には、営業の宇田川竜己がいるのみです。
この四人で忘年会で熱海へ社員旅行に行くことになります。

その社員旅行で美代から絢子に小暮という男の話がありました。
小暮はCTカンパニーというIT会社の役員をしていて、CTカンパニーはイシマル書房の親会社です。
一年前、倒産寸前だったイシマル書房にCTカンパニーが出資をしてくれて親会社になりました。
イシマル書房は小暮を始めとするCTの人達から「今は作品じゃなくて、コンテンツの世の中です。その違いをよく理解してください」と言われたとのことです。
これはイシマル書房が純粋に作品として優れたものを出版しようとしているのに対し、その作品を利用して他のメディアにも進出し、アニメ化、ドラマ化、映画化、作品の関連グッズの販売など、どんどん儲けることを考えろと言っているのではと思います。
IT会社らしい考え方だと思います。

さらに小暮からは「あと半年で経営に改善が見られないようなら、とあるパチンコメーカーに御社の株を売却します」と言われたとのことです。
CTカンパニーは出版の世界はコンテンツの宝庫と考えていて出版社経営に興味がありますが、出資した出版社が経営改善しなければ見切りをつけるのも早いようです。
これに対して周二は「CT社の保有するうちの株を全部買い戻すから、期限を半年から一年に延ばしてくれ、お金は必ず用意する」と宣言します。
しかし株を買い戻すには7千万円も必要で、それには1300円の本を15万部売る必要があります。
小さな出版社のイシマル書房で15万部も売れる本を出すのは非常に難しいです。

周二は一年以内に7千万円のお金を作るため、最高編集責任者(CEE、チーフ・エグゼクティブ・エディター)を募集し、その人に15万部売れる本を作ってもらおうとします。
イシマル書房は財政も厳しいため、経験豊富でかつ既に退職しているシニア世代の人を募集します。

その募集に岩田鉄夫という元編集者の72歳の男が興味を持ちます。
岩田も読書メーターをやっていて、あやたんぬと仲良しの「アイアン」の正体は岩田でした。
岩田は周二に会い、「生き延びたい」という言葉を聞いて忘れかけていた編集者魂に火がつきます。
岩田にイシマル書房の募集のことを紹介したのは多治見という56歳の現役の編集者で、二人で久しぶりに会って飲んだ時、気宇壮大(きうそうだい)という言葉がありました。
これは心意気、度量や発想などが人並み外れて大きいという意味で、普段なかなか聞かない言葉です。
他にも糊塗(曖昧に取り繕っておくことという意味)など、この作品ではたまに珍しい言葉が登場することがあります。

岩田は多治見と銀座で飲んだ後、かつて行きつけだった「沙を梨」という文壇バーに寄ります。
そこで20年近くぶりに再会したママさんと島津正臣という、岩田と因縁のある作家の話になりました。
ママがイシマル書房を助けるために島津に小説を書いてもらうことを勧め、岩田もそれしかないと決意します。
弱小出版社のイシマル書房では売れている作家は書いてくれないですが、島津はそれほど有名な作家ではないです。
岩田が「俺のせいだよ。俺があいつを潰したようなもんだもん」と言っていたのが気になりました。

島津は現在は尾藤陸という名前で官能小説を書いています。
本名は高村正夫と言い、岩田によると高村という姓は薩摩の由緒ある名字とのことです。
さらにペンネームの島津は薩摩の殿様、島津家から取っていて、岩田は島津に歴史小説を書いてもらうのが良いのではないかとイシマル書房の人達に言います。
岩田の「優れた作家は自分にふさわしい素材を見つけたとき、ペンに神が宿る」という言葉は印象的でした。
島津にそんな素材を渡すため、各自題材を考えます。

絢子は古事記を小説仕立てにして人間ドラマを見せる案を考えます。
古事記は日本神話が書かれていて天照大御神(あまてらすおおみかみ)などが登場するので、これは面白そうだなと思いました。

島津はかつて売れっ子作家になったのですが、新境地を拓こうとして書いた歴史小説で盗作疑惑が起き失脚しました。
当時担当編集だった岩田は疑惑になった部分を事前のチェックで気づかなかったことに責任を感じていました。

現在尾藤陸として活動している島津には三宅という20年の付き合いになる編集がついています。
その三宅が島津に「うちの作品は後回しで良いから歴史小説を書いてみてはどうか」と背中を押してくれます。
岩田の説得もあり、ついに島津は再び「島津」のペンネームで歴史小説を書く決心をします。
絢子の古事記の案で小説を
書くことになり、題名は「小説 古事記」になります。
岩田と島津の会話で印象的なものがありました。
岩田が周二について、「彼の現状把握は正しい。今はまさしく、生き延びる時代じゃないか」と言います。
島津が「しんどいね。まるで殿(しんがり)戦の気分だ」と言うと、岩田は次のように言っていました。
「時代なんだよ。いまは生き延びることが、すなわち勝利を意味するんだ。俺たちはいい時代も知っているからいいようなものの、いまの若い人たちはちょっと不憫だね」
これは昔の人は不便な時代から便利な時代になっていく中を生き、暮らしがどんどん便利になっていくことで活力を感じられましたが、近年はあまりに便利になりすぎたため、日々に活力が感じられないということだと思います。
さらにバブルの時代の人達は何もかもが順調で日本全体が浮かれたような時代を生きましたが、バブル崩壊後に生まれたり、青春時代を迎えたりした人達は、長きに渡って辛い時代を生きることになりました。

島津が出雲の部分の神話の執筆で行き詰まると、岩田、島津、絢子の三人で出雲に取材をしに出掛けていました。
神話の舞台になった地の神社や遺跡、資料館などを見て回るとそれまでなかなか浮かばなかった物語のきっかけを得られたりするようです。

物語の終盤は「小説 古事記」を15万部売るために全員で一丸になって様々な手を尽くしていました。
ネットのクラウド・ファンディング(ある企画に対してネット上で資金を募ること)で出資を募ったりもしていました。
出資への見返りは出資者限定の豪華装丁の「小説 古事記」です。
さらに関西地方、九州地方などの各地の書店を訪れて地道に「小説 古事記」の注文を取っていました。
特に神話の舞台になっている地域の書店ではたくさんの注文を受けてくれていて、やはり「ご当地もの」の価値は高いなと思います。
イシマル書房の行く末はどうなるのか、最後まで興味深く読んでいきました。


知らない作家さんでしたが読んでみると話の作りが上手くて面白かったです。
そして文章がさっぱりしているので読みやすかったです。
機会があれば他の作品も読んでみようと思います。


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「ホワイトラビット」伊坂幸太郎

2017-11-11 12:35:58 | 小説


今回ご紹介するのは「ホワイトラビット」(著:伊坂幸太郎)です。

-----内容-----
助けて!
人質立てこもり事件発生!
その夜、街は静かだった。
高台の家で、人質立てこもり事件が起こるまでは。
SIT(特殊捜査班)に所属、宮城県警を代表する優秀な警察官も現場に急行し、交渉を始めるがー。
逃亡不可能な状況下、息子への、妻への、娘への、オリオン座への(?)愛が交錯し、緊張感はさらに増大!
しかし読み心地は抜群に爽快!
あの泥棒も登場します。

-----感想-----
兎田(うさぎた)孝則と猪田勝の二人は人を誘拐する会社で「仕入れ」を担当しています。
仕入れとは対象の人物を誘拐してくることで、冒頭、二人は西麻布で女性を誘拐していました。

二人の話で、誘拐会社の経理をしている女性が会社の金を横領して逃げていたとありました。
折尾(おりお)豊という会社と付き合いのあるコンサルタントに唆されて会社のお金を横領したとのことです。
折尾豊は誘拐会社の人達からは「オリオオリオ」と呼ばれています。
折尾は何かとオリオン座の話をすることで有名で、物事をオリオン座の星の並びに当てはめて説明しようとする特徴があります。
会社のお金を横領した女性は捕まりましたがお金を別の口座に移していて、さらに既に裏切り者として亡き者にしてしまっていたため、お金を回収できなくなっています。
そこで会社の幹部達は折尾を追いかけています。

兎田は綿子という妻と仲良く暮らしていて、幸せな日々がずっと続くと思っていました。
平家物語を使っての言い回しが面白かったです。
諸行無常であろうが、盛者必衰であろうが、俺と綿子ちゃんの幸福な日々はずっと続くのよ、ごめんね祇園精舎、悪いね娑羅双樹

ところが、綿子が誘拐される事件が起きます。
「春の夜の夢のごとく、幸せな日々は終わってしまった」と平家物語の言い回しに落ちをつけていたのが面白かったです。
二年間誘拐会社で人を誘拐してきた兎田でしたが自身の妻が誘拐される事態には茫然としていました。

ここから仙台での人質立て籠り事件(白兎事件)が始まります。
20代の勇介とその母親、父親が在宅している佐藤家に拳銃を持った男が押し入ります。
最初に勇介と母親が捕まり、次に二階にいた父親も捕まります。

場面が変わり、仙台駅東口のファミリーレストランで黒澤、中村、今村の三人が詐欺師の家に泥棒に入る話をしています。
黒澤は他の伊坂さんの作品にもよく登場します。
中村と今村は仲良くコンビで活動している泥棒で、中村が親分、今村が子分のような間柄です。

勇介が犯人の隙を突いて警察に通報したことで人質立て籠り事件の発生が明らかになります。
宮城県警察本部の特殊捜査班SITの夏之目課長、春日部課長代理、大島が中心となって対応します。
犯人は夜明けまでに「折尾」を探して自身の前に連れてこいと要求します。
またしても折尾の名前が登場しました。

この作品は仙台人質立てこもり事件の全てを知る者が後日談の形で高みから見下ろすような語りをしているのが特徴です。
三浦しをんさんの「あの家に暮らす四人の女」の中でたまに似た語り方になる場面があったのを思い出しました。

立てこもり犯は一度折尾に鉢合わせたのですが逃げられてしまいました。
しかし折尾の持っていたバッグにGPS発信器を仕込んでいました。
そのGPS発信器のついた折尾のバッグを佐藤家の父親が道端で拾って持って帰っていたため、それで犯人は佐藤家にやってきました。
そして折尾を連れてこいと要求している立てこもり犯は兎田です。
綿子を誘拐したのは誘拐会社の誰かで、横領された会社のお金が預けられている口座番号を聞き出すため、折尾を捕まえろと要求してきました。
兎田は警察に綿子の救出を頼むことも考えましたが、警察内にも誘拐会社の人間が入り込んでいて、警察に言えばすぐにバレてしまい綿子も無事では済まなくなります。

夏之目が「佐藤家には何かある」と言っていました。
さらに高みから見下ろすような語りにも「あの家族には何かある。隠し事があり、そのことがこの白兎事件を複雑にもしている。」とあり、佐藤家に隠されていることがとても気になりました。
最初にまず父親の正体に驚くことになりました。

折尾が警察によって見つかる急展開になります。
夏之目、春日部、大島の前に連れてこられた折尾は喋り方がかなりのらりくらりとしています。
さらに折尾は自身は夏之目達の質問をのらりくらりとかわしてまともに答えないのに、夏之目達には「なぜ自分が立てこもり犯のところに連れて行かれないといけないのかちゃんと説明しろ」と言います。
兎田と折尾が電話で話すのですが、誘拐会社に追われているのを知っているのにさも何も事情が分からないかのように話す折尾のしらばっくれぶりがうざかったです。

別の場面になり、稲葉という誘拐ビジネスを行う会社の創業者が登場します。
稲葉のそばには捕らえられた綿子がいて、綿子は東京から仙台に連れてこられ、倉庫に監禁されています。

「よんどころない」という言葉は興味深かったです。
「よんどころない事情があった」という使われ方をしていて、「やむを得ない」という意味のようです。
「やむを得ない」を使う人はたくさんいても「よんどころない」を使う人はあまりいない気がして新鮮な言葉でした。

夏之目には妻と愛華という娘がいましたが、二人は交通事故に遭い亡くなっています。
愛華が大学一年生の時、愛華と夏之目が二人並んで夜の舗道を歩きながらの小説「レ・ミゼラブル」についての会話が印象的でした。

「海よりも壮大な光景がある。それは空だ。空よりも壮大な光景がある。それは」
「宇宙か?」
「それは人の魂の内部」
「人の心は、海や空よりも壮大なんだよ。その壮大な頭の中が経験する、一生って、とてつもなく大きいと思わない?」

「それは人の魂の内部」は印象的な言葉です。
これはまさしく宇宙のように広いと思います。

兎田の「折尾を連れてこい」という要求にどう応えるか夏之目達が考える間も折尾はオリオン座のことばかり話しています。
折尾は立てこもり犯には仲間がいて、そのグループから被害を受けた者達のリストがあり、そのリスト上の住所を仙台市の地図に当てはめてみるとオリオン座の形に似てきて、右下のオリオンの足「リゲル」の位置に仲間の潜伏場所があると主張します。
まさか立てこもり犯の仲間の潜伏場所をオリオン座で導き出すとは思わず驚きました。

そして折尾の正体にも驚きました。
一体なぜそんなことになっていたのか、先の展開が気になりました。
さらには佐藤家の勇介と折尾の意外な接点にも驚かされました。
物語後半は驚きがいくつもありました。

「紙に点を四つ打って、四角形を描いてみせて対角線を引き、その対角線の交差した中央の点を指差すと、相手はその真ん中の点に注目し、四角形の四つの角の点はそれほど気にしない」とあったのは興味深かったです。
これは言い方、見せ方次第で相手の受け取り方が大きく変わるということで、インチキコンサルタントなどが好んで使いそうな気がします。

泥棒の黒澤の立てる作戦が鮮やかで面白かったです。
この物語の真の主役は黒澤なのではというくらい活躍していました。
窮地に陥っても起死回生の一手で読んでいるこちらを驚かせてくれます。


今作は物語の語り方が普段の伊坂さんの作品と違っていて興味深かったです。
以前も語り方を変えたことがあり、今回違和感はありましたがやはり作家としては普段とは違う語りを試してみたいのだと思います。
そして物語が進んでいくとまさかの展開があって驚かされるのは伊坂さんらしかったです。
次はどんな作品が読めるか楽しみにしています。


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短歌で表す今の心

2017-11-07 20:57:18 | ウェブ日記
ここしばらく、精神的にとてもきつい日々が続いています。
うんざりとし、さらに虚しい心境にもなっていて、ブログを書く気力がなくなっています。
ここ数日はツイッターでの簡単なつぶやきをする気力もなくなっていました。
今日もそんな状態だったのですが、ふと「短歌」で今の気持ちを表してみようかなと思いました。
私自身が感性を大事にするタイプで元々俳句や短歌を詠むのも好きなので、自然と心の奥から「短歌で気持ちを表してみよう」という気持ちが浮かび上がってきたのだと思います。
そしてツイッターで次の短歌をつぶやきました。

「風吹きて 木の葉舞い散る 街路樹に 侘しさ通ず 我が胸の内」

気力がなくなっていても短歌なら詠むことができました。
この短歌は、まず自身が街を歩いていて、歩道の脇には街路樹が並んでいます。
そして深まった秋の冷たく強い風が吹き、紅葉した街路樹の木の葉が舞い散ります。
風が吹くごとに木の葉の数が少なくなっていくその様子を見て詫しさを感じ、自身が胸の内で抱えている侘しさに通じるものがあるな、と思うというものです。

短歌は詠んでいると心を整えてもくれます。
一歌詠んでいるうちにボロボロで茫然となっていた心が落ち着きました。
俳句も短歌も決まった文字数で自身の見たこと、感じたことを表現し、そこには普段の「文章」とは違った風流な雰囲気が漂い、日本の良き文化だと思います。
またそのうち俳句や短歌を詠みたいと思います
コメント (6)
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