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「ユング自伝 Ⅱ -思い出・夢・思想-」編:ヤッフェ 訳:河合隼雄、藤縄昭、出井淑子

2017-06-04 19:43:35 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「ユング自伝 Ⅱ -思い出・夢・思想-」(編:ヤッフェ 訳:河合隼雄、藤縄昭、出井淑子)です。

-----内容&感想-----
※「ユング自伝 Ⅰ -思い出・夢・思想-」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

この本はジークムント・フロイト、アルフレッド・アドラーと並ぶ心理学三大巨頭の一人、カール・グスタフ・ユングの自伝の完結編です。
内容は一巻の「Ⅵ 無意識との対決」からの続きとなります。
一巻が少年時代から始まったのに対し、二巻はフロイトとの出会いと決別、そして人生の危機を経た後の中年時代から始まります。

「Ⅶ 研究」

「分析心理学について」
「分析心理学は基本的には自然科学である。しかし、それは他のどのような科学よりも、観察者の個人的な先入見に影響される」とありました。
観察者の個人的な先入見に影響されるのを認められるのがユングの良いところだと思います。
私は「私の心理学こそが最も自然科学的であり客観的である」とやけに声高に主張するような人より、「心理学は観察者の個人的な先入見に影響されやすいものだ」ときちんと認めた上で理論を構成する人のほうが信用できる気がします。

「錬金術の研究」
ユングは自身が夢に見たものがきっかけとなり、「錬金術」についての研究をしていくことになります。
これは単に錬金術に興味を持ったからではなく、まだ錬金術に出会う前に見ていた夢の中に、明らかに錬金術のシンボルであるものが登場していたことに気づいたからです。
全く知らないはずの錬金術のシンボルが夢に登場したということで、この体験はユング心理学の重要な考えの一つである「集合的無意識(普遍的無意識)」につながっていると思います。
「集合的無意識(普遍的無意識)」は人類全体が共通で持っている無意識のことで、例えば太陽を見ると神を連想することなどです。


「Ⅷ 塔」

ユングは心理学の学問的研究を続けていくうちに、自身の内奥の想いや得た知識を、「石」に何らかの表現をしなければならないと思うようになります。
そしてスイスのボーリンゲンに「塔」と呼ばれる石造りの家を建てていきます。

ボーリンゲンの塔での生活について、次の文章が印象的でした。
「私は電気を使わず、炉やかまどを自分で燃やし、夕方になると古いランプに灯をともした。水道はなく、私は井戸から水をくみ、薪を割り、食べ物を作った。このような単純な仕事は人間を単純化するものだが、それにしても単純になるということはなんと困難なことであろう。
この「単純になるということはなんと困難なことであろう」は良い表現だと思いました。
水道も電気もない生活は単純作業を中心にした生活になりますが、その作業をしながらの生活は「単純」ではなくとても大変です。
Ⅶ章やⅧ章は一巻のようなユングの内面についての抽象的な文章は少なくなっていました。

「心について」
ユングは次のように語っていました。
「われわれの心は、身体と同様に、すべてはすでに祖先たちに存在した個別的要素からなり立っている。個人的な心における「新しさ」というのは、太古の構成要素の無限に変化する再構成なのだ。したがって肉体も精神も、すぐれて歴史的性格をもち、新しいもの、つまり今ここに生起するもののなかに、独自といえる個所はない。すなわち、そこでは先祖の要素がただ部分的にあらわれているにすぎないだけである。」
これはとても興味深い考えでした。
現在の私達の心はそれまでの人類の歴史によって形作られているということで、未来の人達の心には、現在の私達の心も歴史の一部となり組み込まれているのだと思います。


「Ⅳ 旅」

ユングは初めて非ヨーロッパの地、北アフリカに来ます。
かねてからアフリカに行ってみたいと思っていた念願が叶いました。

「時計について」
ユングの時計についての考えが興味深かったです。
「時計というものは、疑いもなく、無心な魂を脅かすようにたれこめた暗雲なのである。」
時計を暗雲としているのが印象的で、たしかに時計によって時間が刻まれていくのは漠然とした圧迫感があります。

「ヨーロッパ人について」
ユングはヨーロッパ人について、「ヨーロッパ人は軽薄」「ヨーロッパ人は合理主義傾向が強い」と特徴を語っていました。
自身もスイス人でありヨーロッパ人なのですが、ヨーロッパ人全体を軽薄と見ているのが印象的でした。
元々そう思っていて、北アフリカの人達を見て比較したら一層そう思ったようです。

「アメリカのインディアンについて」
ユングはアメリカにも行って先住民族であるプエブロ=インディアンに会います。
ユングがプエブロ=インディアン達に話を聞くと、彼らは太陽を神として崇め、毎日太陽が天空を横切るのを手伝うことが全世界のためになると本気で信じていました。
これが宗教の凄いところであり、この信仰に対し、「太陽が横切っていくのではなく、地球が自転しているから太陽が横切って行くように見えるのであって…」などと理論をぶつけても役には立たないです。
また、太陽を神と捉えることは「集合的無意識(普遍的無意識)」によって人類全体が神と捉える傾向があり、日本でも「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」という最高位の神様になっています。

「ケニヤとウガンダ」
次はケニヤとウガンダに行きました。
ウガンダでユングに「ここの国は人間のものではなく、神の国なのだ。だから、たとえどのようなことが起こっても、ただじっと坐っていて、心配することはない」と話しかけてきた人がいました。
これは「ウガンダは神によって守られている」と「病気などになっても神が見守っているのだから怖がることはない」の両方の意味かなと思います。

小屋で寝ているところをハイエナに引きずり出されて食べられてしまった老人がいました。
このことについてユングは「アフリカには確かなものは何もない」という言葉を使っていて、重く響きました。

ユングはこの地の黒人について「彼ら黒人たちは、相手となる人の表現とか、身振りとか、歩き方などを驚くほど正確にまねることができて、意図したり目的とするもののすべてを肌に感じてしまうらしい」と言っていました。
感性が凄く優れているようです。
これはユング達ヨーロッパ人に比べて文明が発達していない分その生活は自然とともにあり、それだけ感性が豊かなのだと思います。

この部族では太陽が姿を現す「日の出」を神として崇めていました。
プエブロ=インディアンと同じくここでも太陽に関するものが神となっていて、これらの経験からユングは「集合的無意識(普遍的無意識)」に気づいたようです。


「Ⅹ 幻像(ヴィジョン)」
ユングは1944年に心筋梗塞に続いて足を骨折し、意識不明になり生死の境を彷徨う経験をします。
そして意識不明になっている時、様々な幻像(ヴィジョン)を見ます。
その中でユングは宇宙空間から地球を見ている幻像を見ます。
そうしたら主治医のH博士が地球から宇宙空間にやってきて、ユングがこの世から立ち去ることには異議があると言っていました。
これはたまに聞く話で、生死の境を彷徨って「あちら側」に行きそうになった時、誰かが「まだ死ぬのは早い」と連れ戻しに来ることがあるようです。
ユングの話で興味深かったのはH博士が人間の姿ではなく、黄金の鎖か、あるいは黄金の月桂冠で作られたH博士の似姿という、「原初的な姿」で現れたことです。
ユングは次のように語っていました。
誰でもこういった姿になると、その人の死を意味している。それはその人は既に、『原初的な人たちの仲間』に属しているからだ。
原初的な人たちはこの世には存在しないので、その人たちの仲間に属しているということは、「あちら側」に行きかけているということだと思います。
ユングは意識が戻ってからH博士に死の危機が迫っていることを伝えようとしますが、H博士はまともには聞きませんでした。
そのすぐ後H博士は敗血症で亡くなってしまいます。
こんなことがあるので、生死の境を彷徨った時に見た幻像は重要な場合があるのだと思います。


「ⅩⅠ 死後の生命」

「合理主義と教条主義について」
ユングは次のように語っています。
「合理主義と教条主義は現代の病である。つまり、それらはすべてのことについて答えをもっているかのように見せかける。しかし、多くのことが未だ見出されるだろうに、それを、われわれの現在の限定された見方によって、不可能なこととして除外してしまっているのだ。」
また死後の世界については、「批判的な合理性は、死後の世界についての考えを多くの他の神秘的な考えと共に、除去してしまったようである。」と語っていました。
ユングは死後の世界を「そんなものはない」や「そんなのを考えても無駄」と合理的に片付けることには疑問を持っていたようで、死後の世界について真剣に考えていました。

「無意識」
「無意識(例えば夢)は、いろいろなことをわれわれに伝え、あるいは、比喩的なほのめかしによって、われわれを助けてくれる。」
ユングは無意識からこちらに送られてくるメッセージの力を借りて死後の世界について考えることができるのでは、としていました。
例として、「ある日突然誰かが溺れかけるイメージに襲われ、家に帰ってみたら孫の男の子が船小屋の水に落ちて溺れかける事件が起きていた」とありました。
「突然誰かが溺れかけるイメージ」はユングが頭の中で考えたものではなく、明らかに無意識が訴えてきたものなのですが、ユングはこれを「無意識がその他のこと(例えば死後の世界)についても、私に知らせを与えることが出来ないということがあるだろうか。」と言っていました。
これは興味深い考えで、例えば無意識がある日突然「誰かが溺れかけるイメージ」を訴えてくることがあるなら、同じくある日突然「死後の世界」のイメージを訴えてきても不思議はないと思います。
また「このような問題は、科学的、知的な問題からは、はずさねばならない」とも言っていました。
合理主義だと「科学的、知的でない問題など時間の無駄であり考える必要はない」で終わるのですが、そこをそうはせずに真剣に考えるのがユングの特徴です。


「ⅩⅡ 晩年の思想」

「善と悪」
この章ではユングの「善」と「悪」についての考えが書かれていました。
剥き出しの悪があちこちに台頭した20世紀について、ユングは次のように言っていました。
「悪を善の欠如などという楽観論によって見くびることはできない。悪はひとつの決定的な現実となる。婉曲な言いわけ(悪を善の欠如と言い変えること)によって、この世界から悪をとりさることは、もはや不可能である。われわれは、悪が、この世にとどまり存在しているからには、いかにそれを取り扱うかを学ばねばならない。おそろしい結果を伴わずに、われわれが悪と共にいかに生きてゆけるかは、今のところ、解らない。」
またユングはキリスト教を完全には信じていないので、「キリスト教の世界は今やすでに、悪の原理、むきだしの不正、専制政治、虚言、奴隷制度、良心の圧迫との対決を迫られている」とも言っていました。
調べてみたらキリスト教では悪のことを「善の欠如」としているようです。
ユングは「そんな言い変えによってこの世界から悪を取り去ることはもはや不可能」と言っていて、これはそのとおりだと思います。
そこを「そんなことはない」として信じるのが教徒、信じないのが非教徒なのだと思います。

「意識は二番目」
「意識は系統(人間という種族)発生的にも個体(人間一人ひとり)発生的にも、第二番目のものである。
今日の人間の体がその各所の部分にその進化の結果を示し、その早期の痕跡を各所に今なお示しているように、心についても同様のことが言えるのではないだろうか。
意識はわれわれにとって無意識と思える動物のような状態から進化を始めた。

無意識が一番目にあって、そこから徐々に意識が形作られていったというのがユングの考えで、これも興味深かったです。
たしかに人類になったばかりの頃の人間よりも、現在の人間のほうがだいぶ「意識」は進化しているのではと思います。


「ⅩⅢ 追想」

「人々が私を指して博識と呼び、「賢者」というのを、私は受け容れることができない。一人の人が川の流れから、一すくいの水を得たとして、それが何であろうか。私はその川の流れではない。」とありました。
権威主義的な面のあったフロイトとはだいぶ性格が違うなと思います。
ユングはこのように言っていますが、無意識という広大な川の流れの中からいくつものものをすくい上げ理論として打ち立てたのは凄いことだと思います。


「付録Ⅰ~Ⅴ」
付録Ⅰはフロイトからユングへの手紙、付録Ⅱはアメリカからユングが書いた妻のエンマ・ユングへの手紙、付録Ⅲは北アフリカからエンマ・ユングへの手紙です。
付録Ⅳはリヒアルト・ヴィルヘルムというユングと関わりのあった人物のこと、付録Ⅴは「死者への七つの語らい」というユングが若い頃に自費出版した本についてのことが書かれています。

フロイトの手紙にはユーモアを交えながらもフロイトの特徴である権威主義的な面が現れていました。
ユングの手紙は見た景色や船の上での状況の書き方が凄く表現力豊かでした。
心理学者であり心の研究をしていることのほかに、まだ携帯電話も電子メールもない時代だったのも影響していそうです。
手紙で状況を伝えるしかないため、自然と表現力が豊かなのかも知れないと思いました。
そしてここでも、「現在は便利にはなったが心の豊かさは失われた」の状態になっていると思いました。


一巻、二巻と読んでみて、ユングの物事の捉え方は子供の頃から常人とはだいぶ違っていたことがよく分かりました。
ユングに限らず偉人には少なからずその傾向のある人がいるのだと思います。
私は普段は主に小説の感想記事を書いていて、誰かの自伝の感想記事を書くのは初めてなのですが、初の感想記事が縁のあるユングで良かったと思います。


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「ユング自伝 Ⅰ -思い出・夢・思想-」編:ヤッフェ 訳:河合隼雄、藤縄昭、出井淑子

2017-03-20 18:08:55 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「ユング自伝 Ⅰ -思い出・夢・思想-」(編:ヤッフェ 訳:河合隼雄、藤縄昭、出井淑子)です。

-----内容&感想-----
ジークムント・フロイト、アルフレッド・アドラーと並ぶ心理学三大巨頭の一人、カール・グスタフ・ユングの自伝です。
この本は昨年の7月に買ったのですが当時は読む気力が出ず、そのまま読まずにいました。
今回は直前に読んだ「こころと人生」(著:河合隼雄) でユングの名前が何度も出てきたこともありついに読む気力が出たので読んでみました。
この本は基本的にヤッフェという人がユングに色々と質問して、その答えを書き留めて本にしています。
また幼児期の思い出についてはユング自らが書いたとのことです。
当時80歳を越えていて執筆するのはだいぶ大変だったようなのですが、それでも書きたい強い思いがあったのだと思います。
読み始めてみるとかつて初めてユングの本を読んだ時(ユング名言集)と同じく「やはり文章が抽象的だな」という印象を持ちました

「プロローグ」
「私は内的な出来事(心の中の出来事)にてらしてみる場合にだけ自身を理解することができる」
この時83歳になっていたユングは、「私の一生の外的な出来事(外の世界での出来事)についての回想は、大部分色あせ、消えうせてしまった」とも言っていました。
しかし内的な出来事については強く記憶に刻まれていて、ユングの場合は外的な出来事より内的な出来事のほうが人生において圧倒的に重大だったようです。
そしてこの自伝は内的な出来事を取り扱うとありました。


「Ⅰ 幼年時代」

「男性と女性への印象」
ユングは幼年時代、母(女性)には「あてにならない」という思いを持ち、父には「信頼感と無力さ」という思いを持っていました。
この印象が後年になって修正されたらしく、「男の友達を信用して失望させられたのに対し、女性は信用していなかったのにもかかわらず失望させられはしなかった」とありました。
失望させられた男の友達が気になるところでした。

「キリスト教への悩み」
ユングの家はプロテスタントのキリスト教を信仰していました。
しかしユングは幼い時にお祈りの際の言葉に感じた違和感から、キリスト教を心の底からは信じられずにいました。
本人は何とかして信じようとしたのですがどうしても心の底からは信じることができず、だいぶ苦しんだようです。

「3歳の時に見た悪夢」
「面白くてよくわかる!ユング心理学」(著:福島哲夫)にも出てきたユングが3歳の時に見た悪夢の話が詳しく書かれていました。
不気味な場所で男根神ファルロスに遭遇した夢で、それからずっとユングの心に強く刻まれることになり、65歳まで誰にも言わずにいました。
私の場合は、押し入れに隠れたらその押し入れを開けて鬼がこちらを見ている夢を見たことがあり、今でも忘れられないです。
強烈な夢は何十年経っても忘れられない場合があるのだと思います。


「Ⅱ 学童時代」

「神経症とは何か」
12歳の時ユングは学校帰りに級友に襲撃された事件がきっかけで発作を頻発するようになり、学校も休んでいました。
しかしある日、家の中で父と客がユングのことを話していたのを聞いてしまったのがきっかけで「こん畜生!発作なんか起こすもんか」という強烈な決意のもと、猛勉強を始めます。
その気迫によって段々と発作が起きなくなり、二、三週間後には学校に行けるようにもなりました。
この時の経験によってユングは「神経症とは何か」を知ったとのことです。
これは「神経症など根性の問題。根性で克服するんだ!」というような妙な解釈をしないように注意が必要だと思います。
ユングがこの時発作を克服したのは、自身の内側から沸き起こってくる爆発的なエネルギーが心身症を上回ったからだと思います。
それは本人の内側から自然に沸き起こらないと意味のないもので、外から「根性を出せ!」などと迫るのは逆効果です。

「神が望んでいるものは何か」
ユングは「自身に対して神は何を望んでいるのか」について、連日考えていました。
そしてついに「明らかに神さまもまた、私に勇気を示すことを望んでいられるのだ」という結論が出ます。
この結論が出るまで連日考え通していて、10代前半の学童がこんなことをやっているのは凄まじいなと思いました。

「悪魔についても研究」
この世界の有りようについて、神だけでは説明できないほど堕落した部分があると考えたユングは、「悪魔」もこの世界を形作っているのではと思うようになります。
そして父の書斎に行き連日悪魔について様々な本を読み漁っていて、この神や悪魔の謎を調べることへの熱意は尋常ではないと思いました。

「ユングの学童生活」
ユングの学童生活はホラ吹きやぺてん師呼ばわりされる辛いものでした。
あまりに天才すぎて言っていることが教師をも大きく上回っているような場合はこんな扱いを受けることがあるのだと思います。


「Ⅲ 学生時代」

「唯一の宝物」
私の自分についての理解は私のもっている唯一の宝物であり、最も偉大なものである。
この言葉は印象的でした。
私は「宝物」と聞くと何かしらの目に見える「物」や、あるいは人とのかけがえのないつながりなどを想像するのですが、自分自身の内面についての理解を「唯一の宝物」とする人は初めて見ました。
この本が自分自身の内面の動きを凄く丁寧に書いているのにも通じています。

「意識とは別のもの」
ユングは自身が見た印象的な夢について、「どこからそんな夢が出てきたのか」「なぜそれが意識に上ってきたのか」ということを考えます。
そして人間には意識以外にも何かがあることに気づきます。
「意識の光に照らしてみると、光の内側の領域は巨大な影のように見える」という考えを見て、この時にユングは、後の分析心理学(ユング心理学)でも大きく扱う「無意識」の存在を強く感じ取ったのだと思いました。

「精神医学の道へ」
「自然科学」と「比較宗教学」に興味を持っていたユングは、長い間悩んだ末に自然科学を選択し、大学の医学部に入学します。
そして就職をどうするかを考えるようになった時、ユングの前には内科で良い経歴を積んでいく誘いがありました。
しかしこの時ユングは、国家試験のために仕方なく読んだ精神医学の教科書がきっかけになり、精神医学に強く興味を持ちます。
ユングは「自然と霊(スピリット)との衝突が一つの現実となる場所が、ついにここにみつかったのだった。」と語っていました。
これは「自然科学」と「比較宗教学」の両方が一つになるのが精神医学であり、これこそが自らの天職だと悟ったということです。
しかしこの当時(1900年頃)、精神病の患者は隔離した病院に閉じ込めておくしかないという考えが主流だったらしく、そこに携わる精神医学者も変り者と見られたようです。
なのでユングの精神医学の道に進むという決断は回りから驚かれたり呆れられたりしていました。


「Ⅳ 精神医学的活動」

「当時の主流とは違う治療姿勢」
ユングはスイスのチューリッヒのブルグヘルツリ精神病院で働き始めます。
当時は精神病者の心理は全く問題にされず、機械的に診断を下し、後は病院に入院させて終わりというのが主流だったのですが、ユングは「いったい何が実際に精神病者の内面では起こっているのか」に強い関心を向けます。
そして患者が今までどんな経験をしてきたかを知るために「連想検査」や「夢の解釈」という言葉が出てきていて、この頃に後のユング心理学の土台を作っていったのだなと思いました。


「Ⅴ ジクムント・フロイト」

ジークムント・フロイトはカール・グスタフ・ユング、アルフレッド・アドラーとともに「心理学三大巨頭」と呼ばれていますが、当初精神医学の学会では変人として扱われ、誰にも相手にされていませんでした。
しかしユングは自身が患者と向き合ってきた経験から、フロイトの言っていることは概ねおかしなものではないと考え、学会でもフロイトを弁護するようになります。
ただし「あらゆる神経症が性的抑圧あるいは性的外傷に由っている」という考えについては、たしかにそういう事例もあるが、全部がそうではないと考えていました。
これが後にフロイトとの決別につながるのですが、最初にフロイトを弁護した時点で既にこの部分の考え方は違っていたのだなと思いました。

「決別を予感する言葉」
「しかし私は、私の権威を危うくすることはできないんだ!」
その瞬間に、彼(フロイト)は彼の権威を失ったのだ。
その言葉が私の記憶に灼きついた。
その中に、私たちの関係の終りがすでに予示されていた。
フロイトは個人的権威を心理の上位に位置づけていたのである。

権威主義な面を持っていたフロイトのこの言葉を聞いてユングは自身が間もなくフロイトと決別することになるのを予感しました。


「Ⅵ 無意識との対決」

「幻覚を見る」
フロイトとの決別後、ユングは恐ろしい幻覚を見るようになります。
大洪水がヨーロッパを襲ったり、海が血の色になったりするものでした。
この異様な幻覚を見たことについて、ユングは自分自身が精神病に脅かされているのだと結論づけます。
しかしその後すぐに第一次世界対戦が勃発し、ユングが見た幻覚はそれを暗示していたことに気づきます。
この経験から、ユングはこの幻覚を見せてきた自身の「無意識」について徹底的に分析、対決します。
この対決の中でユングは自身(男性)が無意識の中に持っている女性像(アニマ)と、その逆の女性が無意識の中に持っている男性像(アニムス)の存在を見出していました。
ユング心理学の重要な考えである「元型」についてもこの時の無意識との対決によって考えが確立されていきました。
自身の無意識との対決の様子は病的にも見えるもので、よく精神がおかしくならずに済んだなと思います。


抽象的に書かれている部分が多く、なかなかスムーズには読めませんでした。
しかし引きつけられる部分も結構ありました。
この続きの「ユング自伝 Ⅱ」があるので、またいずれ読む気力が出たら読んでみようと思います。

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「こころと人生」河合隼雄

2017-03-18 20:39:56 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「こころと人生」(著:河合隼雄)です。

-----内容-----
鋭い目で人生の真実を見抜くのびやかな子ども時代、心の奥深くに得体のしれぬものを抱えて苦しむ青年期、最も安定しているはずの時期に最も大きなこころの危機を迎える中年期、生きるということの意味を再び問いなおす老年期―。
人生のそれぞれの時期のこころの問題を、臨床家としての目がこまやかに温かくとらえた講演集。

-----感想-----
今は亡き臨床心理学者、河合隼雄さんの「四天王寺カウンセリング講座」での講演をアレンジして、子ども、青年、中年、高齢者とライフサイクルに合わせて4つの章で構成したのが本書です。
講座は一般の方向けの大学オープン講座のようなもので、お年寄りの方も結構聞きに来られていたようです。
読んでみると講演での言葉をそのまま文章にしていて、とても親しみやすく読みやすかったです。
まず冒頭の「はじめに」に次の言葉がありました。

P5「苦悩を通じてこそ、自分の新しい生き方を探し出したり、自分の人生の意味について新しい発見をされたりすることになる。」
これは「だから苦悩は良いことです。苦悩しなさい」と言っているわけではなく、「苦悩するのは嫌なものですが、苦悩に直面した場合、嫌なことはありながらも何かしら良い面もある」という意味合いと受け取りました。
たしかに苦悩に直面した場合、その後の考え方や人生に何かしら変化が出てきて、それが良い変化の場合もあるかなと思います。


「Ⅰ 子どもは素晴らしい」
中学二年生の女の子が学校へ行かなくなった例を挙げて講演されていました。

P33「自然科学は発達したが、子どもを自分の意思で学校に行かせることはできない」
河合隼雄さんに次のように言われた人がいるとのことです。
「先生、何とかならんのですか。これだけ科学が発達して、ボタン一つでロケットが飛んで人間が月へ行っている時代ですよ。うちの子どもを学校へ行かせるようなボタンはないんですか」
自然科学の力で物を動かすことはできても子どもを自分の意志で学校に行かせることはできないということで、河合隼雄さんは「ここが人間の素晴らしいところだと思うんです。」と言っていてこの感性がとても印象的でした。
人間の心は機械のように決まったパターンで動くわけではなく、日によって心の中は常に変わっていて、さらに一人ひとりが違う心を持っていて、その奥深さを尊重しているのがよく分かる言葉でした。

P40「そのとき、その人には、世の中がそういうふうに見えているわけです。ですからわれわれは、その方がそういうふうに思っておられるんだったら、とにかく一生懸命に聴かせてもらいましょう、と思ってその方の話を聴くわけです。」
この姿勢は凄いと思います。
一般の人だとすぐに「そんなことない」「それは違う」と反論したり諭そうとしたりする場面で、カウンセラーの人は相手の話を聴く姿勢を取り、これは言葉で書くと簡単そうですが実際にやるのは簡単ではないと思います。
また単に「うん、そうだね」と話半分で聞いているだけの状態とは違い、それを表すためにこのページでは聞くを「聴く」という字に変えているのだと思いました。
もし話半分で聞いているだけだと、相談に来られた方(クライエント)がそのような姿勢を敏感に察知して、二度と来なくなる場合があると思います。

P44「一週間に一度、それも一時間のカウンセリングに、意味はあるのか」
河合隼雄さんにこのように言った方によると、「人が変わるというのは大変なことで、人を変えようと思ったら、それこそいろいろと訓練しないと駄目なのに、そんな一週間に一時間だけ話しに来て、意味がありますか」とのことです。
河合隼雄さんは「たったの一時間ですけれど、一時間真剣に話をするということは、普段のわれわれの生活の中ではすごく少ないと思われませんか」と言っていて、これは私もそう思いました。
例えばカフェなどで一時間友達と雑談し、その中で「人生とは何か」というある人の悩みがポロッと出て少しそれについて話すのと、「人生とは何か」というその人が抱えている悩みについてカウンセラーと一時間話すのとでは、同じ一時間でも中身がだいぶ違います。
また、「人が変わるというのは大変なことで、人を変えようと思ったら、それこそいろいろと訓練しないと駄目なのに~」という言葉を見て、この方は「カウンセラーが訓練してその人を変えている」と思っているのだなということが読み取れました。
これについてはアドラー心理学の本が興味深いことを書いていて、「相手を変えようと思ってもそれは無理なので、自分が変わるほうが良い」としています。
これまでに読んだ心理学の本から見て、カウンセラーの方は自らの手で相手を変えようと訓練しているのではなく、相手が自分自身の心と向き合い自らの意志で考えるための手助けをしているのだと思います。

P54「まず親の心が落ちついていること」
「こちらの心が落ちついていなくて、「きょう、学校でどんなことがあったの」とか、「早く言いなさい」とか、そういう調子で話しかけると、「ううん、別に」と子どもは言います。あれは、何か言うと怒られると思うから「別に」と言っているのです。」とあり、なるほどなと思いました。
また、「ふーん」や「そうなの」など、落ち着いた聞く姿勢を取っていると、不思議なもので子どもはその側へ来てベラベラ喋るとありました。
急かすように聞くのは逆効果で、落ち着いて向き合ってくれたほうが子どもも話しやすいのだと思います。


「Ⅱ 青年期の悩み」
P77「大昔は青年という言葉はなかった」
大昔は「少年」という言葉はあっても「青年」という言葉はなく、「青年」は明治時代の中頃になってから登場したとのことです。
西洋の近代に出てきた青年期を大事にする考え方が日本にも入ってきて、明治の特に新しがりの人たちが、今まで「少年」と呼んでいたのを「青年」という新しい言葉を作って呼んだとありました。

P82「無気力学生」
高校生や大学生で、本当に何もする気がせず、「いつ死んでもいいんだけれど、死ぬのも面倒くさいし、まあ、生きてようかというぐらいの感じの学生」とのことです。
「「まあ、生きてようか」と思うと生きていられるというのが現代の特徴」とあり、これは印象的でした。
昔は必死になって食べ物を探さないと生きていられなかったのが、現代は豊かな時代になり、ところが豊かになったことでかえってそういう無気力の人が出てきたとありました。

P90「「近頃の青年が悪い」と言いたい人は、「近頃の青年を育てたのは誰か」というのをまず考えるべき」
これはそのとおりで、何かと「最近の若い者は~」と言いたがる中高年の人たちが思い浮かびました
河合隼雄さんは「誰が悪いんですか。われわれが悪いんです。われわれの年齢の者が」と言っていて、凄い人だなと思いました。
中高年の人たちは何かと「最近の若い者は~」と言いたがりますが、まず前提として、その中高年の人たちがバブル期の頃に好き放題やった結果がその後長く苦しむことになった日本という状況があります。
長く苦しむことになった日本では若い人たちが就職難で苦しんだりもして、バブル期の頃の若い人たちよりも暗くなり気味でした。
その状況を無視して若い人たちが暗くなり気味な点だけを見て「最近の若い者は~」と言うから、若い人たちから嫌われたり相手にされなくなったりするのではと思います。

P110「村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』」
「こころと人生」では河合隼雄さんが読んだ小説や本がよく出てきます。
その中で村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』が出てきたのが特に印象的で、私が約10年前の2007年の5月に読んだものでした。
「羊をめぐる冒険(上)」村上春樹
「羊をめぐる冒険(下)」村上春樹
河合隼雄さんはこの小説を深層心理学的に見てもかなり興味深い小説と考えているようで、主人公の青年のことや、青年と「羊男」の対話について私とは全く違ういかにも心理学者な読み取り方をしていて面白かったです

P115「青年期に現れる中年の悩み」
ユング心理学を創始したカール・グスタフ・ユングは「人生の前半の悩みと、後半の悩みとは違う」と言ったとのことです。
そして「人生の前半は「いかに生きるか」ということが凄く問題なのに対し、人生の後半は「いかに死ぬか」ということのほうが大事」とありました。
その前半の問題と後半の問題がガラッと変わるのが中年という時期とのことです。
そして河合隼雄さんは「その中年の悩みをもうすでに若いときからガツンとひっかぶっている人がいるんじゃないかと思う」と言っていて、まさに『羊をめぐる冒険』の主人公の青年のような、何か物足りない雰囲気の人とのことです。

P121「人間というのは面白いもの」
「人間というのは面白いもので、簡単にはつかまえられない何かひじょうに深いことに関心があるからといって、浅いことに関心がないわけじゃない。浅いことにも深いことにも関心があるのが普通です。ただ、深いことにつかまってしまうと、浅いことができなくなる。」とありました。
浅いことは学校に行ったり運動をしたりすることで、深いことは人生後半の「いかに死ぬか」のことなどです。
若くしてその深いことに捕まってしまうと、たしかに学校に行ったり運動をしたりする気力が出なくなることはある気がします。
そして「その深いことがちょっとわかってくると、今度は浅いこともおもしろいとなる。」とあり、これは頭ごなしに「学校に行け!」などと言ったのでは逆効果で、深いことがちょっと分かる手助けをするほうが浅いことをする気力を取り戻すのに効果的ということだと思います。


「Ⅲ 中年の危機」
P129「中年は危険な時期」
アメリカでは最近になって「中年の危機」が注目されるようになってきたとのことです。
これは人生の前半の悩みと後半の悩みが入れ替わる時期とあることから、それだけ不安定になりやすいのだと思います。
そして「中年の危機」を非常に早くから言っていた学者がいて、それがカール・グスタフ・ユングでした。

P135「人生の前半と後半」
人生を太陽の動きで表すと、前半は上っていくのに対し、後半は沈んでいきます。
「ユングは人生の後半は「沈んでいく」ということがいったいどういう意味をもっているのかを問題にする、これが実に大事なことだ。そして、中年は、その大変な課題に突き当たっているときなのだ、と考えた」とありました。
たしかにこんな課題にぶつかって悩み続けることになってしまうと、かなり不安定になると思います。
それほど悩まずに済めばそれが一番良いと思います。

P145「長生きによる悩み」
医学が発達して物が豊かになり、みんな長生きできるようになったのですが、それとともに、「老いて死んでいくという大変なことを、みんなが一人ひとりやらなくちゃならなくなった」とありました。
平均寿命が今より短かった時代は定年後に高齢になる人自体が少なかったので、老後の老いて死んでいくということについて悩む人も少なかったようです。
豊かになった分新たな悩みが出てきたということで、「こころの処方箋」という本で河合隼雄さんが言っていた「ふたつよいことさてないものよ」という言葉が思い浮かびました。


「Ⅳ 老いを考える」
P184「眼鏡を忘れた時」
新幹線で読む小説を用意しておいて、新幹線に乗って「さあ読もう」と思ったら、眼鏡を忘れてきたことがあったとのことです。
その時、「ああ、これは休めということや。そんなカンカンになって本なんか読まなくても、窓の外にきれいな景色が見えてるんだから」と思ったとのことで、この考えは凄く良いと思いました。
うんざりした気分で新幹線の時間を過ごすより、窓の外の景色を楽しむほうに気持ちを向けたほうが断然良いと思います。

P187「人間の成熟」
ユングは年を取ると何かも全部下がっていくのかというとそんなことはなく、「人間が成熟していくという点では、実は上がっていくんじゃないだろうか」と言ったとのことです。
体力や記憶力などは下がったとしても、人間の成熟度という上げていけるものがあるのは良いことだと思います。
そこにいると場を和ませてくれるお年寄りはいるもので、そういう人は人間の成熟度も高いような気がします。

P195「自分の世界」
ユングはさらに「私は、誰にも取られない自分のものをもっています」というふうな世界を本当につくれるのは、中年から老年にかけてではないか」ということを言っていたとのことです。
私はこの言葉を見て、縁側で庭の草木や空を眺めながらお茶を飲み、静かに時の流れを楽しむおじいさん、おばあさんの姿が思い浮かびました。
そんなお年寄りになれたら嬉しいです。


本を読んでいて、河合隼雄さんが講演しているのをそのまま聞いている気がしました。
それくらい言葉が楽しく親しみやすく、どんどん読んでいくことができました。
深層心理学を題材にした講座でこれだけ笑いを交えながら楽しく話せるのは凄いことで、こんな人の講座であれば聞く方も楽しく聞けて良かっただろうなと思います


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「臨床心理学入門 多様なアプローチを越境する」岩壁茂、福島哲夫、伊藤絵美

2017-02-19 15:58:15 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「臨床心理学入門 多様なアプローチを越境する」(著:岩壁茂、福島哲夫、伊藤絵美)です。

-----内容-----
臨床心理学的な問題意識の持ち方や考え方とは?
そのセラピーが基づいている理論とは?
その理論はどのような歴史や人間観をもっているのか?
それぞれの理論・アプローチの特徴と限界とは?
3大学派から気鋭の著者が集結。
常に更新されつづけていく臨床心理学の世界!

-----感想-----
私がこの本を手に取ったのは、著者の三人のうち二人が知っている人で興味を惹かれたからでした。
福島哲夫さんは「面白くてよくわかる!ユング心理学」などの本を読んだことがあり、文章が分かりやすくて好印象を持っています。
伊藤絵美さんは「電通の高橋まつりさん過労自殺事件」の時にツイッターでのツイート(つぶやき)が目に留まり、その名に興味を持ちました。
この二人が著者に名を連ねているのなら興味深く読めるのではと思い読んでみることにしました。

P5「臨床心理学に関心を持つ大きな理由の一つは、それが幸せになるためのきっかけを教えてくれるという期待である。」
私が臨床心理学に関心を持ったのは、まずユング心理学やアドラー心理学の本を読んで、自分自身を生きやすくすることに生かそうと思いました。
そしてユング心理学やアドラー心理学などの深層心理学を土台としているのが臨床心理学で、せっかくなので臨床心理学の本も読んでみようと思いました。
たしかに「自分自身を生きやすくすることに生かしたい」は、「幸せになるためのきっかけを教えてくれるという期待」と通じるものがあります。

P8「21世紀は心の時代だと言われ、さらにうつの時代だと言われるようになった。」
これは科学の発達により物質的には便利で豊かになっても、心の方はかえって圧迫を感じていることを意味しています。
こういった問題に対し、臨床心理学が貢献できることは数多くあるだろうとありました。
専門家でなくとも、自分自身を守るために臨床心理のことを知っておくのは有効ではと思います。

P26「臨床心理学では研究活動と実践活動の間の溝があることも指摘されてきた」
「臨床心理学において研究と実践をうまく調和させ、相互に高めるような関係を作りあげることは大きなテーマとなってきた。」とありました。
これは機械や物質ではなく人間という生き物の心を扱うため、実際にクライエントと向き合う場では研究活動での理論のとおりにはなかなかいかないということだと思います。
「臨床心理学ノート」という本の中で河合隼雄さんがこのページと似たことを言っていた気がします。



P52「パーソナリティ」
「パーソナリティとは、世界との関わりの中で人がとる持続的な考え方、感じ方、行動の仕方を指す。」とのことです。
私はその人の行動パターンや性格の特徴のことと認識しています。
このパーソナリティを測る方法として「質問紙法検査」と「投影法検査」があるとのことです。

P55「L尺度」
最も代表的なパーソナリティを測る質問紙法検査であるミネソタパーソナリティ目録(MMPI)の「妥当性尺度」の中に「L尺度」というのがあります。
これは「自分を好ましく見せようとする受験態度のゆがみを検出するため考案された項目群」とあり、自分の性格の印象を良くするために本来の自分とは違う選択肢を選んだとしても見抜かれるということです。
学校の入学試験や企業の入社試験にある性格検査も臨床心理学の知見をもとに作られているらしいので、あれも自分の印象を良くするように本来の自分とは違う答え方をしても見破られるのかも知れないと思いました。
「そのような思惑は最初からお見通し」ということであり、この辺りは怖いものだなと思います

P63「うつ」
気分障害の一つとしてうつ病が登場しました。
「うつは、成人がかかりやすい最も一般的な精神障害である」とありました。
さらに「うつは成人の自殺の原因のトップ」とありました。
これは企業の管理職の人などが「うつなど気分の問題。うつになるような人は根性がないんだ」などと言っているのがいかに的外れかを示していて、うつが自殺原因のトップになっていることを重く受け止めるべきだと思います。
私はこのような体育会系根性論の人達が自殺に追い込んでいる側面がかなりあるのではと思います。

P70「精神力動アプローチ」
「ジークムント・フロイトによって19世紀末に確立された精神分析と、その後、彼の後継者たちによって修正・追加された理論と方法を総称して、精神力動アプローチという」とのことです。
アプローチはクライエントに対してどのように心理療法を行っていくかの方法のことです。
ここからしばらくはフロイトの「精神分析学」の理論について解説されていました。
フロイト関連の本は「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」を読んでいたので戸惑わずに理論の解説を読んでいくことができました。
フロイトは人間の心の中の「無意識」を重視する姿勢を取ります。
また、最後のほうではアドラーの個人心理学(アドラー心理学)とユングの分析心理学(ユング心理学)についても少しだけ触れられていました。
この二人のうち、特にユングの分析心理学は明確に精神力動アプローチに属する心理学ですが、この本では代表としてフロイトの精神分析学を詳しく解説したようです。

P113「ヒューマニスティックアプローチ」
ヒューマニスティックアプローチは「人間」を中心とした心理療法とのことです。
まず、人間の存在とは何か、生きることの意味は何かということを問いかけた「実存哲学」というのがあります。
ヒューマニスティックアプローチはこの実存哲学に大きな影響を受けていて、人間を対象とし、人と人が接することを基礎として心理的な問題を扱うというのはどんなことなのか、そのあり方を見直すことから発展してきたとのことです。
また、アドラーの名前が精神力動アプローチに続きこちらにも出てきたのが印象的でした。

P119「クライエント中心療法」
ヒューマニスティックアプローチの代表的な心理療法としてカール・ロジャースの考案した「クライエント中心療法」が登場しました。
これは「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)で初めてその名前を聞きました。
「許容的で非審判的な関係において、クライエントを受容することを中心とした非指示的カウンセリング」とのことです。

P123「クライエントの心理状態を回復させるための非指示的カウンセリング」
クライエント中心療法はあくまでクライエントの心理状態を回復させるために、クライエントが自分自身の体験と向き合うのを助けるために「セラピストによる無条件の肯定的配慮、共感的理解、受容が重要になる」とありました。
これは単に話だけ聞いていれば良いわけではないことを意味しています。
ここを勘違いすると単に話を聞くだけのカウンセラーになるので注意が必要だと思います。

P154「認知行動アプローチ(認知行動療法)」
認知行動アプローチ(認知行動療法)は科学的で実証的な考え方や手法を重視することに大きな特徴があるとのことです。
認知行動療法も臨床心理学なので人間の「心」を対象とするのは同じですが、その際に人の心の奥深くをまっすぐ直接的に見ようとするのではなく、その人が置かれている環境、その人を取り巻く環境、その人に刺激を与えている環境に目を向けるとのことです。
客観性を重視しているようです。

P157「行動心理学」
行動心理学はジョン・ワトソンにより、「心理学が真に科学的であるためには、客観的に観察や測定が可能な「行動」を対象とするべきである」という考えのもと創始されたとのことです。

P161「トークン・エコノミー」
まず行動心理学を臨床に活用した「行動療法」があります。
この行動療法の技法の一つに「トークン・エコノミー」があります。
トークンは「代用貨幣」のことで、このトークンを報酬として目的行動の生起頻度を高めようとするのがトークン・エコノミーとのことです。
そして私たちが買い物の際によく使うポイントカードやスタンプカードの類もトークン・エコノミーに基づいているとあり印象的でした。
たしかにポイントが付くならとその店の常連になる傾向はあり、こんなところにも心理学が使われていたのかと思いました。

P162「行動心理学の行き詰まり」
行動心理学では、目に見えず測定のできない人間の意識を「ブラックボックス」と見なし、観察と測定の可能な行動に焦点を当て、そのメカニズムを解明しようとしますが、それだけだと人間の複雑な心の働きの解明にまではなかなか至ることができないため、行動心理学自体が行き詰まったとのことです。
私は人間の心を無味乾燥の機械のように扱うのは嫌いであり強引だと思うので、行動心理学が行き詰まったのは当然のような印象を持ちました。

P163「認知心理学の発展」
科学的・実証的に検証が難しいのでブラックボックス化されていた認知(意識を含む、人間の頭の中の働き)が、コンピュータ科学の発展によって科学的・実証的に検証できるようになり、その結果基礎心理学の世界では人間の情報処理の有り様に焦点を当てた認知心理学の研究が活発に行われるようになったとのことです。
行動心理学が「環境と行動」との関係性に焦点を当てているのに対し、認知心理学は環境からの刺激を人間の認知がどのように受け止め処理し、その結果としてどのような行動が生じるかというように、「環境、認知、行動」の関係性に焦点を当てています。

P164「認知療法」
アーロン・ベックという人が認知心理学に基づく認知療法を考案し、認知療法はベックの名前抜きではその発展について述べることができないくらい偉大な人とありました。

P168「認知行動療法」
1980年代以降、行動療法と認知療法が「認知行動療法」として発展・統合されていったとのことです。

P171「認知行動療法の躍進」
認知行動療法は世界的に広く活用されるようになり、日本でも2010年にうつ病に対する認知行動療法が保険点数化され、11年には国立精神神経医療研究センターに認知行動療法センターが設置されるなど、公的にも認知行動療法をさらに広め、活用しようとする動きが高まっています。

P183「認知行動療法の特徴」
まずあらゆる心理療法において、カール・ロジャースのクライエント中心療法が提唱した「傾聴」「受容」「共感」というセラピストのコミュニケーションのあり方は重要とありました。
そして認知行動療法の場合、それに加えてセラピストの方から積極的に質問するとのことです。
積極的にクライエントの体験について質問を重ね、クライエントの自己理解や気づきを促し、それを共有していきます。
そして問いを重ねるセラピストの有り様がクライエントに内在化されると、クライエント自身が困難にぶつかったときにそれにただ圧倒されるのではなく、「今、自分は何に困っているのか」「ここからどのように抜け出したらよいか」といった自問自答を通じて、落ち着いて切り抜けられるようになっていくとのことです。
ただこれは「とにかく質問すればいい」と勘違いして前がかりになって質問責めにしたのでは逆効果になると思うので注意が必要だと思います。

P193「統合的アプローチ」
精神力動アプローチ、ヒューマニスティックアプローチ、認知行動アプローチを統合し、より効果的なアプローチを追求することは可能なのかという問題について書かれていました。

P195「理論アプローチ間の対立」
「理論学派は、学派間の対立や他学派における発展への無関心という事態にもつながっている。自らの学派や理論アプローチ以外の文献や研究に対してほとんど注意を向けない臨床家も少なくない。また、他の理論アプローチを揶揄してステレオタイプ的な見方をとり続けることもある」とありました。
これは例えば認知行動アプローチ派の人が精神力動アプローチ派の人に「無意識なんてどうでも良いんだよ!認知と行動を見ろ」と馬鹿にしたりすることだと思います。
異なる学派同士は仲が悪い傾向にあるのかなと思いました
しかしその中でも様々な統合が試みられていったようです。


この本は大学の教科書にも使われているらしく、臨床心理学のことをかなり広範囲に渡って書いていました。
その中にあって各章の初めにある露木茜さんという人のイラストは親しみやすく、本へのとっつきにくさを減らしてくれていました。
私は一般の人が心理学図書のような専門的なものを読む時には案外こういうのが大事だと思います。
親しみやすさに助けられ最後まで読むことができて良かったです。


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「「つい悩んでしまう」がなくなるコツ」石原加受子

2017-02-15 19:21:00 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「「つい悩んでしまう」がなくなるコツ」(著:石原加受子)です。

-----内容-----
ほんとうは私、どうしたいの?
もっと「自分の気持ち」を優先していいんです。
ムリしない、ガマンしない、周りを気にしすぎない!
人間関係も人生の選択もうまくいく一番シンプルな方法。
悩みスパイラルから抜け出す!「自分中心」心理学。

-----感想-----
石原加受子さんの本は2015年末に『「どうして私ばっかり……」と思ったとき読む本』を読んで以来2冊目となります。
軽いタッチの文章で気軽に書かれているので読みやすかったのを覚えています。

P21「相手にばかり囚われていたら、決して悩みは解決しない。」
『「どうして私ばっかり……」と思ったとき読む本』を読んだ時はまだアドラー心理学の本を読んでいなかったので気づきませんでしたが、この考えはアドラー心理学と似ていると思いました。
石原加受子さんはアドラー心理学を土台とする心理カウンセラーかも知れないと思いました。

P24「心の中で不満を抱きながらも、黙って相手に従ってしまう。」
この心のクセが悩みにつながっているとのことです。
たしかにこれでは心がモヤモヤとし、すっきりしない状態になると思います。

P26「自分中心心理学」
石原加受子さんは自分中心心理学を提唱しています。
これは考え方を見ていくとアドラー心理学の流れを汲んでいるように見えます。

P28「相手に変わるように求めるよりも、自分のために、自分を育てるほうが、悩みを解消する早道。」
「これが”自分中心”の発想」とありました。
やはりこの考え方はアドラー心理学をベースにしているなと思いました。
アドラー心理学でも「相手を変えようとしても無理なので、自分が変わるほうがよっぽど良い」としています。

P32「感情レベルで納得しているか」
「自分の気持ちや感情を脇に追いやったままで、適切な判断をすることはできません。なぜなら、あなたの”感情”がそれに抵抗するからです。」とあり、これはそのとおりだと思います。
間違いなく気持ちがもやもやとしてストレスが溜まっていく原因です。
そして「そんなことを言っても社会人なら感情が納得しなくても動かないといけない!」と条件反射的に食って掛かるようだと、だいぶ気持ちの余裕がなくなっているのだと思います。
この場合、納得がいかない状況下でただ黙ってストレスを溜め込むのではなく、何か自身のうんざりさを分かってほしいという言葉を出し(暴言ではなく)、「納得がいかない中で、ある程度気持ちに折り合いをつける」のが焦点になるのではと思います。

P41「悩みが消えたら」
石原加受子さんは時折相談者の方に「悩みが消えたら、あなたはどうなると思いますか?」と尋ねるとのことです。
この尋ね方はアルフレッド・アドラーがよくやっていた尋ね方で、このページを読む頃には「石原加受子さんはやはりアドラー心理学を土台にした考え方をしているな」と思うようになりました。

P49「自分中心心理学では、悩みは「私を愛し足りない」という、無意識からのメッセージと考える。」
「とても深く悩んでいる人は、それだけ、自分を愛してこなかったということ」ともありました。
これは自分の心の声に関心を持ってこなかったとも言えるのではと思います。
「納得いかない」「辛い」などの心の声を無視して走り続けていればやがては限界が来ます。

P61「「私」が心地よい生き方を選ぶ」
「他者中心の生き方は自分を苦しくさせる。自分中心の生き方は自分を楽にさせる。」とありました。
誰しも自分の人生を生きているのであって他者の人生を生きているわけではないので、当然自分中心の生き方のほうが良いです。
ただしアドラー心理学と同じく単に自分勝手に振る舞えば良いという間違った解釈にならないように注意が必要です。

P79「「もう、昔のことは、水に流して」などと言いますが、記憶そのものを消すことはできません。思い出せば、やっぱり、胸が痛むでしょう。」
さらに「「それを思い出すたびに、感情の波の幅が小さくなっていったり、痛みに打ちひしがれる時間が短くなっていく……」というように、次第に癒されていく自分を発見することができるでしょう。」ともありました。
これは以前書いた「記憶との付き合い」という記事で似たことを書いたことがあります。
嫌な出来事を完全に頭の中から消すことはできませんが、段々と揺れ幅は少なくなっていきます。

P84「この怒りは、どこからくるのだろう。何がつらいんだろう。どうすれば、私のこの感情を、解放することができるだろうか」
自分の心に目を向け、自分の気持ちを知るのは大切です。
これは近年の私が元々意識していることです。
モヤモヤしている時は自分の気持ちを認識できていない場合が多いです。

P112「「でも」ばかり言う人」
私も「でも」を連発する人に良い印象は持たないです。
他の言葉のほうが良く、この本では「じゃあ」「まず」のほうが良くないかとあり、たしかにそれらの言葉のほうが良いと思います。

P127「過去でも未来でもなく、今を生きる。」
「得たものを失う恐れ」を抱いている人は、いわば「未来の不安」の中に生きているとのことです。
また、他者中心に生きて自分を傷つけ、「過去の傷み」の中に生きている人もいるとのことです。
そして両者に共通して足りないのは「いまを生きる」ということとありました。
この「過去でも未来でもなく、今を生きる。」もアドラー心理学に出てきます。
気持ちが過去や未来にばかり行っていると現在が疎かになってしまいますし、過去の悔やまれることや未来への不安が出てきた時こそ、現在にしっかりと足を着けることを意識していきたいです。

P160「マイナス関係を結ぼうとしている人の見抜き方」
相手が難癖を付けたり否定したり、こちらの言葉を覆そうとしたり足を引っ張ろうとしたりする場合、その人は問題解決することよりも、こちらとマイナス関係を結びたいと望んでいるとのことです。
そういう人の見抜き方として、「話していると、イライラしてくる。腹が立つ。またかと思って、うんざりする。話した後で、ぐったりと疲れてしまう。もう二度と、話したくないような気分になる」というように、こちらが耳をふさぎたい気持ちになるとしたら、その人はマイナス関係を結ぼうとしていると見てまず間違いないとありました。
そのような人とは極力関わらないようにし、話さないといけない場合は相手のマイナスの会話に引きずり込まれる前に切り上げるのが良いと思います。

P166「自己主張は「相手を言い負かす」が目的ではない」
自分中心心理学では、自己主張は相手に言葉で争って勝つのが目的ではなく、「私を愛するために、私を解放するために、表現する」としているとのことです。
そして「すべて自分のためなので、表現すればするほど、「私自身が、ラクに、幸せに」なります。自己主張というよりも「自己表現」」とありました。
この自己主張の考え方は良いと思います。
相手を言い負かそう、言い負かそうとムキになっている時点で既に他者中心になっているので、常に「自分自身が楽に、幸せに」を意識していきたいです。

P173「引きずらないで相手に「聞く」」
相手に関係するもので心の中にあるものを、押し込んでおくのではなくそのまま言葉にして相手に聞いたほうが良いとのことです。
「あなたの悩みは、”聞く”ことで、一瞬にして、消えてしまうでしょう。」とありました。
これは聞くことによって、少なくとも心の中でずっと気になったままでいる状態よりは断然良いということだと思います。
ただし物事によっては聞かないほうが良い場合もあるので、そこはよく見極める必要があると思います。


この本も『「どうして私ばっかり……」と思ったとき読む本』と同じく専門的な言葉は使わずに分かりやすく書かれていました。
石村紗貴子さんという方のイラストもシンプルでいながら場面を分かりやすく描いていて、内容を理解するのに役立ちました。
気軽に読めるのが石原加受子さんの本の良いところだなと思うので、また興味を惹く本があれば気軽に読んでみたいと思います。


アドラー心理学の本の感想記事
「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健
「面白くてよくわかる!アドラー心理学」星一郎
「高校生のためのアドラー心理学入門」岸見一郎

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「こころの処方箋」河合隼雄

2017-02-14 19:39:11 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「こころの処方箋」(著:河合隼雄)です。

-----内容-----
人のこころの影を知り、自分の心の謎と向き合う。
たましいに語りかけるエッセイ55篇。
”私が生きた”と言える人生を創造するために。

-----感想-----
一つのエッセイにつき4ページで構成され、心理的なことを分かりやすい言葉で書いていました。

P11「決め付けについて」
「「わかった」と思って決めつけてしまうほうが、よほど楽なのである。この子の問題は母親が原因だとか、札付きの非行少年だから更正不可能だ、などと決めてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、ものごとが片づいたような錯覚を起こしてしまう。こんなことのために「心理学」が使われてばかり居ると、まったくたまったものではない。」
最後の「こんなことのために「心理学」が使われてばかり居ると、まったくたまったものではない。」が特に印象的でした。
河合隼雄さんは心理学を「この子は⚪⚪だから△△に違いない」というような決め付けのために使ってほしくないと考えていたようで、これはとても大事なことだと思います。

P12「ふたつよいことさてないものよ」
「「ふたつよいことさてないものよ」というのは、ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる、ということだ。抜擢されたときは同僚の妬みを買うだろう。宝くじに当るとたかりにくるのが居るはずだ。世の中なかなかうまくできていて、よいことずくめにならないように仕組まれている。」とありました。
この「ふたつよいことさてないものよ」は河合隼雄さんが好きな言葉、法則とのことです。
たしかに世の中なかなかよいことずくめにはならないなと思います。
良いこともあれば悪いこともあり、長い目で見ると両者が拮抗しているのかも知れないです。

P14「この法則の素晴らしいのは、「さてないものよ」と言って、「ふたつよいことは絶対にない」などとは言っていないところである。」
これは読んでいてたしかにと思いました。
時にはふたつよいことが揃うこともあります。
反対にふたつ悪いことが揃うこともあります。
ふたつ悪いことが揃う時は「今は流れが悪いな。この流れを変えよう」と意識し、ふたつよいことが揃う時は「今は良い流れだな。浮き足立たず、この流れを生かしていこう」と意識するようにしたいです。
長い人生の中で全体で見ると良いことも悪いことも半々くらいなのかも知れませんが、その中で少しでも良いことの比率を増やせたら嬉しいです。

P17「100%正しい忠告はまず役に立たない」
安全な場所から正しいことを言っているだけの愚かさが書かれていました。
己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その100%正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。
100%正しいことを言うだけなら誰でもできるのですが、それが役立つかどうかは別の問題です。
「その正しいことを実現するための具体的方策は?(頑張れ、根性でなど以外で)」となると、なかなか答えられない人が多いような気がします。

P29「言いはじめたのなら話合いを続けよう」
アメリカ人の夫と日本人の妻との間に生じた離婚事件で、夫の友人で妻の嫌いなタイプの人が居たとのことです。
ある日とうとう辛抱できなくなって、あの友人は大嫌いだと夫に告げます。
夫は反対せずにそれを聞いていたのですが、しばらく経って夫がまたその友人を家に連れ帰ってきます。
妻は激怒し、「この前あれほど、はっきりと嫌いだと言っておいたのに、また連れ帰ってくるというのは、自分の気持ちを無視している。これは、夫が自分を愛していないからだ」と主張します。
これに対し夫は次のように言います。
「妻が自分の友人を嫌いなのはよくわかった。しかし、妻はただあんな人は大嫌いと言うだけで、話を打ち切ってしまい、それではどうするのか話し合おうとしない。妻が彼を嫌いでも、自分は彼を友人として付き合いたいと思っている。ただ自分の気持ちを言うだけで妥協点を見出すための努力を払おうとしないのは、妻の方こそ愛情がないのではないか」
この夫の発言の中で「それではどうするのか話し合おうとしない」が印象的でした。
妻のほうは普段は「黙って耐える」という昔の日本人の美徳的な対応をしていて、夫の友人に対しては我慢仕切れなくなったため「大嫌い」と言いました。
しかしただ大嫌いと言うだけで「それではどうするのか」がないことを夫は指摘しています。
これを見て、安易に「これだから日本流は駄目なんだ。欧米流に変えるべきだ」とはしないのが河合隼雄さんの良いところだと思います。
黙っているのは辛いことだ。だからといって、発言すれば楽になるなどというものではない。自分の意見を言うだけでなく、相手の意見も聞き、話合いを続けるのは、黙っているのと同じくらい苦しさに耐える力を必要とするだろう。どちらをとるにしろ、人生というものは、それほど楽なものではないのである。

P42「河合隼雄さんの言葉の特徴」
「こんな話を聞くと、すぐに、だから人間は⚪⚪だと言う人がいる。」というような表現がよく出てきます。
この言い方は河合隼雄さんの特徴で、常に「決め付けずに一旦間合いを取る」ことを意識していたようです。

P53「100点以外はダメなときがある」
これは人生においてはたまにそんな場面があるとのことです。
夫が会社で残業し、疲れ果てて家に帰ると妻と子が浮かぬ顔をしていて、話を聞くと中学生の子どもが仲間に誘われて窃盗したのが露見して母親が学校に呼び出されたとのことです。
こんな時、「疲れているし、うるさいことだ。何とか早くすませて」などと考えるともう駄目とのことです。
たしかにこの場面でこのように考えてはダメで、100点の対応が必要な時だと思います。
仮に面倒そうな対応をすれば妻には失望され、子どもには大した親父ではないと思われるのではと思います。
また、「100点は時々で良い」ともあり、これもそのとおりだと思います。
常に100点を狙っていたのでは疲れてしまいます。

P59「マジメに休みを取れ」
日本人も昔よりは大分休みを取るようになったものの、「マジメに休みを取れ」などということになって、せっかくの休日を「有意義」に過ごそうなどと考えすぎ、休日は増えたがマジメさは変わらない、などということになりそうとありました。
マジメに休みを取れという考えは本末転倒です。
休みは気楽に休むためのもので、真面目に気を張って休むためのものではないです。

P69「心のなかの勝負は51対49のことが多い」
どうすべきか悩んでいるものごとをどちらかに決める場合は51対49で勝負が決まることが多いとあり、たしかにそんな気がしました。
悩んだ末、「こっちだ!」と決め、気持ちも完全にそちらに向かったと思っても、実際には無意識の部分ではどちらが良いかはほぼ五分五分に思っているとのことです。

P77「説教の効果はその長さと反比例する」
説教は長くなるほど効果もなくなっていくとあり、これはそのとおりだと思います。
説教が長引く原因として、説教で語られる話が何といっても「よい」話には違いないので、話をしている本人が自己陶酔するので長くなるとありました。
また、平素の自分の行為の方は棚上げしておいて、「よいこと」を話していると、いかにも自分が素晴らしい人間であるかのような錯覚も起こってくるので、なかなか止められないとありました。

P78「説教がなくならない理由」
「説教というものが、説教する人の精神衛生上、大いに役立つものであるからであろう。」とありました。
さらに「上司は上司なりに欲求不満がたまってくると、そのはけ口として部下に説教をする、というのが実状ではなかろうか。」とありました。
私はこんな時、これを素直に認められる人が、説教ばかりで嫌われているとしても、上司の器量を持ってはいるのだろうと思います。
そしてこれを素直に認められずに「俺はお前のためを思って説教しているんだ」と自身の正当性を主張するような人のことは、あまり信用する気にならないです。

P83「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」
「男女が互いに他を理解するということは、ほとんど不可能に近く、また、時にそれは命がけの仕事と言っていいほどのことであることを、よくよく自覚する必要がある。」とありました。
これは「理解するのはほとんど不可能だというのを分かった上で、なるべく理解するように努める」という気持ちが大事なのだと思います。

P87「人間理解は命がけの仕事である」
「うっかり他人のことを真に理解しようとし出すと、自分の人生観が根っこのあたりでぐらついてくる。これはやはり「命がけ」と表現していいことではなかろうか。実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのなど、甘すぎるのである。」とありました。
これも「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」と同じく、理解するのは困難だというのを分かった上で、できる範囲で理解していくように努めるのが大事なのだと思います。
なので「私はこの人という人間を理解している」などと気軽に言うことはできないと思います。
その場合の理解しているはあくまで「私の尺度の中で理解している」となり、実際には理解できていない部分があるはずです。

P94「自立は依存によって裏づけられている」
「自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。」とありました。
自立しようという意識が強すぎ、必要な依存まで無理に断ち切るのは逆効果ということです。
とにかく誰かや何かに頼る(依存)のは悪だと決め付け何でも一人でやるべきとして暴走すれば、自立とは程遠い結果になると思います。

P118「アドラーの言葉」
河合隼雄さんはユング心理学の日本における第一人者なのですが、この本でもアドラーの言葉が出てきました。
アルフレッド・アドラーという人は、ノイローゼの人が相談に来ると、「あなたはもしノイローゼが治ったら何をしたいと思いますか」とよく尋ねたとのことです。
その人が「ノイローゼさえ治ったら、自分の職業にもっともっと打ち込みたい」などと答えると、アドラーは「あなたは仕事に打ち込むのを避けるためにノイローゼになっていませんか」と言ったとのことです。
ノイローゼさえなかったら、あれもするこれもすると言っている人は、本当はそれを避けるためにノイローゼになって、それを嘆くことによって安定を保っているとのことです。
この「仕事に打ち込むのを避けるために、ノイローゼという症状になっている」という考え方は「目的論」と呼ばれ、アドラー心理学の根幹となっています。
アドラーの考え方は河合隼雄さんの他の本でフロイトほどではないですが引き合いに出されることがあり、自分の学派(ユング心理学)以外の心理学についても知っているという視野の広さは良いなと思います。

P133「その人の真実の欠点を指摘するとき、それは致命傷になる」
「言ってはならぬ真実を口にしたために、人間関係が壊れてしまった経験をお持ちの方は、多く居られることと思う。」とありました。
これは「お前の真実はこうだ!」と指摘するのが良いとは限らないということです。
黙っていたほうが良い場合もあります。
また「このことを知らず、ともかく真実を言うのはいいことだと単純に確信している人が居る。」とあり、そういう人がトラブルメーカーなのだと思います。

P176「家族関係の仕事は大事業である」
「社会的には大いに認められることをしているのに、息子一人をうまくできないことに悩む人達」のことが書かれていました。
これについて「職業や社会的なことに関する仕事は大変だが、家族のことなどは簡単にできるはずだという思い込みがあるのでは」とあり、なるほどと思いました。
そして家族関係の仕事は大事業だとありました。
これは以前読んだ「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)という本でも「プロのカウンセラーであっても、家族の話を聞く時は膨大な力を使う」とあり、やはり家族に関することは大変なのだと思います。

P21「知ることの落とし穴」
「「知る」ことは大切だが、ここにも落とし穴があることをつけ加えておかねばならない。それは人間のことに関して「知る」ことが知的な理解だけに終わっているときは、それはかえって危険な状態を引き起こすことになるからである。このような危険は、心理学の本をよく読んでいる「勉強好き」の人に生じがちなことである。」
これは私も心理学の本をよく読むので気を付けたいと思います。
本で学んだことをそのまま杓子定規的に「このケースは⚪⚪だから△△に違いない」などと決め付けるのは危険ということです。
人間は機械ではなく心を持つ生き物なのですから、本の理論どおりにはいかないことも多々あるということを常々意識しておくことが大事だと思います。


4ページで構成されたエッセイが55篇あり、どのエッセイも興味深く読めました。
文章も読みやすく書かれていて、心理的なことが書いてありながらも気楽に読めるのが良いです。
そして気楽に読める内容でいて文章には心に響く独特な魅力があり、題名が「こころの処方箋」となっているように自分自身の心にとって良い本だと思いました。


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「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」河合隼雄 河合俊雄

2017-01-22 22:31:20 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」(著:河合隼雄 編:河合俊雄)です。

-----内容&感想-----
この本は臨床心理士であり京都大学の教授でもあった河合隼雄さんの、1974年から1976年にかけての京都大学の臨床心理学教室での、カウンセリングの事例検討会におけるコメントをまとめたものです。
当時大学院生だった山田(旧姓藤縄)真理子さんが事例検討会をテープに録っていて、その時の河合隼雄さんのコメントをテープ起こししてノートにまとめ、後に手書きノートのコピーが研究室で出回るようになったのがこの語録の始まりとのことです。
冒頭の挨拶で、河合隼雄さんの息子で同じく臨床心理士の河合俊雄さんがこの本について次のように書いていました。

「実際に心理療法に関わっている専門家なら、自分の日頃の臨床に照らし合わせてさまざまなことが考えられるであろうし、専門家でない人でも、人のこころの動きや人間関係について、さまざまな示唆やヒントが得られるのではないかと思われる。大学院での授業でのコメントにもかかわらず、専門用語が少なく、努めて日常語や生きたことばを使おうとしているのは特筆すべきである。」
まず「専門家でない人でも、人のこころの動きや人間関係について、さまざまな示唆やヒントが得られるのでは」という言葉が目を引きました。
そしてそれ以上に、「大学院での授業でのコメントにもかかわらず、専門用語が少なく、努めて日常語や生きたことばを使おうとしているのは特筆すべきである」の言葉が目を引きました。
今までに読んだ河合隼雄さんの本の中では「臨床心理学ノート」も難しい言葉はあまり使わないようにして分かりやすく冗談も交えながら書かれていて、この書き方は面白くて良いなと思いました。
今回の「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」は河合隼雄さんが語ったコメントがそのまま文章になっているとのことで、これはより一層面白い文章になっている気がしました。
そして読み始めてみると、1ページ目から川合隼雄さんの語りがそのまま文になっているのを実感しました。
「面接中の電話にはだいたい出ないですね」「真似したらえらいことになる」「真剣に考えなきゃなりません」など、たしかに大学院の授業とは思えないような日常的な言葉使いをしていて、しかも語っている言葉が生き生きとしていて、これは面白く読めると思いました
川合隼雄さんが臨床心理士としてクライエント(悩みを相談に来る人)とのカウンセリングに望む時、どんな心境で臨んだりどんな言葉を言っているかが書かれていました。

P10「セラピストの自宅の電話番号」
クライエントにセラピスト(カウンセラーのこと)が自宅の電話番号を教える場合もあるとあり、これは衝撃的でした。
それが必要な場合もあるとのことで、次のように書かれていました。
「こういう相当難しいケースでは、やっぱり自宅の電話番号教えてやるとかしないとダメです。そういう覚悟がいります。で、セラピストの方から電話かけたりするでしょ、あれも絶対必要ですね。普通はやらないこといっぱいやっていますけどね。こんなケースになったら、これやらないとダメです、実際にはね。」
これを見て、河合隼雄さんは大学教授とは思えないくらい授業でも日常的な言葉を使って冗談もよく言うけれども、やはり臨床心理士として幾度もの難しいカウンセリングをやってきたのだということを実感しました。
深刻な状況のクライエントなら、家の電話番号を教えたら際限なく電話をかけてくる可能性もあると思うのですが、そういった危険性も受け止めてクライエントと向き合わないといけない局面もあるようです。
日本におけるユング心理学の第一人者でもあり、偉大でありなおかつ面白い人と思うとともに、既に亡くなっていることを寂しくも思いました。

P12「上手な冷やかし方」
クライエントが話をしていて、自分で自分の言っていることが分からなくなってしまったような時に、次のように言うことがあるとのことです。
「あんた何やらわけのわからないことを長いこと言ったなあ」
この冷やかしは一般の会話でも同じようなことを言う場合があります。
笑いながら「何わけわかんないこと言ってんのさ」という感じで言うかと思います。
カウンセラーとしてクライエントと向き合った時に「あんた何やらわけのわからないことを長いこと言ったなあ」と言うのは一歩間違うとクライエントが怒ったり傷ついたりして二度と来てくれなくなる可能性があるのですが、そこを言って大丈夫なのかどうかを見極められるのが上手いカウンセラーなのだと思います。
川合隼雄さんが冗談めかしてこんな風に言えば、わけのわからないことを言ってしまっていたクライエントも自分をフォローしてもらえて、助かった心境になる可能性は高いのではと思います。

P15「共感について」
クライエントが色々と無茶なことを言ってくる場合に、カウンセラーが考えるべきこととして次のように書かれていました。
「この人のしんどさというのを言うなればこちらが共感するのが足りないんじゃないか、ということをものすごく考える必要があります。そしてそういう向こうのきりつけみたいなのがはなはだしいほど、自分の共感の量が今まで少なかったのではないかということ、ものすごく考えますね。」
これが臨床心理士などのカウンセラーの凄いところで、相手が無茶なことを言ってきた場合に「何を無茶なことを言っているんだ」となるのではなく、「この人はなぜ無茶なことを言うのだろう。そうか、こちらの共感が足りていないのか」と状況を冷静に見ています。
「状況を冷静に見る」という言葉だけ見るとできそうな気もしますが、実際に相手が無茶なことを言ってきている場で(感情的になっている可能性もあります)、冷静さを保ちつつなおかつ相手の心理状態を分析するのは難しいことだと思います。

P18「子供が物を放る行為について」
6歳くらいの女の子が窓から物を放り、河合隼雄さんが取ってきてあげるとまたすぐに放り、それが繰り返される事例があったとのことです。
河合隼雄さんはこの行為について、「放ったものを拾ってきてもらうというのは「たとえ私が捨てたとしても、あなたは拾ってくれますか?」というものすごい問いかけ」と言っていてなるほどと思いました。
ただ私は「それにしても酷いことをする子供だな」と思いながら読んでいました。
そうしたらこの話の最後に「家では全部否定されてるわけでしょ。」とあってハッとしました。
そうか、家ではこの問いかけについて一切拾ってくれないから、目の前にいる河合隼雄さんはどうなのかを子供なりのやり方で確かめようとしているのかと思う、印象的な最後の言葉でした。

P26「サイコセラピー(心理療法)がやること」
これは私的には、「クライエントの悩みを聞き、問題を解決していくための援助をすること」という教科書的な言葉が思い浮かびます。
それに対し川合隼雄さんは「心と体のバランスを取り戻すのがサイコセラピーのやること。」
という趣旨で次のように語っていました。
「自我の方の動きがあんまり強くなりすぎるとね、体とハーモニーしなくなる。つまり、心的に頑張ろうとしすぎると、休息という、こちらを忘れてしまう。あるいはあいつに負けないようにしようと頑張り過ぎて、結局はリラックスできなくなるということが起こってくるわけです。そうするとこういう言い方ができるわけです。つまり我々サイコセラピーやってる者は、この自我を弱めてこの全体としてのハーモニーというのを取り返すのがサイコセラピーだ、ということです。」
頑張ろうとしすぎて休憩を忘れリラックスできなくなるというのが印象的でした。
そして自我を弱めるとは、この張り詰めて緊張したままになっている心をもう一度リラックスさせるということかと思います。

P28「カウンセラーの気持ちの持ち方」
物凄く深刻なクライエントとのカウンセリングについて、「限界以上のことをやるようになると、こちらが死ななきゃならなくなる」と言っていました。
この「死ななきゃならなくなる」は比喩表現での死というより、本当に死んでしまうという意味のようです。
そして次のように言っていました。
「で、死ぬのがいやだから、大体そういうケースは中断しますね。」
深刻な事例について話していたのですが、この最後の言葉は面白かったです。
カウンセラーのほうもこのくらいの気持ちのほうが良いのだと思います。
限界を超えて何もかもを受けとめようとすれば死んでしまいます。

P72「アドラーについて」
アドラー心理学が出てきました。
「このクライエントが「自分が健康さえ自信もてたら、本社に変わっていて…なるんだけど、不健康だからダメだ」と言うところがありますね。これ、アドラーだったらどう言うか知ってますか?そう、逆転するわけですね。逆転して聞くわけです。つまり、本社にいくのが恐いから…と、それはアドラー流の言い方です。僕ら、そういう聞き方も知ってないといけない。しかしどこまでそれを言うかは別としてね。」
アドラー心理学は「目的論」という手法を使っていて、このケースで言うと、原因論が「この人は健康に不安があるため(原因)、本社に行くことができない」なのに対し、目的論は「この人は本社に行きたくないので(目的)、健康に不安があるという理由を作り上げている」となります。
川合隼雄さんは日本におけるユング心理学の第一人者なのですが、ここではアドラー心理学による解釈を紹介していて、やはり柔軟な人だなと思います。
「臨床心理学ノート」でもアドラー心理学による解釈と思われる言葉が書かれている場面がありました。
ユング、アドラーと並ぶ心理学三大巨頭の一人、フロイトについてもよく他の著書の中で紹介していることがあり、自分自身の学派(川合隼雄さんはユング心理学)以外の心理学についてもある程度知っていたほうが視野が広がって良いのだと思います。

P107「共感の本質」
自閉症児の母親が「同じ境遇にないあなたには何も分からない」的なことを言ってきた場合の共感について書かれていました。
「あんた資格もないのによく私の前で話を聞いているなあ、ということと同じことを言ってる。そうでしょ、「資格のある人(障害児をもった母親)とこの間話をしてきました、で、ツーカーといきました」と言っているのは、あなたはツーもカーもいかない、結婚もしてない、子供ももってない、浮気もしてないのに、何にもしてないのに、なんでそこに座ってるんだ、とそのくらい言われているほどセラピストの胸にこたえてなかったら、それは共感にならないんです。そういうのが共感。」
他の本よりも共感についてだいぶ具体的に書かれていました。
これはまさに教科書的ではない「生きた言葉」だと思いました。
一般の人だとこの母親の当てこすりに対しムッとしたり不快感を表明してもおかしくない場面なのですが、そうはならないのがカウンセラーの凄いところです。


全編を通して躍動するような言葉が綴られていて、興味深く読んでいきました。
こんな風に語ってくれる授業なら、聞くほうも自然と熱心に聞けるのではと思います。
タイトルにもあるように、この本の中の生きた言葉によって心が動かされた場面もあり、言葉の重要さ、そして言葉の持つ力の凄さを感じました。


今までに読んだ川合隼雄さんの本の感想記事
「ユング心理学入門」
「イメージの心理学」
「臨床心理学ノート」


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「高校生のためのアドラー心理学入門」岸見一郎

2017-01-21 21:10:51 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「高校生のためのアドラー心理学入門」(著:岸見一郎)です。

-----内容-----
若い人が自分で考え、自分らしく生きていくためにはどうすればいいのか?
自分や世界について新しい見方を学ぶためのアドラー心理学入門。

-----感想-----
「高校生のためのアドラー心理学入門」とありましたが、パラパラと中身を見てみると大人が読むにも良いのではと思ったので読んでみました。
「はじめに」に「私は本書において、若い人たちが自分で考え、生きていくための指針を提案したいと思います。」と書いてありました。
ちなみに本の行数を見ると16行構成になっていて、これは小説でもよく見られる行数です。


そしてページ数は189ページとそれほど長くはないので、高校生にも比較的読みやすいのではないかと思います。

P4「これまでの人生で何があったとしても、そのことは、これからの人生をどう生きるかということについては何の影響もない」
冒頭の「はじめに」で早くもアドラー心理学の中心の言葉が出てきました。
他のアドラー心理学の本の感想記事でも書いたように、これは女性が男性から酷い目に遭わされて激しいトラウマになり心身症を患っているようなケースでもこの言葉を浴びせるのかという問題があります。
なので何の影響もないと言い切るのは強引だなという印象を持っています。
実際には影響がありながらも(この例では男性恐怖症の症状が出たりなど)、その影響を和らげ最終的には普段の生活に支障がないところまで持っていくのを目指す結構長い期間が必要なはずで、この点において人生に影響が出ていると思います。

P18「もしも仕事やお金などを失ったことでがっかりするような人がいれば、そのような人は、あなたを選んだのではなく、あなたに所属したものを選んだのです。」
人生をともに生きていくパートナーについて書かれていたこの言葉は印象的でした。
これは交友関係についても言えることで、ある人がみんなの注目の的になっていたとして、その時には調子の良い言葉を並べて近付いてきた人が、注目の的になっていた人が何らかの理由で凋落してしまった場合に去って行ってしまうのであれば、その人は「注目の的になっている人と仲が良い自分」というステータスが欲しかっただけだと思います。
私は苦しい時にも見捨てずに支えてくれる人が本当の仲間なのだと思います。
なので高校生に言えることは、苦しい時にも見捨てず助けになってくれる人は、生涯の友達になれる人なので大事にしましょうということです。

P19「サイコセラピー(心理療法)という言葉の由来」
これは興味深かったです。
まずギリシャの哲学者ソクラテスが何を語ったかが書かれたプラトンの「対話篇」という本の中で、魂(精神、心の意味)をできるだけ優れたものにすることが「魂の世話」と言われています。
そして英語のサイコセラピー(psychotherapy)はギリシャ語の原語、「魂(psyche)の世話(therapeia)」に由来しています。

P31「幸福について」
この本では幸福について何度も書かれていました。
このページでは「幸福になりたいと思っていても、その願いだけでは、幸福になることはできません。何が善であり、どの善が幸福を創り出すかについて知らなければならないのであり、もしも幸福になれないのなら、善と悪について知らないからです。」とありました。
たしかに願うだけではなかなか幸福にはなれないと思います。
善の行動の積み重ねが社会への貢献感となり、この貢献感はアドラー心理学での「共同体感覚」を育むことになり、やがて幸福な気持ちにつながっていくのだと思います。
共同体感覚については「面白くてよくわかる!アドラー心理学」(監修:星一郎)の感想記事が参考になるかと思います。

P43「ある精神科医の言葉」
児童殺傷事件に遭遇した小学生についてある精神科医が、この子どもたちはこの事件に遭ったからには将来の人生のどこかで必ず問題が起こるとインタビューに答えていたとのことです。
岸見一郎さんはこの精神科医が「必ず問題が起こる」と断定していることに疑問を呈していて、これは私も同じ意見です。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)のような心身症を発症する子もいれば、全く何も起こらない子もいるかと思います。
ただし問題はその後で、岸見一郎さんはこの事件がトラウマになることは否定していて、「今のあり方は過去のトラウマによって決定されるのではない」としています。
私は道を歩いていて向こうから見知らぬ人が歩いてきた時に、事件のことが脳裏に鮮明に蘇る子がいたとしても不思議ではないと思いますし、これをトラウマと言うのだと思います。
トラウマの否定はアドラー心理学の特徴の一つなのですが、やはりこれには強引さを感じます。

P57「ライフスタイルについて」
ライフスタイルについて、自叙伝に例えて書かれていました。
人は生まれてから死ぬまでいわば自叙伝を書きます。この自叙伝はこの世に生まれた時から書き始められ、死で完結します。その自叙伝を書く時の文体をライフスタイルといいます。
アドラー心理学で言うライフスタイルは性格とほぼ同じような意味で、人が生きていく上での人それぞれの生き方です。
自叙伝を書く時の文体は躍動感たっぷりのものであったり、静かに流れるようなものであったりと様々です。

P79「”察して”について」
察しや思いやりが重要だと考える人は、他の人が黙っていても、他の人の気持ちを分かろうとし、分かるはずだと考えますが、同様に自分もまた何も言わなくても、他の人は自分が何を感じ、思い、要求しているかが分かり、分かるべきだと考えているとありました。
そして「しかし、黙っていたら、自分が何を考えているかはわからないはずです」とあり、これはそのとおりだと思いました。
私はなるべく察するように努力はしますが、「察して」という言葉はあまり好きではないです。

P92「周りを気にしすぎる」
「自分で判断しないで、他の人からどう思われるかを気にかけたり、人の顔色をうかがってばかりいると、事に着手する時期を逸してしまいます。あるいは、本当に自分にとって大切なことを後回しにすることになってしまいます。」とありました。
周りを気にしすぎて動けずにいると、肝心の自分自身が置き去りになってしまうということです。

P94「他者の評価から自由になる」
「自分の価値は人からの評価によって少しも下がりもしなければ、上がりもしません。」とありました。
他人が「あなたは○○だ」と浴びせてくる言葉を一切気にしないというのはなかなかできることではないと思いますが、他人の言葉にそんなにびくびくする必要はないのだと思います。

P102「自分に違う光を当てる」
これは自分自身の性格の短所と思っている部分について、違った見方をしてみるということです。
例えば明るく活発な子に比べて自分は静かで暗いと思っている子がいたとして、見方を変えるとその子は静かな分豊かな感受性を持っていて、人の痛みを知ることができる、と見ることができます。
これは「リフレーミング」という心理学の手法で、アドラー心理学でもこの言葉が出てくることがあります。

P107「減点法と加点法」
親は自分の理想から現実の子どもを減点法で見てしまいがちとありました。
このような親の子どもについての見方に対し、岸見一郎さんは「生きているという事実から加算して子どもを見る(加算法)」という見方を提案していました。
これは良い見方だと思います。
この見方をすることができれば、親が子に抱く不満、子が親に抱く不満ともに少なくなっていくのではと思います。

P115「幸福になるための原則」
幸福になるための原則があるとすれば、「この人は私に何をしてくれるだろうか」ではなく「自分はこの人に何ができるだろうか」と考えることです。
これは良い言葉だと思います。
そしてこれは他のアドラー心理学の本で「共同体感覚」として書かれていることそのものです。
くれ、くれと周りに要求するのではなく、自分が周りに貢献していくようにすることで、自然と幸福感を持てるようになっていくようです。

P129「他者からの援助」
「他者から援助を受けることは恥ずかしいことではありません。」とありました。
これは当然のように見えるかも知れませんが、実際には何もかもを自分一人の胸の内にため込み苦しんでしまう人がいるのも事実です。
「何もかもを自分一人で背負い込む必要はない」というのをそっと言ってあげることができれば、その人の苦しみを和らげることができると思います。

P159、160「課題とトラブル」
アドラー心理学の代表的な考え方、「課題の分離」について書かれていました。
まず、「あることの最終的な結末が誰に降りかかるか、あるいは、あることの最終的な責任を誰が引き受けなければならないかを考えた時に、そのあることが誰の「課題」であるかが分かる」とのことです。
例えば勉強する、しないは、あくまでも子どもの課題であって、親の課題ではないです。
しかし多くの親はこのことについて分かっていないため、勉強を親の課題であるかのように考え、当然のように子どもの勉強に干渉してきます。
「勉強に限らず、およそあらゆる対人関係のトラブルは、人の課題にいわば土足で踏み込む、あるいは踏み込まれることから起こります。子どもであるあなたが、親から「勉強しなさい」といわれて、なぜいやだったかはこういうわけがあるのです。」とあり、これはたしかにそうだなと思います。

P167「人に嫌われる勇気」
「嫌われることは、自分が自由に生きることの証であり、自由に生きるために払わなければならない代償です。」とありました。
これは「嫌われる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)という本のタイトルにもなっているように、アドラー心理学の代表的な考え方です。
ただしこの意味を勘違いし、周りに対してとことん自分勝手に振る舞って良いというような解釈をしてしまうと、人間関係が壊れることになると思います。
アドラー心理学は書かれていることが具体的な分、読み手の「解釈」が凄く重要な心理学だと思います。
妙な解釈をして暴走すると、「スターウォーズ」で言うフォースの暗黒面に堕ちてしまいます。
「アドラー心理学とフォースの暗黒面」

P168「できないことをできないと言える勇気」
「できないことをできないといえるのは、勇気なのです。不完全である勇気を持っていいのですし、失敗を怖れないという意味で失敗する勇気を持つことも必要です。」とありました。
自分自身の不完全さを認めるというのは、自分自身と向き合っているということでもあり、悪くないことだと思います。
不完全である自分を認め、受け止めてあげて、そこから今よりも向上させることを目指していくのが良いと思います。


高校生に向けて書かれた本なので、「課題の分離」や「共同体感覚」などの専門的な言葉は用いずに、その考え方について分かりやすく説明していました。
高校生は進学するか就職するかや、目指している夢が実現できるか自分自身の力がある程度見えてきたり、友達関係、恋人関係など、悩みやすい時期でもあると思います。
アドラー心理学は「解釈」が重要ではありますが、良い面が人生を生きやすくするために役立つ可能性は高いと思うので、この本を読んでこれは良いなと思うものがあれば、ぜひそれを取り入れて自分自身を生きやすくしていってほしいです


今までに読んだアドラー心理学の本の感想記事
「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健
「面白くてよくわかる!アドラー心理学」星一郎


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「臨床心理学ノート」河合隼雄

2017-01-15 20:26:57 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「臨床心理学ノート」(著:河合隼雄)です。

-----内容&感想-----
臨床心理学と聞いて思い浮かぶのは人の心の問題を専門に扱う臨床心理士です。
そして臨床心理士と言えば、昨年の10月から12月まで放送されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で新垣結衣さんが演じた主人公、森山みくりが心理学を専攻して臨床心理士の資格を取得していたことで、この資格の注目度が上がったようです。
ただ私の場合ドラマは見ていなくて、主人公が臨床心理士の資格を持っていたことも知りませんでした。
ドラマからではなく、元々深層心理学の本(ユング心理学、アドラー心理学、フロイト精神分析学)を読んでいて、その流れでこの深層心理学を土台とする臨床心理学の本も読んでみようと思い、先日「面白くてよくわかる!臨床心理学」(著:福島哲夫)を読みました。
そしてこの本をステップとして他の臨床心理学の本を読んでみようと思い、今回「臨床心理学ノート」を読んでみました。

P14「企業内での相談や、学校内での相談では、すぐに心のことを話すのや、症状について話すのには抵抗を感じるクライエント(相談者)がある。」
これはたしかにそう思います。
日本では心の相談をするとすぐにおかしい人として扱われる風潮があるのが問題なのだと思います。
ただ近年は心の問題を抱える人が増えていることもあり、この風潮はかつてほどではなくなってきている気がします。

P19「見たてに、見たてる人の状態が大いに影響を与える。治療者は自分という人間をどのように見たてているのか、が問われねばならない。」
これはクライエントが相談をした時に、その内容がカウンセラー自身のコンプレックスに関わるようなものであると、冷静な判断ができなくなることがあるので、カウンセラーは自分自身がどのような人なのかをよく知っている必要があるということです。
自分の性格、考え方のパターン、コンプレックスなどが分かっていないと良いカウンセラーにはなれないのだと思います。

P20「クライエントが自主的に話すまで待っている方が望ましいこともある。」
例えば、クライエントの相談の内容が明らかに父親が影響を与えていると思われる時でも、クライエントが自分の父親について何も話さない場合があります。
そんな時に父親のことをせかせか聞き出そうとすると逆効果になってしまうことがあるようです。
これはクライエントが父親のことを話しやすくなるように、他のことを話している時も「このカウンセラーになら父親のことも話せるかも」と思ってもらえるように努めていくのが大事だと思います。

P24「人間の心に関することは、正しい判断を下し、正しい助言を行っても、何ら効果のないことが多いことを知るべきである。」
まずクライエントの心理的課題を考えるためには、治療者が心理学の理論を学んでいることは大事です。
ただしその心理学の理論の中での正しい判断をし、それにもとずく正しい言葉をクライエントに言ってみても、全く効果がない場合があるようです。
このことについて「理論的に述べられていることは、抽象性が高く、実際に人生を生きるのは具体的、個別的」とありました。
現実の問題は理論のとおりには行かないということであり、治療者にはこれに対応する柔軟性が求められます。

P29「「相性」という言葉は、二人の人間にとって未知の発展の可能性に対する漠然とした認識のことではないかと思われる。」
この言葉は興味深かったです。
一般人の言葉にすると、「仲の良い関係、お互いに高めあっていける関係になれるかの予感」となるような気がします。
クライエントとカウンセラーは人と人が相対するのでやはり相性の問題はあると思います。

P30「臨床心理学は個々の人間を大切にすることから出発している。」
これは「電気に関することなら電気の理論が普遍的」というのとは違い、人間の場合は一人ひとりが違った性格をしているので、人間全体の心を電気の理論のように普遍的にすることはできないということです。
似たような性格をしている人がいても細かく見ていくと違っている部分もあるので、「同じ性格の人」とひとまとめにするのではなく、それぞれを個々の人間として尊重するのだと思います。

P32「臨床心理学の理論が他の分野と異なる要因として、人間という存在が常に変化する、ということがある。」
さらに「電気器機のように、対象が一定の固定したものではなく、人間は常に変化するし、むしろ、いかに変化するかということを課題としているのが臨床心理学である、と考えられるので、対象が常に変化することを念頭において、理論を考えねばならない。」ともありました。
たしかに人間の心はその時の状況などによって常に変化していくものなので、電気や機械の理論のように「こうなれば、必ずこうなる」といかないのは当然だと思います。

P58「臨床心理学は今後ますます、一般人の人生のサイクルにかかわることが増加すると思われる。」
この本が出版されたのは2003年で、現在の状況を見るとこの言葉は当たっていたと思います。
そしてこれは最近の小中学生のなりたい職業ランキングにカウンセラーがランクインしていることからも明らかな気がします。
心の問題の相談を聴くカウンセラーの存在が重要と考える子供がそれだけ沢山いるということであり、現代は悩み多き社会ということでもあります。

P64「「生命現象」と「関係の相互性」こそ臨床心理学が重要とすること。」
近代科学が無視し、軽視し、果ては見えなくしてしまった「現実」があり、それは一つは「生命現象」そのものであり、もう一つは対象との「関係の相互性(あるいは相手との交流)」とのことです。
近代科学が対象外として除外したもの(人間の心)を臨床心理学では重視するというのは、「イメージの心理学」(著:河合隼雄)にも書かれていました。

P79「筆者(河合隼雄さん)のことを、「オカルティズムの信奉者」、「神秘主義をふりかざす一派」などと断定している」
これは河合隼雄さんの「心理的療法と因果的思考」という本に対し、石坂好樹さんという人が書評でそのように書いていたとのことです。
私はこういった心の問題への対応を馬鹿にする人がいるから、心の問題を相談しずらい風潮がなかなかなくならないのだと思います。

P81「(例えば家族の中で、ある人が心の問題を患い、何が原因なのか(誰のせいなのか)の原因探しが始まった場合に)原因を探し出そうとするのではなく、どうすればいいのか、今ここでできることを考えましょう」と言うようにしている。」
この状況におけるこの考えは良いと思いました。
そしてこれはアドラー心理学的な考え方だと思いました。
この本の中でかなり印象的な言葉でした。
河合隼雄さんはユング派の臨床心理士なのですがここではアドラー的な言葉を発していて、この柔軟性が大事なのだと思います。

P128「アドバイスの害の大きいのは、それを何らかの「権威」を背景にして行う場合である。」
例として「自分は「臨床心理士」という資格をもっている。だから自分のアドバイスには従うべきである、というような態度が前面に出てくると、それに対する反発のために、正しいことを言っていても、無効になるどころか、有害でさえある」とありました。
これは臨床心理士に限らず、権威を背景に尊大な態度でアドバイスしてくるような人にはイラつく人が多いのではと思います。
また河合隼雄さんは「臨床心理士は上から目線で偉そうにアドバイスするようなものではなく、同じ目線に立ち、相手の話を共感とともに聴き、その時々の最適な言葉を慎重に見つけ出していくのが望ましい」と考えているようで、この考え方はとても良いと思います。

P128「「臨床心理士」という資格は、単に知識や技術を身につけているというだけではなく、人間関係や人間の心の状態について即断せず、じっくりと理解を深めてゆく態度を身につけている、ということを意味する。」
これは臨床心理学の知識をもとに「○○なので、△△だ」とすぐに決め付けたりしないということです。
相手に共感する姿勢、それでいて一歩引いて客観的に見る姿勢も求められ、なかなか大変なことだと思います。

P130「聴くと訊くは違う。」
「聴く」姿勢によって作られる人間関係がアドバイスを有効にする基礎になるとありました。
そして「医者の問診のように、あるいは電気器具のチェックのように、いろいろと「訊く」ことがアドバイスの基礎と考えるのは、間違っている。人間は機械ではない。」とありました。
これは「聴く」は相手を尊重することであり、「訊く」は尊重していないということだと思います。
その尊重していなさをクライエントが察知すれば、良い人間関係にはなっていかないと思います。

P131「「いったんやけになってしまうと、後は坂道を転がるようなもので…」と言うクライエントに対する言葉」
「そんなにやけにならないで」と言うのと、「坂道を転がるときに、何かつかまるものはないですか」と言うのとでは少し感じが異なるとありました。
この「坂道を転がるときに、何かつかまるものはないですか」は私の心を捉える言葉でした。
とても静かに、そっと手を添えるかのように心に話しかけられた気がして、この本における最も印象的な言葉でした。

P170「心理療法の場合は、治療者の意図によってクライエントを動かそうとする考えを放棄しているところに、その特徴がある。」
これは理論にもとづき一方的なアドバイスをしても意味がないということです。
そしてクライエントが自分自身の考えを活発化させて自分自身と向き合っていくことに寄り添い、補助するということでもあると思います。
寄り添い、補助するためには言葉の選び方が一歩引いた、それでいて冷たくはなく、しっかり共感、受容していることを示すという難しいものになってきますし、それをクライエントと話す中で的確にやるには相当な訓練が必要だと思います。


この本を読み、やはり人の心の問題を扱うのは大変なことだと思いました。
悩みの多いストレス社会の今、心の問題を扱う臨床心理士や心理カウンセラーの存在は重要だと思います。
そして「臨床心理学は今後ますます、一般人の人生のサイクルにかかわることが増加すると思われる。」という言葉があったように、臨床心理(心の問題)について漠然と不安に思ったり距離を感じたりするよりも、本を読んである程度知っておくことも重要だと思います。


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「面白くてよくわかる!臨床心理学」福島哲夫

2017-01-08 22:03:06 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「面白くてよくわかる!臨床心理学」(著:福島哲夫)です。

-----内容-----
どうしたら、カウンセラーになれるの?
⚪臨床心理士とカウンセラーは、どう違う?
⚪カウンセリングの基本は同情ではなく、共感的理解
⚪クライエントだけでなく、カウンセラーも悩み成長する
悩みがあってもいい。
それを踏まえて進もう!
苦しんでいる人を、敬意を持って受け止めるスキル!

-----感想-----
フロイトの精神分析学、ユングの分析心理学、アドラーの個人心理学、これらは人によって相性の良し悪しはあると思いますが三つとも臨床(患者さんに接して診察や治療を行うこと)に応用できる心理学です。
人の心の不調と向き合う臨床心理士にもフロイト派、ユング派、アドラー派といて、それぞれの心理学をベースにして患者さん(クライエント)とカウンセリングを行っているようです。
私はカウンセラーを目指すわけではないですが、これらの心理学がどう生かされているのか知ってみようと思いこの本を読んでみました。

P18「臨床心理学とはどんな学問か」
臨床心理学は、「心の悩みや心の悩みを原因とする体の不調などに苦しむ人を、心理学的な手法で援助するための学問」とありました。
また「「患者の治療」ではなく、クライエントが心を成熟させ、悩みや苦しみが癒されるよう寄り添い、手助けする学問」ともありました。
理論だけではなく、心の悩みを相談しに来られる方を手助けするための意味合いが強くあるようです。

P20「フロイトとユングの決別」

人間の心の中の「無意識」に対する考え方の違いから二人は決別しました。
イラストの血管が浮き出るほど激怒して火花を散らす二人のうち、左側がフロイト、右側がユングです。
こんなに激しい対立になったのでしょうか
ユングと決別する前にはアドラーとも決別していて、フロイトはだいぶ決別しやすい人だったようです。

P22「心理療法について」
フロイトは「心理療法とは、抑圧された無意識を意識化し、それまで無意識だった衝動や欲求や不安を、意識によってコントロールできるようになっていくプロセスと考えた」とのことです。
過去にあった何らかの嫌な体験が忘れたと思っていても心の中にはしっかりと存在しており、それが現在の自分自身の心に影響を与えているのを知ることで、その嫌な体験の記憶と向き合いコントロールできるようにすることによって、心の不調を治そうというものです。
フロイトのこの考えはアドラー心理学の体育会的で手っ取り早いイメージと対極にあると思います。
フロイト派から見るとアドラー派は「何だその強引さは」となり、アドラー派からフロイト派を見ると「何だそのまどろっこしさは」となるような気がします。

P24「クライエントについて」
臨床心理学では相談に来る人のことを患者ではなくクライエントと呼ぶとのことです。
これは相談者を「治療の対象」としてではなく、カウンセラーが手助けすべき相手と捉えているからとあり、この考えは良いと思いました。
そしてこのクライエントという言葉を初めて使ったのはアメリカの臨床心理学者カール・ロジャースとのことです。

P28「パーソナリティについて」
心理学ではある人の人格をパーソナリティと呼びます。
パーソナリティの成人後の一貫性(変わらなさ)は非常に高いとあり、これはたしかにそうだと思いました。
年齢を重ねれば重ねるほど、その人の性格は変わらなくなります。
そしてもし自分自身の身近にこのタイプの物凄く嫌な人がいる場合、アドラー心理学の「相手を変えようとしても無理なので自分が変わったほうが良い(相手への反応の仕方を変えるという意味合い)」の考え方が有効だと思います。

P38「臨床心理学が様々な場面で必要とされている」
「専門家以外の人たちが、人間の心の働きについてある程度の知識を身につけ、人を援助するスキルを向上させるなら、多くの人の心の健康が、より守られることになるでしょう。」とありました。
さらに「これからの社会では、より多くの人が心について理解を深めることが大切と言って過言ではありません。」とありました。
これらは私もそう思います。
このストレス社会、「とにかく根性だ」の体育会的根性論で突っ走ったのでは必ず自殺のような悲劇が起きるので、「人間の心には限界があり、さらにその限界は人それぞれなので、自分が大丈夫なのだから周りも大丈夫であるべきだと押し付けてはいけない」ということを社会全体が理解するべきだと思います。

P50「臨床心理士とカウンセラーの違い」
カウンセラーは特定の分野に詳しい人のうち、相談に乗る態度を身につけている人で、健康な人を含め、浅く、常識的に扱うとのことです。
そして臨床心理士はカウンセラーのうち、臨床心理学を専門に学んだ人で、特定の心理的な問題を深く、専門的に扱うとのことです。
カウンセラーのほうは心理分野だけではなく「カツラのカウンセラー」「化粧品のカウンセラー」などもあります。

P52「カウンセリングとはどういうことか」
カウンセリングとは、「クライエントの問題を解決するためのコミュニケーションの技法」とのことです。
クライエントとの信頼関係を築きながら、クライエントが現在抱えている様々な症状や問題の悪化を防ぎ、あるいは取り除き、さらにはパーソナリティの成長を手助けしていくとありました。
そしてカウンセラーは共感的理解によってクライエントと良好な対人関係を築けるよう、訓練を受ける必要があるとありました。

P54「カウンセラーに求められるもの」
カウンセラーはクライエントに対し同情したり腹が立ったりと、色々な感情を抱くことがしばしばありますが、そうした自分の感情に振り回されてしまうと、カウンセリングは効果的なものにならないです。
なのでカウンセラーは共感しながらも、自分自身をある程度コントロールする必要があるとのことです。
これはすぐにはできないと思いますし、たしかに訓練が必要だと思います。

P60「カウンセラーに向いているのはこんな人」

必要な資質として三つ挙げられていました。
①「この人なら分かってくれる。だからこの人に話したい」と思わせるような受容力。
②相手を共感とともに理解する共感的理解の力。
③相手に伝える能力。
相手に伝える能力は相手の話を聞いていること、理解していることを伝える意思表示はもちろん、相手が上手く言えないことを、カウンセラーが代わりにまとめるという伝達能力も必要とのことです。

P62「心の問題について」
心の問題は一人で苦しむよりも、カウンセリングを受けて相談する方が解決しやすいとありました。
これはそのとおりだと思います。
カウンセラーは敵ではなく、クライエントが苦しい状態の心と向き合い整理していくのを手助けしてくれる存在なので、一人で悩むよりだいぶ良いのではと思います。

P70「人の心を「理解する」とはどういうことか」
「人の心を100%「わかる」ことはできないという自覚が必要。人の心を「わかる」とは、未知の部分があるという自覚と、常に背中合わせ。」というのが印象的でした。
他人の心を完全に理解することはできないというのを分かった上で、できる範囲で理解していくことが大事なのだと思います。

P80「臨床心理士の育成過程」
カウンセラーに必要な資質として新たに「絶え間なく自分自身を見つめていく能力」というのが出てきました。
一括りにカウンセラーと言っても臨床心理士、認定カウンセラー、産業カウンセラーなどがあります。
ここでは最もハイレベルな資格の臨床心理士の育成過程が説明されていて、書かれている内容が凄まじかったです。
臨床心理士になるための訓練は尋常ではなく大変だと思いました。
これは人の心の問題を深く専門的に扱うためには自分自身の人格を磨くことが何より大事ということなのだと思います。

P84「どんな時にカウンセラーが必要なのか」
「客観的な症状の重さではなく、その人にとって苦痛が重荷となった時こそ、カウンセラーが必要な時なのです。」という言葉が印象的でした。
他の人から見ると大した問題ではなさそうでも、その人から見ると心が押し潰されそうなくらい重大な問題だったりすることがあります。
そしてこれを周りが「そんなの大した問題ではない」と切り捨てたり押さえつけたりすると悲劇につながる可能性があるかと思います。
「その人にとっては重大な問題」だというのを周りが認識することもまた必要なのだと思います。

P156「日本の社会が抱える心理的問題」
先が見えない社会的不安、安らぎの場であるはずの家庭の崩壊など、現代を生きる私たちは、心に問題が生じる要素をあまりにも多く抱えているとありました。
特に苦痛に晒されているのが精神的にもまだ成熟していない子供たちとのことで、問題点が三つ挙げられていました。
①少子化が進み、家庭内に同年代の兄弟姉妹がいない、もしくは少ない。
②親戚づきあいも頻繁ではなくなっているため、血縁関係の交流も少ない。
③昔のように近所のおじさんやおばさんが、時には親のように叱ってくれるような親密な地域社会も崩壊している。

これらのことから、今の子供たちは精神的に「孤立化」していて常に寂しさを感じているとありました。
そしてこれらのことと反比例して、その分、子供に対する親の影響力が増しているとありました。
その結果親の過剰な期待を子供が背負うことになり、心理的に追い詰められ苦しんでいるようです。

これは特に一人っ子だと過剰な期待を全部背負うので大変です。
子供は生き生きとしている姿が一番だと思うので、追い詰めるのではなく毎日が楽しくなるように育ててあげたほうが良いと思います。


心理学の上に臨床が付き「臨床心理学」となったことで、様々なカウンセリングの技法(カール・ロジャースの考案した来談者中心療法など)や各種の神経症や精神病の種類についても詳しく解説されていました。
そして実際に人の心と向き合う臨床の場で、カウンセラーがクライエントの心にどう向き合っているのか、興味深く読めました。
何かとストレスの多い社会となっている今、悲劇を防ぐためにもカウンセラーの方々の存在は重要だと思います。


臨床心理学の土台となる各心理学の本の感想記事

「面白くてよくわかる!フロイト精神分析」竹田青嗣

「ユング名言集」カール・グスタフ・ユング
「面白くてよくわかる! ユング心理学」福島哲夫
「ユング心理学でわかる8つの性格」福島哲夫
「ユング心理学へのいざない」秋山さと子
「ユング心理学入門」河合隼雄
「イメージの心理学」河合隼雄

「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健
「面白くてよくわかる!アドラー心理学」星一郎


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