井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

人工音と自然音

2014-12-22 | 日記

昨日の「ノイズ」という文章に、思わぬ共感の声を頂き、

病的に過敏な聴覚の持ち主である私が、気難しいことを言い過ぎているのであろうか、

と危惧があったのだが、皆さんそれぞれ聞きたくもない「ノイズ」には

悩まされているようである。

部屋のサイズ・・・・場の空間の大小(天井の高低)などで、自ずと声の高さは

調整するものと私などは人にも期待するので、裏切られることが多い。

某国と某国の人たちが、公共の場でのお行儀の悪さと共に、傍若無人な

声の高さを言われているが、日本人も随分だめになって来た。

昔はそうでもなかった気がする。

というのは昭和も初期中期ごろまでか・・・・・? 松竹大船のホームドラマなど

静かなものである。

しかし30年近くも前パリで、セーヌを往来する遊覧船バトームッシュに乗った時、

すでに大声で宴会をしている日本人の一団があったので、もうその頃は

ダメになっていたのであろう。

・・・・・・というより、日本は騒音に対しては諸外国よりも無神経であったりする。

例えば量販店の道まで流れる音楽、駅の説明過剰な繰り返しアナウンス、

どの店に入っても不必要な音量で鳴らされている音楽。

野山や海岸で鳴らされる音楽。風や水音を聴きたいのに、残念な思いをする。

日本の電車の離発着の正確さと事故の少なさは称揚に値するが

アナウンスの煩さは世界一。

たとえば、バンコクの電車では駅が近づくと静かな低い声で

「スクンビット」とか、一回アナウンスするだけで、

「白線から離れて」や「目白ー目白ー次は目白で停車しますー」

「お忘れ物のないように」などなど

大声の案内はなく、しかしそれでバンコクの電車で事故が多発している

という話は聞かない。

選挙カーのあの大音声もわけのわからぬことの一つ。

大声で名前を連呼されなくても、投票する人物などとっくに決めている。

ノイズに過敏で気難しい私ではあるが、しかし雷がどんなに轟こうと

嵐が吹き荒ぼうと、セミや鳥が鳴きたてようとちっとも気にならない。

むしろ、聴きたいと思う。

昨年「命」という森林を舞台にしたドラマを書いて以来、せめて小物で

ヒノキを味わいたいと風呂桶もヒノキにしているのだが、これが

ある時、床に「カーンと鳴って、昔の銭湯の響きを思い出した。

木の橋や石畳に鳴る下駄の音も気にならない、どころかむしろ好ましい。

風呂桶がプラスチックであったら、床に落ちて音を立てても私は

眉を顰めると思う。嫌な音が予測できる。

自然の音は滝も大雨も気にならない。

外に出て、聞きたくもない音楽を大きな音量で聴かされる苦痛。

最近少なくなったが、かつて和食の店に入ると正月でもないのに

琴がかき鳴らされていて、辟易としていた。

あるいは、気取っているふうに読まれたら心外なのであるが、

たとえばモーツァルトを低く流していても気にならない。

あの時代の一流作曲家の作った旋律が、自然に近いということなのだろうか?

だが一番あらまほしいのは、音楽抜きの白紙でお店はありたい。

せめて気が付くと、ごくかすかに鳴っているという程度に。

指圧などに行くと、ヒーリングミュージックを流していて、ヒーリングなら

よさそうなものだが、それはそれで、うるさい。

ヒーリングミュージックを称して「空き缶におしっこするような音楽」と言った人がいて

感心した。

それで思い出したが、複数名の施術者がいる治療院で、ヒーリングミュージックを

じょんじょろりん、ちょろちょろとかき鳴らしていて、うるさいなぁと思っていたら、今度は

施術者の一人(女性)が甲高い声で、客に話しかけていて

「痛くはございませんかぁ?」

オメーの声がいてーんだよ!(内心の声)

「んまあ、北海道の出身なんですかぁ!?」

だから、どうした。

「肩甲骨の周りが超固いーーーー、うわぁああああああああああ!!」

相手している男の客の声は低くぼそぼそと、たまに応じているだけなので

気にはならない。何を言われたのか、声高指圧師、

「やだそうなんだぁ、あーはっはははははは!!」

“おしっこ音楽”であるヒーリングニュージックもかき消して、さながら水洗トイレの排水音である。

喋りっぱなし。

帰りに店の評価をと、アンケート用紙を渡されたので、

「求む静寂」と書いた。「肩はほぐれたが、鼓膜が凝った」

 

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ノイズ

2014-12-21 | 日記

実は音に過敏で、苦痛な時がある。

世田谷の2階屋に暮らしている頃、2階の書斎にいて、1階の居間で秘書がめくる

新聞の音が、耳に突き立つようで注意したことがあるから、病的なくらいに「音」が

苦手である。

静かなエリアだったので新聞紙の音が際立ったのだろう。

生活音のすべてが苦痛だというわけでもないが、どうも聴覚が過敏で困ることがある。

昨日、老舗の鰻屋に行ったら、一人声の大きい女性がいて鰻重を待つ間

彼女の声が拷問だった。

いったいに、場所の空間に合わせて声量の調節が出来ないのは中年女性たち

だと思っていたが、連れの男たちも声高だが、さして抵抗がないのは

男声は周波数が低いからだと気づいた。

その女性は、40歳前後。たまにいる、いやに滑舌のいい野太い、しかし

甲高さを伴う、まるで舞台で声を張っているような喋り方の人。

舞台の声だが、決してヒロインの声にはなれない、不快なタイプの音声。

辛抱している雰囲気が伝わったのか、気働きのいい女将さんが「こちらの

席に移られますか?」

と声をかけてくれたのだが、一人で4人席を占領するのは私のモラルに

反するので、ご辞退した。

場の空間が許容する限度を遥かに超えた音声に遭遇した時に、自分に

言い聞かせる言葉を胸のうちに呟いてみた。

(世界から人類が全て絶えて、たったひとり生き残った孤独地獄を考えましょう。

大声のあの方に巡り合ったら観音様です)

とひたすら念じて耐えていたら、

「ありのままにーーーーーー!!」

歌まで歌い始め、私は席を立ちその女性に突進、首を締めた。

脳内で、である。

耐えることしばし、やっとその女性を含めた一団は立ち上がり、しかし

その女性はまだ野太い甲高い声でしゃべり狂っている。

「ふなっしーの人って、あれ税金の控除は絶対に・・・・(云々)」

そして、

ガッシャーン!!

ご丁寧にテーブルから、灰皿だかなんだか床に落としたらしい。

私は割り箸を手に席を立ち、彼女に突進、お尻に割り箸を突き刺してやった。

脳内でである。

・・・・・・・・・

静寂。

私は、ありがたさに涙をこぼさんばかりであった。

と・・・・・・。

「携帯、忘れたーーーっ!!」

あの、大声怪獣がまた入って来たではないか。

「ないわねーーっ」

「ないわっ」

「バッグの中かしらっ」

「やっだぁああああああ」

・・・・・・・・・・・・

私は自身が首を吊りたくなった。

 

 

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男の化粧と平和憲法

2014-12-20 | 日記

午睡して変な時間に目が覚めたら、うっかりつけっぱなしだったテレビに
女装男子たちが写っていた。ついでに女装おっちゃんたちも。

時代が移ったなぁと思わせるのはスタジオのコメンテーターたちが
淡々と普通にリアクションをしていたことで、これが10年20年前なら
「えーっ」と、のけぞらないと収まりがつかないところ。

その前も、たまたまつけたテレビでいきなり、「男の子のメーク」というのが
あって、化粧道具を持ち歩いている男の子が映っていたが
それも、特殊な子という取り上げ方ではなく、淡々と単にレポート。

メークと女装は、するほうの動機も分野も異なるとは思うのだが、
いずれも時代の潮流ではあり、私もさして驚かなくなっているが、
ドン小西さんの日常を追う場面で、お化粧をなさっていて、
なさっているそのことより、報道する側がこれまたちっとも
驚かずとりわけコメントもなく、普通に流していることのほうに驚いた。

物書きなので、あらゆる欲望はいったん受け入れてみるし、一端は
解りたいとも思うのだが、女装願望も化粧願望も自分にはさほどないので
実のところよく解らない。

テレビに出るときはメーク室で塗ってもらうが、終わると急いで落とし、
落とすとほーっとするので化粧願望はほぼないと言っていいだろう。
顔に異物を載せ皮膚呼吸を妨げている具合で、女性は一日中よく平気だなあと
その都度思う。
テレビ出演時の化粧は、あの強面の元検事河上さんもやっていらっしゃるぐらいで、出演自体は大昔からたまにだがやっているので、普通の男よりは男の化粧に抵抗感は少なく来たのかもしれない。身近な男優は軒並み塗っているし。

いいとも悪いとも何とも思わないというのが率直な感想だが、内館牧子などは「歓迎しないわね」とボソリという。比較的感性柔軟な人なのだが。
テレビの女装男子については、「日本男子として抵抗がある」と感想を漏らす
おじさんがいた。

女装に洋の東西はなく「日本」はとりあえず関係ないのだが。

男らしく、女らしくという概念が男が人前で泣くようになり、映画もドラマも
それを描くようになった頃から壊れ始め、「その人らしく」生きる時代に
なりつつあるのだと思う。

昔々、男の化粧について取材を受けた時「彼らは自分で戦争を起こすことはしないでしょうね」と答え、記者はなるほど、と感じ入った様子であったが今もそれは思う。

戦場にコンパクトやパフでは戦意喪失である。

平和憲法護持とか、9条にノーベル賞をというより「男も皆お化粧して、爪を塗りましょう」という運動をするほうが早いかもしれない。(むろん、やや冗談、やや皮肉である)

ただし、その運動をするなら世界規模で行うこと。日本男子だけが装って戦意喪失しても困るのである。自ら戦争は仕掛けなくても、日本を侵略したい国はある。

九条墨守を言うなら、世界にも広めないと、という理屈と同じ。
平和憲法で国が護れ、平和が維持できるならなぜ、世界中の
国が平和憲法を持たぬのか、よくよく考えるべし。

憲法という文字で書かれたにすぎないもので、平和が守れるとは
実はどこの国も考えてはいない。日本以外では。

都知事選、今回の衆院選、裁判官の国民審査で罷免者ゼロと続いて
呆れ果て政治的発言はもうすまいと思っていたのに、女装男子と化粧男子で
思わぬ平和憲法論になろうとは。

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知性

2014-12-19 | ドラマ

コメント欄に紹介を頂いたが新聞取材に答えられた「わが家」の父親役、長塚京三さんの
役の捉え方が知的で、感動した。
こういう頭のいい役者さんは、楽だ。
脚本に込めたメッセージを的確に捉え更にスケールアップしてくださる。

番宣兼ねて、これから脚本やシーンの一節を抜書きすることもあるので、
事前に知りたくない方はスルーなさって欲しい。

12月18日 高知新聞(19面)朝刊より。

来月4日・特別ドラマ「わが家」 長塚京三

静かな口調が少しずつ熱を帯び始めた。2015年、70歳を迎える長塚京三。
「一生懸命役を思えば、思った形で演じられる境地には来ている。そこから、もう一つ世界が開けてくる可能性がある」。芝居への意欲は衰えを知らない。
新春の特別ドラマ「わが家」(TBS系 1月4日夜)では、30年ぶりに家族の元に舞い戻る父親の武士を演じる。

息子の一歩(向井理)と娘のほの香(村川絵梨)は東京で別々に暮らす。妻・鯛子(田中裕子)は港町で家を守る。
ほの香の結婚話を発端に、バラバラだった家族が絆を取り戻していく。

物語は一歩の語りで進む。
「今を描いているが、一歩の回想でもあるような不思議な曖昧さを持つ作品。一歩の記憶の中で美化された武士をイメージして演じた」。

長塚は、リアリティーから少し外れた武士を「寓意的な父性の象徴」と呼ぶ。
そんな抽象的な「理想の父親像」を生身の長塚京三として具現化しなければならず、役者にとっては「残酷な作品だった」という。
「見ている人にどう思われてもいいやっていう強さが、この役のミゾだね」と苦笑いする。

ドラマのハイライトは、一歩との親子げんかの場面だ。
「触れ合いたくて仕方ないのに、大人になるとできない。父と子の“ラブシーン”みたいなものかな

15年のNHK大河ドラマで、幕末が舞台の「花燃ゆ」にも、ヒロインで吉田松陰の妹・文の父・百合之助役で出演する。
「人生の究極の幸せは、すべて家族の中にある。素直に必要とし、必要とされる。大事なのは、そういうことじゃないかな」。
家族について語るその目には、穏やかさが戻っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

長塚さんの写真に添えられたコメント
「息子というのは、若い時の自分ですね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が、うなったくだりは青字にしておいた。

早稲田からソルボンヌに留学の理由をうかがったら、
「あの当時は学生運動で、大学にいても勉強できなかったからです」
そう、淡々とおっしゃったが、だからと言って誰もがソルボンヌに行ける
わけでもない。

あちらの監督に見出され、それが俳優業へのきっかけであったようだ。

ハイライトの父と息子取っ組み合いのシーンの脚本を全部抜書きしておこうかとも思ったのだが、それはさすがに感興を削ぎそうなのでやめておく。雑誌「ドラマ」には、全部掲載されているが・・・・こちらでは、

セリフから一部抜粋だけ。

 

 

一歩「言いたくないけど、オヤジがいないせいだ」

武士「そう言われたのか」

一歩「言われないけど。お父さんはどこの料亭で働いてるのかって訊かれて、つい口ごもっちゃったんだ」

武士「今どきそういうことで、落とす会社はねーだろ」

一歩「言い切れる?」

武士「能力が秀でてりゃ、親はなくとも、世の中は拾い上げる。オレはそうだった」

一歩「腕一本の仕事と会社は違うよ」

武士「やる気の無さを、オヤジがいないせいにして、逃げてるんじゃないのか?」

一歩「はぁ!?」

武士「自分に言い訳するような生き方は止めておけ」

一歩「おふくろは離婚もしないで、毎日家掃除して守って、布団干して! ほの香は、結婚相手にも本当のこと言えず、苦しまぎれの嘘ついて。家族それぞれが、どんだけ!!」

武士「オレがオヤジに死なれたのは、三つの時だ。それでも、へこたれず仕事した。所帯も持ち、二人の子もなした」

一歩「捨てといてよく言うよ!」

武士「(瞬時見つめていたが、挑発する)女々しいやつだな」

一歩「はぁ!?」

武士「オヤジがいねーくらいで、何をくどくど。自分の半端な生き方を、オヤジのせいにして満足か。そういうの、卑怯者って言うんだよ」

 

  一歩、はじかれたように立ち上がり、武士を不器用に殴る。

  武士、一歩を鮮やかに殴り返し、一歩は見事に吹っ飛ぶ。

起き上がり、武士に獣の吠えるような声を上げ突進、むしゃぶりつく。

  もみ合う。二人の感情の背後には、永遠の別れを目前にした親子の気の昂ぶりもある。

  鯛子と、ほの香が現れる。

 

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「採れたてピチピチの野菜なの」

2014-12-18 | ドラマ

選挙の集票について、田母神さんと何だかの得票比率を精査すると

比例に「次世代」がゼロというのは、どうにもあり得ず・・・・納得しがたく不信の念

を抱いているのだが、あいにく数字が不得手で、私がいじって検証してみても

計算間違いでとんだ赤っ恥かくのが関の山。

脚本でも数字が関わることに関しては、必ずと言ってもいいほど「あの・・・・・」と

スタッフからご注意が来る。

というわけで・・・・・

ドラマの話題にする。

小説のほうの増刷は発売まもなく、書店からの注文が相次いだ結果を受けての

ことであると版元の担当者さんからの連絡で、ありがたいことである。

面白がって頂けたなら、書いた甲斐があった。

小説中登場する一歩(向井理くん)の母(田中裕子さん)の実家の

和食の店に、ヒノキの一枚板のカウンターがあり、今しつらえたら家一軒買え

る、と描写したら、それがテレビ画面で映ることを楽しみにしている、とコメント欄

に2つも言葉を頂戴した。

あいにく、ドラマ脚本では母親の実家は出していない。

出したところで、テレビ画面ではヒノキの一枚板の重厚感も、なんとも言えない手

触りも解らない。

逆に合板に細工してもそれらしくは映る。

ただ、小説のモデルにした店は実在する。書いた通り、地下鉄神田駅の出入口

の目の前である。

何口であったかは記憶にない。

ヒノキの一枚板カウンターはそこで、女将さんから聞いた話であり、またその店

が契約農家から野菜を配達してもらっていて、配達のおばあさんが

「採れたてピチピチの野菜だよ!」と

届けてくれるのだと聞いて、面白いのでいつかセリフに使ってやろうと頭にメモし

ておいたのだが、意外に早く使うことになった。

「採れたてピチピチの野菜」は小説でも、ドラマでも双方使わせてもらい、一歩の

妹役をやった村川絵梨ちゃんに激賞してもらったが、自分のオリジナルでないこ

とは正直に伝えてある。

母親に「およしよ」などという言葉を使わせているが、これもそこの女将さんの言

葉を拝借した。いわゆる江戸弁でたいそう面白く、また残しておきたく耳をそばだ

てて脳内録音しておいたのだ。

ドラマでは、原稿用紙でせいぜい118枚、小説では300枚。自ずと、ドラマでは

省いてある部分もある。

かといって、映像は一瞬の情報伝達量が多いので単純にドラマは小説の3分の

1の内容しかない、ということでもない。

たとえば、衣装の描写など小説ではするが、ドラマでは特殊に必要なとき以外は

衣装部さんと役者のチョイスに委ねる事のほうが多い。

小説と、ドラマの関連部分を抜書きしておく。

ドラマはまっさらで見たいという方はすっ飛ばして欲しい。

小説も脚本もゼロから読みたいという人も。

 

代々東京は神田で続く老舗料理屋の長女で、江戸っ子ってやつだから「およしよ」なんて、時代劇みたいな言葉を使うし、うちの庭の畑で作っている野菜を「とれたてピチピチだよ」なんて自慢したりする。

 実家の料理屋が荒川区の農家と契約していたそうで、配達してくる農家のばあちゃんが、そう言って届けて来ていたそうだ。

 名は鯛子で、これは老舗の料理屋の娘として、縁起がいいってことでの命名なんだろう、とそう思っているだけで由来は聞いたことがない。

 名乗ると大抵「妙子」だと思われると、おふくろは言う。

 店はさほど豪華というわけではないが、明治時代からの名残りが店内のあちこちに、たゆたうように残っている。

今の東京のリズムとは異なる独特のゆったりした時間が流れているようで、カウンターのヒノキの一枚板は、今しつらえると、家一軒分の値段なんだそうだ。

 そのやわらかな手触りのカウンターに煙草の焼け焦げ一つないのも、おふくろの実家自慢の一つ。

 

上記が小説で、ドラマでは描いてない部分。

以下は脚本である。

○桜木家・表

鯛子「(麗美に)これ、採れたてピチピチの野菜。うちの畑のなの。それと、漬物」

麗美「嬉しい!ありがとうございます」

鯛子「これは一歩の分。(麗美に)お酒は飲む人?」

麗美「ガンガン」

鯛子「あら、おともだち!」

 

  ほの香が帰って来る。

 

ほの香「お兄ちゃん、来てたの!? ちょうどよかった!」

一歩「え」

ほの香「大変、病院でね(と、言いかけるが麗美の姿に口をつぐむ)」

麗美「私、一人で先に帰ります。お世話になりました」

 

引き写していたら、神田のその店に行きたくなった。そういえば、もうふぐの季節

ではないか。

お客さんの中で、小説を読んだ人がいたら、女将に話しているかもしれないが、

私は1年前にふらっと入ったフリの客なので、記憶にはなく最近はテレビに

顔を出してもいないので、身バレもしないだろう。

いやバレてまずいことはしていないのだが。

ところで小説を読み、更にドラマを観てくださる奇特な方に一つお願い。

小説にあって、ドラマで省いた箇所があるが、ここはドラマに入れたほうが良か

ったと思う箇所があれば、ぜひ参考までに聞かせて頂きたいのだ。

私自身がドラマ内で書くべきだったか、と迷っている箇所が2つほどある。

ただドラマをそのまま活字でなぞるだけの小説にはしたくなかったので

小説独自の世界は築くよう心がけた。

媒体の違いで小説では効果的でも、映像ではさして生きないこともある。

それでも皆さんの感じ方を今後の参考までに知りたい。

監督はじめスタッフには今度会った時、意見を聞いてみるつもりだが。

またまた余談だが・・・・・

向井くんが結婚するというので、今後もし再び彼に脚本を書くことがあるとして

従来のイメージでは書けなくなったなぁ、と漠然と思っていたら、結婚は可能性

がないでもない、程度のことで確定ではなく、スポーツ紙のフライングだと近い人

から聞いた。

ファンにはほっとする話か、がっかりする話かよくわからないが。

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