井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

皇室とはなにか 2

2014-07-27 | 日記

コメント欄に頂いたコメントにお答えしようとしたら、長くなりそうなので
記事で書くことにした。といって、皇室は踏み込めば膨大。
駆け足でさらっとお答えするにとどめる。

皇室に関してご主人と考え方が異なるという方からで、ご主人は
「旧弊なものは改めるべき」というお考えだそうで、その点が筆者の方と
違う、と。

ご主人のおっしゃる旧弊が何を指すのか判然とせぬが、おそらく
「伝統」か伝統に準ずるものであろうかと思われる。

結論から申せば、皇室から旧弊という名の伝統の要素を抜き取ったとたんに
皇室は瓦解に向かう。不要論へとつながる。

皇室の存在意義raison d'etreとはなにか。

一に祭祀、ニに祭祀、三四が祭祀で五が伝統。国事行為やいわゆる公務は
付加的なものでしかなく、それがなければ皇室が瓦解するというものではない。

そもそも、神武天皇という「神話」を発端として皇室はあり、この神話を共有するところから
日本の皇室は存在する。神話は信じてもよいし、信じたふりでもよい。
共有さえするならば。神話というフィクションをドキュメントとするために
神武天皇陵はあると考えるか、実在だからこそ陵(みささぎ)はあると
考えてもよい。あるいは実在だが、神話性は後世に付与されたものである、しかし
信じたふりをしていよう、というのでもよい。

共産国を束ねるのが共産思想なら、中韓の国体を束ねるのが反日思想、
アメリカをまとめるのは、世界の警察としての大国という誇りないしは自惚れ、自由という
「概念」であろう。国家を形成するには束ねる力が要る。
日本という扇の要は常に天皇陛下であった。

「制度」としての天皇制を善用も悪用するのは民のほうであり、天皇は天皇でしかない。
受け取りての問題であろう。

神話は合理性の対極にある。
祭祀の必要性の有無は、神を感知する能力の有無に関わることなので、
感知能力の無い者には、無意味な呪術でしかなくそもそも論じる資格はない。
神界はある、と見え聞こえする者が祭祀を云々する資格があるが、しかし
資格あらばそもそも、祭祀の必要性の有無を論じること自体が烏滸の沙汰(論外)であろう。

神を感知する能力は本来誰にもある。日本の古代人は皆有していた。西欧流二元論と
プラグマティズム(実質主義)に浸らされて見失っているだけである。
そもそも神の出現し給うのは、合理主義の庭ではなく非合理の庭であり、
神そのものが西欧合理主義に相対する存在である。

神をいささかでも体感したければ伊勢神宮に行くと良い。玉砂利を踏んで歩むにつけ
神の息吹を感じる。もし日本人なら。外つ国(とつくに)の人であれ、感受性鋭敏に、
心直き人であるなら、感受する。

西欧がその価値観において行き詰まっているのは、神と人、物と精神、自然と人間というごとき対立概念による行き詰まりであり、神と人、自然と神と一体化で考えるというよりは、
自然に体得していた大和民族の感受性が神道を生み出し、というより発見し、
その神道の最大の祭主が天皇陛下である。
天皇陛下の別名は、日本最大の神官であり、祭祀王であり、皇居は最大の神社、日本の中の巨大な結界である。

皇居という名の結界の中には、更に神域があり、いまだ衣冠束帯や十二単におすべらかしの神官や巫女たちが古代より連綿と燃え続ける神の火を守り神事を明け暮れ行う。
天皇陛下も相当数の神事を年間こなされ、表に見えるいわゆる国事行為や
公務は祭祀の膨大さに比べれば一端に過ぎぬ。
旧弊というなら皇居内の神域に住まう神官や巫女たちで、たとえば巫女は
歯を痛くして宮内庁病院に行くために、神域をいったん離れたら、改めて
身を清め、おすべらかしを新たに結い神事に戻る。
旧弊というなら、これに尽きるので、しかしこれを否定し去れば神道の儀式そのものが
崩れ去る。儀式というものは、神と向かい合う所から、自ずと編み出されていった
「必然性」なのであり、「形」を守ることで中身を代々引き継ぐものが感得するというべきものである。神への敬意の凝ったものが祭祀の手順であり決まり事といってもよい。
これらは全て旧弊の衣をまとう。

皇居内の旧弊と見えるものは、実に全ては祭祀に行き着くのであり、これを
否定し去れば皇室は崩れ不要になる。海外に向けてはもっと効率のいい
「機関」を設置、それこそ国連大使日本版のような、見目麗しくIQの高い男女を
その都度選出すればよろしい。何も東京の真ん中に大きく敷地を取って
何かを守ることもない。神域を置くこともない。

 十二単や衣冠束帯の重みは、即ち伝統の重みであり、さればこそ世界は瞠目し、ひれ伏す。実際に世界は息を呑みひれ伏したのが今上の即位の礼であった。

[1/4]【今上天皇御即位】正殿の儀Celebration parade His Majesty the Emperor

皇太子が天皇に皇太子妃が皇后に即位する時の即位の礼が、皇室のまた日本の最大の
神事であるが、その荘厳さのよってきたるものは、伝統の深みに尽きる。伝統はその都度の必然性から編み上げられてきたものであり、さかしらげな合理主義で簡便に変更のきくしろものではない。

男子一系というシステムも、旧弊の範疇に属するのであろうが、しかしながら
世界の歴史の栄枯盛衰の中で、神の子孫であるという「神話」による男子一系を守りぬいて2673年続いている「家」は無く、それゆえにこそ世界の稀種であり、貴種としての尊崇を得る。男系であるからこそ神の系譜であるという自負心であろうか。

神武天皇を初代として、ということは「神」を初代として始まる一家の存在を
信じるか信じないかそれはどちらでもよい。信じるか、信じたふりをする、それが
「様式」ということなのであり、様式は「約束事」でありそれが伝説を守り、伝説を更に
守るのが皇統である。男子一系は神を先祖として仰ぐ世界で唯一の家である
皇室の約束事なのである。
神事に基本的に女性は向かぬ。差別的見地ではなく、生理、妊娠、出産と
祭祀に安定性を欠くからである。むろん、神を感知する能力そのものは概ね
女性のほうが秀でているし、祭祀の柱は男子にあるが、女性側の祭祀も
ある。

衣冠束帯と十二単を旧弊であるからとして排除するとする。すると神事における
お手ふり(所作)とリズム感が、ことごとく狂ってくる、というのは判るだろうか。
というのは衣装もまた必然なのである。それは洋の東西を問わぬ。
カトリックにおける儀式を見れば判る。魂を見失えば儀式も形骸化するが、
それは別問題。

皇室における旧弊の最たるものが神事であるが、それを排除すればそもそも
皇室が不要になる。なぜなら皇居内の一見旧弊と見えるものは
全て神事に行き着き、神事に端を発するものなのである。
神は非合理の中にこそ住まわれるのである。それゆえ天皇を継ぐべき
長子は人としてより神候補として育て上げるべきなのだ。
非人間的である。だから戸籍はない。人格もない。その代償として
莫大な特権と富があがなわれる。運命である。逃れたいなら
道がないわけでもなかろう。

天皇は国家と民にかかりくる、あらゆる災厄を我が身を通せと祈る者。
実際新年の四方拝ではそれが祈りの中心である。

西欧合理主義はとうに行き詰まったまま21世紀を世界は迎え、行き詰まりはいまだ
打破されてはいない。日本の神道イズムの中にこそその回答があると私は
思っている。そして、その神道の最大の祭主が天皇である。
祭祀を疎かになさるなら、言葉を変えれば旧弊を保つ覚悟がなければ、
その方たちはもはや皇室の継承者ではないだろう。

非合理を愚直に守り重んじる者の前にこそ、神は姿を顕される。
さかしらげな人間の科学も文明も、宇宙の森羅万象を司る存在から見れば
芥子粒に過ぎぬ。

まとめてみる。
宮中で明け暮れ神事に仕える巫女は、おすべらかしに近い髪をしていて
洗髪に二時間かかるやに漏れ聞く。結うにもおおごと。
また神事に使う忌火は、御火鑚具(みひきりぐ)を使用。
ヒノキの板にヤマビワ製の心棒を摩擦して発火させるのであるが、
この「発火の儀式」に権祢宜(ごんねぎ)の職の者が、前夜から
参籠斎戒(さんろうさいかい)してきりだす。

これを「旧弊」として簡素化するか? というのが命題であろう。

髪は短髪、シャンプー3分に切り詰め、火に至ってはライターで一瞬である。
しかし、それでよいのか?
膨大にかかる時間の中で、人は神へと心を集中し練り上げていき、そこに
神が感応するのだという考え方もあるのではないか。
儀式というものは、人のしどけない心を粛然と人間以上の存在に
向かわせるためにある。

皇居内のあれこれ「旧弊」とされるものの中にこそ、日本の神が
息づく、という言い方を解って頂けるだろうか。それを理解せぬ者は
皇室の暮らしに適応叶わぬ。

思う所あらまし述べてみたが、個人的世迷い言に過ぎぬかもしれぬ。
それに、神を感受する能力などと偉そうに書いたが、さしたる
感受性ではない。多少「見聞き」することもあった、という程度の
微弱なものである。この程度の霊感、人の役にも立たぬのになんで
半端にあるのだろうと自嘲したこともあるけれど、高次元や、天使といった
存在を概念でなくぼんやりとでも「知っている」ということで、その分
神事への理解は早いかもしれない。

表題に2とナンバーを振ったのは過去に一度同じタイトルで文章を書いていたからだ。

皇室とは何か・・・・・

http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/48146c0e5cdfb20238a4dc8b4e4b0324

 

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甘かった

2014-07-26 | 日記

自分が脚本を手がけた作品が、中国で賞にノミネートされ招待で上海に
赴いたのは、2年ほど前であったか? いや昨年? 忘れた。
今年も何かノミネート頂きご招待頂いたが、今回はご辞退した。

とにかく大気の臭いことうわさ通りで、ホテルの周辺を歩いたのだが
早朝なのにすでに、空気に臭いがあった。

水と食べ物には最大に注意していたのに、うっかり酒(ありがちである)を
飲んだ。カクテルなので氷が入っていたのだ。即細菌にやられた。
ホテルのレストランでミネラルウォーターを頼んだら無くて、
「沸かしたお湯をちょうだい」と言ったら英語が通じず、ぬるま湯が現れ、
それもちょっとだけ口をつけてしまった。

一箇所だけ気を許して入ったのがマクドナルドで、ここは大使館と同じく、
何となく治外法権アメリカ圏内というイメージであったのだが、甘かった。
最近のニュースを見れば、マックも中国にあるマックは中国なのだった。
どころか、日本のマックも中国産肉を入れていたという。

この間、脚のむくみの解消に指圧に行ったら中国人経営で、
しかし飛び交う言葉が聞き慣れた中国語の響きではないので
訊いたら、「わたしら上海語よ、あなた聞いたの北京語よ」という。
台湾は福建語と言ったかな? 忘れた。
「中国、あなた五十違う言葉喋ってるよ」と言ったような気がした。
民族が50種類いるということか? とこちらの思いを察したように
「日本でも鹿児島弁外国語よ、それと同じ」と言う。
そうか?・・・・・・

上記の情報は後で調べるが、相当痛い指圧に耐えながらした会話の記憶の断片なので
不確かである。

腕はいいし、話の感触もいい。中国や韓国の批判をするときには、
必ず個々、仲の良い中国人はいる、とかこんな素晴らしい韓国人がいる、
とか、まるで免罪符のように時々付け加えるのは、この二カ国に
限り、批判をすると即嫌中嫌韓に区分けされかねないからだ。

実際に仲の良い中国人もいれば、韓国の人とのいい付き合いもないではない。

ただ、もし私が仮にブラジルや、フランスの批判をしたところで
いちいち、いいブラジル人も素敵なフランス人もいるけれど、と
付け加える必要はない。当たり前の話であり、日本人にろくでもないのはいる。

ところが、韓国と中国への批判に関しては、いちいち気を使う。
これもまあ日本の抱える病理というべきか、特殊事情というべきか。

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三悪人

2014-07-26 | 日記

 黒澤明監督の名作に「隠し砦の三悪人」という映画があるが、日本にとっての
三悪人を挙げよといわれるなら迷わず村山富市氏、河野洋平氏、そして今なら舛添要一氏の名を挙げる。

鳩山由紀夫氏もいい加減悪人であるが、この方の場合「ルーピー(バカ)」という定冠詞が名前につくので、まだしも。
バカのふりした悪人という意味では、よりたちが悪いという見方もあるが。

ソウル市が読売新聞に全面広告で、舛添要一氏歓迎の記事を打った。
財政難の中、大変な出費であり要するに、「ネギを背負ってきたカモ歓迎」の
大広告なのである。

日本人観光客が減ったのは、日本のせいではない。
度重なる事故や、それ以上に大統領が世界のあちこちに
出かけては告げ口してまわる反日活動に、さすがにお人好しの
日本人も、嫌気がさしたからであろう。

桝添氏が朴槿恵大統領と会った写真を見て、私は浅ましさと
その卑屈さに目を背けた。

直立した朴槿恵大統領の前で、腰をかがめた舛添氏は上目遣いに、
ご機嫌伺いの薄笑い。醜い。

この男は一体、日本人なのか。

都庁では「首相気取り」と囁かれているらしいが、一国の首相がこれほど
媚びた卑しい目をするものか。

安倍政権の毅然とした姿勢に窮地に追い込まれつつあった韓国が、あと
一歩というところで、息を吹き返した格好である。舛添氏が、卑屈にひざまずいたので、韓国としては「そこまでやるなら、総理に会ってやらなくもない。しかし、慰安婦も歴史問題も反省をしてからのことだ」と居丈高に言える。
こんな男に「何とか関係の修復をお願いします」と伝言を託す安部総理もよくないが、しかし自分をバカ呼ばわりした男を都知事候補として擁立、応援までした安部総理なので、もともとこういう使い方をするためであったかと、ほとほと味気ない。

日本からのあらゆる歩み寄りを蹴って来た朴槿恵大統領だが、
舛添氏なら自らの前にひざまずき、赦しをこわんばかりであろうことを、予め読んでいるから、会った。そろそろヘタってきたところへ、まことにいいタイミングで恭順の鼠が現れたのだ。朴槿恵大統領は再び窮鼠から、爪の鋭い猫になった。

日本の、対中国対韓国への気弱さの影には、アメリカの恫喝があるので、都知事の件も今回の件もそうなのか。敗戦国の業はいつまで続くのだろう。
安部総理も妥協に継ぐ妥協で、しかしその中ではひとまずよくやられているのではないかと、私は思ってはいるが。河野談話は、破棄したかっただろうが、
アメリカの意を汲んで「検証」にとどめた無念さ。

韓国とはしばらく時間と距離を置くべきだ、というのはほぼ常識であろうが、
それが出来ぬのだろうか。韓国と距離を置いても日本は特段困ることはない。
日本が遠ざかれば窮するのは韓国であるのに、なにゆえこう卑屈なのであろう。

村山富市氏の村山談話がその後の日本を自縄自縛して苦しめているのだが、それを継承する形で強制慰安婦の存在を認めてしまったのが、河野洋平氏であり、唖然とすることにはいまだ外国で、日本貶めに余念がないのである。最近ではブルームバーグでの発言がある。日本のあの戦争には、白人による搾取弾圧主義から有色人種を開放したという善き側面もあり、それは海外でも定説なのに、この人は頑としてあの戦争は日本が犯した犯罪だと国外でも言ってまわる。
強制の慰安婦については、もう国会で証言され韓国との裏取引で生まれた「嘘」、談合の結果であるとばらされているのに、まだ言い張るのは自己保身からか。もしそうなら小汚い根性だ。

この人は証人喚問すべきだと思うが、しかし自民党は「前例がない」と言い、拒否する。情けない話である、これも、アメリカの意向か。河野洋平氏が国会で喚問され、慰安婦のでっちあげが露わになれば、韓国が騒ぎ中国が煽る。それがアメリカは嫌なのだ。嘘でも何でも、アメリカには関係がない。自国に益のあることなら、日本に濡れ衣着せることなど、迷いはしない。
これが外交である。日本がバカ正直で甘いだけである。

自民党がいくら擁立したとはいえ、舛添要一氏を選んだのは都民である。
半分以上が棄権して、残りの半分弱がこのとんでもない男を選んだ。
胸が悪くなるような愚かしさである。
しかし、選択肢はなかったといえば、なかった。一体誰に入れればよかったろう、あのメンツで。
田母神氏は正答ではあった。しかし、当選の芽が多くあったわけではない。
あたかも壊国の出来レースの如き都知事選ではあった。
妙な裏取引きがありげな東京五輪へ向けて、舛添都知事の日本壊し、韓国寄与は続くのだろう。

しかし何度も言うのだが、日本人のこのお人好しを通り越した
無関心と無知、愚昧ぶり。このままなら日本は壊れる。あらゆる方向から
日本はやられつつある。戦後69年間、絶え間もなくやられているのだが、
国民の多くは眠りこけて気づかぬ。

あまりの不甲斐なさに「知った事か」と言いたくなる時がある。最低に日本が壊され果てた時、こちとら幸いなことにもうこの世にはいない。とそう言ってしまえばおしまいなので、瑣末な身で出来ること・・・・こうして書き連ねている。

 

 

 

 

 

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反日国連

2014-07-25 | 日記

国連が反日組織であり、日本にとってさして益になるわけではない、と
どれほどの日本人が知っているだろうか。(国連大学も概ねこれに
準ずる)

何となく、正義の組織という認識ではあるまいか。

とんでもない、しょせん戦勝国連合なのであって、敗戦国には冷淡であり
いまだ「敵国条項」なるものが存在し、敗戦国日本はそれに該当する。
それなのに、と言うべきか、だからこそと言うべきか分担金は米国に次ぐ二番目の拠出国で、アメリカは出した分の益は確保しているが、日本はたくさんのお金を出さされるだけで
常任理事国にもなれず、日本を経済的に抜き去ったと豪語する
中国は、雀の涙の分担金。事務総長として日本に難癖をつけてくる
パン・ギムン氏は韓国人だが、韓国の分担金も僅か。

そろそろまた言いがかりをつけてくるなと思っていたら
案の定、予期していた内容で来た。私はどうもアンジェリーナ・ジョリの動きと
連動しているような気がしているのだが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140724-00000153-jij-int

ヘイトスピーチ処罰を=慰安婦問題、国家責任認めよ―国連対日勧告

時事通信 7月24日(木)20時59分配信

 【ジュネーブ時事】拷問禁止、表現の自由などに関する国連人権規約委員会は24日、日本政府に対し、ヘイトスピーチ(憎悪表現)など、人種や国籍差別を助長する街宣活動を禁じ、犯罪者を処罰するよう勧告した。また、旧日本軍の従軍慰安婦問題についても、「国家責任」を認めるよう明記した。
 規約委は勧告となる「最終見解」の中で、ヘイトスピーチや「Japanese only」の表示など、外国人への差別をあおる行為が広がっているとして問題視。差別される側が「刑法、民法で十分に保護されていない」と懸念を示した。
 その上で、「差別や暴力を誘う人種的優位や憎悪を助長するプロパガンダをすべて禁止すべきだ」と提言。日本政府に対し、犯罪者を処罰するルールを整備するよう促した。
 一方、従軍慰安婦問題に関しては、元慰安婦への人権侵害が続いており、教科書への十分な記述を含めた教育の重要性を指摘。「公式謝罪、国家責任を公式に認めること」を求めた。
 このほか、死刑確定後に再審が認められ釈放された袴田巌さんの事例を踏まえ、死刑制度の廃止検討を盛り込んだ。また特定秘密保護法の厳格な運用も勧告した。
 規約委の対日審査は15、16両日、ジュネーブの国連欧州本部で約6年ぶりに行われた。勧告の解釈は各批准国に委ねられ、法的拘束力はない。 

 ------------------------転載以上--------------------------------------------------

報道によっては、慰安婦については河野談話との矛盾を突いても来ているようだ。

しかし、日本の情勢にこれほど無知で、よくもまあ言いたい放題して来れるものだと思う。
と言っても、あちら叩くために叩いて来ているのであるが。

河野談話が韓国との合作であることは国会で証言された。
あらゆる証拠を見ても、日本が強制的に慰安婦を駆り集めた事例はない。

ヘイトスピーチに関しては、日本のそれなどここ1年程度のことで、それも
日本のデモの募集要項には必ず「ヘイトスピーチ禁止」の項目があり、
極端なヘイトスピーチは日本人を貶めるための成りすまし説さえあり、この可能性は
相当高いと私も思う。日本人は他者に対して「殺せ」などと容易に口にはしない。
韓国では昔から日本に対して浴びせかけて来ている。
国旗と天皇陛下に対しても侮辱の限りを尽くして、あちらは終戦後69年間にも
及ぶ日本へのヘイトスピーチの歴史であり、ソウルの日本大使館の前では
最低一週間に一度、反日デモとヘイトスピーチがあり、日本はそんな頻度で
デモなどやってはいない。
Japanese Onlyなど優しい方で、「日本人お断り」と店頭に表示したのは、韓国のほうがはるかに昔から専売特許である。

それなのに、打ち据えられるのは日本だけなのである。

そして国連に大枚のカネを貢ぎ続け、韓国中国にも(むろんアメリカにも)渡し続ける。
いつの間にかアメリカ主導で作られた、日本人をそれと悟らせず、
奴隷として使役する構造は、日本人気づいて立ち上がるまで
今後も延々と続く。

日本人はそこそこ豊かなので、なかなか気づかない。
「生かさぬよう殺さぬよう」は奴隷使役の鉄則である。
国民が気づかず歯向かわなければこの搾取と貢ぎの
「奴隷制度」は末代まで続く。

 

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炎暑

2014-07-25 | 日記

私は夏生まれのせいか、比較的暑さは平気で昨日など戸外に一歩出ると
湿気混じりの高温の風がねっとりと体にまつわり、まるでタイみたいだな、と
シンハビールとスイカジュースがなつかしくなった。訪泰の折は随分飲んだものだ。

それにしても、バタバタ人が倒れ亡くなる。
この炎暑を上回る8月に東京五輪は行われるのだということを
もう一度喚起しておきたい。
マラソンランナーにこの湿気と熱の中を走らせ、この気候に不慣れな海外からの
見物客を沿道に並ばせ、会場から会場へと移動させるなど
正気の沙汰ではない。
でも、五輪が来ることはもはや決まったことだ。
五輪招致が、きれいな条件で決まるものでもないことは
平昌という、どこをどう見ても相応しからぬ土地が決まったことを
見れば、よく分かるではないか。
平昌は降雪も少なく、周辺の宿泊施設もいまだ整わず、自力開催は
もはや不能とまで言われている。

東京五輪もそうそう、きれいに決まったわけではないこと、
これだけ悪条件(炎暑だけではない、もっと複数ある)を
揃えていて決まったからには、むろん裏はあるだろう。
それでもよしとする人たちはそれでもよいが、無邪気なだけでは
足元をすくわれる、とそれだけは言っておきたい。
目を凝らして出来事の裏側を見るように心がけたい。
その上で騙されたふりで、楽しむのはよい。
まるごと騙され踊らされるのは情けない。

サッカー会場で独島にからんで、政治運動をやった選手が軽微な
お咎めで済むことも事前に分かっていたことだ。なぜなら
当時のイ・ミョンバク大統領がIOCの会長に勲章を与えたからだ。
勲章一個のために、わざわざ韓国に来るものか。勲章の紐の先には
札束が結わえられていたと見るべきだろう。そして五輪憲章に
したたかに違背した韓国人サッカー選手は、実質お咎め無しに
等しい軽微なお仕置きのみ。本来はそれに協力したチームから
メダルを剥奪すべき所業ではあった。過去、人種差別に反対の意を
ごく控えめに五輪会場で表明した黒人アスリートはメダル剥奪どころか、
スポーツの世界から永久放逐された。
だが、サッカー会場での反日活動に関してはお目こぼしに近い処置。

めでたい、めでたいと喜ぶ五輪ファンやそれを目標に励むアスリートたちも
いるし、むろん美しい側面もないではないので、それはそれでいいが
私など楽屋裏が透けて見えるひねくれた人間にとっては、乾いた笑いしか出ない
壮大な茶番劇の趣もある。かといって、実際に競技が始まればそれはそれとして
応援はする。

平昌五輪に統一教会の文鮮明氏の影がチラチラしていた頃から
東京五輪へのシナリオは出来上がりつつあったのではないか、というのが
私の見方である。いやあくまでも可能性の一つとしてだが。

しかし、そう考えれば、五輪にかこつけての移民受け入れ政策につながりかねない
外国人労働者の大量誘致誘致、よりによって、自民党が自らに歯向かった舛添氏を擁立しての都知事選、そして予定通り桝添都知事誕生、そしてこれもシナリオ通り、まず中国へ
赴き、次に韓国へ。そして、相互協力という美名で日本からソウルと平昌への援助。
お台場開発とやらでカジノ構想も動き出しはしないか。日本人だけが
関わって開くならそれもいいかもしれないが、あちらの利権が噛んでこぬ訳もなかろうとも
思う。

東京五輪誘致に反対の狼煙を上げ、足を引っ張ることに専念していた
韓国の、冬季五輪を日本が自ら出向き、お願いしてお助けさせていただくのである。
結構なコメディである。

海外で開催されているのを、無責任に見ている方が気楽でいい、と私などは
思う。日本開催で利権の札束が乱れ飛び、それを景気の活性化、国威発揚と捉えれば、
それはそうだが、下品である。静かでいい、経済大国でなくていい、気品と
誇りのある日本でありたい、と思う私などはおそらく相当な少数派なのであろう。
北京五輪で国威発揚なったであろうか。むしろ、逆に裏が見えはしなかったか。
平昌に至っては、開催前から彼の国の貧相さが漏れてきて逆効果。

無理やり移民や準移民候補ともいうべき留学生を大量に導入してまで経済大国を維持しなくても、自給率を上げ慎ましく暮らせば生きていける国である。技術を持つ優秀国であるので、慎ましく構えてもそうそう、貧乏はしない。

外国人労働者や移民を全く受け入れるなという論者ではない。
ただ、国を大きく維持するために、国が損なわれる危険を犯してまで毎年
1万人を受け入れるというごとき、本末転倒の政策を忌むだけである。

 

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