井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

遊び半分の若返り

2014-07-24 | 日記

「なんで若いんですか」と割に聞いていただき、そのつどいろんな答え方をしているが
いい加減にあしらっているわけではなく、面白がって色々やっているので
どれを答えていいかわからないのだ。

どれも、熱心に毎日続けているというわけではなく、思い出したら
やってみてます、という程度。

いろいろ回答する中に一つだけ不変の答えがある。

「意識の持ち方ですよ」

という答え。

人は意識によって老いる、というのが私の考え。
いやこれは正確ではない。宇宙不変の真理として万物総べて老い、やがて
消滅し、再生する。
だからアンチエイジングというごとき何かに抵抗する如き
力みは私は持たない。遊びながら若さどれだけキープできるものだろう?
という好奇心程度。

老いは天然自然の作用であるが、しかし人は「意識により不必要に老いる」。

独身のフリーの仕事の連中が比較的若い。なぜか。
何歳になったらこの程度に老ける、という思い込みが少ないエリアに
住んでいるからだ。50歳、子持ち、会社の役職これこれ。すると
周りに「お手本」があって、彼らの平均的老けに意識の照準を合わせてしまうのだ。
その思い込みが身体に影響を与える。

人の意識は肉体の細胞に影響するのである。

思いの持ち方に加えて、あれこれやっている中にこれは
結構長年続いているなあというのに、精油使いがある。
ひところ凝って、香水をブレンドして人に差し上げていた時期もあるが
ローションのたぐいも自分で作るというほどではないが精油の
ブレンドで自分用のをアレンジしていた。今は飽きてやめた。

ちなみに、マリリン・モンローの愛したシャネルの5番には、ジャスミン、イランイラン、
にあと何だったか、世界で一番芳しい香りの混交というのがあって、
これも嬉しがって自分で調香してみていたことがある。

今はバージンオイルに適宜、精油を垂らして遊んでいる。

定番は、ローズマリー、ペパーミント、ローズオットー、スイートオレンジ、レモンの5種だったか。配分は教わったとおり、厳密にやっていた時期もあったが、流派により配分が異なるのを知ってから、自分流でやっている。どのみち遊びである。

精油の5種定番は優れものだと私は感じている。使いこなすと楽しい結果を
もたらすかもしれない。

あと髪は、椿油にセンブリエキスを垂らしてたまにヘアケアしてみている。
洗い流すこと前提だが。普段は、ローズマリーや柑橘系他髪にいい精油を自分でブレンド、そこにやはりセンブリエキスを加え、ヘアローションとして使っている。
あと、適当なオイルをわずか一滴、ヘアローションで濡れた髪につけて
ちょうど、べたつかずいい感じ。

ブラッシングは長年の習慣。

何が効いているのか、解らないが髪の量はさして減らないし、白髪も少ない。
シワもあまり無い。

面白がってやる中にはサプリメントの服用があるが、これは定番はそのつど
違うし、毎日服用しているわけではない。

こんなので参考になるのかどうか。

そうそう、氷で顔を洗うというのは、つい最近の遊びだが、
これは速攻性がある。

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風土と繊細

2014-07-22 | 日記

食事に出かけるのに、着替えも面倒でそこらへん落ちていた(笑)
シャツを羽織ったら、ふわっと淡雪の軽さで、ネパールで求めたシルクだった。

避寒にタイに通っている頃、バンコクで私が入り浸っていた店が
ジムトンプソンで、ご承知のようにタイシルクの老舗である。
シルクが好きなので、セカンドバッグから含めてハンカチ、シャツと随分買った。
セカンドバッグは和服の時に、いまだ重宝している。

ただ・・・・発色もよく、いいなと思いながらもう一つ心にそぐわない点は
しなっと、しなだれかかるような日本のあのシルクの優しさがなく、
ごわごわと分厚いのだ。
これは気候による。暑いのでカイコが肥えていて繭が太いのである。

それがネパールも暑い国なのに、なぜ彼の国の絹はこんなに繊細なのだろうと
考えながら歩いていたら、思えばヒマラヤへのトレッキングコースがあるくらいで、
ちょっと歩けば高地のひんやりした大気、手打ちそばを食べさせる店も
そう言えばあった。

皇后陛下は代々、春から初夏にかけて御養蚕をなさる。
天蚕の繭の収穫には、天皇陛下もお加わりになるようで、絹糸に
託して日本の伝統を次代へつないでくださるのが、嬉しい。

皇后陛下、手ずからの御養蚕で紡がれた絹糸は皇室祭祀の装束になり、
外国元首への贈り物に使われ、更には正倉院宝物などの復元に役立てられている
という。

古代に関しては不勉強で知らぬが、近代の養蚕は明治四年、昭憲皇太后が
お始めになられ、以来貞明皇后、香淳皇后、皇后陛下と手渡されてきた
伝統である。それは養蚕に託した日本の美の継承でもあったろう。

皇室の、と言ってもいいし日本の伝統の素晴らしさは養蚕もひとつの
儀式として、神への感謝と捧げ物に組み入れることであり、「御養蚕始の儀」「御給桑」、「上蔟」と儀式を経て、初めて繭を蔟から取り出して収穫する「初繭掻き」へと連なる。これらは、衣を与えてくれるカイコやそれを育む桑の木、そして
天の恵みへの感謝の表明でもあろうし、私が最も残しておきたいと
願う「日本人の心」なのだ。どうぞ、こればかりは絶えないで欲しいと
祈るようにそう思っている。
日本人とはなにか、と問われれば「美と感謝を知る民族です」と答えても良い。

皇后陛下は肩代わりしてくれる人もいぬまま、公務で未だお忙しくしていらっしゃるが、
その合間を縫われ養蚕の儀式の他に「実務」、即ち桑の葉を摘み、カイコの繭作りの
足場となる「藁蔟(わらまぶし)」を作られ、成虫が繭から出やすいように繭の両端を切る作業まで関わっていらっしゃるという。

そうやって育てられる品種の一つが「小石丸」といい、民間の養蚕の衰退と共に
絶滅種となり、唯一皇居内で生き延びている貴重な、世界で唯一の種である。
飼育の困難さに、皇居内でももはや諦めようとされた時、それを押しとどめたのが
皇后陛下であると聞く。

「日本の純粋種と聞いており、繭の形が愛らしく糸が繊細でとても美しい。もうしばらく古いものを残しておきたいので、小石丸を育ててみましょう」

日本の純粋な美を後世に残す。これこそが、祭祀と並んで皇室の最重要な
お役目であると、私は考える者なので皇后陛下の心意気がたいそう
嬉しい。
悠仁親王殿下の純白の産着「お初召(うぶめし)」も、皇后陛下丹精の「小石丸」の糸で織られている。

 

しかしながら、嬉しさと共に「もうしばらく古いものを残しておきたいので」
というお言葉の端にふとこぼれるあきらめのような響きが、胸をつく。
もうしばらく・・・・。
思えば・・・・受け継ぐお方がいらっしゃらない。

眞子さまや佳子さま、そして秋篠宮紀子妃殿下は養蚕のお手伝いに参上なさっているようだが、受け継ぐというお立場にはいらっしゃらない。日本の絹でつむがれる和服を愛し、日本の言葉を鮮やかに書にし歌になさるのも紀子妃殿下だが、継ぐお立場にはないのが私には悲しいことに思われる。
小石丸ももはや延命叶わぬかと、私ごときが気をもんでも仕方ないと知りつつ、
消え行くかもしれぬ日本の美と心を思い、胸がふさぐのである。

 

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驟雨

2014-07-20 | 日記

外出しようとしたら、バケツの底を抜いた如き土砂降りで、
しばらく屋内で、静まるのを待った。

「驟雨(しゅうう)」という言葉ももはや絶えつつあるだろうか。
にわか雨、夕立ち・・・・と置き換えは可能だが、ニュアンスがそれぞれ
微妙に異なるのは、日本語の持つグラデーションの豊穣さであろう。

茶に四十八、灰色に百通りの呼称があると言われているのが日本語である。

江戸茶、団十郎茶、芝翫茶、鶯茶、媚茶、瑠寛茶・・・・・

利休鼠、小町鼠、銀鼠、梅鼠、葡萄鼠、藍鼠、鯖鼠・・・・・

英語ならBLUE、NAVYと、このバリエーションがせいぜい2,3種ではないか。

和の色は、鉄紺、藍、薄藍、浅葱、納戸色、浅葱、露草色、水浅葱・・・・・・

目も眩むほどの豊穣さ。

そして色彩の豊穣は当然、和服の豊かさになるわけで和の伝統を次代へと
つなぐのも皇室のお勤めであるから、皇后陛下は代々養蚕を手ずからなさり、
折あらば和服をお召しになられるのだろう。

言葉もまた、皇室が雅な和語を伝えるに最もふさわしい場であり要塞でもあるので、
言葉を大事に遊ばしていただきたいのだ。それゆえにこそ歌会始はある。
おもうさま、おたたさまを残してくださいとはさすがに言わぬが、
パパママは寒い。豊かに両の手に有り余る自国の言葉を持ちながら
なにゆえ外国語、その必然性もなく、と残念に思うこともある。

私は台本にはリアリティの観点からパパ・ママを使うこともあるが
可能な場合は「お父さん、お母さん」と書く。できれば、お父様、お母様と
書きたいがもはや、上流のお家のセリフにしか書けぬ。
30年ほど前は一般でも品の良きご家庭では使っていらした。
秋篠宮家ではいまだ「お父様」「お母様」が健在であることが
有りがたく嬉しいことである。

秋篠宮紀子妃殿下とお嬢様が和服をきちんとお召しであることも
心丈夫なことである。振り袖をまとう時期は短いので、ぜひたくさん着ていただきたいし、
悠仁親王殿下の袴姿はたいそう、嬉しい。皇室はあまり急ぎ足で
近代化などして欲しくないのだ。秋篠宮殿下が有栖川流の書をよくなさり、紀子妃殿下もまた能筆で歌も巧みであられ、さこそ皇室であろうかと頼もしく拝し奉っている。

広い皇居のそこここにたゆたう、非合理の空間にこそ実は神が宿りたもう。
西欧合理主義の庭に日本の神々は顕現せぬ。浅はかな近代合理主義の
彼方に、神々は住まわれる。

靖国神社の拝殿で玉串を捧げるとき、いい大人である私が(無知と不慣れの故だが)
一瞬戸惑うのに、まだ幼かった悠仁親王殿下が神武天皇御陵、武蔵野陵ときちんとしたお作法で玉串奉奠をなさっているお姿に、心丈夫な思いを抱かせていただいた。
神前の二礼ニ拍手一礼も、早々と教えられているのであろう。
天と地をつなぐ祭祀の感覚も一朝一夕には行かず、それゆえ幼い頃から
神域に身を置かれ、五感を神に向けて研ぎ澄まされるのはよいことだ。

世外のSOMETHING GREAT、神を片鱗でも感知できぬ人々を責めはせぬが、
自らが感受できぬからといって、祭祀を蔑ろに思うことはいささか尊大であろう。
神界はある。民と神をつなぐのが、本来天皇陛下の御役目なのである。
アメリカ占領下のGHQによる、日本弱体化政策は皇室にもその手が及び、
祭祀が天皇の私的行為とされてしまってから、我ら大和の民は皇室の位置を
見失い混乱している。だが、本来祭祀抜きに皇室はない。
このまま皇室を見失って行くのか、また取り戻すのか今がどうやら
分岐点のようだ。日本国民はどちらの道を選ぶのだろう。

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手描きのぬくもり

2014-07-19 | ドラマ

遅ればせながら「アナと雪の女王」を観た。よく出来た話で
絵の技術も凄いし、しかし物足りない、何かすっきりしない、と
いう感想で、その原因は分かっていたが・・・・

その後すぐにジブリの「借りぐらしのアリエッティ」を観て、
「アナと雪の女王」への不燃焼感の正体がより
明確になった。

「アナ」の絵への違和感は、3Dによるメカニックな不自然感を私の
センサーが拒否するからだと思う。限りなく実写に近く、だったら
実写でやれば? というごとき違和感と言えばお判りいただけるだろうか。
あと、キャラクターの顔がしっくりこないのは、ディズニーアニメの全てがそうなので、
美男美女がそう見えないのは、これは私の感覚なので、作品の
落ち度ではない。

そして「借りぐらしのアリエッティ」。花、小鳥、雲、葉っぱからしたたる
水玉・・・・・。どれも心が震えるほどに繊細で美しい。
描く人が込めた思いが伝わって来るのだ。

手描きだから。

アート性は遥かに「アリエッティ」が勝る。感覚的なところでは、
少年の顔も、アリエッティの顔も好きな顔・・・・生理的に納得できる
キャラなのだ。

それとこれは一般評価にはなり得ないが、私のようなプロの端くれから見ると、
「タイタニック」もそうだったが、これでもかと「売らんかな」の作為が
見え透いて、それは悪くもない意識なのだが計算が過ぎるとしらける、というやつ。
商業的な計算は、実に見事である。それを否定するわけではない。

「アナ」は観客の年齢幅がうんと広い。主題歌の秀逸さと相まって、
ヒットの理由もよく解る。それぞれのキャラの立て方が上手だし、
王子のキャラのドンデンも巧みで面白かった。

・・・・それでも、心にゆっくり沈殿し、時間とともに発酵するであろう作品は
「アリエッティ」である。

かなり幼い思考や感受性の層をも取り込んでのわかりやすさが、大ヒットの必須要素であり、選良的な観客層に語りかけるほど、ヒットの度合いは少なくなる。どちらがいい、ということでもなく。宮崎作品はアート性と商業性とのバランスがいい作品が多いかもしれない。

私は宮駿氏の思想を全く受け入れぬけれど、それこそ作品とは別である。
アリエッティは宮崎監督ではないけれど、宮崎ジブリが土台にあっての作品であろう。

なぜ実写ではなく「絵」なのか、その必然性を文句なしに解らせてくれるという意味でも
ジブリ作品は凄いなあと思う。

キャラクター以外の、草のゆらぎ、小川の流れ、雲の輝きが何かを語りかけてくる。アニメーターが手先に込めた、低い低いかすかな祈りの声が聞こえる。

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サムスンこけたら皆こける 脆弱な韓国経済

2014-07-18 | 歴史・政治

経済に疎い私が、恐れげもなくこんなタイトルをつけてしまったが・・・・
韓国の経済構造程度のことは、私程度でも解る・・・・かもしれない。

以前、ある小さな集まりでそれは私の書いた小説を巡る集まりではあったが
話のはずみで、韓国経済に中身が及びわずかに話したら意外に皆さん
面白がってくださったのだが・・・・

中に一人、サムスンに代表される韓国経済の隆盛ぶりを引いて、やや
反論して来た方がいらしたので、サムスンにしろヒュンダイにしろ
日本を思わせる広告を打ち、「日本製品にしては安い」という
イメージで市場を拡大中、しかし製品の中身は日本がパテントを持つ精密機器ばかり、
というごときことはお伝えしたが、簡略な知識でそれが精一杯。

今ならもうちょっと踏み込める。

サムスンが韓国経済を支えている、とは世界の常識だが裏を返せば、
サムスンがこければ韓国経済も一蓮托生だということである。


サムスンは韓国GDPの22%、韓国株式市場の25%、韓国の輸出額
24%。資産は韓国が持つ相トータルの3分の1に迫る。
言わずもがないびつ、足元脆弱。

スマホも2次電池、半導体の素材、センサー、小型モーター、コンピューター部品、内視鏡など日本製オンリーだと聞く。要するに韓国の産業は日本の技術に依存して成立しているということだ。敏い国民であるならそれを察知、反日もほどほどに切り上げると思うのだが、
大統領自らが暗愚の方だと失礼ながらお見受けする。

中国の現状といえば、共産党の一党独裁に対する国民の不信感と反発が広が
り、不動産バブルの崩壊に伴う経済破綻の危機が刻々と迫り、社会は年間
20万件前後の暴動が起こり、混乱の極み。

日本を離れて中国に寄りかかってどうする。過去の痛みをもう忘れたか。
DVを受けながら離れられない愚かな女のような国である。


日本はパナソニック、ソニー、シャープが減益でも、赤字でも地盤が揺るがない。

これは私が自力で勉強したことではなく受け売りに過ぎないが
「世界文明の中心地域は『北太平洋圏』で、舵を握っているのは
日本とアメリカであるそうな。西欧は先端技術には遅れを取り、
中国は世界の下請け工場に過ぎない、と。


韓国や朝日新聞が日本を抜き去ったとはしゃぐ液晶画面も、偏光板保護フィルムは100%日本製。

はて、日本の技術力を離れ去って何か韓国独自で自立できる製品はあっただろうか。

いや、私は根っからの文系であり経済などどこかで微弱ながら軽んじているフシさえあり、決して以上を誇って語るにはあらず。度を越した反日もいいかげんにせーよ、という
彼の国への優しい提言なのである。
韓国が日本を本気で不要と言うなら、日本はむしろ身軽に開放されるのではないか。
技術力に秀でているので、市場は開拓すればたくさんある。

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