読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「校閲ガール」宮木あや子

2016-10-30 16:56:00 | 小説


今回ご紹介するのは「校閲ガール」(著:宮木あや子)です。

-----内容-----
憧れのファッション誌の編集者を夢見て出版社に就職した河野悦子。
しかし「名前がそれっぽい」という理由で(!?)、配属されたのは校閲部だった。
校閲の仕事とは、原稿に誤りがないか確かめること。
入社して2年目、苦手な文芸書の仕事に向かい合う日々だ。
そして悦子が担当の原稿や周囲ではたびたび、ちょっとしたトラブルが巻き起こり……!?
読んでスッキリ元気になる!
最強のワーキングガールズエンタメ。

-----感想-----
初めて書店の文庫本コーナーでこの小説を見かけた時、タイトルの「校閲ガール」が気にかかりました。
「書店ガール」「水族館ガール」など、近頃「⚪⚪ガール」というタイトルの小説をよく目にするようになったなと思います。
何となくマンネリを感じ、その時はこの小説は手に取りませんでした。
しかしこの10月からテレビドラマ化されたようで、書店で目立つ場所に置かれているのを再び目にし、ついに読んでみることにしました。
物語は次のように構成されています。

第一話 校閲ガール!?
第二話 校閲ガールと編集ウーマン
第三話 校閲ガールとファッショニスタとアフロ
第四話 校閲ガールとワイシャツとうなぎ
第五話 校閲ガール~ロシアと湯葉とその他のうなぎ
エピローグ 愛して校閲ガール

語り手は河野悦子。
景凡社という出版社に勤めていて二年目です。
景凡社は紀尾井町に本社ビルを持つ週刊誌と女性ファッション雑誌が主力の総合出版社とありました。
本人はファッション誌の編集者を熱望していたのですが、校閲(こうえつ)の「こう」と「えつ」が名前に入っていてそれっぽいということで校閲部に配属されました。

第一話で悦子は文芸のミステリーの校閲をしていました。
その著者の本郷大作は校閲担当に悦子を指名してきました。
通常、校閲者は作家と直接のやりとりを行わないし名前も出ないとのことで、悦子はなぜ本郷が「前回の校閲と同じ人で」と自身を指名してきたのか気にしていました。

悦子の隣の席には米岡という28歳のおねえ言葉の先輩がいます。
しかし悦子はため口で話していて、一瞬同期か後輩なのかと思ったくらいでした。
さらに本郷大作を担当する編集者で二年先輩の貝塚とは物凄い罵り合いを展開します。
しかも二人の罵り合いは大抵悦子が優勢で、マシンガンのように飛び出す罵倒の言葉の数々は読んでいて笑ってしまいます。
実は悦子は早く校閲部から離れて女性誌に異動したいので、校閲部に気に入られないために演技して口の悪いふりをしているらしく、米岡以外は全員騙されてくれているとのことです。
誰に対してもタメ口をきき、校閲部の部長に対しても心の中で「エリンギ」と呼び(髪型が似ているため)普通にため口をきく様子はもはや正真正銘の口の悪い人のようにも見えます。
ちなみに本郷大作の作品を校閲していたら電車での移動時間がなぜか全て実際よりも二時間長くなっていることに悦子は気付きます。
なぜずれているのかの謎に迫っていく、ちょっとしたミステリーにもなっていました。

第二話の「校閲ガールと編集ウーマン」では最初、今井という受付嬢が登場。
悦子は昼休みによく受付ロビーに行き棚に置いてある女性ファッション誌を読んでいて、同じく受付ロビーにいる今井が興味を持って話しかけてくるようです。
今井は短大卒の縁故入社で、悦子より入社が一年早いとありました。
専務の縁故とのことで、やはり重役の身内となるとそういうこともあるのだなと思います。

今井と悦子が話していると藤岩という悦子と同期の女性編集者が通りかかります。
悦子の描写によると「ひっつめ髪に眼鏡、踵の磨り減った三センチヒールのパンプスを履いたスーツ姿、入社二年目の悦子の同期だが、齢38くらいに見える」とありました。
藤岩は悦子を敵視しているようで、よく因縁をつけてきて口論になります。
「あなたみたいな人、文学に関わってほしくない」
「私だって関りたくて関ってんじゃないし。ほっとけよ」
「恥知らず、校閲のくせに何よその爪、チャラチャラしちゃって」
「どっちがよ。景凡社の社員のくせになんなのその服、貧乏くさい」

やがてもう一人の女子同期入社で「C.C」という女性ファッション誌の編集をしている森尾により、なぜ藤岩に目の敵にされているかが明らかになります。
森尾も悦子と同じく目の敵にされています。
ちなみに藤岩は最初から文芸編集者になりたくて文芸最大手の燐朝社と冬虫夏草社を受けたりもしたとありました。
この二社は新潮社と文藝春秋社がモデルだろうなと思いました。
そうなると景凡社は名前の響きから講談社がモデルなのかなと思いました。
文藝春秋社の春と秋を夏と冬に変えたパロディのセンスが良かったです。

第二話で悦子は是永是之(これながこれゆき)という変わったペンネームの作家の校閲をします。
今井がこの名前を読んだ時に読み方が分からずそのままの読み方をしていたのが面白かったです。
そして悦子は是永に恋をしてしまいます。

第三話では冒頭から貝塚と悦子の激しい罵り合いになっていたのが印象的でした。
「俺はおまえと違って先生たちの接待つづきで忙しいんだよ!毎日二日酔いだし!」
「知るかボケ!こっちは毎日コンビニ飯食って細々と生きてんだよ!」
「それこそ知ったこっちゃねえよ、おまえは服ばっか買ってるから貧乏なだけだろうが!」
「オシャレは私の生きがいなんですー」
「校閲のくせになー、ファッション誌でもないのになー、あー可哀想でちゅねー」
「うるせえマジ往生しろ荼毘に付されろこの野郎!そんで解脱(げだつ)できずに三悪道(さんなくどう)ばっかし永遠に輪廻するがいいわこの下品下生(げぼんげしょう)が!」

しかし悦子は物凄く口が悪いなと思います。
そして校閲で難しい言葉と向き合うことが多い影響か、一般の人が普段あまり使わない言葉を次々使っているのも面白かったです。
二人の罵り合いは「校閲ガール」のお約束だなと思います。

悦子はついに是永と話すことに成功します。
そしてその正体がモデルであることを知り、益々胸を高鳴らせるのでした。
モデルとしての名前は幸人(ゆきと)です。

そんな悦子でしたが、「Lassy」という女性ファッション誌で8年前から連載され、自身も高校時代から欠かさず読んでいたフロイライン登紀子という人のエッセイを巡る校閲で失敗をしてしまい、第四話では一時的に文芸の校閲から外され雑誌校閲に行くことになります。
校閲とはいえファッション誌に近付けるので本当は喜びたいところですが、失敗による異動なので喜べずにいました。
気分がふさぎ気味ではあったものの、間もなくバレンタインデーということで是永にチョコを渡したい悦子は気持ちを高まらせていきます。

第四話では編集部が本郷大作と連絡が取れなくなるという事件が起こります。
貝塚も大慌てで何か手がかりはないか悦子のところに来たりしていました。
そして悦子はその本郷から電話が来て、「あなたの不倫相手達に会いに行く」という書き置きを残して失踪した妻、亮子を探すのを手伝うように頼まれます。
悦子は嫌がりますが一緒に電話を聞いていた加奈子という、悦子の二歳下で短大卒業後は不動産の仕事と悦子の住む家の一階でたい焼き屋の仕事をしている人が乗り気になります。
本郷が潜伏している東京の銀座近くにあるインペリアルホテルの名を聞いて、そこのタルトタタンが美味しいらしいねと言っていたところ、それを聞いた本郷が「食べさせてやる」と言ったため食べ物に釣られる形で乗り気になってしまいました。
乗り気ではなかった悦子のほうも「手伝ってくれたら、女性誌に口を利いてやってもいいぞ。『Lassy』と付き合いはないが、『Every』になら知り合いの編集者がいる」と言われ、
「いやだもう、そういうことは早く言ってくださらなきゃ困りますね先生」
と態度を豹変させて乗り気になっていました。
悦子の変わりぶりが面白かったです。

第五話も本郷の妻、亮子を探すのが続いていきました。
悦子は亮子が残した書き置きに誤字がいくつもあったことに注目し、実はその誤字に意味があるのではと考えます。
再び少しミステリーな展開になりました。
そしてどうなるのか気になっていた是永への恋にも少し進展がありました。

「ガール」というタイトルにマンネリを感じながら読み始めましたが、読んでみると予想以上に面白かったです。
悦子の強烈なキャラクターが織り成す物語は随所に笑える要素がありテンポよくすらすら読めてそれでいて物語構成もしっかりしています。
続編が三巻まで出ているようなのでいずれそちらも読んでみたいと思います。


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「明るい夜に出かけて」佐藤多佳子

2016-10-29 23:59:50 | 小説


今回ご紹介するのは「明るい夜に出かけて」(著:佐藤多佳子)です。

-----内容-----
青くない海の街、コンビニのバイト、ラジオリスナー、一年限定の「逃亡生活」……
夜の中で彼らは出会う、知らないのに知ってる奴、遠いようで近い人。
本屋大賞受賞作『一瞬の風になれ』著者がデビュー前から温めてきたイメージを結晶化させた書下ろし長篇。

-----感想-----
物語の冒頭の舞台は神奈川県の金沢八景駅からは少し遠く、関東学院大学の近くにあるコンビニ。
金沢八景駅は金沢シーサイドラインという海沿いを走る電車路線の駅です。
語り手は富山という20歳の大学生で、そのコンビニで深夜担当としてアルバイトをしています。
語りが口語調なのが特徴的で、口語調の小説を読むのが久しぶりだったのもあり最初は少し戸惑いました。
富山は接触恐怖症という病気で、ミミさんという近所のクラブで働く常連客がふとした拍子に肩に触れた際に突き飛ばしてしまいちょっとした騒ぎになる場面がありました。
副店長が駆けつけるのですが、その際、一緒にアルバイトをしていた鹿沢大介という23歳の男が富山をかばってくれ、さらにミミさんも見逃してくれ、大きな問題にはならずに済みます。

富山は「ある事件」があって大学に行けなくなったとありました。
大学を一年休学することにして、現在は家を出て高校時代からの友人、永川正光の紹介のもと、「ハイツみのだ」というアパートで一人暮らしをしています。
どんな事件があったのかが気になるところでした。

富山は深夜ラジオが好きで、よく聴いています。
特にアルコ&ピース(通称アルピー)というお笑いコンビがパーソナリティーを務める金曜深夜の番組、「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」が好きです。
かつては「職人」としてこのアルピーのオールナイトニッポンを始めとして色々なラジオ番組にネタを投稿していて、富山のラジオネームはリスナーの間でも有名だったことが永川との会話で明らかになります。
そして「ある事件」とはこのラジオの趣味とも関係していて、ネットで炎上事件が起き、富山のラジオネームや本名、学校名が晒されたとありました。
ツイッターもやっているのですがその炎上事件によってアカウントを削除することになり、現在は「#アルピーann」のハッシュタグに寄せられるラジオリスナーからの実況ツイートを見るためだけに作ったアカウントで、自分では何もつぶやかずにひっそりと実況ツイートを見ています。
実は富山は「トーキング・マン」という新たなラジオネームで職人に復帰しています。
ただそれは誰にも言っておらず極秘で、アルピーのラジオにだけネタメールを送る限定的な活動となっています。

6月になります。
富山と一緒に深夜アルバイトをしている鹿沢大介は「歌い手」として活動しています。
歌い手とはニコニコ動画やYoutubeなどのインターネットの動画配信サイトで自身が歌っている動画を投稿する人のことです。
鹿沢大介の歌い手としての名前は「だいちゃ」で、ニコニコ動画で活動しています。

ある日、深夜のコンビニにパジャマみたいなパウダーピンクのジャージの上下にスウェットのリュックを背負った怪しい雰囲気の背の小さな女の子がやってきて週刊少年ジャンプを一時間くらい立ち読みします。
雰囲気は幼く富山は「中学生?まさか小学生?」と思いながらその不審な人物の様子を見ていました。
やがてその不審な女がレジにやってきた時、富山は女のリュックに付いているバッジに目が留まります。
そのバッジは「カンバーバッヂ」という、アルコ&ピースのオールナイトニッポンのノベルティ・グッズでした。
ノベルティ・グッズは番組の投稿ネタからパーソナリティが「最高」と思った人にあげるプレゼントのことで、女のリュックにはカンバーバッヂが2個も付いていました。
つまり女もアルピーANNのリスナーでありしかもカンバーバッヂを二個もゲットする強豪職人だということです。
富山はカンバーバッヂを複数個ゲットした職人は二、三人しかいないことを脳裏に思い浮かべ、さらに神奈川県で該当する人物は一人しかいないことに思い至ります。
女に向けて「虹色ギャランドゥ?」と思い至ったラジオネームを口にする富山。
すると女は豪快な笑い顔になり、「ワタシを知っているおまえは誰だ?」と言ってきました。
富山が中学生か小学生かと予想した女は実際には高校二年生だということが明らかになります。
女はかなり特徴的な話し方をしていて、女が帰った後一部始終を見ていた鹿沢が接触恐怖症の富山に「女の子としゃべれたじゃないか」と声を掛けると、富山は「あれは女の子ではなくサイコ(ぶっ飛んでいる人という意味)だ!」と言っていました。

これを機に富山に親近感を持ったサイコ女は富山と話しに深夜のコンビニにやってくるようになります。
鹿沢ではなく怖い副店長とコンビを組んで業務している時に女が来た際には、喋っていると副店長に何を言われるか分からないため、富山は「すみませんが、お客様、仕事中なので、私的な会話はできません」と応対します。
しかし気を揉む富山をよそに女はとんでもないことを言っていました。
「おーっ、今日は、しゃべってると、あのハゲのオッサンに怒られるのか?」
これは当然副店長にも聞こえていて、富山は胸中でサイコ女に毒づいていました。

サイコって、日常的にもう少し内気な感じじゃねえのか?内向して偏向してヤバくねじ曲るんじゃないの?こんなストレートのアホのあけっぴろげの非常識なのも、アリなのか?

この富山の胸中の毒づきは面白かったです。
この頃には口語調の語りにも慣れ富山とサイコ女のギャグ的なやり取りを楽しく読んでいきました。
そんなアホ扱いされているサイコ女ですが、本名は佐古田愛といい、名門女子高に通う頭の良い子だということが明らかになります。

接触恐怖症、さらには炎上事件の引き金ともなった付き合っていた子との苦い記憶により、女性とほとんどまともに話せない富山ですが、佐古田とだけはまともに話すことができます。
常にパウダーピンクのジャージの上下の格好でさらに髪型もぼさぼさな佐古田を前に、富山はそれを何とかするべく、服屋と美容室に連れて行ったりして世話を焼いていました。

やがて富山は誰にも言っていなかった自身の今現在のラジオネーム「トーキング・マン」を佐古田に教えます。
誰にも言わない極秘での職人活動のはずだったのですが、佐古田とのラジオについての会話が富山の凍っている心を少し溶かしたようです。
ちなみに佐古田の新たなマッシュ・ショートの髪型は学校で好評だったらしく、そのことを富山に話していました。
「髪さあ、ガッコでほめられた。イケてる女が、かわいいじゃんって言ったぜ。イケてない女に、何があったのか小一時間問いつめられたぜ」
「ちょっとした知り合いの兄ちゃんに美容室に連行されて、みたいな話したけど、信じねえんだよ。家でも、オレの話、信じてくれねえの、誰も」
「虚言癖とか言われてるし、オレ。歩くモーソーとか。ないことないこと言うから」

頻繁に深夜のコンビニに来る佐古田に対し、富山は佐古田がなぜ深夜に来るのか、家の人に怒られないのかと気にしていました。
私ももしかすると学校や家で何かあるのかも知れないと思いました。
深夜のコンビニで富山と佐古田が金曜日のラジオ「アルピーANN」についてよく話していることから、鹿沢もこの番組に興味を持ち、「へーえ。一度聴いてみようかな」と言っていました。
番組に送るネタについても「金曜日のラジオで、君のそういうネタが聴けるの?」と興味を示していて、富山は佐古田にラジオネームを教えたことを後悔していました。

俺は佐古田にラジオネームを教えてしまったことを、心の底から後悔していた。真の名前を知られてはいけないのだ。おまけに、俺には過去に封印したもう一つの真の名がある。こっち、永川が知っている。

佐古田の性格では口止めしない限り聞かれたら答えてしまうのが目に見えていて、富山の今のラジオネームはあっさり鹿沢に知られてしまいます。
また永川がコンビニに来た際に佐古田もいて、そこで永川が富山は今は引退しているもののかつては凄い職人だったこと、フルネームは富山一志と言うことなど
、色々なことをペラペラと喋っていました。
富山が絶対に秘密にしておきたかったことがじわりじわりと広まり始めているのが気になるところでした。
富山、鹿沢、佐古田、永川の四人はラインでグループを組み、コンビニを舞台に縁がつながったこの四人で交流していくことになります。

佐古田は高校ではパフォーマンス同好会に入っています。
10月になり、佐古田の高校で文化祭が開催され、女子が苦手な富山は嫌がりながらも何だかんだで来てしまいます。
パフォーマンス同好会が劇の公演をやるので見に来ました。
作、演出、主演は佐古田で劇のタイトルは「明るい夜に出かけて」。
小説のタイトルがここで出てきました。
富山は佐古田の多才ぶりに驚くとともに、劇からどこか胸に迫るものを感じ取っていました。
この文化祭の日はかなり印象的で、劇の後には富山のかつてのラジオネームが明らかになります。
そして炎上事件についての話題にもなり、それについて佐古田が心に響く良いことを言っていました。

高二なのに。年下なのに。サイコ娘なのに。いつもは無茶苦茶なのに。俺より、ずっと大人。なんか悔しい。
序盤でアホ女扱いした時の胸中の毒づきとの対比が印象的でした。

富山は鹿沢から作曲した曲の歌詞を書いてくれないかと頼まれます。
そして歌詞も書け2月になったある日、鹿沢がニコニコ動画の生放送でついに歌います。
曲のタイトルはこちらも劇と同じく「明るい夜に出かけて」。
この生放送の後、富山と佐古田が夜の海辺の景色を眺めながら交わした会話はかなり良かったです。
その後も3月の改編期を迎えて「アルピーANN」は打ち切りにならず生き残ることができるのか、休学中の富山はどうするのかなど物語は続きますが、私的には夜の海辺の景色を眺めながらの二人の会話が最大の名場面だったと思います。

この小説の一つ前に読んだのが素晴らしい文章表現力の高さを持つ綿矢りささんの「手のひらの京」だったため、さすがに純粋な文章表現力では差があるなと思いました。
ただし佐藤多佳子さんは作品全体での物語構成の上手さがあり、さすが本屋大賞受賞作家さんだと思います。
深夜のコンビニと深夜のラジオがきっかけで人と人がつながっていく面白い青春小説でした


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キンモクセイ

2016-10-23 17:08:17 | ウェブ日記


私は金木犀(キンモクセイ)が好きです。
秋桜(コスモス)とともに、秋に咲く花の中では馴染み深いと思います。

特にキンモクセイは街を歩いていてフワッと花の香りがしてくるのが好きです
今年も二週間くらい前からキンモクセイの香りがするようになってきました。
この香りがするようになると中秋になったのだなと思います。
花の見た目のひ弱さとは裏腹に主張してくる香りで、私は中秋の風物詩であるこの香りが好きです。
秋晴れのもと、爽やかな陽気の中を歩きながらキンモクセイの香りに触れるのは秋の醍醐味だと思います。

香りがしてきた時、ふと回りを見てもすぐにはキンモクセイの木が見当たらないこともあり、そんな時はつい辺りを見回して探してしまいます。
風に乗って結構離れた位置から香りが来ていることもあるようです。

一つ一つの花はとても小さくてもそれがたくさん集まって控えめながらも見事に咲く様子は桜を思い起こさせるものがあります。
もう少しの間黄金色の花と香りを楽しみたいと思います
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「バッテリーⅥ」あさのあつこ

2016-10-22 21:25:39 | 小説


今回ご紹介するのは「バッテリーⅥ」(著:あさのあつこ)です。

-----内容-----
「おれはピッチャーです。だから、誰にも負けません」
いよいよ、巧たち新田東中は、強豪・横手二中との再試合の日を迎えようとしていた。
試合を前に、両校それぞれの思いが揺れる。
巧と豪を案じる海音寺、天才の門脇に対する感情をもてあます瑞垣、ひたすら巧を求める門脇。
そして、巧と豪のバッテリーが選んだ道とは。
いずれは……、だけどその時まで――巧、次の一球をここへ。
大人気シリーズ、感動の完結巻!

-----感想-----
※「バッテリー」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅡ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅢ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅣ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅤ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

冒頭は新田東中学校の卒業式の日。
原田巧と野球部の前キャプテン、海音寺一希が体育館の裏手で話しているところから物語が始まりました。
三年生の海音寺は卒業していきますが、横手二中との試合という最後の大一番が残っています。

海音寺は巧が瑞垣俊二に「本気なら相手します」と言ったことを引き合いに出し、「巧自身はどうなのか」と聞いてきました。
全国一の天才バッター・門脇秀吾に対し、どう思っているのかを聞いていました。
海音寺は巧が門脇に負けると思っています。

「門脇はおまえの上をいく。能力の差じゃのうて、本気だからだ。おまえに対して本気だからな。あいつは、おまえのこと対戦相手のエースピッチャーとして見てるわけじゃない。そういうんじゃなくて、おまえ個人を見てる。門脇を相手チームの打者としてしか見てないおまえとは、ちがう。

新田東中野球部を引っ張ってきた、傲慢極まりない巧に対しても面倒見の良い海音寺がこんな風に考えているとは意外でした。
本気度の差で門脇が勝つと見ているようです。
巧はこの意見が不服で結構不機嫌になっていました。

3月の最終日曜日にある横手二中との試合まであと10日になります。
海音寺と野球部監督の戸村(通称オトムライ)が話をしていて、戸村から「原田も永倉も、おまえにあずける。好きに使え」という驚きの発言がありました。
また、「今の巧では門脇に負ける」と言う海音寺に対し、戸村は「負けるとは思わない」と言っていました。
傲慢な巧とたびたび衝突してきた戸村ですがピッチャーとしての巧についてはかなり信頼しているようです。
海音寺は二人になかなか言葉にするのが難しいことを伝えようとし、奮戦していくことになります。

ちなみに吉貞も巧と話している時に海音寺と同じことを言っていました。
「おまえは、だいたい他人に対して冷たすぎるんじゃ。つーか、興味がなさすぎる。そういうのだめだよ」
「何がだめなんだよ」
「門脇さんに勝てないぜ」
「おまえみたいにな、バッターが誰でも関係ないやなんてすましてるのと、真剣度がちがう。マジ度がちがう。どんな勝負だって、思い入れの強え方が勝つんじゃ」
吉貞は普段は休む暇もなく喋りたいことを喋っているお調子者なのですがたまに鋭いことを言います。
この鋭さは監督の戸村も目の当たりにしたことがあります。

「感情の蕩揺(とうよう)」という言葉が出てきました。
蕩揺は「ゆり動かすこと。また、ゆれ動くこと」という意味で、なかなか見かけない言葉です。
このシリーズは児童書なのにたまに難しい言葉が出てくるのが印象的です。

門脇と瑞垣が新田東中との試合に向けて練習している場面がありました。
門脇の家の裏庭にある打撃練習用のネットを前に、瑞垣がボールを放り、門脇がバッティングをしています。
瑞垣は門脇のことを忌々しく思っているので、その精神状態でよく門脇のバッティング練習に協力しているなと思いました。
また、瑞垣が心境を吐露していました。

羨ましいんだよ、秀吾。ばかみたいに、おまえが羨ましくて堪らない。認める。いっそ、本当にばかだったらよかった。自分が搦めとられていることさえ自覚できないほど愚かなら、かえって楽なのにな。中途半端なんだよな。中途半端な実力、中途半端な自負心、中途半端な愚かさ……始末に負えない。我ながらうんざりする。

常にひねくれたことや相手の心を乱すことばかり言っていて本心を見せない瑞垣が自分自身に対し「我ながらうんざりする」と言っているのが印象的でした。
小さい頃から一緒に過ごしてきた天才バッター・門脇秀吾への羨望、そこから沸き起こるひねくれた言動、そしてそんな自分自身への自己嫌悪もあるようです。

豪が自転車を運転し、巧が後ろに乗っての家への帰り道、色々と話していました。
巧が何も知らないことについての会話が面白かったです。
「二ケツって、ケーサツに見つかったら注意されるよな」
「そうか?」
「知らんかったか?」
「うん」
「おまえは、知らんことが多すぎるな」

「門脇さんのことが気になるんか?」
「気にはならない。どんな人なんだろうって思っただけだ」
「そういうのを気になるっていうんじゃ」
「へぇ、そうなんだ」
「おまえって、ほんまなんにも知らんよな」
「悪かったな」

前巻までにも似たような場面がありました。
特にバッテリーⅣでは東谷、沢口、吉貞が口々に「原田って、ほんと、なんにもできんよな」と言っていたのが印象に残っています。
巧は野球以外のことへの興味が薄く、よく苦言を呈されます。
門脇について「打者として凄い」と言う巧に対し、それ意外の部分の凄さについて豪が語ります。

「打者としてすごいのは、わかっとる。そんなこと、誰でもわかることじゃ。おれが、門脇さんのことすげえなって思うのは……おまえに対して本気になれるってことで……だってな……ほら、門脇さんてもう全国区じゃろ。なのに、わざわざ試合をするんだぞ。無名の年下の新人のために、必死になってる。そういうの、すごくねえか」

豪も海音寺や吉貞と同じく、門脇の巧への本気度の凄さに気付いていました。
同時にその本気度の凄さは、海音寺が巧にも門脇に対して持ってほしいと思っていることでもあります。
この時ついに巧は、門脇がどれくらい本気で向かってくるかを認識した上で、その門脇にどう対峙するか気持ちの整理がついたようでした。

練習を重ね、横手二中は全国大会ベスト4に入った最盛期の状態に戻ってきていました。
瑞垣はこれなら勝てると思っています。
そしてそんなことを考えながら海音寺と電話で話しているのですが、この二人の電話は瑞垣が得意のひねくれた言葉でかき回しているように見えて、必ず海音寺のペースになります。
瑞垣が自分のペースにできない相手は珍しいです。
海音寺は新田東中の取りまとめ役として、瑞垣は横手二中の取りまとめ役として、試合の日に向けて奔走しています。

物語の最終章、ついに横手二中との試合が始まります。
巧の投げる渾身の球は門脇を抑えることができるのか、気になるところでした。
横手二中の指揮を執る瑞垣は単なるひねくれ者ではない洞察力の鋭さを見せていました。
この試合の後、海音寺や門脇、瑞垣など中学校を卒業した者達は高校生になり、それぞれの道に進んでいきます。
巧や豪は二年生になり、新田東中の中心選手として公式大会に臨んでいくことになります。
紆余曲折を経て、卒業生にとっても巧や豪のような在校生にとっても門出となるこの試合が無事に開催できて良かったです。
それぞれが門出の先の青春を謳歌していってほしいと思いました。


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待望の秋晴れ

2016-10-16 17:53:38 | ウェブ日記
10月に入り、ここ最近は快晴の秋晴れになる日が増えてきました
9月にずっと続いていた秋の長雨の時期がついに終わったようです。

長雨の時期、こんなに毎日雨ばかりで農作物は大丈夫なのかと気になりました。
そして先日カレーライスの「CoCo壱番屋」に行ったら「天候不順の影響で野菜の値段が高騰して安定的な供給確保が困難なため、サラダの内容をしばらくの間変更します」とありました。
安定的に確保できる野菜を使ったサラダに変更ということのようです。
やはり長雨の影響が出ているようです。
最近は晴れるようになったので早く野菜の高騰も収まってほしいと思います。

9月にずっと続いた長雨で、蝉も一気に去ることになってしまいました。
本来なら残暑の中段々と鳴く蝉の数が減っていって本格的な秋になるのですが、今年は雨の力で問答無用で追いやられてしまった印象があります。
そして最近は着実に秋が進み、草むらで鳴く虫達もコオロギ以外の鳴き声があまりしなくなっています。
長雨の前と後でだいぶ様子が変わりました。

そして虫の鳴き声が少なくなってきたのと同時に、晴れた日の空は清々しくなっています。
湿度も下がりまとわりつくような蒸し暑さはすっかりなくなりました。
秋晴れの日は清々しい秋の空を楽しみたいと思います
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「手のひらの京」綿矢りさ

2016-10-15 23:05:01 | 小説


今回ご紹介するのは「手のひらの京」(著:綿矢りさ)です。

-----内容-----
なんて小さな都だろう。
私はここが好きだけど、いつか旅立つときが来るーー。
おっとりした長女・綾香。
恋愛に生きる次女・羽依。
自ら人生を切り拓く三女・凜。
生まれ育った土地、家族への尽きせぬ思い。
かけがいのない日常に宿るしあわせ。
京都の春夏秋冬があざやかに息づく綿矢版『細雪』。

-----感想-----
先週末立ち寄った書店で綿矢りささんの新作小説が発売されているのを見かけ迷わず購入しました。
綿矢さんは私が小説好きとなるきっかけとなった作家さんで、「蹴りたい背中」で初めて作品を読んで以来ずっとファンです。

「京都の空はどうも柔らかい。頭上に広がる淡い水色に、綿菓子をちぎった雲の一片がふわふわと浮いている。鴨川から眺める空は清々しくも甘い気配に満ちている。」
この出だしが良かったです。
水色の柔らかく清々しい空の様子が脳裏に浮かんできました。
綿矢さんは京都出身ですが作品で京都が舞台になるのは珍しく、今回が初めてのようです。
京都弁の会話がかなり良いです。
また冒頭から表現力の豊かな文章が続き、文章を丁寧に吟味しながら読みたくなります。
この文章の魅力はやはり芥川賞作家さんだと思います。

物語の始まりの季節は春と初夏の間、4月下旬頃で、語り手は奥沢家三姉妹の三女、凜。
凜には長女の綾香、次女の羽依(うい)の二人の姉がいて、綾香のことは「姉やん」、羽依のことは「羽依ちゃん」と呼んでいます。

凜が京都府立植物園の洋風庭園に咲く薔薇に思いを馳せた時、風光明媚という言葉が出てきました。
「自然の眺めが清らかで美しい」という意味で、この言葉を見たのは久しぶりでした。

「どこまでも広がる空は柔らかさを残したまま夕方を迎え、玉ねぎを炒めたキツネ色に変化している。デミグラスソース色へと変わってゆくさまは自転車に乗りながら眺めよう、と決めて凜は立ち上がった。」
この空の色の描写が印象的でした。
たしかに夕方を迎えるとキツネ色に変化し、段々と赤みを増していきます。

夕方の寂しさについて、「逢魔がときとも呼ばれる夕方の心細さ」と表現されていました。
風光明媚に続き古風な表現が出てきました。
作品全体でこういった表現がよく出てきて、最初の数ページを読んだ時点では文章が醸し出す雰囲気からもしかして昭和が舞台かと思いました。
実際には平成の京都を舞台にしています。

奥沢家の父、蛍(ほたる)が定年を迎えた時、母も家族の前で"私も主婦として定年を迎えます"と宣言し、食事を作らなくなりました。
「朝と昼ご飯は各自で、お夕飯はあんたらで作りなさい」と言われた三姉妹はそれ以来、当番制で夕食を作っています。

凜は大学院で生物学を研究する二回生、一歳上の羽依はこの春働き始めた新入社員です。
羽依は前原智也という、新人研修の時に指導役として研修に参加した30代の上司と付き合っています。
羽依は前原が送ってきたモテる男きどりのスカしたメールに激怒して、凜の部屋に来てメールを見せて怒りを露にしていました。
前原に負けず劣らず羽依のほうも自分のモテに対して自信があり、凜によると「小中高、大と、学生時代あますところなく男性から評判が良かった」とのことです。
そんな羽依は前原に対し、表面上は気のあるそぶりを見せておき、向こうが安心しきった頃に捨ててやろうという決意を固めます。
一方の凜のほうは奥沢家に住むことについて、「ここにずっと住み続けたら、私は三十を過ぎても、四十を過ぎても"子ども部屋"にいることになる。飛び出すきっかけは、自分で作るしかない。」と、胸の中で密かに家を出る決意をしていました。

最初の語り手が凜で次に羽依、その次に綾香になり、三姉妹で順番に語り手が変わっていきます。
かつて「夢を与える」を書いた時は不自然さのあった三人称を綺麗に使いこなしていて、綿矢さんの成長を感じました。
京都言葉と時折出る古風な表現が作品全体に和の雰囲気を出しています。

羽依は須田電子という会社に務めています。
ある日新入社員達が琵琶湖畔の近江舞子でバーベキューをやることになり、羽依も迎えに来たワゴンに乗って出かけていきます。
新入社員のみのイベントのはずがなぜか前原も呼ばれて来ていて、羽依は「当然のように参加して微妙に先輩風を吹かせる」と胸中で述懐していました。
羽依の恋愛の視点はかなり鋭く、周りの人の計算が見えています。
このバーベキューが行われる間、前原に気がある子の立ち居振舞いや、前原の羽依を嫉妬させるための行動などを見ながら羽依が胸中でしていた分析はぞっとするものがありました。

綾香は31歳で図書館の職員をしています。
27歳のときに大学生のときから付き合っていた人と別れて以来出会いがない綾香はこの頃、早く子供が欲しくて焦っています。
綾香が語り手の物語になった時、まさかここまで焦っているとはと驚かされました。
図書館からの帰り道、「今日は祇園祭の宵山の二日目だ。」とありました。
森見登美彦さんの作品で頻繁に登場する祇園祭宵山、綿矢さんの作品でこの名称が見られるとは感慨深いです。

綾香が一番最近に祇園祭宵山に出かけた一昨年、結婚について焦る気持ちが現れた時の描写が印象的でした。
「祭りを眺め終わり帰る直前に、仲間うちの二人が近いうちの結婚を発表し、綾香は歓声を上げて祝福したが、初めて焦る気持ちが小さいウサギが片耳をぴょこっと立ち上げたみたいに姿を現した。」
「小さいウサギが片耳をぴょこっと立ち上げたみたいに」が良い表現で綿矢さんらしいなと思います。

綾香はふらっと祇園祭の様子を見に行き、四条通を歩いていると中学時代の友達の苗場ちゃんと、苗場ちゃんの友達の樋口くんに声を掛けられます。
人の多さに圧倒されていたのと結婚のことを考えて憂鬱になっていたのとで祭りの雰囲気を楽しめていなかった綾香ですが、二人に声を掛けられたことで一気に心境が変わります。
「彼女らと話した途端、周りのざわめきが、祭囃子が、急に鮮やかさを取り戻して、喉がからからのときにレモン入り炭酸水を飲んだみたいに世界が広がった。」
綿矢さんらしい比喩表現で、たしかに爽やかに世界が広がります。
三人で料理屋に行き料理を頼む時、「水菜の炊いたん」「じゃこの炊いたん」というメニューが出てきました。
炊いたんは初めて聞くもので、どんな料理か調べてみたら京言葉で意味は「煮た物」とありました。
さらに「口にのぼせる」という表現があり、これも初めて聞く表現なので調べてみたら「取り上げて公の場に出す」とあり、話題に出すという意味のようです。
この言葉も京都ではわりと使われているのかも知れません。

また、「かそけき笑顔」という言葉がありました。
かそけきは昨年レビューを書いた「あの家に暮らす四人の女」(著:三浦しをん)にも出てきた言葉で、幽けきと書き、今にも消えてしまいそうなほど薄い、淡い、あるいは仄かな様子を表しています。
ちなみに「あの家に暮らす四人の女」は「ざんねんな女たちの現代版『細雪』」と紹介され、「手のひらの京」は「綿矢版『細雪』」と紹介され、どちらも『細雪』(著:谷崎潤一郎)の現代版と紹介されているのが興味深いです。
私は「○○版△△」という表現があまり好きではなく、綿矢さんの「手のひらの京」も「綿矢版『細雪』」とされてしまうのはどうかと思ったのですが、これは『細雪』という作品がそれだけ名前を出せば大抵の人が知っている名作ということであるため、考えを改めることにしました。

凜は熱意のある研究姿勢が認められ、研究室で師事している教授から東京にある大手食品メーカーの研究職に推薦してもらうことになります。
喜ぶ凛ですが、京都を出るのを親に話すのには覚悟が要るようです。
「正直、気軽に出せる話題ではないとなんとなく感じていた。一つの結界を破るぐらいの覚悟が要る」とありました。

羽依は会社の同僚女子達から「いけず」の攻撃に遭っています。
”京都の伝統芸能「いけず」”とあり、どんなものなのか説明がありました。
「ほとんど無視に近い反応の薄さや含み笑い、数人でのターゲットをちらちら見ながらの内緒話など悪意のほのめかしのあと、聞こえてないようで間違いなく聞こえるくらいの距離で、ターゲットの背中に向かって、簡潔ながら激烈な嫌味を浴びせる「聞こえよがしのいけず」の技術は、熟練者ともなると芸術的なほど鮮やかにターゲットを傷つける。」とありました。

いけず攻撃に遭う羽依を梅川という同期の男性が気遣ってくれます。
梅川は近江舞子でのバーベキューの時に車を出してくれて羽依の家の前にも迎えに来てくれた人であり、言動から羽依のことが好きなようです。
攻撃に晒される羽依ですが元々やられっ放しで黙っているような性格ではなく、「かわいそうだね?」の樹理恵を彷彿とさせる凄まじい展開が待っていました。

「私、女の人から嫌われるオーラでも出てるんかなぁ。もっと仲良くやっていきたいのに、もめることが多い。同性の友だちも少ないし」と綾香に悩む心を打ち明けると、綾香は次のように慰めていました。
「私ら三姉妹やけど仲良うやってるやん。男とか女とか関係なく、羽依ちゃんの中身を好きになってくれる人と仲良くなったらええ」
「そやな」
「まあ、無理しいひん程度にがんばったら」
「そうする」
この綾香と羽依の会話は良いなと思いました。
普段はおっとりとした綾香の姉らしさが垣間見える一幕でした。

羽依が会社の飲み会で三姉妹のことを聞かれ、”一番上の姉が31歳でおっとりしてます”と答えたら、宮尾俊樹という39歳の営業部で働く男が”ぜひ一度お姉さんにお会いしたい”と熱烈に言ってきました。
このことを冗談半分で綾香に伝えるとなんと「宮尾さんという人と会ってみるわ」という返事が返ってきます。
結婚に焦る綾香が思い切った行動に出ました。

宮尾との初デートから帰ってきた夜、綾香はだいぶ気疲れしていました。
そんな綾香の部屋にお風呂が空いたことを伝えに来た凛に、綾香は気疲れした初デートのことを話します。
ただ時間が深夜1時になったことや凜を戸惑わせるようなことを言っていたことに気付いた綾香は姉らしさを取り戻し、会話を切り上げます。
その時の綾香の心境が印象的でした。

「当たり前だけど、今日会ったばかりの宮尾さんとの関係性より、子どものころからずっと可愛がってきた妹の気持ちの方が大切だ。」

当たり前だけどとあり、綾香が凜を大切に思っているのがよく分かりました。
ただこれは他の人にとっては当たり前ではないかも知れません。
少なくとも次女の羽依は同じ状況になれば迷わず男性との関係性を重視して突っ走ることが予想されます。
この「当たり前」は綾香にとってはそうですが他の人にとっては違うかも知れないという、作品全体を通してかなり印象的な言葉の使い方でした。

凜が東京で就職したいことを伝えると父も母も猛反対します。
凜は京都や大阪にも同じような良い会社があるじゃないかと勧められて言葉に詰まります。
頑張って東京行きの理由を付けていた凜ですが実は「一度京都から遠く離れた地に行きたい」というのが東京で就職したい一番の理由のため、「東京に行きたいだけではないのか」と指摘されると苦しくなります。

凜が京都に思いを馳せる中で、次のように述懐していました。
なんて小さな都だろう。まるで川に浮いていたのを手のひらでそっと掬いあげたかのような、低い山々に囲まれた私の京(みやこ)。
これがタイトルの由来だと思いました。
凜は京都が大好きですが、山の向こうにまだまだ日本が続いていることを実感するために、一度京都から離れたいと考えています。
綿矢さんは三姉妹の中で特に凜に自分の考えを反映させたらしいので、凜のこの思いは綿矢さん自身の思いなのかも知れないと思いました。

「戦慄する」と「総毛立った」という二つの表現が出てきたのを見て、思い出されることがありました。
P62 長く近くで暮らしていると、かつて合戦場であり、死体置き場であり、処刑場であった歴史を、ふとした瞬間に肌で感じ、戦慄する。
P205 ふと通り前の標識を見たら"行幸通り"とあり、昔見た古い夢を思い出して総毛立った。
「戦慄した」の後、終盤で「総毛立った」という言葉が出てきたのを見て、私は第130回芥川賞の「蛇にピアス」のほうの選評が思い浮かびました。
芥川賞を受賞した綿矢りささんの「蹴りたい背中」が物凄く良い作品で衝撃を受け、選考委員達の選評が知りたくなった私は文藝春秋を買い選評を読んでいましたが、「蛇にピアス」のほうの選評もたくさん目にしました。
その中で「戦慄という言葉が二回も出てくる」と選考委員の誰かが苦言を呈していたのが印象に残っています。
この「戦慄する」「総毛立った」という表現の使い分けを見て、綿矢さんはもしかしたら第130回芥川賞の選評のことを覚えているのではとも思いました。
そんなことが思い出される作品でした。

物語の後半、羽依は同僚女子達の「いけず」攻撃との戦い以外にも、振った男がストーカー化して執念深く粘着してくる問題がありました。
「私の好きな人はいつも一人だけ。あんたなんかだいぶ前に忘れてたわ。過去の人は黙ってて」
羽依のこの言葉は格好良かったです。
ただし相手の執念深さは尋常ではなく、かなり危険な目に遭わせられます。
そんな羽依の危機に綾香がストーカー男に怒りを露にする場面があり、おっとりしていてもやはり三姉妹の長女なのだと思いました。

羽依はストーカー男をどうするのか、綾香は宮尾と正式にお付き合いするようになるのか、そして凜の進路はどうなるのか、三姉妹それぞれがどんな道を歩むのかとても気になる終盤でした。
私的に綿矢さんの歴代の作品では「蹴りたい背中」と「かわいそうだね?」が二大傑作だったのですが、「手のひらの京」はこの二作品を上回っている気がします。
綿矢さんらしい比喩表現や文章表現力の高さは生かしつつ、それに加えてかつてない物語構成の上手さを感じました。
ぜひ来年の本屋大賞を受賞してほしい作品です。


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「バッテリーⅤ」あさのあつこ

2016-10-15 13:47:27 | 小説


今回ご紹介するのは「バッテリーⅤ」(著:あさのあつこ)です。

-----内容-----
「おれは、おまえの球を捕るためにいるんだ。ずっとそうすると決めたんじゃ」
天才スラッガー門脇のいる横手二中との再試合に向け、動きはじめる巧と豪。
バッテリーはいまだにぎこちないが、豪との関わりを通じて、巧にも変化が表れつつあってーー。
横手の幼なじみバッテリーを描いた、文庫だけの書き下ろし短編「THE OTHER BATTERY」収録。

-----感想-----
※「バッテリー」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅡ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅢ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅣ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

冒頭の季節は冬。
二学期末のテストが終わったところから物語が始まるので12月初旬のようです。
永倉豪が原田巧の球を受けています。
ついにこのバッテリーが復活する時が来ました。

そこから時間は流れ、三月になります。
巧はこの頃、豪を掴みあぐねています。
豪が巧の全力で投げた球を受けても笑わなくなっていました。
以前の豪は全力投球の球を受けると満足げにフッと笑みを浮かべていたのですがそれがなくっています。
巧はそれに気が付いていて、「捕ることが苦痛でもあるかのように、口元を固く結んで、表情を崩さない」と胸中で述懐していました。

母の真紀子が高熱で入院し、巧と父の広と祖父の洋三、弟の青波の四人で朝食を食べている時、広が進路のことを巧に聞いてきました。
巧はこういうのを聞かれるのをかなり嫌がっていました。
自分の将来は、自分で決める。自分以外の者に決定権はないはずだ。決めれば、報告する。それまで待っていてほしい。
大人は、いつも性急だ。性急で、無遠慮だ。無遠慮に踏み込んできて、決定権を無視する。

この気持ちは何となく分かります。
まだ分からないものを性急に聞かれるのは嫌な気分になるものです。
ただ巧の場合はかなり素っ気ない対応をしていて、広が会社に行った後洋三が巧を諭していました。
「あまり、人を疎むな」
「もう少し話をしてみろや。親父だけじゃない、もう少し他人と話をしてみろ。おまえが思うとる以上に、おもろいやつは、ぎょうさんおるぞ。」
「バッテリー」シリーズを通して問題となっている"他人を理解しようとしない"巧の性格についてのことがここでも出てきました。

野球部は新キャプテンの野々村が持ち前の寛容さで上手くチームを引っ張り日々練習しています。
ある日、元キャプテンの海音寺一希がグラウンドにやってきます。
横手二中との再試合の日が決まったので伝えに来ました。
三月の最終日曜日に再び戦うことになります。

せっかく豪がキャッチャーとして戻ってきたのですが、今度は巧の調子がおかしくなってしまいます。
投げた球がストライクゾーンを大きく外れてしまい、自分の球をコントロールできなくなることがあります。
今までの巧なら豪がミットを構えた場所にピッタリと投げ込むことができていました。
ただし狙いどおりのコースにびしっと決まることもあり、しかも今までよりもずっと威力のある球になっています。

豪は巧と「友達」の会話をしたいと思っています。
ただしそんな話をしても巧はまともには受け答えてくれませんでした。
「おれは、ただ……たまには、フツーの話をするのもええかなって……女の子じゃなくても、マンガでもドラマでもガッコのことだってええ、別にどうでもいいけど、話してておもしろいみたいな、フツーの話、そういうのもええかなって……」
これに対し、巧は次のように言っていました。
「そういうの友達とやれよ。東谷とか沢口とか、おまえ、いっぱい友達いるだろうが」
巧のこの言葉から、巧は豪を友達と思っていないことが分かりました。
これは結構ショックでした。

豪が次のように考える場面がありました。
「野球さえなかったら、案外、いい友達になれたんじゃないか。もしかして、親友なんてのになれたかもしれない。さっきみたいに、ふざけながら愉快に時を過ごすことだって、できたかもしれない。」
しかしそのすぐ後、巧の嫌な対応を見て次のようにも考えていました。
「友達になんて、絶対なりたくない。なれもしないだろう。傲慢で、わがままで、究極の自己チュウで、一方的に命令されることも管理されることも大嫌いなくせに、平気で他人を振り回す。信じられないくらい嫌なやつだ。」
この豪の葛藤が興味深かったです。
友達になりたいと思う時もあればなりたくないと思う時もあるというのは、巧の性格と立ち居振舞いをよく言い表していると思います。
たまに良い面を見せることもありますが、基本的には傲慢で嫌な奴です。

横手の「レッドチェック」というファミリーレストランで海音寺と瑞垣が会う場面があります。
新田東中と横手二中の再試合はこの二人が準備を進めています。
瑞垣は「横手二中や新田東という学校の存在抜きにして、おれ達の仕切るおれ達の試合をやろうや」と提案していて、海音寺もこれに魅力を感じ、学校の関与無しで試合をやるべく準備を進めていました。
ファミレスで会った後二人が川原で話をしていると、門脇がやってきて合流します。
しかも瑞垣と門脇が喧嘩になります。
以前も瑞垣の発言が原因で喧嘩になったことがありますが今回はその時よりも緊迫した展開になりました。

東谷、沢口、吉貞、巧の四人がバーガーショップでハンバーガーを食べている時、東谷が巧に苦言を呈します。
「原田、おまえ、そういうこと考えたことあるか。豪におまえのキャッチャー以外のこと、許したことあるか。おまえら、野球から離れても一緒にいられるんか。カノジョがどうしたとか、昨日こんなことしたとか、そういうこと話して笑ったりして……そういうのないから、豪は、しんどいんじゃないんか。おまえ、いつも、あいつのこと振り回して……おまえは、すげえよ。すごいと思う。だから好きにやればいい。けど、豪まで連れていくな。引っ張り回すな」
この時の会話の最後、言い過ぎたと思った東谷は「うん、ごめん、原田のこと悪う言う気は、なかったんじゃ」と謝りますが、巧が意外なことを言います。

「いや、たぶん言い過ぎたのはおれだと思う。悪かったな」

巧が謝りました。
他の人に対して謝る巧の姿は初めて見ました。
さらに豪について、次のように言っていました。

「けどな、あんまり豪を過小評価するなよな。あいつは、おれなんかに振り回されて、チームが見えなくなるほど、チャチなやつじゃないぜ」

この言葉は印象的でした。
まず人前で「おれなんかに」などと言う巧は初めて見ました。
さらに豪について凄い奴だと心のなかで思ったことはありますが、それを声に出して他の人に言うのは初めて見ました。
巧が今までとは変わり始めていることが分かりました。

横手二月との試合の日が近付き、段々と春の陽気になってきます。
巧が空を見た時の春についての描写が良かったです。

花曇というのだろうか。薄い雲が、一面に空をおおっている。やはり甘やかな匂いが漂う。春は色と香りの季節なのだ。
桜、桃、チューリップなど、たしかに春は色と香りの季節だなと思います。

知らなくていいのだろうか。
むかつくと言い捨てた豪を、知らなくていいのだろうか。突然に、自分につきつけられた激しい感情を、むかつきを、嫌悪をちゃんと知らなくていいのだろうか。

マウンドから豪にボールを投げながら、巧が豪の気持ちに思いを馳せていました。
今までの巧にはなかった考えです。
一巻からずっと問題になっていた"他人を理解しようとしない"という巧の性格に、ついに変化が現れるようになりました。

門脇と瑞垣が新田東中に来て、巧がバッティングピッチャーをして瑞垣が打席に立つ場面があるのですが、その時に瑞垣がいつものように相手を動揺させるようなことばかり言って場を掻き乱そうとします。
しかしその仕返しとばかりに巧に良いように遊ばれた瑞垣が大激怒。
大荒れの展開となります。
そしてついに瑞垣が巧のことを「姫さん」と呼ぶのをやめ、原田と読んでいました。
もう「姫さん」と呼ぶ余裕はなくなっていました。

その日の帰り道、東谷、沢口、良貞、巧、豪の五人でバーガーショップに寄ります。
そこでは東谷が憧れの海音寺について「おれ、海音寺さんみたいなショートになりたい」と言ったり、良貞が「東谷くんには無理なんじゃない」とからかったりと、他愛もない会話が繰り広げられました。
その様子を見ながら、巧は胸中で次のように思っていました。
「重いなと感じる。こうして、他人といることが、何気ない会話を交わすことが、心を配ってもらうことが重い。ここにこうして座っているより、一人、走っている時間の方が性に合っているとも思う。それでも座っているのは、一人で走っていてはわからないことを知りたかったからだ。」
今までの巧は「一人で走っていてはわからないこと」を知ろうともしていませんでしたが、今は知ろうとしています。
他人の気持ちを考えられるようになった分、人としても野球選手としても成長しています。
間近に迫った横手二中との試合でどんな球を投げるのか、中学野球界一のバッター、門脇を打ち取れるのか、最終巻となる六巻を楽しみにしています。


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この夏の読書感想文傾向

2016-10-11 21:14:15 | ウェブ日記
昨年の8月27日、「夏の読書感想文」という記事を書きました。
毎年夏休みの、特に8月になると、読書感想文の検索からのブログへのアクセスが多くなります。
今年の夏も8月になると小説レビュー記事へのアクセスが上昇していて、この夏はあまりブログを更新できませんでしたがその状況は把握していました。
8月21日~8月25日の5日間において、それぞれの日ごとに小説レビュー記事で閲覧が多かった上位3つを挙げると次のようになります。


8月21日
1 「世界地図の下書き」朝井リョウ 53PV
2 「神去なあなあ日常」三浦しをん 51PV
3 「サクラ咲く」辻村深月 37PV

8月22日
1 「神去なあなあ日常」三浦しをん 56PV
2 「世界地図の下書き」朝井リョウ 46PV
3 「幻想郵便局」堀川アサコ 39PV

8月23日
1 「世界地図の下書き」朝井リョウ 45PV
2 「神去なあなあ日常」三浦しをん 36PV
3 「サクラ咲く」辻村深月 25PV

8月24日
1 「神去なあなあ日常」三浦しをん 51PV
2 「雨の降る日は学校に行かない」相沢沙呼 32PV
3 「世界地図の下書き」朝井リョウ 25PV

8月25日
1 「世界地図の下書き」朝井リョウ 34PV
2 「神去なあなあ日常」三浦しをん 31PV
3 「幻想郵便局」堀川アサコ 18PV


昨年と大きく変わったのが、今年の1月10日に書いた「世界地図の下書き」(著:朝井リョウ)のレビュー記事がこの夏かなり閲覧されたことです。
この作品は児童養護施設で暮らす少年少女を題材にしているため、中学校や高校の先生方で読書感想文のお勧め図書にでもする人がいるのかも知れません。
さらに今年の夏休みの前にちょうど文庫化されたため、書店に来て読書感想文の小説を何にするか検討した多くの人がこの小説で読書感想文を書こうとした可能性もあります。

児童養護施設を扱うような作品への感想でよくあるのが、「児童養護施設で暮らしていても、明るく前を向いて生きています。それは素晴らしいことです」というようなまとめ方をすることです。
特に中学生や高校生は半ば義務的にこういったまとめ方になる印象があります。
いわゆる「無難なまとめ方」であり、それでも問題はないのですが、この作品の場合はかなり厳しい現実が描かれており、そのまとめ方が通用しない展開になっていました。
なので私もレビュー記事の最後のほうで「児童養護施設の子だから過酷な人生になるとも読み取れます。私はこの作品全体を通してそれを発しているように思いました。」という二文を入れています。
この作品で読書感想文を書いた学生さん達が作者の朝井リョウさんが書いた厳しい現実についてどんなまとめ方をしたのか気になるところです。

そして三浦しをんさんの「神去なあなあ日常」は昨年に続き今年も読書感想文として人気があるようです。
8月21日~25日の全てでトップ3に入っておりさすがの貫禄です
私は明るい作品や爽やかな作品のほうが好きなので「神去なあなあ日常」は読書感想文の図書としても通常の読書としても凄くお勧めです。
昨年の夏も今年の夏も読書感想文として人気の「神去なあなあ日常」、そして今年の夏読書感想文として人気があることが分かった「世界地図の下書き」、これらが来年の夏も人気なのか、それとも他の作品も台頭してくるのか、楽しみにしています
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「バッテリーⅣ」あさのあつこ

2016-10-10 16:46:55 | 小説


今回ご紹介するのは「バッテリーⅣ」(著:あさのあつこ)です。

-----内容-----
「戸村の声がかすれて、低くなる。『永倉、おまえ、やめるか?』身体が震えた。ずっと考えていたことだった……」
強豪校・横手との練習試合で敗れた巧。
キャッチャーとして球を捕り切れなかった豪は、部活でも巧を避け続ける。
同じ頃、中途半端に終わった試合の再開申し入れのため、横手の門脇と瑞垣が新田に現れるが!?
3歳の巧を描いた文庫だけの書き下ろし短編「空を仰いで」収録。

-----感想-----
※「バッテリー」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅡ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。
※「バッテリーⅢ」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

物語の始まりは10月の最後の日。
横手二中との試合は既に終わっていました。
横手二中との練習試合から1ヶ月以上経っているとあり、原田巧の断片的な回想から、どうやら試合に敗れたことが分かりました。
さらに巧と永倉豪は横手との練習試合の日から1ヶ月以上、ほとんど口をきかなくなっていて、また二人ともレギュラーから外されていて、これらに驚かされました。
二人に何があったのか気になりました。

横手との練習試合は巧の初めての挫折になっていました。
「あのマウンドを思い出す度に怖い。自分の球に自分の力が乗らない。力のない球は、当たり前のように打ち返され、内野の間を抜けてセンターに、ライトに、あるいはショートのグラブの先を掠めて転がった。マウンドに立ちながら、何をどうすればいいのかわからない。際限なく惑う。悪寒を覚えた。それほどに怖かった。マウンドで自分の力を見失うことも、怖いと感じたことも、生まれて初めてのことだった。」
巧が打ち込まれる展開になったのも、常に傲岸不遜で自信の塊である巧がマウンドで怖くなったのもかなり驚きです。

やがて横手二中との試合がどんなものだったのかが明らかになっていきます。
横手二中の選手でよく出てくるのは中学野球界で最強のバッターである四番の門脇秀吾と、その幼馴染にして五番の瑞垣俊二。
バッターとしての実力は門脇のほうが遥かに上ですが、瑞垣は非常に癖のある人間で性格がねじ曲がっていて、巧のことを終始「姫さん」と呼んだり、飄々としながらからかい口調で相手をイラつかせることを色々言ってきます。
バッターボックスに立った時にはキャッチャーの豪に揺さぶりをかけてきました。
瑞垣は「おまえじゃ、姫さんのキャッチャーは務まらん」と言っていました。
瑞垣の揺さぶりからバッテリーのリズムが崩れ、打ち込まれる展開になってしまいました。

豪は「巧と野球をやりたいから」と辞めた塾にまた通うようになっていました。
そして豪は巧のキャッチャーをやることを怖がっています。
瑞垣の揺さぶりがきっかけとなり、自分ではこの先巧の全力の球を捕れなくなるのではと考えていました。
「バッテリーⅢ」では豪では自分の全力の球を捕れないのではと思い手加減して投げた巧に激怒していた豪がこんなに弱気になるとは意外でした。
人間なのでちょっとしたきっかけで今までのリズムが崩れてしまうことはあります。

豪が巧を避ける中、吉貞伸弘、沢口文人、東谷啓太の三人が巧の家にやってきます。
吉貞がキャプテンの野々村と監督の戸村(通称オトムライ)から巧のキャッチャーをやるように言われたことを伝えます。
本来のキャッチャーである豪が巧のキャッチャーを拒否する以上、他の人間をキャッチャーにしないとチームが機能しないということですが、お調子者でありなおかつ自信家の吉貞以外の皆これには戸惑っていました。

東谷と沢口は新田スターズ時代からの豪の友達なのですが、豪以外の人間が巧のキャッチャーをやるのは嫌だと言う沢口に対し、東谷が言ったことは印象的でした。
「友達とかそんなの関係ない。たかが、野球じゃねえか。やめたからって、殺されるってもんじゃねえだろう。豪がやりたくないって言うたら、それでええ。みんな、それぞれ好きなことをしたらええんじゃ。おれら、別に野球をしとるから友達ってわけじゃねえだろう」
これはそのとおりだなと思います。
野球を辞めたからといって、豪が巧のキャッチャーを辞めたからといって、それで人生の何もかもが終わってしまうわけではありません。
そして東谷は豪が巧のキャッチャーを辞めたとしても野球を辞めたとしても友達であることに変わりはないと言っていてそこが良いと思いました。

東谷が巧に苦言を呈した場面も印象的でした。
「だいたい、原田はわがままなんじゃ。何もしゃべらんといて、わかれっていうのが無理なんじゃぞ。黙ってても気持ちは通じるなんて、全然だめ。はずれ。失格。流行らない。ダサい。迷惑」
後半は言いたい放題言っていますが、前半の「何もしゃべらんといて、わかれっていうのが無理なんじゃぞ」は的を射た意見だと思います。
思いは心の中で思っているだけではなく、声に出さなければ相手には伝わりません。
東谷のこの言葉で、巧はこの1ヶ月豪とろくに口をきいていないことを強く意識します。

ふいに思った。豪といて、豪にボールを投げることが、楽しかった。力一杯投げ込んだ球を力一杯受け止めてくれる。そういう人間に出会って初めて、投げることが楽しいのだと知った。
常に傲岸不遜で他人のことなど考えない巧がこれだけ豪という他人とのことに思いを馳せるのは珍しいです。
巧の他人のことを全然考えない性格が変わっていくきっかけになりそうな気がしました。

東谷と沢口が、豪を巧が待つ公園に連れて行こうとした時に東谷が次のように言っていました。
「原田って、ほんと、なんにもできんよな。おまえを呼びにくることもできんのじゃから、情けねえ。将来、苦労するぞ、豪」
また、原田とともに公園で三人を待つ吉貞が次のように言っていました。
「原田って、ほんま、なーんにもできんよな」
同じ言葉が短い間に二回も出てきたのが印象的です。

巧には野球以外のことは何もできないです。
そんな巧を助けてくれる東谷や沢口、吉貞の存在がどれほどありがたいものなのか、理解できる人になってほしいと思いました。
豪とのバッテリーがどうなっていくのか、5巻を読むのが楽しみです。


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「プロカウンセラーの共感の技術」杉原保史

2016-10-09 21:03:17 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「プロカウンセラーの共感の技術」(著:杉原保史)です。

-----内容&感想-----
以前読んだ「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)「プロカウンセラーのコミュニケーション術」(著:東山紘久)からの流れで本作を読んでみました。
杉原保史氏は学生時代から東山紘久氏に指導してもらっていたとのことで、本作は前二作の著者の教え子が書いた本となります。
教え子のほうも臨床心理士であり心の専門家です。
人に「共感」するという、言葉だけだと簡単そうですが実際には非常に奥が深いことについて様々な例を挙げながら書いていました。

P3「感受性には、相手の気持ちを感じる感受性と、自分の心を感じる感受性とがあります。前者が強いとストレスになることがあり、後者が目立つと勝手解釈になってしまいます。」
本書の「序」として京都大学名誉教授・東山紘久氏が寄せた言葉の中にこれが書かれていました。
私の場合は相手の気持ちを感じる感受性が強いため指摘のようにストレスになることがあります。
また勝手な解釈で突っ走る人を見たこともあり、なるほどそれは自分の心を感じる感受性が強いのかと思いました。
「両者のバランスがよいと、共感性が相手にも自分にも心地よいものになります」とも書いてありました。

P19「究極的には、私たちは一人ひとり別々の存在であり、決して誰にも分かることなどできない独自の存在です。私たちはみな一人なのです」
これはそのとおりだと思います。
その人のことはその人にしか分からないですし、他の人がその人のことを完全に理解するのは無理です。
これを受け止めた上で、理解したい人がいるのであれば、完全には理解できないその人をできる範囲で理解しようと努めるのが大事だと思います。

P28「男性、とりわけ働く世代の男性は、一般に、女性と比べて、心理相談やメンタルヘルスの相談に自発的に現れることが少ないということが知られています。
このことは、男性は人に気持ちを打ち明けない傾向が強いということであり、共感と馴染みが薄いことを示しています。」
これはたしかにそう思います。
分かりやすい例がカフェなどでの女性グループのおしゃべりで、カフェに行くと大抵いくつもの女性グループがおしゃべりを繰り広げています。
会話の内容が聞こえてくることもあり、家庭のことや仕事のことなどで結構深いことを話していることがよくあります。
聞き手の女性もかなり親身になって聞いていて、この本の題名にもなっている「共感」が素の状態でできている人が多いです。
男性グループがそんな話をしていることもありますが、頻度は圧倒的に女性グループのほうが多いです。
日常のカフェレベルで見ても女性のほうが圧倒的に深い会話をよくしているのですから、「男性は一般に女性と比べて、心理相談やメンタルヘルスの相談に自発的に現れることが少ない」というのも納得です。
そして「統計によれば、男性の自殺率は女性のおよそ二倍です。男性がもっと共感と親しむようになれば、男性もより自発的に相談するようになり、自殺率も下がることでしょう」とも書いてありました。
人に相談すること、おしゃべりをすることはストレスの解消にもなります。

P29「企業が学生に求める能力として一番に挙げているのは、たいてい「コミュニケーション能力」なのだそうです。他者とのコミュニケーション能力は、それほど重視されているのです。
だとすれば、ビジネスの世界においても”共感”はもっと重視されてよいはずです。共感はコミュニケーションの最も重要な要素だからです。共感を軽んじながら、しかしコミュニケーション能力は重視する、などということは考えにくいのです。もしそんなことがあるとすれば、それは、相手の気持ちを感じることなく言葉巧みに言いくるめたりごまかしたりする能力を重視しているのだと受け取られても仕方ありません。そんな能力では本当に信頼感のあるビジネスは進めていけないでしょう。
これは凄くそのとおりだと思います。
私は実際に、「共感を軽んじ、相手の気持ちを感じることなく言葉巧みに言いくるめたりごまかしたりし、しかもそれをコミュニケーション能力だとする」という話し方をする人を見たことがあります。
言っていることが物凄く薄っぺらく見え、嫌悪感を持ちました。
ほんと「共感を軽んじながら、しかしコミュニケーション能力は重視する」というのは本来成り立たないことだと思いますし、それはコミュニケーション能力ではなく、「一方通行の独りよがり論法」だと思います。
たしかにそんな能力では相手から信頼しては貰えないと思います。

P30「ビジネスの世界において共感が伴わないコミュニケーションが横行していることこそ、職場でのうつが増加している大きな要因だと私は思います。」
これも核心を突いた意見だなと思いました。
相手の感情を無視し、「その人がコミュニケーションと言い張る一方通行の独りよがり論法」をぶつけていれば、相手はうんざりし不信感を抱くか精神的にまいってしまう展開になると思います。

P31「情報の内容よりも、情報を発している人、あるいはシステムに対する信頼感が問題なのです。その人が、こちらの不安や心細さをしっかり見てくれており、共感してくれているということが分かるなら、人は相当な困難に立ち向かえるものです。」
同じ情報でも、聞き手の心情を考え、親身になって発信する人と、聞き手の心情は一切考えず事務的に淡々と発信する人では、聞き手が抱く印象はだいぶ違ってきます。
聞き手がどう思うかを考えず自分が発信したい情報の発信だけを淡々と行う人に対し、「この人を信頼しよう」という気にはならないと思います。

P43「「それは考えすぎだよ」と言いたくなる気持ちを感じても、その気持ちを感じたままにしておきます。放っておくのです。ただ放っておいて、相手の気持ちを受け取ることに注意を戻します。」
せっかく話し手が心配ごとを話し始めたのに聴き手が「それは考えすぎだよ」とその話を遮ってしまった場合を例にこれが書かれていました。
「話し手の側に立ってみれば、言いたいことを切り出したけれどもすぐに説得されて、まったく聴いてもらえなかった、ということになるでしょう。」ともありました。
私の場合は元々人の話を聞くのが好きなこともあり、比較的「「それは考えすぎだよ」と言いたくなる気持ちを感じても、その気持ちを感じたままにしておきます。放っておくのです。ただ放っておいて、相手の気持ちを受け取ることに注意を戻します。」ができているような気がします。
相手が話し始めてすぐに相手の話を遮るということはあまりないです。

P46「たとえ相手が「みんな私のことを嫌ってるんです」と暗く嘆いているとしても、「そんなことないよ」とか「思い違いだよ」とか「それはあなたが壁を作ってみんなを寄せ付けないせいじゃないの」とか、即座にあなたの意見を述べて相手を説得しようとしないことです。差しあたり、あなたの意見は脇に置いておいて、「どういうこと?詳しく話してみて」と促してみるのです。」
P43と同じで、すぐに自分の意見をぶつけようとしないでという意味で書かれています。
これは意外と難しく、相手が何か話し始めると反射的に「それは考えすぎ」「それは違う」などと相手の言葉を遮って自分の意見を言ってしまう場合が結構あると思います。
相手が悩みを話し始めた時は自分の意見を言うのは一番最後に回し、まずは相手の気持ちを受け取る意識を持つのが大事です。

P60「「受容」とは、ありのままを認めること。相手のありようをありのままに受け容れることです。」
これは「ありのままでいい」と現状肯定の価値判断をするのではなく、ただ「現状はこうなのだ」と力まず穏やかに認識するという意味とのことです。
例えば「もう学校に行きたくない」と登校拒否の気配を見せる子がいたとして、「それでいい」や「それは駄目だ」などと価値判断するのではなく、「そうか、この子は学校に行きたくないのだな」と現状を穏やかに認識することを「受容」と言うようです。

P65「共感は受容とセットで論じられることが多いですが、変化促進のパートナーでもあります。共感こそ、変化を促進する最大の力なのです。そもそも、共感できないような相手に、うまく変化を生み出せるものでしょうか?その可能性は低いでしょう。”共感してもらえた”という体験が、それ自体で変化をもたらすこともあります。それだけ共感には変化促進力があるのです。」
これは共感から変化促進につながるということです。
相手への共感なしに「その考えは間違っている。変化しなさい」などと言ってもあまり意味はないということだとも思います。

P68「「受容」「共感」「変化促進」、この三つは、相互に手を取り合ってらせん状に深まっていくものです。通常、受容と共感があって、変化の促進が可能になります。場合によっては、受容と共感があると、自然に変化が生じてくることもあります。」
受容と共感と変化促進は密接につながっているようです。
「受容と共感があって、変化の促進が可能になります。」が印象的で、P29の「共感を軽んじながら、しかしコミュニケーション能力は重視する、などということは考えにくい」が思い出されました。
やはり相手の心情を考えずに言いたいことだけ言ったのでは相手は不信感を抱くと思います。


「共感」について興味深いことがいくつも書いてありました。
「「この言葉には共感できないな」と感じたとして、その状態を客観的に認識できていることが既に共感のスタート地点に立っている」というのも印象的でした。
私は共感を軽んじた「一方通行の独りよがり論法」に走るのではなく、受容と共感を軸としたコミュニケーションができる人でありたいです。


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