読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

茶運停 味噌煮込みハンバーグのランチ

2017-01-31 20:38:12 | グルメ


※犬山城下町を散策のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

犬山城下町を散策した際、「茶運停(ちゃんてい)」というお店に寄りました。
ここでは手作りランチを作っていてお店の外に置いてあった看板が目に留まりました。



この中で特にAの味噌煮込みハンバーグのランチに興味を持ちました。
ハンバーグにまで味噌が登場するのかと思い、さすが愛知県だなと思いました。
そんなわけで今まで一度も食べたことがない味噌煮込みハンバーグによるランチを食べてみることにしました。



こちらが味噌煮込みハンバーグのランチです。
最近はお膳の形のランチがほとんどだったので、ランチシートを持ってきてテーブルの上に敷いて、そこにそれぞれの器を持ってくる形は新鮮でした
全体的な彩りも凄く良いと思います。
ご飯は黒米ご飯になっていて、ややもっちりとしていて美味しかったです。

ハンバーグは手づくりらしい肉の食感でした
味噌煮込みにはピーマン、赤と黄色のパプリカ、しめじが入っています。
味噌とハンバーグが凄く合っていて、深みのある味わいの味噌ソースが肉の旨みを引き立てていて美味しかったです
大き目カットの玉ねぎがしゃきしゃきしていて良かったです。
そしてかすかにしょうがの香りもしました。

もやしはかつおぶしとごまで味が付いていました。
白あえは豆腐、人参、こんにゃく、小松菜、れんこんで作られていて、小松菜のシャキシャキ感、レンコンのカリッと感がアクセントになっていました。

野菜のマリネは人参、山芋、きゅうり、大根でした。
ほどよく酢に漬けられていてとてもさっぱりとしていました。

煮物はちくわ、人参、昆布、こんにゃく、しめじで、薄味の優しい味付けになっていました。
スパサラダはきゅうりとかにかまが入っていました。
たぶんオリーブオイルを使っていると思われ、これによって極細の麺が生き生きとしていました。

オムレツはたまごとねぎと紅しょうがで作られていました。
キッシュのような外見をしていて、少し甘みがあったので砂糖で味付けしたようです。
私は卵焼きは砂糖による甘い味付けでも、醤油や塩による味付けでも、どちらも好きです。

味噌汁は赤味噌が多い名古屋では珍しい合わせ味噌でした。
だいこん、小松菜、油揚げが入っていて、あっさりとした味でした。
実家の味噌汁と似た味わいだと思いました。



こちらはデザートのケーキセットです。
当初は頼んでいなかったのですが、店員さんが良かったらデザートも付けられますよと聞いてきて、せっかくなので食べてみることにしました。
コーヒーはブラックで飲むことにして、飲んでみるととてもすっきりとした味わいでした。

ケーキはレーズンケーキで、スポンジがかなりフワフワしていました
そしてしんなりとしていました。
レーズンは少し洋酒が染みていると思われる味で、これがフワフワでしんなりとしたスポンジケーキとよく合っていました。
おやつの時間帯に来てこのケーキのケーキセットを頼んでも良いのではというくらい美味しかったです



帰り際、店員さんが「良いご縁がありますように」と、5円玉で作ったお守りをくれました。
このお守りはバッグに入れておきました。
また犬山城下町に出掛けたらランチかケーキセットを食べに寄ってみたいと思います
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犬山城下町を散策

2017-01-29 17:23:22 | フォトギャラリー
昨日1月28日、愛知県犬山市の犬山城下町に出掛けました。
昨年の11月に犬山に紅葉散策に行った時は犬山城、有楽苑、寂光院の三か所を巡っているうちに時間が経ってしまい、犬山城下町には行けませんでした。
なので今回ついに犬山城下町を歩くことができて良かったです
※写真は全てクリックで拡大されます。


----- 犬山城下町を散策 -----


犬山日和。
犬山城下町の入り口の少し手前にあります。
ここは着物のレンタル屋さんで、着物に着替えてから犬山城下町に行く人もいます


犬山城下町にやってきました
午前11時少し前の早めの時間帯に着いたので真冬の青空がひと際澄んでいます


この和の雰囲気はまさに「城下町」です
さっそく散策していきます。


創作こんにゃく料理の「伊勢屋」と、着物レンタルの「犬山小町」。




老い呆け来ず地蔵堂。
やはり老いや呆けは来てほしくないものです(笑)


手染め手ぬぐいの「夢工房 桜杏」と、げんこつ飴の「高田屋」。


昭和横丁。
ここは人気スポットのようで、まだ午前中なのに結構人が来ていました。


「茶運停(ちゃんてい)」。
ここでは手作りランチが食べられて、今回寄りました。
後で記事を書こうと思います。
※「茶運停 味噌煮込みハンバーグのランチ」の記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。


犬山城下町は歩行者天国の日とそうでない日があり、この日はそうでない日だったので車の往来もありました。


「どて万次郎」と「いち藤」。
静かな雰囲気のもと開店準備中です。


カフェの「花らく里(からくり)」。
今回は寄れなかったのですがいずれ寄ってみたいです。


旧磯部家住宅。
そして「お抹茶 よってちょー庵」。


お菓子とともに抹茶を楽しむことができます


犬山城下町観光案内所。


「木香るCafe よあけや」。


ここには寄りました
後で記事を書こうと思います。


「御菓子司 松栄本店」。


「手作り小物 花うさぎ」。


「ガラス工房 沙羅」。


「ふわふわ雪氷専門店 氷菓楼 仁」。


今回は食べられませんでしたが、「氷屋さんの鼓もち」が興味を引きました。


その隣にある「本町茶寮」。
建物は長屋的な造りになっていて、「氷菓楼 仁」と続きになっています。


そして「本町茶寮」の左を見ると、さらに長屋造りが続いています。
近年ではあまり見かけない、昔の時代の造りです。




「犬山革工房」。
物づくりの体験ができるようです。


漬物屋の「守口漬」。
漬物はなかなか主役にはならないですが食卓の名脇役です。


「茶亭 椿」。


何だか神がかり的に空が澄んでいました


とんぼ玉の「碧水」。
とんぼ玉とはビーズのことです。


着物のお店。




「なつかしや」。
これは懐かしいものが色々ありそうな気がします。


琴三弦教室。
この城下町での琴や三味線の稽古は風情があって良さそうです。


本町車山蔵(ほんまちやまぐら)。
犬山祭の際に出す山車(だし)の格納蔵です。




やがて向こうのほうに犬山城が見えてきました。
犬山城下町の入り口からここまで直線になっているので、犬山城下町を散策してから犬山城に行くと一気に両方見ることができて良さそうです。

天気にも恵まれ、晴れ晴れとした気分で犬山城下町を歩くことができました。
今回寄れなかったものの寄ってみたいカフェなどもあるので、またいずれ歩きに行ってみたいと思います


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。
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上野東照宮 ぼたん苑

2017-01-28 22:23:50 | フォトギャラリー
先日の1月14日、用事があって東京に行った際、上野公園を散策していたら上野東照宮でぼたん苑をやっていることを知りました。
ぼたんの花は見たことはあっても今までそんなに注目したことはなかったので興味を惹きました。
真冬に咲いている花は珍しくもあり、せっかくなので今回じっくり見てみようと思いました。
※写真は全てクリックで拡大されます。


------------ 上野東照宮 ぼたん苑 ------------


上野公園内を歩き、上野東照宮を目指します。
朝の10時頃なのでまだ人通りは少ないです。


上野東照宮にやってきました。




まず上野東照宮に参拝をしました。
天下人となり江戸幕府を開いた徳川家康を祀る神社で、金箔の装飾が印象的です。


さっそくぼたん苑に入場します。
「冬牡丹」が展示されています。


入場するとまずこの景色が待っていました。
和傘が風情を出しています


近くで見ると、こんなに綺麗な花だったのかと驚かされました


「純白は 誇りの極み 寒牡丹  真砂女」
苑内には冬の牡丹を題材にした俳句の立て札がいくつもあります。


霜よけの藁囲いに包まれた牡丹の花がどどどん!と広がっています


黄冠(おうかん)。


レモンクリーム色が印象的です。


連鶴(れんかく)。


純白の花が目を惹きます
連なる鶴という名前のとおり、たしかに純白の鶴が連なっているような雰囲気を感じます。
「純白は 誇りの極み 寒牡丹  真砂女」の俳句にもピッタリ合います。


八千代椿(やちよつばき)。


爽やかなピンク色の、八重桜を思わせる牡丹です。


クリスマスローズの花。
名前は聞いたことがありますが花を見るのは初めてで、こんなにひっそり可憐に咲いているのかと思いました。




富士の峰。


完全に咲くとどんな姿になるのか気になるところです


たくさんの八千代椿。
寒色になりがちな冬の景色を上品に明るくしてくれます。


日月錦(じつげつにしき)。


明るい赤色は目を惹きます。


たくさんの連鶴。


澄んだ神聖な気持ちにさせてくれるのが白色の花の醍醐味だと思います。


「咲き満ちて 驕ることなき 寒牡丹  戸口千恵子」
たしかに牡丹の花にはそんな雰囲気を感じます。


新国色(しんこくしょく)。


日月錦よりやや紫色寄りになり、明るい赤紫色の花になっています。
気高さと妖艶さを併せ持っているように見えます。


八重桜。


八千代椿の時に「八重桜を思わせる牡丹」と書きましたが、そのものずばり八重桜という名前の牡丹もありました(笑)


明石潟(あかしがた)。


ピンク色にほのかに紫色が混ざった色合いです。


越の雪(こしのゆき)。


越後の雪を思わせる名前です


ソシンロウバイ。
何か所かに蝋梅の花もありました。


島大臣(しまだいじん)。


名前のイメージか、何となく貫禄を感じます。


聖代(せいだい)。


ピンクと紫が混ざり合った色合いで、重量感のある花びらがフワッとしているのが印象的です。
打ち上げ花火が思い浮かびます。


百花撰(ひゃっかせん)。


派手目な色合いをしていて、完全に咲いた姿を見てみたかったです。


太陽。


こちらも完全に咲いた姿を見てみたかったです。
名前からして、燃える太陽のように咲いてくれるのではと思います


ブラックパイレーツ。
名前のとおり海賊的な雰囲気があります


天衣(てんい)。


一枚一枚の花びらが天女の羽衣の如き雰囲気で、それがたくさんあります。


白雁(はくがん)。


こちらは天衣より花びらの数は少ないですがとてもしなやかに咲いています。


というわけで上野東照宮ぼたん苑、楽しませてもらいました。
かなりたくさんの品種があり、色の違いと花の咲き方の違い、そして種類によっては花びらがとても薄いのが興味深かったです。
上野東照宮ぼたん苑は2月26日まで午前9時30分から午後4時30分の時間でやっているので、真冬を彩る牡丹の花に興味のある方は見に行ってみてください


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

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吹けば飛ぶ綿毛のように

2017-01-27 22:38:38 | 記憶と心


写真は2015年の5月1日、ゴールデンウィークで帰省中に実家の近くを散歩している時に撮ったものです。
道端にあるたんぽぽの綿毛が目に留まりました。
たんぽぽの綿毛は風が吹けば今にも飛んでいきそうなのが印象的です
なのでこの写真を撮ってから、「吹けば飛ぶ綿毛のように」というタイトルで何か記事を書こうかなと思いました。
しかしなかなか書きたい記事が思い浮かばないまま月日が流れていきました。

今日ふとスマートフォンの写真を見返していたらこの写真のことを思い出しました。
そして人の気持ちの揺れについて書いてみようかなと思いました。

人が抱く気持ちの揺れにはムカつきや落ち込み、悲しみ、動揺、もしくはモヤモヤとした気持ちなど、色々な気持ちがあります。
そんな時、気持ちの切り替えの得意な人と苦手な人がいます。
得意な人なら何かムカつくことや嫌なことがあったとしても一晩寝ればすっきりとした気持ちになっている場合もあるようです。
私は気持ちの切り替えが苦手なタイプで、ムカつくことや嫌なことがあれば次の日、さらにはその次の日というように、引きずることがよくあります。
そして気持ちの切り替えが得意なタイプの人を羨ましく思うこともあります。
吹けば飛ぶ綿毛のように、心に生じたムカつきや落ち込みをフッと飛ばしてしまうことができれば、どんなに楽だろうと思います。

ただし近年の私は、「私は気持ちの切り替えが苦手だ」というのを自分自身の特徴の一つとしてしっかりと認識するようになってきました。
これを認識しないまま気持ちの揺れを引きずるのと、認識した上で気持ちの揺れを受け止めるのとでは大きな違いがあります。
認識しないままだと、どこかで気持ちに折り合いがつくまでずっと引きずることになります。
認識した上でなら、何か嫌なことがあってムカつきや落ち込みなどの気持ちの揺れが生じた時に、「ああ、今は気持ちが揺れているな。引きずらないようにしよう」と意識することができます。
なので綿毛のようにフッと吹くだけで飛ばすのは無理ですが、掴んで「よいしょ」と横にどかしてあげることはできます。
そしてどかしたと思ってもまた生じてくることもあるので、その場合はまたどかしてあげます。
そんなふうにして引きずりそうな気持ちの揺れと付き合うようにしています。
綿毛のように風に流れて飛んで行ってくれないのであれば、意識してどかしてあげることが大事だと思います。
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空の顔

2017-01-26 20:00:57 | ウェブ日記
空には季節や時間帯によって色々な顔があります。


こちらは昨年の12月18日の朝に撮った空です。
時刻は7時頃で、結構たくさんある雲をもうすぐ顔を出そうかという太陽の光が照らし、朝焼けになっていました。
起きてすぐでしたが普段はあまり見ない雰囲気の朝の空になっていたのでスマートフォンで撮りました。


そしてこちらはその20分後くらいに撮った写真です。
朝焼けの後は日の出になり、東の空から太陽が出てきます
太陽の光が地平線に近い位置の空から順にどんどん照らし出し、あっという間に空の雰囲気が一変します。
中でも太陽が顔を出した直後の、オレンジ色の光が空に広がっていく時の雰囲気は神々しいものがあります。


こちらは12月11日の14時少し前に撮った空です。
用事があって実家に帰った後、愛知県に戻るために電車を待っていた時、青空が凄く良い雰囲気だと思ったので写真に撮りました。
冬は空気が澄んでいるため澄んだ青空になることが多いです。
それでいてこの時は昼下がりの14時少し前の時間でさらに太陽付近の空を撮ったので、温かみのある雰囲気の空が撮れました。
雲が一つもなくさらには午前中だと、真っ青な青空になっていることもあります。
そんな青空にも惹かれることはありますが、基本的には温かみのある青空のほうがより親しみが持てます

一度朝の日の出の時間に、どこかに出かけてデジカメを使って綺麗な日の出の写真を撮ってみたいです。
色々な姿を見せてくれる空を楽しみたいと思います
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為御菜 肉じゃが定食

2017-01-25 19:33:51 | グルメ

昨年の10月初頭、東京駅の黒塀横丁という飲食店街にある為御菜(おさいのため)というお店に行きました。
昼間は定食屋で夜は居酒屋になるようです。
用事があって東京に来た帰り、お昼の時間帯なので東京駅内で何か食べて行こうと思って黒塀横丁を歩いていたらこのお店が目に留まりました。
定食が美味しそうな気がしたのでここに寄ってみることにしました。

靴を脱いで店内に入ります。
店内は控えめな明るさの照明で、ウエイトレスさんは和服の動きやすいタイプの着物姿でした。
座布団に座るタイプの、コの字型のカウンター席に座ったのですが、掘り炬燵式になっているので足を延ばしてリラックスすることができます。
こういったカウンター席には普段座ることがないのでなかなか珍しく感じました。


私は肉じゃが定食を注文しました。
これが想像以上に美味しかったです
じゃがいもは結構大きいのが二つ入っていて、丁寧に煮込んであり芯まで味が染み込んでいました。
肉も比較的量があり美味しく、大満足の肉じゃがでした。
小鉢もきんぴら、冷奴、漬物と三つあり、良い定食だと思います。
また機会があれば食べてみたいと思います
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大相撲初場所 稀勢の里が初優勝、横綱昇進!!

2017-01-23 22:36:05 | スポーツ
昨日千秋楽を迎えた大相撲初場所。
大関稀勢の里が、自身最高の14勝1敗の成績で初優勝を果たしました
これは嬉しすぎます
今まで何度も準優勝しながらどうしても優勝できなかった稀勢の里がやっと報われました。
稀勢の里の昨年一年間の成績は次のとおりです。

初場所 9勝6敗
春場所 13勝2敗 準優勝
夏場所 13勝2敗 準優勝 綱取り場所
名古屋場所 12勝3敗 準優勝 綱取り場所
秋場所 10勝5敗 綱取り場所
九州場所 12勝3敗 準優勝
※年間最多勝タイトル獲得

何と昨年だけで4回も準優勝しています
さらに3場所連続で綱取りに挑み相撲を大いに盛り上げ、横綱を押しのけて年間最多勝のタイトルを獲得するという大活躍を見せました
しかし3場所連続で綱取りに失敗したことからも分かるとおり、言い換えればこれは、ここ一番で負けてしまうということでもあります。
稀勢の里はプレッシャーに弱いようで、優勝を意識できるような展開になると緊張でガチガチになってあっさり負けてしまうことが何度もありました。
一年通して一度も優勝していない力士が年間最多勝のタイトルを獲得するのは史上初とのことです。
昨年末のNHKの大相撲の一年を振り替える番組で、本人も「自分はメンタルが弱い」ということを言っていたのが印象的でした。
分かっていてもなかなか思うようにいかないのが「心」です。
それでも今回ついに自分自身との戦いに打ち勝ち初優勝することができて本当に良かったです

さらに先場所12勝3敗で準優勝していて今場所が優勝となったのでついに横綱に昇進することになりました
先場所まで5場所連続で二桁勝利を挙げている安定感、昨年だけで準優勝4回、さらには年間最多勝タイトルも獲得していることからこれは文句なしです。
横綱審議委員会が満場一致で横綱に推薦したので、今週の水曜日に日本相撲協会から田子ノ浦部屋に使者が来て稀勢の里に横綱昇進を伝え、正式に横綱になります。
「謹んで、お受けします」の後の口上を何と言うのか楽しみです
19年ぶりに誕生する日本人横綱として、先輩横綱達と肩を並べながら相撲を盛り上げていってほしいです
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「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」河合隼雄 河合俊雄

2017-01-22 22:31:20 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」(著:河合隼雄 編:河合俊雄)です。

-----内容&感想-----
この本は臨床心理士であり京都大学の教授でもあった河合隼雄さんの、1974年から1976年にかけての京都大学の臨床心理学教室での、カウンセリングの事例検討会におけるコメントをまとめたものです。
当時大学院生だった山田(旧姓藤縄)真理子さんが事例検討会をテープに録っていて、その時の河合隼雄さんのコメントをテープ起こししてノートにまとめ、後に手書きノートのコピーが研究室で出回るようになったのがこの語録の始まりとのことです。
冒頭の挨拶で、河合隼雄さんの息子で同じく臨床心理士の河合俊雄さんがこの本について次のように書いていました。

「実際に心理療法に関わっている専門家なら、自分の日頃の臨床に照らし合わせてさまざまなことが考えられるであろうし、専門家でない人でも、人のこころの動きや人間関係について、さまざまな示唆やヒントが得られるのではないかと思われる。大学院での授業でのコメントにもかかわらず、専門用語が少なく、努めて日常語や生きたことばを使おうとしているのは特筆すべきである。」
まず「専門家でない人でも、人のこころの動きや人間関係について、さまざまな示唆やヒントが得られるのでは」という言葉が目を引きました。
そしてそれ以上に、「大学院での授業でのコメントにもかかわらず、専門用語が少なく、努めて日常語や生きたことばを使おうとしているのは特筆すべきである」の言葉が目を引きました。
今までに読んだ河合隼雄さんの本の中では「臨床心理学ノート」も難しい言葉はあまり使わないようにして分かりやすく冗談も交えながら書かれていて、この書き方は面白くて良いなと思いました。
今回の「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」は河合隼雄さんが語ったコメントがそのまま文章になっているとのことで、これはより一層面白い文章になっている気がしました。
そして読み始めてみると、1ページ目から川合隼雄さんの語りがそのまま文になっているのを実感しました。
「面接中の電話にはだいたい出ないですね」「真似したらえらいことになる」「真剣に考えなきゃなりません」など、たしかに大学院の授業とは思えないような日常的な言葉使いをしていて、しかも語っている言葉が生き生きとしていて、これは面白く読めると思いました
川合隼雄さんが臨床心理士としてクライエント(悩みを相談に来る人)とのカウンセリングに望む時、どんな心境で臨んだりどんな言葉を言っているかが書かれていました。

P10「セラピストの自宅の電話番号」
クライエントにセラピスト(カウンセラーのこと)が自宅の電話番号を教える場合もあるとあり、これは衝撃的でした。
それが必要な場合もあるとのことで、次のように書かれていました。
「こういう相当難しいケースでは、やっぱり自宅の電話番号教えてやるとかしないとダメです。そういう覚悟がいります。で、セラピストの方から電話かけたりするでしょ、あれも絶対必要ですね。普通はやらないこといっぱいやっていますけどね。こんなケースになったら、これやらないとダメです、実際にはね。」
これを見て、河合隼雄さんは大学教授とは思えないくらい授業でも日常的な言葉を使って冗談もよく言うけれども、やはり臨床心理士として幾度もの難しいカウンセリングをやってきたのだということを実感しました。
深刻な状況のクライエントなら、家の電話番号を教えたら際限なく電話をかけてくる可能性もあると思うのですが、そういった危険性も受け止めてクライエントと向き合わないといけない局面もあるようです。
日本におけるユング心理学の第一人者でもあり、偉大でありなおかつ面白い人と思うとともに、既に亡くなっていることを寂しくも思いました。

P12「上手な冷やかし方」
クライエントが話をしていて、自分で自分の言っていることが分からなくなってしまったような時に、次のように言うことがあるとのことです。
「あんた何やらわけのわからないことを長いこと言ったなあ」
この冷やかしは一般の会話でも同じようなことを言う場合があります。
笑いながら「何わけわかんないこと言ってんのさ」という感じで言うかと思います。
カウンセラーとしてクライエントと向き合った時に「あんた何やらわけのわからないことを長いこと言ったなあ」と言うのは一歩間違うとクライエントが怒ったり傷ついたりして二度と来てくれなくなる可能性があるのですが、そこを言って大丈夫なのかどうかを見極められるのが上手いカウンセラーなのだと思います。
川合隼雄さんが冗談めかしてこんな風に言えば、わけのわからないことを言ってしまっていたクライエントも自分をフォローしてもらえて、助かった心境になる可能性は高いのではと思います。

P15「共感について」
クライエントが色々と無茶なことを言ってくる場合に、カウンセラーが考えるべきこととして次のように書かれていました。
「この人のしんどさというのを言うなればこちらが共感するのが足りないんじゃないか、ということをものすごく考える必要があります。そしてそういう向こうのきりつけみたいなのがはなはだしいほど、自分の共感の量が今まで少なかったのではないかということ、ものすごく考えますね。」
これが臨床心理士などのカウンセラーの凄いところで、相手が無茶なことを言ってきた場合に「何を無茶なことを言っているんだ」となるのではなく、「この人はなぜ無茶なことを言うのだろう。そうか、こちらの共感が足りていないのか」と状況を冷静に見ています。
「状況を冷静に見る」という言葉だけ見るとできそうな気もしますが、実際に相手が無茶なことを言ってきている場で(感情的になっている可能性もあります)、冷静さを保ちつつなおかつ相手の心理状態を分析するのは難しいことだと思います。

P18「子供が物を放る行為について」
6歳くらいの女の子が窓から物を放り、河合隼雄さんが取ってきてあげるとまたすぐに放り、それが繰り返される事例があったとのことです。
河合隼雄さんはこの行為について、「放ったものを拾ってきてもらうというのは「たとえ私が捨てたとしても、あなたは拾ってくれますか?」というものすごい問いかけ」と言っていてなるほどと思いました。
ただ私は「それにしても酷いことをする子供だな」と思いながら読んでいました。
そうしたらこの話の最後に「家では全部否定されてるわけでしょ。」とあってハッとしました。
そうか、家ではこの問いかけについて一切拾ってくれないから、目の前にいる河合隼雄さんはどうなのかを子供なりのやり方で確かめようとしているのかと思う、印象的な最後の言葉でした。

P26「サイコセラピー(心理療法)がやること」
これは私的には、「クライエントの悩みを聞き、問題を解決していくための援助をすること」という教科書的な言葉が思い浮かびます。
それに対し川合隼雄さんは「心と体のバランスを取り戻すのがサイコセラピーのやること。」
という趣旨で次のように語っていました。
「自我の方の動きがあんまり強くなりすぎるとね、体とハーモニーしなくなる。つまり、心的に頑張ろうとしすぎると、休息という、こちらを忘れてしまう。あるいはあいつに負けないようにしようと頑張り過ぎて、結局はリラックスできなくなるということが起こってくるわけです。そうするとこういう言い方ができるわけです。つまり我々サイコセラピーやってる者は、この自我を弱めてこの全体としてのハーモニーというのを取り返すのがサイコセラピーだ、ということです。」
頑張ろうとしすぎて休憩を忘れリラックスできなくなるというのが印象的でした。
そして自我を弱めるとは、この張り詰めて緊張したままになっている心をもう一度リラックスさせるということかと思います。

P28「カウンセラーの気持ちの持ち方」
物凄く深刻なクライエントとのカウンセリングについて、「限界以上のことをやるようになると、こちらが死ななきゃならなくなる」と言っていました。
この「死ななきゃならなくなる」は比喩表現での死というより、本当に死んでしまうという意味のようです。
そして次のように言っていました。
「で、死ぬのがいやだから、大体そういうケースは中断しますね。」
深刻な事例について話していたのですが、この最後の言葉は面白かったです。
カウンセラーのほうもこのくらいの気持ちのほうが良いのだと思います。
限界を超えて何もかもを受けとめようとすれば死んでしまいます。

P72「アドラーについて」
アドラー心理学が出てきました。
「このクライエントが「自分が健康さえ自信もてたら、本社に変わっていて…なるんだけど、不健康だからダメだ」と言うところがありますね。これ、アドラーだったらどう言うか知ってますか?そう、逆転するわけですね。逆転して聞くわけです。つまり、本社にいくのが恐いから…と、それはアドラー流の言い方です。僕ら、そういう聞き方も知ってないといけない。しかしどこまでそれを言うかは別としてね。」
アドラー心理学は「目的論」という手法を使っていて、このケースで言うと、原因論が「この人は健康に不安があるため(原因)、本社に行くことができない」なのに対し、目的論は「この人は本社に行きたくないので(目的)、健康に不安があるという理由を作り上げている」となります。
川合隼雄さんは日本におけるユング心理学の第一人者なのですが、ここではアドラー心理学による解釈を紹介していて、やはり柔軟な人だなと思います。
「臨床心理学ノート」でもアドラー心理学による解釈と思われる言葉が書かれている場面がありました。
ユング、アドラーと並ぶ心理学三大巨頭の一人、フロイトについてもよく他の著書の中で紹介していることがあり、自分自身の学派(川合隼雄さんはユング心理学)以外の心理学についてもある程度知っていたほうが視野が広がって良いのだと思います。

P107「共感の本質」
自閉症児の母親が「同じ境遇にないあなたには何も分からない」的なことを言ってきた場合の共感について書かれていました。
「あんた資格もないのによく私の前で話を聞いているなあ、ということと同じことを言ってる。そうでしょ、「資格のある人(障害児をもった母親)とこの間話をしてきました、で、ツーカーといきました」と言っているのは、あなたはツーもカーもいかない、結婚もしてない、子供ももってない、浮気もしてないのに、何にもしてないのに、なんでそこに座ってるんだ、とそのくらい言われているほどセラピストの胸にこたえてなかったら、それは共感にならないんです。そういうのが共感。」
他の本よりも共感についてだいぶ具体的に書かれていました。
これはまさに教科書的ではない「生きた言葉」だと思いました。
一般の人だとこの母親の当てこすりに対しムッとしたり不快感を表明してもおかしくない場面なのですが、そうはならないのがカウンセラーの凄いところです。


全編を通して躍動するような言葉が綴られていて、興味深く読んでいきました。
こんな風に語ってくれる授業なら、聞くほうも自然と熱心に聞けるのではと思います。
タイトルにもあるように、この本の中の生きた言葉によって心が動かされた場面もあり、言葉の重要さ、そして言葉の持つ力の凄さを感じました。


今までに読んだ川合隼雄さんの本の感想記事
「ユング心理学入門」
「イメージの心理学」
「臨床心理学ノート」


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「高校生のためのアドラー心理学入門」岸見一郎

2017-01-21 21:10:51 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「高校生のためのアドラー心理学入門」(著:岸見一郎)です。

-----内容-----
若い人が自分で考え、自分らしく生きていくためにはどうすればいいのか?
自分や世界について新しい見方を学ぶためのアドラー心理学入門。

-----感想-----
「高校生のためのアドラー心理学入門」とありましたが、パラパラと中身を見てみると大人が読むにも良いのではと思ったので読んでみました。
「はじめに」に「私は本書において、若い人たちが自分で考え、生きていくための指針を提案したいと思います。」と書いてありました。
ちなみに本の行数を見ると16行構成になっていて、これは小説でもよく見られる行数です。


そしてページ数は189ページとそれほど長くはないので、高校生にも比較的読みやすいのではないかと思います。

P4「これまでの人生で何があったとしても、そのことは、これからの人生をどう生きるかということについては何の影響もない」
冒頭の「はじめに」で早くもアドラー心理学の中心の言葉が出てきました。
他のアドラー心理学の本の感想記事でも書いたように、これは女性が男性から酷い目に遭わされて激しいトラウマになり心身症を患っているようなケースでもこの言葉を浴びせるのかという問題があります。
なので何の影響もないと言い切るのは強引だなという印象を持っています。
実際には影響がありながらも(この例では男性恐怖症の症状が出たりなど)、その影響を和らげ最終的には普段の生活に支障がないところまで持っていくのを目指す結構長い期間が必要なはずで、この点において人生に影響が出ていると思います。

P18「もしも仕事やお金などを失ったことでがっかりするような人がいれば、そのような人は、あなたを選んだのではなく、あなたに所属したものを選んだのです。」
人生をともに生きていくパートナーについて書かれていたこの言葉は印象的でした。
これは交友関係についても言えることで、ある人がみんなの注目の的になっていたとして、その時には調子の良い言葉を並べて近付いてきた人が、注目の的になっていた人が何らかの理由で凋落してしまった場合に去って行ってしまうのであれば、その人は「注目の的になっている人と仲が良い自分」というステータスが欲しかっただけだと思います。
私は苦しい時にも見捨てずに支えてくれる人が本当の仲間なのだと思います。
なので高校生に言えることは、苦しい時にも見捨てず助けになってくれる人は、生涯の友達になれる人なので大事にしましょうということです。

P19「サイコセラピー(心理療法)という言葉の由来」
これは興味深かったです。
まずギリシャの哲学者ソクラテスが何を語ったかが書かれたプラトンの「対話篇」という本の中で、魂(精神、心の意味)をできるだけ優れたものにすることが「魂の世話」と言われています。
そして英語のサイコセラピー(psychotherapy)はギリシャ語の原語、「魂(psyche)の世話(therapeia)」に由来しています。

P31「幸福について」
この本では幸福について何度も書かれていました。
このページでは「幸福になりたいと思っていても、その願いだけでは、幸福になることはできません。何が善であり、どの善が幸福を創り出すかについて知らなければならないのであり、もしも幸福になれないのなら、善と悪について知らないからです。」とありました。
たしかに願うだけではなかなか幸福にはなれないと思います。
善の行動の積み重ねが社会への貢献感となり、この貢献感はアドラー心理学での「共同体感覚」を育むことになり、やがて幸福な気持ちにつながっていくのだと思います。
共同体感覚については「面白くてよくわかる!アドラー心理学」(監修:星一郎)の感想記事が参考になるかと思います。

P43「ある精神科医の言葉」
児童殺傷事件に遭遇した小学生についてある精神科医が、この子どもたちはこの事件に遭ったからには将来の人生のどこかで必ず問題が起こるとインタビューに答えていたとのことです。
岸見一郎さんはこの精神科医が「必ず問題が起こる」と断定していることに疑問を呈していて、これは私も同じ意見です。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)のような心身症を発症する子もいれば、全く何も起こらない子もいるかと思います。
ただし問題はその後で、岸見一郎さんはこの事件がトラウマになることは否定していて、「今のあり方は過去のトラウマによって決定されるのではない」としています。
私は道を歩いていて向こうから見知らぬ人が歩いてきた時に、事件のことが脳裏に鮮明に蘇る子がいたとしても不思議ではないと思いますし、これをトラウマと言うのだと思います。
トラウマの否定はアドラー心理学の特徴の一つなのですが、やはりこれには強引さを感じます。

P57「ライフスタイルについて」
ライフスタイルについて、自叙伝に例えて書かれていました。
人は生まれてから死ぬまでいわば自叙伝を書きます。この自叙伝はこの世に生まれた時から書き始められ、死で完結します。その自叙伝を書く時の文体をライフスタイルといいます。
アドラー心理学で言うライフスタイルは性格とほぼ同じような意味で、人が生きていく上での人それぞれの生き方です。
自叙伝を書く時の文体は躍動感たっぷりのものであったり、静かに流れるようなものであったりと様々です。

P79「”察して”について」
察しや思いやりが重要だと考える人は、他の人が黙っていても、他の人の気持ちを分かろうとし、分かるはずだと考えますが、同様に自分もまた何も言わなくても、他の人は自分が何を感じ、思い、要求しているかが分かり、分かるべきだと考えているとありました。
そして「しかし、黙っていたら、自分が何を考えているかはわからないはずです」とあり、これはそのとおりだと思いました。
私はなるべく察するように努力はしますが、「察して」という言葉はあまり好きではないです。

P92「周りを気にしすぎる」
「自分で判断しないで、他の人からどう思われるかを気にかけたり、人の顔色をうかがってばかりいると、事に着手する時期を逸してしまいます。あるいは、本当に自分にとって大切なことを後回しにすることになってしまいます。」とありました。
周りを気にしすぎて動けずにいると、肝心の自分自身が置き去りになってしまうということです。

P94「他者の評価から自由になる」
「自分の価値は人からの評価によって少しも下がりもしなければ、上がりもしません。」とありました。
他人が「あなたは○○だ」と浴びせてくる言葉を一切気にしないというのはなかなかできることではないと思いますが、他人の言葉にそんなにびくびくする必要はないのだと思います。

P102「自分に違う光を当てる」
これは自分自身の性格の短所と思っている部分について、違った見方をしてみるということです。
例えば明るく活発な子に比べて自分は静かで暗いと思っている子がいたとして、見方を変えるとその子は静かな分豊かな感受性を持っていて、人の痛みを知ることができる、と見ることができます。
これは「リフレーミング」という心理学の手法で、アドラー心理学でもこの言葉が出てくることがあります。

P107「減点法と加点法」
親は自分の理想から現実の子どもを減点法で見てしまいがちとありました。
このような親の子どもについての見方に対し、岸見一郎さんは「生きているという事実から加算して子どもを見る(加算法)」という見方を提案していました。
これは良い見方だと思います。
この見方をすることができれば、親が子に抱く不満、子が親に抱く不満ともに少なくなっていくのではと思います。

P115「幸福になるための原則」
幸福になるための原則があるとすれば、「この人は私に何をしてくれるだろうか」ではなく「自分はこの人に何ができるだろうか」と考えることです。
これは良い言葉だと思います。
そしてこれは他のアドラー心理学の本で「共同体感覚」として書かれていることそのものです。
くれ、くれと周りに要求するのではなく、自分が周りに貢献していくようにすることで、自然と幸福感を持てるようになっていくようです。

P129「他者からの援助」
「他者から援助を受けることは恥ずかしいことではありません。」とありました。
これは当然のように見えるかも知れませんが、実際には何もかもを自分一人の胸の内にため込み苦しんでしまう人がいるのも事実です。
「何もかもを自分一人で背負い込む必要はない」というのをそっと言ってあげることができれば、その人の苦しみを和らげることができると思います。

P159、160「課題とトラブル」
アドラー心理学の代表的な考え方、「課題の分離」について書かれていました。
まず、「あることの最終的な結末が誰に降りかかるか、あるいは、あることの最終的な責任を誰が引き受けなければならないかを考えた時に、そのあることが誰の「課題」であるかが分かる」とのことです。
例えば勉強する、しないは、あくまでも子どもの課題であって、親の課題ではないです。
しかし多くの親はこのことについて分かっていないため、勉強を親の課題であるかのように考え、当然のように子どもの勉強に干渉してきます。
「勉強に限らず、およそあらゆる対人関係のトラブルは、人の課題にいわば土足で踏み込む、あるいは踏み込まれることから起こります。子どもであるあなたが、親から「勉強しなさい」といわれて、なぜいやだったかはこういうわけがあるのです。」とあり、これはたしかにそうだなと思います。

P167「人に嫌われる勇気」
「嫌われることは、自分が自由に生きることの証であり、自由に生きるために払わなければならない代償です。」とありました。
これは「嫌われる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)という本のタイトルにもなっているように、アドラー心理学の代表的な考え方です。
ただしこの意味を勘違いし、周りに対してとことん自分勝手に振る舞って良いというような解釈をしてしまうと、人間関係が壊れることになると思います。
アドラー心理学は書かれていることが具体的な分、読み手の「解釈」が凄く重要な心理学だと思います。
妙な解釈をして暴走すると、「スターウォーズ」で言うフォースの暗黒面に堕ちてしまいます。
「アドラー心理学とフォースの暗黒面」

P168「できないことをできないと言える勇気」
「できないことをできないといえるのは、勇気なのです。不完全である勇気を持っていいのですし、失敗を怖れないという意味で失敗する勇気を持つことも必要です。」とありました。
自分自身の不完全さを認めるというのは、自分自身と向き合っているということでもあり、悪くないことだと思います。
不完全である自分を認め、受け止めてあげて、そこから今よりも向上させることを目指していくのが良いと思います。


高校生に向けて書かれた本なので、「課題の分離」や「共同体感覚」などの専門的な言葉は用いずに、その考え方について分かりやすく説明していました。
高校生は進学するか就職するかや、目指している夢が実現できるか自分自身の力がある程度見えてきたり、友達関係、恋人関係など、悩みやすい時期でもあると思います。
アドラー心理学は「解釈」が重要ではありますが、良い面が人生を生きやすくするために役立つ可能性は高いと思うので、この本を読んでこれは良いなと思うものがあれば、ぜひそれを取り入れて自分自身を生きやすくしていってほしいです


今までに読んだアドラー心理学の本の感想記事
「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」岩井俊憲
「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健
「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健
「面白くてよくわかる!アドラー心理学」星一郎


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「私をくいとめて」綿矢りさ

2017-01-20 22:41:50 | 小説


今回ご紹介するのは「私をくいとめて」(著:綿矢りさ)です。

-----内容-----
私の人生って、つまんない?
正直に答えてよ、A!
黒田みつ子、もうすぐ33歳。
一人で生きていくことに、なんの抵抗もない。
だって、私の脳内には、完璧な答えを教えてくれる「A」がいるんだから。
感情が揺れ動かないように、「おひとりさま」を満喫する、みつ子の圧倒的な日常に、共感必至!
同世代の気持ちを描き続けてきた、綿矢りさの真骨頂。初の新聞連載。

-----感想-----
冒頭、主人公の黒田みつ子が食品サンプル作りの一日体験講座に参加しているところから物語が始まりました。
食品サンプルとはレストランなどで展示されているメニューのサンプルのことです。
東京の合羽橋(かっぱばし)にその場所があり、日本の食品サンプルの多くが合羽橋で生み出されているとのことです。
体験講座では天ぷらを作り、一人暮らしのみつ子は他に反応してくれる人がいない中、天ぷらを部屋のどこに置くか悩んでいました。
冷蔵庫がだめなら、コレはどこに置けばいいの?棚の上に置いても玄関先に置いても、異様に目立って、まるで天ぷら教の信者みたいじゃないか。
最後を「まるで天ぷら教の信者みたいじゃないか」にするという、この辺りの表現が面白かったです
冒頭から綿矢さんらしい表現が見られました。

みつ子が疲れていてソファに寝そべっていたある日、頭の中で誰かが話しかけてきました。
その声は真夜中に呆然とソファに寝そべっていたみつ子をベッドに移動して寝るように促し、みつ子が健康を害しないように助けようとしていました。

「あなたのこと、信じてもいいの?」
「どうぞ、ご自由に。私は常に最善だと思う策をあなたに話しかけています。決してめんどくさがったり、なにかあなたをはめようとしたりして言葉を作ったりはしません。なぜなら私はあなた自身で、あなたが滅びれば私も無くなってしまうのですからね」
みつ子はこの声の主を「A」と名付けました。
AはanswerのAで、みつ子に対し常に的確に助言をしてくれることからこの名前にしたようです。
Aとの会話が脳内で行われるようになっていきます。

みつ子のマンションには月に一度多田君という人がご飯を貰いに来ます。
食器を持ってみつ子のマンションの部屋の前に立ち、呼び鈴を押すとみつ子が出てきて、作ったご飯を食器に盛ってあげていました。
部屋に上がって食べていくわけではなく、ご飯を貰うとお礼を言い、そのまま帰っていきます。
この謎の関係には最初驚きました。
月に一度の定例行事的にマンションの部屋の前に現れ、ご飯を貰うと帰っていくという関係は聞いたことがなかったです

次の日の会社での昼休み、みつ子は先輩のノゾミさんと多田君のことを話していました。
多田君はみつ子たちの会社の取引先の営業マンで、みつ子とは同い年とのことです。
ノゾミさんのほうは片桐直貴という同僚に並々ならぬ好意を寄せています。
ノゾミさんがカーターと呼ぶその人は、見た目だけなら真性のイケメンなのですが中身が個性的過ぎて周りからは敬遠されています。
カーターはみつ子より入社時期は遅いですが年上とのことです。

Aは場所も時間も問わず話しかけたらすぐに出てきてくれます。
そのAとの会話で、みつ子が「おひとりさま」や「女子会」という言葉が接待用語だということについて語っていました。
「最近だと女子とは言えない年齢の人たちの集まりを”女子会”って呼ぶのも同じ。
集まってもらって外食産業にお金落とさせて、経済を回したいんだよ。
”おひとりさま”や”女子”みたいな耳に心地良い言葉を並べてファッション雑誌やらグルメ本やらを売りたいだけ」

「女子とは言えない年齢の人達の集まりを女子会と呼ぶ」というみつ子の言葉が結構毒舌だなと思いました。
そして自身のおひとりさま経験によって色々と悟っているようでした。
女子についての私の考えは、「女子会」と言われてある女性達が乗り気になっているのであれば、その人達は気持ちは女子ということなので、女子で良いのではないかと思います。
そして「女子会」と言われて「えー、私達もう女子って年齢じゃないし」という言葉が出てくる場合には、その人達は自分達の年齢を女子とは思っていないということなので、これは女性などの呼び方で良いのではと思います。

時は正しく着実に過ぎている。普通、実家に帰れば日々の喧騒も忘れて昔にタイプスリップした気持ちになれそうなものだけど、「ドラゴンボール」に出てくる精神と時の部屋のごとく、時間が音もなく過ぎ去ってゆく悠久のときを奏でる我が一人暮らしの部屋に比べたら、実家の方がよっぽど”現在”にコミットしていた。
精神と時の部屋は見渡す限り真っ白な空間が無限に広がっていて、静寂に包まれていて音が全くありません。
自分の部屋をそう表現しているのが印象的でした。

綿矢りささんは比喩表現と文章の紡ぎ方が上手いのですが、今作は文章の言葉をだいぶ軽いタッチにしていました。
そこが一つ前の作品の「手のひらの京」が古風だったのとは大きく違うなと思いました。

洗濯をしている場面で、印象的な表現がありました。
洗濯機のふたを閉め忘れて、onのスイッチを押したら、いつもより水温がはっきり浴室に響いた。寄せては返す、小さな渦をつくる跳ねた水温が波のようで、しばらくそのまま聞いていたら、急に海に行きたくなった。
「寄せては返す、小さな渦をつくる跳ねた水温が波のようで、しばらくそのまま聞いていたら、急に海に行きたくなった」を見た時、「夢を与える」に出てきた「夜空を見上げると月が出ていて、月は薄く硬く、遠い異国の硬貨のようだ。」という表現が思い浮かびました。
何だか似ているものがあると思いました。
綿矢りささんのこういった表現は凄く良いと思います

ある時みつ子はついに多田を部屋に招きます。
ここから恋愛関係に発展していくのか気になるところでした。

年末の12月、イタリア人と結婚して現在はイタリアのローマに住む大学時代の友達、皐月からみつ子に手紙が来ます。
年末年始イタリアに遊びに来ないかという誘いで、みつ子は皐月の誘いに応じて久しぶりの再会を果たすべく年末年始イタリアに行くことにします。
冒頭の食品サンプル作りの一日体験講座に参加している場面を見た時は、まさか海外に話の舞台が移るような展開になるとは思っていなかったので驚きました。

言い訳として「仕事がいそがしいから」を使うことに対するみつ子の考えは印象的でした。
実際に死ぬほどいそがしいならいいが、好きな、やりたいことは何を置いてでもやるくせに、やりたくないことに直面すると「仕事が」と言い出す人は、私は嫌い。
やりたくないのは人の気持ちだからしょうがないけど、仕事が、と”社会に必要とされている”自分をアピールしながら相手に文句を言わせない言い訳が聞き苦しいと思う。
だから私はどれだけいそがしくても、できるだけ涼しい顔をしていたい。
必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」に、魂まで食われてしまいたくない。

この物語は全体で見ると軽いタッチで明るく描かれているのですが、時折みつ子が人間の心理に鋭く切り込みます。
みつ子はほんと表面的な言葉の裏に隠された別の意味をよく見ていると思います。
また「必要とされる喜びと利用される悲しみが混ざり合う「仕事」」という言葉も印象的で、これはたしかにその両面があると思います。

みつ子は飛行機をかなり苦手にしていて、イタリアに行く飛行機の中では完全に気分が悪くなってしまっていました。
何とかするためにAに助けを求めます。
「A、A」
「はい、なんでしょう」
「なんだその軽い返事は。おやつ食べてた人間がいきなり呼び出されて、ビスケットの粉を口の周りにくっつけたまま、ひょいと顔を出したような声は」
このAとの会話は面白かったです(笑)
Aはみつ子の脳内分身であり一心同体なのですが、飛行機に青ざめてしまって危機的なみつ子と全くそんなことはないAとの温度差が印象的でした。

イタリアでは皐月の家でかなり盛大なクリスマスパーティーが行われました。
親族たちがたくさん来て、次から次へと料理が出てきて、しかも皐月の旦那さんの母が「これも食べろ」と次々と勧めてくるため、あまりの料理の多さにみつ子はKOされていました。

日本に帰ってくると、ノゾミから意外な誘いが来ます。
ノゾミ、カーター、みつ子、多田の四人でディズニーランドに行かないかと言うのです。
カーターに並々ならぬ好意を寄せるノゾミはこのディズニーランドで何としても告白しようと決意を固めています。
みつ子と多田はまだ付き合っているわけではないのですが、みつ子がイタリアから帰ってきてから一緒にご飯を食べに行ったりもして仲良くなっていたので、もしかしたらディズニーランドで進展があるかもと思いました。
エレクトリカルパレードに遭遇した時、みつ子は次のように胸中で語っていました。
このパレードの名前の”エレクトリカル”の部分が好きだ。
スターサンライズパレードやドリームパレードとかではなく、電気の意味の”エレクトリカル”という言葉がこのギンギラした明るい山車(フロート)を直接的に表していて、ぴったりだ。

これはたしかにそう思います。
エレクトリカルパレード、良い名前だと思います。


全体的に綿矢りささんの作品の中では一二を争うくらい軽いタッチの明るい内容になっていました。
その軽いタッチの中にあって綿矢りささんらしい比喩表現や文章の紡ぎ方の良さも発揮されていて、楽しく読める上に純文学の文章表現力の高さも楽しめる作品になっていました。
王道純文学作品で見せる良さを大事にしつつ、新たな作風としてこういう作品も時には良いのではないかと思います


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