読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

城山登山道で岩国城へ

2018-06-28 22:07:31 | フォトギャラリー
4月22日、山口県岩国市にある錦帯橋(きんたいきょう)、吉香(きっこう)公園、岩国城に行きました。
※以前作ったフォトギャラリーをご覧になる方は次のリンクからどうぞ。
「アーチ型の錦帯橋」
「緑豊かな吉香公園」
「山の上の岩国城」

その時に今回は歩いて山を登って岩国城に行きました。
新緑と木漏れ日の中を上って行き、脚は疲れましたが山頂が近づき青空が広がり道が開けると嬉しくなりました


-------------------- 城山登山道で岩国城へ --------------------


錦帯橋にやってきました。


錦帯橋を渡った先にある吉香公園に来ました。


吉香公園に隣接する紅葉谷公園に来ました。


ここは紅葉の名所として知られ、日本紅葉の名所100選に選ばれています。


新緑が太陽の光を浴びてとても美しいです


山頂まで歩いて行きます。
山頂の少し下にある山頂駅まで1500mで徒歩約30分かかります。


坂道が続くので平地のようには足が前に出ていかないです。


太陽の光でキラキラ輝いている新緑もありました


もみじの新緑。
向こう側から太陽の光を浴びると明るさと静けさを兼ね備えた雰囲気になります。


とても小さな滝もありました。


和む雰囲気のししおどしもありました。


はなみずきの新緑。


地層が見えています。




ここからは少し錦帯橋が見えました。






小さなキャラクターの置物がたくさん置かれている場所がありました。


これも和む雰囲気でした。


疲れてきた頃にこの置物があり、気持ちを和ませて山頂に向かうことができました。




木漏れ日の上り坂にも終わりが見えてきました。




視界が開けてきました。


八重桜が散る中を進んで行きます。


この右手を見ると、


「城山おもしろぱあく」という円形の広場があります。


小さな藤の花がありました。
一つの木に二種類の色の花があります。


紫色の花。




薄い紫色の花。






からくり時計。
真ん中に鵜飼いの模型があります。


岩国城ロープウェー山頂駅に着きました。
前回作ったフォトギャラリーではロープウェーに乗って山頂駅で降りて岩国城に行きました。


山頂駅を降りてすぐ左手を見た眺めです。


岩国城に向かいます。


右手の階段からも左手の上り坂からも岩国城に行けます。
私は左手の上り坂から行きました。




旧岩国城の石垣。
江戸幕府の「一国一城令」で取り壊される前はここに岩国城がありました。


ついに岩国城に到着しました。
やっとたどり着いたかと嬉しい気持ちになりました。


麓から山頂駅までが1.5km、山頂駅から岩国城までが500mで、合計2kmです。
平地での2kmならそれほど疲れずに歩けますが、上り坂が続く2kmはかなり疲れました。
しかし山頂が近づき視界が開けてくるとワクワクしてきて、目指していた岩国城に到着すると嬉しくなり、ロープウェーで行くのとはまた違う面白さがあって良いと思います


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「おらおらでひとりいぐも」若竹千佐子

2018-06-23 20:28:33 | 小説


今回ご紹介するのは「おらおらでひとりいぐも」(著:若竹千佐子)です。

-----内容-----
結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷を飛び出した桃子さん。
身ひとつで上野駅に降り立ってから50年――
住み込みのアルバイト、周造との出会いと結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。
「この先一人でどやって暮らす。こまったぁ、どうすんべぇ」
40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子さんの内から外から、声がジャズのセッションのように湧きあがる。
捨てた故郷、疎遠な息子と娘、そして亡き夫への愛。
震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いた、圧倒的自由と賑やかな孤独とは――
青春小説の対極、玄冬小説の誕生!
第54回文藝賞(史上最年長)、第158回芥川賞受賞作。

-----感想-----
74歳の日高桃子さんは一人で暮らしています。
桃子さんの家は雑然としていて、一階の一つの部屋で衣食住全ての用が足せるようにしています。
語り方は桃子さんの一人称と誰かが桃子さんのことを語る形が混ざっています。
この作品は言葉が古風で、「さりながら、時至り、夫なる人も隠れては~」などの表現がよく登場します。

桃子さんは心の内側で何人もの「誰か」が東北弁で話しかけてきます。
そして桃子さんの思考はその大勢の人達の会話で成り立っていて、頭の中に大勢の人がいるのは認知症の初期症状ではと心配しています。
大勢の人達を次のように例えていました。
小腸の柔毛突起のよでねべが。んだ、おらの心のうちは密生した無数の柔毛突起で覆われてんだ。ふだんはふわりふわりとあっちゃにこっちゃに揺らいでいて、おらに何か言うときだけそこだけ肥大してもの言うイメージ。
心の内側で何人もの人達が話しかけてくると「柔毛突起ども、○○と言う」といった表現をしていて、「柔毛突起ども」という言葉に古風な雰囲気と笑いの雰囲気が混ざっていて独特の面白さがありました。

人の心についての次の言葉は印象的でした。
人の心は一筋縄ではいがねのす。人の心には何層にもわたる層がある。生まれたでの赤ん坊の目で見えている原基おらの層と、後から生きんがために採用したあれこれのおらの層、教えてもらったどいうか、教え込まされたどいうか、こうせねばなんね、ああでねばわがねという常識だのなんだのかんだの、自分で選んだと見せかけて選ばされてしまった世知だのが付与堆積して、分厚く重なった層があるわけで、つまりは地球にあるプレートどいうものはおらの心にもあるのでがすな。
人の心を地層に見立てているのが面白かったです。
最後の「つまりは地球にあるプレートどいうものはおらの心にもあるのでがすな」が言葉に壮大さがあって良かったです。

「十年一日(いちじつ)の繰り言」という言い回しも興味深かったです。
十年一日は長い年月の間何の変化もなく同じ状態であることで、繰り言は同じこと、特に愚痴などを何度も繰り返して言うことです。

3月、桃子さんはこの家で40年暮らしてきたことが明らかになります。
若さというのは今思えばほんとうに無知と同義だった。何もかも自分で経験して初めて分かることだった。ならば、老いることは経験することと同義だろうか、分かることと同義だろうか。
老いに意味を見出したこの考えは良いと思います。

梅雨になり、娘の直美から電話がかかってきます。
桃子さんは疎遠になっていた娘とまた話せるのが嬉しいです。
直美は2ヶ月前に孫娘のさやかを連れて久しぶりに桃子さんに会いに来て、桃子さんの代わりに買い物をしたりと世話をするようになりました。
桃子さんは直美に謝りたいと思っていて、自身が母親にされた接し方を自身も直美さんにしてしまっていました。
母親に過剰にせき止められていたことを、直美には同じ思いをさせたくないという思いから過剰に与えようとし、どちらも娘を意のままにしようとしたという点では同じでした。

直美が息子の隆を絵画教室に通わせたいからお金を貸してくれと言います。
桃子さんが返事できずにいると直美はお兄ちゃんにならすぐ貸すくせにと怒ります。
桃子さんはかつて息子の正司のふりをしたオレオレ詐欺に騙されて250万円を渡してしまったことがあり、直美はそのことで自身と兄への桃子さんの対応の違いに不満を持っています。
ただ私は、直美が急に桃子さんに優しく話しかけて世話をするようになったのはお金を貸してもらうためだったのかと思い悲しくなりました。

桃子さんは直美に電話を切られた後、オレオレ詐欺に騙されて250万円を渡したことについて次のように語っていました。
直美。母さんは正司の生ぎる喜びを横合いから手を伸ばして奪ったような気がして仕方がない。母さんだけでない。大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。
これは印象的な言葉でした。
桃子さんは正司とも疎遠になっていて、大学を中退してしばらく音信不通になったこともあり、その時は「もうおれにのしかからないで」と言って家を出て行きました。
そういったことがあり正司の人生が順調ではないのは自身のせいだと思っているため、オレオレ詐欺の「会社の金を使い込んでしまった」を聞いて罪滅ぼしとして何とかしてあげたいと思ったのだと思います。

高校を卒業して農協で働き始めて4年経った頃、母親がずっとこの家に居て働け、それがこの家のためにもなると言ってきて桃子さんは愕然とします。
その年の秋、組合長の息子と縁談が持ち上がり結婚することになりましたが、あと3日でご祝儀という日に東京オリンピックのファンファーレが鳴り、桃子さんはその音に押し出されるように故郷の町を飛び出します。
ずっとこの家に居るのはもう嫌だと思いました。

8月の終わりになります。
人がたくさんいる場所に居たいと思った桃子さんは病院の待合室に行きます。
桃子さんが高揚した気持ちを語る次の文章は印象的でした。
相変わらず訳の分からない高揚感は続いていて、おまけに電車に乗るバスに乗るという非日常感と相まって気分は最高潮、知らない爺さんとだって、肩を抱き寄せ頬を摺り寄せたいぐらいの勢いで病院の待合室の長椅子におさまったのだった。
これは綿矢りささんの「インストール」の「私は悠然と背筋を伸ばし、気分は博打女郎(ばくちじょろう)で、かかってきなさい、楽しませてあげるわ。」の文章と似た雰囲気のある文章だと思いました。

また桃子さんは物事を深く考える人で、自身のことを「普段は理詰めでものを考えたいタイプの人間である。」と語っていました。
この作品は「AがあるからBがあり、よってCになる」といったような理論立てた文章がたくさんあり、又吉直樹さんが「火花」で見せた理論立てた文章が思い浮かびました。
私はこの作品について、綿矢りささんのリズムの良い文章と又吉直樹さんの理論立てた文章を合体させた印象を持ちました。
そこに東北弁が入り理論立てた文章が親しみやすくなっています。

桃子さんには周造という亭主がいましたが既に亡くなっています。
家を飛び出して上野の大衆割烹の店で働いていた時に周造に出会いました。
周造も桃子さんと同じ故郷の人で、八角山という山を知っていました。
桃子さんは出会ったばかりの周造を「虔十(けんじゅう)だ。あの宝石のような物語の主人公が目の前にいる。」と胸中で語っていて、虔十とは誰のことか調べてみたら宮沢賢治の「虔十公園林」という短編童話に登場する人物だと分かりました。
さらに「周造は桃子さんが都会で見つけたふるさとだった。」とあり、これは良い言葉だと思います。
周造と居ると気が休まるのだと思います。

秋のある日、桃子さんはなかなかベッドから出られずにいます。
「輾転反側(てんてんはんそく)なんども寝返りを繰り返していた。」とあり、輾転反側も初めて聞く言葉なので調べてみたら何度も寝返りを打つこととありました。
桃子さんは周造の懐かしい声が耳に聞こえてベッドから飛び起き、周造が眠る市営霊園に歩いて行きます。
ベッドから飛び起きてからの文章にスピード感があり、ぎっちりとした文章ですがどんどん読めました。
本作の題名にもなっている「おらおらで、ひとりいぐも」という言葉も登場しました。
「私は私で、一人行く」の方言で、この言葉は宮沢賢治の「永訣の朝」という詩の一節をもじっていて、周造のいる世界(あの世)に行くということのようです。

霊園に向かいながら桃子さんは周造とのことを思い出し、さらにこれまでの人生を振り返ります。
桃子さんは周造が亡くなった時、惚れた男ですがその死に一点の喜びがあることに気づきます。
おらは独りで生きでみたがったのす。思い通りに我れの力で生きでみたがった。と胸中で語っていました。
「周造はおらを独り生がせるために死んだ」と考えて周造の死を受け入れました。

桃子さんは死について次のように語っていました。
死は恐れでなくて解放なんだなす。これほどの安心ほかにあったべか。安心しておらは前を向ぐ。おらの今は、こわいものなし。
私はまだこうは考えられず、死は怖いです。

市営霊園に着いた桃子さんは周造のお墓で持ってきた弁当を食べます。
「黙々とにぎやかに食べる」という相反する言葉を使った表現が面白く、一言も話さず静かに食べていますが食べ方はにぎやかということだと思います。


リズムの良い文章と理論立てた文章を併せ持っているのが印象的な作品でした。
語りには岩手県の方言がたくさん使われていて、慣れない言葉なのであまりスピードを出しては読めませんがゆっくり読むことで理論立てた文章の想像と理解がしやすくなりました。
若竹千佐子さんは55歳で小説口座に通い始め、8年経って執筆した本作で第54回文藝賞を史上最年長63歳で受賞し、翌年には第158回芥川賞も受賞しました。
何かを始めるのに遅いということはないのを体現していて、リズムの良い文章、理論立てた文章ともに優れているのでこの二つを生かして活躍していってほしいです


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「毛利元就 第四回 女の器量」

2018-06-13 21:50:08 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第四回 女の器量」です。

-----内容&感想-----
松寿丸(しょうじゅまる)は重臣の井上元兼(もとかね)によって城から追い出され、納屋に閉じ込められて過ごします。
元兼は「松寿丸様には物事を深く考え、人を慈しむという気質が欠けている」と言い、源氏物語を読むように言います。
「腰砕け男」が主人公の源氏物語を読ませて松寿丸を腰砕けに教育して元兼の思うがままの城主にしようとしています。


松寿丸(画像はネットより)。

杉は侍女の久(ひさ)に「私はこんな同じ毎日を繰り返して、死んでいくのかのう」と言い、毎日に楽しさがないと感じています。
久が「井上様が館を建ててお迎えしたいと申しておりましたぞ」と言うと「ありがたいとは思うが、面白うはない」と言い、気が乗らないようです。
杉は亡き弘元との日々に思いを馳せ、「あれは面白い日々じゃった。松寿丸と憎しみ合って立ち回りをして、相合(あいおう)と激しくお方の座を争って、嫌なことばかりなのに、今になるとみんな面白かった」と言い、さらに次のように言います。

「嫌なことを、何とか良い方向に変えようともがくことこそ、生きる面白さじゃのう」

この言葉は印象的でした。
私は嫌なことは起きてほしくなくて、面白さも感じられないですが、杉のように考えられると人生にどんな波乱があっても楽しめるだろうなと思います。


杉の方(画像はネットより)。

先の将軍足利義稙(よしたね)を奉じて京都に上洛した大内義興(よしおき)は現将軍足利義澄(よしずみ)との戦を前に酒宴を開く余裕を見せます。
松寿丸の兄、興元(おきもと)も参加していて、緊張でがちがちになっていました。
安芸の旧守護、武田元繁はかつては大内に対抗できる力がありましたが今では牛耳られていて、元繁はそのことを苦々しく思っています。


大内義興(画像はネットより)。

周防(すおう)、長門(ながと)の国人領主のみならず安芸の国人もこぞって義興に従い上洛していて、出雲の尼子経久(つねひさ)は「安芸におけるお力、見せ付けられた思いが致しました」と義興を褒め称えます。
さらに「此度(こたび)は、大内殿にその戦ぶりを教えて頂きたく、勇んで上洛を致した次第」とお世辞を言います。
そんな経久を見て重臣の亀井秀綱が「大内の力を見て、怖気ずきましたのか!」と言うと、経久が狙いを語ります。
経久が京都に上った理由は二つあり、一つは大内の勢いを見ること、もう一つは武田の顔を見ることです。
武田が大内への憎しみを隠すのに必死の顔だったことから、経久は武田を利用できると考え、手を組もうとします。
出雲一国さえまだ平定できない尼子が、安芸に進み、瀬戸内をものにし、大内に対抗しようなどと誰が気付くものかと考えています。

「人間、力がないうちだからこそ、やれることがある」

経久のこれは印象的な言葉でした。
大内の力に圧倒されているように見せかけて、その裏では虎視眈々と勢力拡大を狙っています。


尼子経久(画像はネットより)。

筆頭重臣の志道広良(しじひろよし)と、裏で尼子に通じている重臣の桂広澄(ひろずみ)との話で、広澄が「井上殿は金と、後見人という立場と、杉殿と、要所要所を抜かりなく手を打って、大内に接近している」と言います。
広澄が「我らは別の道を考えてなくて良いのか」と言うと広良が「大内から鞍替えして、尼子にでも付きまするか」と言い二人とも大笑いします。
しかし二人とも目にはただの笑いではない雰囲気がありました。
広良は広澄の心の内を知っていて言っているように見え、広澄は面と向かって尼子の名前が出てきたことで気まずさを誤魔化すために笑っているように見えました。

武田は最初経久の「尼子が北から攻め、武田が南から攻め、安芸を挟み撃ちにして攻めよう」の誘いを断ろうとしていましたが、経久の言葉を聞いて考えが変わります。
「安芸の名族、武田氏が滅びるなら、それはそれで華の余韻を残すと考えるが、今の武田氏は大内に見くびられた扱い。見くびられて永らえることの、どこに華を見出しまするか!」
相手の心を巧みに操っていて、やはり経久は調略が上手いと思います。

蔵に閉じ込められている松寿丸に毛利家家臣の子、平太郎と次郎が会いに来ます。
次郎は平太郎の弟です。
松寿丸は「弓を引かせてくれないか」と頼みますが二人は「井上殿に見つかったら大変だ」と断ろうとします。
しかし松寿丸は強引に二人を連れて戦道具のある櫓(やぐら)に忍び込みます。
その帰り道に警護に見つかってしまい、平太郎が飛んできた矢に当たり殺されてしまいます。

知将と呼ばれ安芸の国の小領主から中国地方10ヶ国、120万石の大名に上り詰める毛利元就が子供の頃はこんなに浅はかに描かれるとは意外です。
しかし子供の頃のいくつもの苦い経験が後の知略に長けた毛利元就に繋がっていくのだと思います。

元兼が「平太郎は死んだが、弟の次郎への罰として野田家は取り潰し」と言い、広良、広澄、渡辺勝(すぐる)もそれしかないと言います。
広良が「古人いわく、泣いて馬謖(ばしょく)を斬る。心で泣いても、厳しい処分をせねば、統率がつきませぬ」と言っていて印象的な言葉でした。
次郎は「地の果てに行こうと、一生、松寿丸様を恨む」と言います。
翌朝次郎の姿は消えていて、「後に瀬戸内の水軍に拾われた次郎が、凛々しい海の武将となって元就と劇的な再会を果たすのは、ずっと先のことになります」とナレーションがありました。

元兼は杉のために屋敷を建て、迎え入れようとしていました。

当初杉は元兼の屋敷を建てての迎え入れを気が乗らないながらも受けると言っていましたが、広良、広澄、勝、元兼での話の中で、広良から杉が断ったことが伝えられます。
広澄が心にもない様子で「わしが女子なら一も二もなく井上殿のお側に上がる(側室になる)」と言っているのが面白かったです。
久が杉に「何ゆえお断りになられた」と聞くと「良い暮らしは、飽きるということに気付いた」と言います。
「良い暮らしはしたいが、良いだけの暮らしも飽きるもの。困ったものよのお」と言っていましたが、私は良いだけの暮らしがしたいです。
久の「杉様、この先どうなるか分かりませぬぞ」の言葉には「先が分からぬほうが、生きていることは面白いではないか」と言っていました。

松寿丸は自身のせいで平太郎が死に、野田家が取り潰しになったことでショックを受け、何日も高熱を出して寝込んだままになります。
元兼が杉に、松寿丸が閉じ込められている蔵に一緒に住んで世話をするように言います。
側室になるのを断られたことへの仕返しでした。
杉も意地で「お引き受けします」と言い松寿丸の世話を始めますが、侍女が運んできた夕膳を杉が寝込んでいる松寿丸のそばに置くと、「そちが触ったものはそばに置きとうない」と言いひっくり返してしまいます。
二人はかなり険悪な雰囲気でした。
また久は元兼によって暇を出され、国に帰ることになります。

高熱にうなされた松寿丸が誰かに助けを求めるように天に手を伸ばしているのを見て、杉はその手を掴みます。
「殿!しっかりなさいませ!」
松寿丸は無意識でしがみついてきます。
杉は「大丈夫ですぞ。一人じゃありませぬぞ」と優しく声をかけます。
松寿丸の孤独を杉は初めて感じ取っていました。


松寿丸に酷く嫌われ喧嘩ばかりしていた杉ですが、助けを求めるかのような手を見た時は迷わずその手を掴んでいました。
喧嘩ばかりしていても助けたい思いが自然に湧いていたのは杉の持つ優しさだと思います。
これまで仲の悪かった松寿丸と杉がこれをきっかけに打ち解けていくことが予想され、その様子を見るのが楽しみになりました


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

とうかさん大祭 夜の風景

2018-06-10 20:53:59 | フォトギャラリー
※「とうかさん大祭 昼の風景」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

6月2日の昼間にとうかさん大祭を見た後、夜になってからもう一度行きました。
夜になると福昌山慈善院圓隆寺(ふくしょうざんじぜんいんえんりゅうじ)の500個の提灯が温かな赤色に灯り幻想的な雰囲気になるとあり、ぜひ見てみたいと思いました。
祭りの雰囲気を楽しみながら歩いていき辿り着いた圓隆寺では温かく幻想的で、そしてきらびやかな景色が待っていました


-------------------- とうかさん大祭 夜の風景 --------------------


中央通りにやってきました。
昼間来た時は車が走っていましたが夜は歩行者天国になっていました


普段は歩けない場所なのでワクワクしながら圓隆寺に向かって歩きました。


中央通りからえびす通りを見るとこのようになっていました。


1枚上の写真の反対方向です。
夜になるとかなり人が増え、浴衣の人も増えていました。


歩行者天国は混雑防止のため圓隆寺に向かう道と戻る道をそれぞれ一方通行にした箇所がいくつかありました。




いくつものチームによる踊りや太鼓なども行われていました。


人混みがかなり激しくなってきました。


堀川町交差点から横に伸びていく通りを見ています。


1枚上の写真の反対方向です。




「ゆかたで来なさい」を広島弁で言うと「ゆかたできんさい」になります。
「ゆかたできん祭」は、とうかさん大祭の期間に広島市内のいくつものお店で開催されているイベントです。
浴衣で来店すると値引きしてもらえるなどの特典が受けられます


行列ができていたので見てみると、


ぼんぼりを持って写真を撮ってもらえるコーナーでした


広場のある通りに入っていきます。




広場では盆踊り大会が行われていました


広間は閑散としていた広場が夜は大混雑になっています。






中央通りに戻ってきました。


太鼓の出番を待つ子達。


よさこいソーランもやっていました。


夜はシャッタースピードが落ちるため、速い踊りにカメラがついていけなかったです。


「嵐舞琉」というチームで、みんな楽しそうに踊っていたのが良かったです


ついに左奥に圓隆寺の提灯が見えてきました。


圓隆寺に着きました。
たくさんの赤色の光の提灯が迎えてくれ、温かく幻想的な雰囲気になっています。


まるで提灯が雨になって降ってくるかのようです。


今年は「とうかさん」の愛称で親しまれる圓隆寺が開山して400年の節目の年です。
そして来年は「とうかさん大祭」が400回目の節目を迎えます。
節目のとうかさん大祭は今年以上に盛り上がるような気がします。


境内に入りました。
昼間よりさらに人が増え大混雑でした。
そしてたくさんの提灯が光り輝いてきらびやかになっています


再び御神体の稲荷(とうか)大明神に参拝します。


稲荷(いなり)を地元の人が音読みで「とうか」と呼んだのが稲荷(とうか)大明神の名前の由来です。
なのでお祭りの名前の「とうかさん」は、稲荷さん(いなりさん)が「とうかさん」になったのかなと思います。


お坊さんが稲荷大明神にお経を唱えていました。


昼間と同じようにこちらにも参拝しました。
中では祈祷が行われています。


写真中央のお坊さんは圓隆寺を開山した人か、宗派の開祖の人かなと思います。


祈祷は何人かの人ごとに一括して行ってくれます。
申し込み用紙に名前などを記入するので、祈祷が終わるとそれぞれの人の名前が呼ばれ、お札が配られます。


上からの眺めです。






下りてきました。


壱法符(いっぽうふ)売り場は昼間も夜も大盛況でした。


私は4回引きましたがパソコンなどの大物は当てることができなかったです。
しかし雰囲気を楽しめたので満足しています




おみくじ、提灯、厄除けうちわ、お守りなどの売り場。




圓隆寺を出ました。
温かな赤色の提灯はお寺の祭礼によく合う雰囲気だと思います。


とうかさん大祭の夜の雰囲気、とても良かったです
歩行者天国になった中央通りでは躍りや太鼓が行われ、広場では盆踊り大会が行われ、まさにお祭りの日の夜の楽しい雰囲気になっていました。
圓隆寺の赤色に灯る提灯はお寺を温かく幻想的にきらびやかに照らし、包み込まれているかのようでした。
広島に夏の訪れを告げる「とうかさん大祭」、素晴らしいお祭りだと思います


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とうかさん大祭 昼の風景

2018-06-09 21:40:09 | フォトギャラリー
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6月1日から3日まで、広島でとうかさん大祭が行われました。
とうかさん大祭はえびす大祭・住吉祭と並び広島の三大祭りに数えられ、毎年6月第1金曜から土曜、日曜の3日間開催され、広島に夏の訪れを告げる祭りとして知られています
広島市の繁華街にある福昌山慈善院圓隆寺(ふくしょうざんじぜんいんえんりゅうじ)に祀られている御神体「稲荷(とうか)大明神」の祭礼で、とうかさんの名前の由来は地元の人達が稲荷(いなり)を音読みで「とうか」と呼んでいたことです。
前回山陽に住んでいた時には見られなかったこのお祭りを今回はぜひ見てみたいと思い6月2日に行ってみました


-------------------- とうかさん大祭 昼の風景 --------------------


圓隆寺にやってきました。


とうかさんは「ゆかたの着始め祭り」としても有名で、祭りの日を境に広島の街では浴衣姿の人が見られるようになります。
日本で一番早く浴衣を着て出かけるお祭りとも言われています


とうかさんでは「破魔うちわ」という厄除けうちわを売っています
このお祭りでしか手に入らないうちわで、私も購入しました。


圓隆寺には500個の提灯が飾られ、夜になると温かな赤色の光で満たされます。


6月2日の祭りの時間は12:00~23:00で、13:00過ぎの早い時間帯に来ましたが既に境内には多くの人が来ていました。


広島気ばり地蔵尊。
本気、やる気、勇気、元気、根気、負けん気、活気、短気、弱気、浮気、病気など、訪れた人のあらゆる気を高めたり、除いたりしてくれます。


手水舎(ちょうずや)。


稲荷大明神に参拝します。






右手の階段を上っていくと、もう一つ参拝できる場所があります。
中では祈祷を行っていて、希望すれば家内安全、交通安全、健康祈願、開運祈願、心願成就、厄除けなどの祈祷をしてもらえます。




階段を下りたらコンサートの準備をしている人達がいました。




参拝記念の「壱法符(いっぽうふ)」売り場。
一つ300円で、購入すると必ず「おたのしみの品」が付いてきます。
お菓子が付くことが多いですがパソコン、デジタルテレビ、肩叩き機など高価な品もあり当たっている人が何人もいました


とうかさん公式ホームページに解説があり、壱法とはこの世に二つとない存在のことで、私達自身です。
壱法符は祈祷済みで、肌身離さず持つお守りとなります。
稲荷(とうか)大明神のご加護のもと、大願成就のご利益をもたらすとあり、心強いお守りです


おみくじ、提灯、厄除けうちわ、お守りなどの売り場。




近年の私はおみくじを引くのが怖くなり、吉凶の出ない明治神宮の「大御心(おおみごころ)」以外のおみくじは引けなくなっています。


しかし縁日ではやはりおみくじは気になります。
いつかまた引けるようになったら良いなと思います。


圓隆寺の外に出ます。






お祭りでは圓隆寺の外からも参拝することができます。
ただやはり貴重な縁日なので私は境内に入って参拝しました。


とうかさん大祭の街の様子を見ていきます。


直線になっている中央通りを歩いています。


街にずらりと露店が並ぶのはとても新鮮な景色です。


6月最初の週末は全国的にまだあまり夏祭りが行われておらず、各地から露店が集まってくるため、とうかさん大祭には1000店近い露店が出ていると知り驚きました。


広場に来ました。


夜になると盆踊り大会が行われます。


平和大通りに来ました。


ここにもたくさんの露店が出ています。


左手に人だかりができているのは、


お化け屋敷です。
夏祭りの名物だなと思います。


こちらはゾンビ村。
おどろおどろしい雰囲気が道行く人々の注目を集めていました。


平和大通りから一本細い道に入るとのんびりとした雰囲気になります。


この雰囲気もお祭りの日らしくて良いと思います


初めて訪れたとうかさん大祭、浴衣姿の人がたくさん歩いているのが印象的でした。
日本で一番早く浴衣を着て出かけるお祭りと言われているとおり、6月最初の週末に浴衣を着るお祭りは珍しいと思います。
そして浴衣姿の人がたくさん歩いているのを見て、今年も夏が来たのだと感じました。
私の一番好きな季節でもあり、とうかさん大祭を見て気持ちが夏になることができて良かったです


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「かがみの孤城」辻村深月

2018-06-03 22:34:17 | 小説


今回ご紹介するのは「かがみの孤城」(著:辻村深月)です。

-----内容-----
あなたを、助けたい。
学校での居場所をなくし、閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。
輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。
そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた――
なぜこの7人が、なぜこの場所に。
すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる。
生きづらさを感じているすべての人に贈る物語。
一気読み必至の著者最高傑作。
2018年第15回本屋大賞受賞作。

-----感想-----
近年色々あり、人間の心に迫ることも多い辻村深月さんの作品は読むのをためらっていました。
しかし「かがみの孤城」が今年の本屋大賞を受賞したニュースを見た時、「これはぜひ読まなくては」という強い思いに駆られ、書店に行って手に取りました。

「第一部 様子見の一学期」
主人公は南東京市にある雪科(ゆきしな)第五中学校一年生の安西こころです。
学校には4月しか行くことができず5月になると休むようになり、毎日家で過ごしながら学校に行けない自身に苦しんでいました。
カーテンの布地の淡いオレンジ色を通し、昼でもくすんだようになった部屋は、ずっと過ごしていると、罪悪感のようなものにじわじわやられる。自分がだらしないことを責められている気になる。
これは印象的な言葉で、カーテンを閉め切った部屋で絶望しているこころの姿が思い浮かびました。



こころは「心の教室」という不登校の子が通うスクールに行こうとしましたが最初の日の朝に普段中学校に行けない時のようにお腹が痛くなり行けなくなります。
そんなこころを見て母親はうんざりした目を向け仮病を疑い、こころが胸中で「仮病じゃない」と繰り返しているのが印象的でした。

いつものようにおなかが痛い。仮病じゃない。本当に痛い。

行かないんじゃなくて、行けない。


これは気持ちはスクールに行こうとしていますが、朝になると自身の意思とは無関係にお腹が痛くなって行けないということです。
中学校だけでなくスクールに行こうとしてもお腹が痛くなるのが印象的で、中学校での辛い経験で身体が「学校」的なものに拒否反応を示し、それが腹痛となって現れるのだと思います。

母親とスクールの見学に行った日、こころは責任者の先生が母親に「小学校までのアットホームな環境から、中学校に入ったことで急に溶け込めなくなる子は、珍しくないですよ」と言っているのを聞きます。
こころは「そんな、生ぬるい理由で、行けなくなったわけじゃない。」と胸中で語っていて、何があったのか気になりました。

スクールに行けなかった日のお昼、母親が家に電話をかけてきて「これからだよ、がんばろう!」と言います。
私は苦しんでいる人に頑張ろうという言葉は使わないほうが良いと思います。
今が頑張っていないように聞こえると思います。

こころの家には同じクラスの東条萌が毎日ポストに学校の手紙を入れに来ていて、こころは東条が来ると凄く緊張します。
東条は新学期が始まって少しした頃に転校してきて、最初はこころと仲が良かったです。
しかしこころは同じクラスの真田美織(みおり)達に目をつけられ、無視されたり陰口を言われたりするようになり東条も離れていきます。

こころは感受性が豊かで、さらに物事を常に悪いほうに考えているのが印象的です。
相手が自身のことを悪く思っているのではと気にしていました。

ある日、こころの部屋にある鏡が光り輝き、手を触れると鏡の向こうに引きずり込まれます。
鏡の向こうでは城の前に立っていて、狼の面をつけた少女が「安西こころさん、あなたは、めでたくこの城のゲストに招かれましたー!」と言います。
こころは怖くなって逃げようとしますが少女は「願いが叶うんだぞ!平凡なお前の願いをなんでも一つ叶えてやるっつってんだ!話、聞け!」と言って捕まえようとします。
もう一度鏡の中に入って逃げていくこころに少女は「明日は来いよ!」と言い、乱暴な口調なのが印象的です。

翌朝また鏡が光りこころは中に入っていきます。
今度は城の中に入り、こころと同じ中学生くらいの子どもがこころを入れて7人いました。
狼面の少女は自身を”オオカミさま”と呼べと言います。
そして「この城の奥には、誰も入れない、”願いの部屋”がある。入れるのは一人だけ」と言い、さらに次のように言います。

「お前たちには今日から三月まで、この城の中で”願いの部屋”に入る鍵探しをしてもらう。見つけたヤツ一人だけが、扉を開けて願いを叶える権利がある」

城が開いているのは今日から3月30日までで、毎日城が開くのは朝9時から夕方5時までです。
5時には鏡を通って家に帰らなければならず、城に残っていると巨大な狼に食われるという恐ろしいペナルティーがあります。
他の6人はマサムネ、アキ、スバル、ウレシノ、フウカ、リオンです。


右ページの右がこころ、左上がマサムネ(中学2年)、左下がオオカミさま。
左ページの右上がアキ(中学3年)、右下がスバル(中学3年)、左がウレシノ(中学1年)。


上がフウカ(中学2年)、下がリオン(中学1年)。

こころは6人を見て次のように感じていました。
ジャージ姿のイケメンの男の子(リオン)、ポニーテールのしっかり者の女の子(アキ)、眼鏡をかけた声優声の女の子(フウカ)、ゲーム機をいじる生意気そうな男の子(マサムネ)、ロン(ハリー・ポッターの登場人物)みたいなそばかすの、物静かな男の子(スバル)、小太りで気弱そうな、階段に隠れた男の子(ウレシノ)。
7人にはハワイの学校に行っているリオン以外は学校に行っていない共通点があります。

やはりこころは感受性が豊かで、再びお腹が痛くてスクールに行けないと言った日、「お母さんは、挨拶すら、今朝はしていってくれなかった」と気にしていました。
さらに初めて城に行った日、他の6人が自身より先に家に帰ったのを知り、仲間外れにされていないかと心配していました。
周りをとても気にしているのが分かります。

こころには叶えたい願いがあります。
真田美織が、この世から消えますように。
真田美織への恨みの深さが分かる怖い言葉でした。

こころが最初の日以来初めて城に行くと、マサムネとスバルがいます。
マサムネは鍵を探していますがスバルはあまり興味はなくマサムネの鍵探しに協力しています。
マサムネの両親が「あんなレベルの低い学校には行かなくて良い」と言っていることにこころは驚きます。
マサムネ、スバルと話した日、こころは「ここに来るのは、怖くない。」と思います。
こころが初めて周りを怖がらなくなった場面で印象的でした。

アキのコミュニケーション能力の高さにこころは驚嘆し、こんな人がどうして学校に行けないのかと思います。
しかしこころが部活の話をするとアキは途端に冷めた反応になり、あまり学校関係の話はしたくないようです。

こころがウレシノに「よろしく」と言うとウレシノは「ライバル、増えちゃったな」と言い、それを聞いてこころは体が固まります。
「穏やかそうな人だって思ってたのに」と胸中で語っていて、相手のことをどんどん考え込んでいくのが分かりました。

ウレシノはアキが好きで、願いの鍵で叶えたい願いはアキと付き合うことです。
しかしとても惚れやすい体質で、今度はこころに惚れてやたらと話しかけるようになります。
そんなウレシノを見てフウカが「ばっかみたい」と言い、その声を聞いてこころは二度と思い出したくない声を思い出します。

「ばっかじゃないの、マジ死ね」

少しずつこころに何があったのか明らかになっていきます。
こころは男子と一緒にいるところを極力、他の女子に嫌な感じに見られないように気を遣ってきたとあり、男子が原因で真田美織に酷い目に遭わされたことが分かりました。

真田美織は池田仲太(ちゅうた)に告白して付き合います。
池田はこころが小学校6年生の頃に同じクラスだった子で、当時こころのことが好きでした。
真田美織はそれでこころを逆恨みし、ある日池田にこころと話をさせ、「俺、お前みたいなブス、大嫌いだから」と言わせます。
真田美織は離れた位置からその様子を見ていて、「仲太、お前のことなんか好きじゃねえんだよ!」「無視してんじゃねえ、ブース!」「ばっかじゃないの、マジ死ね」と言ってきます。
私はこれを見て真田美織は最低だなと思いました。
自身が付き合うことにした池田が他の子のことを好きだったのが許せず排除しようとしたのだと思いますが、池田の心を独占するためなら他人に平気で罵詈雑言を吐けるのはそれだけ内面が醜いということです。
そんな姿を見れば池田の心は遠からず離れていくと思いました。

こころは休みの日も家に籠っていて、「家の外に出てクラスメートに会ってしまったらどうしようと考えると気持ちが悪くなった。想像するだけで、足がすくんだようになる。」とありました。
これは学校に行っていない自身の姿をクラスメートに見られる嫌な場面が頭をよぎり、気持ちが押し潰されて動けなくなるのだと思います。

ウレシノに困っていたこころですが、何とウレシノは今度はフウカを好きになります。
アキの誘いで女子三人で食堂でお茶をします。
城には水道もガスも来ていませんが電気だけは来ていて、これは物語の最後で明らかになる城の正体につながっていました。
フウカが「こころちゃん」と呼んでくれてこころは嬉しくなります。

こころは二人に真田美織のことを話します。
ある日、真田美織がたくさんの友達を引き連れてこころの家に押し掛けます。
友達は乱暴に家の扉を叩き「出てこいよ、いるんだろ」などと言い、真田美織は「出てこい!卑怯だよー!」と言います。
何がどう卑怯なのかさっぱり意味不明な主張です。
家に押し掛けられたこころは恐怖で震えていました。
真田美織は「どうして出てこないの、ひどい」「卑怯だよ、こんなの」と泣きながら言い、なぜか自身を「卑怯なこころに苦しめられる可哀想な私」という被害者のポジションに置いていました。
私はこの手の、どう見ても非道で下劣なことをしているのは自身なのに、相手のせいにして被害者のポジションを取ろうとするような人は嫌いです。
そんな真田美織達をこころは「あの子たちの世界は、どこまでも自分たちに都合よくしか、回っていなかった。」と語っていて、そのとおりだと思いました。
「許せない」と誰かが言うと、こころは次のように思います。

許さなくていい、とこころは思った。
私も、あなたたちを絶対に、許さないから。


家への押し掛け事件で心が破壊され、翌日から学校に行けなくなります。
私も真田美織の所業は最悪であり、報いを受けさせるべきだと思います。
私の考えた案は次のようになります。

真田美織のような、口と立ち回りが上手く友達や先生を味方につけて好き放題やるタイプを始末するには、学校内に外道ぶりを見抜いている人がいるのを思い知らせるのが良いと思います。
真田美織のようなタイプは相手には平気で酷いことをしますが、その行為がばれて自身の評判や内申が悪くなり進学に響いたりするのは恐れる傾向があるように見えます。
なので、まず教師達に真田美織が嫌がらせをしたり罵詈雑言を浴びせたりしているのを伝えるのが良いと思います。
教師達に知らせることによって徹底して大問題化させ、真田美織の悪辣さに学校中の注目が集まるようにするのが重要です。
担任の先生が公平な立場で見てくれる人なら担任の先生に言い、真田美織に取り込まれているようなら学年主任の先生や保健室の先生など、他の先生に助けを求めるようにします。
その先生が真田美織の悪辣さを知れば全く何もしないことは考えずらく、教師達に悪辣さが知らされ、いずれかの先生が必ず真田美織を呼び出すことになると思います。
そこで真田美織は「自身の悪辣さを先生に知られている」ことを知ることになり、プレッシャーを与えることができます。
真田美織は口と立ち回りが上手いため、相談する先生に「口と立ち回りが上手いので被害者のふりをすると思いますが、実際には私にこのような悪辣なことをしています」という伝え方にするとより良いです。

二人に真田美織のことを打ち明け終え、こころは涙を流します。
それまで心が凍り付き涙も流さずにいたこころが初めて涙を流し、これは良い傾向だと思いました。

夏休みになり、こころは父に「これでお前、世の中から浮かないぞ」と言われショックを受けます。
かなり無神経な発言で、「学校に行けない」を「学校をさぼっている」と勘違いしている人はこのような認識になるのだと思います。
しかし母はこころをかばってくれ、この頃にはこころを仮病扱いはせずスクールに行けとも言わなくなっていました。
「心の教室」の喜多嶋先生という女性の先生と連絡を取り合ってアドバイスを受けていました。

城に来てアキやフウカに会うことはこころにとって何よりの楽しみになっていました。
しかしフウカとは学校の話が少しずつできるようになりましたが、アキには相変わらず話題に出してはいけない雰囲気があります。
ある日こころはフウカの誕生日プレゼントを買いに近所にあるカレオというショッピングモールに行こうとして、これは勇気が要ると思います。
久しぶりに家の外に出ると、雪科第五中学のジャージを着た男子二人の姿を見て足がすくみます。
男子二人が話しているのを見て、「自分のことを悪く言ってるんじゃないか」という気持ちになるとありました。
こころはショッピングモールまではとても行けないことを悟ります。

ショッピングモールには行けなかったものの、より近所にあるコンビニでプレゼントを買ったこころはフウカに渡そうとしますが、フウカは夏期講習に一週間くらい行き城に来なくなります。
普段は女子三人でいることが多い食堂に珍しくリオンがやってきて、プレゼントを渡せなくて残念だったなと言い、その言葉を聞いてこころはショッピングモールに行けなかったことなどの胸のつかえが取れます。

こころと同じくマサムネも夏休みになってからもずっと城に来続けていました。
マサムネがこころに携帯ゲーム機を貸してくれると言いますが、こころがRPGはあまりやったことがないと言うと途端に不機嫌になります。
その日の午後マサムネが城に来なくなり、こころは「もう、あのオタク!」と呟きながらソファに載ったクッションを叩きます。
こころが怒るのを初めて見て、心が凍り付いた状態から変わってきているのが分かりました。

こころが城に行っている時に母が帰ってきて不在を知り、どこに行っていたのかと聞かれ、本当は苦しくて出掛けられないのに出掛けていたと言うしかないのが辛いとありました。
こころは胸中で「どうして、あの場所に黙って行かせておいてくれないのだろう。こころに、過ごし方をまかせておいて、くれないのだろう。」と語っていましたが、親は不登校の娘が昼間いなくなっていれば当然心配すると思います。

こころが一日休んで城に行くと、スバルが髪を茶色に脱色してピアスをしていて驚きます。
スバルは常に紳士的に爽やかにこころに接していたのでちゃらくなったのは意外でした。
またウレシノが突然二学期から学校に行くと言います。


「第二部 気づきの二学期」
今度はアキが髪を赤色に染めて香水を付けて現れます。
城に来ている子達に次々と変化が現れそれぞれ何かが起きているのだと思いました。
また、フリースクールに親が連れていかなかったかというマサムネの問いかけにフウカが「お母さん、忙しいから」と目を伏せて言う場面があり、フウカは母親と何かあるのだと思いました。

9月の中旬、学校に行くと言っていたウレシノが傷だらけの姿で再び現れます。
ウレシノの家は裕福で、中学になってから友達になった子達に出掛けた時のマック代などを何度か奢っているうちに段々それが当然のように接してくるようになり、友達の子達は変になっていきました。

喜多嶋先生がこころの家を訪ねてきます。
喜多嶋先生はなぜスクールに来ないのかやなぜ学校に行けないのかを聞いたりはせず、単に久しぶりにこころに会ってみたくて来たと言います。
こころが学校に行けないのはこころのせいではないと母に言ってくれていて、なぜ言ったのかを聞くと次のように言います。
「だって、こころちゃんは毎日、闘ってるでしょう?」
「闘ってる?」
「うん。――これまで充分闘ってきたように見えるし、今も、がんばって闘ってるように見えるよ」
自身の苦しさを知ってくれ、包み込むように穏やかに話す喜多嶋先生の存在は大きいと思います。
喜多嶋先生もかつて雪科第五中学校の生徒だった人で、物語の終盤になると包み込むような穏やかさは中学校の頃の辛い人生経験によってもたらされたものだと分かります。

10月にマサムネとアキから提案があり、全員で協力して鍵を探すことになります。
マサムネとアキはどちらもこっそりと鍵探しを真剣にやっていましたが一向に見つからないため、このまま3月30日まで見つからずに終わるよりは全員で協力して探し、見つかったら誰が願いを叶えるかはまた話し合うとなりました。
また誰かが鍵を見つけた場合、みんなギリギリまで城に居たいと思っているので3月30日まで願いを叶えないことも約束します。

久しぶりにオオカミさまが登場し、誰かが願いを叶えると全員城での記憶を失うこと、願いを叶えなければ記憶は失わないことが伝えられます。
願いを叶えればここで出会った彼らのことを忘れてしまうことにこころは衝撃を受けます。

リオン以外の5人も雪科第五中学校の生徒だと分かります。
リオンはハワイの学校に行っていますが最初は雪科第五中学校に通う予定でした。
雪科第五中学校に通う予定で通えなかった子が集められていることが明らかになります。

こころは「心の教室」が自身と同じ名前なことに気まずさを感じています。
しかし城で「心の教室」の話になった時胸中で次のように語っていました。
学校の子たちと違って、ここのメンバーがそのことをからかったりすることは絶対ないはずだ。そう、こころは確信していた。
これを見てこころがみんなを信頼しているのがよく分かりました。

担任の伊田先生が母に電話をしてきて、家に来てこころに会うと言います。
伊田先生はこころと真田美織が喧嘩したのではと言っていて、まるでこころも悪いかのような言い方にこころは愕然とします。
伊田先生は真田美織に取り込まれているのが分かりました。
母が「お母さんと一緒に、先生に会おう、こころ」と言います。
こころは伊田先生が自身の味方をするわけがないと諦めていますが、母にまで伊田先生と同じように思われるのは我慢ならないためついに真田美織と何があったかを話します。

家にやってきた伊田先生が真田美織を庇い母が怒ります。
伊田先生が真田美織も反省しているから会って話してみないかと言うとこころがとても印象的なことを言います。

「反省してるとしたら、それは、自分が先生に怒られたと思ったからだと思います。私のことを心配してるわけじゃない。自分がしたことが先生たちに悪く思われるのが怖いからだと思います」

これはそのとおりだと思います。
そしてこれこそが真田美織のような人物の特徴で、自身は平気で他人に酷いことをしますが、それが先生達にばれて自身の評判が悪くなるのは恐れています。
私の考えた真田美織に報いを受けさせる案はこの特徴を突くようにしています。

母がこころに「学校、かわりたい?」と聞いてくれます。
こころは転校は希望しても母が許してくれないと思っていました。
これは物事を悪い方に考えるこころの特徴が出ていると思いました。

12月のある日、マサムネがみんなに相談があると言います。
マサムネは三学期から違う学校に行くことを考えろと親に言われていて、転校するなら半端な三学期からより4月からのほうが良いのと、転校すると城に来られなくなるかも知れないため、三学期最初の一日だけ学校に行くことを考えます。
そしてみんなに三学期最初の一日だけ学校に来てくれないかと頼み、みんなも何とか学校に行くと言ってくれます。


「第三部 おわかれの三学期」
こころが「マサムネが、私たちが来るなら大丈夫って思ってるのと同じ気持ちで、私たちもマサムネを待ってる」と言っていて良い言葉だと思いました。
こころは心配する母に「学校にはみんなが登校した八時半の始業の後に行くこと」「教室には行かず保健室だけ行くこと」「辛くなったらすぐに帰ってくること」という作戦を伝えます。
また学校に行く日を「決戦の日」と表現していて、保健室に行くだけでもかなり大変だというのが分かります。

こころが勇気を振り絞って学校に行くと下駄箱に真田美織からの手紙が置いてあります。
伊田先生から明日こころが学校に来るから手紙を書いてみたらと言われたので書いたとあり、伊田先生は最悪なことをする人だなと思いました。
手紙は「私もこころも池田のことが好きで、それが原因で私はこころに嫌われている」という自身が被害者のような書き方になっていて、伊田先生も同じ認識になっていることが予想されました。
手紙を書いたことで真田美織は気が楽になったかも知れませんが酷すぎる内容を見てこころは打ちひしがれます。

こころがやっとの思いで保健室に行くとそこにはマサムネをはじめ誰もいませんでした。
擁護の先生にみんなは来ていないのかと訪ねると先生は学校にそんな人はいないと言います。
こころは直感でみんなとは城の外の世界で会うことはできないと悟ります。

伊田先生の酷さに愕然としたこころは次のように思います。
自分が見てきたことこそが現実なのに、学校にちゃんと来ているというだけで、先生たちも真田美織が言うことの方が真実だと思うのだろうか。
これは担任の伊田先生はそうですが全ての先生がそうということはないと思います。
学年主任、教科の先生、教務主任、生徒指導の先生、保健室の先生、教頭先生、校長先生など、公平に見てくれる先生は必ずいると思います。
こころが保健室に行った日はかなり緊迫していて、読んでいて胸が押し潰される気持ちになりました。

城に行くと他のみんなも誰とも会えなかったことが分かります。
マサムネが自身達はパラレルワールドの住人同士でそれぞれ違う雪科第五中学校に通っているのではと言います。
もしそうならみんな外の世界では絶対に会えないことになります。
しかしマサムネがオオカミさまに詰め寄ると「外で会えないこともない」と意味深なことを言います。
リオンがオオカミさまに「一番好きな童話は?」と聞くと「赤ずきんちゃん」と答えていて、そこに鍵探しのヒントがありました。

3月になり城に居られるのが残りひと月となり、お別れの月が始まります。
伊田先生が真田美織からの手紙に返事を書いてみないかと言いこころは幻滅します。
伊田先生はあくまで真田美織の肩を持つような発言をし、こころは二人を次のように思います。
言葉が通じないのは、子どもだからとか、大人だからとか関係ないのだ。自分がやったことを正しいと信じて、疑っていない。彼らの世界で、悪いのはこころ。
真田美織は自身を被害者のポジションに置き、伊田先生はそんな真田美織の肩を持ち、こういった人達は実際にいます。

喜多嶋先生から東条萌が4月から転校することを知らされます。
さらに「私もこころちゃんのお母さんも、こころちゃんを何が何でも学校に戻したいと思ってるわけじゃない」と言っていて、これは良い言葉だと思いました。

3月30日は城でお別れパーティーを行うことになります。
その前日、こころはパーティー用にお菓子を買うためにショッピングモールに行きます。
中学生くらいの子を見るたびに身がすくみそうになるものの何とかたどり着いていて、心が少しずつ確実に立て直されているのが分かりました。
その帰りに家の前で東条にばったり会い、東条は家に来ないかと言います。
東条からの「ごめん」の言葉をきっかけにたくさん話してこころは気持ちが明るくなります。

しかし家に戻る時、突然凄まじい音を響かせて部屋の鏡が割れるのを見ます。
アキが「5時以降城に居てはいけない」というルールを破ったため、アキだけでなく城に居た他の5人も連帯責任で大変なことになり、鏡の向こうからこころに助けを求めてきます。
唯一城に居なくて無事だったこころが願いの鍵を見つけてアキ達を助けるしかないです。
こころはルールを破って全て終わりでいいと感じるほどのアキの現実はどんなものだったのかと考えます。

願いの鍵を探す中でこころは6人が抱える心の苦しみを知っていきます。
アキの苦しさが一番印象的で、地獄のような家庭環境でした。

マサムネがパラレルワールドなのではと言っていた7人の住む世界の謎がついに明らかになります。
こころがアキに懸命に「アキ、生きて!生きなきゃダメ!」と訴えているのが印象的でした。
未来に向かって命を続けていく尊さを感じる場面でした。


ジュンク堂書店広島駅前店にある辻村深月さんのサイン。

物語の最後はとても温かい雰囲気になります。
オオカミさま、鏡、城、願いの鍵、7人の住んでいる世界の謎などファンタジー要素がいくつもあり、その中で心の辛さについては現実なのが印象的です。
心の辛さがあるため読むのが辛い場面もありましたが物語には引きつけられる面白さがありました。
ファンタジーの中に身を置きながら、やがては完全に戻らないといけない現実の世界に向けて、特に主人公こころの最初は凍り付いていた心の立て直しが上手くいって本当に良かったと思います。


辻村深月さんはブログで交流のある方がまだ直木賞を受賞する前の頃から推している作家さんでした。
その作家さんが2012年に「鍵のない夢を見る」で直木賞を受賞し、「かがみの孤城」で今年の本屋大賞を受賞し、今や押しも押されもせぬ大作家になり嬉しいです
「かがみの孤城」は読んで良かったと思う傑作で、辻村深月さんの強い思いを感じる作品でした


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