読書日和

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「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健

2016-07-30 23:20:15 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「幸せになる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)です。

-----内容-----
人々はアドラーの思想を誤解している。
自立とは「わたし」からの脱却である。
愛とは「技術」であり「決断」である。
人生は「なんでもない日々」が試練となる。
「愛される人生ではなく愛する人生を選べ」
「ほんとうに試されるのは歩み続けることの勇気だ」
人は幸せになるために生きているのに、なぜ「幸福な人間」は少ないのか?
アドラー心理学の新しい古典『嫌われる勇気』の続編である本書のテーマは、ほんとうの「自立」とほんとうの「愛」。
そして、どうすれば人は幸せになれるか。
あなたの生き方を変える劇薬の哲学問答が、ふたたび幕を開ける!!

-----感想-----
※「嫌われる勇気」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

前作「嫌われる勇気」のラストから三年後が舞台です。
青年は大学図書館を辞め母校の中学校の教師になっていました。
三年前に哲人との対話を通じて当初は否定していたアドラー心理学を絶賛するほどになった青年が、三年ぶりに哲人のもとを訪れた今回、まるで三年前に初めて哲人のもとを訪れた時のようにアドラーの思想をペテンであり害悪をもたらす危険思想だと言います。
この変貌ぶりには訳があり、生徒に対しアドラーの「ほめてはいけない、叱ってもいけない」を実践した結果、生徒が教師である青年を見くびるようになり教室が荒れてしまいました。
青年は「アドラーの思想は現実社会ではなんの役にも立たない、机上の空論でしかないのですよ!」と言います。
さらにアドラーの思想が通じるのは哲人のいるこの書斎の中だけだと言います。
「この扉を開け放ち、現実の世界に飛び出していったとき、アドラーの思想はあまりにナイーブすぎる。とても実用に耐えうる議論ではなく、空虚な理想論でしかない。あなたはこの書斎で、自分に都合のいい世界をこしらえ、空想にふけっているだけだ。ほんとうの世界を、有象無象が生きる世界を、なにもご存じない!」
青年は哲人にアドラー心理学は現実の世界では使い物にならないと詰め寄っていました。
そして前作と同じく青年の言い回しが面白いなと思います。
詰め寄る青年に対し、哲人は次のように言っていました。

「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています」
「もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています」

私はこれまでアドラー心理学の本は前作「嫌われる勇気」「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」(著:岩井俊憲)の二冊を読んでいますが、即座に感激して「生きることが楽になった」とは思わなかったです。
特に「勇気を持て」については体育会的な印象があり、企業などがそのまま体育会的な解釈をしてしまい、手っ取り早く「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている」と言うことができるため、都合よく社員への研修に使うのではと指摘したりもしました。

青年は決別の再訪を決意して哲人のもとを訪れていました。
これ以上アドラーの思想にかぶれ堕落してしまう人を増やさないため、哲人を思想的に息の根を止めると息巻いています。
青年が抱える喫緊の課題は教育なので、教育を軸に話が進んでいきます。
哲人は教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」だと言います。
そして教育の入り口は「尊敬」以外にはないと言います。
例えば学級の場合、まずは青年が子どもたちに対して尊敬の念を持つことから全てが始まるとのことです。

「目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。そしてもし、誰かから「ありのままの自分」を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです」
ありのままのその人を認めるというのは、私はできる場合と無理な場合があります。
例えば強権的で偉そうな人に対しては今のところありのままのその姿を認めるのは難しく、嫌な人だなと思います。
ただしアドラー心理学の「課題の分離」の考え方を使い、強権的で偉そうな人の性格はその人の問題であり性格を変えさせることなど無理なため、相手の性格を変えようとするのではなく自分が変わるほうが良いと考えるのは良い考え方だと思います。

哲人が使用した三角柱は興味深かったです。
その三角柱は私達の心を表していて、三つの面のうちまず二つには「悪いあの人」「かわいそうなわたし」と書かれています。
哲人によるとカウンセリングにやってくる人のほとんどはこのいずれかの話に終始するとのことです。
そして三つ目には「これからどうするか」と書かれています。
哲人によると私達が語り合うべきはまさにこの一点であり、「悪いあの人」も「かわいそうなわたし」も必要ないとのことです。
「そこに語り合うべきことが存在しないから、聞き流す」と言っていました。
青年は「この人でなしめ!」と声を荒げていて、今作の青年は前作以上に言葉が特徴的だなと思いました。
私的にはたしかに過去よりも今であり、これからどうするかを見つめたほうが良いと思います。

問題行動の5つの段階も興味深かったです。
「第1段階 称賛の要求」
「第2段階 注目喚起」
「第3段階 権力争い」
「第4段階 復讐」
「第5段階 無能の証明」

第1段階の「称賛の要求」は、親や教師に向けて「いい子」を演じ、ほめられようとすること。
第2段階の「注目喚起」はほめてもらえないことで、「ほめられなくてもいいから、とにかく目立ってやろう」と考えること。
第3段階の「権力争い」は親や教師を口汚い言葉で罵って挑発して戦いを挑む段階。
第4段階の「復讐」は権力争いを挑んで歯が立たずに敗れた場合、相手が嫌がることを繰り返すことによって、憎悪という感情の中で自分に注目してくれと考える段階。
第5段階の「無能の証明」は人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分にはなにも解決できないと信じ込むようになる段階。
哲人によると第3段階の時点でかなり手強い段階とのことですが、問題行動の大半は第三段階にとどまっていて、そこから先に踏み込ませないためにも教育者に課せられた役割は大きいとのことです。

哲人の「「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視する」という考えはそのとおりだと思いました。
また、「教育者は孤独な存在」という言葉は印象的でした。
誰からもほめてもらえず、労をねぎらわれることもなく、みな自力で巣立っていくとありました。
そこで、現場で働く教師としては生徒からの感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだという貢献感を持ち、貢献感の中に幸せを見出すしかないとありました。

強さや順位を競い合う競争原理が行き着く先が勝者と敗者が生まれる「縦の関係」だとすると、アドラー心理学では協力原理による「横の関係」を提唱するとのことです。
誰とも競争することなく、勝ち負けも存在せず、全ての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味があるとありました。
そして「アドラー心理学は横の関係に基づく「民主主義の心理学」」だと言っていました。
ただ誰とも競争することなく勝ち負けも存在しないというのは、少し解釈を間違えると単なるゆとり教育になってしまうので注意が必要だと思います。

人間はその弱さゆえに共同体を作り協力関係の中に生きていることから、「共同体感覚は身につけるものではなく、己の内から掘り起こすもの」というのも印象的でした。
もともと持っているものとのことです。
そして「「わたし」の価値を自らが決定すること。これを自立と呼ぶ」というのも印象的な言葉でした。
「わたし」の価値を他者に決めてもらうのは他者への承認欲求であり依存とのことです。

「われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認を必要としているのですよ!」と言う青年に対し、哲人は「おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう」と言います。
そして「その他大勢としての自分を受け入れましょう」と言います。
この「その他大勢としての自分を受け入れる」は、近年の私が意識しつつあったことです。
哲人は「「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのが本当の個性というものです」と言っていて、私はそこまで意識したことはなかったですが、この考えは良いと思うので意識していきたいと思います。
哲人が「無条件の信頼」についてかなり印象的なことを言っていました。
「あなたがわたしを信じようと信じまいと、わたしはあなたを信じる。信じ続ける。それが「無条件」の意味です」
アドラー心理学のこの信じることの力押しは凄いなと思います。
私はとてもここまでは信じられないです。

物語のラスト、議論が終わって別れを迎えた時、哲人が青年にかけた言葉は印象的でした。
「この先あなたがどこにいようとも、わたしはあなたの存在を身近に感じ続けるはずです」
この先二度と会うことがないとしてもその存在を身近に感じ続けられるというのは、その人が人生に良い意味で大きな影響を与えたということで素敵なことだと思います。

岸見一郎さんのあとがきにアドラー心理学が悪用ともいえる扱われ方をされていたと書いてありました。
「特にその「勇気づけ」というアプローチは、子育てや学校教育、また企業などの人材育成の現場において、「他者を支配し、操作する」というアドラーの本意からもっともかけ離れた意図を持って紹介され、悪用ともいえる扱われ方をされる事例が後を絶ちませんでした」

悪用は前作「嫌われる勇気」を読んで思ったことでした。
アドラー心理学の「勇気を持て」は体育会的な面があるため、企業などがそのまま体育会的な解釈をして「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている。変われないのなら、それはお前に勇気がないからだ」と言うことができてしまうのです。
なので都合よく社員への研修に「勇気を持て」を使うのではと思ったら、やはり悪用されていたようです。
アドラーという心理学三大巨頭の名のもとに「勇気を持て」だけ言って無理やり都合の良い方向に変わることを迫るのは、もはや心理学ではなく単なる体育会論です。
せっかくの生きることを楽にするための心理学、悪用されないことを願います。
そしてそういった悪用してくる人と対峙した場合に備えて、「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」などでアドラー心理学の考え方に触れておくことは役立つかと思います。


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「プロカウンセラーの聞く技術」東山紘久

2016-07-27 23:50:20 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「プロカウンセラーの聞く技術」(著:東山紘久)です。

-----内容-----
われわれは、真実の人間関係、嘘のない人間関係、信頼のできる人間関係をもちたいとつねづね思っています。
そのためには、相手の話を聞くことが必要になります。
「聞く」ということは、ただ漫然と耳に入れることではありません。
聞くことは理解することなのです(本文より)。

-----感想-----
本の帯に阿川佐和子さん推薦とあり、「この本を読むと、自分が今までどれほど人の話を聞いていなかったかに気がついて、思わず吹き出してしまう」とありました。
私は元々人の話を聞くのが好きです。
東山紘久さんは臨床心理士とのことで話を聞く専門家であり、話を聞く上で参考になることが沢山書かれていそうな気がしました。
なので自分の得意分野を伸ばすべく、この本を読んでみました。

P12「自分の話に耳を傾けてくれる人の言うことを、人はよく聞くものです」
これはそのとおりだと思います。
相手の言葉に耳を貸さず自分の意見ばかり好き勝手に喋っている人の話は聞きたくないです。

P16「消化できない話や納得できない話をじっと聞かされると、聞いた人が苦しむことになる」
母親から祖母や父親のぐちを聞かされ続けた子供についてを例にこのことが書かれていました。
これは私も経験があり、頻繁にぐちを聞かされるとうんざりとした気持ちになります。
ただし母親としても誰かにぐちを言わないとストレスが溜まり続けてしまうという問題があり、そこが厄介なところです。
母親か子供のどちらか片方に必ず精神的な負担がかかってしまいます。
本には「このことがプロのカウンセラーが必要とされる一番の理由です」と書かれていました。

P22「話がはずむためには、聞き手が話を肯定的に受け取ることが大切です。自分の話を否定的に聞かれていることがわかると、話し手は話す気がしなくなってしまいます」
これは私が普段自然にできていることです。
異様なことを言っていない限りは相づちを打ちながら肯定的に聞いています。
そしてプロのカウンセラーの場合は相手が異様なことを言ったり八つ当たり的な形でカウンセラーを非難してきたとしても相づちが打てるように鍛えられているとあり、そこが凄いなと思いました。

P29「相づちの高等技術、くり返し」
相手の話したことをくり返すことは、相手がただ聞いてもらった感じだけでなく、話の内容と自分の心情が理解されたと感じるため、素晴らしい相づちになるとありました。
これも普段特に意識せずに使うことがあります。
ただし本に書かれているような完全な形では使えていないようです。
くり返しの相づちは「明快に」「短く」「要点をつかんで」「相手の使った言葉で」というのが大切なポイントとのことです。
特に「相手の使った言葉で」は奥が深く、類似した内容でも話し手と違う表現をすると聞き手の解釈のように感じ、話し手は自分の言葉が正確には理解されていないと感じることがあるというのは興味深かったです。

P31「プロの聞き手は「わかる」「わかるわ」「よくわかる」という相づちは使わない」
これも興味深かったです。
相手の言うことがわかるというのは本当は至難の技で、「わかる」という相づちは聞き手が自分なりにわかったという自己満足の相づちとありました。
安易に「わかる、わかる」と相づちをくり返されると話し手は心のどこかで「そんなにわかられてたまるものか」という反発が起こるともあり、気をつけるべき点だと思います。
そして私の場合、「なるほど」とは言っても、「わかるわかる」とは安易には言っていないことに気づきました。
それは凄くよく分かるなという時にしか使わないです。
無意識の中で「そんなに簡単にはわからない」というのを理解していたのかも知れません。

P39「ここまで聞いたのだからとついでにもっと、と先を続けさせようとすれば、二人の人間関係まで壊れてしまう」
話をしていて、相手がちょっと話しすぎたと思い話をやめたのにしつこく聞こうとした場合のことです。
プロの聞き手はこれをよく分かっているとありました。
聞き手として話を聞く場合にも「引き際が大事」ということなのだと思います。
私は10代の頃は結構しつこく聞いてしまうことがあったのですが、20代になってからは相手が話したくなさそうなことは聞かないようになりました。
年を重ねて聞き手としての引き際を身につけたのだと思います。

P46「ぐちの聞き方は避雷針と同じ。自分にぐちを積極的に落としてもらう。そして自分の心の中にためこまず、そのまま地中へと吸収させる」
これは相手の言葉を真っ正面から受け止めやすい私にとっては苦手とすることです。
なので苦手だということを認識しつつ、横にひょいっと受け流してあげることを意識するようにしています。
そして私の父がこれを得意としていることに気づきました。
自分にぐちを積極的に落としてもらおうとは思っていないと思いますが、「自分の心の中にためこまず、そのまま地中へと吸収させる」が出来ているように見えます。

P52「昔の主婦はプロのカウンセラーと同じようなテクニックを持っていた」
昔の主婦の井戸端会議では次々交代で軽いぐち話をしながら、あまり深刻な話にはならないように「話を聞き流し、自分サイドに引きつけない」という知恵を持っていたとのことです。

P56「人間は話を聞くより話をするほうが好き」
これはそのとおりだと思います。
自分のことを話そうと思っているときは、心(頭)はすでに聞き手のモードから話し手のモードに切り替わってしまっているとありました。
「子どもや配偶者や身内や部下が悩んでいるときにも、聞き手モードからうっかり話し手モードにならないようにいましめておかなければ、悩みを聞いてやろうとするあなたの思いは役に立たない」というのが印象的でした。

P67「「私この間、⚪⚪のような目にあったのよ。どう思う」のような質問には、聞き手のあなたはほとんどの場合、答える必要はない」
形式は疑問文でも、聞き手に求めている反応が答えではない場合として紹介されていました。
そんな時は「同意するか、考えるためにちょっと間をおけばすみます」と書かれていました。
この聞き方は自然と身についているものでした。
私も「どう思う」と聞かれることがありますが、何か答えるか考え込むかすると必ず話がその先へと進んでいきます。
先に進むことが大事なので、「どう思う」に対して長々とではなく簡単に答えるのが良いと思います。

P85「聞き手は話し手より偉くはないことを自覚しているべきです。それでもついつい人の悩みを聞くと、自分がその人より偉いと感じ、助言をしてしまうことが多いものです。話し手との平等性を確保している聞き手は、尊敬していい人です」
これはかなり印象的でした。
悩みを話す話し手との平等性の確保は難しいことだと思います。
偉そうに助言するようなことがないよう、意識を持つことが大事です。

P91「共感とは相手の気持ちで話を聞くことで、自分の気持ちで聞くと、どこかで相談者の気持ちとズレが生じる」
相手の気持ちで話を聞くのも言葉にすると簡単そうですが実際には難しいと思います。

P95「その人の心は、その人しかわからない」
これもそのとおりだと思います。
どんなに共感したとしても、完全に相手の心が分かっているわけではないです。

P133「「相手のことは相手のこと」が、温かい気持ちでできるためには、相手の心に対する理解が必要です。家族や友だちなど自分にとって大切な人を失わないためには、つねに相手を理解しようと心がけることが第一なのです。自分の立場を主張するのでなく、相手の気持ちになって、しかも相手と自分を混同しないことが大事」
相手の気持ちになって、しかも相手と自分を混同しないのは、母の愚痴に対してできていないなと思いました。
母が怒りながらこぼすぐちに対し、私も聞いているうちにその対象に強い怒りを感じるのですが、これはP91の「共感とは相手の気持ちで話を聞くことで、自分の気持ちで聞くと、どこかで相談者の気持ちとズレが生じる」に当てはまると思います。

P137「評論家は正論を言い、相手に対しても正しいことをするように言います」「正しいことを言うのは評論家か傍観者」
これは正しいことを言う人が正しいとは限らないということです。
会社である人がある人に対し、「正しいことを言いますね」と言っていたことがあります。
これは褒めているのではなく、呆れているニュアンスがありました。
「こうすべきだ」と言った場合に、それが正論であり正しかったとしても、とてもそんなことをしている時間がない場合があります。
そんな時に自分がやるわけではない人が「こうすべきだ」と正論を言ったとしても、「そんなことは分かっているが現実的ではないからやめているのに、何を言っているんだこの人は。それならあなたが自分でやれ」と反発される可能性が高いです。
家庭でも同じように、例えば奥さんが旦那さんに近所付き合いの不満を言った場合に、「そんなことを言っても付き合いをしないわけにはいかないだろう」と正論を言ったとしても、奥さんはうんざりすると思います。
正しいことをひたすら言えるのは自分の身に降りかかっていないからだと思います。
相手の心情を考えることが大事です。

P154「話し手のリズムに合わせて、話しやすい返事を返す」
これは普段自然にできていると思います。
相手が話しやすいように、話のテンポを微妙に変えたりすることがあります。


P171「人間は頭で理解していても、感情が拒否するような行動はとることができない」
これは私も経験があります。
「こうすべきだ」と頭では理解していても、強い拒否感情があるとなかなか「こうすべきだ」ということを実行できないものです。

P176「部屋の違い一つで、話の内容が影響を受ける」
窓のない部屋で話をすると気づまりになり、全面窓の部屋も話しにくいものではあるものの話の内容は明るくなるとのことです。
たしかに部屋の雰囲気は大事だと思います。
窓のある明るい雰囲気の部屋のほうが自然と明るく話せると思います。


この本を読んでみて、結構普段できていることがあるなと思いました。
そしてできていないこともありました。
人の話を聞くのは好きなので、聞く力をより伸ばしていきたいと思います。


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矢場とん ひれとんかつ定食

2016-07-18 22:26:11 | グルメ
名古屋駅のショッピングやグルメが楽しめる「エスカ地下街」にある「矢場とん」というお店に行きました。
「矢場とん」は名古屋で最も有名な味噌カツのお店とのことです。
ここは物凄く人気があり、お昼の時間帯も夕御飯の時間帯もお店の前は大行列になっています。
ロースとんかつ定食とひれとんかつ定食が目を引き、今回はひれとんかつ定食を注文しました。



こちらがひれとんかつ定食です。
矢場とんでは定食を持ってきてから味噌ダレをかけてくれます。
矢場とんの味噌ダレは「みそかつ 双葉」に比べるとかなりサラサラとしていて甘さもやや抑えめになっています。
こちらの味噌ダレもかなり良いと思います。
ひれかつが分厚いのが印象的で、柔らかさと弾むような食感が合わさっていたのも良かったです。
このひれかつがサラサラとした味噌ダレとよく合い、ご飯が進みます。
何度でも食べたくなるタイプの味噌ひれかつなのでまた食べてみたいと思います。

「流しのしたの骨」江國香織

2016-07-17 19:16:35 | 小説
今回ご紹介するのは「流しのしたの骨」(著:江國香織)です。

-----内容-----
いまはなにもしていず、夜の散歩が習慣の19歳の私こと子、おっとりとして頑固な長姉そよちゃん、妙ちきりんで優しい次姉しま子ちゃん、笑顔が健やかで一番平らかな‘小さな弟’律の四人姉弟と、詩人で生活に様々なこだわりを持つ母、規律を重んじる家族想いの父、の六人家族。
ちょっと変だけれど幸福な宮坂家の、晩秋から春までの出来事を静かに描いた、不思議で心地よくいとおしい物語。

-----感想-----
語り手は宮坂家の三女こと子。
こと子は19歳で、高校卒業後は進学や就職はせず東京のはずれにある実家にいて、深町直人という大学生と付き合い始めています。
夜中に散歩をするのがこの半年くらいすっかり習慣になっています。
長姉のそよちゃんは27歳、次姉のしま子ちゃんは23歳、弟の律は14歳です。
律は人形を作るのが趣味で、家でよく人形作りをしています。
母は食卓へのこだわりがあり、葉っぱや枝、松ぼっくりなどを料理とともに並べたりします。
食卓にそれらのものを並べるのは聞いたことがなく驚きました。
こと子はそんな母を「詩人なのだ」と形容していました。
父は物事が理に適うかどうかをとても重視していて、「法的に~」という言い方をよくします。

そよちゃんはおとなしい人で昨年お嫁に行ったとありました。
しま子ちゃんは派手で、短大を卒業後は小さな税理士事務所の事務員をしています。
毎月給料日になると家族みんなに何かしら贈り物を買ってくるという妙なところがあります。
さらに今まで二度自殺未遂をしています。

雨が降るとしんみりとした気持ちになる。そうしてそれを、私はとりあえず、淋しいと呼ぶことにしている。
この気持ちはよく分かります。
私も雨が降るとしんみりとした気持ちになります。

こまかい雨は音もなく降っていて、それでも葉っぱや土や空気が雨をうけとめるさわさわしたかすかな音が、そうしていると気持ちよく耳を濡らした。
部屋から窓の外を見ている時のこの描写も良かったです。
静かに降る細かい雨も、葉っぱや土に当たるとかすかに音がします。
子供の頃、しんみりとするその音を特に何も考えずにしばらく聞いていたことがありました。

こと子は淡白に物事を語ります。
冷たくはなくあくまで淡々としていて、凄く冷静だなと思いました。
また、子供たちはみんなそれぞれ変わっています。
長姉のそよ子は「大人しいが頑固」、弟の律は「人形作りが趣味」のように、それぞれに特徴があり、その特徴が後々物語に関わってくることになります。
父の「法的に」という言葉もしま子が取った予想外の行動への対処として後で登場しました。

「意気阻喪(そそう)」という言葉は初めて見ました。
意気消沈との違いが気になるので調べてみたら、「意気阻喪」は意気込みがなくなることに重点があるのに対し、「意気消沈」はむしろ感情的にふさぎこんでしまうことに力点があるとのことです。
意気消沈のほうがより気力がなくなってしまう度合いが強いのかなと思いました。

しま子の24歳、律の15歳の誕生日祝いを合同で家族でした時、こと子はそよ子の様子がおかしいのに気づきます。
心ここにあらずというふうにぼんやりしていたとあり、何があったのか気になりました。
こと子によると「そよちゃんというひとは、行動をおこすのに時間がかかるぶん、いったん行動をおこしたら超人的に頑固だ」とのことです。
やがてそよちゃんが行動を起こすのですが、その時にはもう結論が出ていて、考えを変える気はないようでした。

クリスマスが終わりお正月になり、新たな年が始まります。
こと子は2月で20歳になります。
律が学校に呼び出されるという問題が発生しました。
その際、校長先生に憤慨した父が校長のことを「文化果つる頭の持ち主」と言っていて、普段聞かない言葉なので気になりました。
文化的に終わっている頭という意味のようです。

こと子の淡々とした語りの中で家族それぞれに何かしらの出来事がありました。
重大な出来事もありましたがこと子の語りが淡々としていて、さらに家族もみんな特に慌てたりはせずに受け止めていたのが印象的でした。
みんな変わったところはありますが、いざという時にまとまれる良い家族だと思いました。


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自転車姉妹

2016-07-16 10:07:47 | ウェブ日記
先日出掛けようと思い外に出た時、近所の小さな女の子が自転車に乗っていました。
3歳くらいの子で、その後ろにもう一人、まだ1歳児と思われる女の子が乗っていました。
どうやら妹のようで、両手で姉の背中の服をつかんでしがみついていました。
その様子が可愛らしかったです。
姉もまだ3歳くらいでさらに後ろに妹が乗っているということでとてもゆっくりと走っていました。

妹はしがみつくのが精一杯で自転車とともに流れて行く景色を楽しむ余裕はなさそうでした。
それでも妹的にはお姉ちゃんの後ろについて一緒に大冒険ができて満足なのではないかと思います。
そして姉としても妹に良いところを見せられて満足なのではと思います。
兄弟姉妹の微笑ましい光景を見ました。
兄弟姉妹がいると子供としても身近な遊び相手がいて良いだろうなと思います。
姉の背中にしがみついていた妹がその背中を見ながら、やがて自分でも自転車に乗るようになって姉とともに走り回るところをまた見てみたいです。

参議院選挙結果を受けて 憲法九条改正の可能性

2016-07-12 21:34:33 | 政治
一昨日投開票が行われた参議院選挙。
憲法改正に積極的な政党、議論の余地のある政党が非改選の議席と合わせて史上初めて参議院全体の3分の2を超えるという結果になりました。
衆議院でも3分の2を超えていることからやはり史上初めて、憲法改正の発議に必要な「衆参両院で全体の3分の2以上の賛成があること」を満たせる可能性が出てきました。

私は今まで衆議院と参議院の両方で3分の2以上になるのはほぼ不可能だと思ってきたので、今回の結果は凄く嬉しいです。
国会で憲法改正の発議をし、憲法を改正するかどうか国民に意見を聞く「国民投票」を行える状態にあるのはありがたいことです。
奇跡のような今のこの時間を無駄にしてほしくはないです。

憲法改正、私が一番希望するのは「九条の改正」です。
しかしこれには問題があります。
テレビと新聞は自民党、公明党、大阪維新の会、日本の心を大切にする党を「改憲勢力」としていましたが、公明党は憲法改正には慎重な政党です。
現行憲法を良いものとした上で、環境権やプライバシー権など時代の変化によって足りなくなったものを付け加える「加憲(かけん)」を主張しています。
なので実際にはすぐに憲法改正の発議をするのは公明党が難色を示すのが確実であり無理です。
ただし反対しか言わず全く議論ができない民進党、共産党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちとは違い、議論ができる政党ではあります。

憲法九条の条文は次のようになっています。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


このうち、特に問題となるのが2の方です。
「平和記念公園の折鶴から見る戦争と平和」などの記事で書いてきたように、憲法九条の平和の理想は世界中の全ての国が善良で他国の領土を侵略する国が一つもない場合にしか成り立たないです。
日本の場合は中国が現在進行形で日本固有の領土である尖閣諸島を侵略しようとしていて、明らかに中国によって日本の平和が脅かされています。
日本の平和を脅かす国が一つもないことを前提として書かれている現行の憲法九条では現実の危機に対応できないことを受け止める必要があります。
この現状の憲法九条に対し、自民党が一つの案として提示している憲法九条の改正案は次のようになっています。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2.前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。


1でも「永久に放棄」を「用いない」に改正していますが、注目は2の方です。
「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」は、中国のように武力で日本の領土を侵略しようとする国に対しては、国家国民を守るために自衛権を行使しますという意味です。
国家として当然のことであり、これを明言することで、中国は尖閣諸島侵略を進めずらくなります。
今までは「どうせ日本は何もできない」とタカをくくり尖閣諸島の領海侵犯を繰り返し侵略を進めていましたが、自衛権の行使を憲法で明言することで、領海や領空を侵犯する平和を乱す行為に対しては撃墜もあり得る(国際標準での対応です)というメッセージになり、抑止力を向上させることができます。
なので侵略を進めたい中国は、中国ではなく日本の憲法なのに改正に反対するという内政干渉をしてきます。

一番良いのはこの自民党案のように、憲法九条の条文自体を危機に対応できるものに変えることです。
そして自民党は憲法改正を目指して結成した党なのでこれを目指すはずです。
ただし公明党は現行憲法を良いものとした上で時代の変化によって足りなくなったものを付け加える「加憲」を主張しているので、現状では両者の主張に開きがあります。
しかし、「時代の変化によって足りなくなったものを付け加える加憲」は、憲法九条にも当てはまります。
時代が変化し、中国のように武力で日本の領土を侵略しようとする国が目の前に迫ってきているからです。
ここに公明党との議論の余地があります。

そこで憲法九条に対し、公明党が主張する加憲で対応した場合を考えてみます。
この場合、1と2はそのままにし、新たに3を加憲することになるはずです。
例として自民党の九条改正案の2をそのまま3として加憲した場合、憲法九条は次のようになります。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
3.これら1.2の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。


この場合、「今の憲法九条の平和の理想は素晴らしいものだが、実際には中国のように領土を侵略してくる(戦争を仕掛けてくる)国があるため、その現実に対応しましょう」という論理構成になります。
公明党が主張する加憲という形を取りながら現行の憲法九条を今よりはまともにする「折衷案」となります。
ただしこれだと今の憲法解釈を条文として追加しただけのような印象があり、3の条文をどのくらい練り込めるかによって変わってきますが、抑止力の向上には疑問があります。
私としては自民党の九条改正案のように条文自体を危機に対応できるものに改正してほしいです。
しかし主張の違う政党との議論なのでそう簡単にはいかないと思います。
なので、自民党の九条改正案のように条文自体を危機に対応できるものに改正するのを第一希望、加憲の手法を用いて今よりはまともにすることを第二希望とします。
今後の自民党と公明党の議論次第ですが、ぜひ第一希望が叶うことを期待しています。
そして国会で憲法改正を発議し、国民に意見を聞く「国民投票」を実現させてほしいです。

参議院選挙2016 野党共闘への有権者の答え

2016-07-11 00:19:30 | ウェブ日記
本日投票日を迎えた参議院選挙2016。
開票が始まった20時になってすぐ「参院選 自民・公明で改選議席の過半数が確実な情勢」とNHKのニュース速報メールが来ました。
この時点で安倍晋三首相率いる現政権の勝利が確定しました。
これでより一層強固な政権基盤となります。
安倍晋三首相はこれで大規模国政選挙四連勝となりました。
かつての挫折が今の強さにつながっています。

また、テレビと新聞のマスコミが「改憲勢力」と称した自民党、公明党、大阪維新の会、日本の心を大切にする党などの合計の獲得議席を合わせると、非改選の議席と合わせて参議院全体の3分の2を超える情勢のようです。
憲法改正の発議に必要な議席数を満たすことになります。
ただしマスコミは改憲勢力と言っていますが、公明党の場合は憲法改正には消極的な党で、現行憲法を良いものとした上で時代の変化によって足りなくなったものを付け加える「加憲」を主張している政党です。
なので実際にはすぐに憲法改正の発議をするのは公明党が難色を示すのが確実であり無理です。
ただし反対しか言わず全く議論ができない民進党、共産党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちとは違い、議論ができる政党ではあります。
これについては今後の憲法改正の展望を改めて記事にしたいと思います。

そして民進党、共産党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちによる野党共闘は惨敗という結果になりました。
特に注目されていたのは野党第一党である民進党が日本共産党と共闘したことでした。
選挙結果を見ると民進党は共闘の甲斐なく大幅に議席を減らしていて、やはりいくら何でも日本共産党と共闘するのはまずかったということです。
日本共産党は反社会的な組織や団体を監視する公安調査庁の監視対象になっています。
つまり何をするか分からない反社会的で危険な組織と見なされているということです。
党の綱領を見ても日米安保条約の破棄、自衛隊の解散、天皇制への反対など、主張している内容が完全に反日思想剥き出しの「極左」です。
ちなみに天皇制という言葉は一般人はまず使わず、日本共産党や反天連(反天皇制運動連絡会)など、天皇陛下を忌々しく思う極左勢力が好んで使う言葉です。
日米安保条約の破棄で在日アメリカ軍を追い出し日本の抑止力を大幅に低下させ、自衛隊の解散で日本を中国のような国の侵略から国家国民を守れないようにし、さらには天皇制反対によって皇室を解体し、その先に待つのは国家壊滅です。
傘下には民青同(日本民主青年同盟)のような極左過激派暴力集団もいて、公安調査庁の監視対象になるのも納得の凄まじさです。
選挙のためならこのような公安調査庁に監視される極左危険政党とも組むというやり方を有権者はあまり支持しませんでした。
民進党は自民党の批判ばかりしているのではなく、なぜ自分達が支持されないのか真剣に考えたほうが良いと思います。

戦後初めて憲法改正に積極的もしくは議論の余地のある政党の議席数が衆議院でも参議院でも全体の3分の2を越える情勢になったことで、今後の国会がかなり興味深くなってきました。
すぐには無理ですがぜひ安倍晋三首相に憲法改正の発議を成し遂げてほしいです。
国民投票の機会を作ってほしいです。

「よだかの片想い」島本理生

2016-07-10 15:21:25 | 小説
今回ご紹介するのは「よだかの片想い」(著:島本理生)です。

-----内容-----
顔に目立つ大きなアザがある大学院生のアイコ、24歳。
恋や遊びからは距離を置いて生きていたが、「顔にアザや怪我を負った人」をテーマにした本の取材を受け、表紙になってから、状況は一変。
本が映画化されることになり、監督の飛坂逢太と出会ったアイコは彼に恋をする。
だが女性に不自由しないタイプの飛坂の気持ちがわからず、暴走したり、妄想したり……。
一途な彼女の初恋の行方は!?

-----感想-----
語り手は前田アイコ。
アイコの顔には生れつきのアザがありずっと悩まされてきました。
小学校でも中学校でも高校でも嫌な思いをし、段々性格も鬱屈していきました。
高校に入ると地元の友達が少なく知らない子だらけになりアイコも少し気分を明るくしたのですが、やはりあざが原因で嫌な思いをします。
そこからはたまにクラスの男子と話す機会があってもばっさり切り捨てるような言い方をしたり素っ気ない態度を取ってしまったりして、その無愛想ぶりから野武士というあだ名が付きました。
アイコは国立大学の理学部物理学科に進学します。
期待して傷つくのはもう嫌だと思ったアイコは大学の四年間をほかの子たちのように恋や遊びに費やすこともなく、勉強に没頭していました。

顔のアザと聞いて、高校の弓道部で二学年上の先輩女子に顔に小さめのアザがある人が居たのを思い出しました。
私と同い年の男子部員が無邪気に「そのアザどうしたんですか」というようなことを聞き、先輩は気さくに「元からある」と答えていましたが、きっと同じことを色々な人に聞かれ、その都度答えてきたんだろうなと思いました。
気さくに答えた先輩は素晴らしいなと思います。

アイコにはまりえという中学時代からの友達がいます。
アイコが大学院に進んだ一年目の夏、神保町の出版社で働くまりえからメールが来ます。
メールの内容は次のようになっていました。

『今度、顔にアザや怪我のある人たちのルポルタージュを作ることになりました。顔は人間が最初に出会う部分です。多くの人たちに理解を深めてもらい、偏見のない社会を目指したいと思っています。ぜひ参加してもらえませんか?些少だけどインタビュー料と印税も出ます!』

ほかならぬまりえの頼みということでアイコは気が進まないながらもまりえの頼みを了承します。
そして神保町の出版社に行ってインタビューを受けるとアイコに今回の本の表紙になってほしいと頼まれ、後日写真撮影をすることになります。
その表紙に使われた写真がアイコの人生を変えることになります。
本の名前は『顔がわたしに教えてくれたこと』で、出版されると大きな話題になり映画化されることが決まります。
そしてその映画を撮る飛坂逢太監督とアイコの対談企画が持ち上がり対談をすることになります。
対談の後、飛坂が「今度みんなでお酒でも飲みに行かないか」と言い、後日渋谷の和食屋で飲み会が開催されました。
その飲み会で山口県の銘酒「獺祭(だっさい)」が登場し、私も最近まで山口県に住んでいて獺祭も飲んだことがあるのでこのお酒が登場したのはちょっと嬉しかったです。
アイコは飛坂に恋をしているという自分の気持ちに気付きます。

アイコのアザについて昔何か酷いことを言ったと思われる人物がアイコと両親の前に現れた後、母親が激怒しているのを見たアイコが心の中で思ったことは印象的でした。
誰のせいでもないのに、どうして人は誰かのせいにしなくちゃいられないのだろう。
たしかに生まれついてのアザは誰のせいでもないです。
ただし「母親のせいだ」と言うような人物はいるでしょうし、そのような人物に対しアイコの母親のように激怒するのも分かる話です。
誰のせいでもないことで争いが起きることにアイコは疲れているようでした。

アイコと飛坂が道を歩いている時の「雲が垂れ込めたまま暮れていく空には金色の夕暮れが滲んでいた」という描写は良かったです。
夕方、手前に雲がありその向こうに太陽が沈んでいく時、まさに金色の空模様になることがあります。

アイコは感覚がずれているところがあり、飛坂が「家まで送っていく」と言った時、「私は方向感覚がいいから一人で大丈夫です」と言い飛坂を驚かせる場面がありました。
女性の一人歩きが危険だから送っていくという意味なのにアイコにはそれが分からないようです。

やがてアイコは飛坂に告白します。
飛坂には「僕は気まぐれだし、思ったようにしか動けないから。付き合うと大変だし、苦労するよ?」と言われますがアイコは「大丈夫、私、頑丈ですから。あなたが、好きです」と言い、付き合うことになりました。

アイコはちょっとずれたところがあるため、飛坂とのデートでも面白い会話がありました。
アイコ本人は真面目に話しているつもりなのですがユーモアのある会話になっていました。

アイコと飛坂が付き合っていることを知ったアイコの母が飛坂にアイコのことを語る場面は印象的でした。
「アイコは、本当に良い意味で、普通に育ったの。性格も、価値観も、今時珍しいくらいに。ちょっと柔軟さに欠けるぐらい、意志が強くて、すごく頑丈そうに見えるけど、じつは強い石ほど意外と衝撃に脆いでしょう。この子は、繊細な子なんです」
人には感情が表に出やすい人もいれば、出ずらい人もいます。
なので表面上は大丈夫そうに見えても実際にはすごく精神的に疲れているということがあります。
アイコの母は自分の娘の「頑丈そうに見えるが内面は繊細」という特徴をきちんと理解していてさすが母親だと思いました。

飛坂と交際していくアイコですが、「私たちの距離は本当に以前よりも縮まっているのだろうか」と不安に思ったりもします。
そして飛坂とある若手女優のスキャンダルが発覚しアイコは衝撃を受けます。
「僕は気まぐれだし、思ったようにしか動けないから。付き合うと大変だし、苦労するよ?」と言われた時に「大丈夫、私、頑丈ですから」と言っていたアイコでしたが、やはりこのスキャンダルには愕然としていました。
二人の交際に暗雲が立ち込めることになります。

また、大学院の教授と研究室のメンバーで長崎に講演に行った時、アイコが「どうして私はこんなに男の人のことが分からないんだろう」と心の中で思う場面があります。
この時アイコは原田君という研究室の後輩と話していて、原田君が興味を示していたお土産を自分のお土産と一緒に買ってあげます。
アイコは原田君に対して余計なことをしてしまったかと思い「どうして私はこんなに男の人のことが分からないんだろう」と落ち込むのですが、この思いとは全く別次元のところで全然分かっていないなと思いました。
原田君はアイコのことが好きなのです。

不器用で少しずれたところのあるアイコが飛坂と出会い恋愛と向き合っていく物語はなかなか面白かったです。
小説のボリュームもちょうど良いくらいで、内容が暗くなかったのも良かったと思います。
顔のアザに悩まされて生きてきたアイコのこれからの未来は良いものになるのではと思える終わり方でした。


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参議院選挙2016 取り戻した日本外交

2016-07-09 19:55:58 | 政治
※2012年12月に書いた「安倍総裁の決意② 外交を取り戻す」をご覧になる方はこちらをどうぞ。

2009年8月31日の衆議院選挙の後、3年3ヶ月に渡って続いた民主党政権によって、日本の外交は完全に壊滅してしまいました。
鳩山由紀夫元首相のせいで日米同盟に亀裂が入り、それを見て中国が動き尖閣諸島沖漁船衝突事件が起き、以来領海侵犯を繰り返すようになり、ロシアも日本外交の迷走ぶりを見て「北方領土を返す気はない」と今までにない強硬なことを言うようになり、韓国は当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に不法上陸したり天皇陛下を侮辱したりと反日の限りを尽くす卑劣なことを次々とし、地獄のような状態でした。
そこから2012年12月に再び政権交代が起き安倍晋三首相になり、壊滅してしまった日本外交を取り戻す日々が始まりました。

安倍晋三首相により、日本外交を完全に取り戻すことができました。
中国が尖閣諸島侵略へ向けて動く中、亀裂が入っていた日米同盟をすぐに復活させたのは日本の安全保障において極めて重要なことでした。
また「地球儀を俯瞰する外交」のもと、世界各国と非常に活発に外交を行っています。
台湾やASEAN(東南アジア諸国連合)、インド、ブータンなど親日的なアジアの国々との関係も一層強化されています。
外交が壊滅していた民主党政権下に比べ国際社会における日本の存在感は大幅に上昇しています。

特にこの一年は印象的でした。
昨年の8月14日、安倍晋三首相は「戦後70年談話 安倍談話」を発表しました。
村山談話よりだいぶまともな談話になっており、私はこの談話を高く評価しています。
特に「先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、第二次世界大戦とは全く関係のない世代にまで謝罪を強要することに終止符を打つことをきっぱりと言ってくれたのは凄く良かったです。

昨年末には慰安婦問題で日韓が合意しました。
私はこの合意で韓国に「慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」と国際社会に向けて公に認めさせたことを評価しています。
「最終的かつ不可逆的に解決」とは「金輪際二度と蒸し返さない」という意味で、韓国はこれまで「1965年の日韓請求権協定において完全に解決済み」の慰安婦問題を度々蒸し返し、日本にお金をせびってきました。
なので韓国に国際社会に向けて公に「最終的かつ不可逆的に解決」と認めさせたことは大きいです。
平気で裏切る国なのでたぶんこの合意も裏切る可能性が高いと見ていますが、その時は「韓国は国家間の約束事を平気で裏切る最低な国」というのを国際社会に向けてどんどん発信すれば良いと思います。

今年の4月10日、11日と、広島でG7外相会談が開かれました。
11日は平和記念公園に行き、G7外相が全員で原爆慰霊碑に献花をしました。
核保有国であるアメリカ、イギリス、フランスの外相が原爆慰霊碑に献花をするのは史上初のことでした。
今まではこの国々の外相は献花をしてくれておらず、これはそのまま安倍晋三首相率いる日本政府の外交力の高さを物語っています。
特に印象的だったのが岸田文雄外務大臣とアメリカのケリー国務長官が互いに手を添え合う場面でした。



原爆を落とした国と落とされた国の外相が広島の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑を前に手を添え合った歴史的な一日が、オバマ大統領の広島訪問へとつながります。
5月27日、アメリカのオバマ大統領が広島の平和記念公園を訪問しました。





史上初めて現職のアメリカ大統領が広島を訪れる歴史的な日になりました。
これは安倍晋三首相率いる日本政府だからこそ実現できたことでした。
オバマ大統領の広島訪問により、日米同盟は一層強固なものとなりました。

日本外交はかつてなく活発になっています。
2012年12月に首相に就任して以来の圧倒的な外交実績が示すように、安倍内閣の外交力は歴代最強なのではないかと思います。
この圧倒的な実績を見て、私は安倍晋三首相率いる現政権を支持します。
北朝鮮による拉致が明らかになってから未だ実現できていない残された拉致被害者の全員奪還も、最も実現できる可能性が高いのが安倍晋三首相率いる日本政府です。
何としても実現させてほしいです。


関連記事
戦後70年談話
詳細解説 戦後70年談話
慰安婦問題で日韓が合意
オバマ大統領訪問翌日の平和記念公園

「ガールズ・ブルーⅡ」あさのあつこ

2016-07-09 16:42:35 | 小説


今回ご紹介するのは「ガールズ・ブルーⅡ」(著:あさのあつこ)です。

-----内容-----
落ちこぼれ高校に通う理穂、美咲、如月も三年生になった。
高校最後の夏、周りは着々と進路を決めていくのに、三人は行く末をまだ決められない。
恋、友情、進学……
タイムリミットが迫る中、私たちの答えはどうしたら見つかるのだろう。
未来へ一歩を踏み出す姿を清々しく描いた大人気女子高生シリーズ第二弾。

-----感想-----
※「ガールズ・ブルー」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

前作の最後から一年後の8月初めから物語が始まります。
前作と同じく理穂が語り手で、そして今作も夏が舞台です。
理穂の家で飼っていた犬の染子が死に、一周忌になるとありました。
冒頭では理穂と如月の幼馴染関係が書かれていて、如月が「うーっす」という声とともに吉村家のダイニングキッチンに入ってきていました。

前作と同じく、この作品ではことわざや格言がよく出てきます。
「仲良きことは美しきかな」という格言が出てきて、その意味は「人と人が仲良くしている様子は、実に美しいものである」ですが、こういった格言が出てくると「これはどんな意味だったかな」と気になります。

美咲は「馬鹿じゃないの」が口癖で、今作でも序盤から毒舌ぶりを発揮していました。
ただ美咲の飾り気のない率直な言葉は時として胸に染み入ることがあります。
睦月はドラフト指名での契約金1億円を蹴って東京の私立大学に進学していました。
しかも野球推薦ではなく一般入試で入っていて、これが意外でした。
今作では桜の葉が夏の日差しに映える中、二人並んで話す場面があります。

染子は庭にある椎の木の下で夜中、誰にも看取られずに息を引き取りました。
染子の死について理穂は胸中で次のように述懐していました。
あたしは、染子があたしたちの眠りを妨げないようにそっと息を引き取ったと信じている。
理穂のこの感性は良いと思いました。
私はこの捉え方は好きです。

春の桜の時期の回想で興味深い表現がありました。
夕陽が満開の花々を照らし、桜の樹一本、一本が自ら発光しているかのように輝いていた。一年の内で、ほんの一時だけ、咲き誇る桜と沈もうとする陽光が創りあげる豪奢な風景だ。
これは良い表現だと思います。
上野公園でまさにこの景色を見たのを思い出しました。
そしてこの桜と夕陽の景色が見たくなりました。

中学生の頃、理穂、美咲、長原好絵(スウちゃん)の三人がこの桜を見に行っていた時、「もう夕方だから帰りなさい」と地域の補導部のおばさんに注意を受けました。
理穂は「おばさんの態度、悪すぎ」と激怒します。
スウちゃんが反発する理穂を引き離し、「大人とケンカしないで」と苦言を呈します。
「あたしたち何も悪いことしてないのに」を三回も繰り返して反論する理穂に対し、今度は美咲が苦言を呈します。
「悪いことしてない、してないって、何べん繰り返してんの」
「だって、してないもん」
「したでしょ」
「えっ、何を?」
「補導部のおばさんに逆らった」
「へ?それは、あっちの態度が悪いから」
「そんなこと通用しないの。補導部のおばさんに逆らうのは悪い事なの。学校的にはね。スウちゃんの言うとおり。親呼び出しも、充分ありよ」
そんなこと通用しないはそのとおりです。
たしかに桜を見に来ていただけで何も悪いことはしていませんが、おばさんが学校に「もう夕方なのに子供たちだけでいるから注意した」と言えばそれまでで、理穂に勝ち目はありません。
理穂は「あたしたち何も悪いことしてないのに」と繰り返していましたが、その言葉が学校には通用しないことが理穂には分からないようです。
むしろ普段は毒舌ばかりの美咲のほうが自分達の分の悪さを理解していておばさんに反発はしていませんでした。
理穂の不器用な面が分かるエピソードでした。

高校三年生の夏を迎え、理穂達は進路を決めないといけなくなります。
決めなければいけない。自分の未来をどうするのか、どうしたいのか、決めなければいけない。猶予の時間はあまり残されていないのだ。
これは心に迫る言葉でした。
理穂はなかなか自分の進路を決めることができずに悩みます。

理穂と睦月が二人並んで話していた時、理穂が桜について言っていることは印象的でした。
「葉っぱの桜ってこんなにきれいで、涼しいのに、誰も知らんぷりでしょ。花のときはどんちゃか騒いでさ。そーいうの、何か変だなって感じたの」
これは凄くよく分かります。
私も葉桜を風流に感じることがあり、最近では昨年の6月に上野公園で生い茂った葉桜の写真を撮っています。

理穂はおばあちゃん子なので、時々美咲が「化石言葉」と命名した言葉遣いをすることがあります。
ご時世、ご法度、不覚にも、にべもない、難儀だねえ、引導を渡す、などの言葉とのことです。
そしてここで化石言葉として紹介された言葉がこの後理穂の語りの中で次々と出てきたのが面白かったです。

やがて8月が終わり9月が始まります。
始業式の日、理穂は胸中で次のように語っていました。

制限時間(タイムリミット)が近づいている。
あたしたちの持ち時間は、どんどん失われている。
卒業までにあと半年ほどだ。

また、次の言葉が印象的でした。
みんな変わっていく。あたしたちは、いつまでも今のあたしたちではいられない。未来を決め、その未来に向かって別々にばらばらに動き出そうとしている。その胎動が始まっている。
やがて理穂も進路を決めて歩き出すことになります。
青春時代の中の一つ、高校生の時間は終わりが近づき、別れの時も近づいてきています。
自分の未来を見据えつつ、残り半年となった高校生の時間を大切にしてほしいと思いました。


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