読書日和

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「サマータイム」佐藤多佳子

2018-09-09 14:00:13 | 小説


今回ご紹介するのは「サマータイム」(著:佐藤多佳子)です。

-----内容-----
佳奈が十二で、ぼくが十一だった夏。
どしゃ降りの雨のプール、じたばたもがくような、不思議な泳ぎをする彼に、ぼくは出会った。
左腕と父親を失った代わりに、大人びた雰囲気を身につけた彼。
そして、ぼくと佳奈。
たがいに感電する、不思議な図形。
友情じゃなく、もっと特別ななにか。
ひりひりして、でも眩しい、あの夏。
他者という世界を、素手で発見する一瞬のきらめき。
鮮烈なデビュー作。

-----感想-----
「一瞬の風になれ」で2007年第4回本屋大賞を受賞した佐藤多佳子さんのデビュー作を読みました。
小説の題名が夏で、夏が終わる今ふと読んでみようと思いました。

「サマータイム」
8月、語り手の伊山進(すすむ)は小学5年生だった6年前の夏を思い出します。
市民プールで進はおかしな泳ぎ方をしている男の子に出会います。
進は男の子には左腕がなく、それで泳ぎ方がおかしくなっていることに気づきます。
男の子の名前は浅尾広一(こういち)と言い、中学一年生で進と同じ団地に住んでいますが建物同士は距離があります。
団地は桜台という場所にあり、東京都練馬区の桜台のことかなと思います。
雷雨になりプールからの距離が近い広一が家に来いと誘ってくれます。

広一は母との二人暮らしで母はジャズのピアニストをしていて仕事でよく旅行に出ています。
広一はその母が結婚することになりもうすぐ引っ越すと言い、部屋にあるグランド・ピアノで「サマータイム」という曲を弾きます。
冒頭で高校二年生の進が思い出していたのは広一の弾く「サマータイム」だと分かりました。
広一は4年前に自動車事故で左腕を失い、運転していた父は亡くなりました。

進が家に帰ると1つ年上の姉の佳奈が進を心配して迎えに行こうとしていたことが分かります。
進は佳奈を暴君のように表現していますが意外と優しい面もあるのかも知れないと思いました。
しかし進を探しに外に行ったせいでずぶ濡れになった佳奈はとても不機嫌になっていました。
進はそんな佳奈を見て次のように思います。
こんな時の佳奈のきげんをとるのは、でかい氷の塊に空手チョップをくわすようなものだ。
これはびくともしないか、こちらが手を痛めるということだと思います。
面白い表現だと思います。

進が広一に借りた服を返しに行くと母親がピアノを弾いていました。
部屋にはアルコールの臭いがしていて、進に気づいた母親は広一は雷雨の日のずぶ濡れで高熱が出て入院したと言います。
母親の名前は友子と言い、彼氏に振られ失恋してやけ酒のジンをボトル半分空けてしまっていました。

進と友子は広一のお見舞いに出掛け、こっそり進の後をつけて来ていた佳奈も一緒に行くことになります。
その途中で友子が「サマータイム」を歌い、元は黒人の子守歌だと分かります。

病室に行くと広一は進が思っていたより元気でした。
広一はもう全然平気だと言って笑顔を見せますがその時に無理に笑ったように見え、病室に来たことを歓迎されていない気がして進は不安になります。
広一は無理に笑う気遣いをする面で大人びたところがあり、進は本心からの笑顔ではないのを見抜く面で鋭いところがあると思います。

友子が広一に「結婚、だめになっちゃった。ごめんね。広一、あの人、好きだったのにね」と言った場面で進は次のように感じます。
その時の広一くんの顔って、ぼくは今でもよく覚えている。
大人の顔だった。すごく色々な感情が一気に浮かび上がり、そのどれもをひっこめようとやっきになっている感じがした。

これを見て広一は実際には友子の彼氏のことが好きではなかったのだと思いました。

広一が佳奈の来ている真っ赤なサンドレスを「カンナみたい」と言い、どんな花なのか気になりネットで調べてみました。
赤やピンクなどの花が出てきて、普段名前を聞かないカンナの花の雰囲気が分かりました。

夏休み最後の日、進が桜台のショッピングセンターに行くと広一に遭遇します。
二人並んでベンチでチョコミントアイスを食べながら広一は本当は友子の結婚が無くなって嬉しいことを打ち明けます。
進は病室で友子が結婚が無くなったことを言った時の広一の顔を見て本心を少し察知していたので小学5年生なのに凄いと思います。

佳奈と広一が二人で会うようになります。
片手のため自転車に上手く乗れない広一に佳奈が特訓をしてあげます。
しかし11月の中頃、佳奈が広一と喧嘩をして帰って来ます。
その直後から進が広一の家に何度行っても留守で会えなくなります。
やがて隣に住む広一の叔母から二人が引っ越したことを聞きます。

進はピアノ教室に通うようになります。
佐藤多佳子さんの作品ではよくピアノなどの音楽が登場し、佐藤多佳子さん自身音楽と縁があるのかも知れないです。

進は17歳になり高校でジャズ研に入ります。
そこで「サマータイム」に再会し自身の手で弾きたいと思い、再会がきっかけで猛烈に二人に会いたいと思うようになります。

8月の終わり、何と広一が進の家を訪ねてきます。
広一は19歳の大学一年生になり家族と離れて進の家の近くに下宿しています。
友子は再婚し広一は妹が出来ました。

ぼくにとって広一くんがピアノであるのと同様、佳奈にとって、彼は自転車だった。という言葉がありこれは印象的でした。
喧嘩をしたまま何年も離ればなれになりましたが、佳奈は広一に自転車の特訓をした日々が忘れられなかったのだと思います。


「五月の道しるべ」
小学一年生になったばかりの佳奈が語り手です。
佳奈はピアノが嫌いなのに習わされていて可哀想だと思いました。
嫌がっているものを無理に習わせてもあまり効果はないと思います。

佳奈の4月の誕生日プレゼントはアップライトピアノでした。
しかし佳奈はピアノなど欲しくありませんでした。
対する進の5月の誕生日プレゼントは新品の自転車で、自身の自転車は同じ団地に住む従姉のお下がりだったため激怒します。
この時佳奈は次のように語ります。
わたしは、ずっとずっと小さい時から、弟が自分よりいい思いをしないように、気をつけて見はっていたのだ。
とても勝手な考えですが子供の頃にこう思うことはあると思います。

佳奈がピアノを弾いていると進が「アマダレ、アマダレ。下手くそのこと、アマダレって言うんだよ。あまだれぇ」と憎まれ口を言います。
「サマータイム」では佳奈が暴君のように表現されていましたが、佳奈の視点で見ると弟が憎らしく見えているのが分かりました。

ある日佳奈は道沿いのツツジの花を一つ一つ蜜を吸いながら大量にむしっていきます。
母親に原っぱや道端の雑草以外は取ってはいけないと教えられていましたが、よくツツジの花をむしり取ってはラッパのように口にくわえ、かすかに甘い蜜を吸っています。
ふと後ろを振り向いた佳奈はむしり取ったツツジの花が道しるべのように連なっていることにドキドキし、もっと長くしようと考えます。
しかし自転車で通りかかった進がその道しるべを轢いてしまい佳奈は怒ります。
何でこんな馬鹿な弟がそばに居るのだろうと憤りますが、やがて悪いのはツツジの花をむしり取って捨てていた自身だと気づきます。

悪いのは自身なのにそれを棚に上げて「何してくれてるんだ!」と怒り出すのは子供時代によくあることだと思います。
私は学校で悪いことをした人が誰かに悪行を先生に伝えられ、「誰がちくりやがったんだ!」と怒りながら先生に伝えた人を探しているのを見たことがあり、佳奈と同じだなと思います。
自身が悪いことに気づいた佳奈は少しだけ内面が大人に近づいたと思います。


「九月の雨」
語り手は16歳の広一です。
冒頭で友子が「セプテンバー・イン・ザ・レイン(九月の雨)」という曲を弾いていてどんな曲なのか気になりました。
曲を聴いている時は雨が降っていて広一は九月の長雨に触れ、私が小説を読み感想を書いている今も連日雨が降っているので「セプテンバー・イン・ザ・レイン」にとても興味を持ちました。

友子が種田さんという付き合っている男の人が家に来るから広一も居てくれと言います。
広一は今までの友子の恋人には必ず「音楽家」「渋いハンサム」という二つの共通点があることに気づきます。
それは亡くなった父にも共通していることで、広一は友子は父の面影を探しているのだと思います。
友子は連日「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を弾き、広一はピアノの音を聞いて友子が何かに悩んでいることに気づきます。

「セプテンバー・イン・ザ・レイン」の解説があり、
古い映画の主題歌でセンチメンタルな回想の歌とありました。
盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングのテーマ曲ともあり、9月の今ぜひ聴いてみたいと思います。

今回の友子の恋人の種田一郎は珍しく音楽家でも渋いハンサムでもないです。
広一は「なんとも冴えない、どこといって取り柄のない、灰色の貧乏神のように不景気な小男」と評していて種田が嫌いです。

今年の夏、広一と友子は高原の避暑地にある友子の友人の別荘で過ごしました。
友子は別荘の近くの小さなホテルのバーで1ヶ月間ピアノを弾きました。
普段の夏ならどこかのバンドのメンバーとなって日本全国を演奏して回るのですが、今年はバンドの人間関係が壊れてメンバーをクビになったためその仕事をしていました。
広一は普段なら怒って荒れるタイプの友子が疲れてメゲている様子なのが気になります。

友子の友人で別荘のオーナーで著名なコラムニストの女性が弟を連れてやって来て、それが種田でした。
広一は友子に種田と一緒にピアノを聴きに来るように言われ二人でホテルのバーに行きます。
友子が「サマータイム」を弾く場面で広一は三年前の夏を思い出します。
広一は自転車の特訓をしていた時に次第に佳奈に怪我をさせるのが怖くなり練習をやめようと言いそれで喧嘩になりました。

今回の友子はいつもの恋をした時の楽しそうな友子とは違ってイライラしていて、広一はそんな母を見て人生に疲れて風よけが欲しくなって結婚するのではと思いイライラします。
ある日種田が家を訪れて三人で夕飯を食べます。
夕食後に友子は「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を弾き、その時の外の様子が音のしない小雨が、闇をぬらしている。とありました。
そして別の曲を弾いた後に今度はきっと降っているはずなのに音も届かないほど、めそめそした雨なんだ。とありました。
雨の描写が続けて登場したのが印象的で、広一が「セプテンバー・イン・ザ・レイン」をきっかけに雨をとても意識しているのがよく分かりました。

友子が出張で京都に出掛けます。
種田が訪ねてきて一緒に友子のピアノを聴きに京都に行かないかと言います。
戸惑う広一に種田が広一は冷めた言葉ばかり使っているがもっと感情を出しても良いのではと言います。
さらに種田は広一の父親になりたいと言います。

ふと広一は種田に自転車の特訓に付き合ってもらうことを思い立ちます。
種田に手伝ってもらい広一はついに自転車に乗れるようになります。
種田のことを酷評していた広一ですが自転車の特訓に親身に付き合っていて良い面もあり、最初の印象が全てではないということだと思います。
そしてこの特訓の時にも雨が降っていて、鬱陶しそうにしていた九月の雨に「自転車に乗れるようになった」という思い出が加わったのではと思います。


「ホワイト・ピアノ」
語り手は14歳の佳奈です。
2年前に広一から引っ越したことを告げる手紙が来た時佳奈は返事を書けませんでした。
広一と喧嘩したことを後悔している佳奈が早く大人になりたいと思う場面があります。
その言葉を見て、「かがみの孤城」(著:辻村深月、2018年第15回本屋大賞受賞)「平成マシンガンズ」(著:三並夏、2005年第42回文藝賞受賞)でも同じ言葉が登場したのを思い出しました。
佳奈は「大人になれば、つまらない喧嘩をしたり、つまらない手紙をもらったりしないだろう」と語っていました。
これは子供時代はそう思っても、大人になると今度はそれがとても尊い日々で青春だったのだと気づくのではと思います。

佳奈は父親が「ノナカ・ピアノ・サービス」という会社の社長をしている野中亜紀と友達です。
佳奈が亜紀の家に遊びに行くとホワイト・ピアノという絵本の話になります。
ホワイト・ピアノは雪でできていて鍵盤は氷で、お姫様は悪い魔法にかけられて長い眠りについています。
世界で一番熱い心を持って姫を愛する若者がこのピアノを演奏すると魔法が解けて二人は結ばれるという物語です。

ノナカ・ピアノ・サービスの展示場には亜紀がホワイト・ピアノのようだと言うピアノが展示されていて二人は見に行きます。
亜紀は佳奈を好きな子がいなくて男の子に対してツンツンしているところが眠り姫のようだと言います。
佳奈は広一との喧嘩以来そうなっていました。

二人がホワイト・ピアノを見に行った時、千田義人(よしと)という26歳の調律師が対応してくれました。
佳奈は千田を広一と似たところがあると評していて、広一を忘れられずにいるのがよく分かりました。

物語の最後、佳奈は自身が眠ってなどいないことに気づきます。
ずっと起きていたとあり、これは学校で好きな子がいないように見えたのはずっと広一のことが好きだったからということです。
「サマータイム」の最後で19歳の広一の自転車の荷台に18歳の佳奈が横座りして自転車が走り去って行った場面につながり、良い終わり方だと思います。


佐藤多佳子さんのデビュー作はピアノの音楽とともにあるという印象を持ちました。
作品を読んでいると音楽も聴きたくなってきます。
「サマータイム」の物語の最後のようにもう会えないと思っていた思い出の人とまた会えたら嬉しいだろうなと思います。
その人にまつわる音楽もさらに思い出深い音楽となって心に残ると思います。


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