一時は四国全土の覇者として君臨したが、徳川秀忠によって斬首され、最後は姓まで奪われた長宗我部家。困難であろうが密書を徳川側に届けていれば、関ヶ原で豊臣側につくことがなければ、あるいは四国で日和見を決め込んでいれば、また大阪の陣で同じ過ちを繰り返さなければ、そのようなことにはならなかっただろう。戦略のなさが招いた代償は大きかった。しかし同じように260年の時を耐え、捲土重来を狙っていた薩摩、長州。土佐がジョイントになりついに倒幕に至る。以降、日本の実権を握る。歴史の皮肉である。
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