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松岡洋右の評価が大きく変わっていくと同時に、帝国海軍の歴史的評価も変遷する。戦後「無謀な陸軍、冷静な海軍」と位置付けられてきたが、帝国国策要綱策定時には、南進を強硬に主張したり、また、ウエーキー島やミッドウエーなど戦略的要衝とは言えない攻略作戦を決行したが、共に失敗、ミッドウエーでは壊滅的打撃を受けた。むしろ戦線を拡大したり、勝算の薄い戦いに挑んでいったのは海軍だったのではないのか。その強硬海軍の筆頭に挙げられているのが山本五十六。最後まで戦争を回避する海軍の中枢とイメージ付けされていたが、ここに至ってその評価も大きく変わってきた。
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松岡洋右の評価が大きく変わっていくと同時に、帝国海軍の歴史的評価も変遷する。戦後「無謀な陸軍、冷静な海軍」と位置付けられてきたが、帝国国策要綱策定時には、南進を強硬に主張したり、また、ウエーキー島やミッドウエーなど戦略的要衝とは言えない攻略作戦を決行したが、共に失敗、ミッドウエーでは壊滅的打撃を受けた。むしろ戦線を拡大したり、勝算の薄い戦いに挑んでいったのは海軍だったのではないのか。その強硬海軍の筆頭に挙げられているのが山本五十六。最後まで戦争を回避する海軍の中枢とイメージ付けされていたが、ここに至ってその評価も大きく変わってきた。
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