国際空手道 修徳会 北海道本部 札幌道場稽古日記

北広島市輪厚地区で空手の稽古をしています。練習の内容や、イベント、雑多な情報などを画像で紹介します。

1月17日

2010-01-20 09:07:35 | Weblog
1995年1月17日、小生は早朝から旧石狩町にいた。札幌市への通勤圏として一気に人口が膨れ上がった石狩町はすでに市への昇格基準を満たしており、翌年9月の市制施行を前にしたこの町長選挙が自動的に最初の市長決める選挙だった。町役場に程近い空き家を借り、ここを投開票までの取材の前線基地とて写真送信機、ファクスなどの兵站機器を持ち込んだ。テレビ゛を接続して電源を入れてみると、異様な町の光景が映し出された。崩れ落ち瓦礫となったビル群、煉獄の炎を思わせる火災は住宅地を飲み込み未だに衰える様子もない。高速道路の橋脚は砕け、崩れ落ちた端に大型バスがかろうじて引っかかっている。早朝神戸を襲った激震の今だった。あの空虚感とノスタルジアは後年北海道南西沖地震で現地に入ったときと共通する。先輩に「選挙どころではないね」、はたしてその通りになった。先日放映された「神戸新聞の7日間」はホストコンピューターが損壊し自社で紙面を組めない中、文字通り血眼になり、新聞を発行させる新聞屋を捉えている。あの臨場感と緊迫感はなかなかのもの。もう一方の極は被災者にレンズを向けなくてはならない現場にいる記者の逡巡と葛藤を描いている。85年三菱南大夕張炭鉱で62人の坑内員が犠牲になったガス爆発事故が起こった。阿鼻叫喚の坑口から次々と遺体が運び出されていく。翌日葬儀の様子を路上で撮影していたカメラマンが遺族から突然胸を蹴られ、高さ約50センチの脚立の上段から体を庇うこともでぬまま後頭部から路上に転落した。そこに罵声が浴びせられる。約2ヵ月後そのカメラマンは急逝する。事件以降、医者から止められていた酒を飲み始めたのが遠因と聞かされた。記録、報道という大儀、そして遺族感情。逡巡と葛藤は並大抵ではない。