国際空手道 修徳会 北海道本部 札幌道場稽古日記

北広島市輪厚地区で空手の稽古をしています。練習の内容や、イベント、雑多な情報などを画像で紹介します。

ドラえもん考

2007-07-23 07:12:12 | Weblog
               (問題になったドラえもん最終回)

生後間もない時期に見聞きしたものを特別なものと認識すること-これを刷り込みという。鳥は孵化後始めて見る動くものを親と思い込んでしまう、刷り込みの典型的な例。人間のケースでは、思春期まで影響を与えるとする学者もいる。小生の思考の根底も、子供の時に読んだ「巨人の星」や「明日のジョー」のスポ根で少なからず形成されているといっても過言ではないような気がする。子供が小さな頃一緒に「ドラえもん」を見ていた。他の色々な番組と比較してもどうしても腑に落ちない点があった。努力を厭い、利己的、責任転嫁も常套手段の主人公のび太をいつもいつも助けてしまうドラえもん。しかしのび太はまた同じ間違いを繰り返す。アニメの中で成長のかけらも見出せない。それを見ている子供は、ドラえもんのポケットから出される問題解決の最終兵器に喝采を送る。「ちょっと短絡過ぎないのか」「他力本願過ぎないのか」見た感想だった。我々の年代が子供の頃見ていた上記のようなマンガには、葛藤を乗り越えて成長していくさまがあり、そこに自身を投影したものだ。そこが根本的な違い。
 山口母子殺害事件の差し戻し審で被告男性は「ドラえもんが何とかしてくれる」と殺害後の行動を説明した。人権派の弁護団が成長障害や精神的未熟を演出し、死刑を回避する法廷戦術と見る向きもあるが、小生が感じた不可解さが最悪な形で氷解された思いがあった。このアニメを批判するつもりもないし、反面教師としていたり、純粋に感動する子供たちがいることも事実。まして、被告の言葉や弁護団の主張を受け入れるものではない。小生が感じたことはかなり偏向した思いである事も確かだが、多少なりとも違和感をもってTVを見ていた父兄も多いのではなかろうか。
 ただ一つ言えることは、弁護団と被告が何を信じようが、法廷には逃げ出せる「どこでもドア」もない。そして裁判長が出すものは、驚きのアイテムでもなく、厳しい内容の判決文。