鬱オヤジのストレス苦闘日誌

鬱オヤジといいます(他のブログでは違うHNですが・・・)
主にストレスやうつ病について書きます。
くらいですよ~~

疲れの度合い

2023-07-14 09:55:56 | 鬱、メンタル

慢性的な倦怠感、疲労感はあります。これ、一時解消されましたが、今年になり出てます。

しかし、これを過去のと比較すると明らかに違う。そう思うと、過去の疲れ倦怠感の蓄積は、想定以上のものだったと感じます。

幼少期より、朝が苦手、睡眠時間を多く摂らないと、一日が持たず、諸所理由により、虚弱体質でもありました。

生活習慣が良くなかったのが原因ですが、良心が、ボーリングに夢中になり、毎晩、ボーリング場に深夜までいるために、睡眠時間が足らず、授業中はぼーっとしてる、体育は持たないなど幼少期からありました。

 

特にこの疲れを感じるのは13歳ごろ。7ただ、成長につれて、それらは耐えられるものにはなるものの、常に疲れた感があるために、人の誘いや、興味が薄いことには進めません。なので、勉強もあまり好みません。

 

大学受験をするため、ある時から、勉強をするようになるものの、どうも、疲れからか、ダラダラ感が否定できず、その感覚故、物事を完遂することができない中途半端な状態が続きます。

 

社会人になり、今思えば、合ってない訪問販売のセールスをしますが、勢いがはあるものの、詰めが甘く、そのあとについた仕事でも、根気なく、積極的になれません。このころから、やろうとすると、左肩甲骨のあたりに、なまりのような重さを感じ、これが結構不快になるために、そこで、物事が終わってしまう。おそらく、この時点で、隠れの鬱状態だったのでしょう。

 

毎週、土日は、事務作業で徹夜になる。このことが1年近く続いたころから、世の中が灰色に見え、余裕がなくなったのも、このころからでしょうか?

疲れは常にあり、倦怠感がある。やたら甘いものが欲しくなる。何度も糖尿の検査をしましたが、異常なし。

背筋痛もなに検査しても異常なし。鬱という言葉がはやり始めたころ。鬱を自分では自覚することになります。

 

いよいよ、限界になり、その仕事を辞めたものの、これまた、家庭環境ですね。

辞めたことを父に言うと、跡を継げという事になり、家業継承を母親、親戚大反対な為に、母が私に、仕事辞めたことを言うなといいます。

 

夜勤のバイトを始めたものの、父親が出社する8時半まで、近くで仮眠、戻ったら、風呂入って寝て、夕方17時半までに出ないと、父が戻るので、はやめに家を出る。これ1年やったら、完全自分が崩壊してね。

友人に精神科まで付き合ってもらい、そこで、初めての鬱診断がくだされました。

それでも、母は父に黙ってくれという。それは、父は母に手をあげていたから。この手上げは何度となく、父と私は衝突しましたが、頑固おやじ、何も人のことは聞き入れません。

 

この不規則なことをしてから、数年前まで、常に左半身が重く感じ、限界に近づくと全身が痛くなる、

憂鬱感が出ると、胸が苦しくなる。そんな症状が慢性的になります。

 

多く睡眠を摂る、数日やすみなどしたくらいでは、一向に晴れません。

 

3年前、高熱が出て、診断したら、潰瘍性大腸炎が発覚。その後、また、熱が出た際、コロナを疑うべく、PCRを受けますが、病院のミスで、そのPCRが失敗、さらにもう一度取るも、今度は、10日間も連絡が来ないし、連絡しても、交換でシャットアウト。耐えられず11日目に半ば脅し的に迫ると、主治医が泣きそうな声でお詫び委の電話。

 

この2週間、そのあと1週間を、自宅待機していた。仕事ができなかったが、実はこの3週間で、ウソのように、疲れが取れました。

 

更にADHDの治療が始まると、倦怠感も薄れ、信じられないほど、疲れを感じなくなりました。

 

あの疲労感は、ハンパないもので、疲れの蓄積は本当にあるものと感じました。

 

寝ても寝ても疲れが取れない。それは危険信号を通り過ぎてるんですね。

 

知人でもいました。頑張りすぎて、人生棒に振るようなこととか、自殺未遂に追い込まれるとか。

 

心身の不調は体不調の黄色信号。その時点で対処しないと、大変なことになります。

 

何十年も続いた倦怠感。本当に、毎日が限界だったんでしょうね。

コメント
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