晴れ、ときどき映画三昧

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「十三人の刺客」(63・日) 80点

2014-08-18 17:49:02 | 日本映画 1960~79(昭和35~54)
 ・ 時代に合わなかったが、再評価された傑作時代劇。

                    

 「七人の侍」(54)は娯楽時代劇の大傑作だが、9年後の本作もなかなかの傑作にも拘わらず、公開時は観客の支持を受けなかった。一部のマニアから火がつき、現在ではリメイクされるほどの名作として多くの人の目に触れるようになった。

 この時代は、黒澤時代劇<「用心棒」「椿三十郎」>が観客の度肝を抜いて、絢爛豪華な歌舞伎調の東映時代劇に凋落の兆しが見え始めたころ。さらに今井正監督「武士道残酷物語」、小林正樹監督「切腹」など社会派?時代劇がインテリに持て囃されていた。筆者のように少年時代から東映時代劇(チャンバラ)で育った映画ファンにとっても想い出深い時代劇のターニング・ポイントの時代だった。

 東映が命名したのは「集団抗争時代劇」。今までの大スターが銀幕を席巻するのではなく、モノクロ映像で個性溢れる俳優達が繰り広げるリアリズム追及のアクションもので、売りはクライマックスでの集団による殺陣シーン。工藤栄一監督、池上金男(池宮彰一郎)脚本によるコンビは翌年にも「大殺陣」を生む。

 弘化元年(1844)、江戸幕府十一代将軍・家斉の弟、明石藩当主・松平斉韶を権力の座から抹殺するため、筆頭老中・土井大炊頭から命を受けたのは目付直参旗本の島田新左衛門だった。

 これは、単なる権力争いとなるところだが、斉韶はトンデモナイ暴君で尾張藩・牧野釆女の妻・千世を手籠にし、釆女まで手を掛ける始末。明石藩・江戸家老間宮図書の切腹だけでは済ませる訳には行かなかったのだ。

 折りしも参勤交代で江戸を立つことになった斉韶。ここから新左衛門一派と明石藩の頭脳戦が始まり、クライマックスの木曾落合宿での30分余りの殺陣まで、13対53の抗争劇が繰り広げられて行く。

 刺客のリーダー新左衛門には御大・片岡千恵蔵が扮し、相棒・倉永佐平太には重鎮・嵐寛寿朗が出演。従来ならこの2人を中心にその他大勢が付いて行くが、本作はさらに数人が絡む。若手スターの里見浩太朗、渋い西村晃、売り出し前の山城新伍が刺客メンバーで登場。さらに出番は少ないが重要な役柄で丹波哲郎、月形龍之介が脇を固めている。

 何といっても敵役の暴君・斉韶を演じた菅貫太郎ははまり役で、その後も悪代官などで時代劇ファンには欠かせない人となった。その暴君を支える明石藩御用人・鬼頭半兵衛に扮した内田良平は本編には欠かせない準主役と言って良い。

 最初から命を捨てる覚悟の13人と御家のため必死で主君を守ろうとする53人の戦いは、見応え充分。特に最後の泰平と言われるこの時代、刀を抜いて闘ったことがない侍同士の殺陣シーンはまさに死闘で、この映像化は俳優とスタッフとの闘いでもあった。

 <早すぎた傑作>とも言われた本作を企画した玉木潤一郎は、後の評価を待たずして逝ってしまった。サイレント映画から活躍し時代劇を愛し続けた名プロデューサー・玉木が、新ジャンルを切り開いてくれた作品でもある。

  


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