・ 巨匠・今村昌平による反戦を声高に叫ばない反戦映画。
’65年に書かれた井伏鱒二の原作を、繁栄を謳歌していた44年後のバブル絶頂期に巨匠・今村昌平が全編モノクロで映画化している。カンヌ映画祭でグランプリ間違いなしといわれた。
受賞を逃した理由は政治的判断とのもっぱらの噂であるが、人間ドラマとしての価値は決して落ちていない。
若いころの今村は筆者にとって脂っこくて苦手な監督だったが、本作は円熟した彼が観られマイベスト作品となった。
昭和20年8月6日、広島郊外の疎開先にいた高丸矢須子(田中好子)。叔父のもとへ行くため瀬戸内海を小舟で渡っていたとき黒い雨を浴びる。それは原爆投下20分後のことだった。
広島市街地は阿鼻叫喚の地獄絵図そのもの。かろうじて叔父・閑間重松(北村和夫)と妻・シゲ子(市原悦子)夫婦と巡り会い、重松が働いている工場へ避難する。
矢須子は、5年後福山市小畠村の大地主だった重松の実家で叔父夫婦・祖母(原ひさ子)とともに暮らしていた。農地解放で先祖代々の土地を切り売りしながら、おさな馴染みの庄吉(小沢昭一)・好太郎(三木のり平)と鯉の養殖を始める。
それは、ピカと言われた原爆後遺症に鯉の生血とアロエが効くのでは?という理由もあったが、近所の池本屋のおばはん(沢たまき)から、「昼間っから働かず、釣り三昧でイイ身分だ」と言われるなど、世間の目を気にしてのこと。
重松の最大の悩みは、死んだ妹の娘矢寿子の縁談がなかなか決まらないことだった。それは「ピカに遭った娘」と分かると破談になるため、「被爆者定期健康診断」で異常なしという医師(大滝秀治)の証明は無力だった。
原爆投下の悲惨な状況を描きながら、その後生き延びた人々の不安な日々を送る過酷な人生をメインに描いている。
主人公の矢寿子は「ピカに合った娘」とのレッテルは剥がれないし、叔父の重松や庄吉は「原爆ぶらぶら病」との陰口を背負ったまま。
村には元特攻隊員の悠(石田圭祐)がエンジンに怯えるPTSDに苛まれている。そんなハンデを背負った人と、原爆とは無縁だった人との間にある目に見えない壁は相当に厚いものがある。
情報が発達した今日でも、福島原発による風評被害は相当に根深い。人は同じ悲劇を繰り返すものなのか?
矢寿子を演じた田中好子の女優開眼映画でもある。清純な若手女優が演技に目覚めるキッカケは、監督との巡り合いによるものが多いが、本作も今村監督との相性が良かったのだろう。
自分に死の影が徐々に忍び寄る恐怖心を隠しながら人知れず悩み抜いた揚句、風呂場で髪の毛が抜けたときの覚悟の笑いは名シーンだ。
世話になった叔父夫婦には健気に振る舞い、同じ戦争被害者悠とは心を通わせ本心を打ち明ける切なさは胸を打つ。
今村は反戦を声高に叫ぶことなく、登場人物に寄り添って描くことで反戦を訴えた。原作にある重松が言った<いわゆる正義の戦争より、不正義の平和のほうがいい>は、その象徴か?
モノクロ画面は、虹が出たかを示すことなくエピローグとなるが、カラーでその後の矢須子を描いた19分のシーンが存在した。編集後悩み抜いてカットしたというが、筆者には正解だった。
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