晴れ、ときどき映画三昧

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「8月の狂詩曲」(91・日)70点

2015-08-24 08:20:44 | 日本映画 1980~99(昭和55~平成11) 
 ・ 悲しいけれど美しい、黒澤明・晩年の映像美。

                   

 村田喜代子の芥川賞受賞作「鍋の中」をもとに、黒澤明監督が脚本化した29作目の作品。

 原作は17歳の<たみ>が主人公で原爆被災のストーリーは登場しないが、本作では「原爆被災体験した長崎の祖母と4人の孫たちとの交流を描きながら、反核をハッキリと表現している。」

 長崎郊外にひっそりと暮らしている鉦(村瀬幸子)のもとへ、ハワイで成功し大富豪となった兄・錫二郎から是非死ぬ前に会いたいという手紙が来た。

 大家族だった鉦は兄弟全部を思い出せないほどで、ハワイには息子・忠雄(井川比佐志)と娘・良江(根岸季衣)が代わりに行っている。

 その間疎遠だった孫たち・<縦男(吉岡秀隆)、たみ(大寶智子)、みな子(鈴木美恵)、信二郎(伊崎允則)>が鉦と一緒に過ごすこととなった。

 都会生活に慣れ親しんだ孫たちは祖母の作る田舎料理は口に合わず、孫たちが買出しのために長崎の街へ行く。そこで視た戦争の傷跡を知って、戦争や原爆が如何に悲惨だったかを理解していく・・・。

 ハリウッドの大スター、リチャード・ギアが片言の日本語で出演している。どう見ても日系には見えない甥のクラーク役で、親日家で黒澤ファンであるR・ギアの出番も思ったより多い。

 彼が鉦に向かって「すみませんでした。」「私たち悪かった。」というセリフが米国で<原爆投下を謝った>ということが話題となって一波乱あったが、<鉦の夫が被爆死したことを、錫二郎一家が知らなかったから誤ったので、原爆投下ではない。>というのが正式見解だ。

 前作「夢」(90)でも、かつての「いきものの記録」(55)でも原爆への恐怖を訴えている黒澤。鉦の台詞に「戦争に勝つためには人は何でもする。何れは己を滅ぼす。」とある。筆者はクラークが鉦に謝ったのは、黒澤の確信犯ではないか?と邪推している・・・。

 黒澤の脚本は類型的な人物像と道徳的・教訓的な展開に違和感があって、観ていて衰えたな~と思わずにはいられない。かつて小国英雄・菊島隆三・橋本忍らとの共同脚本で成立していた黒澤作品は、晩年補佐する脚本家がいない孤独さを如実に表わしている。

 しかし、その欠点を承知で観る映像の素晴らしさは、衰えるどころか益々冴え亘って見えた。鉦が住む農家や念仏堂、長崎空港がセットである驚きと、焼け残ったジャングルジムなどの小道具に手抜きはなく、山間の緑・青い滝壺・蟻とバラ・月など黒澤リアリズムは究極の美しさ。

 会話のない老人同士のカット、山間のピカの眼は黒澤が描いた絵コンテが目に浮かぶ。

 そして最大の見どころは、大雨の中傘を手に走る鉦とそれを追う子供や孫のラストシーン。

 ミスマッチでは?と思うシューベルトの野ばらがとても効果的なシーンはまさに渾身のエピローグだ。

 <それは涙ぐましいが微笑ましく、恐ろしいが爽やかで、悲しいけれど美しい。>

 


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