The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

自由と好き勝手の違いは何か。

2010-03-17 22:00:21 | Weblog
責任を持つのが自由、無責任なのが好き勝手の我まま。
外国人参選権だけで移民政策を逆行させているように感じる。国家理念がなければ、日本はこのまま永久に亡国となる。これは既に空想ではなく現実で起こっている。だから無意識に未来に対して不安や恐怖を感じる。
まさに1984の世界。政府の言論統制は人々の創造力を失わせる。規制の限度とは、何でどういった制御をするのか、そこから議論をはじめるべきだろう。

最近の日本が可笑しいのは、十分が調査、議論を経ないで決まるルールに誰も恐怖を感じてないことだ。他人事ではなく、それは自分に影響してくると認識できてない。言論統制の恐怖とは、例えば相手の言語能力が低く、「ありがとう。」と言葉を口から出しても「何もしてないのに感謝の言葉を言うのは、感謝されるようなことをやれ、と強制している。」という曲解に対しても罰を与えることが可能になる。ここに明確な基準を設定してないという欠点がある。

子供手当てがまさにザル法、無駄に税金をばら撒くと言われる理由だ。
前政権がやっていたという方式と問題点調査しないで猿真似だけの政策。
そういえば小沢幹事長は未だに経済団体設立で必死らしい。経済団体が複数存在してもいい。しかし、陣頭指揮しているのが小沢となれば、なんか胡散臭いという疑惑はぬぐい切れない。なにせ利権一筋に政治家を何十年もやってきた人物。
悪魔のささやきで経済団体同士を争わせることで日本の産業界にプラスになるんだろうか? いや、小沢幹事長の自分は傷つかず、楽して儲けるという姿勢は、昨今の日本人の労働意識そのものだ。それにキリスト教やイスラム教を排他的と批判していたのも小沢幹事長。キリスト教でいう「愛」という価値観は絶対に理解できないから批判しかできない。日本的に言うならマザーテレサの爪の垢でも飲んで、御身第一ではない犠牲の愛でもみせてみろ、と言いたい。

後山兄弟は脱税という違法行為は確定している。あとは、どう彼らが違法行為に対しての償いを日本国民に示せるのか。このまま議員を継続するのは反省なしだろう。政治家など公務員の脱税は一般国民より重罪とし、追徴金も高くするべき。せめて国庫に金が増えるぐらいじゃないと、脱税は辞めないだろうからな。

変更という行動は、壊した廃材から新しく生まれるという発想はない。
責任がある変更手順とは、変更した場合の影響をしっかり事前にシュミレートし、回避策を考えてから計画を修正していく。その専門家は鳩山首相じゃないのか? なのに小沢幹事長に引っ掻き回され、何も手を打てない。まあ、ナチスのSSみたいなもんだなぁ。何も自分の意見もなければ、将来への方向を示す具体的な政策も持たない。だから首相という名前だけの人形でしかない。

前政権ではそれこそ各自が自分の目指す方向性をしっかり持つ人によって構成された内閣だったと思う。その証拠に今でも闘争心むき出しで自党で内乱しているぐらいだ。目的は「日本を守る」という点では一致しているだけであとは手段として自党の執行部を刷新するのか、どうするのかと揉めているだけ。
しかし、現政権は覇気がまったく感じられない。本来大臣同士でもそれぞれの目的を達成するためには議論してもいいだろうし、ぶつかってもいいはず。
首相は誰とも交わらないで孤独をおいしく味わっているだけだ。

野党は本当に一度やらせて駄目だった政権に対して政権交代を訴えないのか。
対案を持っているなら、機会があるごとにそれをアピールし、現政権の案だと結果はこうなる、自分たちの案だと結果はこうなる、とシンプルに比較するような語り口で国民に伝えないと国民には理解できないと思う。
ネガキャンとか言うのは、レッテルでしかない。
危険な状態で非難させるときにどう民衆を誘導するのか。煽動ではなく誘導だ。
違法行為が何故社会に与える影響が日本の未来をどう変えるのか。

日本国を沈没させないために政権交代。
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