The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

戦争法案と言い換えて自殺を信仰する日本人たち

2015-06-15 03:38:36 | Weblog
現政府の支持率を調べるアンケートにおいて、未だに経済政策と安保を混在させている点に不快感がある。
そういえば、どの国でも憲法ないしは相当する法律を改定した後に発足した政府は不安定になる。日本も同じかもしれないという不安がある。理由は、日本も他国も人道云々だとか平等という言葉の下で既存の国民が無視されるような風潮がある。これが不安定な世相を生み出す。だが、変化を望まない人に従うのなら、それはレミングスの行進と同じく国民の殲滅につながる。これは脅しではなく過去の歴史が証明している事実だ。変化をどんなに拒んだところで周辺から大きな圧力を持った変化に囲まれれば、どうにもできない。過去にそうやって日本国は追い詰められて戦争を勃発した。当時は戦争反対どころか、戦争をやれ、というのがメディアや世論だった。

物事の判断とは、冷静にできるだけ広範囲を見渡した後に判断する内容を考えてみる。
日本国が他国へ武力による侵略を行う理由があるのかどうか。何故、戦争反対者はこの議論を避けるのだろうか。
つまり、日本の異常性な非現実的平和とは、冷静な理論的な議論によって支持されている訳ではないのだ。いつになれば目覚めるのだろうか。世界で「ファンタジーのアニメ世界と同じ平和を望む国」日本と言われていることに気づいてない。よく国際貢献経験者が日本は平和な国だという。だが、彼らがいう平和の意味が違うのだ。他国を武力によって侵略しない国という意味であって、軍備を持たない国という意味ではない。自分が知っているアフィガニスタンの友人は自衛隊という新しい軍備こそ世界平和を実現できる、と言っているが、それは責められても防御目的で戦闘しない、と意味ではない。日本の自衛隊が貢献した平和活動と呼ばれる実情は、他国の軍隊が現地で起こる攻撃から守ってくれる状況で実現している点も、現地の人たちは知っている。これをいかにも自衛隊が武器を持たず、武力衝突を回避しているような誤解を与えるようなメディアによる記事の発信はやめて欲しい。アニメや漫画のような平和を望む日本、と言われて自分は恥ずかしさを通り越し、みじめさを感じた。

戦争は人殺しだ。その殺しを大儀を与えて認めるのが戦争だし、それに参加する人たちを卑下する日本社会もおかしい。国家、国旗ですら過去の侵略戦争から変化してないから反対という理由なき反対もみじめなだけだ。
日本がアジアに侵略したという背景を、何故、現実の歴史的事実に従って教育をしないのか。もちろん、当時の日本政府だって国益を優先した判断があってアジア諸国へ出て行っているのだし、満州国成立にも加担している。やり口が汚いといえばそうだが、国が生まれるなんて綺麗ごとだけでは済まないのも当然だ。そこには悪と呼ばれるような出来事はたくさんある。現在、民主主義の独立国と言われる国だって同じだ。自由を勝ち取るために貴族、王族を皆殺しにした。ここに人道とかはない。つまり、強い権力者はいつでも悪となり、民は弱いと決めることこそ、平等という概念から外れているし、人道という視点からも外れている。話し合いで解決した革命などない。無血革命と呼ばれたところで犠牲者は必ずいるのだ。そして、殺された人たちは悪とされ、殺した側は正義と言われる。

日本が平和を維持するためにはあらゆる努力を惜しまない。これこそが国民の生命と財産を守る基本だ。武力を酷使して揉め事を解決しないと定義したところで、武力攻撃されたら黙ってそのまま死ねというなら、国家と国民の信頼は築けない。この矛盾を無視した状態での平和維持こそ、似非平和だ。そこには必ずなんらかの犠牲がある。そしてその犠牲者たちは声すらあげられないで葬られる。これは日本の左翼団体および極左と呼ばれる学生運動組織の残骸だ。自分はこういった人たちが提唱する平和、平等や人道という提案を歓迎しない。何故なら犠牲を当然とする姿勢は、困難な問題を解決するための状況を逃げているからだ。憲法に違反するのなら、憲法改正が当然だ。しかし、今騒いでいるのは、日本国が他国から攻撃を受けないように同盟国との関係を強化するために必要な集団的自衛権をもって、日本が他国を侵略する戦争をする国へと変貌するという捏造した意見だ。朝日新聞社による慰安婦捏造以上の偏向報道と恫喝を野党や左翼組織は、日本国民にやっているのだ。

まず、海外にいる日本人の救出行動ができないような軍備をどう考えるのか。武器や救出行動の経験がない場合、他国の軍に支援を頼むしかない。だが、同盟国でない限り、そんな危険な支援を誰がやるのだろうか。先にIS国の人質になった日本人が殺されるとなっても日本国は何の行動も起こせなかった。人質交渉が可能とするためには相手側への圧力も必要なのだ。金だけでどうにかなる問題ではない。欧州にはテロ対策としてNATOもある。だが、日本といえば米国との同盟、災害時の救援活動としての同盟国がある程度だ。だから何もできない。
ヨルダンと日本には軍事同盟もない。トルコやエジプトともない。どうやって日本人を救えるのだろうか。
金さえ払えば助かるというのなら、日本警察は営利目的誘拐事件の過去に発生した事件をしっかり国民に説明してい頂きたい。国として国民の生命を守るために渡航制限という方法しか取れない国、日本をどう考えるのか。
自由とは血としかばねの上に継続されている。これを認めない限り、本当に平和のありがたさも維持する価値の重要性もわからないだろう。

民主主義が愚衆による政治にならないためにも、日本人はしっかり現実を見て考えよう。誰かを犠牲にした上での平和なんていらない。平和とは戦争による殺し合いがあっても数十年の間だけでも戦争回避できるのなら、維持するために協力者を増やし、武力攻撃の抑止力を確実に積み上げることも立派な平和活動だ。

さて、どうやって日本国民に武力攻撃の抑止力のための武力準備を説明していくのか、そして、どうやって日本国民に考えてもらって支持してもらうのか。まさに戦後、はじめての正念場だと自分は感じる。ここで間違えば、日本人の多くは他国からの攻撃の犠牲者が増えるだけではなく、他国から侵略されて領土も失うのかもしれない。世界だとか国連が助けてくれるという幻想も捨て去りたい。武力によって攻撃されている国とその国民たちが国連による救済を受けているのか、と問いたい。ならば何故難民は国を捨てて、言葉もわからない国に逃げてくるのか。こういった現実を日本国民にもっと見てもらいたい。外務省は難民と呼ばれる人たちが逃げている理由と虐殺されている現状をもっと日本国民に生の声を聞かせるべきだ。金だとか物質の支援だけでは難民問題は解決しない。難民はみな怠惰で働かないで生活したいから逃げるというのはまちがっている。そもそも言語も習慣も違う国で生きるのは簡単でもないし、相当なストレスがある。ある難民は「収容所が広くなっただけだ」と言った。つまり言葉が違うことが仕事だけではなく娯楽まで阻害するのだ。国を失うことがどういうことか、日本人はもっと知った方がいい。否、知らなくてはいけない。知れば知るほど、他国を侵略することがどういったことか、もっと理解できる。これは武力だけではなく経済や文化面でも侵略していることも気づくだろう。

戦争を回避させるためには、武力衝突の抑止力の需要性と効果、と国を失うとはどういうことか、この二点をもっと日本政府は日本国内でアピールして頂きたい。今回の武力衝突の想定相手は、まさに自由を守る秩序のために日本は何ができるのか、だ。国家に真の友人はいない、というようなことを米国人のキッシンジャーは言った。この対象はどこだったのか、よく考えて見て欲しい。日本は戦後70年間守り続けた憲法を改正する時期に来ている。ただし、侵略戦争は放棄する、という意思は変わらない。ここを明確にできないからおかしなことになる。同盟国との協業にしても制限をつけるのなら、日本は特別扱いを望むと言われても当然だ。こんな同盟関係なんて堅牢に維持などできるはずもない。日本人は本当に平和を望むのか。その平和には自由はあるのか。

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