The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

平和を願う式典が地球上から核物質消滅祈願とはこれいかに

2011-08-09 22:52:06 | Weblog
いつから広島、長崎の原爆記念日は地球上から核物質の消滅を祈願する日に変わったのだろうか。いい加減、この核ファビアを治療できなければ、日本国が宇宙へ旅立つこは100年後も無理。それとも核物質に変わるエネルギーがあって、それを使えば太陽風がない場所でも生活できるのか。

日本人の核フォビアと特定国贔屓は日本を駄目にしている原因だと感じる。
そろそろそういった悪い原因は治療して、新しい未来に眼を向けたい。日本がそういった未来を見ない限り、中国とも協調したアジアでのリーダシップを実現することはできない。中国は戦後、大きく変わった。共産主義だとか非人道的というが、戦後の中国を見ていると竹のカーテンを開いてからは本当に変わったと感じる。今、民主主義国の小説やテレビ番組が誰もがアクセスできるということはすごい変化だと思う。技術進化もパクリというが、それでも日本が戦後、米国や欧州製品のノックダウンから独自製品を作り出す時間よりも短い期間でかなりの品質で製品を生み出している。日本人は中国を避難できない。ひとつには中国との協業における契約の甘さを未だ放置していること。
ビジネスにおいて相手と対等に交渉ができないのは日本の問題。これは未だに中国人という人材をなめているとも言える。日本的な企業への忠誠心など世界では通用しない。これと同じことを日本は米国でも失敗していると思うのだが、反省した結果は進歩してない。単なる安い人件費だけに注目してそこにある貴重な人材を失っていないのだろうか。
中国だけではなく、タイ、インドネシア、べトナムと日本企業は未だ安い人件費しか注目しない。これでは大きな利益も上げられない。勿論、成功している国もある。現地生産方式で、現地社員を経営幹部にアサインし、現地への利益も雇用や納税と貢献している企業もある。グロバール化とは、企業という組織が国境という壁を越えて進化する価値を見出さない限りはその企業は衰退する。

円高が本当に悪いのだろうか。輸出する製品をやめればいい。いい加減、製造業依存をやめる方法を検討しよう。むしろ、食料、水を確保するためにシステム農業への労働者を増やしたほうがいいようにも思う。そもそも食を支える農業による収入で生活できないってのが問題。ここにも行き過ぎたコストというのがある。飽食を反省して必要な食材を得るという教育も必要。
大量消費時代から必要な消費時代へシフトすることだ。先ず、土地の売買について利用目的が投機であれば認めない。こういったことから議論が必要。
公共サービスも移民政策を前提とするなら国連公用語の5ヶ国語対応ぐらいは検討すること。警察、消防、医療は必須だろう。教育も日本語のほかに公用語を取り入れる。英語は不可欠。アジアでもっとも通じるのは英語と中国語。それに中国は経済大国第2位ということを考えると無視はできない。
勿論、台湾も中国語で通じる。いい加減、特定国に振り回されないでもっと自国とそのほかの国を日本人は見ないとアジアの中で取り残されていくと感じる。

現政府与党では絶対に特定国贔屓が継続される。これは日本国にとっても特定国以外のアジア諸国にとってもプラスな要素は何ひとつとない。経済危機まがいの状況の今、さっさと解散総選挙を実施して、アジア全体の風通しをよくする均等貿易を実現すること。自然による災害だけではなく、資金減による農業悪化もありうる。食料が足りなくなれば、間違いなく争奪戦が始まる。水と食料を確保するためにも早急に新しい貿易政策も必要になる。これは人材の共用も含む。だからこそ、移民政策の土台になるいろいろな法律を見直し、日本国およびアジアの安定した平和と経済を作るしかない。
アジアだからこそ、宗教が違っても共存共生ができるのであって、欧州や米国、南米では共存共生は難しい。日本とインドは多神教、中国は無宗教。だからこそ、この3国がアジアを引っ張っていくことができる。その先のアラブやユダヤも含めて可能だと思える理由だ。食と水。先ずは安定供給。これに手をつけなければ数年後のアフリカの人口増大でどうなるのか。
核フォビアを言い出せるのは日本だけなのは、それだけ日本が豊かだからだ。金がない国は化石燃料の高騰で購入することは難しい。安定した電力の供給に何故原子力を選択するのか、そういった点を日本人はもっと知って欲しい。日本がいくら核を捨てたところで世界ではNEEDSはある。だったらより安全に運用できるように核事故を想定した対策方法や道具の開発ができるのも日本だろう。自分たちが被害者というだけで二度と同じ被害を出さないというための技術開発が日本を支えてきた。それを核フォビアで捨て去ることは日本という国の我侭とか感じない。地震がうんぬんというが、だったら高速鉄道など危険だから廃止しようと何故言わないのか。いつまでも自虐で悲劇に浸っているのではなく、それを克服するためにも核の安全運用技術だけは捨て去りたくない。耐震設計を活かした原発は実現しないのか。
運用管理者が馬鹿でも安全に運用するための技術を実現しないのか。

日本人が認めざる得ないのは原発の設計ではなく、事故発生における対応という人的問題だ。人間が駄目なら自動化しかないだろう。それこそスパコンよりもAI開発が必須だと感じるのだが、ハードの開発は取り組むがソフトは日本では開発してこない。トロンも水子のままだ。こういった点を見直さない限り、日本のITはアジアでも最低レベルを維持するだけだ。

明日の飯と寝床を心配しないでいい社会のまま自分は老いたい。それは日本人以外も同じだと思う。労働しない社会というのはあり得ない。何故なら社会とは個々が維持する努力が必要だからだ。それは道端のゴミを拾うことで清潔が保たれることと同じ。誰かが与えてくれるのではなく、自分たちで作り出すことこそ、自由な安全な安定した社会が維持できる。ネガティブな行動ではなく、積極的な行動に変えて行きたい。それは否定したり相手を攻撃するだけでは実現できない。必要なのは協調だ。道のりは遠くても確実に一歩づつ前に進むこと。権利の前に義務を果たすことで自由を謳歌できる。
自由は特定の人だけに与えられるのではなく、誰にでも平等に得られる機会こそ民主主義だろう。

倒産件数は増えてきている。経済政策と雇用政策を実施ないと被災地の復興のための資金すら確保できなくなる。原発よりも優先度が高いのが経済政策と雇用政策。これは現政府では絶対に実現できない。いい加減気づいて欲しい。緊急管理内閣を作るぐらい政治家はまじめに考えて欲しいのだが、たぶん、日本国の経済状況や外交状況など気にしてないんだろう。
進む道を閉ざさないためにもできるだけ早く解散総選挙を。
コメント
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