恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ
川上弘美(著)2023年8月発行
ひとことで表現するとしたら「大人の小説」かな〜。
大人の恋愛小説という解説もあるけれど、、、その点、無粋な母には判断できず。
まったりとした時の流れに身を置く、大人の女性の思考、感情の揺らぎ、食と酒、、、。
同性の友や異性の友との関係のなかで、ゆっくりと過去と現在の自分と友人達が描かれ、
次第にこちらも引き込まれていく。
コロナ禍の数年間の私的な生活を描いており、特に大きな変化が起こる訳でもないので、
若い頃なら読んでいてイライラしたかもしれない。が、この年齢になるとわかる気がする。
著者も登場人物も皆自立している立派な大人なわけで、しみじみ大人の小説だな〜、、、と
味わいつつも、食いしん坊には、脇役のお酒や料理が美味しそうでたまらん。
ちなみに、『プールの底のステーキ』という謎の題名は、
主人公が幼少期のアメリカ在住時代にお呼ばれして行った父の上司(教授)宅で、
ステーキを食べたものの、肉が硬すぎ噛みきれず、庭のプールにこっそり捨てた、、、
という思い出にまつわる一編。
わがまま
— 講談社 内容紹介—
年を重ねてこそ輝く。 アラ還世代の心にしみる恋の物語
作家のわたし、離婚と手術を経たアン、そして作詞家のカズ。カリフォルニアのアパートメンツで子ども時代を過ごした友人たちが、半世紀ほど後の東京で再会し、旧交を温める。
「おじいさんになったね」「六十近くなると、夢見がちになるのよ」。そんな軽口が飛び交う、大人の男女の心地よい距離感を、コロナ禍の社会状況に寄り添いつつ、たゆたうような表現で描き出す川上さんの文章に、いつまでも浸っていたくなります。
どこかご自身の人生とも重ねながら、3年にわたって丁寧に紡いできた本作に横溢しているのが、年を重ねていくことの豊かさってこういうことなのかもしれない、という温かさです。
「あ、また時間に捕まえられる、と思った。捕まえられるままに、しておいた」。幼い頃の懐かしい記憶に思いをはせるひと時を表現したこの一文の美しさ! 川上さんの新たな代表作になることは間違いありません。
──文芸第一単行本編集チーム 斎藤梓
年齢を重ねていくごとに、身体は思い通りにならないことが増えるけれど、心のしなやかさは、年を経てこそなのかもしれない。本書を読んで、そう思う。
物語の語り手は作家の「わたし」=朝見だ。オーバードクターとして留学した父親に伴い、幼い頃に過ごしたカリフォルニアで出会った三姉妹の長女・アンと商社マンの息子のカズ。時を経て東京で再会した2人と、来し方やただいまのあれこれを、時折飲みながら語り合うのが、朝見にとっては暮らしのアクセントのようになっている。
朝見もアンもカズも還暦過ぎで、3人ともに離婚経験あり(カズは2回)、今は独り身だ。もう若くはないこの3人が、それぞれに抱えるものを持ちつつも、互いの〝領分〟を尊重しあう。ずかずか立ち入らない。言いたいことはずけりと言うし、言われるし、それでも険悪にはならない。その辺りの塩梅(あんばい)が、読んでいて心地よい。
たとえば、裕福に育ったカズが、人生の山も谷も経験した後に作詞家となり、羽振りの良かった経営者時代ほどではないが、今でも「そこそこの収入を得つづけ」ていることを聞いた朝見は、カズに言う。「なんか、むっとする人生だね」
そんな朝見にカズは「自分で話してても、やな感じだね」と。朝見はさらに、「友だち、少ないでしょ」と突っ込み、「知り合いは無数にいるけど、たしかに友だちは少ないかも」とカズは認める。このやりとりだけで、2人の間にある空気が伝わってくる。
読みどころは、この3人の関係性ともう一つ。物語のなかで語られるさまざまな恋愛のあり方だ。それらは3人の記憶に絡まり、時にはかなく、時に切なく、そして、軽やかにユーモラスでもある。
主人公たちが、おいしそうに飲み、食べるシーンもたまらない。「吞めるすし屋」の「安穏」さとか、読んでいるこちらまで、気持ちがくつろぐ。大人でいることが楽しくなってくる一冊だ。(講談社・1870円)
評・吉田伸子(書評家)